2017/8/7

ワキメモフラズニ  
引き続き大沢氏からコメントを頂戴しているが、同じ話の繰り返しになるので、やめておきたい。今や顕正会問題はまったく別の次元に突入しており、過去の検証はあまり意味がないのではないかと思う。もちろん、まったくの無意味とは言わないが、おそらく客観的に見るならば、宗門側のバイアスの掛かった検証に何の意味があるのか、というような皮肉な見方も可能だろう。法華講の諸氏に必要なのは、そうした自覚ではないかと思う。

さて、顕正新聞第1413号の続きを見て行こう。

・・・会津若松市の婦人部員がごっそりと顕正会に移ったことを思い出しました。

唐突な引用で恐縮だが、創価学会歴五十六年の男性が本年、顕正会に移籍して、六月度総幹部会で登壇した。

以前、顕正会では支部制を敷いていた。新宿支部とか豊島支部、あるいは池袋支部とか早稲田支部、そのような名称だった。これらは今も支区として残っているかもしれない。ともかくわたくしの若い頃には上述のごとく、東京の地名ばかりが並んでいた。そうした中で最初に結成された地方組織が高知支部ではなかったかと思う。ようは正真正銘の地方支部である。確かそうした流れの中で、会津にも支部が結成されたような記憶がある。

お気づきの人もいるだろう。地方支部で急成長を遂げたようなところは、創価学会からの大量脱会組が含まれているのだ。

ちなみに当該記事における大量脱会は正本堂が解体された時のことらしい。わたくし的にはちょっと意外な印象を受けるところだが、どうなんだろう、今でも創価学会から団体様で移籍してくるようなケースがあるのだろうかと、そこが気になるところだ。

現状では顕正会から宗門へ移籍する人が後を絶たない。それがどの程度の規模なのか定かではないが、団体様で移籍するようなこともあるのかもしれない。一種の還著於本人だろうか? かつては創価学会からたくさんの人が顕正会に移ってきた。創価学会の立場で言えば、大事な人材を失ったわけである。そして今度は顕正会から宗門へたくさんの人が移っている。顕正会の立場で言えば、大事な人材をゴッソリと持って行かれてしまって、ひじょうに困った状態なのである。しかし、それも因果応報であって、かつて自分たちがやったことがそのまま跳ね返ってきているのだ。

さて、今のは男性女子部員の記事だった。次は女性男子部員の記事だ。

 私は先月二十三日、娘のたび重なる折伏により、創価学会から入会させて頂きました。

あれ? 娘の折伏なら女子部か婦人部だろう?

このように思われたとしたら、拙ブログをよくお読み下さっている証拠なので、ひじょうに嬉しいことである。話は簡単だ。ようはこの娘さんも女性男子部員なのである。ようは男子部所属のままで活動しているわけであり、当然、折伏の成果も男子部のほうにカウントされる。これが顕正会の実態である。

それはさておき、わたくしが驚いたのは彼女の創価学会歴である。なんと平成二十六年の四月に創価学会に入ったそうである。こういう人は教学的なこともよくわかっていないだろうし、そうすると顕正会と創価学会の違いもよく理解できないに違いない。

しかし、わたくしは次の記述に、またしても驚いたのだった。

幹部に言われるまま、お題目を二百万遍唱え、御書全集も繰り返し拝読するほど真面目に取り組んでいました。

これは凄いことだ。上掲の文章を普通に読めば、御書を最初から最後まで繰り返し読んだことになる。題目のほうはさておき、御書の通読は相当のことである。何しろ顕正会では御書そのものを持っていないのだから、まったくお話にならないのだ。

もちろん顕正会的には、創価学会でいくら頑張っても功徳はない、というような意味でこの話を紹介しているわけなのだが、しかし、もし上掲の記述が本当ならばベラボウにレベルが高いことになるだろう。つまり、客観的には創価学会の信心のほうが、遥かにレベルが高いのだ。

古参の創価学会員がである。かつての剣豪の修行を思わせる云々の古き良き伝統を堅く守って、今もなお地道に拝読を重ねているとするならば、話はわかる。ところが彼女はほんの数年前に入会したに過ぎないのである。重ね重ね言うが、実に凄いことである。

それにしてもである。この人の登壇にはよく読めば顕正会を暗に批判しているような記述が各所に出てくる。

「顕正会員は、最初は優しくて真面目な人だと思っていても、そのうち態度を変えてくる」

彼女は顕正会入会後、創価学会版の本尊を返納するために群馬文化会館に行ったそうである。そこで創価学会の幹部たちに二時間近くも責められた。その中のセリフの一つが上掲である。

いかがだろう、上掲は案外に正鵠を射ているのではないかと思う。もちろん、どの組織にもいろんなタイプの人がいるわけで、一概には言えないことではある。しかし、今やネット上には顕正会を脱会した人たちの声が無数にあって、そうした中には上掲のような声も少なくないのだ。

もっとも直前にも書いたように、それは創価学会の幹部も同じだし法華講の幹部も同じだろう。そうした人間関係の軋轢で組織を去っていくのは世の常である。

まあ、しかし、成果至上主義の顕正会ではそれが顕著なのかもしれない。

最後に婦人部港北支区部長の記事を紹介しよう。

 入信以前の私は、化粧品の販売代理店を経営し、将来の夢は自社ビルを建設することで、年間数千万円を売り上げておりました。

記事全体の趣旨からすると、この部分はさほど重要な部分ではないことをお断りしておきたい。主には夫の臨終を伝える記事なのである。けれどもわたくしは上掲に注目した。

前にも似たようなことを何度も書いているのだが、こういうセールスの上手な人が顕正会の中でも成果を上げて幹部に登用されていく傾向がある。これはもう御本尊の功徳とかの話ではなく、その人の資質そのものによるのではないか、というのがわたくしの考えなのである。

営業職の人に聞いたことがある。誰でもできる仕事なのか、それとも向き不向きがあるのか、と。

いわく、やっぱり向き不向きはある、明らかに営業には向いていないタイプの人もいる、と。

わたくしはそれが顕正会の活動にも当てはまるのではないかと思うのだ。いや、もちろん、随力弘通であるからして、その力に応じて実践すればいい。実際、幹部たちも皆が皆そのように言うはずである。

しかし、顕正会の実態が成果至上主義である以上、やはりどうしても先の営業職の話と同じことになるはずなのだ。

この点をどのようにしたら改善できるか、もし本部首脳に精神的な余裕があれば考えるのだろうけれども、もはや今の顕正会にはそんなことを考えている余裕はまったく存在しないのだろう。困ったことであるが、これが現実のようである。


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