2020/6/28

コウキシン  
沖浦氏にいくつか申し上げたい。

 末代幼稚って、日興さんだけだ〜〜〜〜〜〜!!!

まず、これは昨日のコメントであるが、ようするに日蓮正宗では上掲のように主張しているということなのだろう。その具体的な文証を教えていただきたい。

 『、但し人の心は時に随つて移り物の性は境に依つて改まる、譬えば猶水中の月の波に動き陳前の軍の剣に靡くがごとし』
 (立正安国論)


これも昨日のコメント群の中から抽出したわけだが、わたくしは違和感をおぼえた。このことは後述しよう。

 御書で偽書と言えるものはかなりあるとおもっていますが、現在創価学会で研究が進んでいますので、その結果を待ちます。

 二箇相承は貴方方が真筆だと証明しない限り、他宗への対破には使用できません。


これは今朝のコメントである。前にも言ったはずだが、順番が逆だと思う。創価学会では今も御書全集に二箇相承を載せている。沖浦氏の主張はそれを削除してからでないと成立しない。その意味からすると、氏のやるべきことは本部への働き掛けである。早く削除しろと。

ところがである。

実は創価学会の首脳部はもはや腐っていてやる気がないのである。具体的に言えば、信心の情熱がないのだ。いわゆる職業坊主と同じで職業幹部になってしまっている。そうなると会の運営だけが目的化してしまい、純粋な意味での信仰心を失ってしまうのだ。若い人が育たないという話もそれが一つの原因なのだろう。

陳前の軍・・・

そこで話を戻す。わたくしはこれを誤植だと思った。沖浦氏のことだから打ち間違いをしたのだろう。いや、氏は御書を自分で打ち込まずにどこかのサイトから丸々コピペしていると言っていたはずなので、ならばもともとのデータが間違っているのだろうと思い直した。

当然、確認のために御書を開いた。

わたくしが愛用している平成新編では、陣前の軍、となっていた。御書全集はどうかと思って確認してみたら、陳前の軍、だった。創価学会の公式サイトに御書のデータがあるが、それも同様だった。

御真蹟を確認したわけではないが、おそらくは陣前が正しいのだろう。

立正安国論のような最重要の御書において、このテイタラクなのである。何百万人もが拝読しているであろう御書に、誤植があっても誰も気がつかない。いや、おそらく末端の勉強熱心な創価学会員の中には気がついている人もいることだろう。しかし、本部首脳は知ってか知らずか、そのまま直さずに放置してきたわけである。つまり、先ほども指摘したように、彼らはマネージメントだけしか眼中になく、教義のことにはさして関心がないのである。現状、日蓮正宗と敵対関係にあるがゆえに、会の運営上、必要があって教義的なことには触れるものの、それは信心から起こるものではないのだろう。

現在創価学会で研究が進んでいますので・・・

以上、わたくしの感触だと、ぜんぜん研究していないし、組織的に研究機関を設けても目覚ましい研究成果は期待できないのではないか、というふうに思う次第である。

さて、いつもならば顕正新聞の話題を拾って行くわけだが、今日はせっかくなので上述の話をさらに続けようと思う。

わたくしがインターネットを利用するようになったのは今世紀に入ってからである。時期的には沖浦氏の一年遅れくらいだった。当時は掲示板の全盛時代で、あらゆる分野の話題が掲示板上で盛り上がっていた。もちろんわたくしにだって趣味がある。ゆえにそうした個人的な趣味のためにネットを利用していたし、今もそれは継続的にやっている。しかし、ネットの凄いところは直前に書いたように、まさにあらゆる分野が網羅されていることである。そこでわたくしも程なく日蓮正宗系の種々の掲示板にたどり着くことになる。

ご存知のごとく、顕正会には情報統制的な体質があって、今もなおネットは便所の落書きだから見るに値しないみたいなことが言われていたりするのである。ゆえにわたくし自身も当初はこっそり覗くような感覚だった。覗き趣味があるわけではないが、それが何となく快感でもあった。当然、覗いているだけでは満足できなくなる。自分でも書き込みをしたいという欲求が出てくる。誰もが同じだろう。

そういうわけで、実はわたくしも以前は掲示板に投稿していたのである。

たぶんその痕跡は今もどこかに残っているだろう。掲示板全盛の時代が終わって、かつては繁盛していた掲示板も閉じてしまったところが少なくないし、マレには今も残っているところがあるかもしれないが、それはネットの情報洪水に流されてしまって確認するのが難しい状況になっている。

拙ブログは独白を看板にしている。ゆえにほとんど外部との関係を断っている。実際には今も法華講員が運営しているブログのいくつかにコメントを寄せたりもしているわけだが、その頻度はきわめて低い。なぜならば法華講員たちも、その多くはそれほど投稿頻度が高くないのだ。必然的にコメントを書く機会も少なくなる道理である。

今思うことは、掲示板全盛時代に活躍していた多くの論客はその後どうしたのだろうか、ということである。

謙遜でも何でもなく、正直な感想として、当時の論客たちはレベルが高かった。わたくしよりも遥かに高い境地に到達している人たちだった。

沖浦氏には失礼と承知しつつも書くと、氏はあちこちの掲示板で出入り禁止になっていた。理由はさまざまだろうが、わたくしの知っているいくつかの掲示板では、氏の論述があまりにもトンチンカンであったために掲示板の管理人がもはや議論にならないと判断したのだろう、結果としていわゆるアク禁に処していたのだと思われる。

また、創価学会系の論客たちもレベルが高かった。

ここでも沖浦氏には失礼と承知しつつも書くわけだが、なぜか氏は創価学会系の掲示板でもアク禁になることが多かった。ちょっとした裏事情があったのだろう。創価学会員で沖浦氏を毛嫌いしている人物がいた。彼は行くところ行くところで沖浦氏をアク禁動議に掛けていた。沖浦氏は彼をアク禁大魔王と名付けた。

彼は今、何をしているのだろうか?

