2019/1/28
オノノク
マイケル氏から質問をたまわった。以下がそれである。
顕正会に縁をされる「以前」は、どういった宗派に属されていたんですか?
浄土宗とか浄土真宗、真言宗、日連宗といった伝統宗派ですか?
宜しければ是非、何がきっかけで顕正会に縁をされるようになったのか、お聞かせ願えましたら幸いです。
勿論、個人情報が洩れない範囲でお願いします。
ここでお答えすることには躊躇がある。もしどうしても知りたいのであれば対面の上でお話しさせていただこうかと思う。もっともそれを聞いたところでほとんど価値はないし、逆にガッカリするだけのことかもしれない。
さて、顕正新聞の話題である。
一面の年頭の辞に続いて、二面には各部代表の年頭決意が掲載されている。しかし、ありきたりの内容であって、特に取り上げるべきところは見当たらない。そして三面からは十二月度総幹部会の各種登壇が掲載されている。もちろん筆頭は会長講演である。
学会の「顕正会対策」
ご覧のような小見出しがある。これは後に紹介する男子部総務の登壇を受けて、浅井先生が冗談まじりに言及している一段である。
「顕正会は、教学において勝れているので(笑)、仏法対話は絶対行わない」
創価学会には顕正会対策のマニュアルがあるらしい。その中に上掲の記述があるそうだ。
とにかく、学会はもう防戦一方で、顕正会員と話をすることさえ禁じているのです。これはもう、自分たちが間違っていることを自ら認めているのです。
だそうである。
国難元年を想起せよ
昨日も同様の話題を取り上げた。ぜひとも顕正会員の見解を聞きたいものである。
このゆえに私は、学会が戒壇の大御本尊を捨て奉った平成二六年(二〇一四年)を国難元年と名づけ・・・
時系列がデタラメである。それともわたくしのほうに何か重大な錯覚があるのだろうか?
三者各部の組織の立て分け
この一段が興味深い。煩瑣ではあるが引用しよう。
最近は、折伏が大規模に進むに伴い、女子部・婦人部の折伏で男性が入信・入会し、そのまま女子部・婦人部の組織の中で活躍している姿が多く見られる。また男子部の折伏で入信した女性が、同じく男子部の中で御奉公している姿も多く見られる。
浅井先生はこれを大いに結構なことだといちおうは認めつつも弊害もあるとして、次のような方針を打ち出した。
そこで、婦人部・女子部で入信した男性は、なるべく早く男子部に移籍させてほしいのです。同じように男子部でも、入信した女性は女子部あるいは婦人部に移籍させてほしい。
おそらく比率的には女子部・婦人部の紹介で入信する男性のほうが圧倒的に多いのだろう。そして成果に追われまくっている現状では移籍などと悠長なことは言っていられない。そしてこの現状は女子部・婦人部のほうが有利であることを意味するのだ。浅井先生としては男子部を贔屓するのではなく、組織としてのバランスを保つために今回の方針を打ち出したのだと思われる。
いつまでに、という期限は設けませんが・・・
悩ましいところだ。期限を設けるのも一つの有力手段である。ようするに期限を設けないと結局は元のモクアミになりかねないわけで、それでは方針の意味がないことになる。
統一的存在
唐突な引用で恐縮だが、これも会長講演の中に出てくる言葉である。ここでは詳述しないものの、わたくしの記憶が確かならばこれまであまり使われていないフレーズのように思う。
高橋学教授の警告
そして今度は地震の話題である。くだんの立命館大学教授は南海トラフ地震研究の第一人者だそうである。いわく、一年ないし二年後に起こる、と。
昨年の十二月十五日時点での発言らしい。
教授の見解では本年ないし来年には起きるわけであり、その時の甚大なる被害についても言及している。ここでは一つだけ紹介しよう。
直撃する大阪は、揺れに加えて、津波で繁華街はすべて水没します。
東日本大震災では東北地方の太平洋沿岸部が悉く水没した。その凄まじさは動画サイトの各種映像を見れば誰もがオノノクところである。それが大阪で再現されると言っているわけなのだ。
だが、しかし、浅井先生が絡むと地震が起きない。よって、高橋教授の予測は外れる可能性が高い。
顕正会の前進が諸天に遅れたら、大聖人様に申しわけない。
わたくしはこの発言が気に食わない。理屈は言わない。ともかく気に食わない。
さあ、早く三百万を成し遂げ、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
これが当該講演の締め括りの言葉である。そして前後するが、講演の前半のほうには次のごとくある。
いま二百万を達成して思うことは、広告文の配布はすでに三千二百万部に及び・・・
これがもし三百万になったら、どれほどの大きな反応が一国に起きるのかと思えば、胸躍る思いであります。
三百万の時には、これがもし五百万になったら云々と、そして五百万の時には、これがもし一千万になったら云々と、わたくしにはこの繰り返しのようにしか思えないのだが、いかがだろうか?
顕正会に縁をされる「以前」は、どういった宗派に属されていたんですか?
浄土宗とか浄土真宗、真言宗、日連宗といった伝統宗派ですか?
宜しければ是非、何がきっかけで顕正会に縁をされるようになったのか、お聞かせ願えましたら幸いです。
勿論、個人情報が洩れない範囲でお願いします。
ここでお答えすることには躊躇がある。もしどうしても知りたいのであれば対面の上でお話しさせていただこうかと思う。もっともそれを聞いたところでほとんど価値はないし、逆にガッカリするだけのことかもしれない。
さて、顕正新聞の話題である。
一面の年頭の辞に続いて、二面には各部代表の年頭決意が掲載されている。しかし、ありきたりの内容であって、特に取り上げるべきところは見当たらない。そして三面からは十二月度総幹部会の各種登壇が掲載されている。もちろん筆頭は会長講演である。
学会の「顕正会対策」
ご覧のような小見出しがある。これは後に紹介する男子部総務の登壇を受けて、浅井先生が冗談まじりに言及している一段である。
「顕正会は、教学において勝れているので(笑)、仏法対話は絶対行わない」
創価学会には顕正会対策のマニュアルがあるらしい。その中に上掲の記述があるそうだ。
とにかく、学会はもう防戦一方で、顕正会員と話をすることさえ禁じているのです。これはもう、自分たちが間違っていることを自ら認めているのです。
だそうである。
国難元年を想起せよ
昨日も同様の話題を取り上げた。ぜひとも顕正会員の見解を聞きたいものである。
このゆえに私は、学会が戒壇の大御本尊を捨て奉った平成二六年(二〇一四年)を国難元年と名づけ・・・
時系列がデタラメである。それともわたくしのほうに何か重大な錯覚があるのだろうか?
三者各部の組織の立て分け
この一段が興味深い。煩瑣ではあるが引用しよう。
最近は、折伏が大規模に進むに伴い、女子部・婦人部の折伏で男性が入信・入会し、そのまま女子部・婦人部の組織の中で活躍している姿が多く見られる。また男子部の折伏で入信した女性が、同じく男子部の中で御奉公している姿も多く見られる。
浅井先生はこれを大いに結構なことだといちおうは認めつつも弊害もあるとして、次のような方針を打ち出した。
そこで、婦人部・女子部で入信した男性は、なるべく早く男子部に移籍させてほしいのです。同じように男子部でも、入信した女性は女子部あるいは婦人部に移籍させてほしい。
おそらく比率的には女子部・婦人部の紹介で入信する男性のほうが圧倒的に多いのだろう。そして成果に追われまくっている現状では移籍などと悠長なことは言っていられない。そしてこの現状は女子部・婦人部のほうが有利であることを意味するのだ。浅井先生としては男子部を贔屓するのではなく、組織としてのバランスを保つために今回の方針を打ち出したのだと思われる。
いつまでに、という期限は設けませんが・・・
悩ましいところだ。期限を設けるのも一つの有力手段である。ようするに期限を設けないと結局は元のモクアミになりかねないわけで、それでは方針の意味がないことになる。
統一的存在
唐突な引用で恐縮だが、これも会長講演の中に出てくる言葉である。ここでは詳述しないものの、わたくしの記憶が確かならばこれまであまり使われていないフレーズのように思う。
高橋学教授の警告
そして今度は地震の話題である。くだんの立命館大学教授は南海トラフ地震研究の第一人者だそうである。いわく、一年ないし二年後に起こる、と。
昨年の十二月十五日時点での発言らしい。
教授の見解では本年ないし来年には起きるわけであり、その時の甚大なる被害についても言及している。ここでは一つだけ紹介しよう。
直撃する大阪は、揺れに加えて、津波で繁華街はすべて水没します。
東日本大震災では東北地方の太平洋沿岸部が悉く水没した。その凄まじさは動画サイトの各種映像を見れば誰もがオノノクところである。それが大阪で再現されると言っているわけなのだ。
だが、しかし、浅井先生が絡むと地震が起きない。よって、高橋教授の予測は外れる可能性が高い。
顕正会の前進が諸天に遅れたら、大聖人様に申しわけない。
わたくしはこの発言が気に食わない。理屈は言わない。ともかく気に食わない。
さあ、早く三百万を成し遂げ、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
これが当該講演の締め括りの言葉である。そして前後するが、講演の前半のほうには次のごとくある。
いま二百万を達成して思うことは、広告文の配布はすでに三千二百万部に及び・・・
これがもし三百万になったら、どれほどの大きな反応が一国に起きるのかと思えば、胸躍る思いであります。
三百万の時には、これがもし五百万になったら云々と、そして五百万の時には、これがもし一千万になったら云々と、わたくしにはこの繰り返しのようにしか思えないのだが、いかがだろうか?
2019/1/27
ムカデ
顕正新聞新春号を取り上げよう。溜まりに溜まった顕正新聞もかなり片付いてきた。さて当該号、第1462号の第一面には、富士山の写真が掲げられている。
旭日に照らされ全容を顕わさんとする富士山(顕正新聞社写真部・撮影)
以前は個人名が記されていた。もしかしたらその人物、すでに顕正会にはいないのかもしれない。
下段には浅井先生による年頭の辞が載せられている。
平成二六年(二〇一四年)をなぜ「国難元年」と名づけたかのかと言えば――
浅井先生に自覚があるのかどうか知らないが、これはちょっとヘンな話なのである。ようするに平成二十六年の出来事が記されていて、それを理由に国難元年と名づけたと説明しているのである。もしわかっていてそのように書いているとしたら、浅井先生は予言者であり予言が当たったのだと、それを暗に言っているようなものだろう。具体的に紹介しておく。
中国が対米先制核攻撃能力と報復能力を併せ持ち、米国依存している日本の存立を脅かすに至ったのが、この年。
普通なら、これが前年の出来事でなければツジツマが合わない。
また日蓮大聖人の正系門家において、宗門・学会ともに国立戒壇建立の御遺命に背く中、さらに学会が、あろうことか「弘安2年の御本尊は受持の対象にしない」と宣言して、「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉るという極限の大謗法を犯したのが、この年であった。
これもいわゆる時系列の上から矛盾している。
たぶん小学生でもわかる道理だろう。顕正会の人たちはこの道理がわからないのだろうか?
