2021/2/23

マチワビル  
顕正新聞を見て行こう。主に十二月度班長会の各種登壇である。

遠き広布を待ちわびる時代の終わり・・・

筆頭副総合男子部長の発言である。マチワビルが印象的だ。

次は顕正新聞の発行人を兼務する副総男子部長。少し長いが我慢して読んでいただきたい。

 今般、浅井先生は
 「大聖人様の大願は、広宣流布の暁に、仏法を守護し奉るとの国家意志の表明を以て建立される国立戒壇に、『本門戒壇の大御本尊』を安置し奉ることにあられる」
 として
 「これを実現するカギこそが、日本における国立戒壇建立なのである」
 と重大指導を下さいました。


怖ろしく重複的である。

次も副総男子部長だが、この人は儀礼室員を兼務している。

いよいよ最後の決戦場に臨まれる先生・・・

その最後の戦いに連なり得た宿縁・・・


別の意味でも最後が迫っているようだ。

三百万は大加速する・・・

これはやたらと問題発言の多いほうの副総合婦人部長。加速に大を冠するのもどうかと思うところで、一般的には急加速が汎用的かもしれない。とは言え、あまり好ましい意味ではなく、自動車の運転などでは危険を喚起する時に使われる場合がほとんどである。

広宣流布の決戦場たる二〇年代に最後の死力を尽くされる浅井先生・・・

一つ前の別の意味云々に通ずる話である。

前後するが、総合婦人部長の発言も見ておこう。

御馬前の戦いたる三百万・・・

浅井先生が到達できるかどうかは、ギリギリの線かもしれない。

婦人部第六総部長(首都圏)の記事も興味深い。

これよりみなが救いを求めて列をなす日の近きこと・・・

離脱者を含めて顕正会経験者の多くが知るところである。こんな話は百万達成以前にも聞かされていたことで、結局は実現しなかった。この先も同様だろう。

まるで上代の富士大石寺が現出したかのようで・・・

これは女子部第二総部長(栃木・四国)である。アゲアシ取りながらも上代の大石寺を見たこともない人がどうしてそのように言えるのか、妄想もほどほどにしないといけないと思う。もっとも問題はそこではなく、こんなことを言っているようでは宗門への復帰は無理であろうし、ヘタすると本物の大石寺に対して嫌悪感を懐くことにもなりかねない。そこがひじょうに心配である。

六十有余年に亘り大忠誠を貫かれたその激闘が走馬燈のように脳裏を駆け巡り・・・

これはアゲアシ取りではなく自分の不勉強を告白することになるが、わたくしの知るところではこのような文章表現は異例ではあるまいかと思う。浅井先生の脳裏ではなく登壇者の脳裏を走馬燈が駆け巡る。有名どころの文学作品などから同様の事例を紹介していただければありがたい。

常在寺信徒が顕正会員に暴行、罰金の略式命令発布さる
 問われる阿部日明(能化、布教部長)の監督責任


法務部次長の菅原克仁氏が書いている。彼はこのところ教義上の話題を書くことが多かったが、いよいよ本業のほうでも実力を発揮し始めたようである。見出しが示すように、法華講員が顕正会員に暴力を振るって有罪判決を受けたという話なのだが、罰金十万円とのことである。金額の多寡が問題なのではない。顕正会側の勝訴であり、宗門側の敗訴という結論が重要である。

しかもである。実はもう一つ別の事件があるらしく、そちらのほうが深刻のようである。なぜならば上記事件は昨年十月に発生し、早くも略式命令が出ている。ところがもう一つの事件は昨年一月に起きたもので、ようは未だに係争中なのだろう、ゆえに順番的には先でありながら詳細は後日述べるとして、今回は事件の概要を簡単に述べるに止めているのである。

ところで不勉強のわたくしは、阿部日明なる人物を知らなかった。いや、より正確に言うと、阿部信彰師がいつの間に日号を得たのか、まったく存じ上げなかったものだから、見出しを読んでもピンと来なかったのだ。掲載されている顔写真を拝見すると、日顕上人の御尊顔を彷彿とさせるところがある。また、本文中にも日顕上人の御子息である旨が書かれている。

宗門の内部事情をほとんど知らないが、巷のウワサではいずれはこの人が猊座に登るだろうと囁かれている。真偽のほどはさておき、イメージ的にはそのような既定路線がすでに敷かれているわけなのだろう。

