2017/8/17

シウシンホッス  
顕正新聞第1415号は多摩会館での会長講演を中心に組まれている。新聞には同会館を東京における二つ目の会館である旨が繰り返し書かれているが、厳密には違うだろう。芙蓉会館があるからだ。まあ、しかし、それは東京会館に近接している意味で、一緒のものと解釈しているのだと思われる。あるいは芙蓉会館は不要となったのか・・・

 当時「本部」と称していたのは、東京都文京区音羽の、講談社ビルの真向かいにあった初代・講頭先生の自宅でした。

さっそく会長講演を見て行こう。講談社ビルはいつ頃の建築なのだろうか、かなりモダンな歴史的建造物と言えると思う。浅井先生のお宅はその真向かいにあったのだそうである。これはもう、それだけで自慢できる話で、昔はどうか知らないが今ではお金持ちしか住んでいないような一等地なのである。

たしか光文社もこの界隈にあるはずで、おそらくは他にも小さな出版社がいくつもあって、それに関連する業種として印刷・製本などの会社もたくさんある、いや、あったのだと思う。まさに浅井家の家業がそれだった。

けれども解散処分の前年、浅井家は板橋区常盤台に転居した。

わたくしはその当時を直接的には知らないので詳しい事情はわからないが、表向きは妙信講の根城となるべき本部会館を建てることが目的だった。事実、常盤台もなかなかの高級住宅街であり、浅井宅の周辺には豪邸と呼べるような家々が建ち並んでいたのだが、浅井家はそれらの豪邸に比べればわりと地味であり、庭もそれほど広くなかった。なぜならば自宅に隣接する形で本部会館を建てたからである。つまり、浅井家の私財を本部会館の建設に充てたのだった。

顕正会批判のために御遺命守護時代のアラサガシをする人がいるけれども、上述のことはどのように評価するのだろうか? 裏事情がどうであれ、わたくし的にはそれほどイチャモンを付ける気にはならないのだが、いかがだろうか?

しかし、それにしても今回の会長講演は時系列がデタラメである。

 私は直ちに池田大作に対し「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」の一書を送付し・・・

この記述は最初の本部会館を建てた後に出てくる。文脈上もそうなっている。しかし、それは事実と異なる。これは御遺命守護の歴史を繰り返し学んだであろう大幹部たちがいちばんよく知っていることで、中にはとうとう先生もボケたかと思った人もいるかもしれない。ゆえに当日の会長講演がどうであれ、新聞掲載時には話の順序を変えるなりして、事実関係に齟齬がないように工夫すべきだった。

 この通告書、私は新しい本部会館の会長室で開き見ました。

これもまた、ナゾの記述である。

わたくしはこれを現在の本部会館の会長室だと理解した。時系列としては不自然ながらも、ようは最近になって文面を改めて読み返したという意味ならば、いちおうは矛盾がないはずなのである。

ところがである。

この新しい本部会館の意味を、常盤台に建てられた最初の本部会館だと解釈する人がいるのだ。これがわたくし的には驚天動地の解釈なのである。

まず、文京区音羽のそれは本部会館ではなく本部だった。その意味からすると、板橋区常盤台のそれは新しい本部会館ではなく新しい本部と書かないといけないのだ。もちろん、浅井先生本人がそこまで厳密に言葉を選んでいるのかどうかはわからないので、これが決定打となるわけではない。

しかし、次の事実はどうだろう。再掲である。

会長室で・・・

顕正会を名乗るのは後年のことである。解散処分の時点では妙信講だったし、妙信講に対する処分が解散だったわけである。まさかその時から会長室なるものが存在していたとは思えないし、何より先生が開いて見ているその文面には妙信講と認められているのだ。

ゆえにわたくしは先ほど書いたように、最近になって改めて読み返してみたと解釈するのが自然だと思うのだが、いかがだろうか?

いずれにしても、こうした誤解を生ずるような文章を載せているのは浅井先生自身の責任もさることながら、編集部の責任も大きいだろう。他にも指摘すべき箇所がある。

確認書には
 「正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の戒壇ではない」
 旨の文言が認められ・・・


御遺命守護の戦いにおいては妙信講側に分があるものの、こういうインチキっぽい表記は慎むべきだろう。上掲のごとくカギカッコで括ってしまうと、その部分は原文どおりに引用されているような印象を受ける。しかるに改行して「旨」と断わっている。つまり、引用文は原文どおりではないのだろう。イヤらしい書き方だ。

彼はこの対決を逃避し、宗規まで改変して「終身法主」たらんと策したが・・・

今は記憶だけで書いているので、間違っていたら申し訳ない。しかし、どうだろう。上掲も事実関係からすると不正確のような気がするのだ。わたくしの記憶が確かならば、終身法主のための宗規改正なるものが行なわれたのは、対決云々の前ではなかったかと思う。つまりは時系列がデタラメということである。

そして以前にも書いた記憶があることだが、日顕上人が宗規改正をなされたのは御自身の地位保全のためではなく、後継のためと考えるのが妥当だろう。何しろ創価学会あたりがニセ法主呼ばわりしており、あろうことは日如上人までもがトバッチリを受けて、ニセ法主から相承を受けた日如は二代目ニセ法主だ、みたいに言われている始末である。ゆえに日顕上人としては先手を打って、事前に宗規改正して万全を期したわけなのだ。事実、今となっては創価学会が何を言おうが、宗門は盤石である。御高徳の日顕上人ならではの先見の明と申し上げるべきだろう。

逆に終身会長たらんとする浅井先生こそ、本気で顕正会の将来を考えているのかと、イヤミながらも言っておきたいところである。

どうも最近は一つの記事に対して書くことがたくさんあってキリがない感じなので、実はまだ書けば書けるのだけれども、会長講演についてはこれくらいで終わりにしておこうと思う。いちおう断わっておくと、今回のブログで取り上げたのは講演全体の三分の一ほどであり、他の部分について略して紹介すると、一つには御本尊についての説明と信心の姿勢についてであり、もう一つは安倍政権についてのあれこれである。まあ、気が向いたら引き続き取り上げるかもしれないが・・・


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