2020/8/31

ギリ  
今回の議論はこれで一区切りとする。ヨコヤリが入らず、その点はひじょうに有意義だった。

大沢氏から日霑上人と日開上人の御説法をご紹介たまわった。

言わんとしていることは、日達上人の御指南は上述の二人の上人の系譜に連なるものであって決して己義ではない、という趣きなのだろう。

極論すると上述二上人も間違っている、とわたくしは言いたいところなのだが、それを言ってしまうと話がややこしくなるので、別の角度から言わせてもらうことにする。ズバリ、背景が異なるのだ。かつての上人たちは篤信の人たちに向かってのみ御説法をされていた。ところが日達上人の場合は創価学会という圧力団体を相手に説法されていた。ゆえにそこに歪みが生じてしまっているのである。

いや、もちろん、当時の創価学会は正しかったという見方もあるだろう。その点は十分に承知しているつもりだが、結果的には大謗法団体に堕してしまった。

あの時点では正しかったのだから何の問題もない。

当然、そのような意見もあるわけだが、早い話がすでに当時から創価学会には慢心があった。少なくともその萌芽があった。それを見抜いていたのが浅井先生だった。残念ながら今の宗門はこの点にはまったく触れず、創価学会を大謗法団体だとして斬り捨て、同時に顕正会をも斬り捨てているのである。

これらの経緯を踏まえると見えてくることがある。

つまり、日達上人の御指南はくだんの二上人の純粋なる御説法とは相当に趣きが異なるものであり、いわば創価学会を庇うための詭弁だったのだ。この点の反省が足りず、なし崩し的に根源の事の戒壇などという、もっともらしい教義体系にまとめ上げている点が問題なのである。

ここまでの話はいわば歴史認識の問題であるからして、実際には議論百出でキリがないのかもしれない。では純粋に教義の問題として捉えるとどうなるか、ここからはそのような角度から書きたい。

仏法の邪正は経文の明鏡に依る。

今朝、拝読していた北条時宗への御状に出てくる一節である。大沢氏のコメントは膨大を極めるものの、御書の引用がほとんどない。上掲の御文が示すごとく、最終的には御書の明鏡によるべきが筋にもかかわらず、今の宗門では歴代上人の御指南を並べてそれで満足してしまっている。さらには公開されない秘伝があると言って満足してしまっている。

ここでの問題は秘伝の真偽ではなく、すでに公開されている大聖人の種々の御指南との整合性である。もし秘伝の内容が御書と真逆のことを言っていたらどうするのだろうか?

この点を踏まえて制定されたものが日興上人の御遺誡のあの一条なのだろう。あえて引用するまでもない。

二上人すら間違っていると書いたのはこのためである。

そしてわたくしの根拠とする御書は言わずもがな三大秘法抄である。ここでは思い切って省略形でご紹介しよう。

戒壇とは・・・戒壇を建立すべき者か。・・・事の戒法と申すは是なり。・・・戒法のみならず・・・戒壇なり。

事の戒法とは何か、このことで思索を巡らせた人がどれだけいるのだろうか?

実はそんなに難しく考える必要はないのだ。戒壇も戒法も同じである。つまり、事の戒法と申すは是なり=事の戒壇と申すは是なり、なのである。その理由も単純明快である。大聖人は重複表現を好まない。同じ言葉が続く時にはあえて表現を変えるのだ。類例はいくらでもある。

此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に・・・

この一節に迷っている人が多いのかもしれない。先ほど書いたように戒法=戒壇である。すると、戒壇が建っていないのになぜに戒法立ちて後と仰せられるのか、その意味がさっぱりわからない人がいて当然ではある。

そこで登場するのが義理の戒壇である。

大聖人の直接の御指南に義理の戒壇は存在しない。三大秘法抄・一期弘法抄はいずれも事の戒壇を御指南あそばしている。しかし、義理の戒壇という概念がないと御法門としては整合しない。日寛上人が偉大なのはこの点を踏まえて教義体系を構築したことである。

御書に戻ると、三大秘法抄の前半に注目すべき一節がある。

・・・実相証得の当初修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。

まさか久遠元初のその昔に戒壇が建っていたと考える人はいないだろう。むしろその意味からすると、当該御文は戒壇ではなく戒法としたほうが理解しやすい。これがまた先ほどの戒壇=戒法の傍証にもなるわけである。

おそらくはまだ説明が足りていないところもあるとは思うが、こんなところで終わりにしたい。

2020/8/29

チンチャク  
昨日、安倍首相の辞任会見が行なわれた。これについてはこの先いくらでも書く機会があるだろうから、今日のところは何も書かないことにする。

さて、大沢氏からのコメントである。

氏は常に冷静沈着であり、その態度・振る舞いには敬意を表するものであるが、内容的にはとうてい肯ずることのできないデタラメさである。いや、もちろん、宗門側の論客としては第一級であり、きわめて模範的なことを書いているのだと思われる。その意味では氏がデタラメなのではなく、やはり宗門がデタラメなのだろう。

