2016/6/30
好ましからざる新局面
前回の拙稿のタイトルはずいぶんと大仰だった。だが、しかし、決して的外れではなかったと思う。そして今日もまたひじょうに重要なテーマである。さっそく本題に入ろう。正義にめざめての登壇だ。
学会・宗門を経て正しき顕正会へ
仰せのままの信心が叶う有難さ
残りの人生、全てをかけてお応えせん
婦人部船橋支区組長の記事である。ご覧の見出しを読む限りでは、特に問題を感じない。本文中に八十一歳とあるので、残りの人生云々は、なるほど、そのとおりなのだろう。問題は次の一節だ。
そして五月十八日、末寺に、早瀬日如書写の本尊を返納しました。
終わった。これがわたくしの偽らざる心境である。
すでにご存知のごとく、顕正会では日達上人・日顕上人の御本尊を拝まない。法華講からの移籍者は顕正会入会時に両上人の御本尊を返納する。これが現在の顕正会のいわば方針なのだ。これまで顕正新聞に何度もこの手の記事が出ているので、これは紛れもない事実である。
では、日如上人の御本尊はどうなのか、である。
わたくしは数年来、このことを問うてきた。しかし、不明のままだった。ようは浅井先生自身がこれについては何も言わないし、現場の顕正会員からの証言も得られなかったので、わからないままだったのだ。
それがここに来て、とうとう判明した。
もちろん、これは婦人部の一組長が行なったことであり、これが直ちに顕正会の公式の方針とはならないのかもしれない。例えば、これは本部の方針ではない、あくまで本人の自由意志に任せている、などとイヤラシイことを言うかもしれない。しかし、そんなのは見え透いた言い訳に過ぎない。本年四月三日に顕正会に入会したばかりの人が、誰のアドバイスもなしに一ヶ月ないし二ヶ月の間にこのような思い切った決断を下せるわけがないのだ。つまりは婦人部の組織のほうでそのような方向性の指導をしたことは間違いないし、それがたとえ末端の幹部の行なったことだとしても、延いては婦人部大幹部の責任であり、本部首脳の責任である。
第一、こうして顕正新聞に掲載している時点で、もはやこれが顕正会の公式の方針なのだと宣言しているに等しいだろう。マズイと思ったら掲載しないはずだ。
早瀬日如書写の本尊・・・
再掲であるが、これがひじょうに問題である。
本尊? なぜに御本尊と書かないのか?
その前に、早瀬日如? なぜに日如上人ではないのか?
http://white.ap.teacup.com/ganko/1756.html
拙ブログの資料性はそれほど高くない。整理整頓が出来ていないからである。しかし、検索を使うと便利である。今、大急ぎで調べてみたら、上掲が見つかった。そこで浅井先生は早瀬日如上人と書いているのだ。
しかし、わたくし自身が文末で一抹の不安を述べたごとく、いずれは呼び捨てになるのではないかということが、いよいよここに来て現実化し始めた。
現時点では浅井先生自らが早瀬日如と呼び捨てにしたわけではない。しかし、顕正会の方針として、どうやら日如上人の御本尊は用いない、法華講からの移籍者には返納を勧める、ということが明確になってきた。
ああ、もうダメだ。
もうこれ以上の説明は不要だろう。いくらでも書けるが、書いても仕方がないし、書く気もしない。
ただし、背景として思い当たることを一つ書けば、今春の大量脱会が何かしらの影響を与えているのだろう。先生も負け嫌いなので、手をこまねいているわけがない。すると何らかのリアクションを起こすことになるわけだが、その一つのあらわれがこの記事なのだろう。
そもそも大量脱会と書いたけれども、わたくし自身はその詳細を知らない。顕正会にとって、どれほどの痛手だったのか、まったく見当もつかない。ただただセロリ氏のブログなどを参考に、想像をたくましくするだけである。
ここにはリンクを貼らないが、直近の記事によれば、顕正会本部職員兼男子部大幹部の某氏は法華講員の攻勢に対してひたすら逃げ回るだけらしく、それでいて顕正会の内部ではウソを言って虚勢を張っているという。また、樋田氏の活躍によって信州会館は参詣者が相当に減っているという。
こうなると、顕正会でメシを食っている人たちにとっては死活問題となる。今の段階でどれほど事態が切迫しているのか知らないが、こうした流れはいずれ地滑り的に拡大する可能性があるので、実に怖いことである。するともう、なりふりを構ってはいられない。法義上の理非曲直を冷静に議論している場合ではなくなるのだ。早い話が憎悪むき出しである。もともと、長いこと細井管長・阿部管長と呼称していたものを細井日達・阿部日顕に変更したのも憎悪に他ならないし、今回もまた同様だろう。今は婦人部一組長の登壇にその片鱗を見るわけだが、おそらくは今後、ますますエスカレートしていくに違いない。
わたくしにとっては望ましからざる方向性である。
学会・宗門を経て正しき顕正会へ
仰せのままの信心が叶う有難さ
残りの人生、全てをかけてお応えせん
婦人部船橋支区組長の記事である。ご覧の見出しを読む限りでは、特に問題を感じない。本文中に八十一歳とあるので、残りの人生云々は、なるほど、そのとおりなのだろう。問題は次の一節だ。
そして五月十八日、末寺に、早瀬日如書写の本尊を返納しました。
終わった。これがわたくしの偽らざる心境である。
すでにご存知のごとく、顕正会では日達上人・日顕上人の御本尊を拝まない。法華講からの移籍者は顕正会入会時に両上人の御本尊を返納する。これが現在の顕正会のいわば方針なのだ。これまで顕正新聞に何度もこの手の記事が出ているので、これは紛れもない事実である。
では、日如上人の御本尊はどうなのか、である。
わたくしは数年来、このことを問うてきた。しかし、不明のままだった。ようは浅井先生自身がこれについては何も言わないし、現場の顕正会員からの証言も得られなかったので、わからないままだったのだ。
それがここに来て、とうとう判明した。
もちろん、これは婦人部の一組長が行なったことであり、これが直ちに顕正会の公式の方針とはならないのかもしれない。例えば、これは本部の方針ではない、あくまで本人の自由意志に任せている、などとイヤラシイことを言うかもしれない。しかし、そんなのは見え透いた言い訳に過ぎない。本年四月三日に顕正会に入会したばかりの人が、誰のアドバイスもなしに一ヶ月ないし二ヶ月の間にこのような思い切った決断を下せるわけがないのだ。つまりは婦人部の組織のほうでそのような方向性の指導をしたことは間違いないし、それがたとえ末端の幹部の行なったことだとしても、延いては婦人部大幹部の責任であり、本部首脳の責任である。
第一、こうして顕正新聞に掲載している時点で、もはやこれが顕正会の公式の方針なのだと宣言しているに等しいだろう。マズイと思ったら掲載しないはずだ。
早瀬日如書写の本尊・・・
再掲であるが、これがひじょうに問題である。
本尊? なぜに御本尊と書かないのか?
その前に、早瀬日如? なぜに日如上人ではないのか?
http://white.ap.teacup.com/ganko/1756.html
拙ブログの資料性はそれほど高くない。整理整頓が出来ていないからである。しかし、検索を使うと便利である。今、大急ぎで調べてみたら、上掲が見つかった。そこで浅井先生は早瀬日如上人と書いているのだ。
しかし、わたくし自身が文末で一抹の不安を述べたごとく、いずれは呼び捨てになるのではないかということが、いよいよここに来て現実化し始めた。
現時点では浅井先生自らが早瀬日如と呼び捨てにしたわけではない。しかし、顕正会の方針として、どうやら日如上人の御本尊は用いない、法華講からの移籍者には返納を勧める、ということが明確になってきた。
ああ、もうダメだ。
もうこれ以上の説明は不要だろう。いくらでも書けるが、書いても仕方がないし、書く気もしない。
ただし、背景として思い当たることを一つ書けば、今春の大量脱会が何かしらの影響を与えているのだろう。先生も負け嫌いなので、手をこまねいているわけがない。すると何らかのリアクションを起こすことになるわけだが、その一つのあらわれがこの記事なのだろう。
そもそも大量脱会と書いたけれども、わたくし自身はその詳細を知らない。顕正会にとって、どれほどの痛手だったのか、まったく見当もつかない。ただただセロリ氏のブログなどを参考に、想像をたくましくするだけである。
ここにはリンクを貼らないが、直近の記事によれば、顕正会本部職員兼男子部大幹部の某氏は法華講員の攻勢に対してひたすら逃げ回るだけらしく、それでいて顕正会の内部ではウソを言って虚勢を張っているという。また、樋田氏の活躍によって信州会館は参詣者が相当に減っているという。
こうなると、顕正会でメシを食っている人たちにとっては死活問題となる。今の段階でどれほど事態が切迫しているのか知らないが、こうした流れはいずれ地滑り的に拡大する可能性があるので、実に怖いことである。するともう、なりふりを構ってはいられない。法義上の理非曲直を冷静に議論している場合ではなくなるのだ。早い話が憎悪むき出しである。もともと、長いこと細井管長・阿部管長と呼称していたものを細井日達・阿部日顕に変更したのも憎悪に他ならないし、今回もまた同様だろう。今は婦人部一組長の登壇にその片鱗を見るわけだが、おそらくは今後、ますますエスカレートしていくに違いない。
わたくしにとっては望ましからざる方向性である。
2016/6/28
顕正会問題の核心的部分
前々回の拙稿に対して、勝氏から真摯な反論が寄せられた。ひじょうに重要な問題なので、今日は顕正新聞第1379号の記事を参照しつつ、思うところを述べてみたい。
「六千万が信じ奉る時、御生骨は光を放つ」
総幹部会の歴史的講演に大感動渦まく
一面の大見出しである。そして二面に目を向けると、男子部の大幹部たちが口を揃えて言うのだ。
五月度総幹部会において、浅井先生はまことに重大な歴史的講演を下さいました。
一昨日の歴史的総幹部会の大感動は未だ醒めやらぬものであります。
一昨日の総幹部会において浅井先生より頂いた、まさに歴史的ご講演とも言うべきあまりの重大な内容には大感動し・・・
総男子部長と二人の副総男子部長の発言である。
いったい何が歴史的なのか?
