2018/4/30

ダンマツマ  
顕正新聞第1436号は異例中の異例かもしれない。

3月25日・4月5日合併号

月を跨いでの合併号など、今まであっただろうか?

さらに言えば、年度を跨いでの合併号でもある。

「安倍政権断末魔」特集号

これも凄まじいタイトルだ。

浅井先生は御遺命守護の歴史を、繰り返し繰り返し論じてきた。その都度、新事実が加わったり、表現方法を工夫したりして、読者を惹き付けてきた。そうした執念深さみたいなものがここ一連の政権批判においても発揮されており、なかなか大したものだというのがわたくしの偽らざる感想である。

朝日新聞が社運を賭しての大スクープを放った・・・

社運を賭して云々はどうかと思うところだが、確かにこのスクープ以降、流れが変わってきたのは事実だろう。

ただし、安倍政権への支持率は急落したものの、自民党への支持は依然として高止まりの状態が続いている。ゆえに一般的な見方としては、秋の総裁選への出馬はもう無理なんじゃないか、そこでようやく安倍政権も終わるだろう、というような感じである。ようするにポスト安倍の人たちにしても出方を窺がっているわけで、おそらくは早すぎても遅すぎてもダメなのだろう。そのタイミングが難しいわけだ。

そして現状、野党には政権奪取を狙えるほどの力はなく、秋の総裁選で新総裁が決まればその人が総理大臣になるのはほぼ確実のようである。

こうして見ると、顕正会の幹部連中が諸天の働きがどうのこうのと言ったところで、現実にはそれほど劇的な変化が訪れるわけではないのだろう。そして当然ながら浅井先生は新総理に対してもあれこれとイチャモンをつけるのだろう。しょせんはこの繰り返しなのだ。

 そして一昨日、北朝鮮の最高指導者・金正恩が突如、中国を電撃訪問し、習近平国家主席と会談している。これは、中国と北朝鮮が、アメリカ牽制ということで利害が一致したものと思われる。

そうそう、言い忘れていたが、これは三月二十八日に行なわれた総幹部会での会長講演である。

確かつい先日、南北首脳会談が行なわれたのではなかったかと思う。また、米朝首脳会談も近く行なわれることになっているはずである。
これらの一般的な評価がどのようになっているか知らないが、わたくしの率直な感想を言えば、金正恩は案外に外交上手ではないか、ということになる。今までの印象はいわば金正恩王国であり、独裁国家だった。世界から孤立しているような感じが否めなかった。
ところが先般の冬季五輪の時、金正恩の妹とされる人物が韓国を訪れ好印象を振りまいていた。これをマスコミ各社は微笑み外交と表現していたが、思えばその頃から流れが変わってきたような感じである。

そして今は満を持してとでも言うべきなのか、金正恩自らが先頭に立って積極的な外交を行なっているわけである。

今さら無理難題を吹っ掛けてもどうにもならないが、浅井先生もマネをしたらどうかと思うところである。何しろ浅井先生は解散処分以降、ほとんど外部と交わる機会もなく、今では月に一回か二回、顕正会の内部で講演を行なうだけなのである。百歩譲って、浅井先生はもう引退ということでいいことにしよう。ならば城衛がやるべきである。しかし、城衛にしてみれば、ベラボウにハードルの高いことなのだろう。

これまた酷なことを言うようだが、往年の克衛は妙観講と法論を行なったりして、その勇猛果敢ぶりを多くの人が目撃しているのだ。では城衛はどうかである。

別に煽っているわけではない。

少なくとも最近の金正恩の動きを見ていると、イザという時には責任ある立場の人が表に出てきて事を決しなければいけないことを、よく教えてくれているように思うのである。もちろん、城衛が今すぐに何かをしなければいけないということではない。ようは常にそうした覚悟を持って生きなければいけないということなのだ。

2018/4/23

モッテコイ  
気がつけば、なんと十年前の拙稿である。次のリンク先がそうだ。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1023.html

興味のある人はご覧になられるといいだろう。そこにはわたくしの十年前の姿がある。あんまり進歩していない。それが自己評価だ。

それからこれはわたくしの勝手な感慨に過ぎないのかもしれないが、以前は大聖人の仏法に造詣の深い人たちがたくさんいて、それぞれが魅力的なサイトを構築していた。今はそれが激減したような気がする。あるいは今もどこかに存在するのだろうか?

さて、顕正新聞の続きを見ていこう。

 平成一二年に臨時山梨大会を開催して下さり・・・

女子部第二十区長がご覧のように言っている。しかし、わたくしの記憶には存在しない。大会と呼ぶくらいだから浅井先生も出席しているはずだし、もしそうならば顕正新聞にも報道があっただろうし、ビデオ放映なども行なわれていたかもしれない。けれども、まったく憶えていないのだ。

次の婦人部立川支区組長は創価学会からの移籍組である。

私の書いた原稿に赤字で勝手に違う内容を書き込まれ・・・

当然、創価学会時代のことを言っているわけだが、これは顕正会にも当てはまるのではないかと思う。入信ないし入会後、それほど日数を経ていないにもかかわらず、普通じゃ使わないような言い回しが出てくることがある。そのようなものは幹部による添削だろう。もしくは洗脳力が強いという解釈もあり得る。当人が顕正会にのめり込んでいれば、恐るべきスピードで顕正会の典型的な会員像に近づいていくのだろう。

女子部第二百二十六区の平会員は、平成二十七年に顕正会員から初めて折伏されたらしい。

・・・始めて折伏を受けたのでした。

それこそ拙ブログでは口が酸っぱくなるくらい言い続けてきたことである。初めてと始めての使い分けがデタラメであると。おそらく浅井先生としては大聖人の御使用例に合わせているつもりなのだろうが、もしそうならば時代錯誤も甚だしい。そして右に倣えの顕正会員たちもアホである。

女子部第五十五区支区長補は看護師だそうで、これまでいくつもの臨終に立ち会ってきたらしい。そして遺体を引き渡すまでの処置として、髭を剃ったり化粧を施したりもするという。

誤って傷を付けてしまっても出血せず・・・

前後を省略しているのでわかり難くて恐縮であるが、ようは一般的な遺体は傷つけても出血しないそうである。すると成仏した遺体は血が噴き出してくるのだろうか?

