2019/10/31

ヒトカド  
顕正新聞第1486号を見て行こう。

その場にいた僧侶の誰一人逆らえなかった異様な光景・・・

副総男子部長の筆頭と思しき人物の発言である。これは正本堂建設委員会で池田大作氏が当時の日蓮正宗の総監を二時間にわたり罵倒したことを言っている。総監は宗門におけるナンバーツーなのだそうである。ゆえにパワーバランスから言えば、池田氏を制止できるのは日達上人だけだった。しかし、後年のことながら大勢の信徒が見ている前で池田氏が日達上人を恫喝するという事件があった。ここから類推するに、すでに上人はかなり早い時期から池田氏に逆らえない状態に陥っていたのだろう。

確かにこうした状況下において、池田氏に真っ向から勝負を挑んだ浅井先生は、ヒトカドの人物と言えるだろう。ただし、老いては駑馬に劣る、という。先生も例外ではない。

例えば五面上段に期を画する大人事とあって、次のような説明が付されている。

いよいよ明年から突入する広布の決戦場を見つめての・・・

ひじょうに微妙なところを指摘することになるが、ここでの「から」がやや不適切のように思う。通常、「から」は「まで」とセットになるはずなので、まるで突入する期間が数年にわたるかのように読めてしまうのだ。

例題を示そう。

来月から始まる九州場所

これはおかしな文章だ。大相撲は十五日間の興行であり、月を跨ぐことはない。つまり、十一月場所は十一月に終わるのである。ゆえに、「から」は不適切なのだ。

さて、そこで二面に戻りたい。次は男子部第十三総部長の発言である。

明年、決戦場に到達する顕正会・・・

あらら、到達と言っちゃっている。到達と突入ではずいぶんとニュアンスが異なる。おそらく先生としては到達では困るのだろう。ゆえに突入で誤魔化したいのだ。そうしたヨコシマな思考が、明年から突入する云々の珍妙な表現になるのだ。

そしていつも言っているように、そこには大聖人御馬前という概念も加わって来る。もはやゴチャマゼ状態なのだ。

以上、かつての浅井先生は称賛に値する。しかし、今はさまざまの矛盾が生じてきて収拾がつかない状態なのだ。そこをひたすら誤魔化そうとしているところがいかにも見苦しい。まさに過去の栄光を台無しにするような愚行と言わざるを得ない。

大師子吼

これもそうだ。こんなことを言わせている時点で終わっているのである。今回は総合婦人部長と第二十六婦人部長が言っている。

正系門家の御遺命破壊のたばかりの完結が一日も早まることを切に願い・・・

この副総合婦人部長の発言もどうかと思う。もちろんアゲアシ取りのレベルではあるわけだが、それにしてもヘボな文章である。これがインタビュー記事などであれば発言がこうであっても斟酌して書き直すのが普通であろう。それがインタビュアーの仕事である。ところがこれは登壇記事であるからして、登壇原稿を書いた本人の責任である。もしくは編集部の責任となるだろう。

意味がわからない人のために、もう少し説明しよう。

かつて御遺命守護の完結を目指していた。すると上掲は正反対の意味になる。いわば正義の完結ではなく、悪の完結を目指していることになるのだ。

ところが彼女は御遺命守護の完結とは言えないのだろう。なぜならば、すでに二十年以上も前に完結していることになっているからだ。

これで前述の矛盾の意味が、よりいっそう明瞭になったはずである。

 このような大悪人を相手に、六十年以上戦ってこられた先生の激闘に・・・

副総合女子部長の発言である。これもアゲアシ取りの気味があるものの、いちおう書いておきたい。例の五悪人を相手に六十年以上戦ってきたとするならば大間違いである。特に大草一男氏などはまったく当てはまらない。氏が台頭し始めたのは昭和末期であり、実質的には平成以降だろう。すると三十年もサバを読んでいることになる。また、御遺命守護の歴史の上から考えても、その起点は昭和四十五年であるからして、六十年云々はまったくのサバ読みである。正本堂問題という意味では昭和三十九年を起点とすべきだろう。つまり、彼女の言い様だと日淳上人の時代からすでに悪人だらけだったと言っているに等しくなるのだ。

正系門家の「空位」に加え、先生の直諫を無視する失により、風雲急を告げる客観情勢を見ては・・・

女子部第二総部長の発言はそのベースに浅井先生の指導がある。ゆえに彼女を責めるのは筋違いかもしれない。

まことに恐れ多い限りであるが、わたくしはここで日如上人の御気持ちになって言いたいことがある。空位なんだろ? だったらオレに言うなよ、めんどくせーなー、と。

これも一種の矛盾なのだろう。

わたくしは日如上人の厳然たる在位を主張したい。それでこその直諫だろう。直諫などと格好いいことを言っているわりには、在位を否定するのである。これほどの矛盾もあるまい。

毎回、ツッコミどころ満載の顕正新聞である。

2019/10/29

キョウジュ  
沖浦氏がめずらしく父親のことを書いている。ここまで詳しく書いたのは初めてのことかもしれない。

ところで誰だかわからない人物が法体相承と法門相承について云々している。しかし、もしかしたらどこかから勝手にコピペしてきた文章なのかもしれない。自分の言葉で発言できるようになりたいものだ。

さて、顕正新聞の続きであるが、一気に終わらせてしまおう。

大信寺住職上田、論に詰まりボールペンを投げつける!

