2020/7/8

アクウン  
今日は顕正新聞第1510号を読んでいくが、その前に沖浦氏のコメントで気になった点があるので触れておこう。

 少し御書を引用します。

 『在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 末法の始めとは現代の事です。
 純縁(順縁)なのです。


純円と順縁を混同しているのではあるまいか?

ましてや純縁などという世間でも使わない言葉を間に挟んで、いったい何を考えているのだろうかと思う。言いたいことは他にもあるが、ともかく純円=順縁の根拠を明示すべきだろう。それができなければ沖浦氏の所論はデタラメであることが確定する。

顕正会本部 東側道路沿いに正門開設
 第三青年会館も本部棟の東に建つ


さて、これが顕正新聞当該号のトップ記事である。完成予想図がデカデカと掲げられているが、実に壮観である。

 今回、産業道路側に東正門が新設されるが、その広々としたスペースには「富士大石寺顕正会本部」と大書された大標識タワーが聳え立ち・・・

とは言え、ご覧の文章を読むと思い半ばに過ぎるものがある。

たぶん過去の拙稿にもいろいろと書かれているはずであるが、今は記憶のままに書くことにする。もともと顕正会の本部は都内にあった。最初は文京区の音羽である。残念ながらわたくしはその時代を知らない。次に板橋区のときわ台に移った。たぶん音羽時代は単に本部と呼んでいたはずで、ようは浅井先生の自宅が拠点になっていた。ときわ台に移転した時、初めて本部会館が建った。しかし、その建物はもう存在しない。
最初の本部会館は今となっては驚くほど小さな建物だった。もしかしたら全国に建っている地方会館よりも小規模だったかもしれない。当然、顕正会が大きくなるにつれて新たな本部会館が求められた。そこで建てられたのが現在の東京会館である。
問題はここからである。今でこそ東京会館と呼称しているが、そこが顕正会の本部だったわけであり、もちろん組織が大きくなるにつれて手狭になってきたのは事実ではあるものの、そこからなぜに現在地に移転したのかがナゾなのである。これについては諸説があるようだが、わたくし自身はまったくわからない。
ともかくである。現在の本部会館は幹線道路から引っ込んだところにあって、決して好立地とは思えなかった。そして当時、幹線道路沿いには空きの物件があった。それを顕正会が借り受けた。いわゆる最初の青年会館である。しばらくして顕正会は大標識タワーを建てた。
ところがオーナーと何らかのトラブルがあったのだろう。賃貸契約が途中で破棄されることになった。賃貸の場合、契約終了の時には原状回復が必要となる。必然的に大標識タワーも撤去することとなった。

じゃっかん補足したい。

青年会館開設と同時に大標識タワーが建てられたわけではない。数年後、顕正会は百万を達成した。その記念として建てられたわけである。それが先ほども書いたように契約終了と同時に撤去を余儀なくされたわけである。

この間、足掛け二十年の歳月が流れている。

当然、例の空き物件は老朽化が著しかったのだろう。他に借り手もいなかったものか、上物は取り壊された。そして土地が売りに出されたのだと思われる。
わたくしはもう何年も現地に行っていないので様子はわからないが、おそらく周辺は顕正会村の様相を呈しているものと想像される。すると買い手はなかなか見つからないだろう。そんな土地を買う物好きはなかなかいない。必然的に顕正会が買い取ることになった。
いや、もちろん最初のオーナーと顕正会の関係は険悪だったはずなので、直接の取り引きではないのかもしれない。ようは別の誰かが買って顕正会へ転売するという形だったのかもしれない。すべて推測である。

いかにも黒歴史の雰囲気が濃厚な話ではある。

黒川検事長失脚と検察庁法改正断念に見る政権の末期症状

一面下段には法務部長が細かい字でびっしりと記事を書いている。具体的なフォントサイズはわからないが、顕正新聞掲載の通常の記事よりも小さいのは間違いない。この狙いは何だろうか?

ただでさえ活字が多い。それが顕正新聞である。読書好きの人には苦ではないにしても、それ以外の人たちには苦痛である。わたくしの実感では活動会員たちにしてもぜんぶの記事を隈なく読んでいる人は少ないと思う。ましてや似たり寄ったりの文章が並んでいるものだから、普通の感覚であれば読んでいてウンザリするはずなのである。

 予想を超えた世論の反発と支持率急落に怯えた結果であろう・・・

それはともかく本題に入ると、なぜに法案の成立を断念したのかについて、法務部長はご覧のように書いている。たぶん彼も承知しているはずであるが、断念にはもう一つの理由があるのだ。

賭けマージャン問題発覚
      突然の失脚


厳密には、断念が五月十八日、問題発覚が五月二十日、ということで時系列的にはツジツマが合わない。弁護士ゆえにそこを気にしたのか、あるいは文脈的に煩瑣になるので省略したのか、その辺は本人に聞いてみないとわからないが、週刊誌の発売日以前に記事の内容をつかむことくらい、政権中枢の人たちならば容易だろうと想像されるのだ。現政権は世論の反発などどこ吹く風であって、今までどれだけゴリ押しを行なってきたかを考えれば、今回だって例外ではないはずである。ゆえになぜに断念したかを考えれば、単なる世論の反発や支持率低下だけでなく、そこに文春砲が加わることによるトリプルパンチが強烈であると悟って、先手を打ったのだろうと思われるのだ。

いざという時に難を逃れる悪運の強さがあった・・・

法務部長は安倍政権がなかなか倒れない理由について、ご覧のように書いている。なるほど、そうなのかもしれない。ある意味、前述はその片鱗をあらわしているのだろうとも思われるわけだ。

 何より、ここに来て、これまで数々の難を逃れてきた安倍政権の悪運が尽きてきた感がある。

問題はここである。常識的には来年の秋には総裁の任期が終わって、そこで禅譲なり何なりして役目を終わるのだろう。いろいろあったものの、超長期政権として歴史に刻まれるのは間違いない。

ところがである。このところ今秋の解散総選挙がささやかれていて、もしそうなると話が複雑になる。

安倍政権がかなり弱体化しているのも事実であるが、同時に野党勢力も相当にアヤシゲな状態なのである。それが今回の都知事選に如実にあらわれている。何しろ野党が一致結束できず、現職が圧倒的な票数で再選してしまったからである。はたしてこれがそのまま国政に反映されるのかどうかはわからないが、ともかく今の状態で総選挙をやったらまたも自公政権が勝ってしまう可能性が少なくないのである。すると安倍首相の不敗神話がよりいっそう強固なものとなり、ヘタすると今後もずっと安倍政権が続くかもしれないのだ。もはや独裁である。

さらに言うと、小池都知事も実は国政復帰を画策している、なぜならば女性初の総理大臣を狙っているからだ、という話がある。わたくし自身は懐疑的だが、そういう話も現実に取り沙汰されているのである。

政界はまさに一寸先は闇の世界である。

今日は筆が滑ったかもしれない。


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