アゲアシ取りをしている場合ではなかった。彼女は顕正会の役職が示すごとく、真面目に折伏も実践してきたわけで、仕事柄、医師を折伏する機会も多いようである。

一精神科医は「人の話を聞くのが好きだから精神科医を選んだ」と言っていたにもかかわらず、折伏した際、話を聞かずに席を立って帰ってしまったり・・・

これは面白い。

一外科医は、私が「成仏すると遺体が軽くなる」と話すと、「量ったことあるの」と言って来たり・・・

これはもっと面白い。

精神科はベラボウに難しい分野だと思う。どこがどのように悪いのか、よくわからないからである。その点、外科のほうがわかりやすい。極論すれば道具だとか機械に近いからである。壊れた部分を特定して、それを直すか交換する。人間も同様で、壊れた部分を治すわけだが、それが無理ならば交換すなわち移植をする。

それはさておき、遺体の計量である。

外科医の言っていることはあながち間違ってはいない。もし顕正会のほうでこれを不服と思うのならば、顕正会から多くの医師を輩出して病院を建てるくらいにならないとダメだろう。そうすれば遺体の重さを調べることも可能だし、そうしたデータが集積されればいずれは結論が出る。現状では納棺の時に重かっただの軽かっただのという、漠然とした印象を述べているに過ぎない。それで万人が納得することなど、あり得ない話だ。

 現在、私は企業の医務室で従業員の健康管理をしておりますが、さまざまな理由から精神的に病んでいる人が多く、休職する従業員は後を絶ちません。

彼女は病院勤務からご覧の職場に移ったようだが、その理由が気になるところである。これまでにも同様の例がたくさんあった。ようは折伏をやり過ぎて職場を追われるパターンである。

まあ、しかし、給与等の待遇だとか仕事の充実感がどうであれ、企業の医務室勤めはわりと御奉公のしやすい環境ではあるのだろう。通常、土日が休みだと考えられるし、残業もないはずである。顕正会の活動会員には持って来いの職場かもしれない。

2018/4/21

アナタノカワリハイナイノデス  
顕正会の障碍者に対する処遇は不明である。組織的な統一見解が打ち出されているのかどうか、わたくしは知らない。

仏法的因果論とでも表現すべきなのだろうか、生まれながらにして身体に問題を抱えている場合、それを過去世の悪因によるものだと解釈することが普通に行なわれてきた。しかし、これが現代においては問題とされていて、そうした因果論を前面に押し出すことは教団にとって不利になると考えられているのだろう、それを恐れてどこの教団もあまり言わないような印象がある。

ところで過去の拙稿だが、紹介しておこう。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1728.html

当該記事の最後のほうに自在会の話が出てくる。この出典元のリンクも以下に貼っておく。

https://sokanomori.exblog.jp/

まことに恐縮であるが、当該ブログのどこかに全盲の創価学会員の話が出てくるはずである。当時、その記事についての感想を求められ、書いたのが前掲のリンクだった。

わたくし自身は障碍者ではないけれども、今は年齢を重ねたことでその人たちの気持ちが少しはわかるようになってきたきがする。
この際、道具になぞらえて話をすると、つい先日のことだが給湯器のセールスが来た。壊れる前に交換したほうがいい、壊れてからだと何かと不自由だから、というような理屈を述べていた。まったくその通りである。ただし、金銭的な余裕がないこともあるし、誰に迷惑を掛けるわけでもないので、ぶっ壊れるまで使い続けるつもりだと答えた。
物によっては半壊ということもある。我が家のインターフォンがそうだ。チャイムが鳴って、部屋にある応答用の受話器で来訪者と話をする。しかし、古いためか、チャイムは鳴るけれども応答ができない。実はもう五年くらい、いや、もっと前からそのままの状態である。とりあえずチャイムが鳴るうちは直さないつもりである。
つまり、機械類は完全に壊れて使い物にならない限り、ダマシダマシ使い続けるということもあるのだ。おそらくは誰もがやっていることだろう。

人間の身体も同じである。というよりも人間の場合はなおさらなのだ。

先ほどの道具ないし機械の場合、それが個人レベルであれば多少の能率低下は仕方がないことだとして使い続けることもあるだろう。しかし、それが熾烈な競争を極める企業であれば話が違ってくるはずで、常にベストの状態を保たないといけない。つまり、機械に不具合があれば直ちに修理するか、修理が不能だとすれば新しい物に交換する。

ところがである。人間の場合はそうも行かないのだ。

修理=治療ということだとして、修理ができない場合はどうするのかである。企業論理としては、そういう使い物にならない人材は放擲するしかない。使い物は使い者と書かないところがミソである。

それは企業の話である。一個の人間としてはどうかという問題がある。それで人生を悲観してしまう人もいる。

しかし、生きていく以上はそうしたハンデを抱えつつも頑張るしかないのである。

わたくし自身は創価学会を評価する立場ではないのだが、もしそうしたハンデを背負った人たちに夢や希望を与えることに長けているのであれば、その点は評価していいと思う。

顕正会の場合、最近ことに目立つのがガンが消滅したという話である。他にはずいぶん前に聴覚障碍者が聴力を取り戻したという話があって、けっこう印象に残っている。あとは直近の北関東大会でも凄い体験発表があったようだが、これについては後日、取り上げたいと思う。

ただ思うことは、こうした奇跡的体験は全体の比率からすれば稀有のことであり、多くの人が病気だとか障害を抱えたまま生きているのが現実である。にもかかわらず顕正会では奇跡的体験のほうばかりにスポットが当たるものだから、そうじゃない人たちの落胆が強まるのだと思う。

この点をどのように解決していくべきなのか、顕正会の首脳部は考える必要があるだろう。

いわゆる生老病死ということがある。

わたくし自身、月々日々に年老いていく実感がある。また、さまざまの病歴があって、その病気が原因で失われた身体的機能もないわけではない。それでも人間は死ぬまでは生きるのである。

ゆえに上のほうでも言ったように、壊れつつある道具ないし機械類をダマシダマシ使い続けるがごとく、自分自身の身体もダマシダマシ使い続けるしかないのである。

あなたのかわりはいないのです。

いわゆる安全標語である。わたくしはこのシンプルさに感銘した。

先ほどの企業論理というか、金儲け優先主義からすれば、使い物にならない人間はどんどん切り捨ててしまって有能な人材ばかりを集めるべきなのだろう。そういう厳しい企業では次のような厳しいセリフが飛び交っている。

オマエの代わりなんか、いくらでもいるんだぞ!

