2019/6/25

ヒドスギル  
顕正新聞第1476号に移ろう。

「御遺命守護」特集号3

これが今の顕正会のトレンドである。七八年前は原発関連の特集号を連発していた。数年前は創価学会批判の特集号だった。そして今年のトレンドはまさしく宗門批判である。

以前の御遺命守護特集は創価学会批判に主軸が置かれていた。ところが今年のそれは宗門批判が主軸となっている。

本題に入る前に、今日のところはまず前回の関連から、本部庭園の四季、を取り上げたい。

本部庭園の蓮池にカルガモが飛来

ヒドイ写真である。カルガモが二羽、この点は前回の写真と同じである。今回はそれがわりとアップで写されているので、その意味ではかなりマシになったと言えるだろう。しかし、構図がヒドスギルのだ。

ようするに二羽のカルガモがお互いにソッポを向いているのである。

わたくしの印象ではカメラを向けられて緊張している、いや、警戒していると言ったほうが適切だろう。これは動物写真を撮るカメラマンにとって、一つの重要な課題なのだと思う。結局、相手が人間ならばいくらでも注文ができる。ところが動物は言葉を理解しないので、というよりも撮影そのものを理解していないだろうから、極論すれば鉄砲を向けられていると思って警戒するのである。そこをどのように解決するかである。野生動物であればどれだけ自然な雰囲気を出せるかだし、逆にカルガモの場合はわりと人間馴れしているところがあるのでそこをうまく引き出せるかである。

ともかく写真のデキとしては最低レベルだろう。これを特集号として大量配布するのは恥ずかしい。プロの写真家でも雇えばいいのにと思う。

さて、第一面に目を移そう。

下段に載っている人事が気になるところである。婦人部が三名、男子部が二名、女子部が十名、顔写真入りで紹介されている。これらは五月末の総幹部会での人事であるから、特に異例というわけではない。六七月の折伏法戦開始に当たり、布陣を整えるという意味において、普通なのだ。

ただし、相変わらず兼任が多い。

例えば第十一婦人部長に任ぜられたのは第八総部長である。もはや外部の人間にはわけがわからない。部長と総部長の関係性がすぐには理解できないのだ。系統図でも作らないといけないだろう。

ともかくわたくしが気になったのは、近畿方面を担っていた前任者がどうなったかである。

拙ブログの膨大な過去の記事の中に、彼女のことを書いたものがいくつかある。今は記憶だけで書くが、彼女は職業的にはひじょうに安定した立派な仕事に就いていた。それを顕正会の活動に専念したいがために辞めてしまったのである。その彼女がである。今は顕正会を去ってしまったかもしれないのだ。大袈裟に言えば、人生を棒に振るようなものである。まったく何をやっておるものかと思う。

10人の区長を抜擢

男子部の人事はさておき、今度は女子部に目を向けてみよう。ご覧のような見出しが付いているけれども、やや問題である。

十人中四人が兼任なのだ。

具体的には副総合女子部長だとか地方部長が区長を兼任するという人事であり、委細に調べればすでに兼任になっている人も少なくないはずなので、その全体像は恐ろしいことになっていると思う。

わかりやすい話をすると、仮に役職ごとに席を用意したとしよう。女子部の場合は区長以上で何百席も必要になる。そして全員着席するのだ。すると空席がたくさん残る。欠席者がたくさんいるのかと思いきやそうではなかった。ようは兼任が多いために、そのようなおかしなことになるのだ。

こうして見ると、水面下では幹部クラスであっても相当数が離脱していると考えられる。その詳細は不明であるものの、おそらくはそのうちの一定数が宗門へ流れているのだろう。顕正会としてはそこに歯止めを掛けたいために、宗門批判キャンペーンを展開しているのかもしれない。それが好結果を生むかヤブヘビになるか、そこは微妙なところである。

抜擢

この言葉の意味は辞書を調べれば一目瞭然である。辞書に照らせば、先の十人の区長を抜擢したという見出しは丸っきり間違っているわけではないのだろうけれども、わたくしの言語感覚からすると相当に違和感がある。何しろ十人中四人は兼任なのである。ようするに四つのポストが空いてしまい、それを埋め合わせるために上級幹部に兼任させたわけである。新しい人を抜擢できないようではオシマイだろう。

2019/6/21

ホンブテイエン  
顕正新聞の続きである。

 私は三人の子育ての傍ら、大姑の介護をする慌ただしい日々を送っていたときに折伏を受けました。

婦人部信州支区部長のことはよく憶えている。と言っても、あくまで登壇者としての彼女を記憶しているだけのことであり、面識があるわけではない。ともかく話の内容が凄まじいのだ。彼女は顕正会に入信した。それを家族に知られ、家を追い出されてしまった。当初は行く当てもなく、温泉旅館で住み込みで働いていたのだそうである。後には顕正会の男子部員と再婚し、ご覧のように今は支区部長という婦人部の中核的な幹部として活躍している。

 二男はまだ二歳半で乳離れもできず、子供たちを思い、どれほどの日々、泣き明かしたか知れません。

当時のことである。そして次の記述は十一年後の出来事のようだ。

・・・前夫の急死の報が入りました。
 その日のうちに、十一年もの長き間、一度も会うことがなかった中学一年になった二男が、「本当のお母の所へ行く」と泣きじゃくりながら私の元に帰ってきたのでした。


けっこう感動的ではある。しかし、この後がまた大変なのだ。

 しかし二男は思春期の多感な時期で、サッカーの県代表選手として活躍していましたが、身が入らなくなり、感情を露わにし、「おまえが宗教に狂い、子供を捨て、家族がバラバラになった!」と怒鳴りながら暴れ・・・

ここからさらに十年ほど経過した現在は、当然ながら状況も変わってきているわけだが、ここでは省略しよう。

わたくしはこの人の再婚相手を評価したいと思う。現在は隊長を務めているそうだが、文字通りの実直な人物像が浮かんでくる。登壇者には前夫との間に三人の子供がおり、上掲のごとく難しい問題を抱えているのだ。文面には見えないけれども、前夫の家族とも何がしかのややこしい問題を残しているかもしれないし、今後もそれがずっと続く可能性もある。それらをすべて受け止めるつもりで再婚したのだろう。立派な人物である。

さて、次は男子部第八十三隊支隊副長であるが、この登壇者もよく憶えている。

小説家として
 「ゲームアプリ」を


いわゆるクリエイターである。以前の登壇記事でもその特殊な職業のことが書かれていて、その点がひじょうに印象的だったものだから、憶えていたわけである。問題はこの先だろう。はたしていつまで続けられるのか、注目したいと思う。

