2019/5/26

クジョ  
顕正新聞第1473号は目玉となる記事がない。何しろ一面からいきなり幹部たちの登壇記事で始まるのだ。ぜんぶで二十七本だろうか、すべてが各地の集会で発表されたであろう登壇記事なのである。

 三百万を見つめた本格的前進開始の法戦も残り十日となり・・・

これが第一面のトップを飾る副総男子部長兼第三総部長の記事の出だしである。彼は副教学部長でもあるわけだが、当該記事は所属の男子部員に奮起を促がすことに主眼があるようだ。

・・・最後十日間を戦ってまいります。

記事の中ほどに出てくる文言である。そして最後のほうには次の記述がある。

残る十日余を真心こめて戦う覚悟・・・

別にそれほどおかしなことを言っているわけではない。ただ、ようするに顕正会には締め切りがあってそれが十日後に迫っていること、そしてノルマ達成のために奮起を促がしていること、それが手に取るようにわかる記事なのである。

「最後に申すべき事」痺れる感動
  最も駆除すべきは阿部日顕


婦人部第八総部長の記事にはご覧のような見出しが付いている。ヒドイ話である。

わたくしの認識が正しければ、最後に申すべき事の一書でトドメを刺したわけだろう。そこで話は終わっているはずなのだ。それが十数年も経ってから駆除するとかしないとか言っているわけだから、実におかしな話なのである。大幹部たちはこれに疑問を感じないのだろうか?

ところで次の第二十二婦人部長の記事には、最後に申すべき事の記述が引用されている。

 「昭和五十四年、猊座についたばかりの汝は西片で、『猊座についたら、途端にカネがゴロゴロ転がり込んでくるようになった』と述べたが、この発言は宗内で広く知られている」

この出典が気になるところである。広く知られているということは、何かの本に載っているからなのだろう。ご存知の人がいれば、ぜひとも教えていただきたいものである。

 法華講で熱心に活動していた親戚の母親が今年二月に亡くなり、通夜・葬儀になんと五人の住職が来て、その中には阿部日顕の息子である阿部信彰もいて、五人の僧侶への支払いとして「四百万の請求」がきたとのことでした。

これは驚きである。まず、五人の僧侶が来たとのことは、それだけ熱心な御信徒さんだったわけなのだろう。これ自体は悪くない。しかし、金額が法外である。しかもである。請求云々と。

今は葬儀を簡略に済ませる人が増えているという。僧侶を呼ばない、いわゆる無宗教形式での葬儀も増えていると聞く。ようはカネが掛かり過ぎるからだろう。坊さんへの布施もバカバカしい。もしこれが世間一般の平均的な価値観だとすると、上掲のような話はまったくもって論外である。こんなテイタラクでは誰も日蓮正宗へ入信しようとは思わないだろう。

もちろん顕正新聞の記事であるからして、その真偽のほどは定かではないが・・・

宗門住職「安藤法徹」の無道心目の当り
「浅野さん(教学委員)だけは連れて来ないで」


婦人部桐生支区総班長の記事に付された見出しである。浅野さんは今や正宗僧侶の間では超有名人のようである。

ところで本文中には安藤某が法勤寺の住職であると書かれている。前回の拙稿で扱った記事に出てくる寺院である。当然、前住職は更迭されてしまったので安藤某は後任の住職なのだろうけれども、顕正会にとっては誰が住職でも関係ないようだ。ようは顕正会の主張に賛同するか否か、それが運命の分かれ目なのである。

宗門末寺「妙声寺」住職も無道心!
 国立戒壇を否定「勅宣・御教書あり得ない」


今度は婦人部日吉支区総班長だが、見出しの「も」が笑えるところである。登壇者本人なのか編集部なのか定かではないが、ようするに心境的にはどいつもこいつもということなのだろう。宗門の坊さんはどいつもこいつも無道心であると。

「紫宸殿とは師匠から弟子への御本尊だ」

これは住職の発言である。これに対して登壇者は、紫宸殿の御本尊を否定した、などと書いている。実に困ったことだと思う。

ようするに顕正会では一つの説しか教わっていない。だから住職の言っていることを理解できないのである。いわゆる紫宸殿の御本尊は大聖人の御真筆御本尊であるが、その御本尊のイワレについては諸説があるらしい。一つには顕正会で言っているごとく、天皇受持の御本尊である。そしてもう一つの有力な説が師資伝授の御本尊である。

顕正会では都合が悪いことは教えない。だからほとんどの会員がこれを知らない。しかし、そんなことではダメだろう。それこそ優秀な教学委員がたくさんいるのだから、こうした問題にも積極的にアプローチしていくべきである。

先生のテンポに引っ張って頂けた・・・

これについてはイヤミを言っておこう。浅井先生のテンポは牛歩のごとくであると。

ずいぶん昔のことなので不正確であることをお断わりしておく。以前は特別講習会と呼ばれる集会があった。日曜勤行と月例の御書講義、あるいは総幹部会。浅井先生の出番はめちゃくちゃ多かった。しかもである。年に一回、特別講習会をやっていた。ある年、三つのグループに分けて、講習会が行なわれた。午前の部と午後の部、そして夜の部である。なんと浅井先生はそのぜんぶに出席して、ようは同じ話を三回繰り返したのである。今では、というかすでにかなり以前から、一回目にビデオを収録して二回目以降はそれを視聴するのが普通となった。まさに隔世の感があるところだ。

もちろん録音録画の技術が向上したわけだし、それを活用することに異論はない。しかし、やはり誰がどう見ても浅井先生が年を取ったことは否めないし、体力的な問題もさることながら気力の衰えも相当だろうと思われるのである。

自画自賛ながらも拙ブログのテンポはなかなか衰えない。


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