2020/10/22

カケラ  
今日は顕正新聞第1519号である。鳥取会館の御入仏式を伝えている。

これが最後の思いで馳せ参じた一人ひとり・・・

同会館は山陰地方初の会館である。ゆえに隣県からも多数の顕正会員が馳せ参じたと思われる。そしてこれまでにも繰り返し指摘してきたように、これが最後云々がイミシンであって、早い話が浅井先生に直接お目に掛かるのは最後になるだろうと言っているわけである。

始めて×5

さっそく会長講演を見て行くと、例の表記がひじょうに気になる。何をそこまでこだわっているのかと思う。

山陰地方初の
  広宣流布の大法城


一面にも同様の文章があるし、会長講演の小見出しにもご覧のような表記がある。だったら始めてではなく、初めてにすべきだろう。

 いま南北朝鮮の境界線は38度線ですが、もし南北が統一されたら38度線はぐーっと南に下がって、対馬海峡が日本と朝鮮半島の境界線になってしまう。

アゲアシ取りに過ぎないのかもしれないが、恐ろしくデタラメな文章である。前半では南北朝鮮の境界線を云々しているのに、なぜか後半では日本と朝鮮半島の境界線の話になっている。

この住職が率いる僧侶の派閥は宗門で最大であった。

わたくしはいつも疑問に思っている。妙信講発足時の状況を伝える時には住職の名前を伏せている。そして御遺命守護のくだりでは名前が出てくるのだ。次が一例である。

そのような時、早瀬総監は終始、黙ったままであった。この人は人物が大きいのかどうかは知らんが、御法門には「われ関せず」という態度をとり続けた。

なぜに発足時には名前を伏せているのか、その理由がわからない。

何しろ最初から悪役として描かれているのである。妙信講は広宣流布への情熱に燃えていた。しかるに住職は信心のカケラもなく、宗内政治に明け暮れていた。
であれば、早い話が最初から最後まで悪役のままなのだから、隠す必要もないはずなのである。
それにもかかわらず発足時と後年の御遺命守護の時代は別々に描かれていて、事情を知らない人には同一人物であることがわからないようになっているのだ。

その理由がわたくしにはまったくわからない。

 口角泡を飛ばして論判したのは阿部信雄です。

早瀬総監と阿部教学部長はセットで語られることが多い。前掲との比較でも何となく想像はできるだろう。今は具体的な文言を紹介できないので恐縮だが、わたくしの脳内に残る過去の浅井発言からも窺うことができる。

ようするに議論においては阿部教学部長が難敵だった。早瀬総監はそれほどでもなかった。それが浅井先生にとっては今もなお強く焼き付いているわけなのだろう。ゆえに日顕上人への憎悪は半端なく強い。逆に早瀬総監に対してはそれほどでもない。

しかし、それとこれとは別である。先ほどの、なぜに妙信講発足時と御遺命守護の時代を切り分けて、当時の住職と後の早瀬総監が同一人物であることを隠すのか、その積極的な理由はどこにも見出させない。なぜなのか、説明できる人がいたら教えてほしいものである。

 ゆえに今、亡国の予兆たる巨大地震の連発は始まらんとし・・・

前にも指摘したことである。すでに巨大地震の連発は始まっている。それをご覧のように、あたかもこれから始まるかのように書くのは、一種の詐術なのかもしれない。

もし本人に自覚がないのだとしたら、今からでも改めるべきだろう。逆に自覚があるとしたら救いようがないわけだが、ともかくわたくしは何度でも指摘していくつもりである。

2020/10/17

モシュ  
今日は顕正新聞を読んでいこう。第1518号だ。

いよいよ次の一国諫暁が最後の諫暁、広宣流布への決定打・・・

女子部副部長の発言である。問題は何を指標とするかだと思う。決定打の語源を知らないが、例えば満塁ホームランであれば四点が入る。すでにそれまでに六点差があって、それに加えての四点だとすれば十点差となる。もはや逆転はあり得ない。野球を例に取れば上述のような感じかもしれない。では顕正会の場合はどうかである。結局のところ、何となく雰囲気で言っているだけであって、そこには明確なバロメーターがあるわけではないのだ。