第十五男子部長の登壇である。細かい話は抜きにして、ボールペンはよろしくないだろう。もし目にでも刺さってしまったら大変なことになる。物を投げつける場合、その辺を考えてからにしないといけない。

ただ言えることは、それほどに顕正会員の発言ないし態度がムカツクのである。この点に本人たちが気づいていればいいのだが、もし気づかずに誰彼構わずに不快な思いをさせているとしたら、もうそれだけでダメである。一般人からも反発を食らうことになる。理想は悪人に対してだけそのような態度を取れればいいのだが、なかなかそのような器用な人間はいないものである。

「国立戒壇が正しい」正信会住職が吐露

この第二十七男子部長の記事には重大な欠陥がある。いわく東海方面の全末寺に赴いたと。実際にその方面に寺院がいくつ存在するのか知らないが、ここでは寺院名が四つほど紹介されている。それはいいのだ。問題は正信会の寺院である。なんと上掲のような立派な見出しがあるにもかかわらず、本文中にはその具体的な寺院名が記されていないのである。これではダメだろう。

「公立公民館による使用拒否は違法」

法務部長・藤村雄大氏の記事はきわめて常識的である。そもそも今頃になってなぜにこのような問題が起きたのかが不思議である。公民館側の独自の判断なのか、顕正会に批判的な勢力が圧力を掛けたのか、そこが気になるところである。

わたくしは顕正会の会館がほとんど存在しない頃のことを知っている。当然、その頃は公共施設を借りて集会を行なっていた。いわゆるビデオ放映であれば全国各地でそのような形で行なわれていたのである。
ただ当時、それを妨害するような動きがあったのも事実で、施設のほうに顕正会へは貸すなという匿名者からの働き掛けがなされていた。これを顕正会では創価学会の謀略だと言っていたわけである。
では今もなお創価学会の謀略が行なわれているのだろうかと考えると、やや疑問に思えるところである。あるいは組織的な謀略ではなく、地域の創価学会員による妨害工作なのだろうか?

ここで皮肉な話をすると、もし創価学会がそのような工作を行なっていたとすれば、それが顕正会の会館を増やすキッカケになったのも事実である。今現在、ビデオ放映などのスケジュール表を見ると、そのほとんどが会館で行なわれるように設定されている。ようはそのほうが会場を貸す貸さないのツマラヌ悶着に煩わされることがないからである。

翻って言えることは、そうした会場の問題は昔から今に至るまで潜在的にあるのだろう。以前は弁護士を外注しないといけないので一々提訴することはしなかった。それだけの話なのかもしれない。

戒壇の大御本尊在す奉安堂に土足で

婦人部大宮支区の平会員である。まったく何を言っておるものかと思う。

 奉安堂に入室する前の休憩所や他の建物は、すべて畳の部屋でしたが、戒壇の大御本尊様まします奉安堂がどうして土足なのか、戒壇の大御本尊様まします処こそ畳でなくてはおかしいと、衝撃でいっぱいになりました。

本部首脳は真面目に考えるべきだろう。国立戒壇を本気で建てるつもりがあるのならば、まずは収容人数をどうするかである。まさか少人数での御開扉を想定しているわけではあるまい。何しろ全世界の人々が参詣する堂宇なのである。わたくしは何も外国人向けにイス席にしろと言っているのではない。もし畳敷きの場合、下駄箱をどうするかである。大人数になればなるほど、現実的にはかなり難しい問題となるはずで、そんなことも想像できないのかと逆に心配になる。早い話が国立戒壇を本気で考えてはいないのだろう。

大師子吼

第十七婦人部長である。婦人部はかなり重症のようだ。

最後は女性男子部員の記事である。

 昭和三十二年、母の縁で学会に入信した私は、十九歳で「区長」と「教授」になり・・・

創価学会における区長がどれほどの役職なのか知らないが、顕正会の女子部で言えば相当の出世頭であろう。成人式の登壇記事を見ると、総班長の場合が圧倒的に多く、ごくマレに区長の登壇もあったように記憶している。ゆえに上掲の十九歳で区長は凄いことだ。

問題は教授のほうで、これが事実だとしたらどういうことになるのだろうか?

これまでにも創価学会から入会してきた人が無数に登壇しているものの、そのほとんどが教授補止まりなのである。今調べてみたら本年の七月十七日付の拙稿でこの問題を取り上げている。やはり教授の例は希少である。しかも十九歳で教授が本当ならば驚異的である。

2019/10/22

クウイ  
顕正新聞の続きを見て行こう。八月度総幹部会の目玉は総合女子部長人事であり、そのことは前回のブログに詳しく書いた。今回は会長講演である。

御遺命破壊に加わった五人を見よ

今回もまた特集号と銘打っているだけあって、紙数も相当である。第二面から三ページ半にわたって掲載されている。そして上掲は御遺命破壊の犯人たち(?)についての記述である。

池田大作

細井日達、阿部日顕

山崎正友、大草一男


これは当該講演の記述から抽出したものである。

かつて浅井先生は池田大作氏を主犯とし、日達上人ないし日顕上人を共犯としていた。その都度、表現を工夫して、新鮮味を持たせることに腐心しているのか、もしくは過去の発言をすっかり忘れてしまって新たに書いているので表現が異なるのか、その辺は定かではないが、ともかく今回は五人という括りにしている点が新しい。

 この五人のうち、池田大作こそまさしく第六天の魔王その身に入った御遺命破壊の元凶であり、あとの四人は魔の眷属です。

それにしても大草一男氏も出世したものである。

浅井先生に自覚はないのかもしれないが、これは相手にしてみれば大変名誉なことであり、妙観講員は喜んでいいと思う。
かつて二人は電話でやり取りをしている。この時の音声は今もネット上のどこかで確認できるだろう。また当時、顕正会には冨士という月刊誌があって、そこで妙観講のことを話題にしたりもしていた。その頃のわたくしの印象では、大草氏はどこの馬の骨ともわからぬ若造であり、浅井先生とは格が違い過ぎる、という感じだった。実際、くだんの電話でのやり取りでは浅井先生に相手を見下すような言動があったし、冨士の記述もそうだった。
ところがここに来て、大草氏はとうとう御遺命破壊の当事者に祭り上げられたのである。これは名誉なことだろう。何しろ昭和四十年代当時、大草氏は何者でもなかったのである。それが今では無視できない存在になったということなのだ。

細井日達に取り入る

阿部日顕に取り入る


これまた浅井先生に自覚はないのかもしれないが、この記述がいかに非常識であるかを顕正会員たちは考えるべきである。具体的には次のくだりをご覧に入れたい。

 その翌年、細井日達は急死し、阿部日顕が登座した。
 すると大草はこんどは日顕に取り入るようになる。


浅井先生は宗門の外にいて、歪んだ目で見ているから、こんな書き方をするのだろう。

今の段階でハッキリしていることは、顕正会の認識としてはいわゆる無相承ということなのだろう。後年の創価学会の言い方を使えば、ニセ法主ということになる。ニセ法主に取り入ってどうするのか、というのが浅井先生の言わんとしていることだ。

しかし、それは大間違いであって、大草氏は今も昔も一貫して御相承を拝信しているのだから、取り入るも何もないのである。時の猊下を拝信して何がいけないのだろうか?