文句があるならさっさと辞めちまえ、オマエ程度の人間なんかいくらでもいるし、いくらでも交換が可能だから、辞めたきゃさっさと辞めりゃいい。

もちろん、物凄く優秀な人材もいて、キミに辞められちゃ困る、キミの代わりが務まる人なんてどこにもいない、というようなケースもなくはない。ただし、それもしょせんは使えるうちの話である。プロスポーツの世界を見ればわかるだろう。成績がいい時はチヤホヤされるけれども、成績が悪くなればオシマイである。

話がグルグル回っているようだ。

ともかく直前の話は何かを彷彿とさせるものがある。そう、あれである。すなわち顕正会の成果至上主義である。

今の顕正会は必ずしも成果至上主義だけに支配されているわけではないが、しかし、その色が濃く出ている場面においては、実に冷酷である。この点も本部首脳が考えるべき重要課題の一つだろう。

2018/4/19

ゴケドウ  
顕正新聞第1435号の話題である。当該号はいわゆる登壇記事の羅列であり、実に退屈である。拙ブログではそれを飽きもせずに取り上げてきたわけだが、そろそろ終わりにするべきかもしれない。

 二十万の異体同心が本門寺改称の陰謀を粉砕し、偽戒壇・正本堂崩壊に至らしめた不思議を思うほどに、二百万の異体同心が成れば、広宣流布・国立戒壇建立の大事は必ず成ずる・・・

もはや誰が言ったかはどうでもいいことかもしれない。いちおう副男子部長の一人の発言であることを言っておくが、それはともかく、上掲はツッコミどころ満載である。

二十万の戦いが後の正本堂崩壊の因となった、ならば二百万の戦いが広宣流布に至ることも必定である。もちろん個人の決意としてそのように言うことは勝手だが、これはまったく説得力を持たない話である。本門寺改称だとか正本堂だとかは一宗教団体の中の話である。ゆえに極論すれば、たった一人の実力者がいればそれをすべてひっくり返すことだって可能なのである。しかし、一国を相手にするとなると、そうは問屋が卸さないだろう。数字的なことを言えば、二百万ではなく二千万くらいの実力を備えないと話にならないだろう。

さらに細かく言うと、実数の問題である。二百万の名目会員はけっこうだが、その時の実働会員はどのくらいを想定しているのだろうか?

ちなみに二十万の時は横浜アリーナに二万人を集めた。同じ比率を適用すれば二百万の時に二十万人の結集が必要になるだろう。今の顕正会にそれだけの結集力があるのだろうか?

ここで大事なことは、異体同心というキーワードである。

つまり、今の段階で無理やりに大結集を図ったとして、十万人を集めたとしよう。これはこれでそれなりにインパクトのある話ではあるが、しかし、横浜アリーナに二万人を結集した時に比べれば劣るのである。同じ比率を適用するならば、二十万の結集が必要となる。そうしなければ異体同心が崩れてしまっていることになるのだ。

ゆえに顕正会が大聖人の仰せを本当の意味で守るつもりならば、一度ここで公称会員数をリセットして実働会員数との齟齬を解消すべきなのである。

そうしてこそ、結集率百パーセントとなり、正真正銘の異体同心が実現するのである。

先生の深重壮大な忠誠心

総合婦人部長の文章である。この人は表現力が豊かであり、他の記事には見られないような語彙が出てくる。今回は深重壮大が目を惹いたので、紹介させていただいた。

六十一年直進・・・

同じく総合婦人部長である。そして次は副総合婦人部長である。

激闘六十年・・・

単なるアゲアシ取りに過ぎないが、同じ紙面に違った数字が並んでいることに無頓着な編集部に対し、わたくしはイヤミを言っておきたい気分なのである。

大手五大新聞社も広告掲載を願い出て・・・

女子部総務の発言である。現状、なぜか全国紙には例の広告が掲載されていないようである。しかし、彼女はもうすぐ全国紙にも広告が掲載されるに違いないと、その確信を上掲のごとく述べているわけである。

それにしても上から目線の発言である。ようするに顕正会のほうから売り込まなくても先方から願い出てくるに違いないと言っているわけなのだ。

さて、次の引用については注意を要する。

日興上人の御姿と先生のご雄姿が重なって・・・

これは正確な引用文ではないので、その点は誤解のないように願いたい。ようするに第二十九女子部長の記事を勝手に要約したものなのだが、もしかしたら彼女の意図を捻じ曲げた悪意の引用かもしれないのである。

五十一年にわたる御化導・・・

同じく二十九部長である。これまたアゲアシ取りに近いものがあるとは自覚するものの、わたくしの言語感覚が正しければ御化導は仏様の御振る舞いを意味するものであって、日興上人に対して使うのはやや不適切のように感じられるところである。もっとも日興上人はいわゆる師弟不二の御境界であられるわけであり、ほとんど仏様と同格ではあるのだろう。彼女もその認識から御化導と書いたのかもしれない。

まあ、しかし、そうすると前掲がひじょうに悩ましいことになって、ようは浅井先生も大聖人と同一境界になってしまうのだ。いわゆる会長本仏論である。

思えば拙ブログもマンネリ化が著しいようだ。会長本仏論のことはこれまでにも繰り返し書いてきて、もはや結論は出ているようなものなのだ。これ以上は重複であり、蛇足である。

ただし、今後も顕正会が存続し、本気で広宣流布を目指すのならば、自ずと浅井昭衛という人物に対しても注目が集まることになる。おそらくは新興宗教の教祖という位置付けが一般なのだろうけれども、そのカリスマ性の源泉がどこに存するのかを考える時、あるいは拙ブログが役に立つかもしれないと思う。

その意味で、拙ブログの存続にも一定の価値があるのかもしれない。

2018/4/14

コジンマリ  
マイケル氏の今朝の質問はわたくしが答えるよりもむしろ顕正会員が答えるべき内容だろう。幸いに最近は会員氏がよくいらっしゃるので、氏に答えてもらったほうがいいと思う。

巌虎さんは、恐らく宗創和合時代を御存知なのだろうと思います。

僕は2000年代に法華講へ所属させて頂き、その後離壇致しましたのでその辺の事情はよく分かりません。

学会が破門されて以降、御僧侶方や法華講員が一丸となって、学会員さんの家庭を回り、脱会するよう説得していたんですかね?