夏の陽射しとサルスベリ

本部庭園の四季という連載がある。わたくしの率直な感想を言うと、文章は最上級である。これを書いている人は文才がある。ところがである。写真がヒドイのだ。イヤミのように聞こえるかもしれないが、図らずもこれが顕正会の実態を反映しているのだと思う。文章だけ読むと凄い。ところが写真にガッカリさせられる。理想と現実がかけ離れ過ぎているのだ。

七十九歳にして再就職が叶う不思議な体験・・・

女子部第二百二十一区総班長(大阪)の記事に出てくる話である。いろいろな意見がありそうなので一概には決め付けられないが、その歳になっても働かないといけないのか、大変だなあ、と思う人が多いような気がする。ゆえに、どうせならばどのような仕事なのか詳しく書くべきだったのではないか、と思った。おそらくはその仕事の内容によっても、印象がかなり違ってくるはずなのである。

自宅拠点の我が家で入信勤行を終え・・・

婦人部大宮北支区組長(千葉)の記事である。この部分だけ読むと、今は組長でも自宅拠点が持てるのか、と思ってしまうところである。

 入信より五十年・・・・

妙信講時代からの古参会員らしい。

問題は入信勤行の導師を誰がやるかだろう。組長がやってもいいのか、それともそれなりの幹部がやるのか、今回の記事ではそれが読み取れなかった。

目の前の生活費がいちばん大切ではないことにやっと気づき・・・

婦人部川口支区組長(首都圏)の言っていることは意味不明である。わたくしの読む限り、だったら何がいちばん大切なのか、それが示されていないように思うのだ。

失礼ながら先ほどの七十九歳で再就職した人は、早い話が年金だけでは生活できないから働かざるを得なかったのだろう。まさに目の前の生活費に事欠く状況だったと考えられるのだ。
かく言うわたくし自身は、差し当たって目の前の生活費がどうにか確保できているからこそ、こうしてブログを続けることも可能なのである。極端な話、ブラック労働的にこき使われている状態だったら、とてもじゃないがブログの更新もオボツカナイだろう。顕正新聞を読んでいるヒマもないかもしれない。
よって登壇者の言っていることは一時的な世迷いごとであり、実際に生活費が足りなくなればそんな悠長なことは言っていられなくなるはずである。

 題目を聞いたネギ
   主婦に大人気に


女子部第二百六十九区総班長(首都圏)の記事には、ご覧のような小見出しが付いている。当てずっぽうで恐縮だが、たぶん創価学会でも同様の体験発表があるはずだし、宗門でもあるかもしれない。よって上掲は一般人には意味不明であるものの、正宗系ではわりと通じる話なのだと思う。

ただし、これを養鶏養豚などに当てはめると悩ましいことになる。例えば題目を聴かせたブタがすくすくと育ってオイシイお肉になるとしよう。我々はそれを何の疑問もなくパクパクと食べるのだろうか?

わたくしは活きている魚を包丁で捌いたことがある。もちろん食べるためである。しかし、鳥や豚や牛は一度も殺したことがない。殺したことはないが、日常的にかなりの高頻度で食べている。

元身延僧の父、余命宣告で大聖人に帰依

婦人部津軽支区班長(青森・岩手)の父親についてである。これも悩ましい話で、ご覧の記述をそのまま理解すれば、身延僧の時は帰依していなかったことになるだろう。

 喪主である私の弟が身延派日蓮宗の僧侶のため、葬儀の一切は身延派の寺で執り行われ・・・

これがまた悩ましい。失礼ながら宗教ゴッコの域を出ていない、それが顕正会なのかもしれないと思う。

これまた当てずっぽうで恐縮であるが、もしこれが顕正会ではなく日蓮正宗そのものだったら話が違ってくると思う。その場合、日蓮宗から日蓮正宗へ改宗したことになるわけで、葬儀も日蓮正宗で行なうことになるだろう。それがもし仮に現実問題として弟の力が強くて日蓮宗で行なわれることになったとしたら、そもそもが日蓮正宗への改宗が実現しなかったことになるか、もしくは撤回ということになるだろう。

