2019/8/28

ドブヌマ  
沖浦氏のコメントは貴重である。

 更に、会場全体を覆う暗さと重たさが印象に残りました。

動画サイトに顕正会の総幹部会のビデオが出ている。どうやら顕正会員が出しているらしく、ビデオそのものは顕正会で売っている正規版のようである。つまり、悪意のある編集ないし加工が施されたものではなく、いわば顕正会の姿を正しく伝えている映像なのである。

それに対する沖浦氏の感想が上掲である。

誤解のないように書き加えておくと、氏のコメントはかなり好意的である。そうした中で唯一、ネガティブな感想が上掲なのである。ゆえに顕正会の首脳部はここを真摯に受け止めるべきだろう。顕正会にハマっている人たちには気づけない点であり、あるいは内心ではそのように感じていても口にできないことなので、その意味でひじょうに貴重な意見なのだ。

さて、顕正新聞の続きである。

正系門家のドブ沼・・・

総合婦人部長の表現は独特である。普通はドロ沼と書くと思う。

大師子吼

顕正会のドブ沼である。

副総合婦人部長も大師子吼と書いている。いつものことである。それとは別に次のようなくだりもある。

裂帛の師子吼

レッパクも世間一般ではほとんど目にしない表現である。

最後に演奏された「スタンド・アローン」には、凛として立たれる浅井先生のお姿が重なり・・・

これは第十二婦人部長の記事であるが、北東北大会での演奏について云々しているくだりである。恥ずかしながらわたくしはこの曲を知らなかった。動画サイトで確認したところ、今現在は二つの曲が存在するようである。一つは日本テレビで放映されたドラマの主題歌らしく、大人気のようだ。もう一つのほうはかなり以前にNHKで放映されたドラマの曲らしい。登壇者が言っているのは後者のほうだろう。

先ほどの沖浦氏のコメントをヒントに言わせてもらうと、顕正会に足りないのはまさにここである。むしろ前者の曲を採用するくらいでないといけない。世間の人気にあやかるのであれば、最新のものを利用すべきだろう。

最後の決戦場

女子部第三総部長の発言だ。来年の戦いを最後の決戦場と位置付けている。

最終決戦場までの残り二回の法戦に・・・

女子部第四副総部長の発言はさらに明瞭である。登壇は六月度班長会であるからして、七月末までの戦いが一回目であり、いわゆる秋の三連戦を二回目と数えているのだろう。すると来年早々にも最終決戦の火ぶたが切られることになる。いちおうはそういう理解でいいのだろう。

ご覧のような純真な幹部たちによって、浅井先生が追い詰められている。もちろん自業自得である。

2019/8/27

アザワラウ  
沖浦氏のコメントでちょっと見には意味不明のくだりがあった。

 例えはタイなどへ行って、

 私の父親は僧侶です。

 等と言おうものなら驚かれてしまいます。


最後まで読むと、おそらくは妻帯のことを言っているのだろうと思われる。ようするに僧侶は妻帯しないので子供はいないはずである。ゆえに父親が僧侶というのはあり得ない話であると。

なるほど、日本人の感覚とは明らかに異なる。そして本来の仏教はそれが正しいのだと、そういう意味を言っているわけなのだろう。

これについては、わたくしに名案があるわけではない。世の中はあらゆる意味で変化していく。いわゆる肉食妻帯の問題にしても、長い時間を経て変化してきたことであるから、そう簡単には元に戻らないだろう。また、ひねった言い方をすれば、人間は悪しき方向に流され易いものであるからして、それを是正しようとしてもすぐに元に戻ってしまう、という現実もある。

また、是正する気など、サラサラない場合もある。

顕正新聞第1480号の第一面には総男子部長の記事がある。当該号は六月度班長会の登壇記事が羅列されているわけだが、その筆頭が彼の記事である。

大師子吼

拙ブログで繰り返し指摘してきたことをアザワラウかのように、城衛までもが大師子吼と言っている。

ちなみに今現在のところ、顕正新聞の報道部分には師子吼はあるものの大師子吼はないと思われる。その理由を考えてみると、報道部分は公式見解であり、各種の登壇記事は発表者の個人的見解、ということなのかもしれない。もしそうだとすると、いかにもイヤラシイ話ではないかと思う。何しろ顕正会の大幹部たちが挙って言っちゃっているのだから、事実上の公式見解と見なされても文句は言えないはずなのだ。

さて、次は副理事長殿である。

 また正本堂崩壊後、御遺命を破壊せんとした池田大作は「生ける屍」になり、細井日達は「御相承」をなし得ずして無間地獄に堕ち、阿部日顕は登座以来・・・

おかしな文章である。あえて修正するならば、正本堂崩壊後をそっくり削除すればいい。そうすれば意味が通るし誤解を生じない。

次は顕正新聞の発行人である。いや、もちろん、登壇での肩書は副総男子部長であるが、ともかく顕正新聞の責任者であることを強調しておきたい。

すでに大陣が破れた以上、「与党は物の数ならず」、

与党? カギカッコで括られているのは何かの引用と思われるが、それは何なのだろうか?