この質問については、それこそ御僧侶ないし法華講員に聞いたほうがいいわけで、なぜにわたくしに聞くのかがわからない。

ただし、マイケル氏が日蓮正宗に縁をしたのはここ十年前後のことらしく、それ以前のことはまったくご存知ないわけなのだろう。ゆえに、わたくしの立場で知っていることを、何か話せばそれでいいのかもしれない。

ひじょうに狭い見聞に過ぎないが、わたくしが知っているのは妙観講と樋田グループの活躍くらいである。とは言え、これもネットの情報に過ぎない。特に樋田氏については法論映像が衝撃的であり、この辺りから攻守所を変えたような印象がある。

数の上からは創価学会のほうが圧倒的な力を持っている。

ゆえに破門当初、創価学会は大反発をした。創価新報という機関紙では毎回のように宗門批判の特集を組んでいたし、それとは別にネット上での暗躍も相当だった。いわゆるフェイクという謀略情報紙が有名だが、他にも違った名前の謀略サイトが複数存在したと思う。

何しろ戦力がケタ違いなのである。ゆえに宗門側は防戦一方を強いられていた。わたくしにはそのような印象がある。そしてすでに述べたように樋田氏の台頭でそのイメージが一変した。

そもそもである。

破門以前の状況を端的にあらわしていたのが、正宗寺院を取り巻く街の景観である。わたくしの居住地域には、寺院の密集している場所がある。これは行政のほうで街の再開発の折、地域に点在していた寺院を一箇所に集めたためなのだろう。つまり、それらは歴史的に由緒のある寺院でもなければ、観光のために人が集まってくるような寺院でもなかった。純粋に葬儀法要だけを行なう、どこにでもあるような寺院である。

この場所を寺町と呼ぶことにしよう。寺町はひっそりとしているが、時たま賑やかになることがある。それは葬儀法要がある時だ。特に著名人が亡くなったりすると大勢の会葬者で賑わう。もっとも最近は身内だけのこじんまりとした葬儀が流行っているので、寺町はいつ行っても閑静である。

そうした寺町の中で異彩を放っていたのがかつての正宗寺院だった。

葬儀法要ともなれば喪服を着るのが普通であるからして、他の寺院への参詣者はたいていが黒い格好の人たちばかりだった。ところが正宗寺院は普段着の格好で出入りしている人がたくさんいるのである。しかもである。その周辺には仏壇屋が軒を連ねており、わたくしの記憶が正しければ最盛期には四軒あったと思う。

ちなみに今は一軒もない。

ここまでの記述でかなり雰囲気が伝わったのではないかと思う。かつての正宗寺院には創価学会員が出入りしていた。しかもかつての創価学会は入会がイコールで日蓮正宗への入信を意味したのである。つまり、創価学会員は必ず正宗寺院に行き、そこで御授戒を受けていたわけである。そして今はどうか知らないが、たいていの場合はそこで御本尊の下付が行なわれる。当然、御本尊を安置するための仏壇が必要になる。寺院を出れば目の前には仏壇屋がある。

今は一軒もないと書いたが、その理由は説明するまでもないだろう。商売にならないからである。

これまたわたくしの記憶が正しければ、四軒あった仏壇屋の中で真っ先に撤退したのは創価学会系の資本が入っていると思しき店舗である。四軒のうち二軒がそうだったかもしれない。残りの二軒中の一軒は総本山富士大石寺御用達の額を掲げる店だったが、商売にならなかったのだろう、しばらくは頑張っていたものの、やはり撤退してしまった。最後まで残ったのは地元の小さな仏壇屋だった。先の三つに比べれば本当に小さな店だった。それでも折伏大行進時代にはお零れをもらうような感じで、商売になっていたのだろう。結局、そこの店主にしてみれば今さら商売替えをするわけにも行かず、そのまま頑張るしかなかったのだと思う。平成十年ごろまで店を構えていた。

ちなみに今は創価学会の会館前に仏壇屋がある。しかし、二軒も三軒も並んでいるところはなさそうである。もはや爆発的な会員増加は見込めないということだろう。

あれから二十年、正宗寺院を取り巻く環境は激変した。当時の盛況を知る人はもう少ないかもしれない。

2018/4/12

ゴウマン  
マイケル氏の、手のひらを反す、笑止千万、という批判はどうかと思う。いわゆる安全神話が崩壊したわけである。その厳然たる事実を見て方向転換をすることは、それほど悪いことではあるまい。

これは主に法華講員に対してクギを刺す意味で繰り返し言っていることだが、浅井先生がかつて原発容認だったことを捉えて変節だの何だのと言うことは、およそ筋違いの批判である。批判すべきは教義上の問題だろう。そこに変節と思しきものがあれば、大いに批判したらよろしい。

ちなみに民主党(民進党)の政策についてはもう少し大局的に見るべきであって、先ほどの原発の是非のようないわば個別の案件については変更があっても構わない。ようは政治理念として一貫したものがハッキリせず、いつまでも寄り合い所帯のようなテイタラクだったことが問題なのである。ゆえに昨秋の衆院選を前にして分裂してしまったわけなのだ。

さて、顕正新聞の続きである。

とは言え、いつの新聞だかわからないだろうから、改めて号数を書いておくと、第1434号である。二月度総幹部会の模様を伝えるものだ。その中で創価学会から移籍してきた人が三人ほど登壇している。