この歓喜の大潮流は、やがて三百万、五百万、一千万、六千万となる。この弘通に呼応して、諸天の誡めも年を逐って激しくなる。
さて、この部分についてはアゲアシ取りの気味があることを承知しつつも書いておきたい。
現状、二百万である。わたくしの考え方からすると、諸天の誡めが事実ならばせいぜい五百万くらいが一つのピークと考えるべきだろう。一千万、六千万を云々するのは浅井先生自らが欺瞞を暴露しているようなものなのだ。
わたくしが顕正会に縁をしたのは二十万になる前のことだった。今からすれば物凄く古い話だが、それでもいわゆる御遺命守護の時代は未経験である。それはさておき、当時は百万が大きな目標であって、幹部たちがよく言っていたことがある。顕正会が百万になれば一国は動くと。
しかし、現実には動かなかった。百万の時の一国諫暁は事実上の失敗に終わった。そして今は二百万を突破しているわけだが、百万の時のトラウマがあるのだろうか、具体的な一国諫暁は行なわないつもりのようである。
話を戻そう。百万で一国が動くと言っていたのは事実であり、その根拠も当時はそれなりの説得力を持っていた。いわく、顕正会の信心の情熱は創価学会の比ではない、十倍百倍の力があるのだ、と。つまり、顕正会員百万人は実質一千万ないし一億の力を有するのだ、と。
創価学会は一千万人ほどの会員を有しており、事実において国政にも影響力を発揮している。なるほど、顕正会員一人ひとりが百人力であれば創価学会を凌駕することは確実であり、一国を動かす力を持つと考えることもそれほど不自然ではない。若かりし頃のわたくしは幹部たちの説明に納得したものだった。
これでよくわかったはずである。もし一千万ないし六千万ともなれば諸天の誡めがあろうとなかろうと関係なく、いわゆる数の論理で押し切ることが可能なのである。つまり、浅井先生は顕正会の会員数に欺瞞があることを承知していて、一千万を達成しようが六千万を達成しようが実数は遥かに少なく、その時になっても諸天の力を借りないとダメだと言っているわけなのである。
世界大恐慌も始まり出した。
これもアゲアシ取りのようであるが言っておきたい。始まり出した、とか、しつつある、というフレーズがインチキ臭いのだ。面倒なので調べてはいないが、浅井先生の発言を調べれば同様のフレーズがたくさん出てくる。結局、いつまで経っても同じなのである。表現的には現在進行形であり、会員に切迫感のようなものを植え付ける作用があると考えられる。もしこれを意図的に多用しているとすれば、とんでもないインチキオヤジということになるだろう。
二〇年代こそ広宣流布の決戦場である。
早く三百万を成し遂げ、大聖人様の御馬前に馳せ参らせようではないか。
すでに何度も取り上げている問題である。上のほうにも書いたように、昨年の二百万達成時には何もしなかった。善意に解釈すれば、二十年代に本格的な諫暁の戦いを起こす予定なので今は助走期間と考えられる。しかし、上掲を読めば今度は三百万を云々しているわけである。すると結局は三百万まで一国諫暁をしないつもりなのかもしれない。
もはや破綻しているとしか言い様がないだろう。
いちおうギリギリの線で考えると、十年以内に三百万を達成すれば二十年代の内に一国諫暁の戦いを起こすことが可能になるわけで、それならば矛盾はない。
しかし、それは過去の発言の数々をすべて帳消しにした上で今現在の発言だけを捉えた時に矛盾はないということであって、結局は矛盾だらけなのである。なぜならば帳消しにはできないからである。例えば、二十五年以内に広宣流布しないと人類は滅亡するとか、一千万をいつまでに達成するとか、その類の発言の数々である。
思えば御遺命守護の戦いは光り輝いていた。今でも御遺命守護の歴史を大事にするのは、それが顕正会の唯一の栄光だからだろう。そして今思い浮かぶ言葉は蛇足である。浅井先生が発言を重ねれば重ねるほど蛇足が増えていく。そして気がつけばムカデのような状態になってしまっているのではないかと、そう思う今日この頃である。
旭日に照らされ全容を顕わさんとする富士山(顕正新聞社写真部・撮影)
以前は個人名が記されていた。もしかしたらその人物、すでに顕正会にはいないのかもしれない。
下段には浅井先生による年頭の辞が載せられている。
平成二六年(二〇一四年)をなぜ「国難元年」と名づけたかのかと言えば――
浅井先生に自覚があるのかどうか知らないが、これはちょっとヘンな話なのである。ようするに平成二十六年の出来事が記されていて、それを理由に国難元年と名づけたと説明しているのである。もしわかっていてそのように書いているとしたら、浅井先生は予言者であり予言が当たったのだと、それを暗に言っているようなものだろう。具体的に紹介しておく。
中国が対米先制核攻撃能力と報復能力を併せ持ち、米国依存している日本の存立を脅かすに至ったのが、この年。
普通なら、これが前年の出来事でなければツジツマが合わない。
また日蓮大聖人の正系門家において、宗門・学会ともに国立戒壇建立の御遺命に背く中、さらに学会が、あろうことか「弘安2年の御本尊は受持の対象にしない」と宣言して、「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉るという極限の大謗法を犯したのが、この年であった。
これもいわゆる時系列の上から矛盾している。
たぶん小学生でもわかる道理だろう。顕正会の人たちはこの道理がわからないのだろうか?
この歓喜の大潮流は、やがて三百万、五百万、一千万、六千万となる。この弘通に呼応して、諸天の誡めも年を逐って激しくなる。
さて、この部分についてはアゲアシ取りの気味があることを承知しつつも書いておきたい。
現状、二百万である。わたくしの考え方からすると、諸天の誡めが事実ならばせいぜい五百万くらいが一つのピークと考えるべきだろう。一千万、六千万を云々するのは浅井先生自らが欺瞞を暴露しているようなものなのだ。
わたくしが顕正会に縁をしたのは二十万になる前のことだった。今からすれば物凄く古い話だが、それでもいわゆる御遺命守護の時代は未経験である。それはさておき、当時は百万が大きな目標であって、幹部たちがよく言っていたことがある。顕正会が百万になれば一国は動くと。
しかし、現実には動かなかった。百万の時の一国諫暁は事実上の失敗に終わった。そして今は二百万を突破しているわけだが、百万の時のトラウマがあるのだろうか、具体的な一国諫暁は行なわないつもりのようである。
話を戻そう。百万で一国が動くと言っていたのは事実であり、その根拠も当時はそれなりの説得力を持っていた。いわく、顕正会の信心の情熱は創価学会の比ではない、十倍百倍の力があるのだ、と。つまり、顕正会員百万人は実質一千万ないし一億の力を有するのだ、と。
創価学会は一千万人ほどの会員を有しており、事実において国政にも影響力を発揮している。なるほど、顕正会員一人ひとりが百人力であれば創価学会を凌駕することは確実であり、一国を動かす力を持つと考えることもそれほど不自然ではない。若かりし頃のわたくしは幹部たちの説明に納得したものだった。
これでよくわかったはずである。もし一千万ないし六千万ともなれば諸天の誡めがあろうとなかろうと関係なく、いわゆる数の論理で押し切ることが可能なのである。つまり、浅井先生は顕正会の会員数に欺瞞があることを承知していて、一千万を達成しようが六千万を達成しようが実数は遥かに少なく、その時になっても諸天の力を借りないとダメだと言っているわけなのである。
世界大恐慌も始まり出した。
これもアゲアシ取りのようであるが言っておきたい。始まり出した、とか、しつつある、というフレーズがインチキ臭いのだ。面倒なので調べてはいないが、浅井先生の発言を調べれば同様のフレーズがたくさん出てくる。結局、いつまで経っても同じなのである。表現的には現在進行形であり、会員に切迫感のようなものを植え付ける作用があると考えられる。もしこれを意図的に多用しているとすれば、とんでもないインチキオヤジということになるだろう。
二〇年代こそ広宣流布の決戦場である。
早く三百万を成し遂げ、大聖人様の御馬前に馳せ参らせようではないか。
すでに何度も取り上げている問題である。上のほうにも書いたように、昨年の二百万達成時には何もしなかった。善意に解釈すれば、二十年代に本格的な諫暁の戦いを起こす予定なので今は助走期間と考えられる。しかし、上掲を読めば今度は三百万を云々しているわけである。すると結局は三百万まで一国諫暁をしないつもりなのかもしれない。
もはや破綻しているとしか言い様がないだろう。
いちおうギリギリの線で考えると、十年以内に三百万を達成すれば二十年代の内に一国諫暁の戦いを起こすことが可能になるわけで、それならば矛盾はない。
しかし、それは過去の発言の数々をすべて帳消しにした上で今現在の発言だけを捉えた時に矛盾はないということであって、結局は矛盾だらけなのである。なぜならば帳消しにはできないからである。例えば、二十五年以内に広宣流布しないと人類は滅亡するとか、一千万をいつまでに達成するとか、その類の発言の数々である。
思えば御遺命守護の戦いは光り輝いていた。今でも御遺命守護の歴史を大事にするのは、それが顕正会の唯一の栄光だからだろう。そして今思い浮かぶ言葉は蛇足である。浅井先生が発言を重ねれば重ねるほど蛇足が増えていく。そして気がつけばムカデのような状態になってしまっているのではないかと、そう思う今日この頃である。
2019/1/22
コウボ
マイケル氏より質問めいたコメントを頂戴したが、ここでは回答を控えさせていただくことにしたい。拙ブログをよく読んでいればわかるような質問はご遠慮願いたい。
さて、顕正新聞の続きである。
捨身のご覚悟で諫暁を重ねられる先生の大忠誠のご雄姿が、日目上人の御振舞いと重なっては・・・
第二十九女子部長の発言である。毎年のように繰り返される目師再誕論について、わたくしは厳しく批判してきた。その効果であろうか、本年はそれほど極端な表現は見られなかった。
戒壇の大御本尊まします奉安堂に土足で入るとは驚きであり・・・
これは婦人部日吉支区総班長の登壇であるが、少し前にも同様の記事を取り上げたことがある。今回は思いつきながら病院を例に説明したい。小さなクリニックなどは入り口でスリッパに履き替える場合が多い。では総合病院はどうだろうかと考えると、わたくしは靴を履き替えるような病院を一つも知らない。当然、病院は清潔を旨とする。それにもかかわらず土足厳禁ではない。これが一つの答えだろう。
さらに細かいことを言うと、畳の上で死にたいという表現があるけれども、病院のほぼすべてがベッドを採用している。理由はあらゆる意味で合理的だからだろう。
掃除が楽なのだ。ベッドには車輪がついていて容易に移動できる。ゆえにその気になれば毎日のように大掃除ができてしまう。ところが畳敷きの場合はまさか畳をめくってまで掃除をするようなことはまずしないだろうから、けっこう不潔なのである。
これを逆に言うと、畳は高級なのである。畳敷きの家で常に青々とした畳が敷かれているとすれば、それは普段の手入れも大変だろうし、わりと高頻度で畳の表替えをしなければならないはずである。
いずれにしても顕正会のイメージする国立戒壇は土足厳禁なのだろう。それがいかに非現実的なものか知るべきである。穿った見方をすれば、当面は国立戒壇など建ちっこないので好き勝手なことを言っているだけなのかもしれない。
心も新たに「国難六年」の出発を
顕正会式年号も六年を数えることになった。いずれは言わなくなるだろうと思って冷ややかに観察しているが、今のところはまだ使い続けるようである。
さて、女子部第二百十八区総班長の記事を取り上げよう。これは祖母の臨終を伝える記事であるが、わたくしが注目したのは次のくだりである。
祖母は平成二三年に入信してより毎日、御本尊様、そして浅井先生のご温顔を思い浮かべつつ、勤行に励んでおりました。
いわゆる遥拝勤行は戒壇の大御本尊を遥拝する勤行である。顕正会員は戒壇の大御本尊を直接的には拝したことがないので、おそらくは顕正会の会館安置の本尊を思い浮かべて勤行をするわけなのだろう。それはいいとしてもである。浅井先生の顔を思い浮かべて勤行するのはどうかと思う。難しいところだが、それならば大聖人の御影を思い浮かべるのが筋ではあるまいか?
話を進めよう。登壇者の祖母は昨年の五月に余命半年の宣告を受けたそうである。
私は御奉公と祖母の介護にかけ切らんと、仕事を辞めることにいたしました。
お祖母ちゃん思いのいいお孫さんである。
そして退職までの三週間は毎日、半休を取ることができ、午前中は病院で介助の仕方を教わり、仕事が終わると御奉公で功徳を回向することができました。
半休の意味がわからなかった。もしかしたら病院に勤めていて、仕事のついでに介助のことを教わったということかもしれない。
歓喜の天然酵母・・・
顕正会の登壇記事は必ず最後に決意を述べるようになっている。この表現が秀逸だった。
未活動で癲癇・精神病、13年引きこもり
これは男子部第百十四隊組長の記事の見出しの一部分である。当然、活動を再開して劇的に回復したという話の流れであるが、それ以前の話としてジャーミノーマという脳腫瘍を患っていたことが興味を惹いた。まずは母親が入信し本人も入信した。その功徳で脳腫瘍は完治したそうである。ところがそこで未活動になってしまい、上掲のような経過をたどることになる。
それまでは少し外出しただけで疲れてしまい、そのまま三日ほど眠り続けてしまう状態だった・・・
不眠症気味のわたくしには羨ましい話である。もっとも三日も眠るのは人生の上ではモッタイナイことではあるが・・・
最後に女子部第八十五区長の記事を紹介しよう。
お昼に帰宅しているはずの妻もおりましたが・・・
まず、どうでもいいことを言っておこう。顕正会員の登壇記事を読んでいて気になる表現の一つに妻がある。普通に読むと、登壇者の奥さんという意味になると思うのだが、いかがだろうか?