なお、ここでハッキリしておきたいのは、わたくしは必ずしも顕正会側の論者ではないことである。昭和四十年代の種々の浅井発言について、たぶん会員たちには言えないことをここに明言しておこう。先生も未熟だった。ゆえに当時のことは武勇伝として語られるものの、今現在、当時の書籍はほとんど非公開になっている。第一回の記念すべき宗門諫暁書にしても池田会長あてのそれにしても、今は容易に入手することができない。わざわざ書籍として再刊する必要はないにしても、テキストデータとして誰もが読めるようにすることは可能なはずなので、ぜひそうするべきである。

完全主義者の先生としては恥ずかしくて見せられないのだろう。もちろん、それとは別の理由として、当時の事情に精通していない人が読むと誤読する可能性があるので、それを心配している意味もあるのだろう。

諸々の法相は所対によって異なると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものではなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直ちに「事の戒壇」と定義せられたのである。

まさに典型的な事例である。

所住の法体の「事」に約す? まったくの意味不明である。これは先生が未熟なのではなく、宗門の主張がデタラメなだけなのかもしれない。それに先生は付き合っているのだ。

顕正会的には、猊下の御徳に傷をつけないように留意しつつ池田会長を破折している、ゆえに当時としてはこれがギリギリの線だった、というような説明になるのかもしれない。

 「あんた、二座の観念文には何とある。『事の一念三千』とあるでしょう。戒壇の御本尊は事の御本尊です。だから、その御本尊まします所は事の戒壇なのです」

基礎教学書からの引用である。この日達上人の発言に対し、浅井先生は次元が異なると一蹴した。いや、もちろん、一蹴は言い過ぎであるが、今日的にはそう言っても差し支えないだろう。つまり、浅井先生的には所住の法体の事に約す云々をデタラメとわかっていたものの、当時の状況からすれば日達上人に恥をかかすことなく池田会長を責めるためには、あのように書くしかなかったのかもしれない。

後年(昭和50年)、総本山第四十三世日相上人が残された日寛上人の御指南に関する古文書や、総本山第五十二世日霑上人、第六十世日開上人の「所住の法体の事に約し給う」御指南が明らかになるにつれて、「法体に約す事の戒壇」が、日達上人がにわかに仰せになったものではないことが明らかになります。

後年と書いているところが悩ましい。なぜに最初から出さなかったのかである。もっとも日開上人の御指南は最初から出していたわけだが、当初は出典をボカシた状態だった。

歴代上人の具体的な御指南については言及を控えるが、ここでわたくしが言いたいのは後年の別の意味である。つまり、大聖人がまったく仰せられていないことを後年、それもかなり後になって云々しているのが問題なのである。

寿量品の事の三大事

大沢氏の長文のコメントから見い出せるのは、ほぼ唯一これのみであろう。これを根拠に戒壇本尊所住を事の戒壇とするのは牽強付会も甚だしいところで、もし大聖人が御覧になっていたらバカかオマエはとおっしゃるに違いないのである。この直前には、理を案じて義をつまびらかにせよ、と仰せられている。先日来、わたくしの言っている何となくを連想させる云々を流用すれば、まさに義理の戒壇を彷彿とさせるくだりである。とは言え、それも厳密には間違いである。ここでの仰せは、道理に立脚して思索しなさい、というくらいの意味であり、その思索材料として次に重大な仰せをあそばすのである。

此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。

これはかなり踏み込んだ仰せであり、御相伝書を除いた時にはほぼほぼあり得ない御指南である。ご存知のごとく、大聖人は上行菩薩の再誕であることを匂わすものの、なかなかズバリとは仰せられなかった。ゆえにかつてどこぞの大学教授は、この御書を偽書と主張していたくらいである。

上掲に続く御文の中に例の寿量品の事の三大事が出てくる。これは文脈上、三大秘法を言い換えたものと拝するべきで、ここで大聖人が仰せられていることは御自分の仏法の正統性に他ならない。

煎じ詰めれば、それは戒壇の大御本尊に他ならない。宗門的にはそのように言いたいわけなのだろう。

わたくしはそれを否定しない。

ただし、それが直ちに戒壇本尊所住を事の戒壇とする根拠にはならない。完全なる論理の飛躍であり、単なる連想・思い込みに過ぎない。

対他の破折として、「本門寺の戒壇を建立すべきは富士山」という、事相の事の戒壇が表に出るのは当たり前で、曼荼羅御本尊正意・御戒壇様が根源というのは当宗僧俗としては常識・前提の類なのかもしれません。

ここでかなりイジワルなことを言わせてもらうと、なるほど、当宗僧俗としては常識・前提の類とおっしゃる、つまりは内部規定ということですね、となるだろう。

念のため、繰り返し書いておこう。

わたくしも戒壇本尊本懐の立場である。法華講員から見ればイヤなヤツにしか映らないかもしれないが、立場的には同じである。しかし、戒壇本尊の所住が事の戒壇であることの根拠はどこにもない。これを何度でも強調しておきたいのである。

2020/8/25

ウリフタツ  
大沢氏より貴重なコメントを頂戴した。世間一般の常識からすれば穏便に振る舞うべき場面であるが、今回はかなり激烈な内容になるだろう。

わたくしは数年来、宗門の戒壇論はデタラメである、と言ってきた。

この意味からすると前回の拙稿はかなり妥協的に思えたかもしれない。しかし、それは表面的な読み方であって、基本的には何も変わっていない。戒壇論については顕正会のほうが遥かにマシである。問題は最近の対宗門における破折の切り口であり、それがいかにもヤクザっぽい感じがしてよろしくないのである。具体的には、もし〇〇だったらどうするんだ、どう責任を取るんだ、みたいな手法がいけないのである。

