2020/11/20

フクカイチョウ  
顕正新聞の続きである。

今生のうちに何としても一生成仏を遂げ、その尊い御姿を拝したい・・・

第十八女子部長(群馬・首都圏)の発言が悩ましい。直前には鏡の御影のことが書かれている。常時、拝観が可能なのかどうか知らないが、成仏しようがしまいが法華講員になれば拝観の機会はあるはずなのだ。しかし、彼女の言っている意味は、大聖人に直接お目に掛かりたいということなのだろう。

都市が消滅し始め・・・

副総男子部長の発言である。まるで日本沈没みたいな話だ。

・・・些かもへつらわぬ先生のお言葉は
 「聖人は言をかざらず」
との仰せそのものと大感動であります。


第十八婦人部長(四国)がご覧のように言っている。会長本仏論的でよろしくない。

日本会議国会議員懇談会の副会長

これは複数の幹部が言っていることで、当然ながら会長講演を踏まえてのことだろう。菅首相のことを言っているのだ。しかし、だからどうしたと思う。むしろ会長じゃないところが逆に気になる。

唐突ながら、顕正会も副会長を設ければいいのだ。

昨年には七十九歳にして再就職が叶い・・・

女子部二百二十一区所属の男性会員である。具体的な職種が気になるところだ。

 そのような中、会社の社長から「タクシー内で勧誘してはいけない」と言われ、魔障が出来しましたが・・・

婦人部岡山支区総班長(広島)はご覧のごとくタクシー運転手をしている。拙ブログで取り上げたことがあるかどうか今は思い出せないが、ともかくこの人物はこのところしばしば顕正新聞でお目に掛かっているような気がする。

それにしても魔障とは驚きである。

社長の言っていることは当たり前のことであり、魔障でも何でもない。業務中に業務以外のことをやれば注意されて当然であるし、そもそもがそうした情報が社長の耳に入った時点で自分自身に非があることを悟るべきなのである。総班長の役職からしてノルマに追われていることが想像できる。つまり、彼女は無意識のうちにも乗客に不快な思いをさせるような半ば強引な勧誘を行なってしまっていたわけであり、結果として会社のほうに苦情が寄せられたわけなのだろう。

仕事の休憩時間を使って入信勤行が叶いました・・・

ほらほら、ここに馬脚があらわれている。仕事の休憩時間なら問題ないという認識なのだろう。それを逆に言えば、乗務中に折伏するのは問題である。

タクシーのことをよくは知らないが、そもそも休憩時間の概念が通常のそれとは異なるのではないかと思う。ようは自由裁量である。その意味ではわざわざ上掲のような書き方をする必要もないのだ。ともかくお客さんを乗せている時が仕事なのであって、そこで業務以外のことをするのが問題なのである。もちろん会話をすることは問題ないし、その流れの中で仏法の話になることもあり得るだろう。しかし、そこでノルマ達成のためにシツコイ勧誘をすれば、会社に苦情を入れられても文句は言えないだろう。わかり切った話である。

また一フリーライターが昭恵夫人に夫の体調を尋ねた際、高笑いしながら「主人は演技がうまいから」と言っていたとも話しておりましたが・・・

女子部第百三十一区支区長補(山口)の記事がイヤラシイ。顕正会のインチキ体質を露呈しているような気がしてならないのだ。

上掲は下関の市会議員から得た情報らしいのだが、それがいわゆる又聞きなのである。何しろフリーライターと登壇者はまったくの無関係なのだ。どこの誰とも知れないフリーライターの話を下関の議員が登壇者に語ったという体裁である。

こんな記事を載せるようではオシマイである。編集部はちゃんとチェックして掲載を見送るか、せめて当該部分を削除してから載せるべきだろう。

それとも確信犯的に載せているのだろうか?

