2021/3/9

ツブサ  
まず、沖浦氏が二重性を云々しているので、そのことについて簡単に触れておこう。

 ここでは、仏法が本、世間は迹となります。

 この二重性を理解出来ないと、御書は分かりません。


これまでの所論をつぶさに見れば、いわば修正案を示していることになるだろう。つまり、今までは真逆のことを言っていたわけだが、さすがにそれは言い過ぎだと気がついた。そこで二重性を持ち出したわけである。何しろ仏法は体であり世間は影であると大聖人が仰せなのだから、それを真っ向から否定することはできない。いつもわたくしや晃氏に対し、文句があるなら大聖人にどうぞ、などとイヤミなことを言っているのが沖浦氏である。今回はその自己矛盾に気がついたわけなのだろう。

いずれにしてもである。わたくしの思うに、何も本迹と体影を関係づけて考える必要はなく、本迹はいわゆる法華経の本門と迹門のことであり、体と影はあくまで譬喩としての御説明と捉えるべきである。この点、議論のスタート地点から考え直さないといけない。

なお、今朝のコメントはどうかと思う。

 大聖人門下では無いですね、この志の小ささ低さは。
 創価学会は最初から世界をめざしています。


沖浦氏の言っていることは単なるアゲアシ取りである。わたくしは両者を兄弟関係と書いた。当然、創価学会を兄とし、顕正会を弟と見立ててのことである。差し当たって兄を目標にして何がいけないのだろうか?

しかもである。創価学会は最初から世界を目指している云々が本当ならば、その世界を目指している兄を目標にしているわけだから相当に志が高いことになる。

世間でありがちな話をすれば、兄は優秀、弟はぜんぜんダメ、というようなケースがあって、もはや兄に追い着こうとすら思わない人もいるのである。

ちなみに、わたくしの漠然とした印象を書けば、初期の創価学会は東洋広布を盛んに言っていた。世界広布を言うようになったのは池田大作氏が会長になってからである。

2021/3/8 21:22
投稿者:元顕正会員
200万達成の時に何かしましたっけ?
おそらく300万達成しても何もしないと私は思います。


元会員とのことだが、在籍期間が気になるところである。わたくしは二十万達成の前から百万達成の直後まで在籍しており、その後は送られてくる顕正新聞の情報を頼りにこうして情報発信を続けている。

そこでご意見についてわたくしなりの見解を書くと、三百万の時に何もしないのは詐欺に等しいので、何かしらやらないといけないのではないかと思う。ただし、前回の拙稿でも書いたように、思うような成果を上げられずにガッカリすることになる。おそらくは熱心な活動会員たちも落胆して、一国諫暁後には多くの離脱者が出る。つまり、やらなきゃ詐欺、やっても失敗、どちらを選んでもマイナスにしかならないのだ。

ちなみに二百万の時に一国諫暁をやらなかったのは、それなりの理由がある。簡単に言うと、百万の時に一国諫暁をしたが不発に終わった。この時の落胆はハンパないものだった。そこで離脱した活動会員も相当にいた。つまり、百万以降の顕正会は上昇カーブを描くどころか逆に低迷したのである。折しも『迷走する顕正会を斬る』という本が出た。熱心な活動会員たちは日々のノルマに追われて客観視することができない。しかし、わたくしは顕正会の迷走ぶりを俯瞰的に見ることができた。顕正会は流出する会員を補うために折伏のノルマをこなしているような、いわば自転車操業状態だった。それでダラダラと時間を費やして達成したのが二百万だった。ゆえに一国諫暁の準備も整っていなかったし、かつまた不発に終わった百万の時の悪夢が再現されると思えば、とてもじゃないが一国諫暁などできる状態ではなかったのだ。

矛盾したことを言えば、一国諫暁はいつでもできるのである。

かつては諫暁書を出版して書店に置いてもらうことが一つの有力な手段だった。ところが今は出版業界そのものが疲弊している意味もあって、以前と同じことをやっても効果が期待できない。いや、正確に言えば、以前だって不発だったのである、いわんや今はなおさらだろう、ということになる。

ご存知のごとく、出版業界が斜陽化しているのはインターネットの普及に原因がある。特に若者たちは紙媒体ではなく電子媒体で情報を得ている。かつまた情報発信も容易にできるのが電子媒体である。失礼ながら浅井先生の世代にはこの点がわからない。もちろん説明を受ければある程度は理解するのだろうけれども、自分自身が自由自在に使いこなせるようにならないと実感を持って理解することはできない。

紙媒体の場合、原稿を書いて、それが出版されるまでにはたくさんの工程を要する。ところがである。電子媒体は原稿を書いて終わりなのである。正確には原稿をタイプして終わりとなる。紙の原稿だとそれを機械に読み取らせないといけないが、タイピングであれば一発で終わるのだ。かく言う拙ブログも一発である。

つまり、一国諫暁もやる気になれば今すぐにでもやれるのである。

顕正会の公式ホームページに一国諫暁の文言を掲げた瞬間に、いちおうは全世界に発信されたことになる。それがインターネットというものなのだ。媒体は一つではない。ツイッターだとかフェイスブック、あるいは動画サイトもある。ネットの世界で人気のある人は、これらを複合的に上手く使いこなしている。基本、媒体そのものは無料でもある。

ただし、こうした媒体を利用することに顕正会が及び腰になることも頷けるところである。

なぜならば数字が出ちゃうからである。拙ブログだって数字にさらされている。現状、百人前後の人が閲覧している。これが多いか少ないかであるが、悲しいかな個人ブログだとほとんどゼロに近いアクセス数の人も少なくないので、その意味では百人もいれば御の字かもしれない。だが、顕正会がそんな数字だったらオシマイだろう。いちおう二百万人を謳っているのだから、そのくらいのアクセス数を集めないと話にならない。ようは電子媒体を利用すると、そうした数字上の欺瞞がバレちゃうのである。

今日は顕正新聞の話題を拾えなかった。


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