2021/2/20

センメツ  
沖浦氏は敵を殲滅するタイプの人らしい。晃氏は言葉少ないながらも日興上人の御遺誡や大聖人の御書を引用しつつ意見を述べられている。沖浦氏はそれをまるで全否定するかのような書きぶりなのである。誰も寄りつかなくなるのも当然だろう。

久しぶりに蝸牛氏からコメントをたまわった。ここでは割愛させていただくが、大事な場面で大事なコメントを下さる方である。

また、本人なのだろうか、大沢氏からも久々にコメントが寄せられた。

2021/2/16 10:52
投稿者:大沢克日子
慶祝 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年

おめでとうございます。


わりと長文を書くタイプなので、これっきりなのが不思議である。

さて、そこで上掲に関連する話題として、リンクを紹介しておこう。

御伝土代とは日蓮門下最初の史伝書です。日蓮大聖人のお誕生日二月十六日というのは、他門徒も全て、御伝土代の記述より、採用しており、他門徒も異論はないところです。

http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/godenndodai.html

ゴショゴショとうるさい御仁がいるけれども、どうやら大聖人の御書には誕生日についての記述が見当たらないようである。

まあ、それにしてもである。上掲のリンク先は数々の貴重な資料をテキスト化している意味でありがたい存在であるが、立場的には正信会系の信徒なのである。まさに日蓮正宗を取り巻く状況は四分五裂という形容がピッタシだ。かく言うわたくしも分裂を助長する側に位置するわけだが・・・

顕正新聞第1533号を見て行こう。

試験官もみな涙していた。

教学試験である。顕正会の試験は世間のそれとは一線を画すとは言うものの、どうかと思うところである。また、コロナ禍においても例年通りに試験が行なわれたことには賛否があるはずで、おそらく写真だけを見ると例年とまったく変わらないので、そこが問題だろう。ようするにコロナ対策が講じられていないのだ。

大聖人様は浅井先生をして「降魔」の御化導をあそばされ・・・

二面以降は十二月度班長会の記事が載っている。まずは総男子部長の登壇記事からであるが、いかにも悩ましい発言である。少なくとも浅井先生が普通の人ではなく特別な存在なのだと認識しているわけなのだろう。今さらながら部外者との感覚の乖離を思い知らされる事例である。

 ここに直属男子部は、二〇年代前半に台湾を侵略し・・・

十二月度総幹部会の会長講演は、新聞掲載時にかなりの修正が加えられているという。わたくしは講演の生音声を確認していないのだが、たぶん間違いないだろう。つまり、上掲は浅井先生の発言をそのまま踏襲しているわけで、得意の予言癖が出ているのだ。ズバリ、中国による台湾進攻はあと四年ないし五年以内に起こるのだと。ところがさすがにヤバイと思ったものか、会長講演の記事では年数の部分が削除されているのである。

総合女子部長も正直な人なので、次のように引用している。

 「二〇年代前半には必ず台湾を侵略する」
 と先生より伺い、想像以上のテンポに大衝撃が走りました。


では、念のために会長講演の記事を確認してみよう。

やがて台湾を侵略し、尖閣を奪い、ついには日本本土を襲うこと必定です。

ちなみに新年の挨拶でも同様の発言をしており、そこでは文末が「と思われる」になっている。ゆえにバージョンアップして断定口調になってはいるのだが、年限をぼやかしている時点でかなり弱腰である。

わたくしの興味関心は、では会長講演の記事を添削したのは誰なのか、先生自らがヤバイと思って修正したのか、それとも別にアドバイザーがいるのか、である。もしアドバイザーがいるのであれば、今のうちに少しずつでも方針転換を図るべきだろう。本当は一気に転換すべきだとは思う。ズバリ、自分が間違っていました、と先生に言わせるのである。まあ、それは無理だろうけれども、先生が間違っていたのは事実であり、その間違いを糊塗し続けようにもすでにバレバレであり、過去の大言壮語は消えないのである。

また、この問題は後継者こそ深刻に受け止めるべきである。ゆくゆくは跡を継ぐであろう人物が、そうした負の遺産をすべて受け継がなければいけないのだ。

2021/2/13

オオヅメ  
負け嫌いの沖浦氏らしいコメントが寄せられた。

 日蓮正宗と顕正会の方々で、私と御書を以て論じあいたいと思う方はいませんでしょうね。
 私には太刀打ち出来ませんから。


顕正会の場合は成果至上主義ゆえに相手が入信しそうもないと思えばそれ以上の深追いはしない。日蓮正宗の人たちがどのように考えているかはわたくしの知ったことではない。一般的には、面倒臭いヤツ、というのが沖浦氏に対する評価だろう。