本部庭園の蓮池を泳ぐ2羽のカモ(右下)

これはダメだろう。何がダメかは編集部がいちばんわかっているはずだ。

近年の顕正新聞は紙面が単調である。以前は四コマ漫画があった。あるいは茶寮の特集記事みたいなものが連載されていた時期もあった。今はそうした彩りがまったくないのである。

いちおう、本部庭園の四季、というコラムがある。

しかし、ひじょうに稚拙というか、やっつけ仕事的な印象が拭えないのである。今回のカモの写真もしかりである。この際、プロの写真家でも雇ったらどうかと思う。

2019/6/18

ダンチコウフ  
沖浦氏の御書の読み方は丸っきり間違っているわけではないのだろうけれども、どうかと思うところである。別々の御書を組み合わせて読む場合、それがトンチンカンな解釈になりかねないことに留意する必要がある。本来は一つの御書の全体的な文脈から、その御文の意味を拝さないといけない。

法蓮抄における証拠云々は、大聖人御自身を意味するものであって、世間一般の道徳的な振る舞いみたいな浅薄な話とはまったく異なる。簡単に言ってしまえば、大聖人の御振る舞いはすべて法華経の経文どおりであり、大聖人こそが末法の法華経の行者であることが、四箇度の大難を経て、かつまた蒙古襲来の予言的中をもって、確定したわけである。ゆえに同抄では御自らを、大聖人、と仰せられているのである。常には御謙遜の表現をあそばすことが多い大聖人であるが、詳しく拝するならば大胆な御表現もけっこうあるのだ。

ところで団地広布という言葉が出てきた。

実は先般、創価学会の内部資料を見る機会があって、ひじょうに驚いている。というのは、それはある地域の創価学会員名簿だった。住所の欄から推測するに、そこは団地なのだろう。その団地における創価学会員の比率がベラボウなのだ。以前から団地には創価学会員が多いとは聞いていたが、その具体的な割合まではわからなかった。その名簿によれば、もちろん各号棟でバラツキはあるものの、おおむね一割以上だった。中には三割を超えているところもあった。当然、名前だけの人もいるのだろうけれども、それにしても凄いことだ。三分の一広宣流布理論からすると、団地の場合はすでに広宣流布が達成されているところも存在することになりそうである。

さて、今日も顕正新聞を見ていこう。

宗門末寺「法悦院」の住職も逃げの一手

これは男子部第十隊支隊長の記事に付いている見出しだが、本文を読むと住職が気の毒になってくる。登壇者以外にも、連日のように女子部や婦人部の人が来て対応に追われているらしいのだ。

「宗門に入る気がないくせに電話してきて話をしたり、長い人だと四時間も」

住職のセリフらしい。確かに迷惑な話だ。連日である。しかも長い人は四時間だそうである。

ただし、上掲は少し甘ったれているような気味も感じられるところである。

ようするに、ここ十年くらいは顕正会で行き詰った人がネット上の情報などを頼りに正宗寺院の門を叩くようなことが、相当数あったのだろうと思われる。果報は寝て待てみたいな話であり、住職にしてみればこんなありがたい話もあるまい。しかし、世の中そんなに甘くはないだろう。ゆえに甘ったれていると書いたわけだが、それがなぜか急に変わってきた。激変である。ともかく今の顕正会の動きは異常であり、住職たちが戸惑うのも当然である。

ところで同記事には創価学会員の証言として次のような記述がある。

 「今、学会は組織が二つに分裂しています。一つは公明党などカネ儲けの輩、もう一つは、大聖人様の昔からの仏法をやっていこうという側で、私の祖母は後者です」

証言者はミカツなのかもしれない。書いていることがおかしいからだ。

公明党などカネ儲けの輩?

まったくの意味不明である。末端の創価学会員が公明党を支援したところでカネが儲かるわけではない。ゆえに過去の諸々の記事には、公明党を支援すると功徳になる、というような文言があるのだ。まさか功徳=カネではあるまい。

ちなみによく耳にする話として、公明党議員の尽力で生活保護の申請が通りやすくなる、ということがある。これをカネ儲けとは言わないけれども、確かに即物的な功徳ではあるのだろう。

しかし、そうすると前回の話がなおさら理解不能になる。

共に学会で信心していた弟が、家族に捨てられて路上生活に・・・

再掲であるが、わたくしにはわからない。当然、文面にはあらわれない、さまざまの事情があるということなのだろう。それと同時に、そもそも顕正新聞の記事をマトモに受け取るほうがおかしい、なぜならデタラメだからだ、というふうにも思うところである。いや、もちろん、そういう決めつけはよくないのだが・・・

ところで公明党議員の話に戻って、彼らの尽力で創価学会員が生活保護を受けやすくなるとすれば、なるほど公明党を熱心に支援するのも頷けるところである。

ただそこで素朴な疑問として思うことは、それが贈収賄に相当しないのか、である。議員が依頼者からおカネを受け取って何かをすれば収賄罪になる。公明党議員の場合、創価学会員から直接おカネを受け取ることはない。いわゆる無償の奉仕である。ただし、その見返りとして選挙の時には熱烈なる支援を受ける。これは贈収賄とは無関係なのだろうか?

こんなことはすでに結論の出ている話なのかもしれないが、相変わらずの不勉強ゆえに今頃になって疑問に思っている次第である。

2019/6/16

サイシュウショウ  
沖浦氏の言っていることはわりと常識的なのかもしれないが、しかし、顕正会の場合は少し事情が異なるので、その点を勘案しないといけないと思う。

客観情勢がその必要を迫るならば、顕正会はいつでも立つ!