もちろん、顕正会系の論客もいた。その人はわたくしよりも遥かにレベルが高かった。

つまり、法華講員にしても創価学会員にしても顕正会員にしても、掲示板で活躍していた論客たちは、そのほぼ全員が消えてしまったのである。

その理由について、わたくしなりの考えを書いておこう。

彼らは知的好奇心の旺盛な人たちだった。当然、そのような人たちはいつまでも同じところに留まっていない。この場合の同じところは、場所の意味もあるけれどもレベルという意味で考えるとわかりやすいだろう。知的レベルの高い人たちは、さらに高い境地を目指してどこかへ旅立ったのだ。

もしかしたら大聖人の仏法を卒業してしまったのかもしれない。

当然、異論のあるところだと思う。今もなお熱心に信仰している立場からすれば、卒業などはあり得ない話であり、ようは退転したのだということになるはずである。わたくしとしては彼らに与するわけではなく客観的な視点から言わせてもらうわけだが、少なくとも知的好奇心旺盛な彼らは、おそらく今は別の分野で知的好奇心を燃やしているのだろう。興味関心の対象が変わったと言えば、わかりやすいのかもしれない。

幸か不幸か、わたくしは今も同じ地点にいる。よく言えばブレていない。しかし、彼らから見れば、進歩のないヤツだと思われていることだろう。

よくも悪くもここがわたくしと沖浦氏の共通項なのかもしれない。

2020/6/23

ゴハイリョ  
顕正新聞の続きを読んでいこう。

 「貴辺はすでに法華経の行者に似させ給へる」

第十八婦人部長(四国)の記事に出てくるこの引用は、間違っているのではないかと思った。ごく単純に、「給へる」ではなく「給へり」が常識的である。ところが御書を確認してみると、いちおうは上掲で合っているのだ。

・・・似させ給へる事、

これが平成新編の表記である。わたくしは常々、文法に疎いことを公言しているわけだが、説明能力はゼロであるものの、かなり古文法がわかってきたような感じである。つまり、引用範囲が不適切なのである。

さて、次は男子部第百七十四隊長(首都圏)の記事である。

 このような大聖人様の万々の御配慮の中に・・・

 そこにいま新型コロナから守らんと、浅井先生は私たち顕正会員に万々のご配慮を下さいますが・・・


ここはわたくしが過剰に反応しているだけなのかもしれない。ようするにバンバンのゴハイリョが共通している。この点が会長本仏論を想起させるのである。

ただし、次のくだりは会長本仏論を打ち消していることになりそうである。

 この上野殿の大忠誠は、広布前夜の今、浅井先生の御身にすべてが移されている・・・

ところで次の男子部第九十五隊支隊長(首都圏)の記事は顕正会本部のダメさ加減を物語っていると思う。

・・・住職の「二上」はすぐに、顕正会本部にクレームを入れたのでした。
 しかし電話口の本部職員に一蹴されるや、悔しそうな顔つきで、こんどは妻に「警察を呼べ」と指示し・・・


細かい経緯は省略しよう。ともかく顕正会の男子部幹部が越谷の能持寺に乗り込んできた。迷惑だから帰ってくれと言っても帰らない。そこで差し当たっては本部へ苦情を入れたわけである。ところが本部職員は何もしてくれなかった。ゆえに最終手段として警察を呼ぼうとしたわけである。

わたくしの思うに、本部職員の大半は自分で物事を決められないのだろう。ならば本部にいる最高責任者に電話を代わればいいはずである。あるいはその最高責任者が一蹴したのだろうか?

だとすれば、ますますダメな組織である。

どうやら近年は優秀な弁護士が二名もいるためか、理不尽な逮捕事件が起きなくなった。それはそれで結構なことだが、以前はそうした事件の時、テレビ新聞などから意見を求められても何も答えられない状況だった。どうせならば城衛あたりがテレビに出て堂々と受け答えをすればいいのにと思う。

そこで話を戻そう。

正宗僧侶が顕正会本部に電話を掛けてくるのは、飛んで火に入る夏の虫のはずなのである。まずしっかりと録音すべきだろう。そして言うのだ。うちの若いもんがご迷惑をお掛けしました。今日のところは帰らせます。つきましてはいい機会ですから、ここで顕正会本部として正式に法論を申し込みます。当然、お受けになられますよね?

いつの間にか、カエリタマエ問題が立ち消えになってしまったが、同様のことを顕正会側が仕掛けるべきなのである。もちろん捏造ではなく、堂々と行なうべきだろう。電話口での住職の右往左往ぶりが録音できれば大成功である。

以前、法華講の樋田昌志氏と顕正会男子部で法論をする話があった。

これについては実現したのかどうか、それすらわたくしは承知していないのだが、いちばん最初の面談で顕正会側の論者があまりにも非常識な態度・振る舞いだったために樋田氏が早々に退席したという話は知っている。なぜならば樋田氏がその音声を公開しているからである。それを聴けば、顕正会側の論者がいかにも常軌を逸していると、誰もが思うだろう。今回の記事に出てくる男子部幹部の一人は、実はその時の一人なのである。

ゆえに冷静沈着な人物が声を荒げることもなく相手を追い詰めていくという映像ないし音声が今は求められているのだと思う。残念ながら顕正会側からそのような発信がなされたためしはない。