 時系列が貴方のご指摘が正しいと言う証拠をお出し下さい。

意味がわからない。もし三大秘法抄の弘安五年説を証明せよと言っているのであれば、同じことだろう。沖浦氏のほうこそ弘安四年説を証明しなければならない。

繰り返し言うが、まず御書の真偽については立ち入らない。また、系年については自分なりの考察を述べることもあるが、基本的には平成新編の系年を用いることにしている。

よって、証拠を出せ、だの、証明せよ、との要求には応じられないので、この点をよろしくご理解願いたい。

さて、顕正新聞の続きである。

広宣流布が大詰めの今・・・

第三婦人部長(首都圏)のオオヅメとは何を基準に言っているのか、そこが問題である。何しろ彼女は次のようにも言っているからである。

 広宣流布が最終段階に入ったいま・・・

それなりに会員歴の古い人物であるから、顕正会の中で最終段階がいつ頃から言われ出したか、知らないはずはあるまい。

次は男子部第十五総部長(九州)の発言である。

 「私は宗門の御遺命違背の証拠を示した。それに対しあなたは何一つ証拠を示していない。これでお前の負けは確定だな!」

アゲアシ取りではあるものの、一続きの文章の中であなたとお前が混在するのはどうかと思う。原稿を書いていて違和感を覚えないのだろうか?

「罰がでる」と言ってきた妙観講員の急死

男子部第九隊総支隊長(首都圏)の記事であるが、これはお互いさまではあるまいかと思う。顕正会員もさまざまの理由で急死している。会館で亡くなった、いや、厳密には心肺停止で救急搬送され死亡が確認されるケースだが、顕正新聞にもそうした記事がたまに掲載されている。

妙観講の崩壊、大草一党の宗門追放も近い・・・

顕正会の願望である。

これについて俯瞰的に書いておきたいことがある。かつて宗門と創価学会が一体となって妙信講をイジメていた。ところが彼らは仲間割れを起こした。もはや復縁はあり得ないだろう。同様に妙観講そのものが破門になることもないとは言えないし、二度と復帰できないような状況にもなり得ると思う。

だから何なの? それで顕正会が復帰できるとでも思っているの?

宗門と創価学会の関係が壊れても、顕正会の置かれている状況は何も変わらなかった。同じことである。妙観講が破門されようがされまいが顕正会とは関係ないのである。

婦人部長との語り合いで、家事も仕事も介護も「すべてが御奉公」と励まされ・・・

婦人部春日井支区総班長(愛知)の記事であるが、こちらの婦人部長は実に立派な人物である。もはや誰も御奉公優先などとは言えなくなった。いや、言えるかな? 御奉公の定義が変わったわけだから・・・

少なくとも折伏優先みたいなことは言えないだろう。

さて、今度は男子部第百五十六隊支隊副長である。具体的な引用は控えるが、法科大学院に合格したと書かれている。正確には法政大学の法科大学院だそうで、驚くことにはかつて紹介した中央大学の法科大学院に合格した人物と幼馴染みなのだという。類は友を呼ぶとはこのことを言うのだろう。彼は両親が顕正会員であり、下の名前がいかにも顕正会チック(?)であることも印象的である。

樹木繁る本部庭園。樹齢数百年の木々も

数百年がいただけない。

・・・会則変更を目にし、私は「こんな重大事を、なぜこんなに小さく掲載しているのか」と不信感が頂点に達し、ついに学会を脱会し、法華講に移りました。

昨年の四月に顕正会に入会した男性女子部員である。ご覧の印象からすると、さぞ古くからの創価学会員かと思われるが、なんと七年前に創価学会に入信したという。

すると、上掲がいかにもウソ臭く思えてくる。

会則変更とは例の弘安二年の御本尊は受持の対象にしない云々であるが、右も左もわからないであろう彼がなぜにその重要性に気がついたのか、そこが問題である。さらに法華講に移ったことも妙な話である。古くからの創価学会員ならばまだしも最近の人たちは宗門とのコネクションを持たない。

ただし、一点だけ留意すべきで、彼は創価学会に入ってすぐ戸田会長の書籍を読み漁ったらしいのである。この点ではツジツマが合っている。戸田城聖氏の書籍を読めば、創価学会を辞めて宗門に移るのは自然なことと言える。