ちなみに上掲をもう少しだけ説明しておくと、病院に入院している男性の話である。午前中には奥さんがいて昼には帰る予定だった。ようは女子部の総班長さんが奥さんのいない隙に折伏しようと見舞いに行くと、まだ奥さんが帰らずに病室にいたという話なのである。それを区長が登壇の中で紹介しているわけなのだが、わたくしの言語感覚からすると妻はおかしいような気がする。この点、読者の意見も聞いてみたいものである。
大聖人様の御馬前へと急がれる浅井先生に・・・
最近、目を惹くフレーズである。いつも言っているように、その具体的な姿がまったく見えてこない。
さて、顕正新聞の続きである。
捨身のご覚悟で諫暁を重ねられる先生の大忠誠のご雄姿が、日目上人の御振舞いと重なっては・・・
第二十九女子部長の発言である。毎年のように繰り返される目師再誕論について、わたくしは厳しく批判してきた。その効果であろうか、本年はそれほど極端な表現は見られなかった。
戒壇の大御本尊まします奉安堂に土足で入るとは驚きであり・・・
これは婦人部日吉支区総班長の登壇であるが、少し前にも同様の記事を取り上げたことがある。今回は思いつきながら病院を例に説明したい。小さなクリニックなどは入り口でスリッパに履き替える場合が多い。では総合病院はどうだろうかと考えると、わたくしは靴を履き替えるような病院を一つも知らない。当然、病院は清潔を旨とする。それにもかかわらず土足厳禁ではない。これが一つの答えだろう。
さらに細かいことを言うと、畳の上で死にたいという表現があるけれども、病院のほぼすべてがベッドを採用している。理由はあらゆる意味で合理的だからだろう。
掃除が楽なのだ。ベッドには車輪がついていて容易に移動できる。ゆえにその気になれば毎日のように大掃除ができてしまう。ところが畳敷きの場合はまさか畳をめくってまで掃除をするようなことはまずしないだろうから、けっこう不潔なのである。
これを逆に言うと、畳は高級なのである。畳敷きの家で常に青々とした畳が敷かれているとすれば、それは普段の手入れも大変だろうし、わりと高頻度で畳の表替えをしなければならないはずである。
いずれにしても顕正会のイメージする国立戒壇は土足厳禁なのだろう。それがいかに非現実的なものか知るべきである。穿った見方をすれば、当面は国立戒壇など建ちっこないので好き勝手なことを言っているだけなのかもしれない。
心も新たに「国難六年」の出発を
顕正会式年号も六年を数えることになった。いずれは言わなくなるだろうと思って冷ややかに観察しているが、今のところはまだ使い続けるようである。
さて、女子部第二百十八区総班長の記事を取り上げよう。これは祖母の臨終を伝える記事であるが、わたくしが注目したのは次のくだりである。
祖母は平成二三年に入信してより毎日、御本尊様、そして浅井先生のご温顔を思い浮かべつつ、勤行に励んでおりました。
いわゆる遥拝勤行は戒壇の大御本尊を遥拝する勤行である。顕正会員は戒壇の大御本尊を直接的には拝したことがないので、おそらくは顕正会の会館安置の本尊を思い浮かべて勤行をするわけなのだろう。それはいいとしてもである。浅井先生の顔を思い浮かべて勤行するのはどうかと思う。難しいところだが、それならば大聖人の御影を思い浮かべるのが筋ではあるまいか?
話を進めよう。登壇者の祖母は昨年の五月に余命半年の宣告を受けたそうである。
私は御奉公と祖母の介護にかけ切らんと、仕事を辞めることにいたしました。
お祖母ちゃん思いのいいお孫さんである。
そして退職までの三週間は毎日、半休を取ることができ、午前中は病院で介助の仕方を教わり、仕事が終わると御奉公で功徳を回向することができました。
半休の意味がわからなかった。もしかしたら病院に勤めていて、仕事のついでに介助のことを教わったということかもしれない。
歓喜の天然酵母・・・
顕正会の登壇記事は必ず最後に決意を述べるようになっている。この表現が秀逸だった。
未活動で癲癇・精神病、13年引きこもり
これは男子部第百十四隊組長の記事の見出しの一部分である。当然、活動を再開して劇的に回復したという話の流れであるが、それ以前の話としてジャーミノーマという脳腫瘍を患っていたことが興味を惹いた。まずは母親が入信し本人も入信した。その功徳で脳腫瘍は完治したそうである。ところがそこで未活動になってしまい、上掲のような経過をたどることになる。
それまでは少し外出しただけで疲れてしまい、そのまま三日ほど眠り続けてしまう状態だった・・・
不眠症気味のわたくしには羨ましい話である。もっとも三日も眠るのは人生の上ではモッタイナイことではあるが・・・
最後に女子部第八十五区長の記事を紹介しよう。
お昼に帰宅しているはずの妻もおりましたが・・・
まず、どうでもいいことを言っておこう。顕正会員の登壇記事を読んでいて気になる表現の一つに妻がある。普通に読むと、登壇者の奥さんという意味になると思うのだが、いかがだろうか?
ちなみに上掲をもう少しだけ説明しておくと、病院に入院している男性の話である。午前中には奥さんがいて昼には帰る予定だった。ようは女子部の総班長さんが奥さんのいない隙に折伏しようと見舞いに行くと、まだ奥さんが帰らずに病室にいたという話なのである。それを区長が登壇の中で紹介しているわけなのだが、わたくしの言語感覚からすると妻はおかしいような気がする。この点、読者の意見も聞いてみたいものである。
大聖人様の御馬前へと急がれる浅井先生に・・・
最近、目を惹くフレーズである。いつも言っているように、その具体的な姿がまったく見えてこない。
2019/1/20
サヌキ
顕正新聞の続きを見ていこう。まずは第二十九婦人部長の記事に注目したい。
柏崎市の壮年は、初代・牧口会長の縁戚にあたり、すでに学会は脱会しておりますが、原田会長とは数十年来の友人でありました。
婦人部の一班長が顕正新聞を送り続けているとのことで、くだんの壮年は当然ながら顕正会の創価学会に対する激烈なる批判を目にしているわけなのだろう。そこで原田会長と会った時にそのことを聞いたらしいのだ。
すると原田会長ははぐらかし、「顕正新聞に書かれてしまい、以来、多くの問い合わせが殺到している」と困った様子だった・・・
この証言が本当であれば、けっこうなスクープだと思う。続きの発言も紹介しておこう。
また入院中の池田大作について、原田会長が「学会員には言えないが、いまやボケて、とても見られた顔じゃない」と言っていた・・・
守秘義務云々以前の話として、大きな組織の会長ともなればウカツなことは口にしないものである。しかし、相手が牧口会長の縁戚であり、数十年来の友人ともなれば、つい本音を漏らしてしまうこともあり得るだろう。もちろん、本当かどうかはわからない。
ちなみに入院中云々は何を根拠に言っているのだろうか?
あるいは勝手にそのように思い込んでいるだけなのかもしれない。自宅療養の可能性だってあるわけで、池田氏ほどの立場になれば医師や看護師を専属させることもできるだろうし、その意味では目撃されないためにも自宅での療養が有力と考えられるのだ。
先生の戦いは諸天を動かし・・・
相変わらずである。何でもかんでも諸天に結びつけてしまう。諸天も迷惑していることだろう。
宗門末寺「徳妙寺」住職、回答不能で逃避
「宗門機関紙には脚色が」と衝撃発言も
男子部第五十九隊長の記事である。
「信徒は数ではない!質が大事なんだ!」
これは前回の話らしく、週刊ダイヤモンド誌に宗門末寺の三分の一が困窮している旨の記事が出た折、当該寺院を訪問したとのことで、上掲はその時の住職の発言だそうである。
隊長殿がどのようなつもりで住職の発言を紹介したものか判然としないが、わたくしに言わせればまったくの自爆行為である。つまり、顕正会は数にこだわるものの質が伴なわない。住職はそれを言っているわけなのだ。
そして以下が今回のやり取りである。
そこで細井日達の悪臨終の現証を突き付けると、「見てもいないのに分かるはずがない」と、子供じみた言い逃れをしてきたのでした。
どちらが子供じみているのかである。
見ていないのは事実なのである。くだんの住職も見ていなければ隊長殿も見ていない。見ていない同士が議論をしてどうして結論めいたことが言えるのか、それを考えればどちらが子供じみているのか、一目瞭然だろう。
婦人部讃岐支区班長の記事もどうかと思った。
二十歳の時にヤクザの組を結成したものの、事件を起して組は解散。
古参法華講員の話だそうである。よくわからんが、二十歳で組を結成できるとは凄い。しかし、事件を起こして解散が不審である。それで解散になるくらいなら、ヤクザなどとっくの昔に世の中から消滅していることだろう。むしろ前科こそが一種の勲章みたいな世界のはずなのだ。
ともかく話を進めよう。彼はその後、日蓮正宗に入信した。そして大工として正本堂の建設にも携わったそうである。
「『絶対秘密にするように』と口止めされた」と語ってくれた話の内容は、大衝撃でした。
わたくしは続きの文章を読んで、その話があまりにもウソっぽいことに大衝撃を受けた。
地下埋納室の工事中に、作業員が六十六メートルの高さから転落して死亡し・・・
細井日達の悪臨終を伺った後だけに、御遺命に背く恐ろしさに身が震えました。
古参法華講員がウソを言っているのか、登壇者がウソを言っているのか、その点は判然としないものの、常識的には考えられない話である。
正本堂の高さは六十六メートルある。これは日達上人が六十六世であることに合わせたと言われている。つまり、この場合で考えられるのは、屋根工事の時に転落するという典型的な死亡事故である。
ところがである。記事では地下埋納室の工事中に転落したことになっているのだ。この場合、可能性として考えられるのは、地下埋納室の深度がマイナス六十六メートルということである。わたくしは今まで聞いたことがなかったのだが、正本堂の地下はそんなに深かったのだろうか?
単純に言うと、六十六メートルは二十階建てのビルに相当する。ゆえに埋納室の深さがその数字であれば、地下二十階ということになるのだ。
ちなみに今現在、日本国中に地上二十階程度のビルは無数に存在するが、地下二十階はどうだろう、存在しないかもしれない。日本ではあべのハルカスが高層ビルの第一位で六十階三百メートル。けれども地下は五階までしかない。
以上、常識のある人ならばこんなことは書かない、というようなウソっぽい話を平気で書いてしまう。これが今の顕正会の病的なところであり、きわめて深刻な問題である。
柏崎市の壮年は、初代・牧口会長の縁戚にあたり、すでに学会は脱会しておりますが、原田会長とは数十年来の友人でありました。
婦人部の一班長が顕正新聞を送り続けているとのことで、くだんの壮年は当然ながら顕正会の創価学会に対する激烈なる批判を目にしているわけなのだろう。そこで原田会長と会った時にそのことを聞いたらしいのだ。
すると原田会長ははぐらかし、「顕正新聞に書かれてしまい、以来、多くの問い合わせが殺到している」と困った様子だった・・・
この証言が本当であれば、けっこうなスクープだと思う。続きの発言も紹介しておこう。
また入院中の池田大作について、原田会長が「学会員には言えないが、いまやボケて、とても見られた顔じゃない」と言っていた・・・
守秘義務云々以前の話として、大きな組織の会長ともなればウカツなことは口にしないものである。しかし、相手が牧口会長の縁戚であり、数十年来の友人ともなれば、つい本音を漏らしてしまうこともあり得るだろう。もちろん、本当かどうかはわからない。
ちなみに入院中云々は何を根拠に言っているのだろうか?
あるいは勝手にそのように思い込んでいるだけなのかもしれない。自宅療養の可能性だってあるわけで、池田氏ほどの立場になれば医師や看護師を専属させることもできるだろうし、その意味では目撃されないためにも自宅での療養が有力と考えられるのだ。
先生の戦いは諸天を動かし・・・
相変わらずである。何でもかんでも諸天に結びつけてしまう。諸天も迷惑していることだろう。
宗門末寺「徳妙寺」住職、回答不能で逃避
「宗門機関紙には脚色が」と衝撃発言も
男子部第五十九隊長の記事である。
「信徒は数ではない!質が大事なんだ!」
これは前回の話らしく、週刊ダイヤモンド誌に宗門末寺の三分の一が困窮している旨の記事が出た折、当該寺院を訪問したとのことで、上掲はその時の住職の発言だそうである。
隊長殿がどのようなつもりで住職の発言を紹介したものか判然としないが、わたくしに言わせればまったくの自爆行為である。つまり、顕正会は数にこだわるものの質が伴なわない。住職はそれを言っているわけなのだ。
そして以下が今回のやり取りである。
そこで細井日達の悪臨終の現証を突き付けると、「見てもいないのに分かるはずがない」と、子供じみた言い逃れをしてきたのでした。
どちらが子供じみているのかである。
見ていないのは事実なのである。くだんの住職も見ていなければ隊長殿も見ていない。見ていない同士が議論をしてどうして結論めいたことが言えるのか、それを考えればどちらが子供じみているのか、一目瞭然だろう。
婦人部讃岐支区班長の記事もどうかと思った。
二十歳の時にヤクザの組を結成したものの、事件を起して組は解散。
古参法華講員の話だそうである。よくわからんが、二十歳で組を結成できるとは凄い。しかし、事件を起こして解散が不審である。それで解散になるくらいなら、ヤクザなどとっくの昔に世の中から消滅していることだろう。むしろ前科こそが一種の勲章みたいな世界のはずなのだ。
ともかく話を進めよう。彼はその後、日蓮正宗に入信した。そして大工として正本堂の建設にも携わったそうである。
「『絶対秘密にするように』と口止めされた」と語ってくれた話の内容は、大衝撃でした。
わたくしは続きの文章を読んで、その話があまりにもウソっぽいことに大衝撃を受けた。
地下埋納室の工事中に、作業員が六十六メートルの高さから転落して死亡し・・・
細井日達の悪臨終を伺った後だけに、御遺命に背く恐ろしさに身が震えました。
古参法華講員がウソを言っているのか、登壇者がウソを言っているのか、その点は判然としないものの、常識的には考えられない話である。
正本堂の高さは六十六メートルある。これは日達上人が六十六世であることに合わせたと言われている。つまり、この場合で考えられるのは、屋根工事の時に転落するという典型的な死亡事故である。
ところがである。記事では地下埋納室の工事中に転落したことになっているのだ。この場合、可能性として考えられるのは、地下埋納室の深度がマイナス六十六メートルということである。わたくしは今まで聞いたことがなかったのだが、正本堂の地下はそんなに深かったのだろうか?