男子部第七総部長の記事からは三つほど引用する。

いま顕正会に異常なまでの怨嫉を懐く大草一男も、近いうちに必ず真っ黒になって・・・

ここ最近の顕正新聞には大草氏の顔写真が何度か掲載されている。当然、慧妙などからの転載と思われるが、パッと見、ずいぶんと黒い印象である。もともと色黒なのかどうか、本人を生で見たことがないのでわからないが、問題は元の写真だろう。ようするに顕正新聞に転載する段階でワザと黒くしているとすれば悪意の改竄である。

御遺命破壊の謀りはわずか五十年前後であれば、この短き時間をピンポイントで・・・

前後を省いて恐縮である。端折って言うと、浅井先生と同時代に生きていることの幸せ、というような感じになるだろう。
こうした感慨は一般人でも味わうことがある。例えば大好きな歌手がいてその人のライブに行く。するとライブ会場で思うのだ。同じ時代に生まれてよかったと。
こういうことを書くと摧尊入卑だと言われそうだが、逆に言えば、顕正会員は浅井先生を持ち上げ過ぎなのである。褒め殺しを狙っているのだろうかと疑いたくなるくらいである。

 そこに、分を超えた発言と承知のうえで申し述べさせて頂けば・・・

ここはほぼ同意見である。オマエに同意見などと言われるのは迷惑だ、と言われればそれまでだが、ともかく結論部分を紹介しよう。

先生には凍てつく大地ではなく、戒壇の大御本尊へ直接、御目通りを叶えて頂きたい・・・

先日、解散処分と破門の違いについて少し議論があったわけだが、そういう細かい定義はさておき、結局のところ妙信講は異流儀のレッテルを貼られたままであり、いわばそこから一歩も進んでいないのである。まずはそこから解決しないといけないだろう。

男子部第十三隊総支隊長の考えもほぼ同じと思われる。

 そしてこのとき先生が、「何よりも先に」行われることに、感激が込み上げてまいります。

煩瑣になるので結論だけを書くが、ようは松本日仁能師の擯斥処分を真っ先に取り消すよう時の御法主に上申するという話を彼は紹介しているわけである。いわゆる利他の精神からすれば、当然のことなのだろう。同様に、今度は弟子たちが先生が受けた除名処分の取り消しを実現すべく奮闘する、というのがあるべき姿だろう。

わたくしの思うに、もはや広布の最終段階だとかゴールがどうのこうのと言ってしまっている手前、引っ込みがつかないのかもしれないが、しかし、そこは正直に見通しの甘さを認めるべきだろう。とりあえず浅井先生の存命中に宗門との和解が実現すれば、十分である。百点満点と言ってもいいと思う。

逆にそれが実現しなければ、ゼロ点である。

2019/8/18

マタギキ  
S@法華講氏への風当たりが強い。何を書こうが勝手だが、よく考えてから発言すべきだろう。ご存知ない人のために紹介しておくと、同氏は拙ブログの中でも最古参のコメント投稿者なのだ。わたくしの見るところ、氏は法華講の中でも良識派のほうである。また、最近の一連のコメントには、ご自身の所属寺院まで書いておられる。今後、顕正会側の人間が顕正新聞に活動報告を載せるようなことがあれば、そこで名前も判明することになるだろう。一方、拙ブログのコメント投稿者の多くは匿名であり、特に最近は無記名の投稿者も存在する。そういう人間がヤジウマ根性で好き勝手を書いている。この点、己の振る舞いを反省すべきである。

妙信講の歴史は、日蓮正宗史から抹殺されたに等しく、顕正会に至っては記載はゼロである。

そもそも破門と解散処分の違いについて、年表への記載を根拠に論ずることが妥当かどうか、そこは何とも言えないところであるが、ただし、それがかなり斬新な視点であることは間違いないだろう。

『迷走する顕正会を斬る』には次の記述がある。

そもそも妙信講の名が抹消され、宗史に登場することがない。「日蓮正宗富士年表」(富士年表出版委員会編、富士学林)にも、「日蓮正宗法華講百年史年表」(同編集委員会)にも妙信講に関する記述は皆無である。

この件については八年前にトチロ〜氏とやり合ったことがある。結論的には富士年表の最新版に妙信講の記述があるので上掲は間違いということになるが、しかし、著者が所持していた年表には記載がなかったのも事実である。そして今回のS@法華講氏のコメントがきわめて重要であって、ようは最新版には載っているものの全体的な登場頻度からすれば載っていないに等しい、という意味を言っているわけである。

また、『本門戒壇の本義』という本には次のように書かれている。

 すでに今日の宗門において誰しも感じているように、本門戒壇に言及することが自ずと憚られる状況になってしまったことでした。宗門が自らその意義を二転三転・支離滅裂にしてしまったが故に、もはや臭いものに蓋をする以外に仕方がないのでしょう。