結論として、登壇者の気持ちがどうであれ、こうした記事は掲載を見送るべきと思う。謗法厳禁という謳い文句の上からしても、どうしてもチグハグ感が拭えないのである。

2020/10/12

ショウカ  
まず、このところの沖浦氏の投稿について、思うところを書いておこう。精力的に日向記の講義を連載しているが、これは沖浦氏独自の執筆なのかどうか、そこが気になるところだ。もし氏が単独で書いているのだとしたら、大したものだと思う。なるほど、長野県の大幹部からお墨付きを貰えるのも、頷けるところである。

ただし、その内容にすべて賛成するつもりはない。当然、問題を感じる部分については、指摘していくつもりである。

今回は講義とは別のコメントでヤラカシを発見したので指摘しておく。

 仏法は宿命論、他宗は運命論・・・・
 御書にも運命という言葉は出て来ますが僅かです。
 宿命は沢山出て来ます。
 運命と宿命、似た表現ですが思想の根本が異なります。


まず、沖浦氏は摂受路線を主張していたはずである。その意味からすると、上掲は脱線していることになりそうである。

ようするに宿命と運命とは根本的に異なると言いたいわけなのだろう。つまりは宿命論を唱える大聖人の仏法が勝であり運命論を唱える他の宗教は劣であるという、早い話が折伏を展開しているわけである。摂受路線はどうしたのかと言いたい。

しかし、ヤラカシはそこではない。

 御書にも運命という言葉は出て来ますが僅かです。
 宿命は沢山出て来ます。


再掲である。御書を真面目に読んでいる人ならばわかるだろう。すでにしてこの前提が間違っているのである。創価学会の公式サイトには御書全集の全文検索がある。そこで調べてみるがいい。

運命:二件、宿命:一件

これが結論である。相変わらずのオッチョコチョイだ。

宿習:二十五件、宿業:六件

むしろ大聖人の使用語彙としてはこちらのほうが多く、実際、この二語は創価学会員が言わんとしている宿命のニュアンスに近い言葉なのだと思う。

また、現代国語としてはやや古風な部類に属するとは思うものの、単に「業」という表現が今でも使われている。これは仏教用語が世間一般に浸透している例の一つと言えるだろう。これをくだんの検索に掛けると百九十四件もヒットする。実際には「業」の一語だけでなく、業を含む語彙がすべて網羅されているわけだが、いずれにしても使用頻度が高いことに変わりはない。それほどに重要な語彙なのだ。

ともかく運命論と宿命論で議論を戦わせる以前に、ようはスタート前にずっこけてしまって、まったく議論にならないのが沖浦氏である。

 日蓮は凡夫なり。天眼なければ一紙をもみとをすことなし。宿命なければ三世を知ることなし。

さて、ここからはオマケである。この閻浮提中御書に出てくる宿命は、創価学会員が好む宿命とは意味が違う。それは文脈からしても明らかだろう。

而れども此の経文のごとく日蓮は肉眼なれども天眼・宿命□□□□日本国・・・

続きの御文である。大聖人の常の御論法そのままと言える。前掲で日蓮は凡夫なりと一旦は謙遜あそばしており、ここでも肉眼なれどもと繰り返されている。この辺がいかにも大聖人っぽいところである。

それはさておき、□が問題である。

当該御書は保存状態が悪かったものか、判読不能の文字がたくさん存在する。現存する御書の中ではワーストワンかもしれない。

天眼・宿命をもって日本国・・・

判読不能ながらも前後の文脈からの類推でご覧のような読み方をするようである。平成新編ではいわゆるルビとして四文字を当てはめている。

ところがである。

 願はくは我が弟子等師子王の子となりて群孤□□□□ゝ事なかれ。

ここではルビを振っていないのである。

通常、群孤に笑わるゝ事なかれ、と読んでいるはずで、御書全集では判読不能とせず、そのまま本文として掲載しているくらいなのである。それがなぜにご覧のような表記となったのだろうか?

