2020/1/11

マミエル  
昨日は十一月度総幹部会の会長講演を斬りまくった。今日はオマケである。

 この御生骨については、まことに大事なことであるから、私は過去三回、言及いたしました。

聞いているほうはそんなに細かくは憶えていない。ただバクゼンと、過去に何度か聞いたことがある、という程度だろう。

 ただし、これを最後といたします。もう広宣流布が近いからです。

わたくしもバクゼンと記憶しているだけなので、ウッカリ素通りするところだった。ところがである。たまたま過去の拙稿を調べていて発見してしまったのだ。

 先生より
 「御生骨について話すのはこれが最後。あとは拝観するのみ」
 と伺いました。


https://white.ap.teacup.com/ganko/2243.html

先生もモウロクした。

それとは別の角度から言うと、ようは長年やっているものだからネタ切れになっているのだ。それで過去のネタを使い回すことになる。それで最後最後と言いながら、最後ではなくなっているのだ。おそらくは最後までこの調子なのだろう。

三大綱目を力強く推進しよう!

さて、今度は副理事長である。年末の二大綱目は決まっている。広布御供養と教学試験の推進である。それに加えて本年は御大会式のビデオ放映がある。

そうそう、ウッカリした。会長講演では鳥取会館の建設にも言及していた。年々、建て替えとか増設みたいなものばかりで、新規会館の建設構想が少なくなっていた。ゆえに忘れずに書いておかねばならない。ようは副理事長の記事にも鳥取会館のことが書いてあって、思い出したのだ。当然、広布御供養を推進するための説明として、会館の建設費ないし維持費にどれだけ掛かるのか、というような文脈で出てくる話である。

登用・五級・三級

これは言わずと知れた教学試験である。いつものごとく、変則的である。誰もが思うだろう、なぜ四級がないのかと。それと今回の三級は立正安国論謹講がテキストとなっている。近年ではめずらしいことかもしれない。

正信会の足立淳正住職からの書状

単純に言うと、顕正会の主張を支持・賛同する内容の手紙である。当然、会長講演の中にも手紙について云々するくだりがある。

 私はこの文書を読んだとき、感動した。足立淳正住職には欲も名利も保身もない。ゆえに「国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命である」と強く言い切ったのです。

今後、顕正会を支持する僧侶が爆発的に増えれば凄いことになる。ただ、現実的には微妙なところだろう。

わたくしの感触では、くだんの人物は相当に若いのだと思う。当時をリアルタイムで経験してはおらず、御遺命守護の歴史を書籍を通して知ったわけなのだろう。いわば正信会系の僧侶も代替わりしており、昔のことを知る人が少なくなっているのだ。そして失礼ながら正信会そのものはオワコンであり、あとは自然消滅を待つのみなのだと思う。

 今は異なる団体に所属しておりますが、祖道の快復を願い、誤った宗門を糺す同じ目的のもと手を携える日が来ることを、私は切望しております。

イヤラシイことを言うようだが、早い話が正信会単独ではどうにもならないので顕正会と連携を取りたいとの魂胆が見え見えなのである。また、顕正会にしても対宗門の意味では手詰まり状態であり、現状打破のキッカケがほしいというのが正直なところなのだろう。

そんなわけで文面そのものは体裁を保っているものの、本音の部分ではかなり打算的なものがあるのではないかと、そのように勘繰りたくなるところである。

次の第十男子部長(新潟)も正信会のことを話題にしている。

 「私たちは高合住職に『顕正会に入ってほしい』とは思っていない。正信会の僧侶として、日蓮大聖人の弟子として、御本仏の御遺命たる『国立戒壇』を高く掲げていくべきではないか」

これも体裁のいいセリフであるが、実は欺瞞が見え隠れしている。

顕正会に入るとは還俗を意味するのかどうか、である。何しろ今の顕正会は僧侶を否定する方向性にあるのだ。ご存知のごとく、儀礼室がそれである。
つまり、本来は僧侶にやってもらうべきだが現状では無理なので儀礼室で執り行なっている、という考え方ならば還俗するのではなく僧侶の立場で顕正会の葬儀を引き受けるようになればいいのだ。
ただそれを実行すると、おそらくは宗門のほうから猛烈な反発があるだろうし、またすでに儀礼室での葬儀が既成事実化していて、会員たちにしても正信会僧侶が執り行なう葬儀に違和感を覚える可能性があるのだ。

葬儀に関連して塔婆不要論しかりである。国立戒壇だけに話を限定するのではなく、こうした細かい点において、では正信会の僧侶たちは顕正会の主張を全面的に支持できるのかと問われれば、おそらくは彼らも立ち止まらざるを得ないだろう。

さて、もう一人、男子部第六十四隊支隊副長(山形)が正信会の話題を書いている。

 住職は、正信会が分裂して「法人派」といわれる一派が戒壇の大御本尊を否定していることを憤っており・・・

不勉強のわたくしは法人派のことをまったく知らない。ただ宗門を離れると自ずと戒壇の大御本尊への信が薄くなることは、過去の事例が物語っているように思う。顕正会がそうならないことを祈るばかりだ。

「大栄寺」住職と法論、住職は戦意喪失!

男子部第三十七隊長(中国地方)の記事は、内容的にはわりと正確なのかもしれない。以下は住職のセリフの一部である。

顕正会をなめていた。もっと勉強して、話し合いができるレベルにならないと・・・

ようするに中国地方では、顕正会は存在感が薄いのだ。実際、会館の建っていない県がいくつも残っている。ゆえに正宗の僧侶たちも顕正会員とまみえる機会がほとんどないのだろう。それでナメて掛かっていたのだ。


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