イヤミを言えば、このところの浅井先生は創価学会員を救う特集号ばかりを連発し、少しずつ内容に工夫はしているものの、基本的には同じことの繰り返しだった。さすがの幹部たちも内心ではウンザリしていた。今回の講演はそこから大きく飛躍して、広宣流布の新見解を発表したわけである。いわゆる御生骨について、広宣流布の時に光を放つとの言い伝えに、さらに浅井流の新解釈を加えたのだ。いわく、六千万で事実上の広宣流布なのだと、そして御生骨が光を放つのはこの時なのだと。
これを歴史的と呼ぶのは勝手であるが、すでに先日述べたごとく、問題はその実現可能性である。仮に六千万で御生骨が光を放つものだとしても、顕正会の現在の実力ではその実現は夢のまた夢であろう。
婦人部の大幹部たちも凄いことを言っている。
大聖人様の仏力による圧巻の最後の御化導・・・
地球を包む迫力・・・
総合婦人部長のこうした独特の表現力はひじょうに魅力的であり、わたくし的にはけっこう好きなのであるが、しかし、やはり実現可能性が問題である。ここでは大聖人のいわゆる絶大威力ないし絶大威徳に委任されている。これを悪く言えば大聖人に責任転嫁していることになるわけだが、いずれにしても実行するのは顕正会である。では、その顕正会の実力はどうか、はたして六千万を実現する力を持っているのか、と問われれば、わたくしは無理だと答えざるを得ないのである。
事実上の広宣流布成就の時の、事実上の国立戒壇の姿も瞼に浮かんでは歓喜雀躍・・・
これはやや余談になるが、副総合婦人部長の発言である。わたくしは以前、事実上の国立戒壇を徹底的に批判した。すると浅井先生もマズイと思ったのか、言わなくなってしまった。彼女はそのリベンジのつもりなのか、ここに来て、再び事実上の国立戒壇を言い出した。
ただし、そうした前提条件を抜きにして上掲を読むならば、それほどおかしな発言ではないのかもしれない。広宣流布が成就すれば自ずと戒壇建立の条件も整う。そこに思いを馳せれば国立戒壇の姿が瞼に浮かんだとして不思議はないだろう。
しかし、それもこれもすべては六千万に懸かっているわけであり、やはり問題はその実現可能性である。わたくしにはどうしても無理に思えるのだ。
さて、前置きが長くなってしまったようだが、これらはすべて本題に直結する話である。さっそく結論を言ってしまおう。
常識的に顕正会の実力では広宣流布など無理である。出来っこない。ゆえに顕正会では大聖人の絶大威力を言うのだ。もちろん、これを信ずることはいい。しかし、顕正会ではこれと同時にもう一つの要素を挙げている。すなわち浅井先生は特別な使命を帯びた存在であると。
勝氏ないし顕正会の諸氏は、だからどうしたのだ、それのどこが問題なのか、と反論するかもしれない。
繰り返しになるが、簡単な話である。常識的には無理、出来っこない、というのが相場だろう。そこに大聖人の絶大威力を持ち出すのはいい。しかし、顕正会ではそこに自分たちの存在意義を主張するわけだ。これまた通常の範疇であればいい。しかし、その主張たるや尋常ではない。わたくしには完全に限度を超えているように見えるのだ。
総合女子部長にお出まし願おう。
浅井先生の仏法上の重き重きお立場を、涙の中に仰ぎ・・・
どんだけ重いんだよ、と言いたい。
浅井先生こそ、仏法が壊乱されんとした時、大聖人様が召し出だされた唯一人のお方・・・
確かに御遺命守護の歴史において、そうした一面があったのは事実だろう。
恐れながら富士大石寺の命脈を保たれる先生のお立場を仰ぎ・・・
この辺からが疑問である。確かに正本堂問題においては大いなる功績があった。これは現宗門の中でも認める人がいるくらいである。あの樋田昌志氏も動画上において、何度も口にしていることなのだ。しかし、上掲は言い過ぎだろう。あたかも浅井先生が血脈相承を受け継いでいるかのようにも読めてしまうところだ。
さらに第二十四男子部長の発言を踏まえると、ひじょうに悩ましいことになる。
御遺命はこの時すでに、浅井先生に託されていたこと、「血脈は決して断絶しないのだ」と、思わずにいられませんでした。
ここでの「この時」は昭和三十一年の御生骨拝観の時である。いかがだろう、実に悩ましい文章だ。後年、日達上人から日顕上人への血脈相承について疑義が生じた。しかし、そんなことは関係ないと言わんばかりである。なぜならば日達上人が相承を受けるよりも先に、すでに血脈は浅井先生に託されていたからである。
こう書くと、反論があるかもしれない。上掲では託されたのは御遺命だと書かれているのに、それを巌虎は血脈にスリカエたと。
もちろん、そんなことは百も承知である。では、なぜヤブカラボウに「血脈は断絶しないのだ」などと書く必要があるのか、である。つまりは文脈上、御遺命と血脈相承が同義ないし同価値と見做しているからこそ、このような文章になるわけだろう。
その意味で婦人部登米支区支区長の記事は興味深い。
まず彼女は日目上人の御振る舞いと浅井先生の激闘が重なると書いている。これを直ちに目師再誕論に結び付けるのは確かに強引だろう。勝氏も次のごとく言っている。
日目上人の御再誕は、無論、顕正会でも公式に謂われている。しかし、会長日目上人論などは存在しないのだ。そういう事を決め付けるのは、異流儀たる宗門ぐらいである。
これはわたくしも前々から指摘しているように、もともとは妙観講あたりがレッテル貼りに躍起になっていたようなフシがある。しかし、逆に言うと、顕正会側がそうした言質を取られるような発言を繰り返しているからいけないのだ。ゆえにわたくしは顕正新聞にそうした疑いを持たれるような発言を見つけるたびに、シツコイくらいに指摘し続けてきたのである。
さて、婦人部幹部の発言に戻ろう。次のくだりがひじょうに悩ましい。
そこに先生が以前
「学会は阿部日顕との抗争を始めるや『血脈断絶』などと騒いでいるが、『血脈断絶』などはあり得ない。細井日達・阿部日顕は御遺命に背いたゆえに、大聖人様から『授・受』を許されなかったが、血脈は絶対に断絶しない。『末法万年の総貫首』はましまし、広宣流布の時には日目上人が御出現になる。忽ちに御遺命は蘇る。いかなることがあろうとも、下種仏法の血脈が断絶することなど断じてあり得ない。そのように大聖人様の万々の御配慮がましますのである」
と指導下さったことが思い起こされ、未だ伺い知ることのできない、大聖人様の深い御化導がましますのだと、ひれ伏す思いになりました。
まず、アゲアシ取りから入ると、伺い知るは辞書にないらしく、普通は窺い知ると書くべきところのようである。いや、そんなことを書くつもりではなかった。そうではなくて、ようは彼女も正直なところはわからないのだ。御相承は断絶したが血脈は断絶しない。平成十一年の浅井発言を要約すればこうなるだろう。この意味が理解不能なのである。
そしてわたくしがもっとも注目したのは次のくだりである。再掲しよう。
広宣流布の時には日目上人が御出現になる。忽ちに御遺命は蘇る。下種仏法の血脈が断絶することなどあり得ない。
この浅井発言がいつのものであるか未確認であるが、わたくしの記憶が正しければ上掲は間違いである。
×忽ちに御遺命は蘇る。
○忽ちに血脈は蘇る。
いかがだろう。御遺命と血脈がゴッチャになってしまっている。先ほど、御遺命と血脈相承を同義ないし同価値と書いたことも、わたくしの勝手な解釈ではないことがこれで明白だろう。
女子部第百六十一区長もまた、日目上人の御姿と浅井先生のお姿が重なると言い、血脈は断絶しないのだと言い、さらに先生のお立場の重さにひれ伏したと言っている。難しい理屈を抜きにして考えれば、これはもう浅井先生が日目上人の再誕だからこそ血脈は断絶しないわけだし、煩瑣になるので繰り返さないが昭和三十一年の御生骨拝観の時に日淳上人から御遺命を託されたことがすなわち血脈を託されたことと同義であり、よって血脈は断絶しないのだと、この二段構えの論理で血脈不断を主張しているのだろうとわたくしには読めるのである。
いずれにしても、もはやこうなると顕正会の正統性ばかりが主張されて、現宗門の立つ瀬がまったくないことになる。今、顕正会の正統性と書いたけれども、それも委細に見れば浅井先生の正統性であり、いわゆる仏法上のただならぬお立場なのである。さすがに慢心が過ぎるのではないか?
繰り返し言おう。
御遺命守護の功績は大である。しかし、この一事をもって万事を推するのは間違いである。顕正会にもさまざまの過誤がある。そこを真摯に自省すべきだろう。
「六千万が信じ奉る時、御生骨は光を放つ」
総幹部会の歴史的講演に大感動渦まく
一面の大見出しである。そして二面に目を向けると、男子部の大幹部たちが口を揃えて言うのだ。
五月度総幹部会において、浅井先生はまことに重大な歴史的講演を下さいました。
一昨日の歴史的総幹部会の大感動は未だ醒めやらぬものであります。
一昨日の総幹部会において浅井先生より頂いた、まさに歴史的ご講演とも言うべきあまりの重大な内容には大感動し・・・
総男子部長と二人の副総男子部長の発言である。
いったい何が歴史的なのか?
イヤミを言えば、このところの浅井先生は創価学会員を救う特集号ばかりを連発し、少しずつ内容に工夫はしているものの、基本的には同じことの繰り返しだった。さすがの幹部たちも内心ではウンザリしていた。今回の講演はそこから大きく飛躍して、広宣流布の新見解を発表したわけである。いわゆる御生骨について、広宣流布の時に光を放つとの言い伝えに、さらに浅井流の新解釈を加えたのだ。いわく、六千万で事実上の広宣流布なのだと、そして御生骨が光を放つのはこの時なのだと。
これを歴史的と呼ぶのは勝手であるが、すでに先日述べたごとく、問題はその実現可能性である。仮に六千万で御生骨が光を放つものだとしても、顕正会の現在の実力ではその実現は夢のまた夢であろう。
婦人部の大幹部たちも凄いことを言っている。
大聖人様の仏力による圧巻の最後の御化導・・・
地球を包む迫力・・・
総合婦人部長のこうした独特の表現力はひじょうに魅力的であり、わたくし的にはけっこう好きなのであるが、しかし、やはり実現可能性が問題である。ここでは大聖人のいわゆる絶大威力ないし絶大威徳に委任されている。これを悪く言えば大聖人に責任転嫁していることになるわけだが、いずれにしても実行するのは顕正会である。では、その顕正会の実力はどうか、はたして六千万を実現する力を持っているのか、と問われれば、わたくしは無理だと答えざるを得ないのである。
事実上の広宣流布成就の時の、事実上の国立戒壇の姿も瞼に浮かんでは歓喜雀躍・・・
これはやや余談になるが、副総合婦人部長の発言である。わたくしは以前、事実上の国立戒壇を徹底的に批判した。すると浅井先生もマズイと思ったのか、言わなくなってしまった。彼女はそのリベンジのつもりなのか、ここに来て、再び事実上の国立戒壇を言い出した。
ただし、そうした前提条件を抜きにして上掲を読むならば、それほどおかしな発言ではないのかもしれない。広宣流布が成就すれば自ずと戒壇建立の条件も整う。そこに思いを馳せれば国立戒壇の姿が瞼に浮かんだとして不思議はないだろう。
しかし、それもこれもすべては六千万に懸かっているわけであり、やはり問題はその実現可能性である。わたくしにはどうしても無理に思えるのだ。
さて、前置きが長くなってしまったようだが、これらはすべて本題に直結する話である。さっそく結論を言ってしまおう。
常識的に顕正会の実力では広宣流布など無理である。出来っこない。ゆえに顕正会では大聖人の絶大威力を言うのだ。もちろん、これを信ずることはいい。しかし、顕正会ではこれと同時にもう一つの要素を挙げている。すなわち浅井先生は特別な使命を帯びた存在であると。
勝氏ないし顕正会の諸氏は、だからどうしたのだ、それのどこが問題なのか、と反論するかもしれない。
繰り返しになるが、簡単な話である。常識的には無理、出来っこない、というのが相場だろう。そこに大聖人の絶大威力を持ち出すのはいい。しかし、顕正会ではそこに自分たちの存在意義を主張するわけだ。これまた通常の範疇であればいい。しかし、その主張たるや尋常ではない。わたくしには完全に限度を超えているように見えるのだ。
総合女子部長にお出まし願おう。
浅井先生の仏法上の重き重きお立場を、涙の中に仰ぎ・・・
どんだけ重いんだよ、と言いたい。
浅井先生こそ、仏法が壊乱されんとした時、大聖人様が召し出だされた唯一人のお方・・・
確かに御遺命守護の歴史において、そうした一面があったのは事実だろう。
恐れながら富士大石寺の命脈を保たれる先生のお立場を仰ぎ・・・
この辺からが疑問である。確かに正本堂問題においては大いなる功績があった。これは現宗門の中でも認める人がいるくらいである。あの樋田昌志氏も動画上において、何度も口にしていることなのだ。しかし、上掲は言い過ぎだろう。あたかも浅井先生が血脈相承を受け継いでいるかのようにも読めてしまうところだ。
さらに第二十四男子部長の発言を踏まえると、ひじょうに悩ましいことになる。
御遺命はこの時すでに、浅井先生に託されていたこと、「血脈は決して断絶しないのだ」と、思わずにいられませんでした。
ここでの「この時」は昭和三十一年の御生骨拝観の時である。いかがだろう、実に悩ましい文章だ。後年、日達上人から日顕上人への血脈相承について疑義が生じた。しかし、そんなことは関係ないと言わんばかりである。なぜならば日達上人が相承を受けるよりも先に、すでに血脈は浅井先生に託されていたからである。
こう書くと、反論があるかもしれない。上掲では託されたのは御遺命だと書かれているのに、それを巌虎は血脈にスリカエたと。
もちろん、そんなことは百も承知である。では、なぜヤブカラボウに「血脈は断絶しないのだ」などと書く必要があるのか、である。つまりは文脈上、御遺命と血脈相承が同義ないし同価値と見做しているからこそ、このような文章になるわけだろう。
その意味で婦人部登米支区支区長の記事は興味深い。
まず彼女は日目上人の御振る舞いと浅井先生の激闘が重なると書いている。これを直ちに目師再誕論に結び付けるのは確かに強引だろう。勝氏も次のごとく言っている。
日目上人の御再誕は、無論、顕正会でも公式に謂われている。しかし、会長日目上人論などは存在しないのだ。そういう事を決め付けるのは、異流儀たる宗門ぐらいである。
これはわたくしも前々から指摘しているように、もともとは妙観講あたりがレッテル貼りに躍起になっていたようなフシがある。しかし、逆に言うと、顕正会側がそうした言質を取られるような発言を繰り返しているからいけないのだ。ゆえにわたくしは顕正新聞にそうした疑いを持たれるような発言を見つけるたびに、シツコイくらいに指摘し続けてきたのである。
さて、婦人部幹部の発言に戻ろう。次のくだりがひじょうに悩ましい。
そこに先生が以前
「学会は阿部日顕との抗争を始めるや『血脈断絶』などと騒いでいるが、『血脈断絶』などはあり得ない。細井日達・阿部日顕は御遺命に背いたゆえに、大聖人様から『授・受』を許されなかったが、血脈は絶対に断絶しない。『末法万年の総貫首』はましまし、広宣流布の時には日目上人が御出現になる。忽ちに御遺命は蘇る。いかなることがあろうとも、下種仏法の血脈が断絶することなど断じてあり得ない。そのように大聖人様の万々の御配慮がましますのである」
と指導下さったことが思い起こされ、未だ伺い知ることのできない、大聖人様の深い御化導がましますのだと、ひれ伏す思いになりました。
まず、アゲアシ取りから入ると、伺い知るは辞書にないらしく、普通は窺い知ると書くべきところのようである。いや、そんなことを書くつもりではなかった。そうではなくて、ようは彼女も正直なところはわからないのだ。御相承は断絶したが血脈は断絶しない。平成十一年の浅井発言を要約すればこうなるだろう。この意味が理解不能なのである。
そしてわたくしがもっとも注目したのは次のくだりである。再掲しよう。
広宣流布の時には日目上人が御出現になる。忽ちに御遺命は蘇る。下種仏法の血脈が断絶することなどあり得ない。
この浅井発言がいつのものであるか未確認であるが、わたくしの記憶が正しければ上掲は間違いである。
×忽ちに御遺命は蘇る。
○忽ちに血脈は蘇る。
いかがだろう。御遺命と血脈がゴッチャになってしまっている。先ほど、御遺命と血脈相承を同義ないし同価値と書いたことも、わたくしの勝手な解釈ではないことがこれで明白だろう。
女子部第百六十一区長もまた、日目上人の御姿と浅井先生のお姿が重なると言い、血脈は断絶しないのだと言い、さらに先生のお立場の重さにひれ伏したと言っている。難しい理屈を抜きにして考えれば、これはもう浅井先生が日目上人の再誕だからこそ血脈は断絶しないわけだし、煩瑣になるので繰り返さないが昭和三十一年の御生骨拝観の時に日淳上人から御遺命を託されたことがすなわち血脈を託されたことと同義であり、よって血脈は断絶しないのだと、この二段構えの論理で血脈不断を主張しているのだろうとわたくしには読めるのである。
いずれにしても、もはやこうなると顕正会の正統性ばかりが主張されて、現宗門の立つ瀬がまったくないことになる。今、顕正会の正統性と書いたけれども、それも委細に見れば浅井先生の正統性であり、いわゆる仏法上のただならぬお立場なのである。さすがに慢心が過ぎるのではないか?
