2018/8/4
イキケンコウ
猛暑の中、沖浦氏一人が意気軒高である。
こんな大先輩に勝てるわけないわ・・・・・
若造の俺も頑張るぞ・・・・・・
百歳を超える大先輩をお手本に自分も頑張ると言っているわけだ。こうしたポジティブな姿勢は立派なことである。わたくし自身も見習わないといけないだろう。
そこで顕正新聞第1444号に入ろう。
御書要文拝読
新シリーズと言っていいだろう。浅井先生が日曜勤行に出なくなって久しい。それで顕正新聞の紙面作りも苦労が絶えない。何しろ月三回発行することになっていて、そのため今の状況は常にネタ切れの連続なのである。そこで新たな企画を打ち出してきたわけだ。
しかし、今回の第一面の印象を言うと、御書要文拝読は建前上のトップ記事であって、実質的には法務部特別リポートがメイン記事なのだろうと思う。
森友への国有地不当売却事件 全員不起訴
安倍官邸の圧力に大阪地検特捜部屈伏か!
法務部長の藤村雄大氏が健筆を振るっている。宗教新聞の一面に相応しいかどうかは別にして、それなりに価値のある内容だと思う。具体的な内容については省略するが、ただ一点、どうでもいいようなことを書いておく。
そうであれば
一財務官僚に過ぎない佐川氏らが大規模な公文書改ざんに手を染めた理由も・・・
以前から指摘している不自然な改行問題である。わたくしの文章作法からするとあり得ない改行なのだが、これが近年の顕正新聞ではかなりの高頻度で出現している。この点、現代国語でこれが常識化しているのか、それとも顕正会独自の表記なのかが気になるところである。弁護士の藤村氏が使っているくらいだから、世間一般の常識を逸脱するとは思えないのだが、しかし同時に、彼もしょせんは顕正会チルドレンである、というやや偏見にも似た感想を懐かざるを得ないのも正直なところである。
さて、二面以降は例のごとく登壇記事の羅列である。まずは第五婦人部長の記事から紹介しよう。
そこに思うことは、日目上人が、客殿の窓を開けて遥拝勤行を申し上げてから、草鞋を履いて東北弘通に赴かれたことであります。
これは何を根拠に言っているのだろうか?
この総班長の交通事故による訃報をお耳にされた先生は、勿体なくも上野殿の弟・五郎殿が若くして不慮の水死をされた時・・・
総班長の事故死については後の号にも掲載されているので、また取り上げることになるだろう。それにしても五郎殿の水死は何を根拠に言っているのだろうか?
さて、次は昨年四月に高校入学と同時に入信した男子部第七十八隊班長の記事である。ご両親が顕正会員ということで、その縁で入信したわけだが、ご多分に漏れず学校内で怨嫉が巻き起こってきた。そしてとうとう呼び出しを食らい、総支隊長である父親と共に学校へ向かったという。
ワクワクする思いで・・・
これは凄いことである。当然ながら、ご両親の信心が立派なゆえだろう、彼はその影響を受けて育ったのだ。
また面談の終了後、副校長から、私が無遅刻・無欠席であることや、勉学に励む姿勢が学年内で評価されていることを聞き・・・
ここがポイントだろう。活動に熱心なあまり勉学が疎かになるようでは本末転倒であり、学校側の心証が悪くなるのも当然である。現実にはそのような顕正会員も少なくないのだと思われる。もちろん、これは社会に出ても同じことであり、職場での心証が悪くなるような行為は慎まなければならない。
男子部第百五十一隊班長は前川喜平氏の講演会に行ってきたことを報告しているが、以下は質問会における前川氏の発言だそうである。
「特定の綱目を子供たちに刷り込む。自己抑制や自己犠牲を美徳とし、全体のために自分を殺すということが色濃く出ている」
道徳教育の問題点を云々しているわけなのだろう。そして班長はこれがあたかも安倍政権の陰謀のであるかのように言っているが、わたくし自身は二つほど反論めいたことを書いておきたいと思う。
まず一点目は、昨今は自己中心的な人間が、ようは自分勝手な人間が増えている。その意味では上掲のような教育もあながち捨てたものではないだろうと思う。
そして二点目を書くと、甚だイヤミながらも顕正会の組織そのものが自己抑制や自己犠牲を美徳としている雰囲気があって、広宣流布のためには自分を殺すということが色濃く出ているのではないかと思う。いわゆる死身弘法である。
やや大きな枠組みで言えば、今の自民党に対しては左翼と言われる人たちが徹底的に批判を加えている。では、やがて広宣流布が実現して顕正会が天下を取った暁にはどうなるかであるが、やはり左翼の人たちが顕正会を徹底的に批判するはずである。しょせん顕正会のやっていることも、特定の綱目を子供たちに刷り込む、という同じ理屈が当てはまってしまうことには変わりがないのである。
くだんの班長はこの点をどう考えるのだろうか?
