2018/8/29

ダイニノフシギ  
今朝の大沢氏のコメントはご自身の苦い思い出を語るものだった。いろいろなタイプの人間がいるので、当てはまらない人もいるかもしれない。しかし、わたくし自身は共感・共鳴する部分が少なくなかったし、ひじょうに考えさせられる内容だった。さて、沖浦氏はどのように読んだだろうか?

今日も二百万達成記念総幹部会の話題である。まずは会長講演だ。

日蓮大聖人の御遺命とは何か

これを一言で言ってしまうならば、本門戒壇の建立、ということになる。そして浅井先生は御遺命の本門戒壇について、次のようにまとめている。

広宣流布の時に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される戒壇・・・

もしかしたら初出かもしれない。いや、もちろん、似たような発言はたくさんある。しかし、上掲で特筆すべきは、「国立戒壇」とは書かず、単に「戒壇」と書いている点である。この点が初出だろうと思われるのだ。

続きの文章を読めば一目瞭然なのだが、ようするに国家意志の表明と国立が同義だと言っているわけである。ゆえに国家意志の表明云々に続いて国立戒壇と書いてしまうと、重複表現になるということなのだろう。つまり、文章として美的ではないし、簡潔を旨とする浅井先生らしからぬ表現なのだ。

それにしても今頃になって改めるのもどうかと思うところで、逆に言うと、今まではそれほどまでに国立戒壇という表現に固執していたことになるだろう。

 このとき以来、私は一切の敬称を用いず、「細井日達」と呼ぶことにした。御遺命の敵に敬称を付けたのでは、大聖人様に申しわけない。

話が飛んで恐縮だが、解散処分以降のことである。しかし、すでに多くの人が承知しているように、このくだりは大ウソである。しかもバレバレのウソなのだ。なぜにこのような改竄をするのだろうか? まるで歴史修正主義者である。

もう少し正直な書き方も可能なはずである。

今までは日達上人とお呼びしていた。しかし、このとき以来、上人とは呼ばないことにした。これ以降は細井管長と呼んでいた。いずれ御遺命守護完結の暁には再び日達上人とお呼びするつもりだった。ところが宗門はいつまでも御遺命に背き続けている。思えばその元凶は細井管長なのである。ゆえに後年、顕正会では細井管長という呼称すら取りやめて、細井日達と呼び捨てするに至ったわけである。

これならばウソにはならないはずである。

ちなみに上述はいちおう顕正会側に立って整合性の高い説明をするならばこうだという見本を示したまでであり、わたくしの意見はまったく異なる。わたくしは今でも日達上人とお呼びするべきだと思うし、まあ、最低ラインとして細井管長がギリギリのところだと思う。今さらどうにもならないようだが、浅井先生が歴史修正主義者ならば思い切ってもう一度百八十度ひっくり返すのもアリである。それが最後の仕事だろう。

 私が「正本堂を撤去せよ」と阿部日顕に諫暁書で迫ったとき、宗門の僧侶たちは「そんなことは絶対にあり得ない」と嘲笑していた。

浅井先生の自慢話である。ただ、これはイヤミではなく、自慢していい話だと思う。なぜならばわたくし自身が無理だと思っていたからである。いわゆる平成二年の諫暁書には正本堂を撤去せよと書かれている。当時のわたくしは今とは違って、いちおう顕正会員として顕正会員的な思考で凝り固まっていたのだ。それでもなお、さすがに正本堂の撤去は無理だろう、と思っていたのである。

 やがて顕正会は必ず三百万、五百万、一千万、六千万となる。

累計ではそうなるかもしれない。問題は実数だろう。

もう入信勤行が間に合わないような時が来る。

すでに何度も書いているが、百万の時にも言っていたことである。百万達成以降は加速度が付いてきて、会館前には入信勤行待ちの長蛇の列ができると。

本気でそう思っているのだろうか? 単なるホラ吹きなのだろうか?

一つ言えることは、だったら先行投資として会館建設をもっと進めるべきだろう。最低でも会館のない県に建てておく必要がある。入信勤行が間に合わないのはインフラ整備の問題である。近い将来、入信勤行ラッシュが必ず起こるのであれば、その確信があるのであれば、前もって建てておくべきだろう。


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