繰り返し言おう。
御遺命守護の功績は大である。しかし、この一事をもって万事を推するのは間違いである。顕正会にもさまざまの過誤がある。そこを真摯に自省すべきだろう。
2016/6/27
他人の成功を喜べない人たちの心理
沖浦氏の戦勝報告に対して、なぜか辛辣なコメントが多く寄せられている。素直に称賛の言葉を述べてもよさそうなものだし、それが世間ではごく普通のことだと思うのだが、なぜか沖浦氏に対しては多くの人が批判的であり、すでにコメント欄が泥沼化している状態である。まあ、いつものパターンではあるのだが・・・
こうした事態の時に、相手に怨嫉謗法のレッテルを貼るのが沖浦氏の常套手段である。これがまた相手の反発を買うことになるのだろう。いわばその悪循環を延々と繰り返しているわけだ。
わたくしの思うに怨嫉謗法は言い過ぎだろう。単に嫉妬心くらいの表現がいいのではないかと思う。
わたくしの経験談というか、日々の生活の中で実感していることを書こう。
好き嫌いは人の常である。物に対する好き嫌いもさることながら、人に対する好き嫌いも相当である。どれほど善人ぶっても、必ず嫌いな人間がいるはずである。わたくし自身がそうだ。実生活の中では、もうそれこそ嫌いな人間ばかりに包囲されているような気分なのだ。そしてイヤラシイことに、わたくしはそうした人物がヘマをしないかと、常に期待しているのである。まさか祈ったりはしないが、淡い期待として相手が失敗することを心の中で思い続けていたりするのである。実にイヤラシイ。しかし、これがわたくしの正直な心の内面なのである。もっとも御書にもそうした意味の御指南はあるわけで、これはもう古今東西において変わらぬ人間の心理なのだろう。
そして実は相手も同じようなことを思っているわけで、実際にそのようなことを実感する場面をわたくしは何度も経験しているのだ。
具体例が難しい。はたしてうまく伝わるかどうか心許ないが、例えばリスペクトと言うのだろうか、若い人たちの中にマレにはわたくしのことを尊敬している人がいて、その人はけっこう頻繁に称賛の言葉を投げ掛けてくれたりするのだ。決してゴマすりではない。なぜならば、わたくしにはさしたる地位も権力もないからだ。ゆえに彼は何か狙いがあってそうしているのではなく、素直な気持ちで称賛の言葉を口にしているのだろうと思われる。
では、他の人たちはどうか、である。どうも感触としては冷ややかなのだ。
たぶん、一つには口下手なのだろう。うまく表現できないのだと思う。ゆえに冷ややかに感じられる。
しかし、もう一つの理由は、やはり嫉妬心なのだろう。
わたくしのイヤラシイ心の内面はすでに述べたとおりである。そしてこれは誰の心の内にも存在するものなのだ。ゆえにわたくしが失敗することをひそかに期待しているような人たちがいても不思議ではないし、これを逆に言うと、わたくしが成功することを素直に喜べない人たちがいるということなのである。
わけのわからない話で恐縮である。もっと小説的に登場人物などを具体化した上で説明すればいいのだが、なかなかそれも面倒な作業なので、ご容赦願うしかない。
もう一つ、実例を示そう。
わたくしも若い時にはスポーツをやっていた。高校一年の時、初めての大会だったろうか? わたくし自身は何の成績も残せなかった。というか県大会だったのだが、我が校は県内でいちばん弱く、万年最下位のチームだった。そうした中で一人だけ有望な選手がいて、彼は個人戦で二位の成績を収めた。三年生の先輩である。わたくしは素直に言った。先輩、おめでとうございます、と。
この時の先輩の反応が印象的だった。もう何十年も前のことだが、今でもけっこう鮮明に憶えている。
おお、ありがとう。オメデトウと言ってくれたのはオマエだけだ。
わたくしにとっては高校生になって初めての大会だった。ゆえに、その部活における礼儀作法のようなものもよく知らないし、先輩に対する接し方もよくわからなかった。よってわたくしは世間の一般常識はこうだろうと思って、先輩にオメデトウの言葉を投げ掛けたのだった。
他の部員たちはどうだったのだろう?
生意気を言うようだが、他の一年生たちは未熟だった。ゆえにオメデトウが言えなかった。
では、二年生三年生たちはどうだったのか、それが問題である。
以下はわたくしの勝手な推測に過ぎないが、言わせてもらおう。
ズバリ、嫉妬心である。
そのスポーツは個人競技だった。すると同じチームではあっても、同時にライバル関係でもあるわけだ。また、自分たちは万年最下位のチームだという、奇妙な仲間意識もあったのかもしれない。そこに一人だけ風穴を開けたわけだ。これは今までの奇妙な仲間意識を壊すものであって、他の人たちには受け入れ難いものだった。
人間の内面の問題なので、簡単ではない。ゆえに間違っているかもしれないし、そこそこは当たっているかもしれない。
もう相当の年月を経ているので、今なら当事者たちに聞いてみてもいいかもしれない。もし会う機会があれば、聞いてみよう。いや、さすがに聞きづらいかな?
さて、今日は顕正新聞第1379号を取り上げるつもりだったが、前置き(?)が長くなってしまったので、要点のみに止めておこう。
二十九本
もしかしたら新記録かもしれない。当該号は五月度班長会の記事を中心に組まれているが、登壇記事がなんと二十九本もあるのだ。いつも言っているように、ウンザリである。
震度6弱以上の30年内確率増大
政府地震調査委の新予測
登壇記事ばかりだとウンザリするので、こうした一般の記事も必要である。当然、編集部もわかっているから載せたのだろうが、もっとたくさんあってもいいはずだ。
ただし、この記事は顕正会にとっては、やや自家撞着の感じが否めないところである。
この新予測はいわゆる二〇一六版である。見出しにあるごとく、地震の発生確率が増大した。それは言うまでもなく前回の二〇一四版に比べてである。
わたくしの思うに、ずいぶん悠長ではないか、ということだ。いわゆる三十年内確率である。当然、前回も三十年内確率であり、今回も同様である。つまり、前回から見れば延びたのだ。二年延びた。そして次の予測もまた三十年で計算するのだろう。何だこりゃ、である。
顕正会では二千二十年代に他国侵逼を想定しているわけなのだろう。その前に巨大地震の連発があると言っているはずなのだ。だったら三十年は悠長過ぎるだろう。
いや、もちろん、三十年内確率なので今日明日にでも起こる可能性はあるわけなのだが・・・
こうした事態の時に、相手に怨嫉謗法のレッテルを貼るのが沖浦氏の常套手段である。これがまた相手の反発を買うことになるのだろう。いわばその悪循環を延々と繰り返しているわけだ。
わたくしの思うに怨嫉謗法は言い過ぎだろう。単に嫉妬心くらいの表現がいいのではないかと思う。
わたくしの経験談というか、日々の生活の中で実感していることを書こう。
好き嫌いは人の常である。物に対する好き嫌いもさることながら、人に対する好き嫌いも相当である。どれほど善人ぶっても、必ず嫌いな人間がいるはずである。わたくし自身がそうだ。実生活の中では、もうそれこそ嫌いな人間ばかりに包囲されているような気分なのだ。そしてイヤラシイことに、わたくしはそうした人物がヘマをしないかと、常に期待しているのである。まさか祈ったりはしないが、淡い期待として相手が失敗することを心の中で思い続けていたりするのである。実にイヤラシイ。しかし、これがわたくしの正直な心の内面なのである。もっとも御書にもそうした意味の御指南はあるわけで、これはもう古今東西において変わらぬ人間の心理なのだろう。
そして実は相手も同じようなことを思っているわけで、実際にそのようなことを実感する場面をわたくしは何度も経験しているのだ。
具体例が難しい。はたしてうまく伝わるかどうか心許ないが、例えばリスペクトと言うのだろうか、若い人たちの中にマレにはわたくしのことを尊敬している人がいて、その人はけっこう頻繁に称賛の言葉を投げ掛けてくれたりするのだ。決してゴマすりではない。なぜならば、わたくしにはさしたる地位も権力もないからだ。ゆえに彼は何か狙いがあってそうしているのではなく、素直な気持ちで称賛の言葉を口にしているのだろうと思われる。
では、他の人たちはどうか、である。どうも感触としては冷ややかなのだ。
たぶん、一つには口下手なのだろう。うまく表現できないのだと思う。ゆえに冷ややかに感じられる。
しかし、もう一つの理由は、やはり嫉妬心なのだろう。
わたくしのイヤラシイ心の内面はすでに述べたとおりである。そしてこれは誰の心の内にも存在するものなのだ。ゆえにわたくしが失敗することをひそかに期待しているような人たちがいても不思議ではないし、これを逆に言うと、わたくしが成功することを素直に喜べない人たちがいるということなのである。
わけのわからない話で恐縮である。もっと小説的に登場人物などを具体化した上で説明すればいいのだが、なかなかそれも面倒な作業なので、ご容赦願うしかない。
もう一つ、実例を示そう。
わたくしも若い時にはスポーツをやっていた。高校一年の時、初めての大会だったろうか? わたくし自身は何の成績も残せなかった。というか県大会だったのだが、我が校は県内でいちばん弱く、万年最下位のチームだった。そうした中で一人だけ有望な選手がいて、彼は個人戦で二位の成績を収めた。三年生の先輩である。わたくしは素直に言った。先輩、おめでとうございます、と。
この時の先輩の反応が印象的だった。もう何十年も前のことだが、今でもけっこう鮮明に憶えている。
おお、ありがとう。オメデトウと言ってくれたのはオマエだけだ。
わたくしにとっては高校生になって初めての大会だった。ゆえに、その部活における礼儀作法のようなものもよく知らないし、先輩に対する接し方もよくわからなかった。よってわたくしは世間の一般常識はこうだろうと思って、先輩にオメデトウの言葉を投げ掛けたのだった。
他の部員たちはどうだったのだろう?