群孤に侮らるゝ事なかれ・・・
群孤に怖づるゝ事なかれ・・・


字数だけで考えればご覧のような表現もあり得るのかもしれないが、いずれにしても最新の研究がどうなっているのか、気になるところではある。

仏眼の流布せしやう・・・

話が前後して恐縮だが、先ほどの宿命云々の続きにはご覧の一節がある。ここは全集も新編も同じ表記となっている。ただし、少し不審がある。ようするに文脈的には仏眼ではなく、仏法か仏教、もしくは仏経くらいが妥当と思われるのである。

しまった。今日も顕正新聞を消化できなかった。

2020/10/4

ソッキン  
今日は最初にハラダ氏のことを書いておこう。氏の言っていることはわりとマトモである。わたくしを含めて拙ブログに集う人々が社会不適応者であるか否かは簡単には決め付けられないことだが、一つの目安としては投稿頻度で判断することができる。なるほど、である。

もし四六時中にわたって投稿している人がいれば、よほどの暇人である。もちろん、それもさまざまのケースが考えられるが、一つにはいわゆるニートかもしれない。あるいは年金生活者かもしれない。もしくは大金持ちで働く必要がない人なのかもしれない。

ハラダ氏としては、わたくし自身が自虐的に自分で自分を社会不適応者であるかのように書いているのを見て、それは違うと言ってくれているのだと思う。

何しろわたくしは一日に一回しか投稿しないからである。

ところがコメント欄では一日に複数回、いや、そんな表現では済まないくらいの高頻度で投稿している人がいる。ゆえにそちらのほうがよほど社会不適応者ではないかと、いわば弁護してくれているのである。

世の中は多様な働き方があるのに、旧態依然とした仕事観しかない方なので、大したことはありません。

大沢氏のこの発言も相当である。ただし同時に、純粋に投稿頻度を見た時にどのように映るか、という問題があるのも事実だろう。

さて、顕正新聞第1518号である。

当該号は七月度班長会の記事がなんと二十七本も載っており、いつもながらウンザリするばかりであるが、まずは総男子部長の発言から紹介しよう。

しかも顕正会三百万が一結しての、先生の三度目の大規模な一国諫暁であれば・・・

大規模云々がイミシンである。実は昭和五十年代にも一国諫暁を行なっている。ゆえにツッコミを恐れて大規模と書いたのだと思われる。つまり、小規模の一国諫暁を含めると、三度目ではなく四度目になってしまうからである。

それはさておき、上掲は浅井先生が明言しなかったことを言っている。すなわち先生は三百万の暁に一国諫暁をするとは言っていないのだ。それにもかかわらず、ここではハッキリと、三百万達成後に行なうことを言っているわけである。

今後の変化にも注目すべきだが、一つのパターンとして考えられるのはいわゆる二十年代の捨象である。客観的にはもはや二十年代に事を決するのが困難になりつつある。ゆえに今後は徐々に二十年代を言わなくなり、三百万だけを強調するようになる。いずれは三百万が達成されるので、二十年代云々をなかったことにすれば丸く収まる。

ようするに顕正会はすでに矛盾だらけなのだが、その時点でいちおうツジツマが合っていればよしとする、いわば場当たり的な考え方である。近視眼的な活動会員たちはこれで納得させられてしまう。

広布最終段階を迎えたことを確信・・・

副総男子部長の発言である。これも繰り返し指摘してきたことだが、最終段階が始まってからどのくらいの年月が経つのか、そこが問題である。やはり近視眼的な活動会員たちは騙されてしまうのだろう。

側近として重用してきたこと・・・

第十八男子部長(首都圏)が言っているのは、日顕上人が山崎正友氏を側近として重用してきた、ということである。この事実関係が悩ましい。猊下の側近が在家信徒という構図がなかなか思い描けない。かつて弁護士だった時代においては、その特別な立場を利用して猊下に近づくことが可能だったのかもしれない。もちろん日達上人の時代の話である。ではその後、弁護士の資格を失って、いわば一信徒に過ぎなくなった正友氏がどうして猊下の側近たり得たのだろうか?