ちなみに、山崎正友氏に関しては、次の二つをどのように受け取るかが問われている。

法主を僭称する阿部日顕上人の素顔

私が御相承≠拝信するに至るまで


これもまた、歪んだ目で見ている人とそうでない人とでは、見解が分かれるのだろう。

いわゆる一貫不変である必要はない。自分が間違っていたと思えば訂正する。それが人間としてマトモな振る舞いである。山崎氏はそれを実行しただけの話である。

浅井先生は気づいていないかもしれないので、ここに書いておこう。

御相承について最初に疑義を呈したのは正信会である。それに続いたのはかなり時間が経ってからの創価学会である。そのさらに後年、顕正会が言い出した。早い話が、顕正会は後出しジャンケン的に言い出したに過ぎない。ぜんぜん一貫不変ではないのである。

だったら逆もアリだろう。最初は御相承を疑っていた山崎氏が、後に拝信したとして何がいけないのだろうか?

今回の会長講演はこんなテイタラクである。よって以下はオマケとして書いておこう。

 「日蓮門下の集まりに始めて参加させて頂き、光栄に思っております」

山崎氏の発言とのことだ。わたくしがいつも気にしている、初めてと始めての使い分けの問題だが、この記述は原文通りなのだろうか?

妙光寺事件

これは試練と忍従の歴史にも出てくる話なので知ってはいたが、もしかしたら今回は新事実が書かれているのかもしれない。

 この席で池田大作は、管長に次ぐ第二位の地位にあり、妙光寺の住職でもあった柿沼広澄・宗務院総監に対し、なんと二時間にわたり罵倒を繰り返した。

二時間? これは初耳である。それともわたくしが単に失念しているだけなのだろうか?

 前々から池田大作にへつらっていた阿部日顕などは、京都平安寺の住職で教学部長だったころ、平安寺前の大通りを池田大作が車で通ることを知るや、門前に立って待ち、頭を下げていたという。また池田が平安寺に来るときには、門前から本堂までの道に、赤絨毯を敷いて迎えたという。

ここまで詳しい記述は初めて読んだ。それにしても、〜いう。〜いう。という表現からもわかるように、浅井先生がそれを目の当たりにしたわけではないのは明らかである。では、いったいどこから得た情報なのか、そこが気になるところである。

大事なところを見逃していた。

 さて、細井日達は、池田大作との大抗争の最中の昭和五十四年七月二十二日、心臓発作で急死を遂げた。それは、大事な「御相承」もなし得ずの急死であった。
 しかし先般も申し述べたごとく、いかなることがあっても、下種仏法の血脈は断絶するものではないのです。もし国立戒壇の御遺命を堅持あそばす貫首上人が御出現になれば、忽ちに血脈は蘇る。それまで「空位」が続くというだけのことです。


相変わらずの支離滅裂さである。

はたしてこんな顕正会にも御相承を拝信する日が来るのだろうか?

この「空位」は国家に重大な影響をもたらす。ゆえに令和は大変な時代になると思われる。

わたくしは昭和時代からの顕正会経験者である。ゆえに昭和末期における浅井発言、平成を迎えた頃の浅井発言を知っている。同じようなことを繰り返し言っているに過ぎない。

 二〇年代こそ、広宣流布の決戦場であります。

ややアゲアシ取りとは承知しつつも言いたい。上掲はいわゆる西暦である。前掲は日本特有のいわゆる元号である。

行き当たりばったり感が否めない。

2019/10/18

モウロク  
失礼ながら沖浦氏もモウロクしたなあと思った。
まず今朝のコメントに付されたリンクが問題で、クリックしてもどこにも行けないのだ。フェイスブックにアカウントのある人は違うのかもしれないが、わたくしのようにアカウントを持たない人には無意味のリンクである。
そしてその前に頂戴していたコメントには、フリーハグの動画がリンクされている。これは素晴らしいものであるが、実は同じ内容の動画をすでに紹介してもらっているのだ。八月二十八日付のコメント欄を確認されたい。
ただし、今回は新情報として、くだんの人物が創価大学の学生であると書かれているので、それで改めて紹介してくれたのかもしれない。

さて、顕正新聞第1485号である。

「御遺命守護」特集号5

一連の特集号は重複以外の何物でもないが、それでも少しずつ新情報を加味して新鮮味を持たせている。その努力は評価してもいいだろう。

当然、特集号のメイン記事は会長講演である。それは二面以降に掲載されているわけだが、まず第一面を見て驚いたのが女子部の人事だった。

女子部首脳幹部 刷新

総合女子部長が交代した。

これはけっこう衝撃的な出来事であり、今日はこの話題だけで終わることになるかもしれない。何しろいつも言っているように、人事の裏には前任者の処遇という深刻な問題が横たわっているからだ。

まあ、区長クラスであれば、今や日常茶飯事である。驚くに値しない。ところが今回は総合女子部長の人事なのだ。

前総合女子部長はどうしたのだろうか?

ちなみに初代総合女子部長から話をたどると、甚だ失礼とは承知しつつも彼女は還暦過ぎまで総合女子部長の座に君臨していたのだと思う。正確な年齢はわからないが、そうした年齢的な意味から交代を余儀なくされても仕方がなかっただろう。
二代目総合女子部長はわりと早くに消えてしまった。そう、消えたのである。単なる降格であれば、今もどこかでお目に掛かる機会があるはずだが、三代目が就任してからはまったく姿を見せていない。もちろん、わたくし自身は会館には行かないので、目撃する機会がないだけなのかもしれない。ゆえにもし今も活動会員として存在するのであれば、ぜひとも情報をお寄せいただきたいものである。
ともかく二代目は短かった。そして三代目すなわち前総合女子部長になってからは、けっこうな年月が経っていると思う。今は記憶だけで書いているものの、定着している印象があったのは間違いあるまい。それが今回解任されたわけである。
ゆえに今度の新総合女子部長は四代目ということになる。正直、意外な人選だった。いや、もちろん、女子部内のパワーバランスがどうなっているのかなど、わたくしはまったく承知していないので意外な人選というのは勝手な印象に過ぎないのだが、ともかく数多の副総合女子部長の中から彼女が抜擢されたのは、傍目には意外だった。

・・・おおらかで親切な人柄でありながら、裏表のない純粋・堅固な信心で、真心の御奉公を尽くしてきた人材である。

穿ったことを書けば、前任者には裏表があった、ということになりそうである。

浅井先生の信任も厚い。

前任者は先生の信任が薄かった?