生意気を言うようだが、他の一年生たちは未熟だった。ゆえにオメデトウが言えなかった。
では、二年生三年生たちはどうだったのか、それが問題である。
以下はわたくしの勝手な推測に過ぎないが、言わせてもらおう。
ズバリ、嫉妬心である。
そのスポーツは個人競技だった。すると同じチームではあっても、同時にライバル関係でもあるわけだ。また、自分たちは万年最下位のチームだという、奇妙な仲間意識もあったのかもしれない。そこに一人だけ風穴を開けたわけだ。これは今までの奇妙な仲間意識を壊すものであって、他の人たちには受け入れ難いものだった。
人間の内面の問題なので、簡単ではない。ゆえに間違っているかもしれないし、そこそこは当たっているかもしれない。
もう相当の年月を経ているので、今なら当事者たちに聞いてみてもいいかもしれない。もし会う機会があれば、聞いてみよう。いや、さすがに聞きづらいかな?
さて、今日は顕正新聞第1379号を取り上げるつもりだったが、前置き(?)が長くなってしまったので、要点のみに止めておこう。
二十九本
もしかしたら新記録かもしれない。当該号は五月度班長会の記事を中心に組まれているが、登壇記事がなんと二十九本もあるのだ。いつも言っているように、ウンザリである。
震度6弱以上の30年内確率増大
政府地震調査委の新予測
登壇記事ばかりだとウンザリするので、こうした一般の記事も必要である。当然、編集部もわかっているから載せたのだろうが、もっとたくさんあってもいいはずだ。
ただし、この記事は顕正会にとっては、やや自家撞着の感じが否めないところである。
この新予測はいわゆる二〇一六版である。見出しにあるごとく、地震の発生確率が増大した。それは言うまでもなく前回の二〇一四版に比べてである。
わたくしの思うに、ずいぶん悠長ではないか、ということだ。いわゆる三十年内確率である。当然、前回も三十年内確率であり、今回も同様である。つまり、前回から見れば延びたのだ。二年延びた。そして次の予測もまた三十年で計算するのだろう。何だこりゃ、である。
顕正会では二千二十年代に他国侵逼を想定しているわけなのだろう。その前に巨大地震の連発があると言っているはずなのだ。だったら三十年は悠長過ぎるだろう。
いや、もちろん、三十年内確率なので今日明日にでも起こる可能性はあるわけなのだが・・・
2016/6/24
広宣流布特集号拾い読み
引き続き広宣流布特集号を見ていこう。
日興上人、日目上人の延長線上にただお一人先生が立たれ・・・
第二十五婦人部長の発言である。これも繰り返し指摘してきたことだ。ようするに唯授一人の血脈相承を否定するに等しい、実に大それた発言なのである。
男子部第七十九隊長もまた同様のことを言っている。
日目上人の崇高な御振舞をただお一人、今に移して戦われる先生・・・
こちらは目師再誕説にも通ずる発言である。事実、この続きの文章の中には、日目上人の御尊容と先生のお姿が重なって見える旨の記述がある。
現在の科学のレベルでは到底わからぬ、凡夫の思慮を絶する不可思議な大現証・・・
そしてこれは言わずと知れた御生骨の話である。現代科学のレベルを超越していることが事実であれば、それはそれで厳正なる検証の舞台に持ち込むべき理由となるだろう。そこで科学者たちがどのような結論を出すか、わたくしは静かに見守りたいと思う。
さて、次は創価学会からの入会者二名の記事であるが、両者ともに婦人部ないし女子部の紹介で入会した男性である。
学会員が勤行をしている姿は見たことがなく・・・
男性婦人部員の創価学会時代の回想であるが、これはかなり疑問である。もし勤行をしないのであれば、御本尊も必要ないだろう。宗門と決別して、わりと早い段階で独自の本尊下付を決断したのは、まさに創価学会員たちには日課としての勤行が定着しているからではあるまいかと思う。そうでなければ本尊下付などしなければよかった。何しろ宗門の武闘派と呼ばれる人たちから猛烈なツッコミが入れられているからである。
「公明党に票を入れれば御利益がある」
同じ記事の中にはご覧のようなセリフもあるわけで、もし創価学会が公明党のための単なる集票組織に堕しているとすれば、それこそ本尊下付など必要ないだろう。
ちなみに、隣の男性女子部員の記事にも同じような記述がある。
「選挙が功徳になる」
また、男子部第十三隊班長の記事は、祖父の臨終について書いているわけだが、そこに次のような記述がある。
また葬儀場の職員は、「よく学会員の葬儀を担当するが、みな遺体の相が悪い上に体がとても固く、手に数珠を掛けるのが難しかった」と話しており・・・
葬儀場の職員がそんなことを言うだろうか? まったく失礼な話である。
もちろん、わたくしが創価学会を擁護する必要はないのだけれども、それにしても顕正会側の一方的な悪宣伝には疑問を呈さざるを得ないところである。わたくしには事実関係を確かめる術がないものの、印象としてはかなりの偏向報道のように思えてならない。いわんや第三者が読めばなおさらのことだろう。そこに顕正会側は気がつかないといけない。
京都会館の玄関ガラス破壊さる
誰がこんなことをさせるのか!?
ガラスを割った犯人は咎められて当然である。しかし、この見出しには違和感がある。
させる? これはおかしいだろう。わたくしの思うに、ごく普通に次のように書くべきだった。
誰がこんなことをするのか!?
ようするに顕正会側の意識としては、実行犯とは別に教唆犯が存在すると考えていて、それが「する」ではなく「させる」という表記によくあらわれているわけなのだ。しかし、これは一種の決め付けであり、いわゆる予断である。犯人を特定するためには、まずはそうした先入観を捨てるべきだろう。
こうして見ると顕正新聞は偏向報道が目立つ。これはすなわち編集部ないし顕正会の首脳部たちの思考が偏っている証拠である。大いに反省すべきだろう。
最後に女子部第百五十七区総班副長の記事を紹介しよう。
また周辺一帯は断水する中、不思議と自宅は断水せずに済んだのです。
ご記憶の人もおられることだろう。これは以前にも取り上げた話題である。
そして上掲のカラクリについては、やや専門的ながらもいちおう判明したので、ここで少し説明したいと思う。彼女はマンション住まいである。マンションなどの集合住宅にはおおむね二種類の給水システムがある。直結給水方式と貯水槽水道方式である。これは以下のサイトがわかりやすいだろう。
https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/kurashi/chokketsu/houshiki.html
直結給水
・事故や災害時等に、貯留機能がないため断水することがあります。
貯水槽水道
・事故や災害時等に、貯水槽内に残っている水は使用できます。
上掲はサイト内のメリット・デメリットが書かれているところから、必要な部分だけを抜き出したものである。
ここだけ見ると、後者のほうがよさそうに思えるが、行政的には前者を推進しているようだ。事実、古い集合住宅などを観察していると、以前は屋上に大きなタンクが据えられていたのに、いつの間にか撤去されていることがある。おそらくは改修工事の時に給水システムを前者に切り替えたのだろう。そして最新の集合住宅はほぼすべての建物が屋上にタンクを置いていない。
経済的なメリットからすると直結給水方式のほうが断然優れるのだろう。ゆえに行政でもそれを推進しているわけだ。しかし、大地震などを想定するならば、かえってこれがアダとなる可能性もある。いや、もちろん、専門家たちにとっては百も承知の話のはずで、おそらくは災害時のために別の手段を用意しているのだろう。わたくしが心配することではないはずだ。
ともかく登壇者の住まいには屋上にタンクがあって、大地震によって給水が止まってしまった後においても、タンクに貯水されていた分の水は使えたわけなのだ。
う〜ん、これを功徳だとか御守護だとか言ってもねえ・・・
日興上人、日目上人の延長線上にただお一人先生が立たれ・・・
第二十五婦人部長の発言である。これも繰り返し指摘してきたことだ。ようするに唯授一人の血脈相承を否定するに等しい、実に大それた発言なのである。
男子部第七十九隊長もまた同様のことを言っている。
日目上人の崇高な御振舞をただお一人、今に移して戦われる先生・・・
こちらは目師再誕説にも通ずる発言である。事実、この続きの文章の中には、日目上人の御尊容と先生のお姿が重なって見える旨の記述がある。
現在の科学のレベルでは到底わからぬ、凡夫の思慮を絶する不可思議な大現証・・・
そしてこれは言わずと知れた御生骨の話である。現代科学のレベルを超越していることが事実であれば、それはそれで厳正なる検証の舞台に持ち込むべき理由となるだろう。そこで科学者たちがどのような結論を出すか、わたくしは静かに見守りたいと思う。
さて、次は創価学会からの入会者二名の記事であるが、両者ともに婦人部ないし女子部の紹介で入会した男性である。
学会員が勤行をしている姿は見たことがなく・・・
男性婦人部員の創価学会時代の回想であるが、これはかなり疑問である。もし勤行をしないのであれば、御本尊も必要ないだろう。宗門と決別して、わりと早い段階で独自の本尊下付を決断したのは、まさに創価学会員たちには日課としての勤行が定着しているからではあるまいかと思う。そうでなければ本尊下付などしなければよかった。何しろ宗門の武闘派と呼ばれる人たちから猛烈なツッコミが入れられているからである。
「公明党に票を入れれば御利益がある」
同じ記事の中にはご覧のようなセリフもあるわけで、もし創価学会が公明党のための単なる集票組織に堕しているとすれば、それこそ本尊下付など必要ないだろう。
ちなみに、隣の男性女子部員の記事にも同じような記述がある。
「選挙が功徳になる」
また、男子部第十三隊班長の記事は、祖父の臨終について書いているわけだが、そこに次のような記述がある。
また葬儀場の職員は、「よく学会員の葬儀を担当するが、みな遺体の相が悪い上に体がとても固く、手に数珠を掛けるのが難しかった」と話しており・・・
葬儀場の職員がそんなことを言うだろうか? まったく失礼な話である。
もちろん、わたくしが創価学会を擁護する必要はないのだけれども、それにしても顕正会側の一方的な悪宣伝には疑問を呈さざるを得ないところである。わたくしには事実関係を確かめる術がないものの、印象としてはかなりの偏向報道のように思えてならない。いわんや第三者が読めばなおさらのことだろう。そこに顕正会側は気がつかないといけない。
京都会館の玄関ガラス破壊さる
誰がこんなことをさせるのか!?
ガラスを割った犯人は咎められて当然である。しかし、この見出しには違和感がある。
させる? これはおかしいだろう。わたくしの思うに、ごく普通に次のように書くべきだった。
誰がこんなことをするのか!?