医師として「新型コロナ」の脅威 眼前
 実際には公表以上の感染者がいる


男子部第七十隊組長(首都圏)は大幹部の御子息である。父親はかつて壮年部長をしていた。母親は今も婦人部の幹部である。その意味からすると組長なのがやや不審である。しかし、顕正会の大幹部は自分の本業を犠牲にして活動している人が少なくない。逆に社会的にそれなりの立場を築いている人は顕正会での地位が低い傾向にあるので、ツジツマは合っているのだろう。

さて、ここでは詳細な引用を控えるが、当該記事は四月下旬時点での医師の発言として貴重である。すでに見出しが物語っているように、この先の感染拡大を予測し、かつ憂えている。

ところが何度も指摘しているように、諸外国に比べて日本は極度に感染者が少ない。いわゆる超過死亡のデータを見れば明らかなごとく、コロナによる死亡者が過少に申告されていることは否めないものの、それは他の国も似たり寄ったりのはずである。どこの国だって都合の悪いデータは見せたくないし、誤魔化したいのが人情なのだ。つまり、どのように見積もっても日本ないしその周辺国は、欧米諸国に比べて感染者数も死亡者数も桁違いに少ないのである。

この点について、ぜひとも医師の立場としての見解をお聞きしたいものである。

2020/6/22

ビボウロク  
今朝はコメント欄が賑わっている。たまたま時間に余裕があるのか、複数名の投稿者が応酬を繰り返している。これが単独であれば、さすがに続かない。相手がいるからエキサイトするのだ。

さて、顕正新聞の続きである。

実に国民の半数が死に至った・・・

筆頭副総男子部長の発言である。大聖人御在世のことを言っているわけだが、この半数はどれほどの正確さなのか、そこが気になるところである。わたくしの感覚では、かなりアバウトな印象がある。

日本国の三分の二が病み、その半分が死に至った・・・

男子部第十一総部長(中部)の発言が興味深い。コロナの問題が始まってから御書に出てくる疫病の死者数のことが顕正会の中でも取り沙汰されているわけだが、おそらく上掲は新見解ではないかと思う。

日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ。又半分は死しぬ。

弘安元年の日女御前御返事である。大雑把に表現すると日本人の六割から七割が罹患した。前半の意味は誰も間違えないだろう。問題は後半で、総部長はそのうちの半分が死んだと解釈している。おそらくこれは新見解だと思う。

では、従来はどのように解釈していたか?

わたくしの知る限りでは、ボカシていた、アイマイだった、ということになる。三分の二のさらに半分なのか、日本人全体の半分なのか、この点について浅井先生は明言していないのだ。

ようするに二通りの解釈があるわけで、全人口の半分が死んだ、全人口の三分の一が死んだ、このどちらが正しいのかがよくわからないのである。わたくし自身も現時点ではどちらとも断定できないでいる。顕正会も公式にはそうなのだろう。では、宗門やその他の見解はどうなのだろうか?

 いま想像もしなかった大恐慌の危機に、なす術をなくして当事者能力を失った安倍首相の、その暗く生気のない如是相を見るにつけ、「アベノミクスは最大のペテン」と当初から指弾され、幾度も特集号を一国に示してこられた先生の諫暁が、決戦場の時を迎えて、ペテン政権の実態を全国民の前にさらけ出した不思議を思い、先生の大見識にひれ伏すばかりであります。

第十八男子部長(首都圏)の言っていることもペテンである。拙ブログは備忘録としてなかなか優れた機能を発揮している。例えば、ロケット落とし、というキーワードで調べればよくわかるだろう。ようするに浅井先生は安倍政権がすぐにも崩壊するかのごとく言っていたのだ。それが気がつけば政権として歴代最長記録を更新してしまったわけである。逆に昨年あたりは宗門諫暁のほうに注力していて政権批判はあまりしなかった。その結果として今がある。先生がやることは裏目に出る。不思議なことだが、それが現実である。

大師子吼

またしても言っている。総合婦人部長と副総合婦人部長のコンビである。

一方、女子部の大幹部たちはこのところ大師子吼を控えている。彼女たちが救いである。当然、総合女子部長がその先頭に立っているのだろう。そもそも顕正会の折伏は女子部の存在がベラボウに大きいのだ。もしかしたらここから顕正会が正しい方向へと戻っていくことが実現するのかもしれない。

新型コロナウィルスも一度止んだように見えて再び盛んになり・・・

女子部第十四総部長(沖縄)が先生の発言を紹介しているくだりである。まさに現状がその通りなのだろう。緊急事態宣言が解除された後、爆発的感染には至らないものの、連日のように新規の感染者が出ている。また、地球規模で見れば、感染の拡大傾向が止めどもなく続いている。深刻であることは間違いないだろう。

2020/6/19

カケモチ  
沖浦氏の大量コメントを読んでいて矛盾を感じたので、そのことを指摘しておこう。

 然しながら私の2度の悟りは大聖人や戸田先生と比較するなら極めて浅いものです。
 まだまだ先があるのです。


悟りにも差別浅深があると言っている。ひじょうに謙虚だ。

 『其の上仏教已前は漢土の道士月支の外道儒教四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り、』(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)


これらは昨夕のコメントであるが、本人は矛盾を感じないのだろうか?