まさに妙信講の存在を抹殺せんとした理由がここにある。

以上、解散処分と破門の規定がどのようになっているのかは定かではないものの、宗門側が顕正会の存在そのものを抹殺したいと思っていたことは厳然たる事実と言えるだろう。穿った見方をすれば、S@法華講氏は顕正会の代弁者なのかもしれず、いずれ行なわれるであろう顕正会員との法論ではむしろ宗門側の非を認めるような発言をするかもしれないのだ。さりとて顕正会が全面的に是となるわけでもなく、拙ブログが提唱するように両者がお互いに非を認め合って和解することが望ましい。おそらくは氏も同意見のはずである。

ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。

細井日達の悪臨終が宗門機関紙「大白法」に
 「もう真っ黒、あんなのは地獄行き」(側近僧侶)と


こんなことを言っているようでは和解など不可能である。

 このたび、正信会の一住職から「細井日達の悪臨終」と「阿部日顕の無相承」について、克明に聞く機会がありました。

まったく話にならない。正信会の連中が言っていることなど、信用できるはずがない。証拠能力ゼロである。しかし、今の顕正会は都合のいい情報であれば、その情報源がどこであってもお構いなしなのだろう。それは妙観講に敗訴した一件が象徴的である。ようするに大草講頭の醜聞を顕正新聞に載せたら名誉棄損で訴えられてしまったという、実にオソマツな一件が過去にあった。そのネタ元がどこなのかわたくしは知らないけれども、早い話が出所不明の謀略情報だったわけである。それに跳びつく愚かさよ、ということだ。

 この住職は、自分の師匠でもある父親から聞いた話として教えてくれました。

出た。またしてもマタギキである。

しかもである。直前には克明に聞いた云々と。本人から聞いたのならまだしも、マタギキに過ぎないものを克明などと言う。まるでお話にならない。

そもそも正信会の一住職の名前がどこにも記されていない。まさか完全なる作り話ではあるまいとは思うものの、住職の名前を明かせない段階でかなりアヤシイと思わなければいけないだろう。

 そこで私から、法華講連合会機関紙「大白法」平成五年八月一日号に掲載された「細井日達の弟子・佐々木秀明の証言」について尋ねました。

これがくだんの見出しに関係する部分である。

しかし、常識的に考えてみるべきである。宗門の機関紙にどうして日達上人の悪臨終を証明するような記述があるのかである。もう一つ言っておくと、平成五年の大白法をなぜ今頃になって持ち出すのかである。とっくの昔に会長講演などで引用していてもおかしくないだろう。

つまり、常識的には使えない文証なのである。

それを今さら使っているのは、まさにナリフリ構わずということなのだろう。顕正会も節度を失ってしまい、何でもありの状態になってしまったわけだ。

とは言え、そのまま掲載しても常識のある人間ならば不審に思うはずである。前述のごとく、どうして宗門機関紙に悪臨終のことが書かれているのかと。当然、登壇者もそれは百も承知のはずである。やや長いが次の記述がそれを物語っている。

 法華講連合会の機関紙にこのような記事が掲載された趣旨は、細井日達を旗印とする正信会の幹部が、陰では細井の悪口を言っているという、正信会批判のためのものですが、だからといって佐々木秀明の証言の真実性が揺らぐものではありません。

証言の真実性が揺らぐものではない?

いやいや、それは違うだろう。それは自分たちに都合のいい話だからそのように思いたいだけの話であって、常識的には引用あたわざる証言である。繰り返しになるが平成五年なのである。この間、四半世紀である。今まで使わなかったのは常識的には使えないとの判断からだろう。つまり、今の顕正会は非常識なのである。

 実際、この住職は佐々木秀明とも面識があり・・・

だからどうしたと言うのだ。それ以前に寺院名と住職の名前を言ったらどうかと思う。さらに、どうせならこの住職を登壇させたらどうか、いや、いっそのこと佐々木秀明先生にお出まし願ったらどうかと思う。

 また住職は、秋山慈泉という僧侶から聞いた話として・・・

またもマタギキである。いい加減にせよと言いたい。しかも秋山能化はすでに亡くなっているという。

以上、今回の記事は第十五男子部長が正信会系の匿名住職から聞いた話を垂れ流すだけの悪質きわまるものだった。顕正会にも常識人がいるはずである。彼らがどれだけガッカリしたか、本部首脳はよく考えるべきだろう。

2019/8/16

オオラカ  
S@法華講氏のコメントで気になったのは次のくだりである。

「講中解散処分は破門よりも重い処分なんですよ。破門は復帰の余地が残されていますが、講中解散処分がその余地が無いんです。ご存知でしたか?」

これは明文化された規定なのだろうか?

わたくしの認識はいわゆる一般常識を基準にしたものである。おそらく破門はわりと古くから存在する言葉で、解散処分は新しい言葉なのだと思う。別の言い方をすれば、破門は一般的・汎用的表現であり、解散処分は個別的・限定的表現となる。

浅井先生の著述によれば、それまで解散処分の規定は存在しなかった、妙信講を葬るために新たに作られた、ということだったと思う。

先ほど、破門を一般的と書いた。ようするに破門は個人にも団体にも使える汎用性がある。ただ昔の破門はわりと大らかというか、師匠の気分次第で破門になったり破門が解かれたりするような、そんな感じだった。これは会社にも当てはまる話で、ワンマン社長の気分でクビになったり引き戻されたりするような、そんな時代もあったのである。もちろん今は労働法制がしっかりと確立されていて、そんなデタラメをすればすぐに不当解雇で訴えられてしまうことになるわけだが・・・

話が脱線した。ともかく妙信講は解散処分になった。けれども個々の在籍者は日蓮正宗の信徒を破門になったわけではなく、当時の大幹部たちだけが除名処分を受けた。

以上、一般常識的には団体としての妙信講は破門になったものの、所属していた個人は破門にならなかった。このように理解するのが妥当と思われるのだが、いかがだろうか?