ヘソマガリなことばかり書いているようだが、ともかく前任者のことにはまったく言及がない点が問題であり、それゆえに上述のようなイヤミを書きたくなってしまうのである。

今は記憶だけで書くのでその点はご容赦願いたいが、昔の顕正新聞には前任者のことも書かれていた。例えば女子部の人事の場合、〇〇さんは結婚を機に婦人部に転籍した、というような記述があったのである。しかし、多くの場合は組織を離脱してしまったと考えざるを得ない。ゆえに顕正新聞としてはそんな記事ばかりでは都合が悪いので、前任者のことには触れなくなってしまったのだろう。

ところでわたくしは先ほど次のように書いた。再掲である。

数多の副総合女子部長の中から・・・

これまた手抜きで恐縮だが、わたくしは副総合女子部長が何人いるのか把握していない。ハッキリ言えるのは、女子部は大組織であり、副総合女子部長が五人や十人いてもおかしくない、ということである。

女子部首脳幹部 刷新

再掲である。

ようするに総合女子部長の交代だけではなく、副総合女子部長においても相当数の任免があったのではないか、と睨んでいるのである。

以上、何の情報もなく、顕正新聞に記載されている内容だけを材料に、さまざまの憶測を書き綴った。

ゆえにもし内部情報に詳しい人がいればぜひともコメントをお寄せいただきたいと思うし、それが叶わないとしてもわたくし自身は今後も顕正新聞の情報から窺い知れる範囲で書いて行くつもりである。いちばん単純なことを書くと、あれ? 最近はあの人を見掛けないなあ? もしかして離脱しちゃったのかな? みたいな感じである。

ただし、それが間違いの場合もある。

例えばわりと最近の話を紹介すると、婦人部の重鎮的な存在だった人が今は総班長というケースがあった。この人の場合は信心に問題があったのではなく、病気を抱えていることと、年齢的なことの二つが主な理由と考えられる。

その意味では今回の総合女子部長の件も前任者が病気療養のために役職を辞した可能性も否定できない。

 この画期の大人事も、いよいよ明年から突入する「広宣流布の決戦場」を見つめての、先生のご決意の表われである。

人事の話はさておき、この記述が注目である。いつも言っているように、三百万にならないと大聖人からの御命令が下らない、という問題がある。編集部はその点をどのように説明するのだろうか?

いよいよ広布決戦場への最後の法戦開始である。

これも同様である。

2019/10/11

コンダンカイ  
顕正新聞の続きを見て行こう。

臨時時局懇談会に出席した住職「浅井さんは正しい」

婦人部弘前支区総班長の記事の凄いところは、その住職の名前がしっかりと書かれていることである。

弘前市の正信会・東大宣寺の木全住職

すでにこの人も八十代という。生き証人がどんどん少なくなっていくことが残念だ。

また、ナイモノネダリを言わせてもらうと、正信会の僧侶ではなく正宗の僧侶からの証言がほしいところである。あるいは創価学会の幹部でもいいだろう。現状、正信会の立場からすると、わりと言い易い、思ったことが言える、ということなのだと思う。立場的に言い難い人が発言すれば、それこそインパクトがあるはずなのだ。

難病の中「命は大聖人様に帰し奉る」

婦人部冨士見支区総班長は、かつて婦人部の重鎮的な存在だった。なぜに総班長なのだろうかということを、以前にも書いた。その理由が判明した。なるほど、病気を患っていたのだ。しかも彼女は七十八歳になるらしい。年齢的にもやむを得ないところだろう。ヘンなことを言うようだが、写真を見る限りはけっこう若い。

 そこにいま込み上げるは
 「先生は宗門に解散処分されたのではない。国立戒壇の御遺命を守るために、先生自ら、濁れる宗門から離れられたのだ」
 との思いであります。


この第二十五婦人部長の発言は負け惜しみである。現実に解散処分が下され、先生は除名処分を受けた身なのである。

まるで大きな海が大聖人様で、私はその中の一滴の滴で、一滴の私でも大きな大聖人様の大海に入ってしまえば大聖人様と一体、その一体になった大聖人様を我が身に感じることができ・・・

婦人部冨士見支区総班長の発言である。前掲の冨士見支区総班長とは別人であるが、あるいはかなり影響を受けているのかもしれない。くだんの婦人部の重鎮だった人が好む文章だからである。イヤミではなく、これがウソイツワリのない実感だとすれば、相当の宗教的境地だろうと思う。わたくし自身は理屈はわかっていても、そのような実感にはなかなか到達できない。

祖母が亡くなった際には、・・・祖母の金歯まで抜いたり

記事全体の内容から外れて恐縮だが、婦人部広島支区組長の話で注目したのは、ここである。どうするのだろうか、換金するのだろうか、だとすると不謹慎である。普通の人間の感覚では、できっこないことである。

例えば指輪など、抜けなくなっている場合もある。その場合、まさか指を切断してまで取ろうとするのだろうか?

夫に殺害された長男が夢で「有難う」

婦人部新横浜支区組長の記事に付いている見出しである。当然、本文中にはそのことが詳しく書かれている。特に何が言いたいというわけではないが、こうした話を顕正会の集会で発表してしまうことの意味である。本人としてはそれで胸のつかえが取れるのだろうか?