「御書の意味は個人の解釈に留まる」

これは女子部員の折伏で入会してきた年配の男性が、創価学会時代のことを語るくだりである。創価学会の幹部が発したと思しきセリフだが、まったく意味不明である。わかる人がいたら教えてほしいくらいだ。

彼は昨年四月に女子部から折伏を受けて八月に入会した。この間の経緯を語るくだりに次の文章がある。

極限の大謗法を犯した事実を知って驚愕・・・

そもそも彼が創価学会に入ったのは平成十年のことである。なるほど、と思った。この頃はすでに宗門と袂を分かっていた。ゆえに古くからの会員はまだしも、新しい人たちは戒壇の大御本尊のことをまったく教わっていないのである。つまりは極限の大謗法についての認識がまったくないわけなのだ。

婦人部兵庫支区班長は創価学会の家に生まれたそうで、正本堂建設当時は小学生だったらしい。そして塾に通うバス代を節約して御供養に充てたという。

お金持ちの子女というイメージである。

昭和四十年代の話である。小学生が塾に通うのはめずらしかったのではないかと思う。しかもバスで通ったとすればなおさらだ。

私が学会の地区リーダーをしていたとき、御供養として持ち込まれた現金を数えたことがあり、それはもの凄い金額であった・・・

わたくしが注目したのはこの部分である。創価学会の御供養は銀行振り込みだと何かで読んだことがあるのだが、違うのだろうか?

ようするに中間の幹部がネコババしてしまうようなことが頻発したらしく、それを防止するために銀行振り込みにしたという話なのだ。
確かに百人分だとか千人分を取り集める立場であれば、ちょろまかすことは簡単かもしれない。例えば百十人だとか千百人から集金しておいて、上納する時に人数を過少に申告すれば、十人分だとか百人分を丸儲けできてしまう。
それこそ折伏大行進の時代においては、次から次へと新しい人が入ってくるので会員数の掌握も難しかっただろう。幹部はやりたい放題だったかもしれない。

しかし、この話は顕正会にも当てはまるかもしれない。御供養については聞いたことがないけれども、幹部が金銭絡みのトラブルを起こして除名になったというような話は実際にあったようだ。

 神戸市長田区・須磨区には「学会団地」と称される団地がいくつもあり、その自治会長は必ず学会員です。

学会団地と称しているのは誰だろうか? 一般の人たちがそのように呼んでいるのだろうか?

どこの地域でも自治会の役員はやりたがらないものである。もし創価学会員が進んでその役を買って出ているのだとすれば、それは立派なことかもしれない。何しろ顕正会員の場合は御奉公が最優先であり、そのためには仕事すらも犠牲にするような雰囲気がなきにしもあらずだからである。

池田大作の傲慢な態度に学会を脱会
 広告文に目が釘づけ 入会願い出る


男子部の紹介で入会した六十九歳の女性である。平成元年に創価学会を脱会したそうで、それから三十年ほど宗教とは無縁の生活を送っていたという。

わたくしがやや不審に思ったのは、なぜに宗門へ移籍しなかったのか、である。

彼女と創価学会との縁は昭和二十九年に遡る。当時は六歳、母親がこの時に創価学会に入信したそうだ。それ以来、平成元年まで在籍していたことになる。当然、大石寺への参詣も幾度となく経験していることだろう。ゆえに創価学会に見切りをつけたとしても、日蓮正宗への信仰を捨てる必要はなかったはずなのだ。

この辺のことは、いわば彼女の半生を語るにおいて、短い紙面では語り尽くせないさまざまの出来事があったのだろう。

ゆえにそれとは別の視点から書くわけだが、わたくしの見聞によれば戸田城聖氏の下で頑張っていた人たちの中には池田大作氏の会長就任を機に組織を離れた人が少なからずいたそうである。たぶん上のほうでは一種の権力闘争のようなことがあって、それに敗れた人たちが去っていったのだろうと思われる。また、末端においては戸田氏への尊崇が強いがために、池田氏を受け入れ難かったということなのかもしれない。

もっともこれは全体から見れば、ごく一部の動きだったのだろう。なぜならばその後の創価学会の大発展は、誰にも否定できない事実だからだ。

2018/4/11

ヒキン  
基地問題に関して顕正会はあまり深入りしていない印象がある。基本的に政治上の個別の施策については深入りしないのが顕正会の立場であり、いわゆる国立戒壇建立が仏法上の重大案件であると同時に政治案件でもあるという理由から、政治に口出ししているわけである。
ゆえに国立戒壇が建立されれば日本ないし世界が仏国となるとの主張を続けるものの、そうした理想的な社会が現出した後において軍事力は必要ないのか、もっと卑近なことを言えば警察はいらないのか、というような具体的なことについては明言を避けているフシがあるのだ。
一頃は原発問題にずいぶんと熱心だった。これはいちおうもっともらしい理屈があって、大聖人の本国土を汚してなるものかという意味から、放射能汚染の問題が付きまとう原発に対しては強く忌避の態度を示していたわけである。

ただし、これらはすべて浅井先生の見識に委ねられているわけであって、言葉を換えれば浅井先生の興味関心の趣くままに移ろうものなのだ。ゆえにご存知のごとく、ここ一年くらいは安倍政権への批判に話題が集中している有り様である。もちろん時事問題としてはひじょうにタイムリーであり、当然、浅井先生もそうした話題を選んで取り上げているわけなのだが・・・

しかし、冒頭の基地問題云々と同様であって、安倍政権打倒の目標を掲げるものの、現実的な意味での対案は存在しないのである。ゆえに、結局のところは誰が首相になろうが同じであって、浅井先生としてはイチャモンをつける以外になすすべがないわけである。

さて、日本人の圧倒的多数が無宗教かもしくは他の信仰をしている現在の状況からすれば、日本国全体にその謗法の害毒があらわれるはずだとの指摘については、まず手始めに大聖人の時代を検証する必要があるだろう。

正嘉元年・・・同二年・・・同三年・・・正元元年・・・同二年・・・

安国論御勘由来の冒頭を思いっきり端折って引用すると、上掲のごとくなる。ここには大地震、大風、大飢饉、大疫病などが列記されている。これらの根本原因についての大聖人の御見解は、まさに日本国中が謗法で覆われており、その謗法の害毒が天変地異をもたらしたのだと、そのように仰せである。