これは記憶だけで書いているので、正確ではないかもしれないことをお断わりしておく。ともかくこれが浅井先生の得意のセリフなのである。しかし、近年はあまり聞かなくなった。ようするに客観情勢ではなく浅井先生の恣意的な判断で事がなされている。ここが問題なのである。

有名なのが、あと二十五年云々、である。結局、二十五年という数字の根拠は無いに等しく、ただひたすら核戦争の危険性を訴えるだけだった。確かに核戦争そのものはひじょうに危険なことなので、それを聞いた会員たちがそこで錯覚を起こすのである。あと二十五年なのだと。

しかし、その二十五年の年限もとうに過ぎてしまった。

わりと近年盛んに言っていたことは、二十年代云々、である。それも気がつけば来年に迫っている。しかし、現実にその時を迎えてみると、何となく拍子抜けするような感じになる。それは会員たちに過度の期待があるからで、その期待の発生源が浅井発言なのは言うまでもないことだろう。それを前回は妄想・幻想と表現したわけである。

さて、今日も顕正新聞の続きを見ていこう。

「国立戒壇だけは間違い」と抗う弾切れの輩どもに・・・

男子部第十二隊総支隊長補の発言は、弾切れが新鮮に感じられる。

しかし、これをネタ切れと言い換えるとわかりやすいかもしれない。そもそも教義は一貫性があればそれでいいのであって、新ネタを披露する必要はまったくないのである。ゆえに同じことを主張し続ければいいのだ。
ただし、同じ主張であっても新たな切り口を見つけることができれば、それが突破口になることもあり得る。彼の言っていることはそのような意味なのかもしれない。
であれば顕正会も同じことだろう。一貫不変を謳っていてもそれを悪く言えばマンネリ化に他ならないわけで、何か斬新な切り口での宗門批判を展開できればいいのだが、現実には難しそうである。つまり、顕正会も弾切れなのだ。

何度も言っていることだが、国立戒壇の名称は使用しない、というのが日達上人の打ち出した方針である。日顕上人がそれを踏襲するのは当然のことであり、国立戒壇の意味内容についての議論は別枠だとすれば、国立戒壇だけは間違い云々は、国立戒壇の名称を使用することは間違い、と理解すればまったくその通りのことなのである。

このように相手の言わんとしていることを善意に解釈することが歩み寄りの第一歩となるわけだが、どうやら顕正会にはそのつもりはサラサラないようである。

次は婦人部小石川支区総班長の発言である。

最終章に先生の御供が叶う有難さ・・・

ここでの最終章は何を意味するのだろうか?

先般の会長発言によれば、御遺命守護の戦いもいよいよ最終章を迎えた、という意味だった。ところが上掲はどうもそうではなく、広宣流布そのものを意味しているように感じられるのである。これまたアゲアシ取りのようで恐縮だが、顕正会ではここ二十年、ずっと最終段階と言ってきた。それを最終章と言い直したところで、何が変わるわけでもあるまい。

さて、次の第三女子部長の記事はかなり問題である。

 「共に学会で信心していた弟が、家族に捨てられて路上生活になっても、御本尊様を大事にしていたのに、亡くなったとき、この広告文に書いてある成仏の相ではなかった」

創価学会のイメージダウンを目的としているのかもしれないが、内容そのものが残酷過ぎて逆にマイナスのような気がする。つまり、一般人がこの記事を読むと、創価学会に対してではなく顕正会に対して嫌悪感を懐くのではないかと思うのだ。たぶん本人も顕正新聞編集部も、そこには気がついていないのだろう。

家族に捨てられて云々と。

すでにしてこの部分が創価学会のイメージダウンを狙った記述となっている。この証言をしている兄と思しき人物はなぜに弟を救ってあげられなかったのか、そこが問題である。創価学会に対する一般人のイメージがどうであれ、ともかく家族であれば見捨てることはしないのが普通である。その理由が不明である点が不満だ。

御本尊様を大事にしていたのに云々と。

顕正会のロジックだと、御本尊をどれほど大事にしていても御遺命に背く団体に籍を置いているだけでアウト、となる。ゆえに成仏の相ではなかったと言いたいわけなのだ。

すると、顕正会員ならば路上生活であっても成仏の相を現ずることができると、そう言いたいわけなのだろう。わたくしにはこれが大いに疑問である。

成仏の相を皮相的に見過ぎているのではあるまいか?

くだんの路上生活者の話に戻って、わたくしに言わせれば家族に捨てられて路上で野垂れ死にしたこと自体が不幸なことなのであって、成仏の相云々はどうでもいいことである。ようするに死相を云々することが間違っているのだ。もっとマクロに見ないといけない。つまりはその人の生き様ないし死に様ということである。

つまり、くだんの人物は自ら働いて収入を得ることもままならなかった。家族にも見放されてしまった。行き着くところは路上生活である。そこで生涯を閉じた。これが彼の生き様であり死に様なのである。

もしこのような不幸な境遇と成仏不成仏が無関係だとすると、もはや誰も成仏などは目指さないだろう。いわゆる現世利益を完全否定するような教義であり、顕正会がそれを目指しているのならば誰も入信しないに違いない。

しかし、現実はむしろ現世利益を強調しているのが顕正会の実態である。

これでおわかりだろう。くだんの記事は全体的な整合性などどうでもよくて、創価学会のイメージダウンができればそれでいいのである。ただし、すでに最初に述べたように、一般人をナメてはいけない。むしろこうした記事は顕正会のイメージダウンを助長するだけであって、いわば自爆的な記事に他ならないのである。

2019/6/15

ダイフシギ  
顕正新聞の続きを見ていこう。副総合婦人部長はまだ懲りずに言っている。

大師子吼

浅井先生の発言をご覧のように表現するのはダメだろう。

「最後の大不思議」への大確信

大を付けるのが好きな人たちである。ちなみにここでの不思議の意味は広宣流布のことである。今まで不思議なことが三つあって、これを先例として最後の不思議も間違いないと確信しているわけなのだ。勝手にすればいいだろう。

もう一人の副総合に注目である。

 されば、二〇年代の決戦場到達まで、残る法戦はあとわずか・・・

本年初頭からずっと注目し続けているフレーズである。半年経ってほぼ消滅したと思いきや、まだ使っている幹部がいるのが驚きである。引き続き注目したい。

第二十五婦人部長も大師子吼が好きである。彼女の登壇には他にも注目すべき文言があるので紹介しておこう。

先生こそ、大聖人様が国立戒壇建立の「願主」として遣わされたお方・・・

何を言っておるものかと思う。

 本ご講演は、顕正会員に対してと共に、まさに宗門全僧俗に対する先生の「最後に申すべき事」であることにハッとし・・・

なるほど、である。「最後に申すべき事」を書いてから十年以上も経って、今さら何をウダウダ言っているのかと思ったが、上掲はそれに対するなかなかうまい回答である。とは言え、今後も言い続けるのだろう。顕正会の存在意義はそこにしかないからである。結局、最後最後と言いながら、それを何回も繰り返してきたのが顕正会なのである。

