2020/9/17

ケイモウ  
今日は顕正新聞第1516号を取り上げていく。

コロナ急拡大の中、大洪水列島を襲う

一面の大見出しである。続いて写真が七枚掲載されている。すべて新聞社ないし通信社から提供を受けた写真である。甚だ不謹慎なことを言うが、当該号の目玉はこれらの写真であり、二面以降は退屈な登壇記事の羅列に過ぎない。

大師子吼

まず、二面をざっと眺めると、副総男子部長が二人登壇していて、いずれも大師子吼と書いている。続いて三面では、婦人部第四総部長(首都圏)が大師子吼と言っている。

ところが四面では、女子部幹部四人が登壇しているものの、そのうちの一人も大師子吼とは書いていない。このところ繰り返し言っているように、女子部がいちばんマトモである。

さて、五面である。

宮城の草分けの祖母が美事な臨終

男子部第百六十七隊長(首都圏)の名前を見て、この人は顕正会の会館を設計している人の子息なのだろうと思った。彼の祖母は昭和三十八年からの妙信講員らしく、このたび八十六歳で亡くなったという。この後、母親が別の号で同趣旨の登壇をしているので、またその時にでも取り上げたいと思う。

「国家破産はあり得ない」と慢心の壮年

男子部第七十八隊支隊長(首都圏)は法務部次長でもある。こうして支隊長の立場で活動報告をしている点が悩ましい。

経済オンチのわたくしには何とも言えない話であるが、素朴な疑問は株価である。コロナの問題が始まってから株価が大きく下がった。ところがしばらくして元に戻ってしまったのだ。今現在はコロナ前とほぼ同じ水準を保っている。この点の説明がほしいところである。

 私の祖母は戸田会長時代からの創価学会員で、・・・座談会、選挙活動、新聞啓蒙に人生をかけ切っておりました。

婦人部吹田支区班長(大阪)の登壇である。面倒臭くなったので、六面七面をすっ飛ばして、これが八面の最後の記事である。

座談会は一般的にも通用する言葉である。選挙活動も同様だ。ところが新聞啓蒙はどうだろうか?

顕正会ではこれを購読推進と言っている。極めてストレートだ。世間一般の言い方だと、新聞勧誘が普通と思われる。それを創価学会では新聞啓蒙と呼ぶ。完全なる創価学会用語である。

今は個人経営の飲食店が少なくなった。つまりはチェーン店ばかりである。ゆえに目にする機会も少ないわけだが、かつては個人の飲食店によく聖教新聞が置かれていたものである。店主に創価学会員なのかと問うと、いや、違うと言う。付き合いで取っているだけだと。そうした飲食店はサービスの一環として、主な新聞雑誌を一通り揃えていたりする。今とは違って携帯端末のない時代には、それが集客の必要アイテムだったのだ。聖教新聞にどれだけのゴリヤクが期待できるのか定かではないが、少なくとも創価学会員は聖教新聞を置いていない店より置いている店を選ぶだろう。

本来、新聞啓蒙の意味は、新聞を通して創価学会への理解を広げよう、というような感じだったはずである。ところが今はどうなのだろうか、啓蒙の意味を忘失してしまって、単なる新聞勧誘のノルマと化しているのではあるまいか?

これは失礼。余計なお世話だった。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