2020/11/15

カイメツ  
沖浦氏の今朝のコメントには基本的な間違いが存する。さして問題となるような話ではないが、いちおう指摘しておこう。

 最初に釈迦が経を説いて、釈として広げた人がいて、最後に更に理解しやすい、論が出来た。

沖浦説では経・釈・論となっている。しかし、通常は経・論・釈である。諸御書に竜樹・天親・天台・伝教とあるが、竜樹・天親が論、天台・伝教が釈、という認識が正しいのだ。論師・人師の括りも同様である。生意気を言うようだが、わたくしはこれを解説書から導いたわけではなく、御書を拝読していて自ずと会得したのである。

とは言え、御書のすべてが頭に入っているわけではないので、確認のために検索を利用している。取り急ぎ引用すれば次のような御書がわかりやすいかもしれない。

天竺の論師並びに訳者より唐土の人師に至るまで・・・

天竺の論師・震旦の人師・・・


経論釈については推して知るべしである。

さて、顕正新聞1525号を見て行こう。

 「久遠元初の自受用身」とは何か。これを平たく一言でいえば「遠い昔の、最初・根源の仏様」ということであります。

毎年、御大会式の会長講演は浅井先生による日蓮本仏論が展開される。本年のそれは例年に比べてかなり平易な印象だった。上掲がその象徴的な例である。

・・・垂迹の仏を化仏というのです。化仏とは化粧をした仏です。化粧とは化け装うということでしょう。

この説明が適切なのかどうかわからないが、平易な説明を心掛けているのだろうことはよくわかる。

八斗・八斗で一石六斗だと(大笑)。

不勉強のわたくしはこの落語を知らなかった。さらに言えば、昔の単位なので数量的な意味でも実感が持てなかった。

 信ずるに足る御影様、その一つが大石寺秘蔵の「鏡の御影」ですが・・・

いったい何を根拠に信ずるに足ると言っているのかが問題である。たまたま検索でヒットしたツイッターの記事によれば、次のごとくである。

日亨上人の『富士日興上人詳伝』に、
一、鏡の御影・大石寺
一、夢の御影・讃岐本門寺
一、要法寺御影
これらが、正しく相貌・お姿を示しているのではないだろうか(趣意)
と書かれています。


https://twitter.com/yazako_888/status/1321452620184125443

便利な時代になった。かつては浅井先生だけがご存知のことだとありがたがっていたのだ。

 当時の日本は寒冷期であったから、佐渡では恐らく零下二〇度くらいまで下がったと思われる。

少し前にも取り上げた話題である。以前は零下二十度三十度と言っていたので、少し後退した感じが否めない。

・・・そのような悲惨が「闘諍堅固」の最終段階として来るのであります。

会長講演は約四ページの大作である。しかし、今回の講演は平易ゆえか取り上げるべきところが少ない。上掲は後半のほぼ結末に近いところから引用した。

わたくしが問いたいのは悲惨の意味である。

文章を素直に読むと、米中の間で核兵器を用いた戦争が起こり、人類が絶滅する、と読める。しかし、続きの文章を読めば、その悲惨からお救い下さるのが日蓮大聖人であるとの文脈になっていることがわかる。つまり、絶滅寸前で助かるという、ドラマが待っているわけなのだろう。

そこで問題になるのが核兵器である。はたして核兵器の使用はあるのか、それともギリギリで使われずに済むのか、どちらだろうか?

 もし日本がアメリカに付いてその尖兵的な役割を果たすならば、中国は直ちに核ミサイルで日本を壊滅させるに違いない。

かなり非現実的なシナリオに思える。

尖兵的な役割とは何かが問題で、日本では先年のいわゆる戦争法案で大揉めに揉めたくらいであるから、さらに踏み込んだことをしようにも世論が許さないはずなのだ。しかも日本には中国人がたくさんいる。まさか中国政府がそこにミサイルをぶち込むとは思えない。

このように考えると、本当にヤバい状況は、日本在住の中国人が全員引き揚げてしまうような事態が現実に起きた時で、その時にはミサイルが飛んでくることを覚悟しなければならないだろう。

もはや浅井先生はほとんど出歩かないから知らないのかもしれないが、コロナが蔓延している今のご時世であっても日本には相当数の中国人がいる。ゆえに彼らが一人残らず帰国すれば、それだけで街の様子が激変するだろう。

以上、平和ボケの批判を覚悟の上で、今のところはぜんぜん大丈夫だとわたくしは断言しておきたい。


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