同僚の村上順子さんが安らかな臨終

男子部第六十隊長を務める金子巧氏の体験発表である。普段は個人名を書かないことにしているのだが、今回は顕彰の意味で書かせていただいた。もっともわたくしごとき顕彰されたくはないだろうが・・・

わたくしがヘタな説明をするよりも、次のくだりを読んだほうが早いだろう。

 また、身寄りのない村上さんの葬儀を滞りなく終えることができたことに、何かを感じた経営陣から、私の信心活動を今まで以上に認めてもらえる運びとなったのでした。

人間の真価が問われる場面なのだと思う。

ただ、わたくしの感触では、顕正会に対する評価が向上したのではなく、金子氏に対する信頼が今まで以上に強くなったということだと思う。いや、もちろん、それに付随して顕正会の心証もよくなったのは事実だろう。

2019/10/9

ブッコシャ  
沖浦氏が愛犬のことを書いている。わたくしの思うに、沖浦氏に飼われていたことが、その犬にとっては幸せなことだったのだろう。

ところで二十年の根拠がわからない。年数は関係ないのではないか、年数ではなく影響力である。過去にも創価学会に反旗を翻した人が無数にいる。国会議員レベルの人もそれなりにいた。しかし、一時的に話題になったものの、結局は消えていった。確かにその意味ではある程度の年数が必要ではあるのだろう。ただ、ダラダラとやっていても仕方がない。短期間だったとしても、どれだけの影響力を発揮できたのかが問われるのだと思う。

さて、顕正新聞の続きである。

特集号配布を安倍晋三SPが妨害!
 安倍政権は顕正会を恐れている


男子部第四十四隊支隊副長の記事に付けられた見出しである。ようするに今夏の参院選の話を書いているのだ。昨日紹介した三十七隊長は、単なる聞いた話として野原氏のことを云々していたに過ぎない。一方の副長は選挙中にたくさんの人が集まっている場所に行って、顕正新聞の配布をしたという。立派なことである。

 七月八日、盛岡駅近くの通り沿いに、安倍晋三首相が街頭演説の応援にやって来ました。

話を端折って恐縮だが、彼は結論部分で次のように書いている。

・・・安倍政権の崩壊近きを確信するばかりであります。

相変わらずのアホさ加減である。さすがに浅井先生は恥ずかしいと思っているのか、ここ最近の講演では安倍首相のことを口にしていない。しかも顕正新聞にも上掲のような記事をほとんど載せていない。逆に言うと、上掲は例外中の例外なのである。

ところで、顕正会を恐れている云々は、やや不正確である。

安倍政権に対する批判は各方面から上がっている。わたくしが個人的に驚いたのは元内閣官房参与の藤井聡氏である。やはり公費をもらっていた時には遠慮があったのだろう。氏はその職を辞してから、まるで別人のように言っていることが変わってしまった。こう書くと変節したみたいに思われるが、そうではない。ようは従来からの持論を遠慮することなく発言するようになった。それがあまりにも直截的なので、物凄く強烈に感じられるのだ。

ただし、こうした安倍批判はあまり地上波ではお目に掛かれない。今はネットがあるために、わたくしのような情報オンチであっても、知ることができるのである。

北海道だったろうか、安倍首相の遊説先でヤジを飛ばしている青年が複数の警察官に取り囲まれて強制排除されてしまったという動画も、どこかで見られるはずである。

つまり、顕正会だけではなく、今はあらゆる人たちが安倍批判をしている。ゆえに政権側としては、そうした批判の一つひとつに神経をとがらせているのだ。

 また、女子部員も演説会場に駆けつけて・・・

それにしてもこの続きの記述が事実ならば重大問題だろう。

・・・SPが異常なまでに付きまとい、女子部員が顕正新聞を出した瞬間、鷲づかみにして取り上げ、女子部員一人に対し、数名の大男が上から覆い被さり、羽交い絞めのように力ずくで抑え込み、ケガをした人もいたと聞いては、憤りがこみ上げました。

それこそ法務部が断固とした態度を示さないといけない。

藤本日潤・常泉寺住職 法論逃げ回る
 先生の御遺命守護の正しさ知るゆえ


女子部第十七区長の記事に付された見出しは、なるほど、そうかもしれない、と思わせるものがある。昭和四十年代に宗門ないし創価学会の中枢で活躍していた当事者たちが次々と物故され、もはや生き証人として残っている人が少なくなってきている。常泉寺の御住職もその貴重な一人なのだろう。ただ、彼らとしてはあまり語りたくない歴史であり、とりわけ顕正会員に対しては顔すら合わせたくないのだと思う。むしろ逆に若手の僧侶たちの中に、コワイモノシラズがいて、法論の実現に前向きな姿勢を見せたりするわけなのだろう。しかし、それも実現する前にヨコヤリが入るらしく、まともな法論が行なわれたタメシがない。

 「御住職を呼び捨てにするような人とはお話できません。きょうは終わりにします。もうおしまーい」

常泉寺法華講の講頭のセリフらしい。

ここでは逆に顕正会員に対して提言しておきたい。呼び捨てにするのはやめるべきではないかと。

わたくしの思うに、顕正会員も余裕がないのだ。余裕があればイヤミを込めてでもいいだろう、藤本先生とお呼びしてもいいし、藤本御住職とするのもいい。あるいは藤本さんくらいでもいいかもしれない。ようするにツマラナイところで損をしているのだ。

そう言えば、妙縁寺で発行していた破邪新聞について、わたくしはほとんど言及したことがない。

これについて少し書いておくと、わたくしはそもそもそのような新聞を目にする機会がなかったので云々できなかった、というのが始まりである。けれどもネットを調べて行けばそれが散見されるのも事実である。しかし、わたくしはほとんど読んでいない。たぶん少しだけ読んで、これはダメだ、と悟ったのだと思う。単なる悪口の羅列なのである。あれほど低劣な新聞もなかろうと思う。つまり、内容を深く読む以前に、こんなのはウソッパチに決まっている、と思わせるようなヒドイ新聞だったのである。

やや話がズレていることは承知しつつも、顕正会員の態度も同様なのだと思う。相手を頭ごなしに呼び捨てにする非礼に対し、相手がどのように感じているかを相手の立場になって考える力を養うべきだろう。それが欠如している人たちばかりの集まりが顕正会なのだ。

2019/10/8

チョクカン  
顕正新聞の続きを見て行こう。まずは昨日の拙稿から引用する。

活動会員たちの発言を見ていると、来年からいよいよ最終決戦が始まるかのごとく思えてしまう。ところが浅井先生の発言はそのようには読めない。

通常、過去の顕正新聞を参照したりして両者の齟齬を突き止めていくわけだが、今回はそこまでする必要がない。なぜならば同じ紙面に載っているからである。

まずは第四面に載る第十一女子部長の発言を紹介しよう。

 明年より大聖人様の御馬前に馳せ参じ、最後の使命を果たされる先生の・・・

そして第一面には昨日紹介した文言がある。

 さあ、20年代こそ広布の決戦場である。早く三百万を成し遂げて大聖人様の御馬前に馳せ参じ、次なる御命令を、謹んで全員で聞き奉ろうではないか。

ようするに年明け早々に決戦が始まるわけではない。戦いを開始するためには三百万の陣容が必要であり、言葉を換えれば三百万が達成された時にようやく大聖人の御馬前に馳せ参ずることができるのだ。では、その達成の時期であるが、どう見積もっても二十年代の後半なのである。