単純に言うと、六十六メートルは二十階建てのビルに相当する。ゆえに埋納室の深さがその数字であれば、地下二十階ということになるのだ。
ちなみに今現在、日本国中に地上二十階程度のビルは無数に存在するが、地下二十階はどうだろう、存在しないかもしれない。日本ではあべのハルカスが高層ビルの第一位で六十階三百メートル。けれども地下は五階までしかない。
以上、常識のある人ならばこんなことは書かない、というようなウソっぽい話を平気で書いてしまう。これが今の顕正会の病的なところであり、きわめて深刻な問題である。
2019/1/17
ダイフジン
顕正新聞第1461号は十一月度班長会の記事を中心に組まれている。まず最初にご覧いただくのは総男子部長の発言である。
全男子部は二大綱目推進の中に三百万を戦う大陣列を整え・・・
つい先日も、一国諫暁の戦いはどうしたのか、という疑問を書いた。ようするに、百万の時には一国諫暁を行なった、ならば二百万の時にも同様のことが行なわれるはずである、しかるに今の顕正会はその点をアイマイにしたまま三百万を云々している、というツッコミを書いたわけである。
さらに言うと、それ以前には三百万の欺瞞についても書いたことがある。
延び延びにはなったものの、以前ならば期日を決めていたのである。百万をいつまでに達成する、二百万をいつまでに達成する、という具合にである。ところが今は三百万という数字を掲げるだけで、具体的な期日についてはまったく言及しないのである。
もはや無理なのだ。具体的な目標を掲げればそれが活動会員たちの負担になるし、すでに疲れ切ってヘロヘロになっている会員も相当数いるはずなので、それこそ大量離脱にもなりかねない。浅井先生以下本部首脳もこの点をよくわかっているわけである。
その八年後の正本堂崩壊に導いた重書・・・
副総男子部長の発言を部分的に引用した。ここでの重書とは平成二年の諫暁書のことを言っているわけである。
わたくしが注目したのは八年後云々である。この数字はめずらしいような気がする。おそらく言いたいことは、八年前に正本堂を撤去せよと要求した、それが事実となった、ということなのだろう。確かに凄いことではある。本来、宗教建築物は恒久的なものである。神社の場合は遷宮という考え方があるけれども、寺院は違う。法隆寺に代表されるように古いものが現存していることに価値があるわけだ。それが正本堂の場合、あっという間に解体されてしまった。しかもそれを強く主張していたのが顕正会であり、上述のごとく宗門に対する諫暁書にその旨を明記してから数えれば八年で崩壊したことになるのだから、まさに凄いことなのだ。
ただし、それから今日までの年月を数えれば、思い半ばに過ぎるものがある。まさに万策は尽きた。顕正会が何をどうしようが宗門には響かない。つまり、くだんの八年は凄いことではあるものの、逆にそれ以降の戦いでモガキ苦しんでいることが、明瞭になってしまっているようにも思えるのである。
細井日達・阿部日顕の悪貫首・・・
もう一人の副総男子部長である。まるで悪代官みたいな言い方だ。
男子部総務の記事も見ておこう。
三級を受験する・しないにかかわらず、平成二年の阿部日顕への諫暁書を命に染め・・・
総務は受験しないらしい。おそらく部長クラスのほぼ全員が受験しないのだと思われる。だから二級とか一級を行なうべきなのである。どうせなら浅井先生も受験すべきだろう。
広布御供養の上限についても、昨今の情勢を考えれば、たとえ引き上げられても有難く参加させて頂く所存でありますが・・・
この点は評価していいだろう。最終的に一万円まで引き下げられればと思う。それが実現すれば誰も文句は言えまい。
さて、総合婦人部長の記事にも例の八年後云々があるが、重複になるので省略しよう。婦人部関係では副総合婦人部長の次の発言を引用したい。
大婦人部構築・・・
大男子部構築というフレーズはけっこう多く存在すると思う。けれども婦人部に大を冠するのはめずらしいのではないか?
それはさておき問題は第三十婦人部長の発言である。
偉大な師匠とともに間もなく、大聖人様の御馬前に馳せ参ずることを思えば・・・
具体的には何を意味するのか、それがまったく見えてこない。もちろん譬喩表現なのだろう。それ自体を否定するつもりはない。ただし、そこには何らかの具体的な形がなければ話にならないわけで、それが昨今の顕正会ではアイマイになったままなのである。
さて、最後に女子部幹部の記事を拾っておこう。
十二月、法戦さながらの先手の大折伏を敢行し・・・
先手の折伏を大きく進め・・・
女子部総務三人のうち二人までがご覧のように発言している。この先手の折伏はもちろん男子部でも婦人部でも使うフレーズである。しかし、わたくしの印象では女子部の使用率がダントツである。結果的にも女子部がいちばん成果を上げている。文字通り先手必勝と言えそうである。
全男子部は二大綱目推進の中に三百万を戦う大陣列を整え・・・
つい先日も、一国諫暁の戦いはどうしたのか、という疑問を書いた。ようするに、百万の時には一国諫暁を行なった、ならば二百万の時にも同様のことが行なわれるはずである、しかるに今の顕正会はその点をアイマイにしたまま三百万を云々している、というツッコミを書いたわけである。
さらに言うと、それ以前には三百万の欺瞞についても書いたことがある。
延び延びにはなったものの、以前ならば期日を決めていたのである。百万をいつまでに達成する、二百万をいつまでに達成する、という具合にである。ところが今は三百万という数字を掲げるだけで、具体的な期日についてはまったく言及しないのである。
もはや無理なのだ。具体的な目標を掲げればそれが活動会員たちの負担になるし、すでに疲れ切ってヘロヘロになっている会員も相当数いるはずなので、それこそ大量離脱にもなりかねない。浅井先生以下本部首脳もこの点をよくわかっているわけである。
その八年後の正本堂崩壊に導いた重書・・・
副総男子部長の発言を部分的に引用した。ここでの重書とは平成二年の諫暁書のことを言っているわけである。
わたくしが注目したのは八年後云々である。この数字はめずらしいような気がする。おそらく言いたいことは、八年前に正本堂を撤去せよと要求した、それが事実となった、ということなのだろう。確かに凄いことではある。本来、宗教建築物は恒久的なものである。神社の場合は遷宮という考え方があるけれども、寺院は違う。法隆寺に代表されるように古いものが現存していることに価値があるわけだ。それが正本堂の場合、あっという間に解体されてしまった。しかもそれを強く主張していたのが顕正会であり、上述のごとく宗門に対する諫暁書にその旨を明記してから数えれば八年で崩壊したことになるのだから、まさに凄いことなのだ。
ただし、それから今日までの年月を数えれば、思い半ばに過ぎるものがある。まさに万策は尽きた。顕正会が何をどうしようが宗門には響かない。つまり、くだんの八年は凄いことではあるものの、逆にそれ以降の戦いでモガキ苦しんでいることが、明瞭になってしまっているようにも思えるのである。
細井日達・阿部日顕の悪貫首・・・
もう一人の副総男子部長である。まるで悪代官みたいな言い方だ。
男子部総務の記事も見ておこう。
三級を受験する・しないにかかわらず、平成二年の阿部日顕への諫暁書を命に染め・・・
総務は受験しないらしい。おそらく部長クラスのほぼ全員が受験しないのだと思われる。だから二級とか一級を行なうべきなのである。どうせなら浅井先生も受験すべきだろう。
広布御供養の上限についても、昨今の情勢を考えれば、たとえ引き上げられても有難く参加させて頂く所存でありますが・・・
この点は評価していいだろう。最終的に一万円まで引き下げられればと思う。それが実現すれば誰も文句は言えまい。
さて、総合婦人部長の記事にも例の八年後云々があるが、重複になるので省略しよう。婦人部関係では副総合婦人部長の次の発言を引用したい。
大婦人部構築・・・
大男子部構築というフレーズはけっこう多く存在すると思う。けれども婦人部に大を冠するのはめずらしいのではないか?
それはさておき問題は第三十婦人部長の発言である。
偉大な師匠とともに間もなく、大聖人様の御馬前に馳せ参ずることを思えば・・・
具体的には何を意味するのか、それがまったく見えてこない。もちろん譬喩表現なのだろう。それ自体を否定するつもりはない。ただし、そこには何らかの具体的な形がなければ話にならないわけで、それが昨今の顕正会ではアイマイになったままなのである。
さて、最後に女子部幹部の記事を拾っておこう。
十二月、法戦さながらの先手の大折伏を敢行し・・・
先手の折伏を大きく進め・・・
女子部総務三人のうち二人までがご覧のように発言している。この先手の折伏はもちろん男子部でも婦人部でも使うフレーズである。しかし、わたくしの印象では女子部の使用率がダントツである。結果的にも女子部がいちばん成果を上げている。文字通り先手必勝と言えそうである。
2019/1/16
コオウ
昨夜の沖浦氏のコメントはなかなかのものである。大聖人も冥途の衣装と仰せになっている。ゆえに沖浦氏の主張を頭ごなしに否定することはできないわけだが、それにしても曼荼羅道具論者の氏が言うと物凄く抵抗を感じるのも事実である。差し当たって言い返すとしたら、だったら裸で生活すれば、という感じだろうか? 事実、人間以外の生き物は裸が基本なのである。なぜか人間だけが衣服をまとっている。この辺に答えが隠されているのだろうと思う。
さて、顕正新聞の続きである。
いつしか叔母はビデオ放映や集会に参加する約束をしても、居留守を使うようになり、あるとき学会の会合や「朝起き会」に通っていることがわかったのです。
婦人部八甲田支区総班長の記事から引用した。全体の論旨からすると必ずしも適切な引用ではないのだが、わたくし個人が気になった部分ということでご理解願いたい。
ようするに各教団にはそれぞれの特色があって、言葉を換えればそれぞれに魅力があるのだ。
顕正会で熱心に活動している人にとっては、顕正会がすべてなのだろう。早い話が顕正会が好きだから頑張れるのだ。
もちろん、中にはさまざまの疑問にぶつかって悩みつつ活動している人もいるし、組織上のさまざまの問題を知りつつもどうすることもできずにモガイテいる人もいるのだろう。
いずれにしても顕正会で長くやっている人は顕正会に馴染んでいる。これが平均的な姿だと思う。
登壇者の叔母は顕正会に入会はしたものの馴染めなかった。ゆえに古くからの馴染みである創価学会に戻りたいという気持ちがあった。あるいは同年代の友人知人に朝起き会の人がいたのかもしれない。そちらのほうにも引きずられていた。
結局、たいていの場合、教義的な難しい話は好まれないのである。高齢者になればなおさらかもしれない。そしてごく単純に、雰囲気的に馴染めるかどうか、居心地がいいかどうか、そういう部分で選択しているわけである。
次は男子部第百十一隊班長の記事である。
これひとえに、浅井先生の六〇年にも及ぶ激闘あればこそ・・・
あれ? 六十一年では?