八月六日追記:取り消し線を加えた。猛暑ゆえに、頭が朦朧としている。
こんな大先輩に勝てるわけないわ・・・・・
若造の俺も頑張るぞ・・・・・・
百歳を超える大先輩をお手本に自分も頑張ると言っているわけだ。こうしたポジティブな姿勢は立派なことである。わたくし自身も見習わないといけないだろう。
そこで顕正新聞第1444号に入ろう。
御書要文拝読
新シリーズと言っていいだろう。浅井先生が日曜勤行に出なくなって久しい。それで顕正新聞の紙面作りも苦労が絶えない。何しろ月三回発行することになっていて、そのため今の状況は常にネタ切れの連続なのである。そこで新たな企画を打ち出してきたわけだ。
しかし、今回の第一面の印象を言うと、御書要文拝読は建前上のトップ記事であって、実質的には法務部特別リポートがメイン記事なのだろうと思う。
森友への国有地不当売却事件 全員不起訴
安倍官邸の圧力に大阪地検特捜部屈伏か!
法務部長の藤村雄大氏が健筆を振るっている。宗教新聞の一面に相応しいかどうかは別にして、それなりに価値のある内容だと思う。具体的な内容については省略するが、ただ一点、どうでもいいようなことを書いておく。
そうであれば
一財務官僚に過ぎない佐川氏らが大規模な公文書改ざんに手を染めた理由も・・・
以前から指摘している不自然な改行問題である。わたくしの文章作法からするとあり得ない改行なのだが、これが近年の顕正新聞ではかなりの高頻度で出現している。この点、現代国語でこれが常識化しているのか、それとも顕正会独自の表記なのかが気になるところである。弁護士の藤村氏が使っているくらいだから、世間一般の常識を逸脱するとは思えないのだが、しかし同時に、彼もしょせんは顕正会チルドレンである、というやや偏見にも似た感想を懐かざるを得ないのも正直なところである。
さて、二面以降は例のごとく登壇記事の羅列である。まずは第五婦人部長の記事から紹介しよう。
そこに思うことは、日目上人が、客殿の窓を開けて遥拝勤行を申し上げてから、草鞋を履いて東北弘通に赴かれたことであります。
これは何を根拠に言っているのだろうか?
この総班長の交通事故による訃報をお耳にされた先生は、勿体なくも上野殿の弟・五郎殿が若くして不慮の水死をされた時・・・
総班長の事故死については後の号にも掲載されているので、また取り上げることになるだろう。それにしても五郎殿の水死は何を根拠に言っているのだろうか?
さて、次は昨年四月に高校入学と同時に入信した男子部第七十八隊班長の記事である。ご両親が顕正会員ということで、その縁で入信したわけだが、ご多分に漏れず学校内で怨嫉が巻き起こってきた。そしてとうとう呼び出しを食らい、総支隊長である父親と共に学校へ向かったという。
ワクワクする思いで・・・
これは凄いことである。当然ながら、ご両親の信心が立派なゆえだろう、彼はその影響を受けて育ったのだ。
また面談の終了後、副校長から、私が無遅刻・無欠席であることや、勉学に励む姿勢が学年内で評価されていることを聞き・・・
ここがポイントだろう。活動に熱心なあまり勉学が疎かになるようでは本末転倒であり、学校側の心証が悪くなるのも当然である。現実にはそのような顕正会員も少なくないのだと思われる。もちろん、これは社会に出ても同じことであり、職場での心証が悪くなるような行為は慎まなければならない。
男子部第百五十一隊班長は前川喜平氏の講演会に行ってきたことを報告しているが、以下は質問会における前川氏の発言だそうである。
「特定の綱目を子供たちに刷り込む。自己抑制や自己犠牲を美徳とし、全体のために自分を殺すということが色濃く出ている」
道徳教育の問題点を云々しているわけなのだろう。そして班長はこれがあたかも安倍政権の陰謀のであるかのように言っているが、わたくし自身は二つほど反論めいたことを書いておきたいと思う。
まず一点目は、昨今は自己中心的な人間が、ようは自分勝手な人間が増えている。その意味では上掲のような教育もあながち捨てたものではないだろうと思う。
そして二点目を書くと、甚だイヤミながらも顕正会の組織そのものが自己抑制や自己犠牲を美徳としている雰囲気があって、広宣流布のためには自分を殺すということが色濃く出ているのではないかと思う。いわゆる死身弘法である。
やや大きな枠組みで言えば、今の自民党に対しては左翼と言われる人たちが徹底的に批判を加えている。では、やがて広宣流布が実現して顕正会が天下を取った暁にはどうなるかであるが、やはり左翼の人たちが顕正会を徹底的に批判するはずである。しょせん顕正会のやっていることも、特定の綱目を子供たちに刷り込む、という同じ理屈が当てはまってしまうことには変わりがないのである。
くだんの班長はこの点をどう考えるのだろうか?
八月六日追記:取り消し線を加えた。猛暑ゆえに、頭が朦朧としている。