2020/3/12

ボケツ  
またしても沖浦氏が墓穴を掘っている。戒壇の大御本尊についての議論は過去に繰り返し行なってきた。今回もその蒸し返しに過ぎないのだが、どうやら少しだけバージョンアップしたようである。

面白いことには、沖浦氏のコメントの直後に、どなたかがリンクを紹介しているのだ。

https://9308.teacup.com/shukubou/bbs/10952

何のことはない。沖浦氏は上掲の内容をパクっただけの話だったのである。そして次は過去の拙稿である。

https://white.ap.teacup.com/ganko/1970.html

これが2014年で、前掲が2016年である。少しだけバージョンアップしたと書いたのはこの意味である。ただし、基本的には何も変わっていない。バージョンアップしたら逆にバグがあって不具合が生じてしまった。パソコンのプログラムではよくあることだが、しょせんはそのレベルだろう。

 先ず大聖人ご在世の身延には楠が生えていませんでした。

だからどうしたのだ?

沖浦氏ならば御書に詳しいだろう。海産物など、身延にはない品々が送られてきて、大聖人が感謝を述べられている御書は、枚挙に暇がない。身延の山中で完全なる自給自足をしていたわけではないのだ。これは食料に限った話ではないのである。

 「現に、身延のあたりには楠木があるではないか・・・身延の入り口の大野山本遠寺には千二、三百年前からの楠木が今でも生きている。もしそれ が千年の木としても、大聖人様が七百年とすれば、まだ三百年以上の木があったわけである。
 何もそれ一本というわけではない。
 まだ沢山、あの辺には古い楠木があったはずなのである。」(昭和47年9月12日の日正寺・龍口法難会の説法会)


内容以前の問題として、沖浦氏はこれを日達上人の庶務部長時代の発言だと書いている。おかしいだろう。ご覧のごとく、昭和四十七年とカッコで書かれているのがわからないのだろうか?

つまり、他人の投稿をパクっておきながら、それを台無しにするようなことをしているのである。これをオリジナルの投稿者が知ったら、さぞやガッカリすることだろう。

ちなみに上掲について言えば、これは一種の売り言葉に買い言葉的な応酬なのだろうと思われる。時期的に正本堂建立の直前であり、正本堂に安置される御本尊についてとやかく言うヤカラがいたのかもしれない。日達上人はそれに応じたわけである。

わたくしの見解はすでに述べたごとくであり、別に身延周辺にクスノキがあろうがなかろうが関係ないのである。

唐船は必ず日本国より震旦国に至るに障り無きなり。

薬王品得意抄のこのくだりは御法門についての説明であるが、いわば具体的な譬えを用いて御説明あそばしているのである。極論すればクスノキを中国から輸入することだって不可能ではないのだ。クスノキという樹木そのものが地球上に存在しなかったならば話は別である。

 チョウナは現在も販売されています。

これは2014年の段階でわりと詳しく論じているので、興味のある人はリンク先を訪ねるといいだろう。

 『けかち申すばかりなし米一合もうらずがししぬべし、此の御房たちもみなかへして但一人候べし、』
 (富木殿御書)


今回の最大の墓穴である。

まず余談から始めると、上掲はいかにも読みづらい。未だに御書の改訂を行なわないのは単なるサボりなのか、あるいは日亨上人への敬意のあらわれなのか、気になるところではある。

 けかち申すばかりなし。米一合もうらず。がししぬべし。

これが平成新編の表記である。違いは一目瞭然のはずだ。それはさておき、本題である。

 この状況で、どうやって運送費を出せますか?
 更に金箔を貼るには莫大なお金がかかります。
 漆を塗るだけでも現在の金額で100万円単位が必要です。

 お米の一合もないので。食わせていけないから皆を帰らせた。


ここまで御書が読めない人も珍しい。

わたくしは以前、法太郎と少しばかり論争をしたことがある。もっとも今となっては法太郎という人物もすでに伝説化してしまって知らない人が多いのかもしれないが、ともかくその時の議論はわたくしにとっては少し自慢めいた話なのである。上掲は過去の議論と少し関連がある。興味のある人は法太郎で検索するといいだろう。

また、昨年の台風十九号だとか、まさに今現在のパンデミックに伴なう諸状況を思うべきである。昨年の台風では一時的にコンビニ・スーパーなどから品物が消えてしまった。そして今回のコロナウイルスはさらに深刻で、もうすでにかなり長期にわたってマスクを始めとした衛生用品が欠品状態に陥っているのだ。

お金があっても買えないのである。

ひるがえって大聖人の仰せを拝するならば誰もが理解できるはずである。当該御書の仰せは大聖人が貧困にあえいでいるわけではないのだ。大飢饉のために食料の絶対量が不足している状態だった。ゆえにお金があっても売ってもらえない。米の一合すら売ってもらえない。こうした状況では大人数での移動は無理であるからして、御房たちを帰したと仰せられているのである。

そもそもがこの御書の宛先を考えるべきである。

富木殿はいわゆる大檀那である。経済的支援者の代表格と言っても間違いあるまい。こうした背景を踏まえて御書を読むならば、まさかカネがないから米が一合も買えないとは絶対に読めないはずである。先ほど述べたように現代においてすら災害などで物資の供給が滞ることが起きるのである。鎌倉時代においてはそれが日常茶飯事だったのだ。

 戒壇本尊本懐を唱える前に、こういう大聖人の置かれていた状況を何故考察しませんか?

ここに考察云々とあるが、はたしてどちらの考察が説得力を持つか、それは諸賢の判断に委ねるところである。


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