ただ、もう少しだけ深読みすると、顕正会員に対してと共に云々がイミシンであって、もしかしたらこれが顕正会員に対しても最後となるのかもしれないのだ。浅井先生は御遺命守護の歴史を繰り返し語ってきた。いわば今回はその最新版に相当するわけだが、これが最終版になるかもしれないのである。

あれまあ、次のページを見たら婦人部第八総部長も大師子吼と言っちゃっている。

第四十四女子部長の発言では次が注目である。

正系門家の歴史的転換の背景となる大折伏を・・・

なぜ今なのか、である。ようするに平成十年の出来事を不思議の還御と顕正会では呼んでいるわけであり、まさにあの年こそが歴史的転換点となるべきはずだったのだ。そのように考えると、なぜに今がそれに匹敵ないし凌駕する時なのかが不明であり、しょせんは行き当たりばったりに過ぎないのではないか思わざるを得ないところなのである。

ところで男子部第五総部長の記事に目を転ずると、先の副総合婦人部長と同趣旨のフレーズが出てくる。

明年の決戦場を見据えた大陣容・・・

明年の決戦場を見据えた様変わりの大前進・・・


これはある意味で浅井先生にプレッシャーを掛けていることになるだろう。明年、もし何もしなければ、いったい決戦場とは何なのか、ということになりかねない。ようは有名無実ということだ。

断末魔の悪書を再発刊した宗門・・・

それにしても凄いことを言う人である。教学委員の中でも武闘派として住職たちに恐れられているだけのことはあると思った。

第四十四女子部長の発言はやや疑問である。

すべて勝ってこられた先生・・・

何をもって勝利とするか、そこが問題である。負けるが勝ち、という言葉もある。わたくしの思うに、例えばスポーツの世界であれば数字であらわすことができるので、そこから勝った負けたを判断することが可能である。しかし、世の中の大半のことはむしろ数字ではあらわせない混沌としたものなので、そこで勝利を云々してもしょせんは個人の主観に過ぎないだろう。

そうすると最終的には顕正会の主張する広宣流布も国立戒壇も個人の主観の域を出ず、実際問題として客観的には広宣流布も戒壇建立もまだ見えてこないというのが真実に近いだろう。つまり、顕正会の言っていることは主観であり、より刺激的な言葉を使えば、妄想ないし幻想ということになるのだ。

2019/6/10

サンモンバン  
三文判の話はけっこう貴重な情報かもしれない。いわば成果の水増し報告が常態化しているわけなのだろう。宗門の実態をよく伝えていると思う。

ちなみに顕正会ではかなり以前に署名捺印を廃止してしまったので、それこそデタラメな報告が横行している可能性がある。いや、実際には真面目な活動会員がたくさんいて、ともかく入信勤行だけはしっかりと行なっているのだろうと想像されるわけだが、しかし、その一回きりでオシマイという場合が多いのだろう。ごく単純に、公称会員数が二百万にもかかわらず実数はその十分の一に満たないという現実が、それを物語っている。

晃氏からありがたいご教示をたまわった。

ようするに一度目が安徳天皇の時であり二度目が後鳥羽上皇の時、そして今まさに行なわれんとしている蒙古調伏を第三度とするのが正しいようである。わたくしは浅井先生の言っていることに疑問を感じて、関係がありそうな御書を確認した。具体的には祈禱抄・本尊問答抄・神国王御書である。しかし、これらはかなりの長文なので、さらに関係がありそうなところだけに絞って確認してみた。いわばそこに落とし穴があって、晃氏の引用している部分をウッカリ見過ごしてしまっていたのだった。

ん?三度目は、さすがに
大聖人の諫暁で、大規模なものは辞めたのでしょうか?


ところで晃氏の疑問であるが、もっとも単純な話をすれば、日本国は同体異心であり、朝廷と幕府の間には過去の経緯からしてワダカマリがあって、なかなか一枚岩にはなれなかったということなのだと思う。平成新編の巻末年表にもその辺の事情が窺えるところである。

朝廷 蒙古への返牒を鎌倉へ下す
幕府これを押さえて送らず


文永七年一月の記述である。両者の関係がギクシャクしていることは間違いあるまい。ゆえに、もともと一枚岩ではなかったこともあって、祈祷のほうもチグハグなものになってしまったのだろうと思われる。

さて、顕正新聞の続きである。

 これら二代の悪貫首が、御遺命を守護するためには、一度たりとも池田大作と戦うことがなかったにもかかわらず、カネのためなら大抗争をも起こすその畜生ぶりには・・・

副総男子部長の言っていることはかなりズレていると思う。日達上人は粥をすすってでも云々とおっしゃられたそうである。日顕上人にしても同様だろう。もしカネにこだわるならば、創価学会を破門にせず、うまく妥協していればよかったのである。

つまり、カネのためではないのだ。あえてイヤラシイことを言えば、プライドを守るためだろう。世の中の争いごとの多くはそうしたツマラヌことに端を発するわけである。

次は総合婦人部長の発言をいくつか拾ってみよう。

第二次教学部委員

教学委員のはずだった。いや、もちろん、教学部委員でも教学委員でも大差はないのだが・・・

十五年前の悪義をぶり返す宗門・・・

ぶり返すが興味深い表現である。わたくしの言語感覚では、例えば病気がぶり返すみたいな感じで使うのが普通なので、これはあまり相応しくないように思うのだが、いかがだろうか?

 五十五年にわたり責め続けた恐るべき謀りも・・・

これは興味深い表現とかの問題ではなく、ひじょうにおかしな表現に思えるところである。申し訳ないが、その説明が難しい。ともかくヘンである。総合婦人部長もいよいよ焼きが回ってきたのかもしれない。

最終章の完結

これも総合婦人部長である。結局のところ浅井先生のデタラメに付き合っているうちにおかしくなってしまったのだろう。上掲から直ちに想起されるのは、いわゆる御遺命守護完結である。つまり、御遺命守護完結はウソだった。しかし、そうは言えないので今度は最終章の完結と表現を変えたわけである。

ただこれも浅井先生がちゃんと説明すれば済む話であって、御遺命守護は完結していなかった、と言えばそれでいいのである。

卑近な例を示すと、今は梅雨真っ盛りであるがいずれは梅雨明けになる、気象庁が梅雨明け宣言をする、ところが後になって梅雨明けしていなかったという撤回宣言みたいなことがしばしば行なわれている、というのが現実である。

極論すれば、すべての発言に有効である。一千万の誓いもそれで済むのである。現実には済まないのかもしれないが、わたくしに言わせればそれを隠蔽することのほうが百千万億倍の罪なのである。いかがだろうか? これに反論があるだろうか?

