2020/3/3

ドデカイ  
引き続き顕正新聞を見て行く。まずは理事長の記事から取り上げよう。

 そして迎える二月は、昨年十一月に奉修された「新仙台会館御入仏式」のビデオ放映が全国で開催されます。

日本に残された時間は少ない、だとか、三百万を急ぐ、みたいなことを言っている団体にしては、ずいぶんノンビリしている。今はライブ配信すらも容易に実現できる時代である。編集が必要ならばそれも急いでやって、一週間後には公開できるようにすべきだろう。どうせならばビデオ放映ではなく、動画配信をやればいい。そうすれば視聴回数が丸見えであるし、評価ボタンを使えるようにしておけば、高評価と低評価の数も一目瞭然となる。その気になれば今月からでも実行できるはずだが、おそらくはやらないだろう。

正信会の足立淳正住職「声明文」を発表

昨年の出来事として正信会系の僧侶が顕正会の主張を支持・賛同する動きがあった。その中でも際立ったのが上掲の人物である。その後、どうやら正信会の執行部から圧力があったらしく、詫び状を強要されたとの話である。

ついには正信会の退会を余儀なくされました。

声明文の一節であるが、印象としては少しアイマイな感じがする。具体的にはどのような処分を受けたのか、そこがハッキリしないのだ。わたくしの勝手な想像では、詫び状を書けと強要された、それに対して断固として拒否した、だったら出て行けと言われた、それで自主的に出て行った、という感じなのではと思う。

そもそも正信会の組織がどのようになっているのか、それがわからない。言葉は悪いがジリ貧状態のようにも感じるし、もしそれが事実であれば正信会に所属していてもメリットはないのだろう。

問題は今後のことである。顕正会とどのような関係を保っていくのか、そこがひじょうに難しいのだ。

何しろ今の顕正会は塔婆不要論だとか戒名不要論を唱えている。葬儀は儀礼室が行なっている。すると究極的には僧侶不要論に至るわけであり、必然的に彼の存在意義はほぼゼロに等しいことになるのだ。

 また、平成23年には、いわゆる「法人派」と称する「宗教法人正信会」が分かれました。

これもよくわからない話である。正信会の歴史の中ではわりと最近の出来事と言えるものの、わたくし自身はまったく聞いたことのない話だった。

あとはアトランダムに気になったところを拾ってみたい。

池田創価学会の擁護を受けて登座した阿部日顕師・・・

師と書いているだけマシではあるものの、擁護云々はおかしな話だろう。日顕上人は日達上人から御相承を受けて登座したのである。ゆえに創価学会が日顕上人を外護するのは、信徒団体として当然である。

三大秘密の法

足立住職の所持している御書が何なのか知りたい。上掲は顕正会が一貫して掲げている表記だが、御書全集や平成新編では「大」の文字を入れていない。もし顕正会の受け売りならば本末転倒だろう。僧侶としての矜持を持ってもらいたいものである。

私は後年、知るに至りました。

ようするに浅井先生の御遺命守護の戦いを知ったのは後年のことだと言っているわけである。

 亡き師・足立堅泉が平成15年に遺した言葉を我が命に刻み・・・

父親と思しき人物が平成十五年に亡くなった。その時に遺した言葉が何なのかはどこにも書かれていないようである。

わたくしの引用意図は前掲の補強である。ようするに彼は父親の跡を継いで住職になったのだと考えられる。つまり、正確な年齢はわからないとは言え、御遺命守護の戦いをリアルタイムで知る立場にはなかったことがここからも窺えるのである。

その意味で彼の主張は顕正会の受け売りであり、すでにいくつか指摘したように、どうかと思うところがある。しかし、逆に当事者ではなかったがゆえに、客観視できている部分もある。

 さて、現在の日蓮正宗正信会はその存在価値そのものが問われるような状況となってきております。

続く文章が大事なのだが、ここでは省略しよう。

ここに日蓮正宗正信会の限界があるのであります。

早い話が、御遺命に背いた日達上人を旗頭にしているのが正信会であるからして、いつまでも日達上人を旗頭にしている以上は前に進めない、という意味である。

なるほど、鋭い観察眼ではある。

当然、現宗門も前に進めないし、創価学会も前に進めない。国立戒壇を否定しているからである。唯一、前進できるのは顕正会だけなのだと、そう言っているわけなのだろう。

ここはそれぞれの言い分があるはずなので、このくらいでやめておくが、では顕正会には限界がないのか、そこが問題である。

わたくしの思うに、もうそろそろ限界だろう。

何しろ今まで下方修正を繰り返してきたのである。どでかい目標を掲げても結局は達成できず、何度も先延ばしにしてきたのである。そんなことがいつまでも許されるはずがない。

実はすでに限界を迎えているものの、数字のマジックだとか言葉のマジックを駆使して、誤魔化している。それが正しい見方かもしれない。

公言は避けれども・・・

最後に、わたくしは文法に疎いので断言は避けるけれども、上掲にはちょっと違和感がある。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