(「元妙信講問題について」73頁・「第一回正本堂建設委員会 猊下御言葉の要旨拝考」昭和四十七年三月二十六日 宗務院教学部)

さて、そこで今日は大沢氏が提示してくれた上掲について、わたくしなりの切り口で破折させていただくことにする。

現時における事の戒壇とは本門戒壇本尊所住の処即ち事の戒壇の意である。

まず、これに驚いた。現時における云々は正本堂訓諭に出てくる文言であり、昭和四十七年四月二十八日付となっている。ところがひと月前に同じ文言が宗務院教学部から出されているのである。すると気になるのはそれ以前にも存在するのかどうかであるが、差し当たっては調べる術がないので話を進めよう。

わたくしの思うに上掲の後半は、・・・即ち義の戒壇の意である、とするのが正しいだろう。

その事壇と一期弘法抄、三大秘法抄の事壇とは意義において当然相通じている。

理由はここにある。こんなデタラメな文章はない。単純化すれば、AとAはイコールである、と言っているに等しいからである。そんなの当たり前であり、なぜにそんな当たり前のことを言う必要があるのか、その必然性がまったく見い出せない。ゆえに最初の文章を修正すべきなのである。最初の一文が、義の戒壇の意である、となっていれば続きの文章は次のごとくなるだろう。

その義壇と、一期弘法抄・三大秘法抄の事壇とは、意義において当然相通じている。

これならば、AとBはイコールである、という文章になる。これならば、なぜにAとBがイコールなのか、という具合に話が続くのである。

三大秘法抄に「今日蓮が所行乃至事の三大事」と仰せたまう大聖人の御魂魄たる本門戒壇の大御本尊がおわしますところ法体の事の戒壇であり、一期弘法抄、三大秘法抄等は事相の事の戒壇である。

まさに、AとAはイコールである、というデタラメを前提に論じているから、このような結論になるのだ。

上掲、冒頭に三大秘法抄の引用があって、後半にも三大秘法抄が出てくる。ところが後半には具体的な引用がない。ようするに事相戒壇は説明しなくてもわかるからだろう。逆に前半は説明しないと誰もわからない。ではその説明の妥当性はどうなのか?

本門戒壇の大御本尊ましますところ法体の事の戒壇?

まったく説明になっていない。ただ単に、日蓮が所行・・・事の三大事、という引用から何となくを連想させるだけのことであり、それ以上の何物でもない。そもそもここでの法体とは戒壇の大御本尊のことを意味するわけなのだろう。ならば、大御本尊がおわしますところ法体の事の戒壇とは、AがおわしますところAの事の戒壇、と言っていることになる。デタラメもいいところだ。

法体の事なくして広布の暁の事相の事壇はありえない。

当たり前のことである。念のために書いておくと、ここでの「法体の事なくして」は、戒壇の大御本尊なくして、の意味であり、戒壇の大御本尊ましますところが事の戒壇という話ではない。

また事相の事壇がいかに高広厳飾を極めつゝもその根本は法体の事に由来する外の何物でもない。

ここでの法体の事も同様だろう。ちなみにこのくだりは正本堂という建物にこだわる池田大作氏を暗に批判している意味が読み取れるわけだが、当時の状況からするとそこまでの意図はなかったのかもしれない。

いま戒壇の本尊の御威光益々光顕して数百万の民衆の正法帰依と不惜身命の信行あってまさに事相の戒壇の実現を望むの感ある時、正本堂の建立寄進となる。

ご覧のごとく、数百万の民衆云々とある。ゆえに前掲が池田批判を含意していることは考え難い。

従って正本堂はまさに一期弘法抄の戒壇の意義を含んで未来の広布にのぞむ現時の本門事の戒壇というべきである。

ここがまさに一ヶ月後の訓諭と瓜二つである。

わたくしの結論は、現時における事の戒壇とは義の戒壇の意味に他ならない、というものである。すでに書いたように、事の三大事というフレーズから何となくを連想させるだけの話であり、もっと言えば、事の三大事というフレーズを悪用して錯覚させている、ということになるだろう。御書のどこを探しても、戒壇の大御本尊ましますところを事の戒壇とするような御指南は存在しない。

ここまで言うと、オマエは御書の表面しか読めていないのだ、御書を深く読んでいくと文はなくとも義があることがわかる、などと反論するかもしれない。

文はなくとも義がある。これが答えである。

戒壇の大御本尊ましますところは義理において事の戒壇に相当する。これを義の戒壇と称してきたのである。それがいつの間にか事の戒壇にすり替わってしまった。

宗門はこれを修正することなく、このままズルズルと行くつもりなのだろうか?