しかるに第十一女子部長は、明年には大聖人の御馬前に馳せ参ずることができると言っちゃっているわけである。

そして前号におけるチョッカン、すなわち直諫であるが、本号においては大変なことになっている。今から数えてみる。見出しに躍っている文字も含めれば次のごとくだ。

直諫×33

あまりにも頻出するので数え間違えているかもしれないが、その点はご容赦願いたい。

ともかく重要なことは、浅井先生の発言は重い、必ず諸天が感応する、という意味のことを大幹部たちが口々に言っていることである。しかし、すでにして直諫そのものがインチキであるからして、その後のさまざまの事象もコジツケ的に自分たちに都合よく解釈することになるのは必定である。今後もその欺瞞については繰り返し指摘していくつもりである。

男子部第十七隊幹事・総支隊長補

このように書くとわからないが、この登壇者は顕正会における弁護士第一号、すなわち法務部長であり、また副教学部長でもある。当該記事では他の活動会員と肩を並べる格好で活動報告をしている。ご苦労なことである。特別扱いをしてもらえないところが顕正会らしさなのだろうか?

男子部第三十七隊長の記事が興味深い。

 公明党・山口代表が立候補した東京選挙区に、沖縄県知事選で三色旗を振って玉城デニー氏を応援した沖縄の学会員・野原善正氏が、「なっちゃんとガチンコ勝負」だと、山口代表を相手に「れいわ新選組」から立候補したこと。

この後も興味深い記述が続くけれども、上掲だけでも十分だろう。問題はこの話がどこから出てきたのかである。いわく、広島県三次市の邪宗・日蓮宗・身延派住職を折伏してまいりました、と。ようするに広島県の僧侶からの情報なのだ。

アホじゃないかと思う。

ちなみに、わたくしは野原善正氏の存在を今夏の参院選まで知らなかった。ただ、れいわ新選組には注目していたので、選挙が始まってからは氏の発言などもチェックしていた。

ゆえに顕正新聞に記されていることは知っていた。実際、上掲を含む一段はかなり正確な記述である。しかし、逆に野原氏の存在を知って、沖縄県知事選のことでは顕正会の今まで言っていたことがかなり欺瞞的であることに気がついた。

どういう話か簡単に説明しよう。

ようするに沖縄県知事選では自公が惨敗した。そして野党の推す玉城氏が当選した。この時、見えないところで力を発揮したのが沖縄の顕正会員だった。彼らの地道な配布活動によって公明党が切り崩された。こんなことを浅井先生は言っていたのである。

しかし、どうやら事実はそうではなく、沖縄の創価学会員の中に公明党批判をする人たちが多くいて、その人たちが玉城氏に一票を投じた結果が自公惨敗の要因らしいのである。そして申すまでもなく、公明批判の先頭に立ったのが野原氏だった。

おおむね上述のごとくである。

すると浅井先生が言っていたのは、いわば手柄の横取りみたいな話であり、それで顕正会員を騙せたとしても他の人たちは騙されないだろう。

ただし、顕正会側にも少しだけプラスになる話があるので書いておこう。

今は記憶だけで書くので、興味のある人は確認されるといい。野原氏の出馬会見だったと思う。動画サイトを調べれば出てくるはずだ。
この時、記者からの質問があって、氏は一問一問に対し丁寧に回答していた。そうした流れの中で、かなり宗教的な話もしていた。氏は日蓮仏法という言葉を何度も使っていた。
そうした数々の質問の中で、記者の誰かが顕正会のことを云々するくだりがあった。意味的には、日蓮仏法を云々するのであれば今の創価学会よりも顕正会のほうが遥かに日蓮仏法に忠実なのではないか、という感じだった。その時の野原氏は苦笑いをするだけで多くを語らなかった。

ともかく、れいわ新選組の代表である山本太郎はいわゆるタレント議員ではなく、本物の政治家を目指している。本気度が違うのだ。ゆえに今後も躍進が続くだろう。次期衆院選では百名擁立の話もある。すると再び野原氏が出る可能性もあり、出れば晴れて国会議員になる可能性も十分に考えられる。そこでまた記者とのやり取りで顕正会の話題が出るかもしれない。気の長い話だが、注目したい。

2019/10/7

コチャク  
顕正新聞第1484号の一面には御書講義もどきが掲載されている。すでに何年も前から指摘しているように、浅井先生が出席するのは総幹部会だけであり、近年は日曜勤行にもまったく出ていないらしいのである。ゆえに月三回発行の顕正新聞もネタに困っている。そこで考え出されたのが御書講義もどきである。

いや、もちろん、モドキというのはわたくしが勝手に言っていることである。ただ現実に、御書講義そのものが完全に消滅してしまった今の顕正会においては、今回の記事が御書講義に準ずるものであるのは事実だろう。

「観心本尊抄」の大意を拝し奉る

アゲアシを取るようだが、今回の記事は本尊抄の大意を拝するものであって、本尊抄そのものを拝するものではない。

わたくしは思う。バカにしていると。ようするに浅井先生が顕正会員をバカにしているのだ。

御書を読んでも理解できない。ゆえに浅井先生を通して学ぶのだ。顕正会員はそれでいい。
こんなことが顕正会では言われているけれども、それ自体がバカにした話である。理解できるかどうかは読んでみなければわからない。それをハナッからわからないと決め付けるのはどうかと思う。
まずは読むべきなのだ。何もわからなくてもいい。それでも何かを感じ取ることができるかもしれない。そこが大事なのである。