もっともこの人物は、いわば物凄く意識レベルの高い人なので、いずれは顕正会にも問題を感じて離脱していく運命を辿るかもしれない。

 池田大作の側近だった婦人・・・

それにしてもこの辺は少し意図的なものを感じる。具体的な人物名を書くべきだろう。

 現在、宗門末寺では、未入信の者がお試しで御本尊様の御前で勤行でき・・・

宗門批判の意味で書いたのだろうが、顕正会だって同じじゃないかと思う。

次は自ら顕正会本部に電話して入会した女性男子部員である。

 勤行の観念文が三度も変更され、ことに池田大作本人が観念文に記載されていることには驚きました。

彼女は創価学会に四十六年間も在籍していて、地区・婦人部長をやっていたこともあるらしいので、いわば第一線の幹部として創価学会の変遷を目の当たりにしてきたわけである。三度の変更は確かにコロコロ変わり過ぎの印象が否めない。ただし、上掲の後半は少し不審である。

記載されている?

この言い方が微妙である。普通、記載された時点で驚くはずなので、記載されていることには、ではなく、記載されたことには、と書くべきだったろう。

「池田先生の健康長寿を祈るように」と指示してきたことには全く納得ができず・・・

まったく同じネタを以前にも取り扱っている。ここは納得できないほうがおかしい。顕正会員は上掲の池田を浅井に差し替えても納得しないのだろうか?

最後は創価学会から入会してきた男性婦人部員である。

 二二〇万顕正会員の一人が一人を連れてきたら、四四〇万になると思うと心が弾み・・・

活動会員ならば必ず一度は考えることである。しかし、現実はひじょうに厳しい。かつまた顕正会の実態を知れば知るほどに、それが実現不可能であることを思い知らされるのである。

2021/2/12

キンゲン  
現状、沖浦氏と議論をしたいと思っている人は皆無に等しい。特に御書の真偽問題については信徒のブンザイで云々してもどうなるものでもないので、そこを追及されても応じようがないのである。

 二箇相承は日蓮正宗に立証責任がありますので、それがなされない以上偽書です。

つまり、沖浦氏自身も論戦を望んではいないのだろう。上掲のようなことを書けば、誰も寄りつかなくなる。

 時系列が貴方のご指摘が正しいとしてですが、弘安4年に身延を示唆されて、5年に否定されたとの考えは、富士山ご希望の貴方の願望に過ぎません。

それにしても道理の通じない人である。ここはわたくしの願望ではなく、いわば常識的思考に基づく指摘である。

譬へば世間の父母の譲りの前判・後判のごとし。はた又、世間の前判・後判は如来の金言をまなびたるか。

これで仏法世法共通の常識的思考であることがわかっただろう。時系列が重要な意味を孕んでいることに気づかず、自説の正当性を得意になって主張していた御仁こそ、よく反省しなければならない。

さて、今日は十二月度総幹部会の会長講演である。

 そのうちアメリカは感染者1784万人、死者は31万人。第二次世界大戦での米軍戦死者が23万人ですから、すでにそれを超えている。

昨年の十二月二十一日現在の数字だそうである。全世界の感染者が7683万人、死者169万人と書かれていて、それに続くのが上掲である。さらに次のように書かれている。

 日本は同じく21日現在で、感染者は20万人、死者は2790人。日本の感染はいよいよこれからです。

総幹部会が行なわれたのは年末の二十二日であり、日本ではここから感染者が急増していった。浅井先生の予言が当たったごとくである。そして年が明けてすぐに緊急事態宣言が発出され今もなお継続されているわけだが、どうやら感染者は減少傾向に転じたようである。これをどのように見るかが難しいところで、インチキが行なわれていなければいちおう宣言が功を奏したことになるだろう。ただし、厳密には後日判明するであろう超過死亡なども考慮しなければならないし、減少傾向が事実だとしても油断していれば再び拡大に転ずるかもしれないので、まだ安心できる状況ではない。

 正本堂の崩壊こそ第六天の魔王の敗退であり、池田大作・細井日達・阿部日顕等のたばかりの終焉なのであります。

もちろん歴史を俯瞰した上での発言なので、そこは斟酌しないといけないだろう。とは言え、ついついツッコミを入れたくなる。正本堂の崩壊は平成十年のことだ。あれから何年経ったのだろうか?

