2020/7/4

ダイショウソン  
前回、わたくしは沖浦氏に対して三つの問い掛けをした。本人は完璧に答えたつもりなのかもしれないが、おそらくは誰が見ても落第点だろう。

それはさておき、今度は大沢氏から間接的な宿題のようなものを出されてしまった。

沖浦さんから巌虎さん宛のコメントで、おそらく巌虎さんも言及されると思いますが、強いて一言申しあげます。

面倒臭いので言及は控えるつもりだった。

「2020/7/2 17:48
投稿者:沖浦克治

>この御書は文永8年11月です。
観心本尊抄は文永10年4月25日。
ご本尊ご図顕以前に。一大事の秘法(一大秘法)を
始めて日本で弘めたと仰せです。
ですから、曼荼羅本尊が一大秘法の当体にはなり得
ません。」

事実誤認ということだけ、申しあげておきます。
思い込みで色々言われても困りますが、御本人に自覚はないと思います。

基礎中の基礎を学んでいないことにより、数多あるネット情報の価値(正誤)も判断できず、肝心要の部分を間違えるのでは?


不勉強のわたくしには大沢氏の想定する正解がどのようなものか、さっぱりわからない。ともかく沖浦氏の書いている内容は事実誤認であり、基礎中の基礎が学べていないから正しい判断ができず、肝心要のところで間違えてしまうということらしい。

もしかしたら楊枝御本尊のことを言っているのかもしれない。

沖浦氏は得意になって時系列を云々している。しかし、それは楊枝御本尊の存在を忘失していることで破綻をきたしていることになるのだ。何しろ当該御本尊は文永八年十月九日にあらわされたものだからである。

天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈其の人に非ずや。前相已に顕はれぬ。去ぬる正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。

単純に言って、沖浦氏は「弘めた」と読んでいるが、これがすでにして間違いなのではないかと思う。むしろ、これから弘めるのだ、と読むか、今まさに弘めようとしている、と読むのが自然である。いつも言っているように、わたくしは文法がどうこうではなく、文脈的にそのように読めるのである。

さらに言っておくと、正嘉の大地震を前相であるとされている点に注目すべきだろう。

はたして沖浦氏に理解できるかどうかそこが問題だが、いちおう質問を投げ掛けておこうと思う。いわゆる時系列からすると、立宗宣言の後に正嘉の大地震が起きている。大聖人はこれを前相であると仰せられるのだ。ならば、本門の題目は一大秘法とはなり得ない。時系列的にはそのように理解する以外にないと思うのだが、いかがだろうか?

せっかくなので質問を続けよう。

 大覚世尊、仏眼を以て末法を鑑知し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。

曾谷入道殿許御書に一大秘法の語が出てくる。沖浦氏の引用はこの段の後半ないし次の一段に相当するが、まずは前回の摂受折伏の議論に関連して質問しよう。上掲には逆・謗の二罪との仰せを拝することができる。しかもそれは釈尊が仏眼で鑑知したものだとされているのだ。現在は大聖人の時代から相当に下っているものの、今もなお時代区分は末法のはずである。それにもかかわらず、なぜに折伏ではなく摂受を主張するのだろうか?

但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後・・・

沖浦氏引用の一節であるが、この直前には次のようなくだりがある。

其の所属の法は何物ぞや・・・
所謂妙法蓮華経の五字・・・


おそらく沖浦氏はこれをもって一大秘法は本門の題目であると言いたいわけなのだろう。

実は以前にも同様の議論があった。お忘れかもしれないが、その時の沖浦氏はかなり譲歩的な発言をしているのである。すなわち、一大秘法は本門の題目であると同時に本門の本尊でもある、と。

ともかく難しい議論であるから、わたくしも安易なことは書けない。

そこで次はわたくし自身も明快な答えを持ち合わせているわけではないことをお断わりした上で、沖浦氏にお聞きしたいと思う。

慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑑みたまふ。故に諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出だして要法を伝へ、末法の弘通と定めたまふなり。

ここは既掲の一大秘法云々をやや切り口を変えて御指南あそばしているくだりである。ようは一大秘法を誰に譲るのかという問題において、四大菩薩への付嘱を格調高く表現あそばしているのだ。問題は次である。

 問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。

わたくしはこれがわからないのである。もし妙法蓮華経の五字であれば、そのように書けば済む話である。なぜそのように書かれなかったのか、そこが問題である。この点、沖浦氏の見解を伺いたいと思う。

なお、念のために言っておくが、わたくしはこれを直ちに法主直伝の口伝相承だと言いたいわけではない。むしろ雰囲気的には煩瑣になるので省略しているだけのように思える。いずれにしても簡単には書けないのだろう。つまり、単に妙法蓮華経の五字で片付く話ではないのだ。


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