2018/10/14

カケアシ  
沖浦氏は早起きである。今朝は五時前に投稿している。かく言うわたくしも今朝は七時前から書き始めている。九時前には公開することになるだろう。

顕正新聞第1450号は郡山新本館の入仏式を報じている。その時の会長講演が二面から四面にかけて掲載されているので、今日はそれを取り上げたい。

羅什三蔵は、釈尊が霊鷲山において法華経を説法したときに聴聞していた諸菩薩の中の一人であった。ゆえに間違いがないのです。

この前後のくだりはひじょうに興味深いところだが、そもそも上掲は何を根拠に言っているのだろうか? 諸菩薩の一人であるとすると、具体的には何菩薩だったのだろうか?

不勉強ゆえか、わたくしには思い当たらない。

 「御扉が開かないので、きょうの御開扉はやめます。御開扉料は返します」などと、芝居小屋のオヤジみたいなことを言った(笑)。

これは平成十七年十一月七日の出来事だそうである。

顕正会ではこの前年の秋ごろから宗門攻撃を激化させ、挙句の果てには日顕上人へ対決を申し入れる挙に出た。そして上掲の出来事があって、その翌月十五日、日顕上人は退座されるのである。確か創価学会あたりが言っていて顕正会もマネをしたのだと思うが、上人の御退座について、当時、逃座などと揶揄していた。

御開扉の件は、遠路はるばる参詣された人たちにとっては残念な結果であるものの、それで永遠に御開扉ができなくなったわけではないのだから、レアな体験という意味では良き思い出だろう。これを顕正会では因縁めいた話に仕立て上げているが、しょせん機械は壊れるものである。ゆえに何の不思議もない。その意味では日常の保守点検に問題があったのだろうと想像される。

想像を逞しくすれば、戒壇の大御本尊は秘仏にてましますゆえに外部の業者に保守点検を委託することをしなかった、おそらくは機械オンチであろう僧侶たちが保守点検を行なっていた、というような背景があったのかもしれない。

 貫首の権威は絶対ですよ。なぜ絶対か。御相承を頂いているからです。私たちには口出しもできないことになっている。

自爆発言である。ならばなぜに御相承の断絶を言ったのかである。この自己矛盾をどのように説明するつもりだろうか?

 顕正会は何百万になっても、世俗の名利は求めない、権力は求めない。右翼でもなければ左翼でもない。

あえてイヤミを言えば、その何百万とやらがマヤカシの数字だから求めようにも求められないわけなのだろう。ようするに名目数ではなく実数であれば大変な実力組織と見なされるわけであり、文字通りの不求自得となるはずなのだ。

また、右翼左翼云々は顕正会ウォッチャーたちの目を気にしてのことかもしれない。

何度も書いているような気がするが、かつての浅井先生は右寄りの印象が強かった。ところがである。原発問題に傾注するようになってからは左寄りの印象が強くなったと見られているのだ。

ただ、これもどこかで書いたことのように思うのだが、浅井先生は常に反権力であり、今の安倍政権に対してもかなり激烈な批判を展開している。一般的にも安倍政権は極右政権だと見られているわけで、そうするとその反対の立場を取れば必然的に左翼と見られてしまうことになるだろう。

いずれにしても、右だろうが左だろうが本人はドマンナカだと思っている場合が多く、これを中道と呼ぶわけなのだろう。

ついでにご存知の人がいればご教示願いたいのだが、この中道は公明党が盛んに言っていていつの間にか他の政党などでも使うようになったものなのか、それとも以前から政治用語として存在していたものなのか、はたしてどちらなのだろうか?

 遥拝勤行においては、三具足すなわち、お水・燭台・お樒は省略していいです。

これは間違いである。すでに法華講員のブログなどで指摘されているのだが、その後、顕正会では訂正を行なったのだろうか?

ちなみに「南無日蓮大聖人」の九十三ページには厳かな写真が掲載されており、次のような説明が付けられている。

大聖人が祈雨に用いられた三具足(大石寺蔵)

一般的な呼称を用いれば左から順に、花立・香炉・燭台、となるだろうか?

話を戻して、会長講演では経机のことを云々するくだりで三具足の話が出てきた。ようは経机の推進である。

 経机は仏具屋で買うとたいへん高い。顕正会で作らせた経机がある。一つ八千円だそうです。

これも法華講員のブログなどで批判が上がっていたと思う。八千円は高いと。

わたくしはまったく別の角度から言いたいと思う。高いとか安いとか言っていること自体がナンセンスであると。むしろ謗法に厳格な顕正会ならば、一般の仏具屋さんで購入するのはイヤでしょう、だから顕正会専用のを作りました、それを使いましょう、というような説明が相応しいのではと思う。一般人の感覚でも縁起物にはカネを惜しまない。こういう考え方があるわけだから、高い安いを言っているのがどうかしているのである。

 やがて三百万、五百万、一千万、六千万の人々が、直接、戒壇の大御本尊様に向かい、南無妙法蓮華経と唱え奉るようになる。

実にイミシンだ。直接の語が何を意味するのか、そこが問題である。

真面目な経済学者はみな、オリンピック前後と言っております。

例の国家破産の話だ。経済学者の意見を借りてはいるものの、これは浅井先生の予言と見なしていいだろう。

 もう、入信勤行が間に合わない、そのような儀式をしている暇がない。

いよいよ広宣流布に加速度が付いてきて入信勤行が間に合わなくなるとの予言である。

ここにはじゃっかんの欺瞞が隠されている。近年、会館建設構想が鈍化している。未だに無会館県も存在する。もし自分の予言が正しいと確信しているのならば、どんどん会館を建てるべきだろう。

いやいや、建ててはいけない。活動会員たちが苦しむだけだからだ。わたくしは浅井先生の欺瞞を指摘しているのである。


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