2020/8/23

セイリ  
顕正新聞の続きを見て行こう。

 そこに先生の・・・
 との大師子吼が千鈞の重みで胸に迫り・・・


婦人部杉並支区部長(首都圏)の記事である。今や婦人部系がいちばんダメである。

「正本堂が事の戒壇、本門寺の戒壇と称して何の不思議があるのでありましょうか」

今度は副総男子部長・第二総部長の記事である。彼は群馬県の覚王寺の講頭代行と法論した時の模様を伝えているが、上掲は昭和四十九年八月の日達上人の御発言なのだそうである。

どうやら現在の法華講では、かつては行き過ぎやはみ出しがあった、だが昭和四十七年の正本堂訓諭以降にはそれがない、というふうに主張しているらしい。顕正会ではそれを打ち破るべく、それ以降の発言を隈なく調べたのだろう。その成果が上掲ということらしい。

まあ、しかし、上掲に限って言えば、それほどの逸脱には思えない。顕正会が過剰に言い募っているだけのような気がする。

日達上人だってバカではない。前言と矛盾するようなことを繰り返していたら、最終的には支離滅裂で誰にも信用されなくなる。ゆえに発言の整合性にはかなり気をつけていたはずであり、それを踏まえて善意に読み取るならばそんなにおかしな発言には思えないのである。何しろ正本堂は広宣流布の暁には本門寺の戒壇となるべき大殿堂なのであるから、そうした訓諭の延長線上の発言としてはわりと当たり前のことを述べているに過ぎない。

顕正会としては、それをそのまま認めてしまうと話が終わってしまうので、ああでもないこうでもないとイチャモンをつけている。そんな印象が否めない。

ここで整理をしておこう。

顕正会のマズさはいつまでも正本堂問題に拘泥していることである。もちろん浅井先生の気持ちとしては、落とし前がついていない、ゆえに、落とし前をつけてやる、ということなのだろう。
それはわからなくもないが、問題とすべきは現時点での間違いである。今の宗門は間違っている、現時点で間違いを犯している、としたらどうだろう。そこを徹底的に責めるべきなのである。
しかるに顕正会では昭和四十年代の話に遡って、どうのこうのと言っているわけである。それをまったくの無意味とは言わないが、今現在、宗門が唱えている邪義をしっかりと破折すべきが本筋だろう。

さて、ここまで読んでどのように感じただろうか?

簡単な話である。もしかしたら今の宗門はけっこうマトモであり、顕正会の立場としては叩く材料がないのかもしれない。もしこれが事実ならば顕正会の存在意義はすでに失われていることになる。オワコンである。それでは困るので、過去の話をほじくり返している。客観的にはそういうことになるだろう。

いや、もちろん、戒壇論を云々するにおいては、正本堂問題を抜きにしては語れないのも事実である。ただ世間普通の義から言っても、時効が成立するような昔の話よりも今現在の話のほうが耳目を集めやすい。ここは浅井先生にとっては盲点なのか、あるいは過去の栄光にしがみつきたいのか、その両方か、よくわからないところである。

極論すれば正本堂問題にはまったく触れずに、現時点で宗門が出版している教義書に対して、間違いを指摘していけばいいのである。これがいちばんシンプルであり、かつ最強と言えるだろう。

「関快道」と法論

男子部第八十九隊支隊長(茨城)の記事に付された見出しの一部である。茨城の人間が本山塔中の僧侶とどうして法論になったのかと思いきや、電話でのやり取りだった。

なるほど、宗門僧侶が顕正会を迷惑がるのも頷ける。支隊長クラスが電話を掛けてくるということは、それこそ各方面からたくさんの電話が掛かってくることが想像される。寺院への直接訪問もしかりである。ゆえにしばしば話に出てくる警察を呼ぶ云々も当然の措置かもしれない。

 また関は「コーラン、聖書、身延の書物も読み、自分の宗教を客観的に見ている」などと言ってきた・・・

支隊長は続けて次のように書いている。

 この男には謗法に対する潔癖性など全くなく・・・

顕正会だって同じだろう。末端会員はそれでいいにしても、ある程度の幹部になったら破折のために勉強する必要がある。それとも何も読まずに破折できるのだろうか?

 私が「細井日達の発言も現憲法の時、なんで今は勅宣・御教書は不要と言い切れるのか」と重ねて問い詰めたところ・・・

端折った引用で恐縮だが、顕正会幹部のゴリ押しには辟易する。この直前で御住職は次のように言っている。

「それは未来の大理想としてだ」

これを支隊長は、矛盾きわまる言いわけ、と書いている。

本人は自覚がないのだろう。いつも言っているように、議論は相手の発言を善意に解釈するところから始まるのだ。そうでなければ議論にならない。自分の言いたいことだけを強弁するのは、議論ではない。

御住職は勅宣御教書を不要と言っている。支隊長は日達上人の発言を引用し、御住職の主張を間違いであると断じた。それに対する反論が上掲なのである。

ぜんぜん矛盾していない。

極論すれば正本堂問題にはまったく触れずに、現時点で宗門が出版している教義書に対して、間違いを指摘していけばいいのである。これがいちばんシンプルであり、かつ最強と言えるだろう。

再掲である。何の再掲かと思えば、拙稿である。上のほうで書いたことを今一度強調したいがために太字にした。

結局、今の顕正会は日達上人や日顕上人の過去の発言を持ち出して、イチャモンをつけているだけなのである。今回の場合は勅宣御教書の要不要について、日達上人の御発言を引き合いに出して御住職をやり込めようとした。ところが、未来の大理想としてだ、とあっさりと返されてしまった。

