2020/1/3

マイス  
沖浦氏の売っているワックスが八千八百円だそうである。高いと思った。スキーには疎いので車のワックスで考えると、せいぜいが千円から二千円くらいである。さらに気になって、アマゾンで調べてみた。すると沖浦氏が経営しているワックスメーカーの名前が出てきて驚いた。例の商品はまだ売られていないようだったが、すでに十品ほどラインナップがあって、そのどれもが相場よりも高かった。やはりスキーワックスも千円から二千円くらいが普通であって、沖浦氏のところの商品はどれも倍くらいの値段だった。いわば大衆向けではなく、プロ向けの商品を売っているのだろう。

さて、顕正新聞第1492号である。

売僧

一面下段に総男子部長の記事が載っている。十月末の班長会での登壇だ。そこにご覧のような表記があって、わざわざルビが振ってある。マイスである。不勉強のわたくしは知らなかったが、なんとパソコンで入力すると一発で変換されるのだった。

いよいよ先生が「諫臣」として大諫暁に立たれる二〇年代に・・・

副総男子部長である。ちなみに諫臣は変換できなかったが、それはともかく上掲は先生に対するプレッシャーだろう。少なくともこれから十年以内に何かしらのアクションを起こさないといけない。しかし、今までの例からすると、諫暁書を書いてお茶を濁すくらいしか方法がないだろう。それを大諫暁と呼ぶのであれば、いつものごとく大袈裟すぎるだけの話である。

日本人の三人に一人が手にした事実に・・・

男子部第七総部長(首都圏)である。さすがに上掲はどうかと思う。事実ではなく、計算上の話だからだ。

 されば「諫臣・争子」として日本と宗門の未来をその両肩に担われる浅井先生・・・

争子も変換できなかった。ゆえに一般人は何を言っているのか理解できないので見過ごしてしまうのかもしれない。しかし、言っていることは凄い。

次の男子部第十三隊総支隊長(首都圏)も凄い。

・・・大獅子吼されました。

今度は女子部幹部の記事を拾ってみよう。

全日本人の三人に一人が手にした・・・

女子部第二総部長は事実と書いていないのでセーフなのかもしれないが、しかし、次のくだりには恐れ入ったものである。

「国立戒壇」の四文字の何と尊く重いことか、まさに御金言の中の御金言・・・

国立戒壇の四文字は御書にない。それを承知の上で御金言の中の御金言だと言い張っているのである。いつも言っているように、国立戒壇の名称そのものに拘泥するのは間違いである。そこを顕正会員は理解する必要があるだろう。

明年の決戦場・・・

このフレーズは副総合女子部長と女子部第三総部長(新潟)が使っている。明年とはすなわち本年のことであるが、では本年、いったい何をするつもりなのだろうか?

副総合婦人部長も凄まじい。

・・・大獅子吼が命に刺さり、先生の師子王心に同心申し上げるのみ・・・

会長本仏論である。

阿部日顕の死する前の悩乱ぶりを登壇で伝え聞いては・・・

大獅子吼だとか師子王心だとか言っちゃっているほうがよほど悩乱しているのではあるまいか?

さらに言うと、大獅子吼だとか師子王心だとか言わせている浅井先生のほうがよほど悩乱しているのではあるまいか、とわたくしは思う。

明年からの決戦場の戦いはいかばかりか・・・

これは第二十七婦人部長(神奈川)の発言であるが、それを聞きたいのはこちらのほうである。いったい何をするつもりなのかと。

 また、まもなく起こる巨大地震までに、戒壇の大御本尊様の御安危を憂えられる先生のご念願である新御宝蔵建設実現を見つめ・・・

結論的には今の奉安堂で必要十分なのだろう。なぜならば例の直諫から五十八日で日顕上人が御遷化になられた、このことを顕正会では誇大宣伝している、だったら新御宝蔵の実現はどうなのか、まったく動きが見られないではないか、という話になる。早い話が、大半が先生の言っている通りにはならない、それが現実なのである。ゆえにもしこれを大聖人の思し召しだと考えるならば、大聖人は奉安堂を肯定あそばしていることになるはずなのだ。

墓穴に堕ちた「慧妙」

法務部長の記事である。上掲もなかなかの表現だが、本文中にもその趣きが各所に見られる。

・・・大草一男の冥福を祈ることにする。

これが代表的な例である。いわば、オマエはもう死んでいる、みたいな感じなのだろう。ならば言いたい、細井日達の悪臨終、みたいなことは言うべきではないと。それこそ冥福を祈るべきである。顕正会はあたかも怨念を原動力にしているような雰囲気がある。もしそのように思われたら不本意だろう。そこがわかっていないのではないかと思う。


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