残念ながら、浅井先生自体が外部と没交渉ゆえに、何かしらの勘違いをしているのだと思う。

昭和四十年代には宗門の高僧や創価学会の大幹部とまみえる機会がたくさんあった。ところが昭和五十年代以降はそうした機会もなくなり、いわば勝手な妄想をたくましくしているだけなのではあるまいか?

総合婦人部長の記事を拾っておこう。

いま決戦場に至った・・・

圧倒的戦力の中国の侵略は遠い将来ではなく、二〇年代の決戦場と確信・・・


ようするに三百万すらも待っていられないという切迫感があるわけで、先ほどの総男子部長とはかなり見解が異なるように思える。ただし、最後のほうで次のごとく言っている。

仏弟子三百万に猛進するのみ・・・

やはり三百万達成の暁に一国諫暁をするつもりなのだろうか?

もしかしたら先生の言っていることがコロコロと変わるので、大幹部たちもなかなか順応できないのかもしれない。

それはともかく、である。

大師子吼

相変わらず好きだなあ・・・

ところで副総合婦人部長であるが、今回は大師子吼とは言っていないようである。すると以前のわたくしの推測は間違っていたことになる。ようは副総合が大師子吼と言うものだから、総合も言わざるを得なくなっている、というのがわたくしの推測だった。それが今回は当てはまらないようである。

しかし、副総合は次のようなことを言っている。

いよいよ「国立戒壇建立」へのカウントダウンが始まった決戦場の戦いに・・・

何を言っておるものかと思う。

かつての浅井先生は、あと〇〇年、が得意のフレーズだった。ところがあまりにも予定が狂い過ぎて発言どおりにはならないので、言わなくなってしまった。その意味で上掲のカウントダウンは有名無実である。実際、具体的な数字が示されていないのだから、なおさらである。

先生の最後の国諫までに三百万を成し遂げん・・・

婦人部第三総部長(首都圏)のこの発言も悩ましい。何しろ先生は、しかるべき時、としか言っていないからである。こうした漠然とした目標に向かって活動することを、迷走と呼ぶのだろう。

まあ、しかし、大幹部たちもツライところだ。

たぶん登壇するにあたってはいろいろと表現に工夫を重ねて、そこには自分らしさをアピールする目的もあるのだと思う。ところが拙ブログではそれを逆手に取って、言っていることがバラバラで統一感がない、という感じで結論づけてしまっているのである。

実際、かなりアゲアシ取りの雰囲気があるとは自覚するものの、同時に、けっこう真面目な批判のつもりで書いているのも事実である。

2020/10/3

シオメ  
改めて書いておこう。重複質問にはお答えし兼ねる。拙稿をよく読めば答えが出ている場合もある。よって、ご自分で文献に当たった上でよく思索し、それでもわからない時には再質問されるといい。先般の、序列ないし順不同の問題は前回・前々回の拙稿に尽きているので、それをよく読まれるべきである。さらに関係があると思しき御書をよく拝読すべきだろう。その上で自分なりの結論をぶつけてくるのであれば、わたくしとしても応じようがある。

さて、顕正新聞である。

安倍政権の悪政は必ず裏目に出る・・・

男性女子部員の記事に出てくるわけだが、これはずいぶん前にアゲアシ取りとは承知しつつも指摘したことである。悪政が裏目に出れば善政になると。すると拙ブログを参考にしたものなのか、それ以降は悪政が裏目に出るとは言わなくなった。ところが復活してしまった。

もっとも安倍政権も終焉したので、今後はスガ政権に対してどのようなことを言うのか、そこが注目されるところである。

次は婦人部富岡支区総班副長(群馬)の記事である。

毎月、神奈川会館で開催される集会は、家に帰り着くのは真夜中になりましたが・・・

臨終を迎えた父親のことをあれこれと書いているわけだが、年齢が不明ながらも婦人部員さんの父親なのだから、すでにそれ相応の高齢者と考えられる。はっきり言って、若い人だって群馬から神奈川まで行くのはカッタルイことであり、帰宅が深夜になるのであれば、なおさらのことである。会員の密度が高い関東圏でこのテイタラクなのだから、おそらく地方になるともっと過酷な状況なのだろう。ここは少し考えないといけないと思う。

