2020/11/13

キョウキ  
昨日の続きである。

「身延離山」の大精神と妙信講発足重なる

婦人部鳥取支区総班長(鳥取)の記事の見出しである。本文は以下の通りだ。

・・・謗法汚濁の身延の離山をご決断された大精神と重なりました。

さすがに言い過ぎだろう。今となっては独立教団路線を歩んでいるので、おそらくは違和感が薄いのだと思う。つまり、ややもすれば大石寺そのものを謗法だと言っているのに等しいことになる。日蓮正宗は謗法。だから離れたのだと。これでは創価学会と五十歩百歩だろう。

さて、次は男子部第百五十二隊支隊長(首都圏)である。

浅井先生は「試練と忍従期」の当時、数名で行われる座談会において、いつも大歓喜をみなぎらせて語っておられた・・・

母方の祖父が八十九歳で亡くなった。昭和三十年ごろの入信だそうで、ようは妙信講発足時のメンバーだった。ゆえに浅井先生ないし初代講頭先生と接触する機会も多かった。この人の弟さんも同様なのだろう。上掲は葬儀の席で弟さんが話してくれたことで、以下は浅井先生が語ったとされる内容である。

 「今は三百人の結集で精いっぱいだが、これが必ず一万人規模の結集ができるようになる。その時までみんな必ず付いて来なさい」

たぶん細かい言い回しは違うのだろう。もしこのままだとしたら驚きである。

必ず付いて来なさい

こんな言い方をしていたら誰も付いて来ない。少なくともわたくしは付いて行かないだろう。

ただし、場面だとかキャラクターだとかでそれが通用することもあり得る。

例えばスポーツの世界であれば、とりわけそれが格闘技などであれば、バカ丁寧な言い方をされても逆に戸惑ってしまう。むしろ乱暴な言い方のほうが自然である。今のはもちろん極端な例であるが、そこから類推して浅井先生が上掲のような言い方をしても、誰も違和感を覚えないこともあり得るのかもしれない。

男子部第九十三隊班長(首都圏)は、九十三歳で亡くなった母親のことを発表している。ただし、わたくしが注目したのは別の部分である。

 五十四歳で定年を迎えて退官し・・・

海上自衛隊だそうである。いやはや、こんな早くに定年とは驚きである。恩給がどのくらい貰えるのか知らないが、第二の人生をどのように過ごすのか、そこが悩ましい。

婦人部延岡支区(宮崎)の平会員が凄いことを言っている。

「細井日達書写の本尊に祈っていたらたいへんだ」と思い、すぐに本尊をお巻きいたしました。

冒頭で取り上げた記事は、ややもすれば大石寺を謗法と見なしているような印象を受けるものだったが、上掲もまったく同じである。顕正会としては顕正会なりの正義を主張しているのだろう。わたくしもそれがわからないわけではない。ただし、公平な第三者の目線からすれば、どっちもどっちだろう。逆の立場においても正義の主張はあるのだ。つまり、日蓮正宗側から見れば、顕正会はとんでもない大謗法団体なのである。

登壇者は顕正会へ入会後、熱心に折伏を実践しているらしく、五十年以上も法華講に在籍していたという九十四歳のご婦人を入会させている。

「それなら自宅の御本尊は本山に返さんといかんね」と、顕正会の正しさと浅井先生の崇高さを命で感じています。

ちなみに登壇者は地元の妙善院に日達上人の御本尊を返納している。すると上掲の意味するところがひじょうに気になってくる。なぜに本山なのかと。もしかしたら常住御本尊なのかもしれないのだ。

かなり前の話だが、拙ブログで古参会員の本尊返納について取り上げたことがある。その人物は宗門から下付された御本尊を返納して、顕正会版の本尊を安置したのだった。この時、法華講員から驚愕すべきコメントを頂戴した。いわく、それは常住の板本尊だった、それを返納して顕正会版の紙幅本尊に替えたのだとすれば狂気の沙汰である、と。

大謗法団体は決して誇張表現ではない。

どうせならば顕正会が所蔵する日蓮正宗の御本尊をぜんぶ返しちゃえばいい。初代講頭先生の名前が刻まれているであろう板御本尊も返しちゃえばいい。本部会館の御本尊もだ。

七二歳という年齢でありながらスムーズに転職できたり・・・

最後は女子部第一区班長(千葉)の記事から引用した。他にも興味深いことが書かれているのだが、割愛させていただく。やはり先ほどの五十四歳で定年は早過ぎる。何しろ七十過ぎても転職を云々する時代だからである。


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