ようするに顕正会側の意識としては、実行犯とは別に教唆犯が存在すると考えていて、それが「する」ではなく「させる」という表記によくあらわれているわけなのだ。しかし、これは一種の決め付けであり、いわゆる予断である。犯人を特定するためには、まずはそうした先入観を捨てるべきだろう。
こうして見ると顕正新聞は偏向報道が目立つ。これはすなわち編集部ないし顕正会の首脳部たちの思考が偏っている証拠である。大いに反省すべきだろう。
最後に女子部第百五十七区総班副長の記事を紹介しよう。
また周辺一帯は断水する中、不思議と自宅は断水せずに済んだのです。
ご記憶の人もおられることだろう。これは以前にも取り上げた話題である。
そして上掲のカラクリについては、やや専門的ながらもいちおう判明したので、ここで少し説明したいと思う。彼女はマンション住まいである。マンションなどの集合住宅にはおおむね二種類の給水システムがある。直結給水方式と貯水槽水道方式である。これは以下のサイトがわかりやすいだろう。
https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/kurashi/chokketsu/houshiki.html
直結給水
・事故や災害時等に、貯留機能がないため断水することがあります。
貯水槽水道
・事故や災害時等に、貯水槽内に残っている水は使用できます。
上掲はサイト内のメリット・デメリットが書かれているところから、必要な部分だけを抜き出したものである。
ここだけ見ると、後者のほうがよさそうに思えるが、行政的には前者を推進しているようだ。事実、古い集合住宅などを観察していると、以前は屋上に大きなタンクが据えられていたのに、いつの間にか撤去されていることがある。おそらくは改修工事の時に給水システムを前者に切り替えたのだろう。そして最新の集合住宅はほぼすべての建物が屋上にタンクを置いていない。
経済的なメリットからすると直結給水方式のほうが断然優れるのだろう。ゆえに行政でもそれを推進しているわけだ。しかし、大地震などを想定するならば、かえってこれがアダとなる可能性もある。いや、もちろん、専門家たちにとっては百も承知の話のはずで、おそらくは災害時のために別の手段を用意しているのだろう。わたくしが心配することではないはずだ。
ともかく登壇者の住まいには屋上にタンクがあって、大地震によって給水が止まってしまった後においても、タンクに貯水されていた分の水は使えたわけなのだ。
う〜ん、これを功徳だとか御守護だとか言ってもねえ・・・
2016/6/23
広宣流布の新見解について
いよいよ五月度総幹部会の話題を取り上げるが、その前に前回の続きを書いてしまおう。
長女が動脈瘤破裂で「クモ膜下出血」
不思議な御守護 一命を取り留める
後遺症もなく驚異的回復 退院
男子部第一隊支隊長の登壇である。わたくしは思った。なぜ本人が登壇しないのかと。この人の長女は女子部総班長なのだそうである。ならば本人が登壇したほうがより説得力を増すだろうと思う。
実は後の顕正新聞に本人の登壇記事が載ったのである。
ああ、よかった。たまたま雑事に追われて更新が滞っていたために、恥をかかずに済んだ。実際、登壇者の表情を見ても、元気そうで何よりである。その意味でもよかったと思う。
「角膜新生血管」に冒され失明の恐れ
隣の記事は女子部第百八十七区総班長の登壇だが、詳細は省略しよう。わたくしが注目したのは次のセリフである。
「こんな自分でも広宣流布のお役に立たせて下さい。たとえ左眼を失っても、右眼があれば広宣流布の世の中を見せて頂けるではないか」
今や女子部員も年齢層がマチマチであって、相当に高齢の女子部員もいる。そうした中で彼女は顔写真からしても入信時期からしても相当に若い。二十代の半ばくらいだろうか?
これまた先日来のテーマそのものだ。彼女は広宣流布の甚だ近きことを確信している。ゆえに失明の危機に直面した時、たとえ片目を失ったとしてももう片方の目があれば広宣流布の世の中を見ることが出来ると、いわば覚悟を決めたわけである。結果として失明を免れたことは幸いだったわけだが、しかし、はたして広宣流布の世の中を見ることが出来るかどうかは別の話である。
末期の子宮頸癌「余命二年」の宣告
婦人部足立支区班長の記事は、これまた崖っぷちからの蘇生、そして経済的にも御守護という、イイコトヅクメの話である。手術の話はさておき、わたくしは次の一節に注目した。
さらに治療代においても、診断を受ける直前に加入した保険から、有り得ない展開で二百七十四万円が給付されたことで、私自身の奨学金の、返済の残り二百七十四万円を完済できるという御守護を頂きました。
数字が一致しているところが凄いと思う。たぶん自分自身がその立場だったら、この不思議な符合に御守護を実感することだろう。それにしても奨学金の返済額に驚いた。彼女が今現在、何歳であるか不明であるが、写真の感じからすると三十代だろうか? これは人生設計の上からしても大変なことである。保険が下りなければこの先も返済を続けなければいけなかった。図らずもこの辺に日本の奨学金制度の問題点が浮き彫りになっているごとくである。
一時に成る世界広布は日本の広宣流布とほぼ同時・・・
第一婦人部長の発言はひじょうにシンプルだ。わたくしもそうだが、おそらくは顕正会の活動会員たちも、このいわば新見解には驚いていることだろう。日本の広宣流布が達成されれば、確かに加速度は増すだろうけれども、そうは言っても世界広布の道のりは険しい。たぶんそれが平均的な認識ではないかと思う。しかし、彼女はご覧のごとく、ほぼ同時であると書いている。はたして本当だろうか?
広宣流布特集号
そこでいよいよ五月度総幹部会である。第1378号にはご覧のような副題が付いている。何だこりゃと思いきや、浅井先生がいわば新見解を発表したのである。広宣流布に関する新見解だ。
今回の会長講演はおおむね過去の発言の繰り返しであり、それほど目新しいところはない。唯一、広宣流布に関して新見解を示しているのだ。ここでは編集部が会長講演を八項目にわたって要約しているうちの、六・七・八をそのまま引用させていただくことにする。
E顕正会の弘通はまもなく二百万になる。この二百万は新たな出発点である。それより、国亡びんとする大難の中に弘通は加速度を増し、一気に一千万、三千万、六千万となる。
わたくし的には暗澹たる気分だ。二百万は時間の問題だろう。しかし、その後が大問題である。はたして加速度を増すことが出来るのかが疑問なのである。一千万すら実現困難である。いわんや三千万ないし六千万をやである。
F国民の過半数たる六千万が南無し奉れば、国主も動き、国家意志も決せられ、四十九院申状の仰せも事相となる。これ事実上の広宣流布である。
この辺はさまざまの異論が想定されるところではあるが、わたくし自身はそれほど異論はない。事実上の広宣流布もそれほど間違っていないと思う。やはり問題はその実現可能性だろう。わたくしには無理に思える。
Gこのとき、御生骨はいよいよ光を放ち給う。そしてこの大現証により、残る六千万も一時に信ずるのである。
ここもわたくし的にはそれほど異論はない。ようするに実現可能性がすべてなのだ。もし本当に顕正会の実力で六千万を達成することが出来たならば、その時は顕正会の天下である。残る六千万など、物の数ではないだろう。ただし、繰り返し言わせてもらうが、本当に出来るかどうかと聞かれれば、出来っこないと答えざるを得ないだろう。ようは捕らぬ狸の皮算用なのだ。
なお、御生骨が光を放つことについては、もっと精密な考察が必要だろうと思う。わたくしの視点で言わせてもらえば、六千万で光るのか、一億二千万で光るのか、という問題ではなくて、そもそも本当に光るのかどうか、そのメカニズムはどうなっているのか、そこが問題なのである。単に伝説としてそれを信ずるのは結構なことだが、今の時代は科学的な検証も必要なことである。すると大多数の人は、え? 本当に光るの? しかし、それって常識的には考えられないよね? どういう仕組みなんだろうね? ということにならざるを得ないはずなのだ。
以上、今回の会長講演のポイントは上述のごとくであるが、もう一つだけ取り上げておこう。
黒田日銀総裁は目標達成期日を何度も変更しているが、未だに達成できない。
経済問題への言及である。専門的な話題なのでわたくしにはよくわからないのだが、ここは別の意味で大いに注目すべきと思った。
浅井会長は目標達成期日を何度も変更しているが、未だに達成できない。
事実だから仕方がない。
長女が動脈瘤破裂で「クモ膜下出血」
不思議な御守護 一命を取り留める
後遺症もなく驚異的回復 退院
男子部第一隊支隊長の登壇である。わたくしは思った。なぜ本人が登壇しないのかと。この人の長女は女子部総班長なのだそうである。ならば本人が登壇したほうがより説得力を増すだろうと思う。
実は後の顕正新聞に本人の登壇記事が載ったのである。
ああ、よかった。たまたま雑事に追われて更新が滞っていたために、恥をかかずに済んだ。実際、登壇者の表情を見ても、元気そうで何よりである。その意味でもよかったと思う。
「角膜新生血管」に冒され失明の恐れ
隣の記事は女子部第百八十七区総班長の登壇だが、詳細は省略しよう。わたくしが注目したのは次のセリフである。
「こんな自分でも広宣流布のお役に立たせて下さい。たとえ左眼を失っても、右眼があれば広宣流布の世の中を見せて頂けるではないか」
今や女子部員も年齢層がマチマチであって、相当に高齢の女子部員もいる。そうした中で彼女は顔写真からしても入信時期からしても相当に若い。二十代の半ばくらいだろうか?
これまた先日来のテーマそのものだ。彼女は広宣流布の甚だ近きことを確信している。ゆえに失明の危機に直面した時、たとえ片目を失ったとしてももう片方の目があれば広宣流布の世の中を見ることが出来ると、いわば覚悟を決めたわけである。結果として失明を免れたことは幸いだったわけだが、しかし、はたして広宣流布の世の中を見ることが出来るかどうかは別の話である。
末期の子宮頸癌「余命二年」の宣告
婦人部足立支区班長の記事は、これまた崖っぷちからの蘇生、そして経済的にも御守護という、イイコトヅクメの話である。手術の話はさておき、わたくしは次の一節に注目した。
さらに治療代においても、診断を受ける直前に加入した保険から、有り得ない展開で二百七十四万円が給付されたことで、私自身の奨学金の、返済の残り二百七十四万円を完済できるという御守護を頂きました。
数字が一致しているところが凄いと思う。たぶん自分自身がその立場だったら、この不思議な符合に御守護を実感することだろう。それにしても奨学金の返済額に驚いた。彼女が今現在、何歳であるか不明であるが、写真の感じからすると三十代だろうか? これは人生設計の上からしても大変なことである。保険が下りなければこの先も返済を続けなければいけなかった。図らずもこの辺に日本の奨学金制度の問題点が浮き彫りになっているごとくである。
一時に成る世界広布は日本の広宣流布とほぼ同時・・・
第一婦人部長の発言はひじょうにシンプルだ。わたくしもそうだが、おそらくは顕正会の活動会員たちも、このいわば新見解には驚いていることだろう。日本の広宣流布が達成されれば、確かに加速度は増すだろうけれども、そうは言っても世界広布の道のりは険しい。たぶんそれが平均的な認識ではないかと思う。しかし、彼女はご覧のごとく、ほぼ同時であると書いている。はたして本当だろうか?