宗門末寺最勝寺の住職・須藤正伝が屈服!
 反論不能「住職辞任届」の提出を約す


藤村雄大氏の登壇である。ここでは副教学部長の肩書きが付されているが、言わずと知れた弁護士である。

それはともかく、ご覧の見出しが興味深い。記事の内容が事実だとすれば大事件である。今後、顕正会の破折を受けて住職辞任届を提出する人が続出すれば、宗門側としては収拾困難となり、大きな変革を余儀なくされることになるだろう。

ただし、この記事にはじゃっかん甘いところがある。

早い話が口約束だからである。ここは弁護士らしく書面で明確化させるべきだったろう。俗に言う念書とか確認書の類である。しかし、現実にはそこまで要求すれば拒絶するだろうことが確実なので、いちおう言い負かした時点で話を終わらせているわけなのだ。

思えば浅井先生は創価学会の大幹部から確認書を取った。上述と比較しても凄いことなのかもしれない。

自得院・住職と法論、回答不能で逃げる
 正本堂訓諭を「池田を砕いた文証」と謀る


これは男子部第十二隊総支隊長補の記事である。彼は首都圏の宗門末寺八十八ヶ所に特集号を送付した。その結果として上掲の住職と法論することになった。

逆に言うと、ほとんどの住職が黙殺したことになる。

そりゃそうだろう。今の顕正会は成果至上主義のゆえか、組織ごとに競い合っている意味もあって、全体的な効率を無視しているのだ。つまり、正宗の各寺院には無数の顕正会員がアトランダムにアプローチしてくる。そんな状態が何ヶ月も続いたらウンザリすることだろう。ゆえに黙殺するのが普通なのだと思う。

そのとき清み酒のお流れとともに・・・

法論の内容は割愛する。そして上掲だが、前後を省いていることもあって、わけがわからないだろう。いや、前後を踏まえたとしてもわからないかもしれない。わかることは、この人は酒好きなのかもしれない、ということだ。

「本徳寺」住職が逃避、破廉恥に呆れる
 先生の下「国立戒壇」掲げて戦う有難さ


女子部第三百一区班長の記事である。同記事が教えてくれているのは、組織に相談すれば直ちに教学委員を派遣してくれる、ということである。女性であること、あるいは班長という役職が、宗門側から見るとチョロイと感じるのかもしれない。それでくだんの住職が積極的に攻勢を掛けていたらしいのだ。ところがそこに教学委員が登場した。すると住職は遁走した。

話を端折れば上述のごとくなる。先ほどは全体的な効率を無視して云々と書いたが、教学委員の派遣についてはかなりシステマチックに行なわれているようである。

さて、同じ紙面に載る記事としては、第十五男子部長の登壇が大問題である。

細井日達の悪臨終が宗門機関紙「大白法」に
 「もう真っ黒、あんなのは地獄行き」(側近僧侶)と


詳細は後日に譲りたい。ともかく宗門も本気で怒らないといけないだろう。

2019/8/14

ギョウムイタク  
顕正新聞の続きを見ていこう。会長講演のすぐ後には法務部次長・弁護士の肩書きを持つ菅原克仁氏の記事が載っている。

日顕直属謀略集団「妙観講」の狂気の実態!!
 暴力行為・迷惑行為も平然の「無頼集団」


これが見出しである。細かい内容はさておき、こうして弁護士が前面に出て法的手段を講ずることには一定の抑止力がある。だが、しかし、こんなことで妙観講が活動を自粛するとは思えない。

暴走族のあんちゃんも顔負け

写真に付された説明文である。そこには妙観講員を名乗る人物の顔写真がある。しかし、その写真には目隠し線と呼ぶのだろうか、ようは人物特定できないように加工してあるのだ。この意味がわからない。
以前、シムラケンのアダナが付けられた創価学会員がいた。あの有名なテレビタレントに似ていることからそう呼ばれるようになったのだと思うが、その時は目隠し線などなかったと記憶している。
この辺の線引きがよくわからない。もちろん当時は法務部がなかったので、そうした法律上の細々としたことには無頓着だったのかもしれない。実際、それで妙観講から名誉棄損で訴えられて敗訴したこともあった。

・・・「妙観講員」を自称する中年の男が執拗に絡んできた。

ちなみに本文中にはご覧のように書かれている。菅原氏から見れば中年になるのかもしれないが、写真の雰囲気からするとけっこう若く感じられると思う。

 しかるに、現在、顕正会から御遺命破壊の大罪を強烈に糾弾され、かつてないほど追い詰められた宗門は、妙観講の実態を一番よく知りながら、彼らの卑劣な謀略を以て顕正会に対抗するしかないとの窮余の考えから、妙観講に顕正会対策を「業務委託」したものと思われる。

