2018/3/30

アタマゴナシ  
会員氏はそのコメント内容からして典型的な顕正会員の思考そのものであることがわかる。ただそれが一般人の感覚からすると異様なのだ。おそらく本人にはその自覚がないのだろう。それが文章から伝わってくる。具体的には次のくだりがわかりやすい。

私は鉄拳くらって顔面骨折したけど、完治したし怨恨リーダーは速攻で死んでくれました。

速攻はいかにも若者言葉である。普通はソッコーだろうか?

ちなみにわたくし自身はほとんど使わないのであまり考えたことがなかったが、これは即行が正解なのかもしれない。それにしても死亡原因が気になるところだ。病死とか事故死とか、即行で死ぬとなると、文字通り即死なのかもしれない。安倍政権もソッコーで崩壊すれば話が早いのだが・・・

腐敗堕落については晃氏のおっしゃるように、基本的に末端の活動会員たちは熱心であり、まったく該当するものではないのだ。前回の拙稿を読めばわかるように、わたくしは上層部の人たちこそが当てはまるのだと思っている。そして顕正会では宗門の腐敗堕落を云々する。だったら顕正会だって同じじゃないかと言いたかったわけである。

さて、マイケル氏の質問である。

地球規模での人口増加は罰論の上から矛盾しているのではないかとのことだが、これについては顕正会で教えていることがわりと整合性が高いように思う。ようするに、いよいよこれから大量死の時代に入るのだ、と。確かに大量破壊兵器の威力を考えれば、各国が本気で戦争をする事態になれば大量死は免れないだろう。第二次世界大戦でも多くの人が亡くなったが、核戦争にでもなれば死者はその比ではない。

ただし、これは一つの解釈であって、それが正解かどうかはわからない。そもそも仏典に説かれていることがすべて正しいかどうかもわからないし、恐れながら言えば大聖人の御認識にも錯誤があるかもしれないのだ。

過去にも何度か話題にしたが、御秘符のことがその好例だと思う。幸いにも平易な解説を見つけたのでリンクを貼らせてもらう。

http://honshubou.main.jp/fswiki/wiki.cgi?page=%B8%E6%C8%EB%C9%E4

この中に信心のない人が服しても効能はない旨が書かれていて、御秘符の文証としては伯耆公御房消息が引用されている。ここでは詳しく触れないが、前述のごとく大聖人の御認識が間違っている可能性もあるのだ。すると御秘符なるものはまったくの非科学的な迷信の類であり、日蓮正宗ではそれを知らずに七百年間、伝承し続けてきたことになりそうである。

ということで話はズレたものの、マイケル氏の指摘はなかなか鋭いものであり、現代人の合理的思考の上から考えるとどうしても納得できないような事案がいくつも存在するのが現実である。ただし、わたくしはそれを頭ごなしに否定するのではなく、ではどのように考えればいいのかを問題提起させてもらっているわけなのだ。なぜならば一見すると合理的思考をしているような人も、気がつかないところで非合理的な思考に囚われていることが、案外に多いからである。わたくしはそうした陥穽に陥ることを恐れているのだ。

例えば顕正新聞第1433号の続きを取り上げよう。婦人部南部支区総班長の記事には次の記述がある。

 関わった誰しもが驚嘆したその証こそ、大聖人様が「死すれば光を放つ」と仰せられた「外用の成仏」であり・・・

この大聖人の仰せについて、浅井先生は臨終の相だと解釈していて、必ずしも発光するとは認識していない。いわゆる半口半眼などのことを言っているに過ぎないのだ。ならば御生骨も同じではないかと思うのだが、顕正会員の諸君はいかがだろうか?

つまり、顕正会員は一種のダブルスタンダードを用いていることになるのだ。

成仏すると発光する。もしこれが本当ならばそこら中で発光していることになる。少なくとも顕正会で活動していた人たちは、亡くなれば発光するわけである。しかし、現実にはそんなことは起こっていない。だったら御生骨も同じじゃないかと思うわけだが、今のところ顕正会の中では本当に発光すると信じられているわけである。この非合理性をどのように解消するのか、聞いてみたいものである。繰り返しになるが、頭ごなしに否定するつもりはない。もし納得できるような説明が可能ならば、ぜひともお願いしたいということである。

「願わくば、あと十有余年の命を頂き、息子と共に光り輝く御生骨を拝観したい。しかし途上、命終わるならば、願うことはただ成仏の一事」

これは男子部第三十八隊班長の記事に出てくるものである。ガンを患いながらも文字通り最期まで活動しておられた組長さんのセリフである。どうやらこの班長の上にいる支隊長が、亡くなったご婦人の息子さんらしい。ゆえに本文中には次のごとくある。

良き臨終を遂げた支隊長の母親の・・・

わたくしはこれをよく憶えている。今でこそ顕正新聞には臨終の話題がたくさん載っているが、かつてはそれほど多くなかった。そうした中でこの話はひじょうに印象的だった。

しかし、いつ頃だったのかは失念してしまった。あるいは二十年くらい経つかもしれない。なぜならば「あと十有余年」のキーワードがひと際目立つからである。一千万の誓いも同じ頃だったかもしれない。

 我が班には、曽て総支隊長を務めるなど幹部だった未活動者が多くおり・・・

同じ記事からの引用である。くだんの御子息が支隊長として頑張っているのはけっこうなことだが、同時に活動をやめてしまった人がたくさんいることも事実なのだろう。そりゃそうだろう。あと十有余年とか言っていて、その数字が一向に減らないのだから、イヤになるのも当然である。

そうそう、前後して恐縮だが、先ほどの総班長は三次救急指定病院で、心臓や腹部のエコー専門の超音波認定検査士をやっているそうである。また、病理医の補佐として解剖にも携わっていたことがあるらしく、けっこう詳しいことが書かれている。

 臓器を取り出した後のお腹は空っぽなので、元通りに膨らみをもたせるため新聞紙を詰めます。

生々しい記述である。それにしても新聞紙が悩ましい。当然、古新聞だろう。死者の威厳を保つ意味ではやや不適切なことのようにも思える。わたくし自身はさほど気にしないが、気にする人もいるだろう。もっと適切な処置の方法を確立すべきと思う。


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