上のほうでプライドの話をした。まったく同じだろう。先生もツマラヌプライドに囚われているのである。

2019/6/8

ダイキトウ  
顕正新聞第1475号を見ていこう。一面から二面にかけて立宗会での会長講演が掲載されている。毎年、同じ話の繰り返しではあるものの、そこに工夫を凝らしているところが凄い。

・・・折から太平洋上を昇らんとする旭日に向かい、始めて「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と「十遍ばかり」(法華本門宗要抄)お唱えあそばされた。

十遍は初耳の話だ。しかし、その出典が問題である。

顕正会員の大半は御書を持たない。顕正会版の御書が出版されれば買うだろうが、宗門や創価学会の御書には抵抗を感じている人も少なくないはずである。いや、もちろん、幹部の中には御書を所持している人が相当数いると推測される。対宗門・対創価学会のために独自に研究しているのだ。とは言え、表向きは御書を持たないのが、顕正会員の平均的な姿のはずである。

そして言わずもがなのことだが、上掲の法華本門宗要抄は偽書とされており、全集にも平成新編にも掲載されていない。それを根拠にしちゃダメだろう。この点、顕正会の優秀なる教学委員に聞いてみたいものである。

このとき真言による大祈祷を三度までも行ない、そのうえで戦いに臨んだ。

さて、これも疑問である。いわゆる承久の乱において朝廷方は戦勝祈願を行なった。ところがあっけなく負けてしまった。このことについて大聖人は繰り返し言及されている。いわゆる真言亡国の典型的な事例として繰り返し挙げられているのだ。

ただ、わたくしの認識が正しければ三度という回数は疑問である。

最後には御室、紫宸殿にして日本国にわたりていまだ三度までも行なわぬ大法・・・

本尊問答抄の記述である。次はほぼ同時期に認められた神国王御書である。

此の法を行なふ事は日本に第二度なり。

いかがだろうか?

大聖人の仰せに忠実たらんとするならば、浅井先生の認識は間違っていることになるだろう。

わたくしも正確には読み取れないが、ようは日本の歴史始まって以来、これが二度目ないし三度目というきわめてマレな祈祷が行なわれたわけである。それを承久の乱の時にまとめて三回も行なったというのは実に欲張りな解釈であり、そのほうが真言亡国の事例としてはよりいっそう強調されることになるとは言うものの、事実に反するとしたら問題である。

この点も教学委員の見解を聞きたいものである。

この直後、景信は重病を発して、大苦悶の中に狂い死にをとげている。

拙ブログではこれに関して繰り返し書いてきた。もはや何度目かわからないほどである。ようするにこの根拠を問うているのであるが、未だに示されていないのである。東条景信の縁戚に証言者がいるのだろうか?

この点、法華講員も注意を要するところである。もしかしたら正宗でも同様のことを教えているのかもしれないが、その場合は根拠が必要である。誤解を恐れずに言えば、今は日達上人も東条景信も同じなのである。つまり、根拠もなく死者を冒涜することは許されない。ここは絶対に外してはいけないところである。

一般凡夫

大した意味はないけれども、表現としてはやや特殊なので、いちおう取り上げてみた。

 そして最初に広宣流布するのは、日本国です。

この発言そのものは特に問題ない。問題はここから結末にかけてである。

五百万になれば日本が動く。

浅井先生はいろいろな場面でいろいろなことを言っている。一千万を云々していた時期もあったし、六千万もしかりである。そして最近は五百万がブームのようである。

 この広宣流布の最終段階に、私たちは召し出だされたのです。

そしてわずか数行後にも次のごとく書かれている。

広布最終段階の御奉公を貫き・・・

今はその初出を明確には言えないが、およそ二十年前から言い続けているフレーズである。そしてある時は一千万、ある時は六千万、それが逆戻りして三百万だとか五百万だとか、いったい何を言っておるものかと思う。

結局、いつまで経ってもゴールが見えてこない。それに気づいた人たちが組織を去っていく。この繰り返しなのである。

2019/6/6

フエン  
顕正新聞の続きを見ていこう。

悪の根源「ニセ法主」を断固追放せん

第十八男子部長の記事に付された見出しにはご覧のように書かれている。本文を読めばそれが日顕上人のことを言っているのだとわかる。彼は教学部長でもある。とんでもない発言だ。

顕正会は純粋に戒壇論だけを唱えていればいいのに、そこから逸脱してしまった。もはや後戻りはできないのだろう。

いや、本当は後戻りできるのだが、何しろ負け嫌いの性格が災いして、それができない。本当はそうした個人的な感情は捨てるべきなのだが、たぶん無理なのだろう。本人はそれでいいのかもしれないが、周りが不幸である。

次の行成理事は頭脳明晰である。ちなみに彼は今度の人事で副理事長になったわけだが、この登壇の時点ではまだ理事だったのでそのように表記しているらしい。意見が分かれるものの、副理事長と表記してもおかしくはないだろう。

 さらに先生は、安倍首相の世法上の失とともに、その奥にある仏法上の失・謗法を責め続けておられますが・・・

ウッカリ書き漏らしてしまったと記憶している。いつだったか昨年末から本年初頭のいずれかの総幹部会で浅井先生がおかしなことを言っていた。その直後の班長会で大幹部たちがそのおかしなことをそのまま踏襲して書いていた。これをわたくしはブログに書こうと思って書きそびれてしまったように記憶しているのだ。
その時、唯一の例外が行成氏だった。彼だけは浅井先生のおかしな発言を承知していて、その部分を自分なりに咀嚼してうまく説明していたのである。これは弟子として最上級の振る舞いである。
内容は上掲から推測できるだろう。ようは浅井先生は安倍首相の失政が亡国を招くみたいなことを言っていたのだ。しかし、それは世間の浅き因果であり、そのままではそこらの評論家が言っていることと変わりがなくなってしまうのだ。

行成氏はそこに着目し、その当時の班長会での登壇でもうまく敷衍していたし、上掲も同様である。他の幹部たちは全員ダメだった。

本当は当時の新聞を引っ張り出してきてちゃんと書くべきなのだが、面倒臭いのでやらない。まあ、しかし、これがまたわたくしの悪いところであって、これで失敗することがしばしばである。ただし、ここまで詳しく顕正新聞を読んでいるという事実と、おそらく他にはそういう人がいないという事実からしてみれば、多少の手抜きはお許しいただきたいと思う。

さて、次の男子部第十六隊長も教学委員である。

いわく、日顕直属の謀略部隊・妙観講の二名と法論した、と。

これも何回書いたかわからないが、直属の意味が不明である。妙観講は理境坊に所属しているので、そこの住職がいわゆる指導教師のはずである。それをなぜに直属の謀略部隊と言い続けるのだろうか?