本筋を間違えているのである。勅宣御教書の要不要を云々するのであれば、もっと真面目な論証が必要である。そこがわかっていないのではないかと思う。

2020/8/20

コクジ  
いくつかコメントを頂戴しているが、今日はいきなり顕正新聞の話題に入りたい。

「20年代こそ広布の決戦場」特集号

第1514号は六月二十四日に行なわれた総幹部会の模様を伝えている。まず第一面を読んでいて気になったのは、次のくだりである。

私は平成2年4月、阿部日顕に対し「正本堂の誑惑を破し、懺悔清算を求む」と題する一書を阿部日顕と池田大作に送付した

これは明らかにおかしな文章である。こんなものを特集号として広く配布するのは狂気の沙汰である。

ちなみに二面からは会長講演の本文が載っていて、上掲に相当する部分を確認すると、そこではマトモな文章になっている。すると第一面のそれは編集部の誰かが書いたことになるのかもしれないが、なぜに修正されずに印刷されてしまったのか、そこが問題である。前にも書いたように、おそらくは顕正新聞の編集部もやる気がないのだろう。惰性でダラダラとやっているのだ。

七月から新しい前進

さて、会長講演である。この段ではコロナ対応として、今まではオンラインでのビデオ放映を中心にやってきたが、七月から徐々に集会を開いていくとの方針を示している。

講演の後半では第二波・第三波に言及しており、実際、浅井先生の見通しはかなり正鵠を射ている。何しろ七月に入ってから感染が再び拡大し始め、今となっては四月のピーク時よりも深刻な状況を迎えているからである。

 安倍政権はいま緊急事態宣言を解除し、経済活動に舵を切らんとしているが、新型コロナはそんなに甘いものではない。

先ほども書いたように、六月二十四日時点での発言である。

 「疫病もしばらくは止みてみえしかども、鬼神返り入るかのゆへに、北国も東国も西国も南国も、一同に病みなげくよし、きこへ候」

先生は弘安元年十月の上野殿御返事を引用した上で、次のごとく言っている。

 この仰せを拝すれば、今の新型コロナウィルスも、いったんは収まったように見えても、第二波・第三波があって長引くことになるかもしれない。

優れた見識である。

ただ少しイヤミを書いておくと、「〜かもしれない」が浅井先生らしからぬ弱々しさである。大聖人の御指南を絶対と信ずるならば、「長引くことは確実です」と発言してもよかった。それならば、浅井先生の予言が当たった、と言えたのである。

いや、もちろん、これはイヤミであって、上掲はごく普通の感覚からすればまったく問題のない発言である。

やや余談になるが、当該御書を確認して驚いた。

八月・九月の大雨大風に日本一同に熟らず・・・

ご存知のように、八月に入ってからは猛暑に苦しめられているが、逆に七月の段階では日本各地で豪雨による水害に見舞われていた。その意味で本年は弘安元年の状況と酷似しているのかもしれない。

話を戻そう。

七月から新しい前進をするとのことだったが、その後の状況に鑑みた時、この方針はどうなったのだろうか? まさか政府の何とかキャンペーンのようにゴリ押しが行なわれたのだろうか?

 私は前々から、二〇年代こそ広宣流布の決戦場であると、思い定めておりました。
 そのわけは、正系門家の御遺命違すなわち大聖人様への師敵対が、すでに極限に達している。もう日本は保たないと感じていたからであります。


これはどうかと思うところである。具体的には、前々からとは何年前からを意味するのか、そこが問題である。なぜならば平成九年の諫暁書でも平成十六年のそれでも、日本は亡ぶと言っているからである。あるいはその前にも人類滅亡を云々しているわけで、ようはずっと同じことを言ってきたわけである。その意味では前々からとも言えなくはないのだが、しかし、それらの文証を調べて行けば、インチキがバレることになる。なぜならば、以前は必ずしも二十年代とは言っていなかったのだ。どこかで都合よく変えたのである。

 池田が日顕を猊座から引きずり下そうとして「相承なき詐称法主」と罵れば、日顕は池田の法華講総講頭職を剥奪し・・・

時系列がデタラメである。もっとも話を圧縮しているだろうことが窺えるので、この場合は細かい前後関係は問うべきではないのかもしれない。

池田と日顕には大御本尊への信が無かった

池田氏の話はどうでもいい。日顕上人の件では素朴な疑問がある。今回の講演では日顕上人に信心がないことの根拠として、山崎正友氏の話を持ち出しているのだ。わたくしの印象ではそれよりも河辺メモのほうがインパクトが強いと思うのだが、今回はまったくそれに言及していない。なぜなのか、ひじょうに気になるところである。

 6月4日には、三浦半島で原因不明の異臭騒ぎが起きた・・・

話が飛んで恐縮だが、最近では珍しく地震のことに詳しく言及している。上掲はまだしも次が注目である。

 「私は数年以内に、相模トラフと南海トラフで超巨大地震が発生すると考えています」

立命館大学特任教授の高橋学氏の発言だそうである。

 まさに巨大地震の連発がいよいよ始まるのです。

これは浅井先生の発言である。わたくしの思うに、これも決戦場云々と似たインチキ臭さである。平成十六年の諫暁書に巨大地震の連発を予言した。それが平成二十三年の東日本大震災としてあらわれた。ようするに巨大地震の連発はすでに始まっているのである。一つには熊本地震がそれだろう。浅井先生のイメージがどんなものか知らないが、地球レベルの時間感覚からすれば数年ないし十年置きでも連発と表現して問題ないはずなのだ。結局、先生の狙いとしては、いつなのか、それは今である、という切迫感を演出したいだけなのだろう。