まあ、しかし、ここまで年数を重ねると少しの誤差はどうでもいいような気がしてくる。おそらく本人もわかっていて書いたのだろう。実際、あらゆる場面でこうした端数の切り捨て切り上げが行なわれているわけで、それを細かくあげつらうほうがどうかしているのかもしれない。
たわわに実る本部庭園の柿
正直、これはヘボイと思う。もっとキレイな写真を撮るべきだろう。ぜんぜん、たわわに見えないのだ。
そこに本年、全国で相次いだ大洪水・台風・殺人的猛暑は諸天の警告であり・・・
婦人部総務の発言である。
諸天は必ず呼応する・・・
必ずや諸天が相呼応し・・・
女子部総務と第十九女子部長の発言である。
まず、婦人部総務の発言についてはそこそこ理解できると思う。ようするに現実に起こったことを諸天の警告であると解釈しているわけである。その解釈が正しいか否かは別にして、言っていることは単純明快である。
では、女子部の大幹部たちの発言はどうかであるが、これがひじょうに理解し難いのである。ようはこれから起こることを言っているわけなのだ。けれども、具体的に何が起こるのかと問えば、そこには確たる答えが存在しないのである。
ちなみに彼女たちの言っていることは、御開扉の即時中止である。しかし、無理な相談であることは誰の目にも明らかだろう。諸天を困らせてはいけない。
私は三〇年来、毎年御大会式の御宝前に飾りまいらせる桜花の支度の御奉公を、浅井先生より仰せつかってまいりました・・・
婦人部富士見支区総班長は古株の一人であり、かつては本部の何がしかの役職に就いていたほどの大幹部である。今現在、なぜに総班長なのか、その辺の事情はわからない。それはさておき上掲が目を惹いた。彼女は本業が花屋なのだろうか?
想像を絶する尊き大地に、・・・黄金色に輝かれる下種御本仏の最極無上の御尊容
凄まじい表現力だ。
さて、顕正新聞の続きである。
いつしか叔母はビデオ放映や集会に参加する約束をしても、居留守を使うようになり、あるとき学会の会合や「朝起き会」に通っていることがわかったのです。
婦人部八甲田支区総班長の記事から引用した。全体の論旨からすると必ずしも適切な引用ではないのだが、わたくし個人が気になった部分ということでご理解願いたい。
ようするに各教団にはそれぞれの特色があって、言葉を換えればそれぞれに魅力があるのだ。
顕正会で熱心に活動している人にとっては、顕正会がすべてなのだろう。早い話が顕正会が好きだから頑張れるのだ。
もちろん、中にはさまざまの疑問にぶつかって悩みつつ活動している人もいるし、組織上のさまざまの問題を知りつつもどうすることもできずにモガイテいる人もいるのだろう。
いずれにしても顕正会で長くやっている人は顕正会に馴染んでいる。これが平均的な姿だと思う。
登壇者の叔母は顕正会に入会はしたものの馴染めなかった。ゆえに古くからの馴染みである創価学会に戻りたいという気持ちがあった。あるいは同年代の友人知人に朝起き会の人がいたのかもしれない。そちらのほうにも引きずられていた。
結局、たいていの場合、教義的な難しい話は好まれないのである。高齢者になればなおさらかもしれない。そしてごく単純に、雰囲気的に馴染めるかどうか、居心地がいいかどうか、そういう部分で選択しているわけである。
次は男子部第百十一隊班長の記事である。
これひとえに、浅井先生の六〇年にも及ぶ激闘あればこそ・・・
あれ? 六十一年では?
まあ、しかし、ここまで年数を重ねると少しの誤差はどうでもいいような気がしてくる。おそらく本人もわかっていて書いたのだろう。実際、あらゆる場面でこうした端数の切り捨て切り上げが行なわれているわけで、それを細かくあげつらうほうがどうかしているのかもしれない。
たわわに実る本部庭園の柿
正直、これはヘボイと思う。もっとキレイな写真を撮るべきだろう。ぜんぜん、たわわに見えないのだ。
そこに本年、全国で相次いだ大洪水・台風・殺人的猛暑は諸天の警告であり・・・
婦人部総務の発言である。
諸天は必ず呼応する・・・
必ずや諸天が相呼応し・・・
女子部総務と第十九女子部長の発言である。
まず、婦人部総務の発言についてはそこそこ理解できると思う。ようするに現実に起こったことを諸天の警告であると解釈しているわけである。その解釈が正しいか否かは別にして、言っていることは単純明快である。
では、女子部の大幹部たちの発言はどうかであるが、これがひじょうに理解し難いのである。ようはこれから起こることを言っているわけなのだ。けれども、具体的に何が起こるのかと問えば、そこには確たる答えが存在しないのである。
ちなみに彼女たちの言っていることは、御開扉の即時中止である。しかし、無理な相談であることは誰の目にも明らかだろう。諸天を困らせてはいけない。
私は三〇年来、毎年御大会式の御宝前に飾りまいらせる桜花の支度の御奉公を、浅井先生より仰せつかってまいりました・・・
婦人部富士見支区総班長は古株の一人であり、かつては本部の何がしかの役職に就いていたほどの大幹部である。今現在、なぜに総班長なのか、その辺の事情はわからない。それはさておき上掲が目を惹いた。彼女は本業が花屋なのだろうか?
想像を絶する尊き大地に、・・・黄金色に輝かれる下種御本仏の最極無上の御尊容
凄まじい表現力だ。
2019/1/15
クゴ
玄米一食分ないし一日分が具体的には何合に相当するのか、玄米ではなく白米の場合は異なるのか、世事に疎いわたくしにはさっぱりわからない話である。ただし、宮沢賢治の四合や軍隊での六合は、現代感覚からすると多過ぎるはずで、早い話が食い過ぎである。もちろん運動量の差や、主食と副食との比率みたいなことも考えないといけない話ではある。現代人はコメよりもオカズをたくさん食べる傾向にあるので、トータルでの食事量はそれほど変わらないのかもしれない。
弘安三年末の上野殿御返事には金色王の話が出てくる。
蔵の中にはたゞ米五升ばかりのこれり。大王の一日のくごなり・・・
前後を省略して恐縮であるが、この話は私利私欲にまみれる現代の政治家たちに聞かせてあげたいものである。それにしても上掲の米五升はさすがに食い過ぎだろう。大王だけに身体も大きかったのだろうか?
続きの御文には須達長者の話が出てくる。
五升の米あり。五日のかつて・・・
これまた前後を省いて恐縮であるが、ようは夫婦二人で五日分の食糧という話なのだ。単純計算すれば、一日で一升、一人だと五合となるだろうか?
このように考えると、くだんの四合ないし六合はわりとツジツマが合っているのかもしれない。
さて、顕正新聞である。
宗門末寺「楽大寺」の住職を糾弾
無智・無道心の職業僧侶≠ワのあたり
男子部総務の一人がご覧のような登壇をしている。ともかく最近の顕正会はけっこう強気である。
どうやら男子部の班長宅に、当該寺院の住職が顕正会を誹謗するビラを持って、訪ねてきたそうである。ようはその報告を受けた総務が報復(?)のために、寺院に押し掛けたという話のようである。
わたくしが思ったのは宗門の御僧侶も意外にアクティブではないかということだ。かつて浅井先生は言っていた、坊さんたちは信徒に折伏をやれと言っているだけで自分たちは何もしないと。
しかし、事実は違うようである。
そもそもなぜに顕正会員の個人宅を知っていたのか、まずはその点から考えないといけないが、記事を読む限りは不明である。
一つ推測し得ることは、くだんの班長が積極的な配布活動を行なっていて、当然、連絡先などを添付して配っているはずなので、それが宗門関係者の手に渡ったということである。
顕正会側としては連絡先を明記しないで配布しても成果には結びつかないので、痛し痒しのところではあるのだろう。なるほど、真面目に配布活動をしている会員を守るためにも、幹部が住職を糾弾するのも当然ではあるのだ。
いずれにしても宗門の御僧侶も頑張っているわけで、浅井先生の言っていることはかなり時代遅れの話である。
「逃げていない。その後、宗門から浅井会長に対し、公式に文書で対決を申し入れた」
前後のやり取りを省略しているので理解しづらいかもしれないが、ようするに総務が言うには宗門側は逃げ回っているのだそうである。ゆえに住職はご覧のように発言した。
総務は、だったらその文書を見せろ、と迫った。
「ないかもしれない。ごめんなさい」(笑)
総務の一方的な証言であるから、その点は注意を要するだろう。
わたくしの印象を書いておくと、ここ数年ないし十年くらいは顕正会側のほうが逃げ腰だった。それをよく知っているのは法華講の活動家たちであり、今回の住職などもそのような印象を懐いていたのだと思う。そして現実に、対決申し入れとは性質が異なるものの、邪義破折班による顕正会破折が行なわれているわけである。これに対し、浅井先生は反論していない。まさに上掲は不正確ながらもそのような背景を踏まえた発言と理解できるのだ。
いずれにしても葬儀法要だけをやっていれば事足りる時代ではないことを、宗門の御僧侶たちもよく承知していることだろうから、今後もさまざまの軋轢が生じることは必至である。
その壮年が差し出した名刺に、「日蓮正宗・経説寺支部・法華講員」と書かれていたので・・・
これは女子部第二百三十二区長の記事に出てくる文章だが、宗門関係の話題ではあるものの、女子部の記事はわりと穏やかである。細かい話は省略して、わたくしが注目したのは名刺である。自分で考えて作ったのか、法華講でそのような風習があるのか、そこは知らない。ともかく顕正会ではあり得ないことである。イヤミを言えば、顕正会の場合は組織の改編ないし昇格・降格が激しいので、名刺を作るにしても役職などの肩書きを入れづらいのだ。
最後は男子部第十二隊長の記事である。
そのときのことです。法華講の会合で配布された資料の一枚が、ズレて組長たちの目に留まったのでした。
何やら穏やかならざる内容のようである。
・・・そこには「日達上人猊下の悪臨終のうわさの事実」との題が付され
「葬儀後は良い臨終の相だった。親族の面会は、当時はできなかったようだ。総幹部会で発表した人物が本当の親族かどうか明確ではない。発表内容は作り話である。40年も経っていることを今さら出すのはおかしい」
と、細井日達の悪臨終を取り繕うための苦し紛れの虚偽が記されていたのでした。
困った人たちである。
まず、資料云々が問題である。もし説得力を持たせたいのであれば、顕正新聞紙上にその証拠資料を掲載すべきだろう。ようは法華講員宅で目にした資料なるものを、記憶を頼りに書き起こしているだけの不確かな文章、それが上掲なのである。しかも登壇者がそれを見たわけではないのだから、実にいい加減な話である。
それを隊長は、苦し紛れの虚偽、などと言っているのである。言語道断の所業だ。
弘安三年末の上野殿御返事には金色王の話が出てくる。
蔵の中にはたゞ米五升ばかりのこれり。大王の一日のくごなり・・・
前後を省略して恐縮であるが、この話は私利私欲にまみれる現代の政治家たちに聞かせてあげたいものである。それにしても上掲の米五升はさすがに食い過ぎだろう。大王だけに身体も大きかったのだろうか?
続きの御文には須達長者の話が出てくる。
五升の米あり。五日のかつて・・・
これまた前後を省いて恐縮であるが、ようは夫婦二人で五日分の食糧という話なのだ。単純計算すれば、一日で一升、一人だと五合となるだろうか?