つまり、仏教以前における正見は法華経の究極の悟りに比べれば遥かに浅いものであり、まだまだ先があるわけなのだ。ところが沖浦氏は大沢氏との議論の中で同じ悟りであるかのように言ってしまっている。何でもかんでも反発するのではなく、少しは相手の意見にも耳を傾ける姿勢が必要だろう。

次はわりと有名な御文である。

本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況んや菩薩・凡夫をや。

立正観抄の当該御文は難解であり、わたくし自身もよくわかっているわけではないのだが、字句どおりに読んで大きく外れることはないだろう。沖浦氏の主張を見事に打ち破っている。

以上、日蓮正宗は御書に暗いなどと貶める沖浦氏であるが、ご自身も似たり寄ったりであることを自覚すべきである。

さて、顕正新聞第1509号である。

ひと月やふた月で収束するものではない・・・

もし感染が何年も収束しなければ・・・

爆発的感染が危惧されている・・・


総男子部長の四月二十七日時点での発言を拾ってみた。正確には浅井先生の発言を引用ないし援用しているわけだが、ともかく日付が重要である。

この時点では緊急事態宣言が五月六日で終了するか否かという問題があって、延長やむなしという雰囲気だったのだと記憶している。事実、延長された。五月末まで延長するが、状況次第では前倒しで解除することもあり得ると、五月四日の首相会見で発表された。実際、前倒しで解除された。

いつも言っているように、凡夫には未来が見えないのである。よって、上掲は悉く外れたことになる。

ただし、わたくしの言っていることも正確ではなく、いわゆる第一波はどうにかやり過ごすことができたものの、この先に待っているであろう、二波・三波については予断を許さない状況が続いていると言わざるを得ないのである。つまり、顕正会の言っていることも、まだ完全に外れたわけではなく、これから爆発的感染が始まるかもしれないし、それがトータルでは何年にもわたるかもしれないのだ。

ここで余計な心配をしておくと、顕正会の折伏ノルマがどうなるかという問題がある。

例えば日本に来ていた外国人研修生という名の労働者たちが、コロナの影響で帰国してしまって、今はかなり少ない状況なのである。折伏の数字を稼ぐのに好都合の存在だった彼らがいなくなって、はたして今後も折伏ノルマが維持できるのかが甚だ疑問なのである。
いわゆるステイホームの問題もある。つまり、今のご時世は友人知人に連絡を取ってわざわざ会うという行為自体が禁忌なのであり、ただでさえ今までだって顕正会の折伏の段取りと呼ばれるものはひじょうに胡散臭く思われていたのだから、今はそれに拍車が掛かったことになるのだ。
ましてや顕正会の入信者の相当数を占めるであろう後期高齢者たちはコロナ弱者であり、うっかり感染しようものならば重症化する確率がひじょうに高いのである。当然、重症化すれば死に至る可能性も高まる。

このような状況下で今まで通りの折伏ノルマをこなしていくことはかなり困難であろう。

それにもかかわらず折伏にこだわるのは、表向きは広宣流布の実現なのだろうけれども、本当のところは単に余裕がないだけなのかもしれないと思う。何しろ顕正会は自転車操業なのだ。具体的に言うと、組織を離脱していく人が多いために折伏をしないと組織を維持できないという状況なのである。それがわかっているから折伏をお休みできない。たぶん浅井先生自身がいちばんわかっていることなのだろう。

男子部人事 1地方男子部幹事・6隊長を抜擢

毎度のことながら、兼任が多い。今回の記事では六人の隊長が抜擢されたとあるが、その中の三人は兼任である。ようするに男子部長だとか男子部幹事が隊長を掛け持ちするのだ。

今まで隊長だった人はどうしたのか?

これまた毎度のように言っていることだが、前任者のことはまったく報道されない。おそらくはその多くが離脱してしまったからなのだろう。都合が悪いので報道できないのだ。

そして兼任の話を繰り返すと、理想は隊員の中から新たな隊長を抜擢するべきだろう。その組織の中で人望のある人を昇格させればいいのだ。ところが多くは上述のごとく兼任なのである。任せられる人がいない。つまりは人材が育っていない。

今現在の顕正会はかなり組織が複雑化している。その理由は組織の実態を誤魔化すためなのだろう。

2020/6/16

サナカ  
沖浦氏から大量のコメントが寄せられている。悪いことではないが、あまりにも量が多いと流れてしまう。もっとも沖浦氏はそれで構わないのだろう。煩を厭わず何度でも書くのだ。その熱心さは立派である。

大沢氏もこのところ執筆量が増えた。その中で注目したのは次の文章である。

一年前に想定すらしなかった世の中になりました。

まさに想定外の出来事である。

浅井先生の予言の上を行く事態が連発する世の中・・・

このくだりは少し皮肉を込めていると思われるが、浅井先生の予言は当たらないことで有名なので、先生としても文句は言えないだろう。

それにしても予言の上を行くが悩ましい。

なぜならば浅井先生はこの機に乗じて感染爆発を云々していた。するとそれがまた外れてしまって、少なくとも日本ないしアジア圏においては、欧米諸国に比して感染の度合いがかなり小さいのである。大聖人の冥々の御守護だろうか?

ところで、もうすぐ都知事選が始まる。

ちょうど六月度総幹部会は都知事選の最中に開かれる。ならば浅井先生としては何かしら言及しないといけないだろう。しかし、今回の選挙もかなり複雑である。先生が何をどのように言及するか、興味深いところだ。

顕正新聞の残りを片付けてしまおう。

大聖人様がお待ちあそばす御馬前へ・・・

婦人部第一総部長(東北)の発言が悩ましい。わたくしの言語感覚からすると、どうも上掲はおかしな文章に思えるのである。これまで使われてきたのは、お待ちあそばす法戦場、お待ちあそばす決戦場、みたいな感じだった。ここは説明するのが困難なので省略するが、わたくしにはおかしな文章に思える。この点は強調しておきたい。

「上野郷」で歓喜の弘通、時の到来 実感

女子部第二十九区長(静岡)の記事である。早い話が大石寺周辺での入信・入会が増えてきたと言っているわけである。これが事実ならば面白い。

さて、第七面には菅原克仁氏の文章がびっしりと掲載されている。通常、決意発表ないし活動報告は四人、体験発表は三人、これが一面あたりの記事の本数である。それを一人で丸々使っているのだから、凄い分量である。

