2017/10/16

コウレイカシャカイ  
コメント欄が賑わっている。少し前、沖浦氏が投稿を控えていた時にはわりと静かだったことを思うと、さしずめ沖浦氏は嵐を呼ぶ男(?)なのだろう。ようは人気者なのだ。

 普通は72歳になると、仕事なんかほとんどありませんし出来ません。
 それが多忙の日々を送っている。


これは凄いことである。過去にも繰り返し書いていることだが、今の超高齢化社会における最大の課題は高齢者の生き方であり、同時に死に方でもあるのだ。いわゆる介護問題にしても、ただ単に予算をたくさん組めばそれで済む話ではないだろう。こういうことを政治家が言うと大問題になるけれども、わたくしの立場ならば構わないだろう、早い話が将来性のない人のために莫大な予算を使って何のメリットがあるのか、である。ましてや今は医学の飛躍的な進歩で、昔ならばとっくに死んでいてもおかしくないような状態のまま、何年も生かされているようなケースも少なくないのだ。しかし、だからと言って生きている人間を意図的に死なせるわけには行かない。それは殺人である。

超高齢社会においては、いわばポンコツになった生産性のない人間がたくさんいて、その社会的負担がとてつもなく大きくて、ニッチもサッチも行かない状況にならざるを得ないのである。

ゆえにそうした中で、元気な老人はその存在自体が貴重であり、今後も末永く活躍されることが望まれる。まさに沖浦氏はそのお手本のような存在なのだ。

さて、今日は顕正新聞の続きである。

 宗門では年一回、「寺族同心会」と称して、僧侶とその妻が一堂に本山に集う会が開かれるのですが、身に着けるものはすべてが最高級品・ブランド物で、同伴する妻も必ず新調した着物を着ては妍を競います。

婦人部京都支区総班長の登壇記事である。彼女は若い頃、創価学会の総局と呼ばれるところで働いていたそうで、後に宗門の僧侶と結婚したという。その経験談ないし目撃談を語っているわけだ。

上掲について思うことは、年一回くらいならば許してやりたい、というきわめて主観的な感想である。当然ながら、僧侶にあるまじき、という意見もあるだろうし、まさに顕正会全体の意見がそれなのだろう。
おそらく今は宗門側にしても、顕正会のみならず創価学会でも目を光らせているわけだから、そういう意味では自粛というか是正の方向性で動いているのではないかと想像される。
ましてや近年は僧侶オワコンの時代になりつつあるわけで、世間一般の尺度からしても同様のことが言えるのではないかと思う。そりゃそうだろう、自分たちの供養が僧侶の身に着けるブランド品に化けるのだと知れば、これほどバカバカしい話もあるまい。

 私も正本堂に参詣しましたが、内部はすり鉢状の椅子席で、戒壇の大御本尊様を上から見下ろすようになっており、何とも恐れ多い限りでありました。

なるほど、御本尊を見下ろすのはどうかと思うところである。この反省もあってか、現在の奉安堂は見下ろすような構造にはなっていないはずである。

ちなみに椅子席についてはどうなのだろうか?

何となく顕正会の建てる国立戒壇は畳敷きのようなイメージがあるけれども、それはさすがに現実的ではないだろう。椅子席がダメということはないはずだ。現実に顕正会の会館でも確か青年会館などは椅子席になっているはずなので、おそらく国立戒壇もそれでいいのだろう。

・・・先生の諫暁のお叫びに、必ず宗門にも現証が現われ、目が覚め、清らかな富士門流の精神が蘇ること、大確信いたします。

現証とは何だろうか? 何か具体的な想定はあるのだろうか?

顕正会員が見えていない、気がついていないことを、わたくしは書いているつもりである。上掲の言い回しは、顕正会が全面的に正しくて宗門が全面的に間違っている、という雰囲気が濃厚である。これが和解の道を閉ざしているのだと思う。このテイタラクでは五十年後も百年後も和解は実現していないだろう。そして顕正会はいつまでも正本堂のことをあれやこれやと言っているのだ。今はまだ記憶を残しているものの、五十年後にすり鉢状の椅子席がどうのこうのと言ったところで、もはやどうにもならないだろう。もちろん教義上の問題は半永久的に残る。しかし、そこに正本堂というアイテムを介する時、正本堂が存在しない今は御遺命守護の歴史も朽ち果てていく運命にあるのだ。

さて、八面には新潟女子部集会の様子が報道されている。この時の総合女子部長の指導から引用しよう。

大石寺の堅き伝統が、解散処分を機に、浅井先生によって顕正会で守られている・・・

遥拝勤行のことを言っているのかと思える文章だが、実際は違うのである。

そして今『戒壇の大御本尊様は秘蔵厳護し奉らくてはいけない』との大石寺の堅き伝統が・・・

普通に読むと、理解不能である。宗門では堅き伝統が守られていないが、顕正会では守られている。では、どうやって守っているのか? わたくしにはさっぱりわからない。

とうとう総合女子部長もおかしくなってしまったのか、あるいはわたくしの理解力が乏しいだけなのか、何とも言えないところである。

前後するが、七面の左側の記事から引用する。

長行ができるお経本を手にしては嬉しさでいっぱいになり・・・

女性男子部員の「正義にめざめて」である。どうやら今の創価学会では長行を読まないらしい。長行が載っている経本は全廃されてしまったのだろうか?


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