このように考えると、くだんの四合ないし六合はわりとツジツマが合っているのかもしれない。
さて、顕正新聞である。
宗門末寺「楽大寺」の住職を糾弾
無智・無道心の職業僧侶≠ワのあたり
男子部総務の一人がご覧のような登壇をしている。ともかく最近の顕正会はけっこう強気である。
どうやら男子部の班長宅に、当該寺院の住職が顕正会を誹謗するビラを持って、訪ねてきたそうである。ようはその報告を受けた総務が報復(?)のために、寺院に押し掛けたという話のようである。
わたくしが思ったのは宗門の御僧侶も意外にアクティブではないかということだ。かつて浅井先生は言っていた、坊さんたちは信徒に折伏をやれと言っているだけで自分たちは何もしないと。
しかし、事実は違うようである。
そもそもなぜに顕正会員の個人宅を知っていたのか、まずはその点から考えないといけないが、記事を読む限りは不明である。
一つ推測し得ることは、くだんの班長が積極的な配布活動を行なっていて、当然、連絡先などを添付して配っているはずなので、それが宗門関係者の手に渡ったということである。
顕正会側としては連絡先を明記しないで配布しても成果には結びつかないので、痛し痒しのところではあるのだろう。なるほど、真面目に配布活動をしている会員を守るためにも、幹部が住職を糾弾するのも当然ではあるのだ。
いずれにしても宗門の御僧侶も頑張っているわけで、浅井先生の言っていることはかなり時代遅れの話である。
「逃げていない。その後、宗門から浅井会長に対し、公式に文書で対決を申し入れた」
前後のやり取りを省略しているので理解しづらいかもしれないが、ようするに総務が言うには宗門側は逃げ回っているのだそうである。ゆえに住職はご覧のように発言した。
総務は、だったらその文書を見せろ、と迫った。
「ないかもしれない。ごめんなさい」(笑)
総務の一方的な証言であるから、その点は注意を要するだろう。
わたくしの印象を書いておくと、ここ数年ないし十年くらいは顕正会側のほうが逃げ腰だった。それをよく知っているのは法華講の活動家たちであり、今回の住職などもそのような印象を懐いていたのだと思う。そして現実に、対決申し入れとは性質が異なるものの、邪義破折班による顕正会破折が行なわれているわけである。これに対し、浅井先生は反論していない。まさに上掲は不正確ながらもそのような背景を踏まえた発言と理解できるのだ。
いずれにしても葬儀法要だけをやっていれば事足りる時代ではないことを、宗門の御僧侶たちもよく承知していることだろうから、今後もさまざまの軋轢が生じることは必至である。
その壮年が差し出した名刺に、「日蓮正宗・経説寺支部・法華講員」と書かれていたので・・・
これは女子部第二百三十二区長の記事に出てくる文章だが、宗門関係の話題ではあるものの、女子部の記事はわりと穏やかである。細かい話は省略して、わたくしが注目したのは名刺である。自分で考えて作ったのか、法華講でそのような風習があるのか、そこは知らない。ともかく顕正会ではあり得ないことである。イヤミを言えば、顕正会の場合は組織の改編ないし昇格・降格が激しいので、名刺を作るにしても役職などの肩書きを入れづらいのだ。
最後は男子部第十二隊長の記事である。
そのときのことです。法華講の会合で配布された資料の一枚が、ズレて組長たちの目に留まったのでした。
何やら穏やかならざる内容のようである。
・・・そこには「日達上人猊下の悪臨終のうわさの事実」との題が付され
「葬儀後は良い臨終の相だった。親族の面会は、当時はできなかったようだ。総幹部会で発表した人物が本当の親族かどうか明確ではない。発表内容は作り話である。40年も経っていることを今さら出すのはおかしい」
と、細井日達の悪臨終を取り繕うための苦し紛れの虚偽が記されていたのでした。
困った人たちである。
まず、資料云々が問題である。もし説得力を持たせたいのであれば、顕正新聞紙上にその証拠資料を掲載すべきだろう。ようは法華講員宅で目にした資料なるものを、記憶を頼りに書き起こしているだけの不確かな文章、それが上掲なのである。しかも登壇者がそれを見たわけではないのだから、実にいい加減な話である。
それを隊長は、苦し紛れの虚偽、などと言っているのである。言語道断の所業だ。
2019/1/14
ヒトキワ
宮沢賢治の有名な雨ニモマケズについて、ずいぶん昔に読みかじった話がある。ようするに玄米四合は多過ぎるとの指摘がなされているのである。今ネットで調べてみたら、同様の話題を書いている人が無数に存在するようである。面倒なのでそれらを確認していないのだが、ここでわたくしなりの結論を言えば、これが後世に残る文学作品の特徴なのだろう。早い話がナゾの部分があって、さまざまな解釈が成り立つのである。大聖人の仏法にもそういう一面があると思う。
さて、顕正新聞の続きであるが、女子部総務の発言に注目である。
そこにこのたび先生より、日尊・日郷の二人が、日目上人の御遺言のまま申状を代奏し奉った際、日目上人のご遺骨を奉じて奏進していたことを始めて伺い・・・
記憶に新しい人も多いだろう。拙ブログで少し前に取り上げた話題である。
ようするに顕正会の教科書であるところの折伏理論書ないし基礎教学書の記述では、日目上人御遷化の後、日尊は京都へ日郷は大石寺へと二手に分かれたように理解できてしまうのである。平たく言えば、日郷は日目上人の御遺骨を持って大石寺へトンボ返りしたと、そのように読めるわけである。
まさに女子部の総務ですら同様の理解をしていたことになるだろう。いわんや顕正会員の大半がそのように理解していたとしても不思議はないのである。
次は第三十二婦人部長である。
必ずや諸天は動き、不敬の御開扉は即座に中止されることを大確信いたします。
凄いことを言うものである。即座に中止云々と。これはどのくらいの期間を想定して言っているのだろうか?
ややヘリクツであることを承知で書くわけだが、おそらく御開扉の中止は実現しないだろう、今後も御開扉は続けられるわけである、なぜならば不敬ではないからだ、というのが一つの結論だと思う。
先生こそが、大聖人様が御遺命成就のために召し出だされた唯一のお方と・・・
前回の拙稿で指摘したように、浅井先生は三百万まで動かないつもりなのである。あと何年掛かるのかが問題である。さらに問題がある。では三百万が達成されたとして、はたしてそれで何が変わるのかである。今より多少はパワーアップしているのかもしれないが、飛躍的な大成長は望めないだろう。それが客観的な見方のはずである。
さて、次は男子部第十六隊班長の記事である。この所属と役職だけではわからないが、すでに何度か紹介している人物で、顕正会から宗門に移籍して八年後に再び顕正会に戻ってきた、と書けばピンと来るかもしれない。
私が所属していた宗門末寺「実境寺」の・・・
具体的な末寺名は今回が初めてかもしれない。それはともかく御開扉の様子が書かれているくだりを紹介しよう。
中には御開扉後、「来るんじゃなかった」と不満を言い、「あそこに何が祀ってあるんだ」とか「あれが戒壇の御本尊か」などと、平気で指をさす不心得者もおります。
ようするに御開扉もノルマ化しており、イヤイヤ御開扉を受ける人も少なくないのが実情なのだそうである。この点、宗門側も少し考えないといけないだろう。かつて日達上人が仰せられたように、場合によっては御宝蔵に御戻しして正真正銘の篤信者のみに内拝を許すくらいの、そのような覚悟がないとダメなのかもしれないと思う。
ちなみに浅井先生もかつては不心得者の一人だった。
たぶん古い拙稿のどこかに記述があるだろう。指導とは御本尊を指さし導くこと。浅井先生の発言である。
さらに、勤行が始まっても居眠りをしている者、手を合わせない者すらおり、御開扉の前に「堂内は録音や撮影は禁止」とアナウンスされても、実際に御宝前が盗撮されたこともありました。
これはもう不可逆的な問題であって、まさか身体検査まで行なうわけにも行かないだろうし、その気になれば録音録画など誰もが可能である。ゆえにもしそれを防止したいのであれば、今度は逆にそれらをブロックする技術を導入するしかないのだと思う。わたくしは機械オンチなのでさっぱりわからないが、例えば肉眼では普通に見えている状態の物をカメラで撮影するとフィルターが機能して真っ黒だとか真っ白になってしまうみたいな感じである。もちろん、さらにそれを解除するテクニックなどが出てきてイタチゴッコになってしまうとは思うのだが、ともかく単に禁止を謳ったところでどうにもならないのが現実だろう。
ところでずいぶん前のことだが、創価学会系の顕正会批判サイトに顕正会の会館に安置されている本尊の画像が掲載されていたことがあった。当然、盗撮なのだろう。ゆえに顕正会側がその旨の苦情ないし訴訟などのアクションを起こしたらしく、その画像はすぐに削除されてしまったのだと記憶する。しかもそのサイトそのものが閉鎖を余儀なくされたのではなかったかと思うのだが、何しろかなり前の話なので記憶が定かではない。
ちなみに、最近の顕正会批判のサイトにはどのようなものが存在するのか、わたくしはまったく知らない。
特に興味がないので調べもしないわけだが、おそらくはほとんど存在しないのではないかと思う。その理由については甚だ生意気ながらも拙ブログが関係しているのだと考えられる。結局、拙ブログも立派な顕正会批判サイトなのである。しかも十年以上の実績がある。そして先ほどの盗撮の話を絡めて言えば、拙ブログではそのような姑息なことをまったく行なわない。また、特に極秘の情報網があるわけでもない。ようは顕正新聞という顕正会の公式機関紙に掲載されている発言内容に対して、批判を行なっているだけなのである。
今後はよほどの特色がない限り新規で顕正会の批判サイトを立ち上げても意味がないし、おそらくは注目もされないだろう。さりとて過激なことをすれば法務部が動く可能性もある。ゆえに状況的に顕正会批判のサイトは育ち難いのである。
ところが最近、動画サイトで顕正会批判を盛んにしている人物がいる。彼は顕正会専門ではなく、宗教全般を取り扱っていて、かなりの人気を博している。そうした中で今は顕正会の存在がひと際目立つようで、そのためか彼も顕正会の話題に触れることが多いようである。
なるほど、文章のみの拙ブログとは違った新たな顕正会批判のスタイルと言えるだろう。
さて、顕正新聞の続きであるが、女子部総務の発言に注目である。
そこにこのたび先生より、日尊・日郷の二人が、日目上人の御遺言のまま申状を代奏し奉った際、日目上人のご遺骨を奉じて奏進していたことを始めて伺い・・・
記憶に新しい人も多いだろう。拙ブログで少し前に取り上げた話題である。
ようするに顕正会の教科書であるところの折伏理論書ないし基礎教学書の記述では、日目上人御遷化の後、日尊は京都へ日郷は大石寺へと二手に分かれたように理解できてしまうのである。平たく言えば、日郷は日目上人の御遺骨を持って大石寺へトンボ返りしたと、そのように読めるわけである。
まさに女子部の総務ですら同様の理解をしていたことになるだろう。いわんや顕正会員の大半がそのように理解していたとしても不思議はないのである。
次は第三十二婦人部長である。
必ずや諸天は動き、不敬の御開扉は即座に中止されることを大確信いたします。
凄いことを言うものである。即座に中止云々と。これはどのくらいの期間を想定して言っているのだろうか?
