2020/2/18

アッカ  
一時的滞留者の意味がわからない。あるいは顕正会に一時的に在籍していたことがあり、その時の経験を踏まえてコメントされているのかもしれない。

信者さんへの配慮は感じられないと思える。一人で複数の新聞代を払わせられているらしい。教団が負担すれば良いのにね。

いろいろと書いておられるが、上掲に関してだけ私見を述べておきたい。

顕正新聞の多重購読問題については拙ブログでも過去に繰り返し扱ってきた。これを広布御供養の問題と絡めて考えると、いちおう本部首脳の理念としては会員一人ひとりの負担を軽減したいとの考えがあると思われる。つい先年、八万円の上限が六万円に引き下げられたことがその根拠である。世の中、消費税の増税に代表されるように、何でもかんでも値上がり傾向にある。人々の生活は苦しくなる一方なのだ。顕正会員も例外ではない。本部首脳はそうした経済状況を踏まえて、あえて引き下げに踏み切ったわけなのだろう。それは悪いことではない。

この方向性からすると、多重購読も禁止しなければいけない。

では実態はどうなのかであるが、わたくし自身は内部の事情にまったく精通していないので、何とも言えないところである。以下はその上での勝手な憶測であることをあらかじめご承知願いたい。

ようは活動会員たちが勝手にやっていることなのである。極端な話、幹部たちも知らない。末端の班長クラスが勝手にやっている。
もちろん隊長区長クラスが承知している場合もある。地方部長クラスが承知している場合もあるかもしれない。それ以上の大幹部はどうかが微妙である。
おそらくは総合部長クラスは知らないのだと思う。だとすると浅井先生も知らないことになるだろう。

女子部の総合部長は知っているかもしれないが、婦人部ないし男子部は知らない。何しろ彼らは総合部長に長く君臨しており、現場の苦労を知らないのである。

ただし、薄々は感づいている。もしくは知っていて知らないフリをしている。早い話が黙認している。

そりゃそうだろう。

いちばん顕著なのは結集である。あるいは教学試験もバロメーターとなる。

極端な話、折伏成果もインチキができる。いわゆる水増し報告である。同様のことが顕正新聞の購読推進にも言えるし、広布御供養もしかりである。

ところが結集は誤魔化せない。教学試験も同じである。実際の集会で人が集まらず会場がスカスカであれば、顕正新聞の購読者がたくさんいて広布御供養もたくさん集まるのに、なぜに集会に人が集まらないのかを説明できない。折伏成果があれほど上がっているのに、登用試験を受ける人がぜんぜんいないのはなぜなのか、それも説明できない。

ゆえに当面は誤魔化せても、いずれは発覚する。

しかし、そもそもなぜにそのような問題が起きるのかを考えると、結局は成果至上主義の弊害に他ならないのである。平たく言うと、無理なノルマを課すからインチキが横行するのである。その意味では成果至上主義をやめなければいけない。

ここで反論があるかもしれない。広宣流布はどうするのかと。

いわばこれが顕正会の大義名分であり、悪く言えば成果至上主義を正当化するための言い訳になっているのだ。

先ほどの話に少しだけ戻ると、顕正新聞の購読者もたくさんいて広布御供養もたくさん集まるのに集会はスカスカだとすると、それは誰かがインチキをしているからに他ならない。

その張本人は浅井先生なのだ。

そりゃそうだろう。今現在、二百万を標榜しているのである。では二百万人の大結集ができるのかと言えば、無理だろう。つまり、この数字そのものがインチキなのである。

浅井先生がインチキをしているのだから、弟子たちも右に倣えでインチキをするようになる。至極当然の道理である。

悪貨は良貨を駆逐する

わたくしはこれを経済学の用語としてではなく、人生訓の意味で噛みしめている。自惚れを承知で書けば、わたくしは自分を良貨だと思っている。ようは駆逐される側なのである。
どこの集団・組織に属していても、そこで見るものは良貨と思われていた人たちが悪貨へと堕していく姿である。彼らは無教養ゆえかあるいは承知の上なのか、良貨であることを捨てて悪貨へと突き進むのだ。
かく言うわたくし自身はさして教養があるわけではないものの、良貨であり続けたいと思っている。早い話が良貨は損なのだ。ゆえに多くの人たちはそれを嫌うのである。しかし、わたくしは損得勘定よりも大事なものがあると思っている。

ほとんど意味不明の言説だったかもしれない。

ただ、おそらくは浅井先生の原点もほぼ同じはずであり、いわゆる崇高な理念を懐いて出発したはずなのである。ところが組織が大きくなるにつれて、悪貨が蔓延するようになる。その対策が甘かった。あたかも直近のコロナウイルス問題のごとくである。

今日はまとまりのない話になってしまったようだ。

最後に沖浦氏のコメントについて触れると、樋田さんに電話をした云々は少し前にも関連するコメントがあったものの第三者には理解しづらい内容だった。今回も同様であり、そもそもそのようなコメントを拙ブログに残す必要性があるのかどうか、そこが問題だろうと思う。


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