2019/2/17

ザックバラン  
今日はざっくばらんに顕正新聞の続きを見ていくつもりだが、昨日の拙稿で示した三百万と決戦場の関係性については、図らずも総男子部長が答えを書いてくれているようである。

いよいよ三百万を一気に成す体制を構築してまいらん・・・

わたくしの指摘は、三百万が十五年後に達成されるものだとすると、二十年代の決戦場とはいったい何なのか、というものである。しかし、上掲のごとく、三百万が一気に達成されればツジツマは合うわけで、三百万=決戦場、という等式が成り立つ。

ただ、おそらくはすでに同様のことを繰り返し書いているはずだが、現実的には難しいだろうと思う。なぜならば今までだって下方修正を繰り返してきたのである。ゆえに今後もそう大きくは変わらないだろう。

 そこに、宗門と仲間割れするや、たちまちに戒壇の大御本尊を捨て奉った池田大作・・・

同じく総男子部長であるが、わたくしはこのくだりに違和感を覚えた。

昨秋、学会員を救う特集号の決定版が出された。そこで言っていることと上掲にはかなりの隔たりがあるように感じられるのである。決定版には三段階云々の記述がある。その第一段階は正本堂が完成する数年前のことだとしているのだ。浅井先生によれば、池田大作氏はそこから四十数年の歳月をかけて創価学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせたのだそうである。

だったら上掲はおかしいだろう。

わずか数ヶ月前に言っていたことと今言っていることが、これほど食い違う例もめずらしい。行き当たりばったりにも程がある。今や顕正会は矛盾だらけになってしまい、まったく収拾がつかないようだ。

同様の発言を副総男子部長の一人もしている。あれ? ひょっとしたら? と思って十二月度総幹部会の会長講演を確認してみたところ、案の定、それは会長講演からの受け売りだった。

 しかるに池田大作は、宗門との仲間割れが始まるや、たちまちにこの戒壇の大御本尊を捨て奉った。

これが会長講演である。拙ブログではすでに当該講演の話題を書いているわけだが、ウッカリとこの部分は見過ごしてしまっていた。しかし、男子部の大幹部たちのお蔭でこうして気がつくことができた。感謝申し上げたい。

いよいよ浅井先生も焼きが回ってきたようである。

ようするに、決定版を謳っているのは九月度総幹部会の会長講演をベースにした特集号であり、上述のごとく三ヶ月後の総幹部会ではまるで違ったことを言っているのである。

また、ある意味ではそれを男子部の大幹部たちが増幅させてしまったことになる。いわば先生の恥を隠すのではなく、晒してしまったわけである。何しろわたくしは彼らの記事を読むまでウッカリ気がつかずにいたのだ。ゆえに彼らが書かなければわたくしは気がつかず、よってこうしてブログに書くこともなかったのである。その意味で彼らは不肖の弟子たちであり、そのうちの一人は親不孝者である。

では、どちらが正解なのか、それを書いておこう。

単純化すると、三段階説とたちまち説の二つがある。このどちらが正しいのか、という問題である。別の表現を使うと、用意周到説と行き当たりばったり説、である。答えは一目瞭然だろう。

ようは後者が正解である。しょせんは凡夫なのである。凡夫には未来がわからない。浅井先生も凡夫であるからして今回のような矛盾を生ずるし、池田大作氏もしょせんは凡夫に過ぎないので似たり寄ったりなのである。
もちろん創価学会という大組織を運営するに当たっては長期的視野が必要であり、池田氏の公式非公式の発言を拾っていけばそうした遠大な構想のようなことが語られているのも事実である。
しかし、現実にはさまざまの要因があって、必ずしも思うように事が運んでいるわけではない。繰り返し言うが、それが凡夫なのである。

すでに触れているように、このことは浅井先生もまったく同じである。ところが今の顕正会は浅井先生をほとんど本仏であるかのように扱っている。これが返ってアダになることは目に見えている。人間は必ず間違えるのである。それを無謬のように錯覚しても、しょせんは錯覚に過ぎないのだから、いつかは化けの皮が剥がれる時が来る。

浅井先生は広宣流布のゴールが近いことを繰り返し言っているけれども、むしろ化けの皮の剥がれる日のほうが早いのではないかと、そんな気がする今日この頃である。


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