婦人部鳥屋野支区総班長(新潟)の記事では、市会議員の入信を伝えている。

「顕正新聞には理解できない言葉もたくさんある」

議員のところには毎月顕正新聞が送られてくるそうで、隅から隅まで読んでいるらしい。いわばその感想が上掲である。

専門用語的なものが理解できないのは当然にしても、おそらくは顕正会特有の言い回しみたいなものが理解を妨げているのだろう。拙ブログで繰り返し指摘してきたことである。

ちょっと気になったのは、毎月なのか毎号なのか、である。記事が正しければ、いわゆる特集号の時だけ送っていることになりそうである。いや、しかし、むしろそれは面倒臭いことであって、毎号送ったほうが機械的には簡単なはずなのだ。

ともかく読んでいるか否かは不明だが、全国津々浦々、市町村レベルの議員にも顕正新聞が送られている。そして顕正会の活動会員たちが訪問折伏で顕正新聞を配る。あるいは駅前で配布する。これが日本中で行なわれているのだ。もちろん、活発な地域とそうでない地域との格差があって、顕正会の存在がほとんど認知されていない場合もある。しかし、少なくとも議員たちは知っている。すると一般人よりも、むしろ議員たちのほうが早く顕正会に馳せ参じてくることになるのだろうか?

もしそうならば、一気に潮目が変わることもあるかもしれない。

もっともこれは単なる願望であって、現実的には相当に難しい話だろう。何しろ現時点では国会議員レベルの入信が実現していないからで、失礼ながら一地方の市町村レベルの議員が一人や二人入信したくらいではまったく話にならないのである。

2020/10/2

メザマシイ  
まず、六老僧の序列について、繰り返しておこう。わたくしが問題としたのは、例の筆者が悪意で順番を入れ替えたフシがあること、そこに気づいてか気づかずか沖浦氏がそのまま引用したこと、である。氏はどうやら気づいていなかったようだが、いずれにしても順番が間違っていることは事実である。

通常、名前を列記する場合には何かしらの法則性に基づいている。無難なところでは五十音順がある。五十音順にしておいて、さらに順不同と断わったりする場合もある。ようはプライドにこだわる人がいるからなのだろう。現代においても序列はけっこう重要なのだ。

ゆえに順不同なのであれば順不同と明記すべきだろう。いくら平等主義を云々したところで、相手が違った価値観を持っている場合もあるわけだから、その辺の配慮は必要である。

次に、アクセス禁止のことを書く。

拙ブログはアク禁がない。それがわたくしの方針である。ブログを自分でやったことがある人ならわかるだろうし、あるいはツイッターやフェイスブックも同様と思われるが、ブロック機能がある。ようはアクセス禁止を言い渡すだけではなく、物理的にブロックすることが可能なのである。しかし、わたくしはそれを使ったことがない。

少し前にも同じような話をしたはずだが、今や拙ブログはごく一部の人しか閲覧していないので、イタズラ目的で書き込む人も相対的に少ないのである。しかもである。わたくしはそれを削除しない。つまり、そのまま証拠が残ってしまうのだ。ゆえに怖くて投稿できない。

また、それほどレベルが高いわけではないけれども、そこそこの教学力がないと議論に参加できないのも事実だろう。

そして上述と関連するのが、わたくし自身の投稿姿勢である。

今朝、前回の拙稿を読み直してみたら誤字があった。さっそく訂正を入れた。こっそり直してしまえばいいとの意見もあるわけだが、拙ブログの記事はすべて投稿時のまま残っている。後日修正する場合には必ず原文がわかるようにしている。