問題はこれらの事象が空前絶後のことなのかどうかである。客観的なデータがあればいいのだが、わたくしにはそれらを調べることも困難だし、かつまたデータを得たとしても正しい判断を下せる自信がない。

ゆえに何とも言えないわけだが、無責任なことを言えば、世界中を探せばもっと激烈な天変地異が他に存在するかもしれないのだ。するとそれは仏法上の説明がつかなくなる。

さて、話を現代に戻そう。

顕正会の場合は何事も大袈裟に言う傾向がある。ここでは具体例を省略するが、これまでにもたくさん指摘してきたことなので、拙ブログの愛読者ならば察しがつくだろう。ともかく悲惨な事件・事故・災害が日常茶飯事なのは事実だろう。ただし、それが今の時代だけ極端に突出しているのかと問われれば、わたくしは違うと思っている。

ここまで来ると、だったら謗法の害毒とは何なのか、そんなものは迷信なのではないか、ということになりそうである。

今のわたくしには明快な答えを出せないけれども、一つだけ大聖人の御指南を引用させていただくことにする。

謗法はあれどもあらわす人なければ国もをだやかなるににたり。

何を隠そう、これは顕正会でも言っていることである。ようするに二百万を達成して本格的な一国諫暁を行なえば、そこで国家的な大現証があらわれてくるのだそうである。その個人バージョンみたいなものが、先日の会員氏のコメントにも反映されていた。何やら怨嫉者のリーダー格の人が即死したらしく、それを法華の現罰だと言いたかったようなのだ。ゆえに今は個人レベルでのそうした現証に止まっているが、いずれは国家レベルで次々に大きな現証が出てきて、そこでようやく気づくのだそうである。大聖人の仏法を立てなければいけないと。

顕正会のシナリオ通りに事が運ぶかどうかはわからない。ただし、上掲のごとく、大聖人の御指南に基づいて言っているわけだから、顕正会そのものが正しいか間違っているかは別にしても、この考え方そのものは合っているわけなのだろう。

ところで安倍政権もかなり危なくなってきた。このところの朝日新聞のスクープで次々にウソが露見してきた格好である。

これも原理としては大聖人の御指南が当てはまるのかもしれない。モリカケ問題はすでに一年以上も続いているわけだが、一時はウヤムヤのまま終わる気配を見せていたものの、ここに来て急展開を見せている。顕正会としても特集号を連発して頑張っていたので、溜飲の下がる思いかもしれない。

ただし、安倍政権が終わっても顕正会の戦いは終わらない。

2018/4/10

ミビイキ  
引き続き顕正新聞の続きを見ていこう。

さまざまな勢力に翻弄される沖縄県民を開目させるべく・・・

第八男子部長の記事から拾った。さまざまな勢力とは何かが気になるところである。ごく単純に二分化すれば、基地問題に対する立場の違いだろう。賛成派と反対派がしのぎを削っている。その最前線が沖縄なのだ。それから以前の顕正新聞では沖縄の中国化を云々するような記事が目立った。そうした方向性を志向している勢力があるとすれば、彼らは当然のごとく、米軍基地には反対を唱えるはずである。しかし、また同時に、極右と呼ばれるような者の中には自主防衛を目指している人たちもいるので、彼らもまた米軍基地には反対の立場となるはずである。その意味で沖縄の大半は基地反対のはずなのであるが、何しろ中央政府が安全保障上の問題から米軍基地を必要不可欠としているので、それに追従する人たちもいるわけなのだろう。現実に基地で収入を得ているような人たちもいるだろうし、複雑な構図になっているのは事実である。

そうした中で顕正会の位置付けはどうなるのだろうか?

登壇者は沖縄を救うつもりで上掲のようなことを書いているのだろうが、いつも言っているようにハタから見ればしょせんは顕正会もさまざまな勢力の中の一つに過ぎない。これは沖縄だけの話ではなく、日本全土を眺めてみても同じだろう。

「臨終の相が変わったのが不思議」
 眼前の証拠を見て故人の娘が入信


女子部第二百二十二区総班長の記事には、父親の臨終の相が変わったのを目の当たりにして入信する娘さんの話が出てくる。これは凄いことである。こういう事例が次々に出てくるようであれば、大したものだと思う。少し前には医師が臨終の相について云々している記事があったけれども、結局は未入信のままだった。ゆえに医師のような人たちが次々に入信するようになれば、これはもうタダゴトではないだろう。現状では、そこまでは行っていないと思う。

それまで悩まされていた霊的な現象がピタリとなくなり・・・

同じく娘さんの話である。入信後の体験を紹介しているわけだ。しかし、そもそも霊的な現象とは何かが気になるところで、その具体的な内容が書かれていないところが少し残念である。

女子部第五十四区総班長はまだ若い。二十代前半と思われるが、なかなかの活躍である。

気が付けば四〇名以上の学会員が入会し・・・

期間が不明であるものの、総班長を拝命してからのことらしいので、目覚ましい活躍である。もし仮に入信より今日に至るまでの成果だとしても凄いことだろう。何しろ二十代前半の若さなのだ。

 一方、今法戦は邪教からの入信も多く、神慈秀明会や霊友会、キリスト教を長年信仰してきた人たちが、広告文で次々と開目しております。

かつての顕正会の折伏は、学校の名簿を使って片っ端から電話をしていくものだった。しかし、その方法には限界があって、一つには反対勢力からの妨害なのかもしれないが、〇〇から電話でヘンな宗教の勧誘があるから気をつけろ、というような連絡を先手で打たれてしまうと、そこで行き詰ってしまうのである。また、仮にそのような妨害がなくても、いずれは対象者が尽きてしまうのだ。

ところが今は広告文を使って、見ず知らずの人であっても片っ端から声を掛けていく。おそらくは彼女もこの方法で成果を上げているのだろう。

さて、次の婦人部豊島支区組長の記事が注目である。

学会員として「本門寺改称」を耳にした
 大陰謀を砕かれた先生に畏敬の念


彼女は昭和六十年に創価学会に入ったそうで、顕正会へは平成七年に移籍したという。ゆえに今となっては顕正会の在籍期間のほうが長いわけだが、遥か昔の話を次のごとく述懐している。