 阿部日顕は、河辺慈篤に大御本尊誹謗の悪言を吐いたのみならず、さらに今「戒壇の大御本尊の敵」たる山崎正友と結託した。

さらに今? 何を今さらである。浅井先生は頭が固着しているのだ。

結局、日顕上人が御遷化され、山崎氏もすでに亡くなっている今現在の状況からすると、いったい何年前の話をしているのか、ということになるだろう。浅井先生的には落とし前がついていないと思っており、だからこそずっと言い続けているわけなのだろう。その気持ちはわからなくもないが、何しろ相手が不在なのであるからどうしようもない話である。

現宗門にしても迷惑な話である。

ゆえにいつもわたくしが言っているように、宗門の戒壇論はデタラメである、という一点に集約して責めるべきであり、その他の細かいことは省くべきなのだ。

 汚濁の宗門の中に、二百十万の清浄なる仏弟子の大集団が出現したことは・・・

ここがまた悲しいところであって、宗門の中にではなく、宗門の外にというのが客観的な事実である。

 さあ、20年代こそ広布の決戦場である。早く三百万を成し遂げて大聖人様の御馬前に馳せ参じ、次なる御命令を、謹んで全員で聞き奉ろうではないか。

これが締め括りの文章である。本尊抄の話はどうなったのか?

まあ、それはアゲアシ取りが過ぎるにしても、ともかく問題の多い発言である。すでにこれまで何度も指摘してきたように、二十年代と三百万の関係性がよくわからない。御命令の実態もわからない。結局は先生が命令を下すのだろう。それが客観的な事実である。

活動会員たちの発言を見ていると、来年からいよいよ最終決戦が始まるかのごとく思えてしまう。ところが浅井先生の発言はそのようには読めない。
ようするに三百万の達成が条件なのだ。その条件が整わないうちは決戦に臨めない。イヤミな言い方をすると、大聖人からの御命令が下らない。
しかし、もしそうだとすると、ギリギリで間に合うかどうかである。今の顕正会の伸び方からすると、二十年代の後半でようやく三百万を達成することになる。そこまではいわば助走期間ということになるのだ。

いかがだろうか?

活動会員たちと浅井先生とではその認識に乖離がある。これがいずれは不信感に転換されることになるのは必定である。現に大幹部クラスであっても組織を離れていく人が後を絶たないという現実がある。

拙ブログには現役顕正会員からコメントが寄せられることはない。なぜならば反論の余地がないからである。

2019/10/6

ハッキョウ  
いくつかコメントが寄せられているが、ご挨拶は抜きにして、引き続き顕正新聞を見て行こう。

狂気の実態を暴かれ狼狽する「妙観講」
 懲りずにウソ≠ニ言い訳≠「慧妙」に掲載


法務部次長の記事である。ハッキリ言ってわけがわからない。話が込み入っていて理解できないのだ。

現在妙観講に所属する元顕正会員が出てくる。しかし、次長はその人物が元顕正会員であることを疑わしいと書いている。なぜならば、その人物は本部会館のことを大宮会館と呼んでいたらしく、顕正会員でそのような呼び方をする人はいない、ということのようである。

そうした説明の流れの中で、次のような描写が出てくる。

(くだんの人物は)たまに「頭がおかしいんだよ」などとヤジを飛ばしたほか、殴打、膝蹴り、体当たり、発狂くらいしかしていない。

まったくわけがわからん。

男子部第百五十五隊長の記事も妙観講ネタである。

やはり慧妙の記事は捏造であり、カガワが聞かせてきた音声も合成されていたことが判明・・・

浅井先生のカエリタマエ発言とは別件である。ゆえにそれとこれとは別の話とは思うものの、もし合成が事実ならばカエリタマエのほうも合成かもしれないと思う。だとすればケシカラン話である。妙観講は宗門に泥を塗っていることになるからだ。真面目な法華講員たちが可哀そうである。

「惑星学」の観点から諸天の存在を確信
 宇宙線による気候変動 証明さる


男子部第十二隊班長は本年三月まで神戸大学院で惑星学を学んでいたという。こうした優秀な人物が諸天の存在を云々すると説得力が増しそうに思える。しかし、本文を読む限りは単なる思い込みを書いているに過ぎない。なお、気候変動のほうはおおむねその通りなのだろう。

すべての寺が「法論はできない」と逃げる

これは男子部第四十五隊総支隊長補の記事に付された見出しの片面であるが、もう一面のほうには石川県の正宗寺院が四つ列記されている。

とりわけ大興寺の住職は当初、わずかな時間では話ができない、時間をかけて話をしましょう、と法論の実現に前向きだったのだが、途中で態度を変えてしまった。

 「周りの住職や上の人に相談したら、上田さんや矢尾さんが来るのであれば、やめた方がいいと言われました。この話は無しにしましょう」

どうなんだろうか、正宗の僧侶は一千名近くいるはずである。ならば負け嫌いの人もいるはずなので、いずれは顕正会員と正々堂々と対峙するような僧侶も出現するのではあるまいかと思うのだが、いかがだろうか?

婦人部蔵王支区総班長の記事も興味深い。

 昨年より、宮城県栗原市の宗門末寺「妙教寺」周辺の法華講員宅を、総班員と共に訪問しては配布を重ねておりますが、顕正会のことを知らず、広告文も見たことがない人ばかりでした。

ようは住職レベルでも顕正会のことをよく知らない人がいるのだろう。そこでコワイモノシラズよろしく顕正会員と法論しようとする。ところが顕正会のことを下調べしてみると、いろいろと面倒臭いことになりそうだとわかってくる。他の住職に相談すると、より一層わかるのだ。

女子部第四十七区総班長は祖母の臨終について書いている。

 しかし大会の一週間前、祖母の自宅を訪ねると、祖母が裏庭で、心肺停止の状態で倒れていたのです。

そして祖母は病院へ搬送され、そのまま臨終を迎えました。


臨終を迎えた云々はやや不適切かもしれない。

 祖母は死因が不明だったので検視になりましたが・・・

検視兼検死と思われる。ようするに不審死とされたわけなのだろう。

つまり、病院で臨終を迎えたのではなく、自宅の裏庭で臨終を迎えたのだ。幸か不幸か、救急車が病院まで搬送してくれたので、そこで医師による死亡確認が行なわれた。

わたくしは死者を冒涜するつもりで書いているのではない。ただ思うことは、こうした亡くなり方をしていながら、記事では美事な成仏の相だと書いているのである。成仏の相とはそうした皮相的なものなのだろうか、いや、そうではあるまい、ようは死に様をも含めたところにその意義が存するのであって、単なる死相を云々するのは間違っているのではないかとわたくしは思うのである。