初めて個人の身の安全・心の安定がもたらされる・・・

・・・始めて生存することができる。


ようするに当該記事は宗門の関快道師との紙上法論なのだが、わたくしには面倒臭くて真面目に読んでいられない内容である。そこで唯一、目についたのが上掲である。これは基礎教学書の引用なのだが、例のハジメテが出てくる。いったいここでの使い分けにはどのような意味があるのか、ぜひとも顕正会員にお答えいただきたいものである。

 義父がなかなか起きてこないので様子を見に行くと、義父は布団の中で亡くなっており、死後四時間は経っていたそうですが、今にも起き上がりそうな表情だったとのことでした。

女子部第七十一区総班長(首都圏)の記事であるが、死後四時間の根拠が不明である。この続きにも不思議な記述がある。なんと検死中に体温が四十度まで上がったのだそうである。通常、冷たくなっていくものだろう。ゆえに不思議な話であり、なおさら死後四時間の根拠がわからなくなる。

本部庭園の池を仲よく泳ぐカルガモと鯉

相変わらずヘボな写真である。キャプションもヘボだ。ようするに鯉とカルガモが仲よく泳いでいると読めてしまうのだ。

実際にはツガイのカルガモが仲よく泳いでいるわけであって、カルガモと鯉が仲よくしているかどうかはわからないことである。

今回はなるべく些末なことには触れないように、記事を厳選したつもりである。

2020/6/14

バクハツ  
大沢氏の直近のコメントには、在宅での御講とある。配信とも書かれている。なるほど、ネット配信で御講が行なわれるらしい。なかなか先進的である。

「コロナ大恐慌」特集号

顕正新聞第1508号は四月度総幹部会を報じているわけだが、その特集号の名称が上掲である。掲載写真を見ると、会場である本部会館の礼拝室では、いわゆるソーシャルディスタンスが保たれている。また、全員がマスクを装着している。安全防護の意識が前回の総幹部会よりも格段に向上したようだ。

 このたび女子部において、新たに副部長制が設けられ・・・

わけがわからない。もともと総合部長、総部長、部長があって、そこに副役職がある。前からそうなのだ。ゆえに上掲の意味がよくわからない。しかもいつも指摘しているように兼任が多い。まずは役職を増やすのではなく、人材を増やさないといけないだろう。

さて、会長講演である。

 この中の「大疫病」とは申すまでもない。ウィルスによる大感染症ですね。

御書に出てくる疫病について、ご覧のように説明している。わたくしの記憶が確かであれば、大感染症は初出かもしれない。かつては流行病と表現していたと思う。

このようなことは、史上初めてです。

ようやく修正が始まったようだ。

日本で発病者が初めて公式に発表されたのが・・・

この修正は悪いことではない。わりとマトモな修正である。

前掲は原油の先物価格がマイナスになったという話であり、上掲は日本でのコロナの感染確認第一号が一月十六日だったという話である。

聖徳太子は日本に始めて仏法が渡って来たとき・・・

・・・始めて日本に仏法を確立している。


ようするに世間一般の話題では初めてを使用し、仏法の話の時には始めてを使う。いちおうはそのような方向性を示していることになるだろう。悪くないと思う。これで顕正会員も少しはマトモになるだろう。

ちなみにわたくし個人は両方とも初めてで統一してもいいと思っている。

6京円が爆発したら
   世界経済は破滅


デリバティブがどうたらこうたらという話である。経済オンチのわたくしにはさっぱり理解できない話なのだが、とりわけ爆発という表現が意味不明である。

かつて3.11の遥か以前においては、日本には安全神話があって原発事故など起こるわけがないと推進派たちが言っていた。ところが爆発してしまった。大爆発だった。
では金融の世界はどうなのかであるが、これはあくまで譬喩表現なのだろう。ゆえに爆発の具体的な状況を説明しないといけない。
普通に考えたら暴落のことではないかと思うのだが、浅井先生の説明ではちょっと違うニュアンスを感じるのである。しかし、よくわからないのが現状である。

 日本の感染者数は隠されている。実態はこの数十倍とも百倍とも言われ、今後の爆発的感染がいま危惧されている。

これは四月二十五日時点での発言である。またも浅井先生の見通しは当たらなかった。不思議なほど当たらない人である。

ただし、わたくし自身も隠れ感染者を疑っていたし、爆発的な感染拡大が起こるであろうことを危惧していた。

ゆえに今の状況が不思議で仕方がないのである。

福島原発事故でも
 「非常用電源」を無視


これは有益な情報である。ようするに3.11は民主党政権下での出来事だった。それゆえに見落とされていた事案があるのだ。わたくし自身も知らなかったことだが、共産党の吉井英勝議員が再三にわたって原発の危険性を追求していた。ちょうど第一次安倍政権の頃にも質問主意書を出しており、ようは対策を講じるように求めていたわけである。それに対して安倍首相は何の策も講じなかった。結果として原発事故が起きたという話なのである。

国民はインフレと
  重税で塗炭の苦に


浅井先生の長年の主張である。しかし、皮肉なことに先生がこういうことを言っていると逆になる。現実問題として、日本はデフレが長く続いている。重税云々にしても消費税を廃止にしようと訴えている政党もあるし、なんと自民党内にも消費税ゼロを主張する人たちが相当数いるらしいのだ。なぜか先生の言っていることは当たらない。

 それは決して遠い先のことではない。早ければ今年を含めて一両年、遅くとも20年代半ばまでには起こると思われる。

例の爆発である。デリバティブが爆発する。フクイチの水素爆発みたいに映像化できればいいのだが、なかなか難しそうである。

こうしたセンセーショナルな話ではなく、現実問題としてコロナのために職を失ったり、店をたたまざるを得なくなった人たちが相当数いるわけで、すでに今現在の状況そのものが苦境とも捉えることができるはずなのだ。しかし、浅井先生としては満足できないのだろう。そこが先生の未熟なところなのかもしれない。