 平成に入ったころ、学会男子部長が経営する美容室に行った際
 「凄いことが起きますよ。大石寺が本門寺になるのですよ」と言われましたが、そのときは何のことだか理解できずにおりました。


当然、本門寺改称の陰謀など、露ほども知らないだろうから、言っている意味が理解できないのも当然である。

 また、平成二年十月十二日の大石寺開創七百年慶讃法要の少し後に同時放映で行われた学会本部幹部会で、池田大作が
 「あいつが悪いんだ、あいつが言わなかったからだ」
 と何回も怒鳴っていたことを、いまでもハッキリと覚えています。


これは興味深い。もしその音源が残っていれば聴いてみたいものである。

 そのとき池田大作は、誰が何を言わなかったのかには触れませんでしたが、私は学会男子部長から「本門寺」のことを聞いていたので、阿部日顕が本門寺改称をしなかったことだとわかりました。

むしろわたくしにはまったくわからない話である。まさか話をでっち上げているわけではないだろうが、記憶そのものに錯覚があるのではないかと思う。ようは顕正会に来て本門寺改称の陰謀云々を聞いて、そこでようやく池田発言の真意がわかったのではないかと、そのように考えるのが自然である。

 余談ですが、その後、学会では会館の仏間の入口に阿部日顕の似顔絵が描かれた敷物を敷いて、踏み絵のように会員に踏ませたり(笑)、膨らませた紙袋に「日顕」と書き、手で割ったりしていました(大笑)。

今もやっているのだろうか?

 先日、その美容室を訪問すると、学会幹部の店長が・・・

当然、前述の美容室だろう。学会幹部と学会男子部長は同一人物と思われる。三十年前は男子部だったが、今はとっくに男子部を卒業しているわけなのだろう。また、彼女はすでに創価学会を離れているわけだから、くだんの店長が創価学会の中でどのような役職なのか知らなくて当然である。ゆえに単に学会幹部と書いたのだろう。

登壇者の意図とはまったく別のことを書こう。わたくしが思ったのは、なかなか大した美容室ではないか、ということである。三十年前も店長で今も店長ということは繁盛している証拠である。これが雇われ店長ならばどうかと思うところだが、彼は若くして店を持ったわけなのだろう。最初ほうの引用の中に経営者である旨の記述がある。三十年ないしそれ以上の期間、自分の腕一つで店を切り盛りしてきた。これは立派なことであり、体験発表に値するものだ。

もっとも創価学会に所属していれば、創価学会員のお客さんが来てくれるので、それで盤石だという意味もある。しかし、現実には創価学会員の経営する店でも、潰れているところはたくさんあるはずだ。美容室に限らず、飲食店でも同様である。

そりゃそうだろう。自分がその立場になって考えればわかるはずだ。いくら身びいきするにしたって、そこがベラボウにマズイ店なら、お金を払ってまで食べに行く義理はないはずなのだ。

2018/4/8

ソクブン  
コメント欄が賑わっている。一つには会員氏の存在が大きいのだろう。拙ブログでは久々の顕正会員のお目見えだからである。

さて、わたくしのほうは引き続き顕正新聞から話題を拾ってまいりたい。

新潟男子部長

この肩書きが目を惹いた。今の顕正会には男子部長が数十人もいる。第一第二という具合に、数字で呼んでいるのだが、これではわけがわからない。ゆえに上掲のような地域別表記のほうがいいだろう。ただし、都道府県単位で部長を配置することは、現実的には不可能だ。やりたくてもできない。活動会員が偏在しているからである。現状、鳥取男子部長とか和歌山男子部長など、ほとんどあり得ない。これが今の顕正会の実力である。

 「いま、一回一回の勤行が本当に有難い。浅井先生と同じ時代に生き、先生のもとで広宣流布に戦わせて頂けることが、本当に有難い」

新潟男子部長の記事は闘病の隊幹事にスポットを当てたものである。くだんの人物は顕正会歴三十年。一昨年、脳腫瘍であることがわかった。そして昨年九月に余命半年の宣告を受け、本年二月に亡くなったそうである。そうした過程の中で本人が語った言葉が上掲である。

浅井先生と同じ時代に生きたことを誇りに思うのは、広宣流布が実現することを固く信じているからなのだろう。もし本当に広宣流布が達成されれば、これはもう真面目に活動してきた顕正会員全員が懐くであろう感慨に他ならない。しかし、そうならない公算が高い。それでも彼らは誇りに思うのだろうか?

ところで男子部長だとか婦人部総務などの記事と並んで、平会員の登壇が載せられている。

高知を襲った大魔障により信心を見失ってしまった・・・

彼女は中国・四国大会で登壇しており、上掲からも察せられるように入信はそれなりに古い。ただし、大魔障の時に正信会に移籍してしまったため、いわば一からやり直しをしているわけなのだろう。それで平会員なのだ。

それはともかく、次の記述が注目である。

 一方、退転して反逆した寺田浩三は、その後、入院して寝たきりになった妻の看病で病院に泊まり込んでいたところ、ある日の朝、看護師が病室を訪れると、なんと寺田は誰にも気づかれずに死んでいたことを耳にいたしました。

相変わらずエゲツナイことを書くものである。顕正会員の臨終は美化して書く。一方、敵対者には容赦がない。続きもご覧に入れよう。

 この寺田の、臨終思うようにならず頓死した現証を見るとき、大聖人様の厳然たる賞罰に・・・

わたくしの目が確かならば、寺田氏は浅井先生よりも高齢のはずである。ゆえに亡くなった時期が不明ではあるものの、年齢的には相当かもしれないのだ。奥さんの看病のため泊まり込んでいたということは、奥さんもすでに危篤状態だったのかもしれない。すると奥さんを看取るつもりが自分が先立ってしまったということになりそうである。奥さんも遠からず旅立つことになるのだろう。それほど悪い話ではない。