つまり、自分自身に対しても容赦がない。当然、こうした姿勢がわかれば、コメント投稿者もウカツなことは書けないはずである。

さて、そこでいつものごとく顕正新聞の話題である。

寄生虫 破折論文

浅井先生の御遺命守護の戦いを悪罵する
大草一党を呵責す


本年は菅原克仁氏の活躍が目覚ましい。何回目の破折論文になるのか数えていないが、いつも丸々一ページを使ったきわめて濃厚な記事である。

正本堂を御遺命の戒壇≠ニ讃嘆した大草
正本堂崩壊後は保身のために悪言を隠蔽


内容はこの見出しに尽きている。細かい事実関係については煩瑣になるので省略するが、まずはあえて見出しにイチャモンをつけておきたい。

悪言を隠蔽

顕正会目線では正しいのだろう。しかしながら公平な第三者には理解しづらいかもしれない。

ようするに顕正会的には正本堂を正当化する発言はすべて悪言になるわけだが、それが一般人にはすぐには理解できないことなのである。ゆえにヤブカラボウに悪言を隠蔽と言われてもわけがわからない。あえて修正案を示しておくと、次のごとくなる。

前言を隠蔽

実に単純明快ではなかろうか?

いずれにしても大草氏には自語相違がある。顕正会ではそれを指摘しているわけなのだが、わたくしはそれについて弁護する立場にはないので、関係者諸氏にお任せしたい。

よって以下は弁護ではなく、わたくし独自の顕正会批判である。まずは次をご覧いただきたい。

・・・そこには「昭和六十三年十月『暁鐘』別冊号より転載」とのウソ≠ェ付記されているのである。
 「転載」とは、既刊の印刷物の文章などを写し取って、そのまま他の刊行物に載せることをいう。修正した文章を載せることを「転載」とは言わない。


あれ? 上述の「わたくし独自の顕正会批判」は妙観講批判の書き間違いではないのか?

いや、そうではないのだ。顕正会批判なのである。わたくしは言いたい。浅井先生こそオオウソツキヤロウではないかと。菅原氏だって薄々は承知しているはずである。

折伏理論書→折伏理論書改訂版→基礎教学書

これらの内容の変遷には看過し難いものがある。改訂版と謳っているから問題ないとでも言うのだろうか? 理論書と教学書は別の書物であるから問題ないとでも言うのだろうか?

それこそ姑息と言わざるを得ないだろう。

大草氏にウソ・ゴマカシ・インペイがあることを弁護士らしい緻密な構成で論証したのが当該記事だとしよう。では浅井先生の場合はどうなのか、結局は同じことではないのか、わたくしが言いたいのはそれである。

最後に今一度、拙ブログの方針について書いておく。

現時点で二千八百有余の投稿数。自分でも驚く多さである。これらは一つも削除せず、しかも修正していない。ネット上のデータは簡単に上書きできる。だからこそ、あえてそれをしない。わたくしが強気でいられるのは、この姿勢を貫いているからである。

2020/10/1

ヤラカシ  
類は友を呼ぶがまさにピッタリのブログとなってきた。大沢氏は以前、拙ブログの構成メンバーについて共通項を云々していた。特にわたくしと沖浦氏を社会不適応者と断ずるところなどは鋭い指摘である。また、今現在の対立軸としては創価学会系と日蓮正宗系に二分できるわけだが、それぞれの構成メンバーにしてもどうやら組織の中ではアウトロー的な存在の人が多いようである。

それはさておき、前回のコメント欄での応酬を見ていて、気になったことがある。

2020/9/27 12:40
投稿者:沖浦克治
 水色の写真館から抜粋引用致します。

 日蓮聖人入滅(弘安五年十月・1282)後の教団組織
は身延山にある聖人の廟所(墓所)の五輪塔を中心に
図られた.六老僧(日昭,日朗,日向,日興,日頂,
日持)を中心とする直弟子たち(18名)が毎月輪番で
廟所を守るため,身延山久遠寺番帳が定められた(弘
安六年正月・1283).
 しかし,弟子たちはそれぞれの地方で布教する信者
たちの指導者であり(交通事情),また幕府や諸宗団
からの弾圧を受ける中,輪番の勤めは予定通りには実
行されず,当初(弘安七年・1284)は身延山近郊の甲
州・駿河を布教地点とする日興の門流*が在住し廟所を
守った.続いて日向も登山し身延の運営(学頭職)に
あたった.
 日興は純信・厳格に日蓮聖人の教えを固持したた
め,身延の地頭(領主)である南部実長との間に意見
(身延輪番,謗法)の対立を見るに至って身延を去っ
た.日興離山後,日向が身延の住持となり経営・教化
にあたった.
 結局身延輪番制は当初どおり実施されず,教団は各
地に分立,それぞれがみずからの正当性を主張しなが
ら発展していった.
 〜引用終わり〜