一議員から聞く昭恵夫人の言辞に憤激

見出しである。そもそも登壇者は昭恵夫人から話を聞いたわけではないので、この時点ですでに又聞きとも言い得るわけである。さらに一議員にしても昭恵夫人から直接的に話を聞いたわけではないのだ。又聞きの又聞きである。こんな不確かな情報を垂れ流してどうするのかと思う。

総班長会

婦人部上北支区総班長(青森)の記事にはご覧の表記が出てくる。わたくしの認識が正しければ、これは本部行事ではなく、各組織ごとに任意で行なっていることなのだろう。

いつしか洗脳されたかのように「池田先生は神様」とまで思うようになっておりました。

これは七十五歳になる男性女子部員であるが、創価学会員時代のことを回想しているわけなのだろう。それにしても神様はどうかと思う。さすがに創価学会でもそうは教えていないだろう。世間一般の表現としてはあり得る話だが、創価学会もかつては日蓮正宗の信徒団体だったわけだし、今だって仏教系の宗教団体であることには変わりはないので、実に不可解な話である。

 浜松会館の大御本尊様にお値いする・・・

これもどうかと思う。

ちなみに「お値いする」は典型的な顕正会用語であり、普通の文字変換では候補にまったく出てこない表記である。ただし、上掲に関しては大御本尊様という表現をどうかと思うのであって、「お値いする」についてはむしろ適切かもしれないと思う。通常の「会う・遭う・逢う・遇う」はどれも相応しくない。この点だけは顕正会と意見が一致するようである。

三百万を急がんと三度目の一国諫暁に立たれる浅井先生に、

これは意味不明の文章である。おそらく「急がんと」の後に「、」を入れると多少は読める文章になると思う。これも編集部の仕事だろう。

次の七十七歳になる男性婦人部員の記事も不審である。

 初めて奉安殿に参詣し、目の前で太陽が昇るかのように輝いている戒壇の大御本尊様にお値いしたとき・・・

ようするに創価学会員だった。

昭和四十三年には約二ヶ月間、食費も滞在費も自腹で正本堂の工事に奉仕として入りました。

ここが不審なのだ。当時の彼は電気工事の職人だった。ならばもう少し後じゃないと仕事にならないだろう。昭和四十三年は正本堂の工事が始まったばかりである。電気工事が本格化するのは躯体工事が終わってからである。

 正本堂の完工式に参列した際、最前列にキリスト教神父が座っているのを見て・・・

これもウソクサイ。

また池田大作の周辺にいる人物から女癖の悪さを聞いて・・・

具体的に誰から聞いたのか書かれていない。週刊誌の受け売りではと勘繰ってしまうところだ。

本年九月、学会版本尊を返納し・・・

昭和三十四年の入信なのになぜに学会版なのか、そこが疑問である。

次の男性女子部員も似たり寄ったりだが、紹介しておこう。

中には三百万円が入った封筒もありました。

彼も創価学会員だった。上掲は創価学会がカネ集めに狂奔していることを言っているわけであるが、文章を読む限りでは彼が集金の係をやっていたわけではなさそうである。しかるに封筒の中身がわかるのはなぜだろうか?

後日、学会版本尊を返納し、入会させて頂いたのでした。

前後するが、次のくだりが重要である。

 私は信心とは全く関係のない活動に次第に嫌気がさし、昭和六十年ごろ、正式に学会を脱会いたしました。

先ほどの男性婦人部員の場合は、あるいは創価学会に疑問を懐きつつもダラダラと在籍していて途中で学会版の本尊に取り替えてしまったのかもしれない。ところがこちらの男性女子部員は正式に脱会したと言っているのだ。それにもかかわらずなぜに学会版本尊が存在するのだろうか?

顕正新聞がいかにデタラメであるかがよくわかる事例である。

考えられるのは創価学会時代に寺院から下付された御本尊を勘違いしているだけの話なのかもしれない。もしそうであっても現状では宗門の正式な御本尊ですら返納してしまうのが顕正会である。極論すれば、学会版がダメなのはもちろんのこと宗門版もダメである、というのが顕正会の立場なのかもしれない。もはや救いようのない連中である。


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