2020/6/13

ジュウラセツ  
まず沖浦氏に申し上げよう。熱原法難と戒壇本尊の関係性については不明な点が多い。これはまさにその通りであるが、だからこそわたくしは御書を拝読しつつその答えを探しているのである。ゆえに沖浦氏にお願いしたいのは、むしろ肯定的に見るためにはどうしたらいいのかという斬新なアイデアの提示なのである。

大沢氏から東条景信についてのご意見をたまわった。いわば報恩抄が東条景信の現罰を間接的に証明しているということらしい。

但一つの冥加には景信と円智・実城とがさきにゆきしこそ一つのたすかりとはをもへども・・・

大沢氏は上掲に続くくだりを引用されている。十羅刹のせめをかほりて云々と。確かに現罰を示唆する御文だ。

ところで、反系の書物には七日後に狂死したと書かれているとのことだが、ならばなぜに大聖人はその旨を書き残さなかったのかが疑問である。例えば南条兵衛七郎殿御書は小松原法難のひと月後に認められた。実際、当該御書には法難のことが記されているのだ。わずか七日後に狂死したことが事実であれば、まさにこの御書の中にその記述があっても不思議ではないだろう。

わたくしが意外に感じたのは景信の年齢である。大聖人よりも年下とはまったく気がつかなかった。勝手な先入観で景信のほうがかなりの年長ではないかと思い込んでいた。

もちろん年齢は関係ない。ましてや現代感覚における長幼を当てはめても意味がない。

まあ、しかし、それにしても意外な印象である。

さて、顕正新聞をざっと見ておこう。

最終段階の限られた時間・・・

婦人部讃岐支区部長(香川)の記事である。わたくしには無限の時間に感じられる。

宇宙的重大な時・・・

婦人部三河支区部長(愛知)の表現力も凄まじい。

 火葬の後、火葬場の職員から、父の骨が全身しっかりと残っていたばかりか、「骨が光っていた」と聞いては、大感激いたしました。

女子部第六十七区総班副長(首都圏)の記事である。骨が光るというのは譬喩なのか、それとも発光していたのか、そこが問題である。骨が光源も何もないところで勝手に光っていたら凄いことである。

2020/6/9

テハズ  
ハラダ氏のご質問にはお答えし兼ねる、と申し上げるのが正しい応答だと思う。なぜならば除名するかしないかの判断は相手側に存することであって、わたくしが決めることではないからである。ゆえに顕正会本部に質問状を発するといいだろう。巌虎独白というブログがあって長年にわたって顕正会を誹謗している。顕正会本部としては何らかの処置を講じないのかと。わたくし自身もその回答を聞いてみたいものである。

もっとも上述はわかり切ったことであって、おそらくハラダ氏の問いはわたくし自身がどのようなシナリオを描いているかを聞いているのだろう。

そこで言えることは、すでに組織を離脱して久しいので今さら除名でもあるまい、ということである。もし、わたくし自身が今も素知らぬふりして会館などに出入りしているとすれば、顕正会側も看過できないだろう。今はまったく会館に行く気はないし、会員たちとも積極的に接触していないのが現状である。ゆえに放置が妥当なところではあるまいか?

強いて言えば、顕正新聞の配達が止まるかもしれない。

ここは微妙なところで、本部首脳にとって巌虎の見解がそれなりに有益と思えば、耳の痛い話が多いものの、今まで通りに配達が続くのではないかと思う。

ここをあえて深読みすれば、すでに巌虎の正体を知っている可能性すらあるかもしれないのだ。その場合、本部首脳は拙ブログを一つの有益な情報源として残しておくという判断をしていることになるだろう。あるいは、一時期に比べれば閲覧数もそれほど多くないし、放置しておいても問題ないという判断の可能性もある。

さて、顕正新聞の話題である。第1507号であるが、立宗会の記事がトップを飾っている。

そうそう、前述の話をもう少し続けると、仮に顕正新聞の購読ができなくなったとしても、その気になれば入手できるだろうし、篤志家が転送の手はずを取ってくれるかもしれない。問題はわたくし自身にそこまでのモチベーションがあるかどうかであり、ちょうどいい機会だからブログを卒業しようという選択につながる可能性もある。ようは惰性でダラダラと続けているフシがなきにしもあらずという現状を打破する意味では、まさにグッドタイミングかもしれないのだ。

この直後、景信は重病を発し、大苦悶の中に狂死をとげている。

毎回のように書いている。この根拠はどこにあるのか、そこが問題である。

さて、今回の会長講演は他に取り上げるべきところもないので、三面以降の各種記事を見て行こう。

御馬前の決戦場・・・

女子部第二百二十一区長(兵庫・大阪)は兵庫県内の総合病院に勤務しているという。医師なのか看護師なのか、あるいはその他なのかは定かではないが、区長との両立は大変だろう。それはさておき、上掲が気になった。ご存知のごとく、顕正会では御馬前だとか決戦場という表現を多用する。しかし、その定義がアイマイである。何となく雰囲気で使っているのだろう。雰囲気で誤魔化されてしまっているのだ。

 しかし緊急事態宣言以降も感染拡大は止まることを知らず・・・

文章の続きには、加速する諸天の治罰、と書かれている。すると緊急事態宣言が解除された今の状況については、どのように解釈するのだろうか?