単なる推測であるからして、この部分をあげつらっても無意味かもしれない。ただ細かいことを言えば、藤村弁護士とは微妙に見解が異なっている。興味のある人は七月十九日付の拙稿をご覧になられるといいだろう。

 蛇足だが、早瀬日如管長にとって、大草は、自身の父親(早瀬総監)を辞任に追い込んだ親の敵≠フはず。一体いつまで親の敵≠「法華講大講頭」の地位に就かせ、妙観講を頼りにするつもりなのだろうか。

菅原氏がそんな昔のことを知っているはずがない。誰かの受け売りをそのまま書いているのだろう。

次の教学部長の発言はなかなかのものである。

御当職第六十五世日淳上人が、・・・直々に御認証下さった不思議が思い起こされ、本と末は究竟し等しいことなれば、「最終章」のいま、宗門が日淳上人の清浄の時に立ち還ることはもう間違いなく、

さすが教学部長、言うことが違う。ただし、現実的には困難だろう。

2019/8/13

キョゲンショウ  
一週間ばかり多忙を極めていた。この間にたくさんのコメントが寄せられているが、いつもながら対応し切れないのでご容赦願いたい。そうした中で興味深いコメントを一つ挙げると、S@法華講氏の法論云々がひじょうに楽しみである。秋以降に正式な法論が行なわれるらしい。

さて、顕正新聞第1479号である。

「立正安国」特集号

近年は特集号を連発している。正確には月三回の新聞発行日があって、そのうちの一回が特集号に相当する。もっと具体的に言うと、早い話が浅井先生の講演記事が載ると、それが特集号になるのだ。

そういうわけで今回も二面から五面にかけて会長講演が載っている。

 さらに阿部日顕は・・・いまや病を得て亡びを待つだけの身となってしまった。

当該講演における最重要箇所がこれである。病を得て云々と。しからばその病名はいかん?

浅井先生も他人事ではないのだ。日顕上人の年齢からすれば、病気であれ老衰であれ、その時が近いのは誰もが承知していることである。同様に、浅井先生だって相当の年齢であるからして、遅かれ早かれ同じ道をたどることになる。しかしながら凡夫ゆえに自覚が薄いのだろう。

いずれにしても病を得て云々が気になるところであり、その情報源が何なのかも併せて知りたいところである。

時の国主・北条時頼(通称・最明寺入道)

通称が気になった。以前、別の事案で「別称」というのがあった。この辺は顕正会独自の表現なのか、それとも何かしらの一般的なガイドラインに沿ったものなのか、知りたいところである。もっとも「始めて」の例からすると、きわめて恣意的な表記なのだろう。俗な言い方をすれば、浅井先生の独断と偏見によるものなのだ。

「前以て建てた御遺命の戒壇」

これは浅井先生の持論ではあるものの、イチャモンの気味が感じられなくもない事案である。

難しい議論をしても仕方がないので簡単に片付けてしまうと、ようは定義の問題である。ここでは事の戒壇なのか義の戒壇なのかが最重要の論点となる。日達上人は「現時における事の戒壇」とされたわけである。浅井先生はこれを「前以て建てた御遺命の戒壇」と断じ、重大なる御遺命違背だと責めているわけなのだ。

これがなぜにイチャモン気味なのかは、相手の言い分を斟酌するという姿勢が欠けているからに他ならない。

ごく最近、たまたま過去の拙稿に触れたコメントがあったので、そこから重要なキーワードを抽出しておこう。

事実上の国立戒壇

すでに六七年前になるが、ご覧のような言葉が存在した。浅井先生が言い出したことである。そこでわたくしは徹底的に破折した。すると言わなくなってしまった。それはそうである。こんな自家撞着が通用するはずがないのである。

今は記憶のままに話を再構成するのでその点はご容赦いただくとして、昭和四十年代の創価学会はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。そこで誰もがこのまま行けば広宣流布が達成されるのではないかと錯覚した。広宣流布の定義も簡単ではないので話を端折ることになるが、ともかく広宣流布の達成はもう少し先のことであっても、すでに今や広宣流布、もしくは事実上の広宣流布、というような雰囲気ないし考え方が醸成されつつあったのは事実だろう。

そこにイチャモンをつけたのが浅井先生なのである。

ここまで説明すれば一目瞭然だろう。その浅井先生が事実上の国立戒壇などとケッタイなことを言い出したのである。わたくしがそれを見過ごすわけがあるまい。よって徹底的に破折したわけである。

同じところばかり取り上げても仕方がないので、上述のことはここまでにしておこう。話を進める。

阿部日顕は、前もって大石寺を「本門寺」と改称宣言することを池田大作と諜し合わせていた・・・

ここがまた問題である。何か明確な証拠があるのだろうか?