2020/8/16

カクシタ  
逃げているのはどちらか? おそらく常識的な答えは次のようになるだろう。

日達上人と日顕上人は浅井先生から逃げている。浅井先生は大草氏から逃げている。大草氏は顕正会の教学部から逃げている。

ごく単純に、格下の相手とは戦いたくない、負けたら恥になるから、というのが普通の感覚ではないかと思う。また、大将同士の戦いも回避される傾向がある。古い話だが、馬場と猪木の関係がそれだろう。さらに直近の都知事選も似たような意味がある。何しろ地上波では一度も討論会が行なわれなかったのだ。これが小池氏に有利に働いた。もし地上波の討論会が実現していれば、結果が違っていたかもしれない。小池氏の化けの皮が剥がされていたかもしれないからだ。

以前も一度ご案内しましたが、youtubeに
「顕正会・浅井昭衛 遁走の歴史その全経過!心ある顕正会員は目を醒ませ」
(約20分)がアップされていますので、興味のある方はご覧ください。


改めて視聴させていただいた。

そこで再認識したことは、大草氏と浅井先生の電話でのやり取りが、この上なく貴重だということである。

この電話の中でも先生自らがいわゆる浅井武勇伝を語っている。細井管長と池田大作を訂正せしめた云々と。

しかし、そこには大きな問題がある。

浅井先生の言っていることはおおむね事実なのだろう。けれどもそれらはすべて文書の記録なのである。そこが現代的には物凄く弱いのだ。

逆に大草氏と浅井先生のやり取りは音声という現代的には相当の説得力を有する記録であり、これを顕正会員が聴けば動揺しないはずがないのである。やや大袈裟に言えば、日達上人や創価学会の首脳部を悉く論破してきた浅井先生が、なんと大草氏とのやり取りではタジタジになっているのだ。あれ? おかしいなあ? もしかしたら浅井先生の御遺命守護って、過剰に美化されているだけなのではなかろうか?

もっともタジタジは少し言い過ぎかもしれない。第三者が聴けばどっちもどっちと感じるのではないかと思う。

いずれにしてもである。浅井先生の肉声がこのような形で残っていることが貴重なのである。音源は相手が握っているのだから、どうしようもない。まさか捏造とは言えないだろう。

さて、顕正新聞の続きである。

・・・驚くほど素直な入信が叶いました。
 勤行が終わると、壮年は私たちに対し、「是非この広告文を部屋に貼ってほしい!」と言ってきたので・・・


男子部第百七隊支隊長(東北・北関東)がヤバそうなことを発表している。通常、入信勤行は会館で行なわれる。近くに会館がない場合、自宅拠点で行なう。また特例的に入院患者で外出が困難な場合、病室で行なうこともある。上掲はいずれにも該当しないと思われる。普通に読めば、入信者のお宅で入信勤行が行なわれたと読めるのだ。すると、この支隊長は普段から御本尊を持ち歩いていて、相手が会館ないし自宅拠点へ行くことを渋った時には、その場で入信勤行を執り行なっていることになりそうである。

「全日本人に大聖人様の立正安国の大師子吼を聞かしめん」

男子部第十二総部長(東北)の記事である。どうやらカギカッコの意味は自分なりの要約ということらしい。悪くないと思う。いつも言っているように、浅井先生の大師子吼などと言うからダメなのである。大聖人の大師子吼ならば何の問題もない。

横浜医大

婦人部富士見支区組長(首都圏)の記事に出てくる表記だが、今現在、この名称は存在しない。ただし、かつては横浜医科大学の名称が存在したらしいので、もしかしたら年配の人たちには通用する言い方なのかもしれない。すると横浜在住のわたくしであるが、案外に若輩の部類に入るのかもしれない。まったく馴染みがないからだ。ちなみにこの登壇者は男子部第六総部長の母親なのだそうである。

近所の学会員が一人で多数の聖教新聞を取ることへの違和感・・・

婦人部今治支区(愛媛)の平会員である。この人は六十三年間も創価学会にいたらしい。

学会の会館に行けば入り口に阿部日顕の「踏み絵」が置いてある・・・

ようは不信感を募らせていたわけなのだろう。そのタイミングで顕正会の折伏を受けたと。

踏み絵が事実ならばとんでもない話である。しかも逆効果だと思う。創価学会員の多くはわりと常識人であるからして、おそらく踏み絵には抵抗を感じるはずなのだ。

ところで前掲の多数購読だが、顕正新聞の多数購読問題はどうなったのだろうか? いわゆるブーメラン的な記事にも思えるところである。

 「じいちゃんが葬儀場から家に戻って来たんだけど、すんなり口が閉じて、寝ているみたいだよ!」

女子部第四十七区総班長(福島)の記事で疑問に感じた部分である。登壇者の祖父が亡くなったのは病院である。ゆえに病院から葬儀場へ運ばれたのだと考えられる。それがなぜに自宅に戻って来たのかがわからない。

