2020/11/27
インガグジ
沖浦氏と御書の解釈でちょっとした論争をしている。結論は前回の拙稿に示した通りであり、わたくしとしては何ら変更する必要を感じない。おそらく原意ないし原義をどう捉えるかについては、さほど齟齬はないはずである。その上で応用的にどう読むかは、よほどの逸脱がない限りは自由だと思う。
しかし、今度は別の事案が発生した。
この因果俱時と言う言葉は私の知る限り御書にはありません。
沖浦氏らしくないと思った。因果倶時は創価学会の公式サイトで検索すると二つ出てくるのだ。
当体義抄の一節はかなり有名なので、単なるウッカリだろう。ここでは引用しないが、まさか沖浦氏が知らぬはずがない。
さて、顕正新聞である。
ついに総罰現われる広布前夜を迎えたこと・・・
婦人部第八総部長(首都圏・中部・近畿)は古くからの顕正会員である。ゆえにどういうつもりで言っているのかわからないが、上掲はあたかも今ようやく広布前夜を迎えたかのごとく読めてしまう。ところが実際にはかなり昔から広布前夜と言われており、いつまで経っても夜が明けないのだ。イヤミながらもずいぶんと長い夜である。
藤村雄大氏が男子部第十七隊幹事・総支隊長(首都圏)の肩書きで登壇している。
大聖人様が一切衆生の目を開けて見さしめんとあそばされた御本仏の重き御存在を・・・
かなり重複的で読みづらい文章である。
当時、高校生だった私は・・・
ほほう、たぶん前にも読んで知っていたはずなのだが、すっかり忘れていた。彼は平成十六年の全国高校生大会に高校生として参加していたのだ。実に感慨深い。
女子部第百十区総班長(栃木)の記事には、引用すべき箇所がいくつもあるが、ここでは一つに止めておこう。
「所属する末寺の前住職が曽て『浅井甚兵衞講頭先生が率いられる妙信講の指導は素晴らしい。国立戒壇は正しい』と話していた」
茨城県の法高寺だそうである。前住職がどなたなのか気になる。
婦人部東予支区総班長(愛媛)の表現が目を惹いた。
勤務先の回転寿司屋
班長の実証証明
わたくしが過剰に反応しているだけなのかもしれない。上掲はさておき、次のエピソードが興味深い。登壇者が職場の男性を折伏したところ、夫婦そろっての入信が叶ったそうである。
後でわかったことですが、この奥さんは三十年前に私と同じ職場でアルバイトをしていた高校生だった・・・
感慨深い話である。
学会の「言論出版妨害事件」に不信
男子部第百七十五隊組長(愛知)はかつて創価学会員だった。しかし、毎度のごとく指摘しているように、記事の内容には不審な点がある。見出しにあるごとく、例の問題で創価学会に不信感を懐き、後に正信会に移ったという話はその通りなのだろう。問題はそれよりも手前にある。
私は学会員の母に言われるまま、昭和四〇年、二〇歳のときに学会に入信いたしました。
学会幹部の「選挙は国立戒壇の関所」との言葉を信じて・・・
顕正会員でも御遺命守護の歴史をしっかりと学んでいる人ならば疑問に感じるはずである。ざっくり言うと、創価学会が国立戒壇を盛んに主張していたのは昭和三十年代前半であり、その後は徐々にフェードアウトしていき、四十年代にはまったく言わなくなった。ならば上掲は真っ赤なウソとなる。
あるいは時差があって、末端の幹部たちは言っていたのだろうか?
この辺の事実関係をハッキリさせるのは困難である。登壇者はすでに七十五歳という。つまり、当時の関係者は高齢者ばかりであり、失礼ながらその人たちの証言を集めたところで信憑性は乏しいだろう。何かしら文書として残っているものがあればとは思う。例えば登壇原稿である。今と違って手書きの原稿なので、けっこう有力な証拠資料となるはずである。
次の男子部第百五十隊組長(福島)も創価学会からの入会者である。
顕正会が曽て学会内部で配布された「邪宗教一覧」に掲載されていた「妙信講」であったことを知り・・・
これがまた興味深い。その一覧をぜひとも拝見したいものである。
ご存知のごとく、妙信講の解散処分は昭和四十九年である。ゆえに少なくともそれ以前には一覧に載っていなかったはずであり、また逆に昭和五十七年には妙信講の名を捨てて現在の顕正会を名乗るようになったので、くだんの一覧はそのわずかの期間に配布された資料と考えられる。いわばレア物である。
わたくしは折伏教典を何冊か持っている。それには諸宗を破折する章があって、新興宗教についても一々に破折を加えている。この本が絶版になった時期は、先の言論出版妨害事件など世間の風当たりが強くなってきた時代に符合するわけで、いわば折伏路線から摂受路線へと転換した時期なのだ。しかし、もし創価学会が内部資料として邪宗教一覧を会員に配っていたとすれば、これはこれで大問題だろう。
もう一人、創価学会からの入会者が登壇している。七十一歳になる男性婦人部員である。
すると本部役員がさっそく家に来たので・・・
