2020/9/4

キョウリョウ  
大沢氏から引き続きコメントを頂戴しているが、今日のところは簡単に片付けさせていただく。

圧力団体云々は批判が出るだろうことを承知で書いた。大沢氏からではなく、むしろ創価学会系の人物が何かしら苦情を言ってくるのではないかと予想していたわけだが、現状、拙ブログにコメントする物好きはそう多くないようである。

ともかくである。第一回目の宗門諫暁書には創価学会批判が書かれていて、結果を見ればそれらは的を射ていたことになる。また、表立って発言はしなかったものの、旧来の法華講員たちから見ても創価学会の傍若無人ぶりは明らかだった。これらの事情をすべてひっくるめて圧力団体と書いたわけだが、それと同時に、実は浅井先生にしても創価学会の功績を認める発言を残しているのである。

つまり、話は簡単ではないのだ。教義上の問題にしても、いわば論者ごとの視点でいくらでも結論が違ってくるわけである。

さて、晃氏からは総括的なコメントを頂戴した。

戒壇とは、戒法を保つ僧侶社会のことですね
これは以前、巌虎さんと話した通りです

俳壇は俳句を読む人の社会
文壇は文豪の社会…

そしてこう読むときに、本尊 題目 戒壇で
仏 法 僧 が対応してることに気がつくと思います


これは音声入力なのだろうか? だとすれば、便利な世の中になったものである。

社会は世界と言い換えてもよさそうである。上掲は特定の場所だとか建物を意味するのではなく、構成人員が作り出す空間を示唆しているのだと思う。そこには物理的な境界線があるわけではないが、関係者以外には入っては行けない雰囲気がある。敷居が高いという表現もわりと近いかもしれない。

言わずもがなのことだが、晃氏が例示したものはすべて理壇を意味している。冒頭の僧侶社会もしかりである。

ところが大聖人は三国並びに一閻浮提の人ないし天上界の衆生が踏むべき戒壇と仰せあそばしている。これが事壇であることは論を俟たない。

なお、三大秘法と三宝との関係性については、わたくし自身も上掲のような思索をたびたび繰り返してきたものの、結論には至っていないのが現状である。

では通常運転に戻って、顕正新聞第1514号の続きを見て行こう。

池上本門寺に立ち寄り僧侶を破折・・・

第八婦人部長(首都圏)の活動報告である。婦人部独自で僧侶を破折するとは勇ましい。と言うのは、近年の傾向として正宗の僧侶が婦人部員や女子部員に絡んでくるのを振り払うために、しばしば教学委員が派遣されているからである。教学委員はほぼ全員が男子部所属のツワモノであり、カヨワイ女性会員を守るために全国各地で活躍している様子が、顕正新聞にもかなりの頻度で掲載されている。してみると、既成仏教が形骸化しているのは事実なのだろう。池上本門寺に僧侶が何人いるのか知らないが、その大半は教学をあまり学んでいない。ゆえに顕正会の活動会員が来ると対応し切れないのだろう。

 八丈島の広告文折込みの際、毎回、新聞を取っていない二百軒までも配達してくれる配達所の社長・・・

第八婦人部には八丈島在住の班長がいて、すでに十一回も新聞に折り込み広告を入れているそうである。現状、この費用は組織の有志で都合しているらしい。もちろん自分たちで勝手にやっていることだから、文句を言う筋合いではないのかもしれない。ただこれも本部のほうで何かしらのガイドラインを設けるべきだろう。何しろ顕正会はお金が掛からないのをウリにしている団体だからである。

さらに余計なことを書くと、今の顕正会の若者たちは新聞を取っているのだろうか?

例えば男子部女子部の四十歳未満を対象に聞きたい。一般紙を定期購読しているのかどうかである。わたくしの狭い見聞では今の若い人たちは新聞を取らない人のほうが多いらしいのである。この意味からすると、もはや新聞の折り込み広告は古い手法であって、あまり効果を期待できないと思われるのである。この点も含めて、本部として何らかの方針を示す必要があるはずなのだ。

 このたび婦人部からの要請を受け・・・

ちょうど真下の記事がこれだった。男子部第十五総部長(九州)は教学委員にも任命されている。そこで婦人部の要請を受けて鹿児島県霧島市の宗門末寺住職と法論をしたそうである。

 私が「正本堂訓諭より後に御遺命破壊の言辞があったらどうするか」と釘を刺したうえで・・・

以前も書いたように、これはあまりよろしくないと思う。このようなヤクザっぽい手法を使っているうちは、ダメなのだ。

ただ同時に、宗門側にも問題がある。

ようは自分たちの過ちを小さく小さく見せようとしている点がいけないのである。極論すれば、妙信講が正しかった、と言ってしまえば話はすぐに終わるのである。ただし、今の顕正会はおかしい、と付け加えることも必要である。

ここからが重要である。

これに対して顕正会側がどのように反応するかが問題である。おそらくは激昂するだろうし、自分たちの間違いを認めないはずなのだ。つまり、ここまで議論すれば顕正会の負けになる。宗門は正直に自分たちの間違いを認めた。対する顕正会は絶対に認めない。いや、もちろん、顕正会が完璧であって、何一つ間違っていないとすれば話は違ってくるわけだが、そうではないだろう。今や間違いだらけである。

 ついにはこの追及から逃れようと、顕正会の御本尊を誹謗してきたので・・・

顕正会の本尊複製疑惑である。

ここが間違いの最たる部分だろう。現状、この件でもヤクザっぽい対応をしている。ようは証拠があるなら持ってこい的な啖呵の切り方で誤魔化しているのである。

本筋的には時の御法主上人からたまわるべき、それが在家教団のあるべき姿だろう。ゆえに今からでも宗門に対して本尊下付願いを提出すればいいのである。そこで信徒以外には下付しないと言われたら、顕正会員全員で末寺に押し掛けて入信を願い出ればいいのである。そこで拒否されたら、日蓮正宗はなんと狭量な宗派なのか、ということになる。

かなり荒唐無稽なことを書いているとは思うものの、半分くらいは本気である。

つまり、ここから見えてくるものは顕正会の独立教団路線である。何しろ浅井先生の大師子吼というフレーズがまかり通るくらいなのである。大聖人より偉くなっちゃっているのだから、もはや御法主上人など眼中にないのだろう。

今日はここまでにしたい。


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