2020/11/7

キハダ  
顕正新聞の続きを見て行こう。

八月 画期の人事

相変わらず兼任が多い。

次は第十八男子部長(首都圏)である。

 先生は今から一一年前の二〇〇九年に発刊された佐渡御書講義録の中で・・・

 まさに先生のご指摘は寸分も違わず・・・


わたくしは当該書籍を読んでいないので確認のしようもないが、おそらくは平成十六年の諫暁書だとかさらに遡って平成九年の諫暁書と読み比べれば齟齬が見つかるだろう。

 いま世間に、嘘・変節・改ざん・隠ぺいが溢れかえる中・・・

浅井先生だって同じじゃないか、それを自分だって知っているはずじゃないか、とわたくしは言いたい。わりといつでも提示できるのは折伏理論書に見られるヘンセツである。

さて、今度は関西方面を統括する副総男子部長である。

・・・と大師子吼されました。

相変わらず好きだなあ。

第三回目の先生の最後の諫暁・・・

言い回しがややこしい。

「浄蓮寺」住職、完全に回答不能に陥る

男子部第五総部長(首都圏)は法論が得意のようで、これまでにも同様の活動報告を何度も行なっている。しかし、話を盛っている可能性もあるし、いつも似たり寄ったりの内容なので、教義のことは省略しよう。わたくしが注目したのは次のくだりである。

 寺を後にする際、「聞けば、宗門は来年八十万人にしようとしているそうだが、果たしてできるのか?」と問うと、西山は「現時点でもう八十万は超えている」と驚くべき発言をしてきました。

どっちもどっちだろう。もはや名目の人数など、当てにはならない。顕正会の二百万が好例である。

 私の折伏で入信している学生時代の同級生に、海上保安庁に勤務している者がおりますが、

上掲は第八男子部長(沖縄)の記事である。続きを少し飛ばしてご覧に入れたい。

通常は本土で勤務しているこの者も・・・

この者は・・・


尖閣諸島周辺がきな臭くなってきたという話である。ゆえに本土勤務の人も応援に駆り出されているという。

しかし、わたくしが注目したのはそこではない。

すでに賢明なる読者にはおわかりのことと思うが、「この者」という言い回しに違和感がある。顕正会員は感覚がマヒしており、このことに気がつかないのだ。

この場合、「彼」と表現するのが妥当なところではないかと思う。

さらにツッコミを入れると、彼はすでに入信しているわけである。すると同志ないし後輩ということになる。「この者」はしばしば法論などの活動報告で、相手のことをやや見下した感じで表現する時に使われている印象がある。そのように考えると、上掲はいかにも相応しくない表現である。もっとも入信とは名ばかりで実質的には退転者だからこそ、そのように呼称しているのだろう。前述の二百万がデタラメたるゆえんである。

女子部第十一総部長(南東北)はコンスタントに活躍している印象がある。

昨年四月に胃の全摘出手術となりましたが・・・

凄まじい。

先ほど、兼任が多いと書いた。その理由は中堅幹部が組織を離脱してしまい適当な後任がいないので部長クラスが兼任するパターンが想像されるわけだが、離脱の意味にも大きくは二つあるのかもしれない。わたくしが想定しているのは、早い話が退転である。しかし、病気療養のために一時的に離脱する場合もあるのだろう。その辺の比率が気になるところではある。

ともかく彼女の場合は組織に迷惑が掛からないようにと、二週間の入院予定のところを八日で退院するなど、実に立派な振る舞いである。責任感ないし使命感が半端ないのだろう。

宮城の草分けの母 美事な臨終

婦人部千葉支区班長(首都圏)の記事である。以前にも同様の記事があったが、それは彼女の息子さんが発表していたのだと思う。

御供養した土地に
 旧「仙台会館」建立


今さらであるが、御供養ないし建立が気になる。

その下段にも母親の臨終を報告する記事がある。ずいぶん若くして亡くなったようであるが、年齢は見当たらない。さらに次のページにも母親の臨終を伝える記事があって、そこには四十六歳で亡くなったことが書かれている。ちなみに上掲は八十六歳である。

本部会館を望む百日紅(サルスベリ)

この写真はよくない。サルスベリはツルツルの木肌に特徴がある。そこを写すべきだった。


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