本部役員が反論もせず・・・
これは初出かもしれない。創価学会がどのような組織体制になっているのか知らないが、本部役員という呼び方は今まで一度も聞いたことがない。
しかし、今度は別の事案が発生した。
この因果俱時と言う言葉は私の知る限り御書にはありません。
沖浦氏らしくないと思った。因果倶時は創価学会の公式サイトで検索すると二つ出てくるのだ。
当体義抄の一節はかなり有名なので、単なるウッカリだろう。ここでは引用しないが、まさか沖浦氏が知らぬはずがない。
さて、顕正新聞である。
ついに総罰現われる広布前夜を迎えたこと・・・
婦人部第八総部長(首都圏・中部・近畿)は古くからの顕正会員である。ゆえにどういうつもりで言っているのかわからないが、上掲はあたかも今ようやく広布前夜を迎えたかのごとく読めてしまう。ところが実際にはかなり昔から広布前夜と言われており、いつまで経っても夜が明けないのだ。イヤミながらもずいぶんと長い夜である。
藤村雄大氏が男子部第十七隊幹事・総支隊長(首都圏)の肩書きで登壇している。
大聖人様が一切衆生の目を開けて見さしめんとあそばされた御本仏の重き御存在を・・・
かなり重複的で読みづらい文章である。
当時、高校生だった私は・・・
ほほう、たぶん前にも読んで知っていたはずなのだが、すっかり忘れていた。彼は平成十六年の全国高校生大会に高校生として参加していたのだ。実に感慨深い。
女子部第百十区総班長(栃木)の記事には、引用すべき箇所がいくつもあるが、ここでは一つに止めておこう。
「所属する末寺の前住職が曽て『浅井甚兵衞講頭先生が率いられる妙信講の指導は素晴らしい。国立戒壇は正しい』と話していた」
茨城県の法高寺だそうである。前住職がどなたなのか気になる。
婦人部東予支区総班長(愛媛)の表現が目を惹いた。
勤務先の回転寿司屋
班長の実証証明
わたくしが過剰に反応しているだけなのかもしれない。上掲はさておき、次のエピソードが興味深い。登壇者が職場の男性を折伏したところ、夫婦そろっての入信が叶ったそうである。
後でわかったことですが、この奥さんは三十年前に私と同じ職場でアルバイトをしていた高校生だった・・・
感慨深い話である。
学会の「言論出版妨害事件」に不信
男子部第百七十五隊組長(愛知)はかつて創価学会員だった。しかし、毎度のごとく指摘しているように、記事の内容には不審な点がある。見出しにあるごとく、例の問題で創価学会に不信感を懐き、後に正信会に移ったという話はその通りなのだろう。問題はそれよりも手前にある。
私は学会員の母に言われるまま、昭和四〇年、二〇歳のときに学会に入信いたしました。
学会幹部の「選挙は国立戒壇の関所」との言葉を信じて・・・
顕正会員でも御遺命守護の歴史をしっかりと学んでいる人ならば疑問に感じるはずである。ざっくり言うと、創価学会が国立戒壇を盛んに主張していたのは昭和三十年代前半であり、その後は徐々にフェードアウトしていき、四十年代にはまったく言わなくなった。ならば上掲は真っ赤なウソとなる。
あるいは時差があって、末端の幹部たちは言っていたのだろうか?
この辺の事実関係をハッキリさせるのは困難である。登壇者はすでに七十五歳という。つまり、当時の関係者は高齢者ばかりであり、失礼ながらその人たちの証言を集めたところで信憑性は乏しいだろう。何かしら文書として残っているものがあればとは思う。例えば登壇原稿である。今と違って手書きの原稿なので、けっこう有力な証拠資料となるはずである。
次の男子部第百五十隊組長(福島)も創価学会からの入会者である。
顕正会が曽て学会内部で配布された「邪宗教一覧」に掲載されていた「妙信講」であったことを知り・・・
これがまた興味深い。その一覧をぜひとも拝見したいものである。
ご存知のごとく、妙信講の解散処分は昭和四十九年である。ゆえに少なくともそれ以前には一覧に載っていなかったはずであり、また逆に昭和五十七年には妙信講の名を捨てて現在の顕正会を名乗るようになったので、くだんの一覧はそのわずかの期間に配布された資料と考えられる。いわばレア物である。
わたくしは折伏教典を何冊か持っている。それには諸宗を破折する章があって、新興宗教についても一々に破折を加えている。この本が絶版になった時期は、先の言論出版妨害事件など世間の風当たりが強くなってきた時代に符合するわけで、いわば折伏路線から摂受路線へと転換した時期なのだ。しかし、もし創価学会が内部資料として邪宗教一覧を会員に配っていたとすれば、これはこれで大問題だろう。
もう一人、創価学会からの入会者が登壇している。七十一歳になる男性婦人部員である。
すると本部役員がさっそく家に来たので・・・
本部役員が反論もせず・・・
これは初出かもしれない。創価学会がどのような組織体制になっているのか知らないが、本部役員という呼び方は今まで一度も聞いたことがない。