2018/7/30

マジメニヤリタマエ  
沖浦氏より返信をたまわっているが、重複になるので簡単に済ませよう。創価学会が謗法容認路線に移行しつつあるのは事実だろう。ようはそれを教義上、どのように正当化するかである。結局、日蓮大聖人の仏法を表看板に掲げている以上は、他宗との融和はあり得ないと考えるのが常識なのである。その意味からして、世間一般のいわゆる創価学会アレルギーみたいなものも無理からぬ話であり、それを解消したいのであれば大聖人の仏法を捨てるしかないだろう。

さて、顕正新聞の続きである。五月度総幹部会の各種登壇を見ていこう。

仏様の御境界とは、寒地獄の中で「あらうれしや」と仰せられる、国家権力も犯すことのできない絶対幸福の大境界・・・

・・・貫首の絶対権威ですら壊わすことのできない、絶対信に立たれたお姿と重なりました。


婦人部都城支区部長の発言は悩ましい。ようするに大聖人の御姿と浅井先生のお姿が重なったと言っているのだ。

浅井先生の師子王心に同心させて頂く・・・

これは男子部第七十一隊支隊長の記事に出てくるわけだが、師子王心が悩ましい。

ところで婦人部蔵王支区総班長の記事には、宮城県で九店舗のスーパーを経営する会長さんの話が出てくる。

 会長に、霊友会に入信したのはいつごろか聞いてみると、まさに「三年前」とのことで、邪教に身を置く罰の凄まじさに身震いしました。

この直前にはスーパーの事務員が二億円横領したことが書かれており、それが三年前の出来事なのだそうである。しかし、短絡的過ぎるのではあるまいかと思う。霊友会は新興宗教の中では老舗である。ゆえに霊友会に入信したことでヨカラヌことが起こるのであれば、霊友会そのものがとっくの昔に潰れていることだろう。功徳と罰の現証論はそれこそ厳正なる判断が求められるところであり、いわゆるプラシーボ効果の問題なども考慮に入れるならば、そう簡単に答えが出せるものではない。つまり、顕正会における功徳なるものも、単なるプラシーボなのかもしれないのだ。

女子部第百九十六区総班長は総合病院に勤務する看護師だそうである。

 そのなか、あるとき行われた医師対象の調査で、「一緒に仕事がしやすい手術室看護師」の箇所で、私の名前が多く挙がり、以来、看護師長からも認められるという功徳を頂きました。

これは立派なことである。この話は彼女が総班長であることから想像されるように、文脈的には病院内でさまざまの怨嫉が起きていたという話の流れである。そうした中で、もっとも実力が問われるであろう手術室において、医師たちから高い評価を受けている点が何よりも素晴らしいことである。どれほど腕のいい医師であっても独りで手術をするわけではない。周りの医療スタッフとの連係プレーが必要である。難しい手術になればなるほど、なおさらだろう。彼女はそのような場で医師たちから信頼されているのだ。素晴らしいの一語である。

女子部百四十七区総班副長の記事は、九十四歳で亡くなった父親の半生を綴るものである。昭和五十五年に入信し、それより三十八年間、信心を貫いたと。名古屋初の自宅拠点を構えていたそうで、次のくだりが印象的である。

 我が家は市営団地でありますが、百名を超す同志でいっぱいになり、三つあるすべての部屋を開放し、靴や荷物は風呂場に置いて対応しておりました。

最大で二百名が集ったこともあるそうだ。異常である。

 宗門の寄生虫の謀略部隊が自宅拠点に来たときには・・・

まあ、しかし、この辺は凄まじい表現である。おそらくは妙観講あたりのことを言っているのだろうけれども、思えば最近の顕正新聞には妙観講の話題が載らないようである。妙観講の活動が不活発だからなのか、そうではなくて顕正会のほうでヤブヘビになるから触れないようにしているのか、その辺はよくわからない。

 まさに三上人の御姿が、御遺命を死守され、御遺命実現に捨身で立たれる先生のお姿と重なり・・・

これは婦人部杉並支区総班長の発言であるが、続きの文章を含めてわたくしなりに解釈すれば、浅井先生こそが大石寺の正統である、と言っているわけなのだろう。

富士大石寺の清き源流は先生のみに流れ、「冨士大石寺」を冠して戦えるのは顕正会のみと、強く思ったものであります。

しかし、わけがわからん。富士と冨士の違いである。何か深い意味があるのか、何の意味もないのか、そこがよくわからないのである。

毎年の暮れには大石寺のそば近くの冷たく堅い石畳に坐され・・・

副総男子部長の記事である。過去に繰り返し書いてきたことだが、これではまるで石畳に直接坐しているように読めてしまう。はたして事実はどうかである。

すなわち仏法が初めて渡来したとき、神と仏の争いで聖徳太子が勝ち、神国が始めて仏国となった・・・

これまた繰り返し書いてきたことだが、初めてと始めての使い分けにどのような法則性があるのだろうか?

ちなみに当該号には本部庭園の四季が二つ掲載されている。一つは紫蘭という花の紹介であるが、もう一つは意味不明のボンヤリとした風景写真である。何をやっておるものかと思う。紙面のスペースを埋め合わせるためのコーナーなのだろうけれども、それとてヤッツケ仕事はダメである。真面目にやり給え。


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