広宣流布特集号
そこでいよいよ五月度総幹部会である。第1378号にはご覧のような副題が付いている。何だこりゃと思いきや、浅井先生がいわば新見解を発表したのである。広宣流布に関する新見解だ。
今回の会長講演はおおむね過去の発言の繰り返しであり、それほど目新しいところはない。唯一、広宣流布に関して新見解を示しているのだ。ここでは編集部が会長講演を八項目にわたって要約しているうちの、六・七・八をそのまま引用させていただくことにする。
E顕正会の弘通はまもなく二百万になる。この二百万は新たな出発点である。それより、国亡びんとする大難の中に弘通は加速度を増し、一気に一千万、三千万、六千万となる。
わたくし的には暗澹たる気分だ。二百万は時間の問題だろう。しかし、その後が大問題である。はたして加速度を増すことが出来るのかが疑問なのである。一千万すら実現困難である。いわんや三千万ないし六千万をやである。
F国民の過半数たる六千万が南無し奉れば、国主も動き、国家意志も決せられ、四十九院申状の仰せも事相となる。これ事実上の広宣流布である。
この辺はさまざまの異論が想定されるところではあるが、わたくし自身はそれほど異論はない。事実上の広宣流布もそれほど間違っていないと思う。やはり問題はその実現可能性だろう。わたくしには無理に思える。
Gこのとき、御生骨はいよいよ光を放ち給う。そしてこの大現証により、残る六千万も一時に信ずるのである。
ここもわたくし的にはそれほど異論はない。ようするに実現可能性がすべてなのだ。もし本当に顕正会の実力で六千万を達成することが出来たならば、その時は顕正会の天下である。残る六千万など、物の数ではないだろう。ただし、繰り返し言わせてもらうが、本当に出来るかどうかと聞かれれば、出来っこないと答えざるを得ないだろう。ようは捕らぬ狸の皮算用なのだ。
なお、御生骨が光を放つことについては、もっと精密な考察が必要だろうと思う。わたくしの視点で言わせてもらえば、六千万で光るのか、一億二千万で光るのか、という問題ではなくて、そもそも本当に光るのかどうか、そのメカニズムはどうなっているのか、そこが問題なのである。単に伝説としてそれを信ずるのは結構なことだが、今の時代は科学的な検証も必要なことである。すると大多数の人は、え? 本当に光るの? しかし、それって常識的には考えられないよね? どういう仕組みなんだろうね? ということにならざるを得ないはずなのだ。
以上、今回の会長講演のポイントは上述のごとくであるが、もう一つだけ取り上げておこう。
黒田日銀総裁は目標達成期日を何度も変更しているが、未だに達成できない。
経済問題への言及である。専門的な話題なのでわたくしにはよくわからないのだが、ここは別の意味で大いに注目すべきと思った。
浅井会長は目標達成期日を何度も変更しているが、未だに達成できない。
事実だから仕方がない。
2016/6/21
普段の生活パターンに戻って
沖浦氏が新記録を樹立したそうだ。詳細は氏の帰国後にじっくりと聞かせていただこうかと思う。
広宣流布までもう少しです。共に戦いましょう。
これは男子部第十二隊長の活動報告の中に出てくる支隊長のセリフである。創価学会員に対して言っているのだ。
日本の広宣流布がもうすぐなんだな。自分も今いる国で浅井先生のお役に立ちたい・・・
こちらは女子部第百七十五区長の父親のセリフである。詳細は不明であるが、彼女の父親はさまざまな事情から海外で生活しているという。
ともかく拙ブログの十年来のテーマがこれである。顕正会ではあたかも日本の広宣流布があと少しで達成されるかのごとく言い続けてきた。しかし、客観的には相当の無理がある話で、事実、顕正会員の中にも無理だと思っている人が少なからずいるし、また、一時的には本気で出来ると思い込んでいたとしてもやがては無理だということに気づいて、そうして組織から離れていく人が後を絶たないという現実がある。ようはこの繰り返しなのだ。
ゆえに失礼ながらも、今こうして活躍している幹部たちも五年後十年後にはどうなっているかわかったものではないのだ。
さて、少し角度を変えよう。婦人部杉並支区班長の記事だ。
ところが一年後、そのとき配布した顕正新聞を読んだ六八歳の男性が電話をかけてきたのです。
彼女は地道な配布活動をしていた。しかし、結果が思わしくなかった。徒労感に苛まれていた。たぶん、こういう人は少なくないだろう。ところがである。なんと一年後に反応があったのである。
いわゆる下種仏法はタネを蒔くところから始まる。そのタネがいつ芽を出すかはわからない。すると今、徒労感だとか無力感に苛まれながらも地道に配布活動をしていることが、もしかしたら一気に芽を吹き開花する時が来るのかもしれない。まさに上掲はそうした期待を持たせる記事である。
まあ、しかし、おそらく上掲はレアケースであって、この先、大地震が連発しようが経済崩壊が起きようが、それで電話を掛けてくる人が激増することはないだろう。せいぜいが微増であろうし、もしかしたらまるで無反応かもしれない。
次は正義にめざめてである。
学会時代は、濁った水の中をひたすら泳ぎもがいている気持ちでしたが・・・
これも先ほどの話に通ずるだろう。顕正会員だって似たり寄ったりなのだ。徒労感だとか無力感、あるいは焦燥感のようなものもあるだろう。そうしたメンタル的によろしくない状況の中で戦い続けているのだ。登壇者は年配の男性で、女子部集会で発表していることからして、今はあまり過酷なノルマを課されていないと考えられるが、この先、男子部に所属替えになって役職でも担えば話が違ってくるだろう。
婦人部千葉支区の女性は・・・いちいち女性と書く必要はないのだが、上掲の登壇者はいわば男性女子部員なので、いちおう書いておいたほうがいいだろう。彼女は本年四月に創価学会から入会してきたわけだが、ひじょうに興味深いことを書いている。
また百回行けば幸せになれると言われれば正本堂に百回も行き・・・
お百度参りに擬えたものだろうか? それとも正宗でも昔からそのように教えてきたものなのだろうか?
もう一人の男性女子部員の記事も興味深い。
私は、末法の御本仏が日蓮大聖人様であられることを知り、昭和三〇年、二七歳のとき、横浜市鶴見区にある正宗末寺・白蓮院鶴見支院に自ら入信を願い出て授戒を受け、日蓮正宗の信徒になりました。
これはこれは不思議な話だ。大聖人の御本仏たるゆえんをどうやって知ったのだろうか?
私の母は当時、創価学会二代会長・戸田城聖に信服し、昭和二八年に学会に入信していましたが、私はなぜか学会が嫌いで避けておりました。
なるほど、これから類推すると、母親から熱心に折伏されていたのだろう。しかし、創価学会に入るのは躊躇していた。そこで一ひねりして、自ら正宗の門を叩いたのだと想像される。
私の六〇年の心の遍歴も、先生が著わされた基礎教学書により、その終着点は顕正会となりました。
これまた再三指摘してきたことだが、正義にめざめての登壇者は高齢者が多い。事実、彼も八十八歳だそうである。
ちなみに、彼の初心の功徳とやらは次のようなものである。
真っ白だった髪の毛が黒くなってきたり・・・
掲載写真を見る限り、それほど黒くはなっていないようだ。
広宣流布までもう少しです。共に戦いましょう。
これは男子部第十二隊長の活動報告の中に出てくる支隊長のセリフである。創価学会員に対して言っているのだ。
日本の広宣流布がもうすぐなんだな。自分も今いる国で浅井先生のお役に立ちたい・・・
こちらは女子部第百七十五区長の父親のセリフである。詳細は不明であるが、彼女の父親はさまざまな事情から海外で生活しているという。
ともかく拙ブログの十年来のテーマがこれである。顕正会ではあたかも日本の広宣流布があと少しで達成されるかのごとく言い続けてきた。しかし、客観的には相当の無理がある話で、事実、顕正会員の中にも無理だと思っている人が少なからずいるし、また、一時的には本気で出来ると思い込んでいたとしてもやがては無理だということに気づいて、そうして組織から離れていく人が後を絶たないという現実がある。ようはこの繰り返しなのだ。
ゆえに失礼ながらも、今こうして活躍している幹部たちも五年後十年後にはどうなっているかわかったものではないのだ。
さて、少し角度を変えよう。婦人部杉並支区班長の記事だ。
ところが一年後、そのとき配布した顕正新聞を読んだ六八歳の男性が電話をかけてきたのです。
彼女は地道な配布活動をしていた。しかし、結果が思わしくなかった。徒労感に苛まれていた。たぶん、こういう人は少なくないだろう。ところがである。なんと一年後に反応があったのである。
いわゆる下種仏法はタネを蒔くところから始まる。そのタネがいつ芽を出すかはわからない。すると今、徒労感だとか無力感に苛まれながらも地道に配布活動をしていることが、もしかしたら一気に芽を吹き開花する時が来るのかもしれない。まさに上掲はそうした期待を持たせる記事である。
まあ、しかし、おそらく上掲はレアケースであって、この先、大地震が連発しようが経済崩壊が起きようが、それで電話を掛けてくる人が激増することはないだろう。せいぜいが微増であろうし、もしかしたらまるで無反応かもしれない。
次は正義にめざめてである。
学会時代は、濁った水の中をひたすら泳ぎもがいている気持ちでしたが・・・
これも先ほどの話に通ずるだろう。顕正会員だって似たり寄ったりなのだ。徒労感だとか無力感、あるいは焦燥感のようなものもあるだろう。そうしたメンタル的によろしくない状況の中で戦い続けているのだ。登壇者は年配の男性で、女子部集会で発表していることからして、今はあまり過酷なノルマを課されていないと考えられるが、この先、男子部に所属替えになって役職でも担えば話が違ってくるだろう。
婦人部千葉支区の女性は・・・いちいち女性と書く必要はないのだが、上掲の登壇者はいわば男性女子部員なので、いちおう書いておいたほうがいいだろう。彼女は本年四月に創価学会から入会してきたわけだが、ひじょうに興味深いことを書いている。
また百回行けば幸せになれると言われれば正本堂に百回も行き・・・
お百度参りに擬えたものだろうか? それとも正宗でも昔からそのように教えてきたものなのだろうか?
もう一人の男性女子部員の記事も興味深い。
私は、末法の御本仏が日蓮大聖人様であられることを知り、昭和三〇年、二七歳のとき、横浜市鶴見区にある正宗末寺・白蓮院鶴見支院に自ら入信を願い出て授戒を受け、日蓮正宗の信徒になりました。
これはこれは不思議な話だ。大聖人の御本仏たるゆえんをどうやって知ったのだろうか?
私の母は当時、創価学会二代会長・戸田城聖に信服し、昭和二八年に学会に入信していましたが、私はなぜか学会が嫌いで避けておりました。
なるほど、これから類推すると、母親から熱心に折伏されていたのだろう。しかし、創価学会に入るのは躊躇していた。そこで一ひねりして、自ら正宗の門を叩いたのだと想像される。
私の六〇年の心の遍歴も、先生が著わされた基礎教学書により、その終着点は顕正会となりました。
これまた再三指摘してきたことだが、正義にめざめての登壇者は高齢者が多い。事実、彼も八十八歳だそうである。
ちなみに、彼の初心の功徳とやらは次のようなものである。
真っ白だった髪の毛が黒くなってきたり・・・
掲載写真を見る限り、それほど黒くはなっていないようだ。
2016/6/20
普通の生活パターンに戻って
さっそく本題に入ろう。昨日の続きだ。
三上人の尊影と三悪人、一目瞭然!
もう一人の副総男子部長の記事には上掲のような見出しがついている。
中央に日淳上人、左右に日亨上人、日昇上人ましますお写真を拝見しては・・・
三上人とはこの御三方である。では、三悪人とは誰を指すのか、それが問題だ。
どうやら日達上人と日顕上人、そして池田大作氏を三悪人と言っているごとくである。
池田大作氏にしても瞬間的(?)には日蓮正宗における在家の大功労者だった。日達上人と日顕上人は言わずと知れた血脈付法の御上人であられる。つまり、この二人はくだんの三上人の系譜に連なる方々なのだ。それを真っ二つに分けてしまって、悪人と善人に色分けする。確かにわかりやすい話ではあるが、しかし、いかがなものかと思う
いまの宗門がいかに最悪の状態であるかは明らか・・・
最悪の状態が事実だとしよう。そこからどのように脱するのかが問題である。
先生のお叫びは大聖人様の御心そのまま・・・
どうやら顕正会には宗門浄化プランのようなものは存在しないようである。つまり、宗門が最悪の状態であるという認識を会員たちに植え付けることが出来ればいいのであって、それ以上のプランは何もないのである。その上で浅井先生の仏法上のお立場なるものを、例えば上掲のごとく、先生の言っていることはすべて大聖人の御意に適うものである、というように権威づけすれば、それで顕正会の存在意義を正当化できるわけで、いわば独立教団としての地位を守れるわけなのだ。
つまりは自分たちの都合で物を言っているだけの話なのだ。このことは次の第十二女子部長の発言からも汲み取れるはずである。
そして畏れながら、御生骨が光を放ち、全世界にそれが配信されたとき、富士大石寺の命を守りぬかれた浅井先生の偉大なご存在、不惜身命を貫いた顕正会の御奉公は、どれほどの輝きを以て全世界に伝わり、永遠に語り継がれることかと・・・
短絡である。今の宗門は最悪の状態であると言っているわけだろう。ならば具体的な宗門浄化プランを打ち立てるべきである。それをせずして未来の大理想のみを思い描いて、そんなことで悦に入ってもどうにもならないだろう。
ちなみに、まさか阿部日顕追放だとか新御宝蔵建設を具体的プランだと言う人はおるまい。そうじゃないだろう。それは繰り返し指摘してきたことだ。つまり、顕正会の宗門復帰が物の順序である。そのハードルを越えられない人が、どうしてその先のハードルを越えられる道理があろうか、という話なのだ。
限りある広宣流布までの御奉公・・・
同じく第十二女子部長の発言であるが、今のままでは限りなく続く永遠の戦いとなりそうだ。
正系門家の清らかな源流を蘇らせる戦い・・・
第三女子部長もかくのごとく言っているわけだが、これも顕正会が復帰できるか否かが問われる話である。例えば、今仮に突如として新御宝蔵建設計画が発表されたとしよう。しかし、それは顕正会とは無関係の話である。宗門が独自に行なうことなのだ。あるいは日顕上人がまかり間違って擯籍処分になるとしよう。これもまた顕正会は無関係であって、宗門は宗門の事情として独自にそのような判断をしたことになるのだ。このことは正本堂の崩壊が先例である。顕正会では自分たちの主張が受け入れられたかのごとく錯覚しているけれども、宗門側としてはそのようなつもりで正本堂を壊したわけではない。顕正会は無関係なのだ。
つまり、顕正会が宗門復帰を許されない以上は、宗門はいわば顕正会の存在そのものを否定しているに等しいわけだから、顕正会が何を言ったところで無意味なのである。
え? 顕正会? ああ、あれは関係ありません。当宗とはまったくの無関係です。
これではどうしようもないだろう。
中央に日淳上人、左右に日亨上人、日昇上人ましますお写真
再掲である。今日はもう疲れたので終わりにするが、上掲について少しイチャモンをつけておきたい。
この文章はウソである。ウソが言い過ぎならば、不正確な文章と言い換えておこう。顕正新聞掲載の三上人の尊影は、三つの写真が並べられているに過ぎない。しかるに上掲の言い様では、あたかも一枚の写真の中に三上人が納まっているかのごとく読めてしまう。些細な問題だが、いちおう指摘しておきたい。
三上人の尊影と三悪人、一目瞭然!