ちなみに病院には当然ながら当直の看護師がいる。入院患者がたくさんいる病院ならば医師も当直しているはずである。そして一定時間ごとに巡回をする。

この意味で当該記事はやや不審である。まさか話をでっち上げているわけではないだろうが、こうした点も編集部は気をつけるべきである。しょせん仄聞とはそんなものなのだろうけれども、逆に言うと、そうした仄聞程度の不確かな情報を元にして賞罰を云々するのはどうかということなのだ。

今日はこれで終わりにしたい。

2018/4/3

ノケモノ  
マイケル氏のおっしゃる実務に即した云々は、顕正会もそのつもりではあるのだろう。単なる物知りを目指すのではなく、信心のための教学なのだと。あるいは実践の教学というキャッチフレーズもかつては多用されたものだった。折伏や指導のためには一定の教学力が必要だろうし、創価学会員や法華講員を相手にするとなれば、なおさらのことである。

会員氏のコメントには驚いた。

顕正会には秘伝のビデオが複数あるんです。

秘伝は言い様であって、わたくしならば封印されたビデオと言いたいところである。さしずめ、封印された不都合な真実、みたいな感じである。その辺は法華講員などが運営するサイトをご覧になればよくわかるだろう。

さて、今日は顕正新聞第1434号である。二月度総幹部会特集号だ。

まず一面の人事を眺めていると、婦人部総務の一人が第二十六婦人部長を兼任すると書かれていた。いつものごとく前任者が気になるところである。単なる降格か、もしくは組織を離脱したのか、そうしたことは書かれていない。

女子部の第四十二区長も交代である。これまた前任者の消息が不明のままだが、いわゆる折伏法戦の途中で人事交代が行なわれること自体、おかしなことである。普通に考えれば前任者が離脱してしまったのだろう。病気などの理由もなくはないが・・・

会長講演は相変わらずというか、政権批判に相当の力を入れている。

 佐川は栄転
  籠池夫妻は独房


当該講演は二月二十六日のものである。その後の急展開はご存知のごとくだろう。ゆえに三月末に行なわれたであろう総幹部会で、浅井先生がどのような発言をしているのかが注目されるところである。

 すでに約7ヶ月。この間、家族の接見も禁止され、保釈の見込みもないという。

佐川氏のことはさておき、わたくし自身も籠池夫妻のことが気になって仕方がない。そしてイヤミながらも籠池氏のご子息がどうなったのか、聞きたいところである。

なんと、ご子息は顕正会に入信しているのである。しかもいつだったか、総幹部会で登壇もしているのである。

早くも離脱してしまったのだろうか?

 新聞の全面広告も、現在は地方紙だけですが、やがて大手紙といわれる五大新聞も「載せたい」というようになる。

今回はシンプルに、会長講演については上掲で終わりにしよう。そして次に関連する記事を紹介する。

安倍首相のペテンを検証する

異常・執拗な「朝日新聞」叩き!!


法務部長が書いたこの記事は特にツッコミどころがない。さすがは弁護士だけあって、隙のない濃密な文章である。

ただし、彼は若いので、過去のある事実についてはまったく知らないのかもしれない。

平成九年の諫暁書は大手紙も取り扱ったのである。あの時も全面広告が打たれたのだった。ところがである。一社だけには広告が載らなかった。それが朝日新聞なのである。

朝日新聞が掲載を拒否したのではなく、顕正会側が依頼しなかったのだ。いわば朝日新聞だけを除け者にしたのである。

そしてこれは完全なるクチコミ指導であり、そうした記録が残っているものではないことをお断りしておくが、当時、これについて幹部たちは次のごとく言っていたのだった。

浅井先生は朝日新聞がお嫌いなのだと。先生いわく朝日は亡国新聞だと。

これについてはわたくしだけが言っていると心許ないので、どなたかが証言してくれると助かるのだが、平成九年当時、顕正会で活動していた人で上述のことをご記憶の人がいれば、ぜひともコメントをいただきたいものである。

法務部長の記事を単純化すれば、朝日新聞と安倍首相の戦いにおいて、顕正会は朝日の肩を持っていることになるわけだ。浅井先生は朝日が嫌いだったはずなのだが・・・

もちろん物事はすべて是々非々であるからして、好き嫌いは関係ないのかもしれない。

けだし右寄り左寄りのレッテル貼りには意味がないのかもしれない。とは言え、長いこと顕正会を見てきた人であれば、必ず何かしらの変化を感じるはずだと思う。かつての浅井先生はけっこう右寄りだった。ところが近年は左寄りのイメージが強いのだ。もちろん本人はド真ん中のつもりなのだろうけれども、それにしてもかなりイメージが変わったのは事実である。

浅井先生のヘソマガリの性格が出ているとも言えるかもしれない。

今の安倍政権は相当の右寄りであり、おそらくは極右だと評する人もいるに違いない。するとヘソマガリの浅井先生は、その逆を志向するのである。思えばかつて自社さ政権と呼ばれる枠組みがあった。社会党の党首が総理になったことがあるくらいなのである。ゆえに当時の浅井先生はその逆を志向していたとも考えられるのだ。あるいは福田さんの時もそうだ。息子さんのほうの話である。彼はあまり人気がなかった。ゆえに一年ほどで退陣することになるわけだが、わたくしの記憶が正しければ浅井先生は福田さんをあまり批判していないはずである。森さんもそうだった。そしてその時の浅井発言はどこかに残っているだろう。森さんの支持率があまりにも低くて気の毒に思ったのか、自分はヘソマガリだから森頑張れと言いたくなる、というような意味のことを先生は発言したのだった。

話が脱線してしまったようである。

ともかく平成九年の広告の件は、朝日以外の全国紙ないし全国の地方紙に全面広告を打った、ということであり、当時の顕正新聞を調べれば理由はともかく朝日だけを除け者にしたという事実がハッキリとするはずである。

わたくしは秘伝のビデオを一本も持っていないが、今の会員たちが知らないような過去の事実を知っていて、それをこうした機会に書かせていただいているわけである。

ちなみに音源であればカセットテープの形で少しは残してある。もっとも今は押入れの奥深くにしまってあって探し出すのが困難な状況だし、第一、そんなものを引っ張り出してきたところでそれほどの価値はないだろうから、おそらくはこのまま遺品(?)になることだろう。


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