女子部第五十一区総班長(大阪)が宗門のことを書いている。

 宗門の葬儀では、戒名に五〇万円、塔婆・葬儀代等として合計二八〇万円を請求される・・・

わたくしは世間一般の相場に詳しいわけではない。ゆえに上掲が妥当な線なのかどうかまったく判断がつかないが、個人的な金銭感覚からするとベラボウに高いと思う。こんなにバカ高いのであれば、僧侶を呼ぶのをやめて火葬場直葬で済ませたい、というのが現代人の普通の感覚ではないかという気がする。

婦人部弘前支区総班長(青森)も宗門関係の話題を書いている。

また「法華講衆の人たちは、戒壇の大御本尊に値っているから」との言動にも呆れるばかりでした。

わたくしはむしろ詳しい話を聞きたいと思う。ようするに顕正会では法華講衆の斬首を機縁として戒壇の大御本尊があらわされたと教わっているので、総班長はそれゆえに法華講員がデタラメを言っていると思ったわけなのだろう。しかし、厳密にはわかっていないことのほうが多いわけなので、その意味では法華講員たちが何を言わんとしているのかをちゃんと確認すべきではなかったかと思う。つまり、しょせんは総班長殿もハマっているわけなのだろう。顕正会は正しい、宗門は間違っている、という固定観念から抜け出せないのである。ある意味、シアワセなことではあるのだろう。

先生の大師子吼に・・・

なるほど、完全にハマっているようである。

2020/6/5

オレキレキ  
引き続き顕正新聞を見て行く。

 一方、正本堂がなくなっても、いまだに国立戒壇を否定し続ける宗門の馬鹿坊主どもは・・・

男子部第六総部長(首都圏・沖縄)はずいぶんと過激なことを言っている。わたくしの思うに、正本堂がなくなっても云々は浅井先生にこそ当てはまるのではないか、浅井先生こそがいつまでも過去の武勇伝にしがみついているのではないか、ということになるだろう。今も正本堂が存在すれば、誑惑の殿堂だとかニセ戒壇だとか、そうした文言が活きてくる。ところがすでに正本堂が消滅してから二十年も経過しているのである。この意味からすると、宗門の馬鹿坊主ども云々は、顕正会の馬鹿幹部どもと言い換えてもいいだろう。

男子部第九十九隊長(神奈川)は総男子部長と同じようなことを言っている。

 また、この正系門家の腐敗堕落を根本原因として、新型コロナウィルスの感染が拡大し・・・

前回の拙稿を確認されたい。まったくハタメイワクな話である。

第三面には婦人部幹部の記事が載っている。いつも指摘しているように、この人たちが大師子吼を流行らせているようなものであり、どうやらその元凶は浅井昌子のようである。これは今回初めて指摘することだ。

ようするに今回も総合婦人部長の記事の中に大師子吼とある。顕正新聞の掲載順では彼女が先なのだが、婦人部班長会での登壇の順番は逆なのである。つまり、直前に昌子が登壇し、大師子吼がどうたらこうたらと叫ぶのである。ゆえにトリを務める総合婦人部長はその影響を受けて大師子吼と言っている、言葉を換えると、無言の圧力を受けて結果として言わされているのである。

問題は今書いたことが単なる憶測に過ぎないのか否かである。些末な議論を好む人ならば、決定的な証拠もないクセによくも書けるものだと言うかもしれない。

しかし、わたくしの主張は単純明快である。これまでも見てきたように、大聖人が師子吼で浅井先生が大師子吼というような逆転現象が起こっているのである。これを顕正会はどうするのかである。つまり、この一点においては顕正会が絶対的に間違っているのだ。ゆえにわたくしの書いていることが憶測か否かという問題もさることながら、顕正会はそれ以上の大問題を放置しているという現実がある。これを是正する気がないとすれば、もはやお話にならないだろう。大師子吼を言い募る幹部たちは一刻も早く正気に戻らないといけない。

第十七婦人部長(静岡)の記事にかつての浅井発言が載っている。

 「身延山の一角に広大な身延会館を建てたい。それが大聖人、日興上人への最大の御報恩である」

これについてイチャモンをつけると、ああ、広宣流布はまだ無理らしいな、ということである。顕正会が身延会館を建てるのは勝手である。ただし、もし広宣流布が本当ならば、久遠寺そのものが正宗に帰伏しなければおかしいのである。大石寺を総本山とするならば大本山の一つと位置付けられる。あるいは天生原に本門戒壇が建つとなると大石寺の位置付けも変わってくるのかもしれない。この辺はわたくし自身もよくはわかっていないのだが、ともかく顕正会の会館がどうのこうのというレベルの話をしているようではまったくダメである。

さて、第四面には総合女子部長を筆頭に女子部のお歴々が記事を載せている。今回、ひじょうに感心したのは、すべての記事が師子吼で統一されていることである。これはどういうことなのか、もしかしたら女子部の中で申し合わせが行なわれたのかもしれない。当然、大師子吼はやめましょう、という内容である。もしこれが事実ならば顕正会もまだ捨てたものじゃないかもしれない。婦人部もこれを見習うべきだろう。

大聖人様を忘れ奉った馬鹿坊主ども・・・

ちなみにこれは女子部第五総部長(北関東)の発言である。

さて新聞の後半で目を惹いたのは、まず副総男子部長の記事である。

 三月二十二日、私の妻が池袋西口のファミリーレストランで折伏していると・・・

妙観講員が妨害してきたそうである。

「俺は顕正会の小沼を知っている。小沼は法論からずっと逃げ回っている」

どうやら妙観講員は目の前の女性顕正会員がどういう立場か知らなかったらしい。

 そこで私の妻が「小沼は私の夫です(笑)。そんなに法論したいのなら、今すぐ呼びますよ」(笑)

