2018/7/8

ダイモウゴ  
まず、日亨上人の表記についてはわたくしのハヤトチリというか、うっかりミスであることを正直に言っておかなければならない。年々、細かい字が読めなくなってきており、また、パソコンの不具合などにより単語登録が消去されてしまったりもして、専門用語を打ち込むのがかなり難儀な仕事になってきている。いずれは入力ソフトの劇的な進歩によって専門用語も当たり前のように変換される時が来るとは思うものの、現時点ではまだそこまでの変換能力を有していないのが実情であるからして、この先、当分は苦労することになるだろう。

さて、気がつけば顕正新聞が溜まりまくっている。

まずは1440号の城衛の発言から取り上げるが、当該号は五月十五日号であることをお断わりしておこう。ボヤボヤしているうちに、早くも二ヶ月が経とうとしている。

先生の諫暁に相呼応する、厳然たる諸天の働きを実感・・・

いよいよ諸天が感応し・・・

前段は安倍政権が崩壊し始めたという意味であり、後段は安倍政権の完全崩壊を予言しているわけである。しかし、すでに七月に突入していることからして、今から急転直下で倒閣が現実化するとは考えられない。すると秋の総裁選が一つのターニングポイントとなるだろう。そこでどのような結果が出るか知らないが、もはやここまで来ると崩壊というイメージからは程遠い感じがする。前々から再三言っているように、すでに安倍政権は日本の憲政史上において有数の長期政権だったことが確定しているわけなのだ。

しかしいよいよ「大妄語の内閣」に大聖人様の鉄槌下るときが来た・・・

今度は副総合婦人部長である。通常、諸天の鉄槌と表記されることが多いが、彼女はめずらしく大聖人の鉄槌と書いている。

 正本堂崩壊、阿部日顕退座の大衝撃を思い起こしては、原理はただ一つ、大聖人様が浅井先生をして諫暁せしめ、諸天をして打ち砕き給う・・・

原理は一つとは言うものの、安倍政権の崩壊がなぜに正本堂崩壊や日顕上人の御退座と並列するのかがわからない。

いままさに浅井先生によって劈かれる!三度目の勝負は浅井先生によって決せられる!

話の流れからすると、やはり正本堂と日顕上人と安倍首相とが並列しているように読めてしまうのだが、よくわからない話である。

大師子吼

まだ言っているのか、懲りない人である。

少し前の話になる。幹部たちの浅井先生に対する讃嘆はエスカレートする一方であり、この大師子吼が連発された時期があった。それを拙ブログでは批判した。会長本仏論そのものではないかと。すると幹部たちは遠慮するようになって、今は師子吼と表記するのが一般である。師子吼もどうかと思うところだが、それを言ったらキリがない。そこでとりあえず大師子吼はダメだろうということを書いたわけである。それを昌子は未だに言い続けているわけである。

そうそう、思い出した。三度目の意味は別だった。神道と仏教との争いを言っているのである。

すなわち日本に仏教が渡来した時に、物部は神道を支持し仏教に反対した。この時、聖徳太子が出現して仏法守護の戦いをしたわけである。明治期には廃仏毀釈の嵐の中、日霑上人が戦った。そして今は三度目であると。神の国を作らんとする安倍政権に対し、浅井先生は仏法守護のために戦っているのだと。

しかし、これもハタから見てどれほどの客観性があるのかが問題である。少なくとも現時点では安倍政権がそこまであからさまに神道復活を推し進めているようには見えない。顕正会で勝手に言っているだけの話である。

平然とウソをつく体質は幼少のときからと伺っては・・・

女子部総務の一人が書いている。ようするに浅井先生がそのように言っていたわけなのだろう。安倍首相のウソツキ体質についてである。しかし、なぜに幼少の時のことまで知っているのか、そこが甚だ疑問である。結局は浅井先生も誰かの受け売りを言っているに過ぎないのだろう。女子部総務はその点をしっかりと踏まえるべきである。

第二十四男子部長は、御殿場駅を拠点にしているタクシー運転手の発言を紹介している。

「法華講員は、御殿場駅からバスで箱根や富士五湖を観光した後、御殿場駅にまた戻り、タクシーに乗り換えて大石寺に登山に行く」

この話は前にも紹介したかもしれない。わたくしの思うに、箱根はともかくも富士五湖に関してはおかしいだろう。御殿場から富士五湖方面に向うのであれば、そのまま朝霧高原経由で大石寺を目指すのが自然である。また、箱根に関してもあえて言わせてもらえば、同じ道を戻ってくるのは芸がない。つまり、御殿場から箱根に登った場合、今度は三島方面に下って富士・富士宮経由で大石寺を目指すのが合理的ではないかと思う。この点、法華講員のほうが遥かに詳しいだろうから、彼らの意見も聞きたいところである。さすがにタクシー運転手がウソを言うとは思えないものの、話としては上述のごとく甚だ不自然である。

そして以前にも言った記憶があるが、主目的さえ見失わないのであれば、御登山の前後に観光したとしてももさほど問題はないはずであり、そこまで堅苦しく考える必要もあるまいというのがわたくしの意見である。

当該号は他にも取り上げたい記事があるのだが、もう終わりにしよう。

一つ書いておくと、高校入学と同時に入信したという若者が三人登壇している。顕正会は若い人が育っていない。これがわたくしの見立てであるが、全体の比率はさておき、こうして顕正新聞に記事が載ることも事実として書いておく必要があるだろう。一人はまだ十八歳かそこらなのに母親の組織に加わっているためなのだろう、婦人部組長の肩書きになっている。うら若き乙女が婦人部員では可哀想だろう。

臨終に関する記事も多いが、ともかく今日はこれで終わりにしたい。


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