2020/8/16

カクシタ  
逃げているのはどちらか? おそらく常識的な答えは次のようになるだろう。

日達上人と日顕上人は浅井先生から逃げている。浅井先生は大草氏から逃げている。大草氏は顕正会の教学部から逃げている。

ごく単純に、格下の相手とは戦いたくない、負けたら恥になるから、というのが普通の感覚ではないかと思う。また、大将同士の戦いも回避される傾向がある。古い話だが、馬場と猪木の関係がそれだろう。さらに直近の都知事選も似たような意味がある。何しろ地上波では一度も討論会が行なわれなかったのだ。これが小池氏に有利に働いた。もし地上波の討論会が実現していれば、結果が違っていたかもしれない。小池氏の化けの皮が剥がされていたかもしれないからだ。

以前も一度ご案内しましたが、youtubeに
「顕正会・浅井昭衛 遁走の歴史その全経過!心ある顕正会員は目を醒ませ」
(約20分)がアップされていますので、興味のある方はご覧ください。


改めて視聴させていただいた。

そこで再認識したことは、大草氏と浅井先生の電話でのやり取りが、この上なく貴重だということである。

この電話の中でも先生自らがいわゆる浅井武勇伝を語っている。細井管長と池田大作を訂正せしめた云々と。

しかし、そこには大きな問題がある。

浅井先生の言っていることはおおむね事実なのだろう。けれどもそれらはすべて文書の記録なのである。そこが現代的には物凄く弱いのだ。

逆に大草氏と浅井先生のやり取りは音声という現代的には相当の説得力を有する記録であり、これを顕正会員が聴けば動揺しないはずがないのである。やや大袈裟に言えば、日達上人や創価学会の首脳部を悉く論破してきた浅井先生が、なんと大草氏とのやり取りではタジタジになっているのだ。あれ? おかしいなあ? もしかしたら浅井先生の御遺命守護って、過剰に美化されているだけなのではなかろうか?

もっともタジタジは少し言い過ぎかもしれない。第三者が聴けばどっちもどっちと感じるのではないかと思う。

いずれにしてもである。浅井先生の肉声がこのような形で残っていることが貴重なのである。音源は相手が握っているのだから、どうしようもない。まさか捏造とは言えないだろう。

さて、顕正新聞の続きである。

・・・驚くほど素直な入信が叶いました。
 勤行が終わると、壮年は私たちに対し、「是非この広告文を部屋に貼ってほしい!」と言ってきたので・・・


男子部第百七隊支隊長(東北・北関東)がヤバそうなことを発表している。通常、入信勤行は会館で行なわれる。近くに会館がない場合、自宅拠点で行なう。また特例的に入院患者で外出が困難な場合、病室で行なうこともある。上掲はいずれにも該当しないと思われる。普通に読めば、入信者のお宅で入信勤行が行なわれたと読めるのだ。すると、この支隊長は普段から御本尊を持ち歩いていて、相手が会館ないし自宅拠点へ行くことを渋った時には、その場で入信勤行を執り行なっていることになりそうである。

「全日本人に大聖人様の立正安国の大師子吼を聞かしめん」

男子部第十二総部長(東北)の記事である。どうやらカギカッコの意味は自分なりの要約ということらしい。悪くないと思う。いつも言っているように、浅井先生の大師子吼などと言うからダメなのである。大聖人の大師子吼ならば何の問題もない。

横浜医大

婦人部富士見支区組長(首都圏)の記事に出てくる表記だが、今現在、この名称は存在しない。ただし、かつては横浜医科大学の名称が存在したらしいので、もしかしたら年配の人たちには通用する言い方なのかもしれない。すると横浜在住のわたくしであるが、案外に若輩の部類に入るのかもしれない。まったく馴染みがないからだ。ちなみにこの登壇者は男子部第六総部長の母親なのだそうである。

近所の学会員が一人で多数の聖教新聞を取ることへの違和感・・・

婦人部今治支区(愛媛)の平会員である。この人は六十三年間も創価学会にいたらしい。

学会の会館に行けば入り口に阿部日顕の「踏み絵」が置いてある・・・

ようは不信感を募らせていたわけなのだろう。そのタイミングで顕正会の折伏を受けたと。

踏み絵が事実ならばとんでもない話である。しかも逆効果だと思う。創価学会員の多くはわりと常識人であるからして、おそらく踏み絵には抵抗を感じるはずなのだ。

ところで前掲の多数購読だが、顕正新聞の多数購読問題はどうなったのだろうか? いわゆるブーメラン的な記事にも思えるところである。

 「じいちゃんが葬儀場から家に戻って来たんだけど、すんなり口が閉じて、寝ているみたいだよ!」

女子部第四十七区総班長(福島)の記事で疑問に感じた部分である。登壇者の祖父が亡くなったのは病院である。ゆえに病院から葬儀場へ運ばれたのだと考えられる。それがなぜに自宅に戻って来たのかがわからない。

勝手な推測をすれば、エンバーミングのためだろう。

記事には葬儀の詳細が書かれていない。ゆえにまったくの推測であるが、もともと自宅での葬儀を希望していたのだと思われる。しかし、遺体の状態が芳しくなかったので、どうしても処置をする必要があった。それで一旦は葬儀社に預けて処置をしてもらった。

これは死者を冒涜するつもりで書いたのではない。文章を普通に読めば、上述のように読み取れてしまう。ただそれだけの話である。


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