その意味では隣の男子部第五十隊班長の父親の臨終が対照的である。

 その後、父は私に対して、「体を起こすから手伝ってほしい」と頼んできたので、私が父の体をゆっくりと起こすと、父はそのまま私の胸の中で包まれるように、静かに臨終を迎えたのです。

ちなみに、亡くなった方は昭和五十年の入信だそうで、自ら手書きで顕正会の年表を作ったりもしていたという。

「松本御能化御遷化」「浅井甚兵衛初代講頭先生御逝去」
ここが興味深い。遷化はどのレベルから使われる言葉なのか知らないが、ご覧のように松本能化に対して遷化と記している。顧問先生に対して逝去とするのは常識的なところだろう。

下段には婦人部水戸支区班長の記事があって、そこでは姉の臨終を伝えている。

 夜に仕事から戻った長男が、泥で汚れた服が玄関に乱雑に脱ぎ捨ててあり、普段とは違う様子を不審に思って母親の部屋に行くと、亡くなっていたとのことでした。

記事には書かれていないが、これも不審死であるからして、検死の対象になった可能性がある。

そして注目すべきは三つの記事には共通する点があることだ。

白髪だった祖母の髪の根元が黒くなり・・・

白髪だった髪が黒々としてきたことを目の当たりにした瞬間・・・

白髪の髪も生え際から黒くなっていきました。


近年の顕正新聞には臨終に関する記事が頻出し、その中でも上掲のような髪の白黒を云々する記事が高頻度で登場する。

2019/10/4

チョッカン  
沖浦氏のコメントに出てくる、ご本尊送り、が目を惹いた。これは創価学会用語なのだと思われる。あるいは正宗でも普通に使われているのだろうか?

さて、今日は顕正新聞第1483号である。

これまで早瀬日如管長に対しては敢えて言及を控えてこられた先生が・・・

総男子部長の発言はやや不正確である。なぜならば過去にも日如上人に対してアプローチを行なっているからである。今は記憶だけで書くが、御開扉の中止だとか新御宝蔵の建設などを訴えていたはずである。ゆえに正確を期すならば、これまで言及する頻度が低かった、という感じになるだろう。

今後、諸天の働きを伴うこと必定であります。

まさか日顕上人の御遷化を指して諸天の働きを云々することはあるまいと思うが、今の顕正会なら言い出しかねない。今後の発言に目を光らせておきたい。

二面の右下に男子部第八十四隊長の人事が載っている。なんと第十一総部長が兼任するとのことだ。ようは前の隊長がどうかしてしまったのだろう。普通はこのような中途半端な時期に人事が行なわれることはない。

大師子吼

副総男子部長の発言である。この人は副教学部長でもあり、最近の対宗門の活動においては先頭を切って活躍している人物である。

ちなみに当該記事の直下には第十八男子部長の記事があって、確かこの人こそが教学部長ではなかったかと思うのだが、記事の配列からすると男子部の序列では下位に甘んじていることになりそうである。ややこしい組織だ。

大師子吼について追加がある。

総合婦人部長がこれを二回使用している。副総合婦人部長も一回使用している。さらには女子部の第十一総部長も使っている。

そして次の婦人部春日井支区総班長の発言を見れば、もはや常軌を逸していることは疑いないだろう。

これは顕正会員はもちろん「有羞の僧」への大号令でもあるのだ・・・

顕正会の会長が会員に対して号令を発するのは勝手である。しかし、後半部分は看過できないだろう。いったい誰が誰に号令を掛けているのかである。彼女にはその辺の理非曲直がわからないらしい。そりゃそうだ、大幹部たちが大師子吼って言っちゃっているのだから、それ以下の幹部たちが誤解をしても仕方がない。狂っているのだ。

四面右下には女子部の人事がある。

ここではアメリカ初の区が結成されたとあって、それはいわゆる世界広布へ向けての伸展であるから悪いことではない。しかし、それに紛らかす形で総部長が区長を兼任するという人事が発表されているのだ。先ほどの男子部の人事と同様、これは芳しくない話である。

直諫

そして当該号で目立つのがこれである。

先生の早瀬管長への直諫に咽び泣く

早瀬管長への直諫を伺いひれ伏す

早瀬管長への直諫、全身に電流走る

早瀬管長への直諫は二百十万が背景


具体的に誰の記事に付された見出しであるかは、煩瑣になるので省略しよう。ともかく大幹部たちの記事である。

ところがである。

わたくしの読み過ごしでなければ、本文中にはどこにも直諫とは書かれていないのである。その中で唯一の例外が総男子部長だろう。

 早瀬日如管長への直諫こそ、先生が大聖人の御遺命を重しとして・・・

 この先生の直諫を伺っては息が止まるほどの衝撃を覚え・・・


ちなみに総男子部長の記事の見出しには直諫と書かれていない。

なかなかどうして、やっていることが巧妙過ぎて、説明が困難である。単純に言うと、直諫なるものはインチキであり、最初は誰も言っていなかった。そこに総男子部長が先鞭をつけることで、さらには編集部が意図的に誘導して、直諫なるものを定着させようとしたわけである。事実、それは成功している。何しろ後の顕正新聞を読めば、そこには直諫の文字が躍りに躍っているからである。

なお、見出しの一つには、先生の早瀬管長への直言に息止まる、とある。あるいは総合婦人部長の記事には、諫言、という表記が出てくる。

悲しいことを言うと、宗門からは相手にされていない。これが答えだろう。

かつて昭和四十年代には何度も日達上人に会って直言しているし、後の日顕上人にもあるいは日如上人の御父にも何度も会って直言している。いわゆる御遺命守護の歴史の一ページである。浅井武勇伝などと揶揄されることもあるけれども、実際に宗門の高僧たちと何度も会っているのは事実だろう。それに比べると今は総幹部会の場で発言しているに過ぎない。これを直諫だの直言だのと言ったところで、はたしてどこまで響いているかは不明である。

残念ながら顕正会の場合は表現ばかりが大袈裟になってしまって、実質的な中身が伴なっていないのが実情のようである。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