もう一人の副総男子部長の記事には上掲のような見出しがついている。
中央に日淳上人、左右に日亨上人、日昇上人ましますお写真を拝見しては・・・
三上人とはこの御三方である。では、三悪人とは誰を指すのか、それが問題だ。
どうやら日達上人と日顕上人、そして池田大作氏を三悪人と言っているごとくである。
池田大作氏にしても瞬間的(?)には日蓮正宗における在家の大功労者だった。日達上人と日顕上人は言わずと知れた血脈付法の御上人であられる。つまり、この二人はくだんの三上人の系譜に連なる方々なのだ。それを真っ二つに分けてしまって、悪人と善人に色分けする。確かにわかりやすい話ではあるが、しかし、いかがなものかと思う
いまの宗門がいかに最悪の状態であるかは明らか・・・
最悪の状態が事実だとしよう。そこからどのように脱するのかが問題である。
先生のお叫びは大聖人様の御心そのまま・・・
どうやら顕正会には宗門浄化プランのようなものは存在しないようである。つまり、宗門が最悪の状態であるという認識を会員たちに植え付けることが出来ればいいのであって、それ以上のプランは何もないのである。その上で浅井先生の仏法上のお立場なるものを、例えば上掲のごとく、先生の言っていることはすべて大聖人の御意に適うものである、というように権威づけすれば、それで顕正会の存在意義を正当化できるわけで、いわば独立教団としての地位を守れるわけなのだ。
つまりは自分たちの都合で物を言っているだけの話なのだ。このことは次の第十二女子部長の発言からも汲み取れるはずである。
そして畏れながら、御生骨が光を放ち、全世界にそれが配信されたとき、富士大石寺の命を守りぬかれた浅井先生の偉大なご存在、不惜身命を貫いた顕正会の御奉公は、どれほどの輝きを以て全世界に伝わり、永遠に語り継がれることかと・・・
短絡である。今の宗門は最悪の状態であると言っているわけだろう。ならば具体的な宗門浄化プランを打ち立てるべきである。それをせずして未来の大理想のみを思い描いて、そんなことで悦に入ってもどうにもならないだろう。
ちなみに、まさか阿部日顕追放だとか新御宝蔵建設を具体的プランだと言う人はおるまい。そうじゃないだろう。それは繰り返し指摘してきたことだ。つまり、顕正会の宗門復帰が物の順序である。そのハードルを越えられない人が、どうしてその先のハードルを越えられる道理があろうか、という話なのだ。
限りある広宣流布までの御奉公・・・
同じく第十二女子部長の発言であるが、今のままでは限りなく続く永遠の戦いとなりそうだ。
正系門家の清らかな源流を蘇らせる戦い・・・
第三女子部長もかくのごとく言っているわけだが、これも顕正会が復帰できるか否かが問われる話である。例えば、今仮に突如として新御宝蔵建設計画が発表されたとしよう。しかし、それは顕正会とは無関係の話である。宗門が独自に行なうことなのだ。あるいは日顕上人がまかり間違って擯籍処分になるとしよう。これもまた顕正会は無関係であって、宗門は宗門の事情として独自にそのような判断をしたことになるのだ。このことは正本堂の崩壊が先例である。顕正会では自分たちの主張が受け入れられたかのごとく錯覚しているけれども、宗門側としてはそのようなつもりで正本堂を壊したわけではない。顕正会は無関係なのだ。
つまり、顕正会が宗門復帰を許されない以上は、宗門はいわば顕正会の存在そのものを否定しているに等しいわけだから、顕正会が何を言ったところで無意味なのである。
え? 顕正会? ああ、あれは関係ありません。当宗とはまったくの無関係です。
これではどうしようもないだろう。
中央に日淳上人、左右に日亨上人、日昇上人ましますお写真
再掲である。今日はもう疲れたので終わりにするが、上掲について少しイチャモンをつけておきたい。
この文章はウソである。ウソが言い過ぎならば、不正確な文章と言い換えておこう。顕正新聞掲載の三上人の尊影は、三つの写真が並べられているに過ぎない。しかるに上掲の言い様では、あたかも一枚の写真の中に三上人が納まっているかのごとく読めてしまう。些細な問題だが、いちおう指摘しておきたい。
2016/6/19
通常の生活パターンに戻って
雑事に追われて更新できずに二週間が過ぎた。この間、多数のコメントが寄せられた。いちおう、ぜんぶに目を通してはいるものの、あまりにも量が多いので対応し切れない。そこでもし応答が必要であれば、再度の投稿をお願いしたい。今週はわりと時間に余裕がありそうなので、そこそこ応対できるだろう。
さて、今日は顕正新聞第1377号を見ていこう。一面は立宗会の会長講演だが、これは特に取り上げる必要はなさそうだ。そして二面以降は全国各地の集会での登壇記事が、ウンザリするくらい並んでいる。
先生の弟子として戦える時間も本当にあとわずかなのだ・・・
まずは副総男子部長の発言である。これは一種の切り文であって、文意を正確に理解するためには直前の文章を踏まえる必要がある。
広宣流布は甚だ近きにあり、先生の弟子として戦える時間も本当にあとわずか・・・
おそらく数年前から繰り返し取り上げてきた問題だろう。ようするに顕正会員たちは広宣流布があとわずかで達成されると思い込んでいるものだから、先生の弟子として戦える時間もあとわずかなのだと考えているわけである。しかし、客観的な意味からすれば、別の解釈のほうが蓋然性が高い。つまり、甚だ不謹慎ながらも先生の年齢的な問題からして、残された時間はあとわずかなのである。
どうだろう、おそらくは彼らもそのことには気がついているはずで、また同時に、広宣流布が近いという話にも懐疑的の人が、彼らの中にも少なからず存在するはずである。
思えば奉安堂は、正本堂の基礎をそのまま流用した急場しのぎの伽藍堂。
この辺の事情についてはよく知らないので何とも言えないところだが、おそらくは一般常識の範囲でいくつかのことが言えるのではないかと思う。
一戸建ての個人住宅にしても、建築確認だとか許可だとかの手続きが必要である。ましてや奉安堂のような大規模な建築物であれば、なおさらのことだろう。つまり、正本堂の基礎に構造的な問題だとか老朽化の問題があれば、そもそも建築許可が下りないはずなのである。ゆえに急場しのぎ云々は当たらない。
顕正会では仏法上の理由とは別に、正本堂の危険性を訴えてきた。簡単に言えば、屋根がベラボウに重い、屋根が落ちたらどうするのか、というような感じだったはずである。これはいわゆるアリーナだとか大ホールにおける構造上の課題であって、昭和四十年代の技術と今日とでは格段の差がある。一つには軽量化だろう。おそらく奉安堂は正本堂に比して屋根ないし建物そのものの重量を相当に軽減させているはずであって、そうであれば正本堂の基礎をそのまま使ったとしても問題はなさそうである。
すると残るところは仏法上の問題であるが、これも一般常識を踏まえて考えるべきだろう。例えば法隆寺だとか東大寺だとか、そうした歴史的寺院はどうするのかである。謗法だから破却すべきなのだろうか? そんなことはあるまい。日寛上人は広宣流布の暁にはそうした寺院にも御本尊が安置される旨の御指南をあそばしている。まさか基礎からぜんぶ掘り起こして建て直すべきとはおっしゃらないだろう。つまり、顕正会の発想は仏法世法両面からして過激過ぎるのだ。
振り返れば平成二年、本門寺改称の陰謀を粉砕せんとの、二〇万の死身弘法を背景とした先生の諫暁により、池田大作と阿部日顕に亀裂が生じ、その翌年、池田大作は宗門追放の身となったのでありました。
また平成九年、五〇万を背景に立たれた第一回の一国諫暁の翌年、あの偽戒壇・正本堂が崩壊し、さらに平成一六年、百万を背景に立たれた第二回の一国諫暁の翌年、「最後に申すべき事」で止どめを刺された阿部日顕が退座に至ったのであります。
少し長いけれども、大事なところなので、切らずに引用した。
たぶん一般人には何が何だかわからない話であり、法華講員や創価学会員からすれば、何を言ってやがる、という気分だろう。だが、しかし、顕正会員たちにとってはけっこう説得力を持つ文章のはずだ。
問題は次である。
これらの大現証を拝見しては、二百万までの死身弘法を背景として、先生の諫暁いよいよ強まるとき、新御宝蔵建設と阿部日顕の宗門追放も一時になること、確信してやまず・・・
これは甚だ疑問である。
読み様によっては二百万までの過程で二つの事案が現実になるとも読める。すると、あと三年だろうか?
しかし、さすがに無理だろう。仮に少し延長して、二百万達成後に事態が急転直下すると解釈しても、五年後くらいには実現していないとおかしいだろう。しかし、わたくしの想像では無理である。たぶん、大方の予想も同様だろう。
ヤレヤレ、である。
久しぶりに顕正新聞の話題を取り扱ったわけだが、一つの登壇記事だけでこんな調子である。次の号は五月度総幹部会の特集号で、これまた書くことがたくさんあって大変だ。
さて、今日は顕正新聞第1377号を見ていこう。一面は立宗会の会長講演だが、これは特に取り上げる必要はなさそうだ。そして二面以降は全国各地の集会での登壇記事が、ウンザリするくらい並んでいる。
先生の弟子として戦える時間も本当にあとわずかなのだ・・・
まずは副総男子部長の発言である。これは一種の切り文であって、文意を正確に理解するためには直前の文章を踏まえる必要がある。
広宣流布は甚だ近きにあり、先生の弟子として戦える時間も本当にあとわずか・・・
おそらく数年前から繰り返し取り上げてきた問題だろう。ようするに顕正会員たちは広宣流布があとわずかで達成されると思い込んでいるものだから、先生の弟子として戦える時間もあとわずかなのだと考えているわけである。しかし、客観的な意味からすれば、別の解釈のほうが蓋然性が高い。つまり、甚だ不謹慎ながらも先生の年齢的な問題からして、残された時間はあとわずかなのである。
どうだろう、おそらくは彼らもそのことには気がついているはずで、また同時に、広宣流布が近いという話にも懐疑的の人が、彼らの中にも少なからず存在するはずである。
思えば奉安堂は、正本堂の基礎をそのまま流用した急場しのぎの伽藍堂。
この辺の事情についてはよく知らないので何とも言えないところだが、おそらくは一般常識の範囲でいくつかのことが言えるのではないかと思う。
一戸建ての個人住宅にしても、建築確認だとか許可だとかの手続きが必要である。ましてや奉安堂のような大規模な建築物であれば、なおさらのことだろう。つまり、正本堂の基礎に構造的な問題だとか老朽化の問題があれば、そもそも建築許可が下りないはずなのである。ゆえに急場しのぎ云々は当たらない。
顕正会では仏法上の理由とは別に、正本堂の危険性を訴えてきた。簡単に言えば、屋根がベラボウに重い、屋根が落ちたらどうするのか、というような感じだったはずである。これはいわゆるアリーナだとか大ホールにおける構造上の課題であって、昭和四十年代の技術と今日とでは格段の差がある。一つには軽量化だろう。おそらく奉安堂は正本堂に比して屋根ないし建物そのものの重量を相当に軽減させているはずであって、そうであれば正本堂の基礎をそのまま使ったとしても問題はなさそうである。
すると残るところは仏法上の問題であるが、これも一般常識を踏まえて考えるべきだろう。例えば法隆寺だとか東大寺だとか、そうした歴史的寺院はどうするのかである。謗法だから破却すべきなのだろうか? そんなことはあるまい。日寛上人は広宣流布の暁にはそうした寺院にも御本尊が安置される旨の御指南をあそばしている。まさか基礎からぜんぶ掘り起こして建て直すべきとはおっしゃらないだろう。つまり、顕正会の発想は仏法世法両面からして過激過ぎるのだ。
振り返れば平成二年、本門寺改称の陰謀を粉砕せんとの、二〇万の死身弘法を背景とした先生の諫暁により、池田大作と阿部日顕に亀裂が生じ、その翌年、池田大作は宗門追放の身となったのでありました。
また平成九年、五〇万を背景に立たれた第一回の一国諫暁の翌年、あの偽戒壇・正本堂が崩壊し、さらに平成一六年、百万を背景に立たれた第二回の一国諫暁の翌年、「最後に申すべき事」で止どめを刺された阿部日顕が退座に至ったのであります。
少し長いけれども、大事なところなので、切らずに引用した。
たぶん一般人には何が何だかわからない話であり、法華講員や創価学会員からすれば、何を言ってやがる、という気分だろう。だが、しかし、顕正会員たちにとってはけっこう説得力を持つ文章のはずだ。
問題は次である。
これらの大現証を拝見しては、二百万までの死身弘法を背景として、先生の諫暁いよいよ強まるとき、新御宝蔵建設と阿部日顕の宗門追放も一時になること、確信してやまず・・・
これは甚だ疑問である。
読み様によっては二百万までの過程で二つの事案が現実になるとも読める。すると、あと三年だろうか?