本年一月、仲間と共謀して無登録で七〇数人から計約七億円を集め、「金融商品取引法違反」容疑で逮捕された男・・・

妙観講側の一人はご覧のような人物らしい。しかし、これは一種のネガキャンであり、法論の本質的な部分とは関係ない。実際、逮捕されたのが事実だとしても、今はこうしてシャバにいて法論しているわけである。もしこの人物が本当にヤバイことをしているのならば、妙観講員としての活動を自粛するべきだろう。また、講としても謹慎などの処分を下すべきだろう。

それはともかく、法論の中身について少し書いておこう。妙観講側はどうやらもう一人の講頭の側近幹部と思しき人物が主にしゃべっていたようである。次のセリフもそうらしい。

「義は同じでも、時代に適さないと猊下が禁止した国立戒壇の名称を使ったことがいけない」

わたくしもそう思う。ただし、少しだけ修正意見を言わせてもらうと、ある時期までは顕正会が国立戒壇に固執することにも必然性があった。当該記事にも出てくるように、当時は共産党議員から国立戒壇に対する質問が発せられたのだ。その直後に国立戒壇を引っ込めるのはいかにもミットモナイ。ゆえに堂々と言い続けることも一つの見識だった。ところがである。今の段階で言い続けることにはさして価値がないのである。元のごとく、本門戒壇と言えばいいわけであって、国立戒壇という名称に固執する必然性はまったくないのである。わたくしは創価学会が破門された段階くらいで、あるいは御遺命守護完結の段階くらいで、そうした方向性を打ち出してもよかったと思っている。歴史そのものは後戻りできないので、こればかりはどうしようもないことではあるのだが、ここがひじょうに悔やまれるところである。

男子部第百六十五隊長の記事も衝撃的だ。

 先日、青森県の宗門末寺「法典院」に在籍する〇〇さん夫妻を折伏し・・・

入会したという。

すでに役職を降りていたらしいが、おそらくは檀那さんのほうだろう、この人は末寺の総代・講頭を務めていたそうである。総代と講頭の違いないし関係性はわからないものの、いずれにしても信徒の代表的な立場であることは間違いない。そういう人が顕正会へ移籍したというのだ。

ゆえに衝撃的ではあるわけだが、全体的な傾向性は不明である。

ようするに宗門から顕正会へ移籍する人もいればその逆もいるわけで、そのどちらが多いのかはわからない。わたくしのように顕正新聞をよく読んでいる人であれば宗門から顕正会への流れも相当に思えるが、ネット上の情報ではむしろ逆の流れのほうが有力のようである。つまり、顕正会から宗門へ移籍するケースである。

逆に言うと、そういう流れを変えたいがために教学委員を選任したり法廷闘争を仕掛けたりと、躍起になっているわけなのだろう。口汚く言えば、顕正会側の最後の悪あがきなのかもしれない。

女子部第六十六区総班長の記事では、正信会信徒が続々と入会している様子を伝えている。

 あるとき住職が、信者の供養が入った袋をいきなり破って集金の支払いに充てた場面を目撃・・・

これは痛い。耳が痛いと言い換えてもいいだろう。

ちょっとした振る舞いが心証を悪くする。これもその一つの事例である。ようは善悪の問題ではなく、快不快の問題である。たまたま手元に用意がなく、やむを得ずにそのような行為に走った。極端な話、誰にも見られていなければ何の問題もなかったのだ。それが運悪くその場面を見られてしまったわけである。

少しだけ弁護しておくと、むしろこの寺院は敷居の低い風通しのよい寺院だった、というふうにも言えるだろう。信者さんも自由に出入りが可能だから、そういう場面にも遭遇するわけである。

ちなみに登壇者は八十一歳という。女子部でその年齢はどうかと思うが、ともかく総班長として活躍していることが凄い。

2019/6/5

マンマ  
前回の拙稿には重大なる錯誤があったので、まずはその点について反省したいと思う。

本年二月十六日に発刊された宗門書籍は、大日蓮出版のサイトから一般人も購入可能である。つまり、住職のみに限定配布されたというわたくしの理解は間違いであり、当然ながらくだんの書籍については顕正会側も容易に知り得る状況だった。よって宗門側に顕正会への内通者がいるというのも勝手な憶測だったことになる。以上、前回の冒頭に記したことはほぼ全面的に訂正せざるを得ないことを、ここに明記するものである。

その上で、やや煩瑣ながらも話を続けたい。わたくしはなぜに誤読したのだろうか?

生意気ながらも、わたくしはけっこう読解力があるほうだと自負している。それにもかかわらず大間違いを犯した。そこには必ず理由があるはずなのだ。もちろん単なる言い訳であってはいけないので、第一の理由は次のごとくであることを正直に書いておきたい。

すなわち、面倒臭がりの悪癖が祟った、ということである。

ようは裏を取る作業をまったくせずに書いてしまっている。ちょっと調べればわかりそうなことを面倒臭がってやらない。だから今回のようなことになるのだ。

しかし、それ以外にも理由があるのだ。

まず、法華講員がくだんの書籍についてほとんど言及していないという事情があった。これについては過去の拙稿でも取り上げたことがあるのだが、わたくしの推測では顕正会批判のエキスパートからみれば何を今さら出版しているのかという思いがあるのではないか、しかし、それを口にするのは問題なので口をつぐんでいるのではないかということだった。
もちろん隈なく調べれば言及している法華講員も存在するわけだが、これまた面倒臭がりのわたくしは自分の耳に届かないことで存在しないだろうと判断してしまった。この点に問題があることは否めない。
その上であえて言うと、本年はネット上でも法華講員と顕正会員の議論がそこそこ盛り上がっているように見受けられる。それにもかかわらず、なぜか例の書籍のことがまったく出てこないように感じられた。これが今回の誤読につながるわけである。すなわち住職限定配布ということだ。

それからもう一つ書くべきことがある。

三月度総幹部会の会長講演では、日目上人の御出現について言及があった。この講演で注目すべきは、ようはいきなり日目上人が御出現になられるわけではなく、その前段階として顕正会を支持する僧侶が二人三人と出てくるに違いない、という意味の発言である。