ややヘリクツであることを承知で書くわけだが、おそらく御開扉の中止は実現しないだろう、今後も御開扉は続けられるわけである、なぜならば不敬ではないからだ、というのが一つの結論だと思う。
先生こそが、大聖人様が御遺命成就のために召し出だされた唯一のお方と・・・
前回の拙稿で指摘したように、浅井先生は三百万まで動かないつもりなのである。あと何年掛かるのかが問題である。さらに問題がある。では三百万が達成されたとして、はたしてそれで何が変わるのかである。今より多少はパワーアップしているのかもしれないが、飛躍的な大成長は望めないだろう。それが客観的な見方のはずである。
さて、次は男子部第十六隊班長の記事である。この所属と役職だけではわからないが、すでに何度か紹介している人物で、顕正会から宗門に移籍して八年後に再び顕正会に戻ってきた、と書けばピンと来るかもしれない。
私が所属していた宗門末寺「実境寺」の・・・
具体的な末寺名は今回が初めてかもしれない。それはともかく御開扉の様子が書かれているくだりを紹介しよう。
中には御開扉後、「来るんじゃなかった」と不満を言い、「あそこに何が祀ってあるんだ」とか「あれが戒壇の御本尊か」などと、平気で指をさす不心得者もおります。
ようするに御開扉もノルマ化しており、イヤイヤ御開扉を受ける人も少なくないのが実情なのだそうである。この点、宗門側も少し考えないといけないだろう。かつて日達上人が仰せられたように、場合によっては御宝蔵に御戻しして正真正銘の篤信者のみに内拝を許すくらいの、そのような覚悟がないとダメなのかもしれないと思う。
ちなみに浅井先生もかつては不心得者の一人だった。
たぶん古い拙稿のどこかに記述があるだろう。指導とは御本尊を指さし導くこと。浅井先生の発言である。
さらに、勤行が始まっても居眠りをしている者、手を合わせない者すらおり、御開扉の前に「堂内は録音や撮影は禁止」とアナウンスされても、実際に御宝前が盗撮されたこともありました。
これはもう不可逆的な問題であって、まさか身体検査まで行なうわけにも行かないだろうし、その気になれば録音録画など誰もが可能である。ゆえにもしそれを防止したいのであれば、今度は逆にそれらをブロックする技術を導入するしかないのだと思う。わたくしは機械オンチなのでさっぱりわからないが、例えば肉眼では普通に見えている状態の物をカメラで撮影するとフィルターが機能して真っ黒だとか真っ白になってしまうみたいな感じである。もちろん、さらにそれを解除するテクニックなどが出てきてイタチゴッコになってしまうとは思うのだが、ともかく単に禁止を謳ったところでどうにもならないのが現実だろう。
ところでずいぶん前のことだが、創価学会系の顕正会批判サイトに顕正会の会館に安置されている本尊の画像が掲載されていたことがあった。当然、盗撮なのだろう。ゆえに顕正会側がその旨の苦情ないし訴訟などのアクションを起こしたらしく、その画像はすぐに削除されてしまったのだと記憶する。しかもそのサイトそのものが閉鎖を余儀なくされたのではなかったかと思うのだが、何しろかなり前の話なので記憶が定かではない。
ちなみに、最近の顕正会批判のサイトにはどのようなものが存在するのか、わたくしはまったく知らない。
特に興味がないので調べもしないわけだが、おそらくはほとんど存在しないのではないかと思う。その理由については甚だ生意気ながらも拙ブログが関係しているのだと考えられる。結局、拙ブログも立派な顕正会批判サイトなのである。しかも十年以上の実績がある。そして先ほどの盗撮の話を絡めて言えば、拙ブログではそのような姑息なことをまったく行なわない。また、特に極秘の情報網があるわけでもない。ようは顕正新聞という顕正会の公式機関紙に掲載されている発言内容に対して、批判を行なっているだけなのである。
今後はよほどの特色がない限り新規で顕正会の批判サイトを立ち上げても意味がないし、おそらくは注目もされないだろう。さりとて過激なことをすれば法務部が動く可能性もある。ゆえに状況的に顕正会批判のサイトは育ち難いのである。
ところが最近、動画サイトで顕正会批判を盛んにしている人物がいる。彼は顕正会専門ではなく、宗教全般を取り扱っていて、かなりの人気を博している。そうした中で今は顕正会の存在がひと際目立つようで、そのためか彼も顕正会の話題に触れることが多いようである。
なるほど、文章のみの拙ブログとは違った新たな顕正会批判のスタイルと言えるだろう。
2019/1/12
ビラ
顕正新聞第1460号を見ていこう。当該号は十一月度総幹部会の模様を伝えるものであるが、まず一面で目を惹くところは折伏成果が三万三千有余だったことである。あとは教学試験のことと広布御供養だろう。
教学試験については毎年のように指摘していることがある。今回の試験種目は登用・四級・三級となっているが、五級はどうしたのかである。あるいは一級・二級はどうしたのかである。顕正会では恒例行事として毎年欠かさず行なっている。それほど重要な行事ならば、今指摘したようなことは矛盾としか言い様がないだろう。
広布御供養については特筆すべきことがある。
なお、本年より上限額が「六万円」になりました。
まったく事情を知らない人にとっては実感が湧かない話だろう。例えば今までの上限が五万円だったとして一万円の値上がりと考えれば、わかる話かもしれない。
ところがである。昨年までは上限が八万円だったのだ。わたくしの記憶が正しければ、それこそ三十年以上改定されずにいたのだと思う。そして先ほども書いたように、世間一般の感覚からすれば物価の上昇に応じて金額が上がってもおかしくないのである。その意味で上限額の引き下げは画期的なことではある。
ただし、これを手放しで評価するわけには行かない。
顕正会は活動の大半がノルマ化されている。顕正新聞の購読推進もそうであり、単純な話、後退は許されないのである。必ず前年比での上乗せが課される。すると広布御供養も推して知るべしであり、おそらく建て前上はあくまで会員有志の自発で行なわれるべきものとされてはいるものの、現実的にはやはり前年比からの上乗せした目標があると考えるべきだろう。つまり、上限が六万だろうが八万だろうが、場合によっては二口だとか三口という形で活動会員が負担を強いられるわけだから、本質的には大差ないのである。
さて、会長講演である。上述の話題に絡める意味で、まずは教学試験のくだりを紹介しよう。
前回の登用試験は過去最高の一万八千〇五一名でした。本年も多数の人々が入信・入会している。これらの人々を励まし、前回を上回わる教学の大旋風を巻き起こしていきたい。
会長自らがこのように言っている以上、前年比マイナスは許されない。これがノルマ化の意味である。
ちなみに秋の三ヶ月で三万人以上の人たちが入信・入会してきた。一年間の合計は推して知るべしだろう。ところが登用試験の受験者数は上掲のごとくなのである。つまり、これは名ばかりの入信・入会がどれだけ多いかを証明する話なのである。ノルマ化の弊害である。
いま・・・無智・無道心の末寺住職らが怨嫉を起こし、各地で顕正会を誹謗するビラなどを配っている。
この一段はひじょうに興味深い。全文紹介したいくらいだが、煩瑣になるのでやめておこう。
ここでわたくしが指摘したいのは、顕正新聞はそのビラなるものをまったく掲示していないことである。以前ならば、そうした誹謗文書を正面から取り上げて破折していたものである。けれどもそれをしないのは、おそらく会員には読ませたくないからなのだろう。例えば『迷走する顕正会を斬る』がわかりやすい。この本は顕正会にとってはひじょうに都合の悪い本なので、いわば完全なるタブーとしているわけである。こんなテイタラクでは対宗門においても勝ち目はないだろう。
さて、十一月度総幹部会では会館建設構想が打ち出されることが恒例となっている。近年、新規会館の建設頻度が鈍化しているように感じていたが、今回は鳥取県に建設することを発表している。それともう一つは第三青年会館である。
文章を読むだけでは判然としないものの、わたくしのイメージでは旧青年会館を含む周辺の土地を入手したのではないかと思える。いずれにしても寿能町がいよいよ信濃町的様相を呈してきたことは確実のようである。
歴史的なペンス演説
そして浅井先生が得意とする時事ネタである。顕正新聞にはペンス副大統領の写真が掲載されていて、次のような説明が付いている。
米国のペンス副大統領は、中国への対決姿勢を鮮明にした
細かい話は省略しよう。
池田大作を手なづけた周恩来(左)
これまた写真のキャプションであるが、左側に周恩来がいるとすれば当然ながら右側に池田大作氏がいることになる。両者が両手を使ってガッシリと握手をしている写真である。
当時の池田氏はまだ相当に若かったはずである。けれどもどうだろう、けっこう貫禄があるようにも見える。この点、顕正会員はあまりイロメガネで見るべきではないだろう。
ちなみに後年、温家宝の来日の時にも池田氏が登場し、けっこう話題になったものだった。庶民の王者というナゾの発言が注目を集めたわけだが、それはともかく池田氏は場慣れしていて、けっこう堂々として見えたものだった。
学生部大会「日中国交正常化」を提案した池田大作
この写真が凄いのだ。会場が定かではないものの、ベラボウに大きな会場であることは間違いない。それを学生部だけで埋め尽くしたとすれば、さすがは創価学会と言わざるを得ないだろう。顕正会にはマネのできないことである。
私は、早く三百万を成し遂げ、全日本人の耳に日蓮大聖人の大恩徳を入れしめ、一国を動かしたい。
今日はこれで最後である。わたくしはこの発言を大問題だと思っている。
簡単に言えば、二百万は通過点に過ぎなかった、ということになるだろう。
何度も書いているように、顕正会は百万達成の時に一国諫暁を行なった。しかし、事実上の失敗だった。そしてこの時、顕正会に失望して去った人たちが相当数いたわけである。
昨年、二百万を達成した。しかし、百万の時のような一国諫暁の戦いはしなかった。一つの解釈としては二千二十年代こそが広宣流布の決戦場であるとの予てからの発言があるので、その意味では来年以降に何かしらのアクションを起こすとも考えられるわけである。
ところがである。結局のところ、今の顕正会の実力では何をやろうが失敗に終わることが目に見えているわけなのだろう。ゆえに本格的な戦いは三百万まで持ち越しにすると、まさに上掲の発言はそのように言っているのと変わりがないのである。
教学試験については毎年のように指摘していることがある。今回の試験種目は登用・四級・三級となっているが、五級はどうしたのかである。あるいは一級・二級はどうしたのかである。顕正会では恒例行事として毎年欠かさず行なっている。それほど重要な行事ならば、今指摘したようなことは矛盾としか言い様がないだろう。
広布御供養については特筆すべきことがある。
なお、本年より上限額が「六万円」になりました。
まったく事情を知らない人にとっては実感が湧かない話だろう。例えば今までの上限が五万円だったとして一万円の値上がりと考えれば、わかる話かもしれない。
ところがである。昨年までは上限が八万円だったのだ。わたくしの記憶が正しければ、それこそ三十年以上改定されずにいたのだと思う。そして先ほども書いたように、世間一般の感覚からすれば物価の上昇に応じて金額が上がってもおかしくないのである。その意味で上限額の引き下げは画期的なことではある。
ただし、これを手放しで評価するわけには行かない。
顕正会は活動の大半がノルマ化されている。顕正新聞の購読推進もそうであり、単純な話、後退は許されないのである。必ず前年比での上乗せが課される。すると広布御供養も推して知るべしであり、おそらく建て前上はあくまで会員有志の自発で行なわれるべきものとされてはいるものの、現実的にはやはり前年比からの上乗せした目標があると考えるべきだろう。つまり、上限が六万だろうが八万だろうが、場合によっては二口だとか三口という形で活動会員が負担を強いられるわけだから、本質的には大差ないのである。
さて、会長講演である。上述の話題に絡める意味で、まずは教学試験のくだりを紹介しよう。
前回の登用試験は過去最高の一万八千〇五一名でした。本年も多数の人々が入信・入会している。これらの人々を励まし、前回を上回わる教学の大旋風を巻き起こしていきたい。
会長自らがこのように言っている以上、前年比マイナスは許されない。これがノルマ化の意味である。
ちなみに秋の三ヶ月で三万人以上の人たちが入信・入会してきた。一年間の合計は推して知るべしだろう。ところが登用試験の受験者数は上掲のごとくなのである。つまり、これは名ばかりの入信・入会がどれだけ多いかを証明する話なのである。ノルマ化の弊害である。
いま・・・無智・無道心の末寺住職らが怨嫉を起こし、各地で顕正会を誹謗するビラなどを配っている。
この一段はひじょうに興味深い。全文紹介したいくらいだが、煩瑣になるのでやめておこう。
ここでわたくしが指摘したいのは、顕正新聞はそのビラなるものをまったく掲示していないことである。以前ならば、そうした誹謗文書を正面から取り上げて破折していたものである。けれどもそれをしないのは、おそらく会員には読ませたくないからなのだろう。例えば『迷走する顕正会を斬る』がわかりやすい。この本は顕正会にとってはひじょうに都合の悪い本なので、いわば完全なるタブーとしているわけである。こんなテイタラクでは対宗門においても勝ち目はないだろう。
さて、十一月度総幹部会では会館建設構想が打ち出されることが恒例となっている。近年、新規会館の建設頻度が鈍化しているように感じていたが、今回は鳥取県に建設することを発表している。それともう一つは第三青年会館である。
文章を読むだけでは判然としないものの、わたくしのイメージでは旧青年会館を含む周辺の土地を入手したのではないかと思える。いずれにしても寿能町がいよいよ信濃町的様相を呈してきたことは確実のようである。
歴史的なペンス演説
そして浅井先生が得意とする時事ネタである。顕正新聞にはペンス副大統領の写真が掲載されていて、次のような説明が付いている。
米国のペンス副大統領は、中国への対決姿勢を鮮明にした
細かい話は省略しよう。
池田大作を手なづけた周恩来(左)
これまた写真のキャプションであるが、左側に周恩来がいるとすれば当然ながら右側に池田大作氏がいることになる。両者が両手を使ってガッシリと握手をしている写真である。
当時の池田氏はまだ相当に若かったはずである。けれどもどうだろう、けっこう貫禄があるようにも見える。この点、顕正会員はあまりイロメガネで見るべきではないだろう。
ちなみに後年、温家宝の来日の時にも池田氏が登場し、けっこう話題になったものだった。庶民の王者というナゾの発言が注目を集めたわけだが、それはともかく池田氏は場慣れしていて、けっこう堂々として見えたものだった。
学生部大会「日中国交正常化」を提案した池田大作
この写真が凄いのだ。会場が定かではないものの、ベラボウに大きな会場であることは間違いない。それを学生部だけで埋め尽くしたとすれば、さすがは創価学会と言わざるを得ないだろう。顕正会にはマネのできないことである。
私は、早く三百万を成し遂げ、全日本人の耳に日蓮大聖人の大恩徳を入れしめ、一国を動かしたい。
今日はこれで最後である。わたくしはこの発言を大問題だと思っている。
簡単に言えば、二百万は通過点に過ぎなかった、ということになるだろう。
何度も書いているように、顕正会は百万達成の時に一国諫暁を行なった。しかし、事実上の失敗だった。そしてこの時、顕正会に失望して去った人たちが相当数いたわけである。
昨年、二百万を達成した。しかし、百万の時のような一国諫暁の戦いはしなかった。一つの解釈としては二千二十年代こそが広宣流布の決戦場であるとの予てからの発言があるので、その意味では来年以降に何かしらのアクションを起こすとも考えられるわけである。
ところがである。結局のところ、今の顕正会の実力では何をやろうが失敗に終わることが目に見えているわけなのだろう。ゆえに本格的な戦いは三百万まで持ち越しにすると、まさに上掲の発言はそのように言っているのと変わりがないのである。
2019/1/7
ダイバンカイ
今日も顕正新聞の続きを見ていこう。婦人部伊予支区部長の発言も看過できない。
いま真実が白日の下に晒されたことは、学会、宗門を救わんとされる先生の戦いに諸天が感応したのだと、思わざるを得ませんでした。
彼女の言う真実とは日達上人の悪臨終のことである。しかし、何度も書いているように、それは不確かな伝聞に過ぎず、とても真実とは言い難いものである。ましてや白日の下に晒されたなどは以ての外であって、それを盛んに言っているのは顕正会だけであり、ようは顕正会だけが大袈裟に騒ぎ立てているだけの話なのだ。
当然ながら、諸天の感応云々も単なる思い込みに過ぎない。むしろ浅井先生の増上慢を戒める意味で、諸天は意地でも感応しないだろう。
鉄の団結を以て一気呵成に大挽回の戦いをなし・・・
むしろ支区部長のこの発言こそが、真実を白日の下に晒すものだろう。大挽回云々がそれである。顕正会の折伏法戦がいかにノルマ化されているか、それがために第一線で戦う活動会員たちがどれほど苦しんでいるか、ということが垣間見えるのではないかと思う。
さて、次は男性女子部員の記事である。
現在、私は八五歳ですが、広宣流布の暁に、浅井先生を先頭に、天生原までの四キロの道のりを歩くことが「最後の願い」であり、その時のための靴も用意しております。
イヤミではなく、こうした高齢者がそれを本気で思っていることは凄いことである。言葉は悪いが、これが顕正会の洗脳力だろうか?