平成4年の阿部発言

ここは大幅に省略するが、セロリ氏がかなり詳細に論じているので、先方のブログを確認されるとよいだろう。

http://blog.livedoor.jp/no_sleep502/archives/37913250.html

ようするに当時は日顕上人の御発言をかなり好意的に捉えていたのだ。おそらくは宗門復帰の可能性も残されていたので、その実現に一歩ずつ近づいていることを感じていたのかもしれない。逆に言うと、今はそれがなくなったので、もはや何でもありの悪意の発言を連発しているわけである。

 池田はさらに平成六年十二月にいたって、「阿部は相承を受けてない」と暴き始めた。池田はこの事実を始めから知っていた。しかし阿部ならば自分の言うことを聞くであろうと思って、阿部を貫首に擁立した。そして周到にその時を待っていたのです。

これなど悪意丸出しの発言である。先ほどの平成四年の段階で、あるいは平成六年の段階で、自分はどのように言っていたのか、そこが問題である。まるで他人事のように発言しているが、自分の発言も他人から注目されていることに気がつかないといけない。

上掲についてはもう少し書いておこう。まず知りたいのは池田氏の発言である。池田氏自らが日顕上人の御相承について云々している記録があるのだろうか?
次に、周到にその時を待っていた、との「その時」とは何を指すのだろうか?
ハッキリ言って文脈的にはデタラメに思えるのだが、いかがだろうか?

 「『板本尊偽作論』も、その後の掘り下げがありません。これから本腰を入れて取り組んでほしいと思います。創価学会を解散させるために、お互いにがんばりましょう」

日蓮宗新聞に掲載されているという山崎正友氏の発言である。ようするに山崎正友は大謗法者である、その大謗法者と結託した阿部日顕と大草一男も同罪である、と言いたいらしい。

この件に関してはまったくの無知であるが、現時点で言えることは正友氏の発言を前後を含めて詳しく検討しないことには結論を出せない、ということである。
なぜならば上掲が本当ならば実におかしな文章だからである。板本尊云々と創価学会の解散がなぜに並列するのか、そこが問題である。
つまり、これは日蓮宗新聞が編集の段階でおかしな切り取り方をした可能性があって、必ずしも正友氏の発言を正しく反映しているとは限らないのだ。

以上、今回の会長講演もツッコミどころ満載だった。

2019/8/4

オウリョウ  
沖浦氏はわたくしの言っていることを理解していないようである。真実は大聖人も御使いになっている語彙である。しかし、事実は違うのだ。ゆえに真実と事実を云々するのであれば、まずは大聖人の御書の中から事実に相当するであろう文言を見つけ出す必要がある。議論はそこから始まるのである。

さて、顕正新聞の続きである。

女子部第四副総部長・第十六女子部長

面倒臭い肩書きである。それはともかく当該記事の目玉は、アメリカから二十一人が参加したことである。もちろん北東北大会にである。もともとは三沢基地に配置された米軍人ないしその関係者と顕正会の女子部員が国際結婚をし、そこから始まったわけなのだろう。配偶者が米国へ戻る時に一緒に渡米した女子部員たちが、あるいは米国で新たに入信した人たちが、ぜんぶで二十一人、今回の大会に参加したという話である。いちおう世界広布の先駆け的な人たちと言えるだろう。

浅井先生のご一念に相呼応する諸天の働き・・・

相変わらず凄いことを言うものである。

メキシコからの難民が乳児や幼児を抱え、国境沿いの川を漕いで渡ってくる姿を・・・

テキサス州在住の組長の目撃談らしい。わたくしは不勉強ゆえか中米の政情にはまったく疎い。イメージとしては北朝鮮のいわゆる脱北者に似ているのかもしれない。

1億数千万円を横領した宗門住職!!

男子部第百六十五隊組長の記事に出てくる話である。よくわからないのは、それだけの大事件にもかかわらず逮捕されなかったのか、ということである。本文中には横領した人物のことを、日顕上人から寵愛を受けていたので半年で謹慎が解けたなどと説明しているわけだが、そういう問題ではないだろう。横領が事実ならば逮捕されてしかるべきである。

「死すれば光を放つ」成仏の相に大感動

男子部第百二十一隊の平会員は奥さんの臨終について、見出しのごとくの感動を綴っている。ただこの問題は以前にも書いたはずだが、光を放つが単なる譬喩だとすればガッカリである、というのがわたくしの偽らざる感想である。なぜならば御生骨のことがあるからだ。顕正会ではこれを広宣流布の時に光を放つものだと教わっている。しかし、常識的にはこれもしょせんは譬喩なのではあるまいか、とわたくしは思っている。

ところが顕正会員は本当に光を放つと信じ込んでいるフシがある。ではなぜに前者は譬喩で後者は譬喩でないのか、その論理的整合性を示してほしいものである。

秋田県在住で同じ第七女子部に所属している佐藤医師のクリニックを受診し・・・

これは女子部第六十一区総班副長の記事である。話の内容は省略しよう。わたくしが注目したのは久しぶりに顕正会員の医師が登場したことである。とは言え、役職も不明であるし、可能性としては女医ではなく男性医師かもしれない。いわゆる男性女子部員である。

