2020/7/9

ケツジョウ  
ダイアリー氏に申し上げます。沖浦氏の件は決して容認ないし放置してきたわけではなく、再三再四にわたって注意勧告をしてきたという事実があります。

https://white.ap.teacup.com/ganko/2747.html

これが一例でして、ようするに言っても聞かないのです。早い話が沖浦氏はどうしようもないクソジジイなのですね。

ただ前回の拙稿で指摘した純円と順縁の例を見ればわかるように、沖浦氏は多少なりとも己の間違いを自覚しているわけですから、まったく理解力がないわけではないのです。その意味ではこちらが粘り強く説き伏せていくしかないのだと思います。もしそれが面倒臭いと思われるのであれば、議論に加わらなければいいだけの話です。実際、拙ブログのコメント欄はほぼ特定の決まった人たちしかおりませんので、ヘンなことを言うようですが、現時点で投稿している人たちはよほどの変わり者なのですね。

かく言うわたくし自身がいちばんの変人でして、だからこそ十年以上にわたってこのようなブログを継続することができたのだと思っております。個人ブログは続かない人が多いですからね。まあ、こんなところでご納得いただければ幸いです。

さて、顕正新聞の続きである。

 今や全世界を的とする総罰により・・・

婦人部第一総部長(東北)はご覧のごとく言うわけだが、ずいぶん迷惑な話である。大聖人に背き続けた結果としての総罰ならば、まずは日本がその中心とならなければおかしいだろう。この点を顕正会員たちはわかっているのだろうか?

女子部第十一区長(首都圏)は偉い。簡単に言うと、大聖人は大師子吼、浅井先生は師子吼、と区別している。最近は女子部がいちばんマトモである。

一天四海の広宣流布

男子部第百五十四隊長(近畿)の記事に驚いた。なぜならば一天四海は日蓮系全般で昔から使われてきた用語と思われるが、わたくしの記憶が正しければ顕正会の中ではまったく聞いたことがなかったからである。意味的には一閻浮提とほぼ同義なのだろうか? いずれにしても一般人には馴染みのない言葉であり、創価学会が好む世界広布みたいな表現のほうがわかりやすいのかもしれない。

「これこそウィルスによる中国の侵略ではないか!」

婦人部第十総部長(首都圏)の発言である。詳細に調べたわけではないが、ネット上には武漢風邪だとか武漢肺炎みたいな表現があって、わたくしの漠然とした印象では右翼系の人たちが好んで使っているような気がしてならない。しかし、前にも書いたはずだが、世界的に見るとアジア圏は感染者ないし死亡者が極端に少ないのである。ゆえにもし仮に発生源が中国武漢だとしても、日本はさほど侵略されなかったことになるわけで、むしろ欧米諸国のほうがベラボウにダメージが大きいのである。この点、顕正会員たちは認識が甘いようであるが、いかがだろうか?

ゴルフ場勤務で池田大作の傲慢見た!

婦人部高崎支区組長(群馬)の記事である。実はこれ、三月十六日の拙稿に出てくる話なのだ。あの時は支区部長の登壇記事だった。今回は本人が登壇している。

 私は東京のゴルフ場でキャディをしていたときに池田大作に付いたことがありましたが、何をしている人か知りませんでした。

ようするにずっと後になって顕正会に入って、そこで池田大作氏のことを知ったわけである。あの時のあの人物だと。しかし、ゴルフ場ではそれこそたくさんのお客さんを相手にしているわけだから、そんな昔の客のことを記憶しているのはおかしな話である。いや、逆に記憶に残るくらい物凄くイヤな客だったということなのだろうか?

それはともかく、わたくしは次のくだりがわからなかった。

 また、一人でプレーするお客さんはおカネになりません。

意味不明である。この部分はむしろ消してしまったほうがよかったのではないかと思う。

それからこれは誰に求めるわけでもないが、池田氏がそのゴルフ場に通っていた頻度がどれくらいか、ご存知の人がいれば教えていただきたいと思う。なぜならば浅井先生は人嫌いなのかどうか知らないが、ほとんど外部との交流がない。ところが池田氏は世界中の有名人と交流がある。実際に世界中を旅して、世界の識者たちと会っているし、当然ながら世界中の創価学会員と会ったりもしている。国内はいわずもがなである。つまり、池田氏がそう頻繁にゴルフ場に通っていたとは思えないのである。

 すると班員から突然電話があり、対象者がすでに決定しているとのことで、すぐさま入信勤行の運びとなりました。

最後は婦人部君津支区班長(千葉)の記事である。メインは夫の臨終についてなのだが、それは省略させていただく。たぶん上掲は顕正会関係者しか意味のわからない文章だと思う。

対象者がすでに決定・・・

対象者はタイショウシャだろう。決定はケツジョウと読むのだと思う。

ようするに班員が誰かを折伏したわけである。その相手を対象者と呼ぶのだ。そして決定だが、ようは折伏を受けた対象者が入信の意思を固めることをケツジョウと表現するのである。

顕正会特有の表現をどのように考えるべきなのか、ひじょうに難しいところである。もはや内部の人たちは感覚がマヒしてしまってわからないわけだが、わたくしはわりと敏感である。つまり、これら顕正会用語は、一般の人たちには単に意味不明なだけではなく、顕正会という宗教団体が物凄く異常に思えてしまう可能性を秘めているのだ。この点の自覚も必要だろう。


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