2020/2/10

フミエ  
raiden氏のコメントを拝見して思ったことがある。顕正会員は使い捨ての乾電池みたいなものなのだと。電池が満タンの時には威勢がいい。けれども電池の残量が少なくなるといわゆる化石会員となる。マレに充電可能の電池があって、戦列に復帰する。しかし、多くは充電不可の使い捨て乾電池なのだ。今まで二百十三万七千個の乾電池を使用して、結果として二百万個ほどがすでに廃棄処分となっている。

それから、ウッカリしていたというかバクゼンと考えていたことがある。すなわち十年もあれば三百万を達成するだろうということだ。しかし、それもけっこう厳しい数字なのかもしれない。何しろ百万から二百万までが約十五年なのである。加速度が付けばいいのだが、むしろ失速する可能性すらあるのだ。

さて、顕正新聞の続きである。

大師子吼

総合婦人部長も懲りない人である。と思いきや、副総合婦人部長も相当である。

先生の裂帛の大師子吼

世間ではまず聞かれない表現である。

ところでもう一人の副総合婦人部長が興味深いことを書いている。

 しかも都合の悪いことは削除し、かなりの添削が加えられていたにもかかわらず・・・

昨年二月に宗門から出版された例の書物についてである。上掲は誰かの受け売りなのか、それとも彼女自身が確認したことなのか、そこが気になるところである。けっこう面倒臭い作業であるし、宗門の書籍を購入すること自体が顕正会員には抵抗のあることなので、それを彼女がやったとは俄かには信じ難いのである。

もっとも近年発足した教学委員たちは、宗門の矛盾をあげつらうために徹底的に調べていると思われる。とは言え、それ以外の人たちには読ませないようにするのが顕正会のやり方である。

大師子吼

あらまあ、婦人部第四総部長(首都圏)も言っちゃっている。彼女は翌月末、なんと理事になっているのだ。大師子吼が出世のための踏み絵なのだろうか?

諸天が感応する速さには驚きを禁じ得ず・・・

副総合女子部長である。だったら平成九年ないし平成十六年の一国諫暁で弘通が伸びてもおかしくなかっただろう。現実には遅すぎるのである。

妙観講理事・原麻木子母子の呆れた演技
「謀略集団」の醜い実態まざまざと見る


男子部第百二十四隊支隊副長(首都圏)の記事である。例のカエリタマエ問題について云々しているわけだが、失礼ながら副長レベルが関わっていることに意外性を感じた。何しろ法務部が記事を書くレベルなのである。対する先方も提訴に踏み切るほどなのである。そこに副長が首を突っ込んでいるのだから、意外や意外である。ともかくこの件についてはどのような結末を迎えるのか、推移を見守りたいと思う。

全盲の区員が恋慕渇仰の信心で大功徳

女子部第二百八十区長(首都圏)の記事にはご覧の見出しがある。しかし、本文は次のごとくだ。

本年八月に入信した全盲の壮年・・・

ならば区員とは書かず壮年と書くべきだろう。しかも編集部は先生の言うことにも逆らっているのだ。ようするに異性の入信者はなるべく早く所属替えをすべきなのである。ところが現実的にはいつまでも男女混成チームのまま活動しているのだ。編集部はそれを容認ないし助長していることになるだろう。

一日に七回、遥拝勤行を申し上げる日もあるほど大感激し・・・

女子部第九十五区班長(宮城)は配布をキッカケに入信した人物のことを事細かに書いている。一日に七回も勤行するとは凄い。よほど大感激しているのだろう。しかし、この記事にはくだんの人物の性別が書かれていない。雰囲気的には男性のようである。前掲の記事もそうだが、女子部は異性の入信者が多い。婦人部もしかりである。しかも編集部がその人たちを区員と書いてしまうほどなのである。顕正会は成果至上主義に支配されており、そのためには現状もやむを得ないと考えているのだろう。

夫が脳出血で倒れ、20年の介護生活
 ついに臨終、真っ白な成仏の相にただ涙


婦人部坂戸支区総班長(首都圏)の記事は、まず名前に見覚えがあった。あれ? まさかあの人では? 記事を読んで思い出した。

現在は総班長の彼女であるが、一時期、婦人部の大幹部だった。そのご主人は壮年部の大幹部として活躍していたし、確か本部幹事でもあったと記憶している。それがいつの間にか姿を消してしまった。退転したのかもしれない。顕正会では日常茶飯事の出来事なので、そのようにバクゼンと思っていた。

しかし、ご覧の見出しのごとくである。

 通夜の前日、汗と涙がしみ込んだ「御遺命守護」のハチマキが見つかりました。

この一段が感慨深い。わたくし自身は当事者ではないものの、一般的にも創価学会本部襲撃事件として知られる出来事であり、あの『迷走する顕正会を斬る』にも出てくる話なのである。こうしてまた一人、御遺命守護の生き証人が鬼籍に入り、当時を語れる人物が少なくなってきている。今の顕正会はそれを逆用して、都合の悪い事実を隠蔽し、ひたすら浅井先生を美化することだけに終始している。その意味でも『迷走する―』は貴重な本と言えるだろう。

 私はこの御奉公が大好きです!

さて、今度は婦人部郡山支区(福島)である。ノーテンキな人だなあ、というのが正直な感想である。

浅井先生は絶対であることを夢中で伝えました。

実にノーテンキだ。

次の婦人部霧島支区総班長(鹿児島)は母親の臨終について書いている。細かい話は省くが少し意味不明のくだりがある。

仏壇の中の釈迦像をはじめとする、家中の謗法をすべて処分することができました。

いわゆる謗法払いであるが、この直前には先祖代々の宗教を浄土真宗だと書いている。ならば釈迦ではなく阿弥陀のはずである。

男子部第百六十七隊組長(首都圏)は出戻りである。平成五年旧小田原事務所で入信したものの、平成十三年には未活動となってしまったそうだ。平成十九年には大石寺塔中・石之坊に所属したという。しかし、住職の講義に嫌気と疑問を感じ、すぐに離れてしまったらしい。そして昨年六月、顕正会に復帰した。

当然、逆のパターンもあるだろう。宗門から顕正会に行き、再び宗門に戻る。あるいは創価学会からという場合もあるし、創価学会から正信会、そこから顕正会に行き、最後は宗門へ、というケースもあるはずだ。もちろん違うバージョンもある。

ともかく全体の傾向がどうなのかが気になる。わたくしの感触ではやはり圧倒的に顕正会から宗門へ流れていくパターンが多いのではないかと思う次第である。


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