2017/12/8

ミンイ  
今日は顕正新聞第1423号である。一面のトップ記事は御大会式の報道であるが、会長講演の詳細は翌々号に掲載される旨、書かれている。下段には北関東大会が明年の三月二十一日に「ぐんまアリーナ」で開催される旨の発表がある。そして二面以降はいつものごとく、各種集会での登壇記事の羅列である。

もはや取り上げる気力も失せつつあるが、いちおう順番に気になったところを拾っていこうかと思う。

第十・第二十五・第二十六男子部長

面倒臭い表記である。どうも近年はポストの乱立によって組織が複雑化しているような印象がある。しかし、人材そのものは大したことがないらしく、ご覧のように一人の人物がいくつもの組織を兼任しているケースがめずらしくなくなっている。この際、リストラしたらどうかと提案したいところである。この場合のリストラは組織の再編の意味である。例えば上掲の三つの男子部を一つにまとめてしまえば、シンプルでわかりやすいだろう。けれども、それは組織の縮小・後退を印象付けるので、やりたくないのだと思う。つまりは粉飾である。こんなテイタラクでは遅かれ早かれ破綻をきたすだろう。本部首脳はこんな簡単なこともわからないのだろうか?

広布の前段階

本文からの引用である。この表現はめずらしい。最終段階と前段階、たぶん同じ意味なのだろうけども、印象的にはかなり異なる。

 されば、新体制を整えて頂いた新潟男子部こそ、どんなに遅れていようとも・・・

これはわりと正直な発言かもしれない。彼がいくつもの男子部を兼任しているのは、裏を返せば前任者がどうかしてしまったからなのだろう。おそらくそのような組織は自ずと停滞せざるを得ないわけで、いわばその組織の再生を彼は課せられたわけなのだ。

日本の歴史始まって以来、最悪の国家の仏法上の失・・・

これは第二十四婦人部長の発言である。これが何を意味するのか、正解を書ける人がいたら大したものである。わたくしは竜の口のことだと思った。しかし、彼女の言っている意味は違うのだ。ようは安倍政権が神の国を作らんとしていることと、そこにコバンザメのごとく創価学会・公明党が加わっていることを言っているわけである。それもこれも顕正会の重大使命を際立たせるための過剰表現なのだろう。先ほども書いたように、竜の口はどうなるのか、である。

さて、全体的な印象を書くと、相変わらず、民意を動かす大折伏、みたいな表現が目立つ。しかし、これは前にもけっこう取り上げたので、省略しよう。

関連する話題として、第三婦人部長の記事の次のくだりを取り上げたい。

 「ここに大聖人様は八幡大菩薩を対告衆として、仏法守護の諸天善神すべてに対し、『守護の責務』を果すべきを、その道理を示し、つよづよと申し付け給うたのである」と。

この部分は浅井先生の発言そのものであるが、ようは竜の口における一シーンを解説しているわけである。そして以下が彼女の所感である。

 いま時に当り、浅井先生によって、総理大臣・安倍晋三を対告衆として、全国民に対し
 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
 と諫暁しておられるのだと思い、先生のお立場の重さに畏敬の念で一杯になりました。


これじゃ民意は動かんだろうが、と言いたいところだ。

そもそも大聖人の御振る舞いと浅井先生のそれとを重ね合わせるような表現方法がケシカランところで、文中「日蓮によりて」云々とあるのが救いではあるものの、それでもかなり会長本仏論的な雰囲気が漂っていてよろしくないというのがわたくしの意見である。

民意に関して、当たり前過ぎることを書いておくと、この時点での顕正会員たちの目論見は総選挙で自公を敗北に追い込むことだった。しかし、それは顕正会の仕事ではないだろう。民意をもっと広義に解釈するならば、顕正会が支持を得られるかどうかなのである。顕正会員たちが功徳に満ち溢れ、誰が見ても幸せそうに見えるならば、ボクもやりたい、ワタシもやりたい、ということでやがては入信勤行の行列ができるようになる。実際、内部では幹部たちがそのような発言をしていたし、あるいは今もしているかもしれない。では、現実はどうか、ということなのだ。

沖浦氏じゃないが、やはり功徳の体験が大事なのだろう。しかし、それが浅薄な功徳論・御利益論であれば、かえって墓穴を掘ることになる。なかなか難しいところである。


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