 概ね事実を書いていると思います。


またしてもやりおった。沖浦氏には以前にも同様のやらかしがある。その都度、指摘してきたつもりなのだが、すぐに忘れてしまうらしい。

そもそも輪番制の問題は、日興上人の御筆による輪番についての記録が二通あって、その内容に齟齬があるのだ。つまり、どちらかが偽作であると考えないといけないわけで、では、なぜにそのような偽物が作られたのかが重大問題なのである。この点の考察を抜きにして、概ね事実を書いていると思う、などと言ったところで意味はない。

しかし、ヤラカシはそこではない。再掲しよう。

六老僧(日昭,日朗,日向,日興,日頂,日持)

これが問題なのだ。

宗祖御遷化記録では、日持・日頂・日向・日興・日朗・日昭となっている。そして富士一跡門徒存知事と五人所破抄では、逆に日昭から始まっているわけだが並び方は同じである。

つまり、沖浦氏が上掲を支持するのであれば、その根拠を示さないといけない。そうした古文書が存在するのであればそれを提示すればいいし、あるいは氏が得意とする御書を用いての論証も可である。ちなみに今は記憶だけで書かせていただくが、以前にも同様の指摘をしたところ、その時は素直に己の間違いを認めていたはずである。今回も同じことの繰り返しなのか、それとも何かしらの新発見に基づくものなのか、さて、どちらであろうか?

日興さんは御書に暗い、などと罵っているから目が曇ってくるのである。

続いて日向も登山し身延の運営(学頭職)にあたった.

沖浦氏はくだんの資料を、おおむね事実である、と言っているわけだが、ではそれを逆手に取ってみよう。輪番制の問題はさておき、上掲は事実なのか否か、ここが天下の分かれ目である。

まず、続いて日向も、とある。つまり、すでに日興上人がましますのである。久遠寺を運営されていたのは日興上人であり、そこに日向も加わった、と読むのが普通だろう。そしてこの資料の執筆者には多少の良心があるのか、カッコを付け足している。

つまり、当時の久遠寺の体制は次のごとくなるはずである。

住職:日興上人、学職:日向師

まさか異論はあるまい。

それゆえに、先ほどの六老僧の順序が不審なのである。くだんの執筆者は何を根拠に順序を入れ替えたのか、そこがまったく見えてこないのである。

再び久遠寺の体制について、大胆なことを書いておこう。実は次の序列が正しいのだ。

住職:日興上人、大学頭:日目上人、学頭:日向師

根拠は特にない。

そもそも宗門の草創期において、現在のような僧階だとかその他もろもろの役職が整っていたとは考えられない。おそらくは史資料もきわめて乏しいわけなのだろう。それゆえに日興上人の扱いもきわめて低くされてしまっている。筋論で行けば、日興上人は身延山久遠寺の第二祖であり、日向師は第三祖に位置付けられるはずなのだ。しかし、ほとんど感情論的にそれは無理な相談なのだろう。つまり、彼らも目が曇っているのである。

よって根拠と言えるほどのことではないが、日興上人を住職とすればその下で学頭に任じられていたのは日目上人のはずである。日向師が来たから交代したと考えるのではなく、むしろ大学頭に出世したとするのが自然である。大聖人の御講義を聴講した人物で、日目上人の右に出る者はどこにもいない。失礼ながらデキの悪い先輩たちよりも遥かに優秀だった。

上述はかなり偏向しているように映るかもしれない。

しかし、それは最初に指摘した本弟子六人の序列問題に端を発するのであって、くだんの執筆者こそが問題なのである。もちろん、それを引用している張本人たる沖浦氏がいけないのであって、なぜにそこまで日蓮正宗に敵意をむき出しにするのか、わたくしにはなかなか理解できないところである。



十月二日追記:偉そうに書いたわりには大事なところで間違えてしまった。まさにヤラカシである。


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