つまり、イジワルな見方ではあるものの、そんな昔の話を今頃になって力説しているところがどうかしているのだ。いわばそれ以降の顕正会は迷走を続けているようなものなのだろう。また、逆に言えば、いつまでも過去の栄光にしがみついているのだ。

 この広告文の発行部数は、十二月で五千八百万枚に達しました。まさに日本の全人口の半分ちかくにも及ぶ数ですね。

わたくしはその手の専門家ではないのであくまで当てずっぽうであるが、郵便ポストに入れられるチラシの効果は微々たるものだろう。百分の一、いや、千分の一かもしれない。残念ながら広告文も同様である。

 この広告文発行より三年余を経た今日、「残された時間」はさらに少なくなっている。

かつて、あと十有余年、と言っていた。わたくしはこれに対して、十年を切るのはいつだろうか、と思って、その旨を何度も書いてきた。ご存知のごとく、まったく言わなくなってしまった。

同様に、残された時間を云々するのであれば、具体的な年数を示す必要がある。そこがアイマイになっているところが問題である。

2021/2/11

トタン  
まず、沖浦氏はわたくしの意をよく理解した上で返信して下さった。その点については感謝申し上げたい。しかしながら相変わらず書き散らかすのが好きな御仁である。

 二箇相承が偽書と判明している現在・・・

過去に何度も表明しているように、わたくしは御書の真偽には立ち入らない。ゆえに上掲のように決め付けられてしまうと、もはや議論は成り立たない。実際、沖浦氏はわたくしだけでなく他の人にも広く議論を呼び掛けているようであるが、それに応ずる人はいない。拙ブログの読者は日蓮正宗系の人が大半なので、わたくしと同様に真偽については言及しないのである。

 尋ねてが身延否定として有力としても、三大秘法抄の直後に、身延は霊鷲山だと断言しておられますので、このご文は無視できません。

ここも相変わらずのオッチョコチョイである。

おそらく読者の多くは何の話かわからないと思う。沖浦氏が書き散らかすものだから、もはや誰も真面目に読まないし、またわけのわからんことを言っているなあ・・・くらいにしか思わないのである。

そこで煩瑣ながらも解説を加えよう。

弘安四年の四月に大聖人は「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて」と仰せになられた。同年九月には「彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり」と仰せあそばすのである。この文脈からすると、霊山浄土に似たらん最勝の地とは実は身延山なのだ、という結論を導くことも可能となる。ゆえにわたくしは弘安五年説に言及したわけである。順番が逆であれば上述の可能性は低くなる。半年前には身延こそ霊山なのだと言ったものの、いわばそれを打ち消すために最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきと念を押されたわけである。御自分が身延に住まわれている状況で「〜を尋ねて」とおっしゃれば、別の場所を想定するのが自然である。つまり、御書の順番が換わるだけで、意味がまるで違ってくるのだ。沖浦氏はこの点にまったく触れていない。やたら書き散らかすわりには大事な点が抜けている。

とりあえず、このくらいにしておこう。急ぐ必要はあるまい。

さて、いつものごとく顕正新聞を見て行く。今回は第1532号である。

先生の「全国の顕正会員のみなさん」との第一声が流れた瞬間・・・

ここは第一面の報道部分であるが、少しアゲアシ取りをしたい。上掲の少し前には次のような文言がある。

北は北海道から南は沖縄、台湾に至る各地で元旦勤行が奉修され・・・

台湾の人たちはどのように感じたのだろうか?

来年からは、全世界の顕正会員のみなさん、と挨拶したほうがいいかもしれない。

さらにその二年後には大蒙古の大侵略があった。

浅井先生の新年の挨拶本文である。大侵略が気になった。しかもここは文永の役を指している。とは言え、続きの文章には弘安の役が出てこないので、大幅に話を端折ってしまったのだろう。

国民は全財産を調査され、最高税率90%、最低でも10%ぐらいを負担させられる。そのとき国民は塗炭の苦しみを受けるのです。

国家破産についてである。近年、国家破産などあり得ないと主張する学者・評論家が跋扈している印象がある。これに対する浅井先生の見解を聞いてみたいと思う。

それにしても上掲の税率には拍子抜けした。最高税率はともかく最低税率がそんなものであれば仕方がないと納得する人もいることだろう。あえてイヤミなことを書けば、この辺は浅井先生のケチンボな性格をあらわしているのかもしれない。わたくし個人は10%であれば何の不満もないし、塗炭の苦しみでも何でもないと思う。