察しのいい人ならば、これが内通云々の伏線となることが容易に理解できるだろう。

つまり、わたくしの想像では、もしかしたらもうすでに内々で顕正会を支持している僧侶が複数名いるのではないか、と睨んだわけである。結論的にはそれが今回の誤読を惹起したわけであり、おそらくはわたくしが勝手に誤読しただけというのが真実に近いのだと思われる。

だが、しかし、あえて深読みすると会長講演にはそのような誤読を誘発する仕掛けが意図的に組み込まれていた、わたくしはそれにまんまとハメられた、ということなのかもしれないのだ。

ずいぶん面倒臭いことを書いていると思う。

ただ、これにも意味があって、ようは御遺命守護の戦いは壮大なるフィクションかもしれないという可能性を考えた時に、もしそれが事実ならば浅井先生は作家として相当の成功を収めていることになる。なぜならば熱心な読者(信者)を数万人も獲得しているからであり、やはりそこには緻密な計算に基づいた文章があるからこそ、人々を惹き付けることができたのだろう。わたくしは信者ではないものの熱心な読者である。ゆえに浅井先生の巧妙なる文章表現にまんまとハメられたしまったと考えられるのだ。

ただし、前述のごとく、わたくしが勝手に誤読したというのがいちばん真実に近いのだろう。上述は浅井先生を幾分かは買い被っていることになるわけだが、それにしても数万人を虜にするだけの洗脳力を持っているのは事実である。この点は顕正会研究ないし浅井昭衛研究の重要なテーマになるはずだ。

さて、いつもならば顕正新聞を読んでいくわけだが、今日は取りやめて別の話題を書きたい。

コメント欄の様相が一変した。

具体的に言うと、わりと高頻度で投稿していたマイケル氏と大沢氏がいなくなり、新しい人たちがたくさん来るようになった。古くからの投稿者の中で沖浦氏は別格だろう。氏は拙ブログだけに依存しているわけではなく、忙しい身でありながら手の空いた時に立ち寄る、そんな感じである。あとは正直なところ、誰が誰だかわけがわからない、というのがわたくしの偽らざる感想である。

以前にも書いたが、名前のハッキリしない人は相手にしないことにしている。いちばんの典型は通りすがりであり、わたくしはそれをトオリスガリ系と総称して、あえて返信しないようにしている。これまた繰り返し言っているように、わたくしのブログは独白を表看板にしているので、極論すればすべてのコメントを無視することもあり得るのだ。

そういうわけで、拙ブログに常駐するつもりならば、それ相応の名乗りをするべきだろう。いわゆるコテハンである。

インターネットも時代的な変遷がある。わたくしが最初にネット環境を手に入れた頃は掲示板全盛の時代だった。しかもその多くが匿名掲示板だった。
その後、ブログが流行り出した。個人ブログもさまざまのタイプがあるけれども、最初の頃はなるべく個人情報を出さない、当然、顔も出さない、そういうブログが多かった。しかし、今はわりと顔出ししているブログも多い。
そして今は動画サイトが隆盛を極めている。これも当初は顔出ししないチャンネルが多かったが、今は個人チャンネルであっても積極的に顔出ししている場合が少なくないようである。

かなり大雑把な説明だったが、ネットの時代的変遷を書いた。拙ブログの場合、およそ十五年ほど前に始めたわけだが、時代的な意味では個人情報を出さないわりと平均的なブログと考えられる。もちろん今となってはかなり前時代的である。

ゆえにリニューアルするとしたら、顔出し動画系にするのも選択肢の一つだろうと思っている。

拙ブログの一つの自慢は十五年前からまったく変わっていないことである。ようするに個人サイトをお持ちの人は装飾にこだわるのが普通なのである。背景色だとかレイアウトだとか、いろいろと変化を加えることができるのはわたくしも承知しているし、かつて別のジャンルでそのようなことをしたこともあった。しかし、拙ブログに関しては開設当初からまったく変更を加えておらず、そのためにずいぶんヘンなことになっている。具体的にはカレンダーのところがキレイに揃っていないのだ。しかし、それを直すつもりはまったくない。

ようするに文章がすべてなのである。わたくしは他人の誤字脱字にけっこう厳しい。もちろん自分自身に対してもである。なぜならば文章がすべてだからである。

そういうわけで動画系も一つの選択肢とは書いたものの、文章を大事にするわたくしの立場としては拙ブログが今もなお有効であると思っている。事実、爆発的なアクセスはないものの、常に一定数の読者がいて一定数のコメントが寄せられる。ゆえに今後も続けていくことだろう。

すでに何度も書いているが、もしこれが誰にも読んでもらえず、誰からもコメントが寄せられなくなれば、いわゆるオワコンであり、わたくしもその時にはひっそりと幕を閉じることになるだろう。しかし、なぜかそうはならないようである。

今日はダラダラと思うままに書かせていただいた。

2019/6/2

シュウマク  
四月度総幹部会の会長講演は取り上げるべき点が多く、たいへんである。今回は順番を崩して、重要度の高い事案から拾っていきたい。

 しかるに今、平成十六年の講義録を冊子として発刊して、全住職にこれを配布したという。

宗門の顕正会対策本とでも表現すべきものだろうか、二月に発刊された例の本についての情報である。わたくしは驚いた。なぜならば広く一般向けに刊行されたものと思い込んでいたからである。

以前の拙稿で、法華講員たちがこれにまったく言及していないのは内容があまりにもお粗末だからではなか、というような意味を書いた。しかし、上掲の浅井発言が事実ならば、わたくしの想像は間違っていたことになる。ようするに法華講員の多くはその存在すら知らないのだ。ゆえに言及しようにも言及できない、当たり前の話である。

また、もう一つの意味でも驚いたと言えるだろう。

浅井先生がなぜにその情報を知っていたのか、どこから仕入れた情報なのか、というような疑問が生じてくる。住職だけに配布した冊子なのである。それをなぜに浅井先生が知っているのかである。

普通に考えれば住職レベルの人間が情報を流したわけなのだろう。早い話が顕正会と内通している宗門僧侶が存在すると考えられるのだ。

そして次の浅井発言は長いけれども重要なので煩を厭わず引用する。

 もし宗門の全住職が、この十五年前の講義録に与同して「国立戒壇」を否定するのであれば、私は全教学委員に命じて、それらの住職の一人ひとりと、決着がつくまで何度でも論判させる。
 これこそ正系門家に御遺命の正義が蘇る無二の好機、大聖人様がこの機会を与えて下さったものと、私は拝しております。


くだんの冊子が裏目に出てしまったことになるだろうか?