ただ穿った見方をすれば、彼も薄々は無理だとわかっているのかもしれない。
その理由は靴を用意云々である。いわばその時まで履かずに仕舞っておくつもりなのだろう。けれどもそれは現実的には不合理であって、もし本気ならばその靴を普段から履き慣らしておくべきなのだ。わたくしも一つ高級な靴を持っているが、いちおうサイズは合っているものの、普段はまったく履かないものだから、たまに履くと足が痛くなってしまう。彼はわたくしなどよりも遥かに人生経験が長いので、そのようなことは百も承知のはずである。
こうして見ると、彼の最後の願いは儚い夢であり、彼自身もそれを承知している、というふうにも思えるわけである。
次は女子部第二百三十四区組長の記事である。
「おカネを多く積めば、その分、幸せになるから」と、わけもわからぬ理由で給料を全部取り上げられ・・・
日達上人に対する誹謗が顕正会員を狂わせているのかもしれない。上掲は彼女の創価学会員時代の話らしく、毎月の給料日には必ず創価学会員が来て、給料を全額持って行ってしまうのだそうである。
さすがにそれはどうかと思うが、いかがだろうか?
先日も二百万の仏壇を買わされたという話があった。入信早々にである。ある程度の年数を経て、幹部に登用されたりもして、信心のボルテージが上がってくればそのようなこともあるかもしれないが、さすがに入信早々の人が二百万の仏壇を買うわけがないだろう。
ようするに顕正会員たちは悩乱しているのだ。日達上人を誹謗するくらいであるから、もはや何でもアリということなのかもしれない。
久米島の自宅拠点 見守り続けた祖父
101歳、薪の火がきえるごとくの良き臨終
大聖人様がお迎えに来て下さった!
この記事はいいと思う。女子部第百三十二区長の登壇である。
最後に男性婦人部員の記事を紹介しよう。彼は昭和三十年代半ばに創価学会に入信したという。当時は中学生で両親の入信に伴なってのことらしい。わりと素直な性格だったためか、創価学会に疑問を持つようになったのはずいぶん後のことである。
公明党が自民党と連立政権を組んだ当初は、これで政治がよくなると期待しましたが、小泉元総理の自公連立政権の時代に、公明党がイラク戦争を承認したことに、「平和・平和と言いながら、おかしいではないか。許せることではない」と不信感が湧き・・・
なるほど、わりとマトモな感覚である。
当時は自衛隊の海外派兵の問題が議論されていて、戦闘地域がどうの非戦闘地域がこうのとアゲアシ取りのような議論が延々と続いていた記憶がある。小泉総理もずいぶんと苦しい答弁を強いられていた。
いずれにしても創価学会・公明党の方向性に疑問を持つ人が出てこないほうがおかしいわけであって、さらに後年の解釈改憲に至れば、なおさらのことである。
ゆえに彼の感覚はわりとマトモであり、その彼が言うのだから次のくだりは信用していいのではないかと思う。
聖教新聞のノルマや、信心とは関係ない「民音」の活動、また知人が三ケタの供養を求められたことを知っては疑念が深まりました。
民音のことはよくわからないので省略しよう。まず聖教新聞のノルマ云々であるが、これは顕正新聞のノルマに置き換えられるだろう。そして三ケタの供養が問題である。悩乱している顕正会員たちは気がついていないかもしれないが、これはむしろ創価学会が良心的であることを証明している記事なのである。
先ほど、毎月の給料をぜんぶ持っていかれた話を紹介した。毎月である。毎月だとすれば、本人の収入はゼロであって、生活できない。生きていけない。ゆえにそんなバカなことがあるかとわたくしは言いたいのだ。さらに二百万の仏壇しかりである。これも常識的には考えられないことである。つまり、この二つの事例は発表者がウソを言っている、もしくは話を盛っている、という可能性が否定できないのである。
翻って上掲の場合は、発表者本人が三ケタを求められたわけではないところが重要である。創価学会の場合は上限を設けていないようなので、三ケタの供養をする人もいることだろう。また経済的に余裕がありそうな人には三ケタを奨励しているのかもしれない。しかし、発表者本人は創価学会に長く在籍しながらも、そのような要求を受けたことがなかったのである。
以上、彼の話は信用していいと思う。
もう少しだけ書いておこう。
そして学会会館の本尊の左脇に、いつのまにか池田大作の名前が入っていたことを思い出し・・・
これも同じ記事からの引用である。当然、信用していいだろう。
ただし、彼はこれをもって創価学会はおかしいと言っているわけだが、それはまったくの誤解である。今は宗門も顕正会も池田大作氏をボロクソに言っている。とは言え、かつて創価学会は日蓮正宗の信徒団体であり、池田氏はその代表だった。それのみならず全信徒の代表だったのだ。法華講総講頭という肩書きだったろうか?
ゆえに時の猊下が創価学会の会館用に御本尊を認められた。その脇書の詳細はわからないものの、そこに池田大作氏の名前が刻まれていたとしても不思議はないだろう。
知る人ぞ知る、顕正会の会館にも個人授与の御本尊が安置されている。わたくしの記憶が正しければ吉野萬吉という名前だった。浅井先生もそのイワレはよくわかっていないようである。
いま真実が白日の下に晒されたことは、学会、宗門を救わんとされる先生の戦いに諸天が感応したのだと、思わざるを得ませんでした。
彼女の言う真実とは日達上人の悪臨終のことである。しかし、何度も書いているように、それは不確かな伝聞に過ぎず、とても真実とは言い難いものである。ましてや白日の下に晒されたなどは以ての外であって、それを盛んに言っているのは顕正会だけであり、ようは顕正会だけが大袈裟に騒ぎ立てているだけの話なのだ。
当然ながら、諸天の感応云々も単なる思い込みに過ぎない。むしろ浅井先生の増上慢を戒める意味で、諸天は意地でも感応しないだろう。
鉄の団結を以て一気呵成に大挽回の戦いをなし・・・
むしろ支区部長のこの発言こそが、真実を白日の下に晒すものだろう。大挽回云々がそれである。顕正会の折伏法戦がいかにノルマ化されているか、それがために第一線で戦う活動会員たちがどれほど苦しんでいるか、ということが垣間見えるのではないかと思う。
さて、次は男性女子部員の記事である。
現在、私は八五歳ですが、広宣流布の暁に、浅井先生を先頭に、天生原までの四キロの道のりを歩くことが「最後の願い」であり、その時のための靴も用意しております。
イヤミではなく、こうした高齢者がそれを本気で思っていることは凄いことである。言葉は悪いが、これが顕正会の洗脳力だろうか?
ただ穿った見方をすれば、彼も薄々は無理だとわかっているのかもしれない。
その理由は靴を用意云々である。いわばその時まで履かずに仕舞っておくつもりなのだろう。けれどもそれは現実的には不合理であって、もし本気ならばその靴を普段から履き慣らしておくべきなのだ。わたくしも一つ高級な靴を持っているが、いちおうサイズは合っているものの、普段はまったく履かないものだから、たまに履くと足が痛くなってしまう。彼はわたくしなどよりも遥かに人生経験が長いので、そのようなことは百も承知のはずである。
こうして見ると、彼の最後の願いは儚い夢であり、彼自身もそれを承知している、というふうにも思えるわけである。
次は女子部第二百三十四区組長の記事である。
「おカネを多く積めば、その分、幸せになるから」と、わけもわからぬ理由で給料を全部取り上げられ・・・
日達上人に対する誹謗が顕正会員を狂わせているのかもしれない。上掲は彼女の創価学会員時代の話らしく、毎月の給料日には必ず創価学会員が来て、給料を全額持って行ってしまうのだそうである。
さすがにそれはどうかと思うが、いかがだろうか?
先日も二百万の仏壇を買わされたという話があった。入信早々にである。ある程度の年数を経て、幹部に登用されたりもして、信心のボルテージが上がってくればそのようなこともあるかもしれないが、さすがに入信早々の人が二百万の仏壇を買うわけがないだろう。
ようするに顕正会員たちは悩乱しているのだ。日達上人を誹謗するくらいであるから、もはや何でもアリということなのかもしれない。
久米島の自宅拠点 見守り続けた祖父
101歳、薪の火がきえるごとくの良き臨終
大聖人様がお迎えに来て下さった!
この記事はいいと思う。女子部第百三十二区長の登壇である。
最後に男性婦人部員の記事を紹介しよう。彼は昭和三十年代半ばに創価学会に入信したという。当時は中学生で両親の入信に伴なってのことらしい。わりと素直な性格だったためか、創価学会に疑問を持つようになったのはずいぶん後のことである。
公明党が自民党と連立政権を組んだ当初は、これで政治がよくなると期待しましたが、小泉元総理の自公連立政権の時代に、公明党がイラク戦争を承認したことに、「平和・平和と言いながら、おかしいではないか。許せることではない」と不信感が湧き・・・
なるほど、わりとマトモな感覚である。
当時は自衛隊の海外派兵の問題が議論されていて、戦闘地域がどうの非戦闘地域がこうのとアゲアシ取りのような議論が延々と続いていた記憶がある。小泉総理もずいぶんと苦しい答弁を強いられていた。
いずれにしても創価学会・公明党の方向性に疑問を持つ人が出てこないほうがおかしいわけであって、さらに後年の解釈改憲に至れば、なおさらのことである。
ゆえに彼の感覚はわりとマトモであり、その彼が言うのだから次のくだりは信用していいのではないかと思う。
聖教新聞のノルマや、信心とは関係ない「民音」の活動、また知人が三ケタの供養を求められたことを知っては疑念が深まりました。
民音のことはよくわからないので省略しよう。まず聖教新聞のノルマ云々であるが、これは顕正新聞のノルマに置き換えられるだろう。そして三ケタの供養が問題である。悩乱している顕正会員たちは気がついていないかもしれないが、これはむしろ創価学会が良心的であることを証明している記事なのである。
先ほど、毎月の給料をぜんぶ持っていかれた話を紹介した。毎月である。毎月だとすれば、本人の収入はゼロであって、生活できない。生きていけない。ゆえにそんなバカなことがあるかとわたくしは言いたいのだ。さらに二百万の仏壇しかりである。これも常識的には考えられないことである。つまり、この二つの事例は発表者がウソを言っている、もしくは話を盛っている、という可能性が否定できないのである。
翻って上掲の場合は、発表者本人が三ケタを求められたわけではないところが重要である。創価学会の場合は上限を設けていないようなので、三ケタの供養をする人もいることだろう。また経済的に余裕がありそうな人には三ケタを奨励しているのかもしれない。しかし、発表者本人は創価学会に長く在籍しながらも、そのような要求を受けたことがなかったのである。
以上、彼の話は信用していいと思う。
もう少しだけ書いておこう。
そして学会会館の本尊の左脇に、いつのまにか池田大作の名前が入っていたことを思い出し・・・
これも同じ記事からの引用である。当然、信用していいだろう。
ただし、彼はこれをもって創価学会はおかしいと言っているわけだが、それはまったくの誤解である。今は宗門も顕正会も池田大作氏をボロクソに言っている。とは言え、かつて創価学会は日蓮正宗の信徒団体であり、池田氏はその代表だった。それのみならず全信徒の代表だったのだ。法華講総講頭という肩書きだったろうか?
ゆえに時の猊下が創価学会の会館用に御本尊を認められた。その脇書の詳細はわからないものの、そこに池田大作氏の名前が刻まれていたとしても不思議はないだろう。
知る人ぞ知る、顕正会の会館にも個人授与の御本尊が安置されている。わたくしの記憶が正しければ吉野萬吉という名前だった。浅井先生もそのイワレはよくわかっていないようである。