勝手な推測をすれば、エンバーミングのためだろう。

記事には葬儀の詳細が書かれていない。ゆえにまったくの推測であるが、もともと自宅での葬儀を希望していたのだと思われる。しかし、遺体の状態が芳しくなかったので、どうしても処置をする必要があった。それで一旦は葬儀社に預けて処置をしてもらった。

これは死者を冒涜するつもりで書いたのではない。文章を普通に読めば、上述のように読み取れてしまう。ただそれだけの話である。

2020/8/15

シセ  
まず前回分のコメント欄には、晃氏の短文がある。これが短すぎて伝わらない。もう少し丁寧な説明が必要だろう。

すると前々回分に、大沢氏からコメントが寄せられた。これは逆に懇切丁寧であり、頭が下がる。

いくら浅井会長でも、誰も何も言わない表現を創造しないでしょうから・・・

わたくしも大沢氏同様、以前は浅井先生の口から、月のごとくなる光り物、というフレーズをよく耳にしていた記憶がある。それがいつの間にか、ツキノゴトクヒカリタルモノ、と変化した。イヤらしい見方をすれば、あるいはずっと勘違いしていたものをこっそり修正した、というのが真相かもしれない。

前々回分には元顕正会員の方からのコメントも寄せられている。

そもそも誓願とは自ら誓いを立てて祈願するものだから誓願を低くするのは懈怠である。こう言うと会員は「先生は我々の事を思って...」とか言ってきそうだが、それはある意味そうだろうと思う。顕正会は浅井家の収入源だから会員離れによる衰退は絶対に避けたいところだから。
又、浅井会長にとっては道楽のようなものでもあるから誓願未達なんて格好悪い事は望んでなく、誓願達成して総幹部会で良い顔しながら喋りたいのだろう。


現在のお立場がどうなっているか知らないが、当然ながら遠慮会釈のない厳しい指摘である。

さて、ここからはいつもの作業である。今日は顕正新聞第1513号を取り上げる。

末期症状の安倍政権 観察

法務部長・藤村雄大氏の記事である。当該号はこれが第一面を飾っている。浅井先生ではなく、浅井総男子部長でもない人が、こうしてトップ記事を任されるのは異例のことだが、わたくしの個人的な感想としては悪くないと思う。いつまでも浅井家の個人商店ではいけない。

記事の内容には特に触れない。まさかいつまでも安倍政権が続くわけでもあるまいし、問題は次の政権である。直近では立民と国民との合流が話題となっているが、さすがに政権奪取の機運が高まるまでには至っていない。

六月度総幹部会において・・・

二面には四人の幹部が記事を書いているわけだが、いずれにも上掲のような文言が入っている。実におかしな話である。

なぜならば六月度総幹部会の報道は翌号だからである。

新聞報道は時系列が大事である。倒置法を用いる必要はまったくない。それなりの事情があるにせよ、いかがなものかと思うところである。

まるで解散処分の直前に、大聖人様が諸天に申し付けられるその御声すら聞こえてくるようで・・・

女子部第二総部長の発言は意味不明である。

これら浅智にして無道心の畜生が「止施」の御意を現身に味わう時も遠からず・・・

これも同一人物の発言であるが、言っている意味はよくわかるものの、現実的なシナリオとしてはどのような状況を想定しているのか、そこが気になるところである。

例えば法華講員が挙って顕正会へ移籍する。これが事実となれば相当だろう。しかし、現実はどうだろうか? 逆に顕正会から法華講へ移籍する人たちもいるわけで、その差し引きがどうなっているのか知らないが、公平に見ればドッコイドッコイのはずだろうから、なかなか難しい話だと思う。

また、イヤミながらもこの人は職業幹部なので、僧侶たちが干上がれば相対的に自分たちが潤う、という手前ミソの話をしているだけのことなのかもしれない。

久遠元初以来の国家的大変動が起こるこの時に・・・

これも問題かもしれない。

文証として残っているかどうかはご容赦いただくとして、浅井先生はかつて池田大作氏の発言を痛烈に批判していた。こんな感じだ。久遠元初以来の壮挙? これでは大聖人の御在世をすっ飛ばしてしまって、まるで大聖人よりも自分のほうが偉いみたいじゃないか?

第二総部長ばかりを目の敵にするつもりはないのだが、もう一つだけ紹介しておこう。

大聖人様から諸天以上の御叱りをも蒙る・・・

もちろん前後の文章を踏まえて読めば言いたいことはわかるのだが、それにしてもどうかと思うところである。

寄生虫 破折論文

三面から四面の四分の一ほどを法務部次長・教学委員の肩書きで、菅原克仁氏が健筆をふるっている。

宗門僧俗の中には、大草が「代人」として対決に応じることを期待していた者も少なからずいたことであろう。

細かい話は抜きにして、わたくしが興味を持った部分を拾わせてもらうと、まずは上掲が気になるところである。

平成十七年、浅井先生は日顕上人に対決を申し入れた。先生はこの時、日顕上人でなくてもいい、誰でもいいから決着をつけよう、と迫った。ところが宗門側は対面法論ではなく、邪義破折班が書面で応じた。

改めて上掲を読むと、ずいぶん大草氏も出世したものだなあ、と思う。いや、正確には違うのだろう。顕正会側が勝手に祀り上げているのだ。そして大草氏が出てこなかったことを敵前逃亡だと言いたいのである。