真偽のほどは不明だが、面白い話ではある。

 感恩寺・住職に現罰「宗門追放」を確信

男子部第四十四隊長(岩手)によると、盛岡市の宗門末寺の住職が交通事故で亡くなったそうである。それを御在世における落馬と重ね合わせて云々している点が悩ましい。交通事故は調べれば統計上の死亡者数がわかる。もし宗門内における交通事故死が一般のそれよりも多いとすれば罰と断ずることができるのかもしれないが、たまたま一人亡くなったくらいで罰だの何だのと大騒ぎするのはどうかと思う。

元宗門僧侶、「国立戒壇」を聞いて入会
 幼少時に胸に刻んだ「国立戒壇」忘れず


女子部第百一区支区長補(静岡)は還俗した人の入会を伝えている。そもそも正宗の僧侶で還俗するのはどのくらいの割合なのか、気になるところである。可能ならば後々はご本人に登場してもらいたいものである。

・・・発表されている感染者数、死亡者数は本当の数ではないと話していました。

これは婦人部三橋支区総班長(首都圏)の記事であるが、武漢出身の中国人留学生の証言によれば、中国政府はウソを発表しているらしい。当然、少なめに発表しているわけなのだろう。この点、もし深刻な状況であればいずれは発覚するはずなので、今後も注視していきたい。

真光で不幸、供養のためにローンを組む

婦人部大宮北支区組長(首都圏)の記事も興味深い。ローンとは具体的にはどういうことなのか、そこが問題である。いわゆる信販会社でローンを組むのは利息分を会社に儲けさせることになる。真光がそれを奨励しているとすれば、その意図は何なのだろうか?

支払う側にしてみれば、基本的には毎月決まった金額を払っていく。もちろん金利を上乗せしてである。だったら金利無しで真光に毎月払えばそれで済む話ではないのだろうか?

あるいは真光のほうで毎月の定額の支払いをローンと称しているだけの話なのかもしれない。いわば供養を義務化するようなシステムなのだろう。

もちろんわたくしは顕正新聞に書かれている範囲のことから、勝手にあれこれと推測しているだけに過ぎない。よって詳しい人がいればぜひともご教示願いたいものである。

2020/6/3

アラアト  
顕正新聞第1506号を見て行こう。まずは総男子部長の記事からである。

小池都知事が「感染爆発の重大局面」などと言い始めたものの、すでに遅きに失しており、「ひとたび感染爆発が起きたら手がつけられない」事態に至ることは必定であります。

この直前には、東京五輪を強行するために感染者数を少なく見せかける安倍政権、とあって、五輪の延期が決まるや忽ちに感染者が増え始めた、と書かれている。

ちなみにこれは三月二十八日に行なわれた班長会での登壇である。それを今頃になって取り上げる拙ブログは遅きに失したようにも思えるが、逆に事態を冷静に俯瞰できるというメリットがある。結論として総男子部長の言っていることはかなりマトモではあるものの、残念ながら少し事情が異なっている。

ご存知のごとく、四月中は感染拡大が著しかった、ところが四月後半からは落ち着きを見せ始め、五月に入ってからは縮小傾向に転じた、結果として一度は延長された緊急事態宣言も前倒しで全面解除となった、というのが大きな流れである。

総男子部長は、感染爆発は必定、と言ってしまっている。

この人も父親譲りで予言を外すのが得意のようである。というよりも、顕正会が予言めいたことを言うと、それとは逆の結果が出るのが通例のようである。これはいったいどのような仕組みなのだろうか?

いちおう備忘録的に書いておくと、すでにアメリカは死者が十万人を超えている。一方、日本は千人未満である。人口比などを踏まえても相当に差がある。これはいったいどういうことなのだろうか?

もちろん現時点では理由がわかっていない。

客観的には諸外国に比べて東アジアだけが抜きん出て感染者ないし死亡者が少ないのである。ゆえに常識的には総男子部長のような見通しを立てるのが普通であり、何もしなければ四十万人が死亡する、というような警告を発する学者が居たのも自然なことだとは思う。逆にそれゆえになぜに東アジア圏だけがかくも感染者ないし死亡者が少ないのかがわからず、専門家たちも今はあれこれと仮説を立てている段階なのである。

ここで思いっきりイヤミな仮説を言えば、やはり顕正会のお陰なのだろう。

いや、それは違うかもしれない。何しろ日本だけでなく日本の周辺諸国もお蔭を被っているからである。

世界的に見て、日本はコロナウイルスの抑え込みに成功した。

いちおうはそのようにも言えるところだが、厳しい見方もある。実は韓国や台湾のほうが遥かに優秀であり、東アジア圏では日本がもっとも死亡者が多い。この点は政府の無策ゆえであると、厳しく批判する声が各方面から上がっている。

また、委細に見れば北九州での感染拡大であるとか、昨日は東京でも感染者の増加に鑑み、東京アラートが発令されたりと、予断の許さない状況が続いている。

以上、現時点では日本における感染爆発は外れたものの、これでコロナ問題が終わったわけではなく、直接的な健康被害の問題もさることながら経済的な逼迫も深刻であることからして、当面はこの問題に翻弄されることになるだろう。

・・・先生の再度の諫めを黙殺いたしました。その結果、いま全世界が大疫病で騒然とし・・・

同じく総男子部長である。ようするにコロナは日如上人が浅井先生の諫めを黙殺した結果なのだそうである。

ひじょうに難しい話である。先ほども書いたように日本は諸外国に比して死亡者が少ない。まず欧米の先進諸国が深刻であり、さらに最近は南米諸国がまったくブレーキの利かない状況になっている。これらがすべて日蓮正宗の御法主上人に起因するとは、誰も思わないだろう。日本だけに起きていることならばそれなりに説得力があるのかもしれないが、ぜんぜん関係ない国まで巻き込んでしまっているのだ。ハタメイワクにも程がある。

この点については今後も幹部諸氏の発言に注目していきたいと思う。


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