 やがて中国は台湾を統一し、尖閣を奪い、ついには日本を襲うこと必定と思われる。

十二月度総幹部会においても同様の発言があって、それがちょっとした問題を孕んでいる。これについてはいずれ書くことになるだろう。

2021/2/10

トウエイチョウ  
編集前記:通例では文末に追記を入れるわけだが、なぜか入らないので前に持ってきた。「トウエイチョウ」が日本では使用頻度の少ない漢字表記ゆえか、文字化けを起こしてしまった。最後の文章がすべて消えてしまったけれども、書き直すのが面倒臭いので、そのままにした。いつも下書きなしで直接打ち込んでいるために、復元できないのだ。


沖浦氏は相変わらずである。理解力がないのか、もしくはわかっていて論点をずらしているのか、そこは微妙なところだが、ともかくトンチンカンである。

〜を尋ねて戒壇を建立

もし仮に大聖人が佐渡にいらした時に上掲のごとく仰せられたとすれば、身延戒壇論も相当である。ところが身延にいらっしゃる時に「〜を尋ねて」と仰せなのである。普通は別の場所を想定するものだと思うが、いかがだろうか?

わたくしが求めているのはこの点についての回答である。話を勝手に進められても困るのだ。

大標識タワー

さて、顕正新聞である。総男子部長がご覧のごとく言っている。この表現は百万達成の時に盛んに使われていたもので、皮肉なことにあの時のタワーは撤去の憂き目に遭って、今は存在しない。わたくしは当時、百万達成記念に建てられたタワーが撤去されたのは百万がマヤカシだからである、という意味のことを書いた。

「還御を祝し奉る記念大会」

これは副総男子部長の記事である。彼は同記事で三百万を連発している。皮肉な話だが、あの記念大会では一千万を誓った。しかも年限を設けてである。

着ていたシャツをすべり台にくくりつけて首を吊ろうとし・・・

婦人部杉並支区部長(首都圏)の記事はいかにもウソクサイ。本気で死のうと思ったら誰もいないところで首を括るだろう。それはともかく次が問題である。

最終日、二二二万達成にお応えせんと、多くの支区員が自発で休暇を取り・・・

自発がイヤラシイのだ。これが常態化すれば同調圧力に負けて休暇を取る人も出てくるだろうし、結局は無理が祟って離脱していくことにもなりかねない。それ以前に世間の人が見ればずいぶんと非常識な行動に映るだろう。

 また「学会版本尊に池田会長の名前を入れる」との噂が立つ・・・

大阪の男性女子部員である。彼の父親は牧口初代会長時代からの創価学会員とのことで、彼自身も分隊長として熱心に活動していた時期があったようである。それにしても上掲はいつ頃の話なのか、そこが気になるところである。

 学会版本尊を学会に返納すると・・・

ここも疑問である。年代的には学会版の本尊であるはずがないのだが、その意味では正宗寺院に返納するのが筋なのだが、本当のところはどうなのだろうか?

 また周恩来の妻の枝鹹兇�楊韻陵世ているズボンの革ベルトでスープを作るよ

2021/2/8

ホッチ  
最近は教義について論じる人が少なくて、沖浦氏は物足りなく思っているらしい。そこでわたくしに対して論戦を挑んでくるのだが、それがひじょうに面倒臭いのである。今回の場合、戒壇建立の地をどこにするのかで、意見が対立している。単純化すれば、富士山なのか身延山なのか、である。

気が向いたら本格的に書きたいと思っているが、今日のところは簡単に片付けてしまおう。

着地・発地

御書全集の目録に注目されたい。題名の次に着地とあって、別名・執筆年次・発地・正筆所在・時代写所在という具合に並んでいる。着地と発地を離している理由をご存知の人がいれば教えてもらいたい。それと三大秘法抄の系年について、全集では弘安四年となっているが、弘安五年説も有力である。この点についても詳しい人がいれば教えてもらいたい。

話を戻そう。

沖浦氏は二つの御書を用いて合わせ技一本としている。これについてはトチロ〜氏との議論でも説明したごとく、手掛かりが少ない時にはきわめて有効な手段ではあるものの、まるで見当違いの結論が導かれてしまう危険性もあるのだ。まさに今回の沖浦氏がそれに当てはまるかもしれない。