ともかくこうした医師たちが顕正会の集会で登壇するようにならないとダメだろう。

今までの記憶では精神科医で男子部の隊長をやっていた人がいる。けれども彼は宗門に移籍してしまったと言われている。あるいは東北のほうで病院長をやっていた人がいる。その人が活躍していたのは二十年くらい前だったと思うので、年齢的な意味からしても今はどうなっているかわからない。

2019/8/3

マコトノコト  
まず、S@法華講氏のコメントについて、一言申し述べたい。いわく、史実云々、と。全体的な文脈としては妙信講の肩を持つような雰囲気がある。けれどもその場合、何かしらの客観的なデータが求められるところである。当時の妙信講は分母そのものが小さいので、単純には創価学会との比較が成立しないのではないかと思う。ゆえに史実を云々するのであれば、具体的な数字についての言及がほしいところだ。

ちなみに、浅井大草電話会談の動画をご存知だろうか?

これはおよそ三十年前の出来事であり、妙観講が作ったビデオが後にネット上に拡散し、今は誰もが容易に視聴できる状況になっている。
実は今年に入ってからも妙観講と顕正会の間で丁々発止のやり取りが行われているわけだが、すでにそうした動きは昭和の終わり頃からあって、途中、休戦状態のような時期もあったにせよ、ようは三十年越しの戦いが今も続いているわけなのだ。
その戦いの成果を見れば、教義論争の中身はさておき、どうも顕正会の敗色が濃厚なのである。早い話が顕正会から妙観講に移る人が多く、その逆は少ないようなのである。

そこで先ほどの電話会談の話につながるわけである。

二人の電話でのやり取りについてわたくしなりの感想を述べれば、大草氏が冷静沈着なのに対し、浅井先生は感情をむき出しにして激昂しているという、ひじょうに対照的な印象を受けるのだった。

そしてその理由についてもわりとハッキリしていて、ようはこの直前に大量脱会があったのである。二百人規模で顕正会から妙観講へ移籍するという騒動があった。なるほど、大草氏が余裕をブッコイテイルのも、逆に浅井先生が激昂するのも、そうした背景を踏まえればよくわかることである。

以上、S@法華講氏の史実云々に対し、わたくしなりの意見を書かせていただいた。

さて、沖浦氏であるが、めずらしくクソ真面目なことを書いている。

真実と事実の関係についてです。

ただし、内容的にはデタラメというか、ようは必ずしも大聖人の御考えに基づいたものではなく、いわば現代人の思考に阿るような説明になっている。

なぜかならば、真実は大聖人の使用語彙として頻出するものの、事実のほうはほぼゼロに等しいからである。つまり、大聖人は真実と事実を対比するような思考をあそばさなかった。ゆえにこの時点で沖浦氏の論考は大聖人の仏法から乖離してしまっている可能性が大なのだ。いや、もちろん、当時にはそのような言葉・表現が存在しなかったとしても概念は存在したということは考えられるわけで、もしそうであれば議論の余地はある。しかし、その場合は概念そのものを抽出する作業から始めないといけないわけで、相当に面倒臭い議論となる。わたくしは遠慮したいところだ。

そこで話を簡単にまとめよう。

事実はないが実事はある。というのが一つの事実である。そして大聖人の使用例としては虚事に対する実事が一般的である。つまり、虚事はソラゴトであり、実事はマコトノコトという意味である。早い話が真実とほぼ同義なのである。

今回は、沖浦氏の持論を重々承知の上で、それが初歩の段階でつまづいていることを指摘したつもりである。

青森県の宗門末寺住職らを徹底糾弾
 悉く回答不能「余党は物の数ならず」確信


さて、北東北大会の記事である。上掲の見出しは第十三男子部幹事の登壇に付されたものであるが、五月十三日付の拙ブログに関連の話題が載っているので、それも併せて読まれるといいだろう。

 「『準じて』とは『なぞらえる・同等』の意であり、むしろこれは御遺命破壊に加担したことの証明ではないか」

以前の記事では副総男子部長がご覧のように発言したことになっているわけだが、今回の記事では幹事が発言したと読める。この点、どのような釈明をするのか聞いてみたいものである。

もっともどちらの発言であっても大きくは顕正会側の発言と捉えればいいので、その意味では大した問題ではないのだろう。問題は言っている内容である。

はあ? って感じである。

相手が黙ってしまった。イコール回答不能であると、顕正会側はそのように解釈しているわけだが、必ずしもそれが正解ではないだろう。あまりにも常識外れの、自己都合の理屈を、それも堂々と言ってくるものだから、あっけに取られてしまったのだ。

優勝と準優勝は違う。これが答えである。

ただし、これで池田大作氏を諫めたなどと胸を張るほうも恥ずかしい限りであって、ここは宗門ももう少し正直になったほうがいいと思う。

結局、どっちもどっちなのである。

顕正会にも反省すべき点がたくさんある。けれどもそれは言わないのである。都合のいいことしか言わないのだ。宗門もまったく同じである。ゆえにどっちもどっちであり、こんなことをいつまで続ければ気が済むのだろうか、まったくバカげたことである、とわたくしは言う以外にないのである。

