2020/9/7

キョウジュン  
沖浦氏の学無学を例にしての説明はなるほどそうなのかもしれないが、大聖人の仏法を信仰するという大前提からすれば説得力に欠けると思う。なぜならば常に原点は大聖人に存するからである。つまり、もし仮に折伏の意味内容が時代によって変遷することがあったとしても、必ず原点回帰が行なわれるのである。創価学会だって御書根本を掲げているわけである。だったら大聖人の仰せを捻じ曲げることはできない。

大沢氏から一度に大量のコメントを頂戴した。わたくしとしてはすべてに応じたいところだが、現実的には難しい。そこで一つだけに絞って申し上げたい。

浅井会長没後の顕正会は、二つの方向性しかないと思います。
脱大石寺か、逆に御宗門との和解に振れるか。


通常、他人様の亡くなった後のことを云々するのは不謹慎とされるわけだが、浅井先生は当てはまらないだろう。ようは一般人の範疇を超越しているからである。そこでわたくしも先生亡き後について書いてみたい。

わたくしの思うに、二つの方向性以前の問題として総男子部長に顕正会を統率するだけの力量があるのか、実はそこが大問題なのである。これはたぶん本人も自覚しているだろうし、周囲の幹部たちも心配していることではないかと思う。

顕正会に限らずあらゆる組織に言えることだが、通常、幹部たちは実力があるから幹部なのである。多くは自分の実力でその地位を獲得してきたわけである。ところが総男子部長の場合はかなり事情が異なる。いわゆる親の七光りで幹部になったと思われている。周りからそのように思われているフシがあるのだ。

ゆえにこれが先生亡き後、どのように作用するかが問題なのである。

もちろん総男子部長が会長を継いでもいいと思っている人たちもいるだろう。そういう人たちが心配しているわけである。彼で大丈夫だろうかと。

逆に実力でのし上がってきた人たちの中には、オレがオレが、と思っている人も少なくないはずなのだ。今は恭順を装っていても、先生亡き後はわからない。豹変する可能性は否定できないだろう。

このように考えると、二つの方向性を選択する以前に、大混乱に陥って崩壊することも考えられる。

また、それとは少し違う角度から書くと、先生が亡くなったと同時に大量脱会が起きる。

なぜならば、顕正会員は浅井先生と共に四キロの道のりを歩くことを夢見ているのであって、それはかなり無理な話であるとは承知しつつもその夢にしがみ付いている、という現実があるからである。つまり、広宣流布が達成されることなく先生が亡くなれば、その時点でゲームセットとなる。

以上、わたくしの視点がどこまで的を射ているかはわからないが、ある意味では大沢氏の指摘する、教祖のカリスマ性に依存、という部分に通ずる話であろうと思う。

拙ブログでは宗門と顕正会の和解を繰り返し提唱してきた。今のうちにやっておくべき最重要課題であり、おそらく今やらないと永遠にできないだろう。これが浅井先生に残された最大の責務である。

さて、いつものごとく顕正新聞の話題を・・・と思ったが、やめておこう。

上述の話を続けたくなった。

脱大石寺

前々回、独立教団路線と書いた。意味的にはほぼイコールと考えられるが、委細には異なる。もし仮に和解が実現すると、顕正会は日蓮正宗の傘下に入ることになる。かつての妙信講とまったく同じではないにしても、日蓮正宗の信徒団体という位置付けになるわけで、まさか対等合併のようなことにはならないはずである。今は教義上の対立があるので話は簡単ではないが、もしそれが解消されたとしても傘下には入りたくない。何しろ浅井先生はややもすれば大聖人よりも偉い存在だからである。いわんや猊下よりも下のわけがないのだ。ゆえに和解はしたくない。

ところがご存知のごとく、顕正会は冨士大石寺を冠している。全国のすべての会館に冨士大石寺を冠した看板を掲げている。富士と冨士の違いが法的にどのように解釈されるのか知らないが、ともかく看板に大石寺を掲げている以上、脱大石寺は困難を極める。ましてや顕正会の歴史は大石寺との関係性の上に成り立っている。

つまり、脱大石寺は自分たちの歴史をも否定する行為なのである。

ゆえに原理的には和解の選択肢しかないのだが、そこで顕正会側として譲れないのが戒壇論なのだろう。ぶっちゃけ言えば、宗門側に頭を下げさせたい、間違っていましたと言わせたい、その上での和解じゃないと呑めない、ということなのだ。

しかし、純粋に戒壇論だけ唱えていればよかったものを、この間にはいろいろなことをやらかしてしまった。本尊複製の問題もしかり、塔婆戒名の不要論もしかり、当然、日蓮正宗としても今の顕正会をそのまま受け入れるわけには行かないのだ。

疲れた。堂々巡りの議論である。


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