わたくしの感覚では、日顕上人の代理を大草氏が務めるのはおかしな話である。筋から言えば、僧侶の中から然るべき人物を選んで代理に立てることになるのだと思う。実際、対面法論ではなかったものの、邪義破折班が書面で応じている。実質的に彼らが日顕上人の代理を務めたわけである。

そこで問題は次である。

 ちなみに、大草は、昨年十二月末、浅井先生との法論を要求する書面を顕正会本部に送りつけるというパフォーマンスを臆面もなく行った。そこで、本年一月、顕正会教学部は、分を弁えない大草の愚行を窘めつつ、教学部が法論の相手をする旨を回答したところ、大草は黙り込んでしまった。とんだ「お笑い草」である。

事実関係が気になるところである。

 往々にして害虫というのは、殺虫剤を浴びてから命終するまでの僅かな間、断末魔の苦しみゆえに人間が想像し得ない動きをするものである。

キョウレツな文章である。

 大草一党には人間らしく、また、早瀬管長の手によって直々に追放されるのを待つのではなく、自らの判断で速やかに宗門から出て行くことを促したい。

大きなお世話だろう。

イヤミを言えば、遥か昔に細井管長の手によって直々に追放されたグループの末裔が何をぬかすか、ということになりそうだ。

2020/8/6

コウジュンカン  
ヅラ系氏からコメントをたまわった。おそらくは同一人物と思われるが、氏は拙ブログの初期によくコメントを下さっていた人である。その後、まったくコメントは残されなくなったものの、どうやら覗きには来られていたようである。

関快道の敗北を誤魔化す「慧妙」の
悪足掻きを粉砕す


今日もいつものごとく顕正新聞から話題を拾って行く。法務部次長・教学委員の肩書きを持つ菅原克仁氏による破折論文である。はっきり言って、面倒臭くて読む気がしない。そこで結論部分だけを紹介して簡単に済ませてしまおう。

 ここに「慧妙」令和二年二月一日号に掲載された関の痴文に端を発する今般の法論が、「顕正会の勝利・宗門僧俗の敗北」という形で完全決着したことを宣言する。

・・・だそうである。

次は第二十婦人部長(中国)の記事である。

大石寺にはツアーで一度行ったが・・・

宗門に二十年、いた人の話らしい。これが事実ならば登山の強要はウソとなる。

第二十二婦人部長(福島)の記事には次のようなくだりがある。

・・・先生の諫暁に、直ちに感応した諸天の働きとひれ伏し、

安倍政権についてである。しかし、何度も言っているように、これはかなりインチキな話である。何しろ浅井先生はずっと前から安倍政権の崩壊を云々していたのである。ぜんぜんタダチニではない。

大石寺の御開扉が六月三十日まで休止となっていると法華講員から聞き・・・

第十七婦人部長(静岡・山梨)の記事である。しかし、ご存知のように、むしろ七月以降のほうが感染が拡大している。この休止は延長されたのだろうか?

「どうせおカネがかかるんでしょう?」と聞くと、店長から「うちは高いよ!!」(笑)と言われた・・・

これは男子部第十八隊班長(首都圏)の記事であるが、引用範囲が不適切であることをお断わりしておきたい。店長云々は忘れてもらって、法華講員が信心を勧めているシーンを思い浮かべればいい。するとどうだろう、いかにも顕正会が安いみたいなイメージを懐かせる話に思えてくるはずなのである。しかし、それにしてもである。うちは高いよ、などと言うものなのかどうか、そこが気になるところではある。

ただ逆に言うと、顕正会よりも遥かに良心的なのかもしれない。

最初にハードルを高くしておくことが、である。顕正会の場合はハードルを低くする。お金は掛からないと。しかし、現実には単なる金銭的な負担では済まないほどの過酷な活動が待っている。また、今はどうだか知らないが、かつては顕正新聞の多重購読の問題があった。つまり、金銭的にも相当に負担があるのだ。だったら最初にそれを言うべきだろう。それを言わないのは一種の詐欺に等しい。このように考えると、上掲のやり取りがいかに良心的であるかが、わかるのではないかと思う。

ともかくお金の話は難しい。

高級品であれば高くて当然である。安いとすれば何かしらの欠陥があるのだろう。これが直ちに宗教に結びつく話なのかどうかは微妙であるが、いわゆるサービス産業の範疇で考えても同じことが言えるだろう。高い店はそれだけの自信があるから高いのだ。安くするのは自信がないからである。

しかし、まったく同じ商品ないし同じサービスであれば、安いほうを選ぶのが消費者としては自然な心理である。ましてや暴利を貪っていると思えるようなところは敬遠するのが普通だろう。ゆえに僧侶には少欲知足が求められるわけだ。

いずれにしても顕正会にも職業幹部がいる。いわば僧侶と同じような立場の人たちが一定数はいるわけである。当然、彼らの生活を維持する必要がある。ぶっちゃけ、それなりの報酬がないと誰もやらないだろう。しかし、それが驚くほどの高給取りだとすればマズイことになる。いや、逆に誰もがそれを目指して頑張るという好循環を生むのだろうか?

まとまりのない話になってしまったようである。


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