浅井先生に宗門攻撃の口実を与えてしまったことになるからだ。冊子を出さなければこうはならなかった。冊子を出したことがいわば宣戦布告となり、開戦のキッカケとなってしまったのだ。

そして本年の前半戦だけを見ても、顕正会の活動報告においては宗門末寺の話題が絶えない。〇〇寺の住職が逃げただの、完全逃避だの、無道心がどうのこうのだの、相手から見れば甚だ不名誉な文字がたくさん躍っている。中盤ないし後半戦もこのまま行きそうである。

 前年の平成十六年三月に、自ら宗規を「法主は、遷化又は自らの意志による以外はその地位を退くことはない」と改訂して「終身法主」となったにもかかわらず、この「大扉開かず」の大現証を目にして、怖畏し猊座を退いたのであります。

この浅井発言は悩乱しているとしか言い様がない。何しろ宗規を掲げておきながら、それがまったく読めていないことを自ら暴露しているからである。

自らの意志による・・・

ちゃんと明記されているごとく、日顕上人はこの宗規に基づいて退座されたのである。

逆にいつも言っているように、顕正会における会長職のほうが問題だろう。終身会長である浅井先生こそ、顕正会の将来を見据えてしっかりと布石を打っておく必要がある。しかし、もはや手遅れというか、広宣流布のゴールを云々してしまっていることが軌道修正を不可能にしているという根本的な問題があって、おそらくはどうにもならないのだろう。

この登座も、二人が示し合わせたうえであったことは間違いない。

この見方も皮相的である。池田大作氏が宗門史上において有数の実力者だったことは事実だろう。有数と書いたが最高と書いてもいいかもしれない。ただし、あくまで在家信徒の立場においてである。ゆえに日達上人との有形無形の攻防においては最終的に会長辞任にまで追い込まれてしまった。かくも法主の権威は絶大なのである。ならば日達上人から相承を受けられた日顕上人もしかりである。なぜに池田氏と示し合わせる必要があるだろうか?

むしろ話は逆である。池田氏は猊下に背くとロクなことにならないことを肌身に感じていた。ゆえに日顕上人の御登座を知り、どこまでも猊下に信伏随従することを誓ったのである。このことは不勉強のわたくしであっても、当時の創価学会系の書籍に明らかであることを承知しているくらいなので、周知の事実と言えるだろう。

その上で余計なことを言えば、池田氏は在家信徒としては最高の実力者だった。けれども正信会系の僧侶たちの画策で会長辞任に追い込まれた。これを恨みに思っていたことは明らかだろう。ゆえに日顕上人への信伏随従をよりいっそう強調したという意味もあった。結果として正信会系の僧侶を排斥することに成功した。これは単に在家信徒の実力者だから可能だったという話ではなく、積年の恨みを晴らすべく用意周到に事を進めて行ったからである。それはそうだろう、傍若無人が許されるわけがないのだ。繰り返しになるが、池田氏はそれで痛いしっぺ返しを受けているのである。気に食わないからクビにしろみたいな前時代的なことが、いつまでも通用するわけがないのである。

 よって以後、私は一切の敬称を用いず「細井日達」と呼ぶことにした。

歴史修正主義の典型である。今回の発言が正しいとするならば、昭和五十年七月七日以後ということになる。厳密には日達上人の御発言を知って以後ということになるわけだが、控えめに言っても昭和五十一年以降の浅井発言はすべて「細井日達」となっていなければおかしいことになる。

ところがである。おそらくは現役の顕正会員たちも承知しているように、浅井先生はその後も長いこと細井管長と言っていたのである。つまり、上掲は真っ赤なウソということになる。

さて、どうしたものだろうか?

顕正会には優秀な弁護士が二名もいるわけだが、彼らはこれに対してどのように説明するつもりなのか、そこがひじょうに気になるところである。法律のプロがどのように言おうが、世間の一般常識からすればウソを言っていることは動かない。わたくしはそう思うのだが、いかがだろうか?

 御遺命破壊の謀りも
   いよいよ最終章に


昭和三十九年を起算とすると、五十五年になるらしい。そこでようやく最終章を迎えたと言っているわけである。

ただし、これもじゃっかんの歴史修正主義を感じさせるところであり、いわゆる平成十年の御遺命守護完結をどのように整理するかが問われることになる。何しろ当時は不思議の還御を第一の不思議と言い、第二の不思議を見させていただこうと言っていたからである。すなわち広宣流布の実現である。

もちろん長い間にはいろいろなことがある。ゆえに途中のそうした細々としたことをあげつらっても仕方がないし、それこそアゲアシ取りに過ぎないということになるだろう。とは言うものの、御遺命守護完結は別格である。今の顕正会員は知らないかもしれないが、それまでは経本に御遺命守護完結を祈念する文言が載っていたくらいなのだ。

ともかく浅井先生はこうした歴史的事実を覆い隠して、最終章がどうのこうのと言っているわけである。

 このときすでに彼は細井日達を籠絡して、「これから作る正本堂を、ぜひ御遺命の戒壇と承認してほしい」と、前もって約束を取り付けていたものと思われる。

思われる?

思うのは勝手であるが、証拠がなければ話にならないだろう。今まさに最終章を迎えようとしているのならば、それこそ証拠を示すべきである。ここで証拠が出てくれば、まさしく文字通りの最終章であり、顕正会にとっては感動的な終幕を迎えることになるだろう。

逆にである。証拠がないとすると、すべては浅井先生の思い込みだけで構成された壮大なるフィクションだった、ということにもなりかねないのだ。

浅井先生は御遺命守護関係の書籍をたくさん出している。それ自体は悪いことではないが、細かく読んでいくと必ず自語相違が見つかる。自語相違は言い過ぎにしても、毎回毎回、少しずつ表現を変えたりして、本人的には工夫を凝らしていることが、逆に意図的作為的にも思えたりするのである。この点を弁護士の二名を含めて顕正会の大幹部たちでもっと研究すべきと思う。その上で御遺命守護の決定版を完成させるのだ。

以上、最後は二通りの可能性を書いた。早い話がフィクションかノンフィクションかの二択である。結論を言えば、どうやら浅井先生には無理なのである。自分で自分の歴史を総括することはできない。ゆえに後継者たちがそれをやらないといけないのだ。


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