そこで今回、わたくしが注目したのは発地である。実に単純な話だ。大聖人は身延に御住まいであられた。はたして身延に御住まいの大聖人が身延に戒壇を建てなさいとおっしゃるのか、むしろ別の場所を想定するのが自然ではあるまいか、ということである。

この点について、沖浦氏の見解をお聞きしたいと思う。

さて、顕正新聞第1531号である。当該号が実質的な本年の第一号となるわけだが、第一面については前々回の拙稿で取り上げたので、今日は二面以降についてである。

 一歩踏み入れると、別世界の浄域が広がる。

浄域には恐れ入った。ああ、そうそう、説明していなかった。第三青年会館が完成して、大通り側に新たな門が造られた。それが正門の位置付けとなるらしく、立派な門柱の写真や大標識を含めた正門の全景写真などが二面には掲載されている。特に左下の写真の説明が印象的である。

参詣者はまず正門の威容に目を瞠る。参道は樹木に覆われて奥が見えない。

独立教団路線まっしぐら・・・

これがわたくしの偽らざる印象である。参道と書いてしまっている時点でそれが決定的であり、樹木に覆われた様子からしても宗教施設の雰囲気が濃厚である。

 この第三青年会館の建設を以て、広布本陣の構築はすべて整ったのです。

三面から五面にかけては会長講演が掲載されている。上掲の発言からも先生の満足感が窺えるが、次の一段では常盤台時代のことを語っていて印象深い。

しかしそこは、いかにも土地が狭く、周囲が密集している。もし地震等の大災害が起きたとき、御本尊様をお守りすることはできないと思い、この埼玉県の大宮を選んだのです。

さまざまの憶測が流れた。拙ブログのコメント欄にも移転の裏事情について書き込まれたりもした。

東京・常盤台に建てられた最初の本部会館

過去の経緯はともかくとして、懐かしい写真が見られてよかった。

今の安倍晋三などはウソばかりですね。

浅井先生もボケたものよ、と思ったが、全体の脈絡としては間違いではないのだろう。直前には松方正義や高橋是清のことが書かれている。つまり、歴史を俯瞰した上で前首相を「今の〜」と表現しているわけだから、決して間違いとは言えないのである。

 そして今の「ガースー」っていうの(大爆笑)、彼にいたっては、なぜこれが総理になったのか(爆笑)と思うばかりです。

顕正会は政治批判をするものの外野でガヤガヤ言っているだけである。本年は必ず総選挙が行なわれる。しかし、顕正会は動かない。あるいは選挙中に例の広告文を配って回るのかもしれないが、それが国政に対してどのような影響力を発揮するのか、まったく不明である。

 そして以後、だんだんと土地が広がり現在の広大な敷地になったのですが、これは顕正会が無理に買い取ったのではない。隣接する土地の地主が次々と売りに出し、自然と入手できたのです。

よくは知らないが、信濃町も同じような感じなのだろう。

 私は「日蓮正宗」とは名乗りたくなかった。

この辺も裏事情がありそうだが、よくは知らない。

但し時の貫首において、習学の仁、

これは新見解かもしれない。以前、何かの講義の時にこの一条について、宗門にとっては都合の悪い一条なのでわざと読み間違えている、というような意味のことを言っていた。では、具体的にはどのように読むべきなのか、そこが問題だった。実際には今回の講演でも詳しい解説はせずに素通りしているわけなのだが、少なくとも読み下し方において従来とは違うものを出してきたことになる。

細井日達貫首 阿部日顕貫首

これも初めてかもしれない。

 この丑寅の刻に、大聖人様から日興上人・日目上人と、一日も欠かすことなく勤行が続けられてきたのです。

大聖人も丑寅勤行をされていたと・・・

この根拠はどこにあるのか、現宗門でも同意見なのか、気になるところである。

宗務院から末寺単位に「登山目標計算用紙」が配布された

おそらくは法華講から顕正会に移籍してきた人が持っていたのだろう。ノルマ的でイヤな感じがするのは事実である。もっとも顕正会も同じであるし、実際にはもっとヒドイかもしれない。

三百万の仏弟子の大集団がまもなく出現する・・・

再三にわたり指摘しているごとく、近年は具体的な目標を言わなくなった。この場合、間もなくとはどのくらいの年数を意味するのか、まったく不明である。

駒を進め

初出かもしれない。古くからある表現だとは思うが、浅井先生が使うのは初めてではなかろうか?


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