しかし、さすがに無理だろう。仮に少し延長して、二百万達成後に事態が急転直下すると解釈しても、五年後くらいには実現していないとおかしいだろう。しかし、わたくしの想像では無理である。たぶん、大方の予想も同様だろう。
ヤレヤレ、である。
久しぶりに顕正新聞の話題を取り扱ったわけだが、一つの登壇記事だけでこんな調子である。次の号は五月度総幹部会の特集号で、これまた書くことがたくさんあって大変だ。
2016/6/5
雑事にまみれて
柄にもなく、ここ数日間は雑事に追われ、ブログの更新はもちろんのこと、各氏のコメントを拝見する時間もあまり取れなかった。・・・というような、もっともらしい言い訳をしておけば、いつものごとく都合の悪そうなコメントから逃げることが出来るだろう。それがわたくしの常套手段である。
さて、今日は顕正新聞第1376号の残りをやっつけてしまおう。
また周辺一帯が断水したにもかかわらず、不思議と水が使えた部員もおり、頂いた別感の功徳に、大聖人様が衣を以て覆い下されたことを強く感じたものであります。
第二十七女子部長の活動報告の一節である。熊本大地震の話だ。
周りが断水しているのに自分の家だけ水が使える? そんなバカな話はないだろう。しかも同じ活動報告の中で、次のような話をしているのだ。
飲料水が不足する中、数時間かけて鹿児島まで湧水を汲みに行って下さった・・・
本部茶寮のスタッフがトラックで十七時間かけて熊本に救援物資を届けた。この浅井先生の深きご慈愛に地元会員たちが感謝感激している。さらには上掲のごとく、鹿児島まで湧水を汲みに行ってくれたというのだ。
しかし、それこそ別感の功徳をいただいて、熊本会館の水道が断水せずに使えていれば、よかっただろうにと思う。会館周辺がすべて断水しているのに、なぜか会館だけは断水しなかった。もしこのような現証が事実の上であらわれれば、それこそ入信者が続出することだろう。
「この地震は西の戦いを急げとの諸天の励み!」
地元の女子部員たちが言っているらしい。諸天の励みというのは、世間的にはありがたくない話だ。
顕正会では功徳と罰の現証を説く。この地震などはいわゆる総罰に当たるのだろうけれども、実にアリガタメイワクな話だ。もっともこんなことを書くと、オマエは大聖人を信じていないのか、顕正会は大聖人の仰せのままを言っているだけなのだ、それをアリガタメイワクとは何たる言い草か、などと叱られそうである。
わたくしの思うに、罰論も大いに結構であるが、さしあたっては総罰ではなく別罰、すなわち個人の罰を云々すべきである。ともかく顕正会員が折伏をする、折伏に対して大反発をする、罰が出る。これが明々白々の現証としてあらわれれば、確実に入信者が増えていくだろう。しかし、残念ながら現実的にはそうなっていないのだ。むしろ会員たちのほうが行き詰っているフシがある。いわばそこに目を向けさせないために、総罰のほうにばかり力を入れているような感じが否めない。これが現状だと思う。そしてこれがそのままで、いわゆる他力本願的ということなのだ。地震だの津波だの、あるいは経済崩壊だの他国侵逼だの、ようはそうした外的要因に頼って入信者を増やそうとしているのだ。
次に第九婦人部幹事・神奈川支区部長の記事を紹介しよう。
さらに、ある班長が三年近く折伏していた高校時代の校長も、基礎教学書が決め手になって入信に至りました。
これは立派な話である。時間をかけて折伏することはいいことだ。なぜならば、顕正会の折伏は騙し討ちのようなところがあって、いきなり呼び出してその日のうちに入信勤行に持って行こうとするものだから、結局は名ばかりの入信であって、実質的には即日退転なのである。それに比べれば、三年近くも時間をかけて入信に至るということのほうがどれほど確実性が高いか、つまりは本物の信心に目覚める確率が高いか、一目瞭然の話のはずである。
ただし、上掲には続きがあって、少しばかり問題を感じるところである。
・・・二年前から未入信のまま顕正新聞を購読し、また昨年末には広布御供養にも参加しておりました。
顕正新聞はいいかもしれないが、御供養はどうかと思う。これは広布御供養の精神からして問題だ。信心が純粋で応分の経済力を有する人。今は記憶のままに書いたので正確ではないかもしれないが、御供養の参加資格としてこのような意味のことが謳われているはずなのだ。校長先生だった人なので、おそらくは悠々自適の年金生活者なのだろう。ゆえに付き合い程度の気持ちでお金を出していたのかもしれない。しかし、顕正新聞はともかくとして、御供養のほうはいかがなものかと言わざるを得ないだろう。むしろ断わるべきが筋である。それをしないのは、いわば成果主義の裏付けともなるわけで、活動会員たちの苦労が感じられるところでもある。
また、元正信会の幹部であった壮年を、ある総班副長が再折伏した際・・・
前掲と共通する部分がある。再掲しよう。
ある班長が・・・
ある総班副長が・・・
こうした登壇記事では、個人名プラス役職で表記するのが一般である。ところがここではある班長だとかある総班副長というボカした表記になっている。この辺がよくわからないところだ。
しかしさらに驚嘆したことは、顕正会の働きかけがないにも拘わらず、すでに外部からの要請で基礎教学書が大手書店に並び、インターネットでの購入も始まっている・・・
ほほう、そうなのか、だったらわたくしもそろそろ入手して、拙ブログのネタに使おうかな?
完全に確信を失っている学会幹部
「新潟副総県長」も言を左右に逃げ回る
男子部第二十二隊総支隊長補の記事の見出しである。こうも勇ましい男子部幹部が、なぜか法華講員の前では弱気になる。あるいは弱いところを見せまいと、法華講員との接触を回避する。実に不思議な話だ。
学会上司
ちなみに本文中のこの表現が気になった。創価学会では普通に使われている表現なのだろうか?
顕正会の場合、上司とは言わないだろう。わたくしの認識が正しければ、先輩幹部みたいな言い方が一般的ではなかったかと思う。先輩幹部、あるいは単に先輩だとか、上の幹部、たぶんこれくらいだと思うが、他にご存知の人がいれば、ぜひとも情報をお願いしたいものである。
さて、今日は顕正新聞第1376号の残りをやっつけてしまおう。
また周辺一帯が断水したにもかかわらず、不思議と水が使えた部員もおり、頂いた別感の功徳に、大聖人様が衣を以て覆い下されたことを強く感じたものであります。
第二十七女子部長の活動報告の一節である。熊本大地震の話だ。
周りが断水しているのに自分の家だけ水が使える? そんなバカな話はないだろう。しかも同じ活動報告の中で、次のような話をしているのだ。
飲料水が不足する中、数時間かけて鹿児島まで湧水を汲みに行って下さった・・・
本部茶寮のスタッフがトラックで十七時間かけて熊本に救援物資を届けた。この浅井先生の深きご慈愛に地元会員たちが感謝感激している。さらには上掲のごとく、鹿児島まで湧水を汲みに行ってくれたというのだ。
しかし、それこそ別感の功徳をいただいて、熊本会館の水道が断水せずに使えていれば、よかっただろうにと思う。会館周辺がすべて断水しているのに、なぜか会館だけは断水しなかった。もしこのような現証が事実の上であらわれれば、それこそ入信者が続出することだろう。
「この地震は西の戦いを急げとの諸天の励み!」
地元の女子部員たちが言っているらしい。諸天の励みというのは、世間的にはありがたくない話だ。
顕正会では功徳と罰の現証を説く。この地震などはいわゆる総罰に当たるのだろうけれども、実にアリガタメイワクな話だ。もっともこんなことを書くと、オマエは大聖人を信じていないのか、顕正会は大聖人の仰せのままを言っているだけなのだ、それをアリガタメイワクとは何たる言い草か、などと叱られそうである。
わたくしの思うに、罰論も大いに結構であるが、さしあたっては総罰ではなく別罰、すなわち個人の罰を云々すべきである。ともかく顕正会員が折伏をする、折伏に対して大反発をする、罰が出る。これが明々白々の現証としてあらわれれば、確実に入信者が増えていくだろう。しかし、残念ながら現実的にはそうなっていないのだ。むしろ会員たちのほうが行き詰っているフシがある。いわばそこに目を向けさせないために、総罰のほうにばかり力を入れているような感じが否めない。これが現状だと思う。そしてこれがそのままで、いわゆる他力本願的ということなのだ。地震だの津波だの、あるいは経済崩壊だの他国侵逼だの、ようはそうした外的要因に頼って入信者を増やそうとしているのだ。
次に第九婦人部幹事・神奈川支区部長の記事を紹介しよう。
さらに、ある班長が三年近く折伏していた高校時代の校長も、基礎教学書が決め手になって入信に至りました。
これは立派な話である。時間をかけて折伏することはいいことだ。なぜならば、顕正会の折伏は騙し討ちのようなところがあって、いきなり呼び出してその日のうちに入信勤行に持って行こうとするものだから、結局は名ばかりの入信であって、実質的には即日退転なのである。それに比べれば、三年近くも時間をかけて入信に至るということのほうがどれほど確実性が高いか、つまりは本物の信心に目覚める確率が高いか、一目瞭然の話のはずである。
ただし、上掲には続きがあって、少しばかり問題を感じるところである。
・・・二年前から未入信のまま顕正新聞を購読し、また昨年末には広布御供養にも参加しておりました。
顕正新聞はいいかもしれないが、御供養はどうかと思う。これは広布御供養の精神からして問題だ。信心が純粋で応分の経済力を有する人。今は記憶のままに書いたので正確ではないかもしれないが、御供養の参加資格としてこのような意味のことが謳われているはずなのだ。校長先生だった人なので、おそらくは悠々自適の年金生活者なのだろう。ゆえに付き合い程度の気持ちでお金を出していたのかもしれない。しかし、顕正新聞はともかくとして、御供養のほうはいかがなものかと言わざるを得ないだろう。むしろ断わるべきが筋である。それをしないのは、いわば成果主義の裏付けともなるわけで、活動会員たちの苦労が感じられるところでもある。
また、元正信会の幹部であった壮年を、ある総班副長が再折伏した際・・・
前掲と共通する部分がある。再掲しよう。
ある班長が・・・
ある総班副長が・・・
こうした登壇記事では、個人名プラス役職で表記するのが一般である。ところがここではある班長だとかある総班副長というボカした表記になっている。この辺がよくわからないところだ。
しかしさらに驚嘆したことは、顕正会の働きかけがないにも拘わらず、すでに外部からの要請で基礎教学書が大手書店に並び、インターネットでの購入も始まっている・・・
ほほう、そうなのか、だったらわたくしもそろそろ入手して、拙ブログのネタに使おうかな?
完全に確信を失っている学会幹部
「新潟副総県長」も言を左右に逃げ回る
男子部第二十二隊総支隊長補の記事の見出しである。こうも勇ましい男子部幹部が、なぜか法華講員の前では弱気になる。あるいは弱いところを見せまいと、法華講員との接触を回避する。実に不思議な話だ。
学会上司
ちなみに本文中のこの表現が気になった。創価学会では普通に使われている表現なのだろうか?
顕正会の場合、上司とは言わないだろう。わたくしの認識が正しければ、先輩幹部みたいな言い方が一般的ではなかったかと思う。先輩幹部、あるいは単に先輩だとか、上の幹部、たぶんこれくらいだと思うが、他にご存知の人がいれば、ぜひとも情報をお願いしたいものである。