2019/8/1

アケグレ  
顕正新聞第1478号を見ていこう。

「北東北大会」特集号

一万二千人の大結集だったそうで、確かに掲載写真を見ると場内に人がギッシリと詰まっている様子がよくわかる。

 この日、会長・浅井先生のもとに北東北圏(青森・秋田・岩手・北海道)から続々と一万二千余の顕正会員が馳せ参じ・・・

この北東北圏という単位は顕正会が勝手に作ったものだから文句を言っても仕方がないものの、どうしても言いたくなってしまう。北海道を含めるのはいかがなものか、ということである。遥々と海を渡って来るくらいだから、当然ながら逆方面からの参加者、すなわち陸続きの南東北からも多数の参加者が居たであろうことは確実である。もちろん関東各地からの参加者も居ただろう。

さて、会長講演である。

 実は私は前々から「二〇二〇年代は広宣流布の決戦場である」と思い続けておりました。

ここ半年ばかり、会長発言には二十年代云々が見られなかった。わたくしの勝手な推測では、もはや言わないつもりなのだろう、なぜならば具体的なビジョンがないからだ、と思っていた。しかし、ご覧のようにハッキリと言っている。ゆえにわたくしの推測は外れたわけであるが、とは言うものの具体的なビジョンが見えないのは事実だろう。

強いて言えば、三百万で動執生疑、五百万で一国が動く、というのが今現在の具体的なビジョンである。さりとて、これが二十年代に成就するとはとうてい思えない。

・・・四月末で三千七百万枚に達しました。

基礎教学書の広告文である。

平成九年ないし平成十六年の一国諫暁では諫暁書を出版した。今はそれに代わるものとして基礎教学書がある。本そのものは高いので無料で配るわけには行かない。そこで広告文なるものを大量配布している。それが現状である。

目先の欲望に引きづられるまま・・・

引き摺るの「摺る」は「スル」であるからして、上掲は「引きずられるまま」と書くのが普通である。これまた浅井先生特有のコダワリなのか、それとも単なる誤植なのか、気になるところではある。

顕正会の場合、目先の欲望を云々するほど近視眼的ではないけれども、前述の二十年代の決戦場云々を含めて、あらゆる意味で場当たり的になっていることは否めない。

 そして最近では、顕正会員が多くなって来たせいか各地の病院で、臨終の相に善悪があることを知る医師が増えて来ましたね。

問題はエビデンスである。医師は確固とした統計データがなければ信用しない。ゆえに顕正会員がことのほか臨終の相にコダワルことはいずれ広く知られるようになるにしても、顕正会員の臨終ばかりが傑出して良相だと証言する医師が出てくることはひじょうに考え難い。

仏法と国土を守護する諸天善神・・・

この表現が気に入らない。単に仏法を守護するか国土を守護するか、どちらかにすればいいと思うのだが、違うのだろうか?

世界第一の下種の御本仏

この表現も悩ましい。このような大会には未活動の人たちもたくさん来ている。ゆえに平易な表現のつもりで使ったのかもしれないが、だったら「始めて」もやめるべきだろう。

 彼らは当夜、大聖人様を本間六郎左衛門の邸まで送って一夜を明かし、その翌朝・・・

これは事実誤認と思われる。当夜とは十二日の夜のアケグレであり、正確には十三日の未明のことである。片瀬から依知までどれだけ頑張っても半日は掛かるだろう。事実、大聖人は本間邸に午の刻くらいに到着したと書かれている。ゆえに上掲の書き様では、あたかも十四日の朝のことを言っているようにも読めてしまう。実にデタラメな記述である。

これは顕正新聞編集部のやる気のなさを露呈している事例である。先生だって勘違いをすることはあるわけで、上掲はそうした勘違いの類に過ぎない。しかし、新聞の編集ないし発行人がそれを見過ごしてどうするのかと思う。

 しかし大聖人様は「それならば、細井日達・阿部日顕の本尊を拝む必要はない。戒壇の大御本尊を直接拝みまいらせよ」――と遥拝勤行を教えて下さったのです。

編集部もツライ立場である。前掲は単なる勘違いであるが、このくだりは計算し尽くされた記述なのである。なぜならば、この文章に至る過程において、次のようなフレーズが繰り返されているからである。

細井日達・阿部日顕に執行せしめた・・・

細井日達・阿部日顕は処分を強行した・・・


これは明らかな事実誤認である。顕正会員だってわかっているだろう。ようするに妙信講に解散処分を命じたのは日達上人であり日顕上人は無関係なのである。無関係は言い過ぎにしても妙信講が解散処分になった頃は猊座に登る遥か以前であるからして、それを並列的に書いてしまっている時点で相当に恣意的であり、手前味噌の論理そのものなのである。

この欺瞞に対しては今後も徹底的に追及していく。本来ならば顕正会の大幹部たちこそが師匠の欺瞞を諫めるべきである。それができないのであれば、もはや終わっているとしか言い様がないだろう。

・・・さらに台湾攻略も見据えて今その準備を進めている。

この辺の記述については、平成九年にはどのように言っていたか、平成十六年はどうか、詳細に検討すべきところだが、面倒臭いのでやめておこう。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