2021/4/8

ノチグヘ  
沖浦氏の指摘するように、顕正会が過去に囚われているのは事実である。宗門にもその傾向がある。しかし、過去を切り離すことができないのも事実である。直近のコメントには青年訓のことが書かれている。実はあれには今の創価学会にとって都合の悪い文言がたくさん含まれているのだ。新世代の創価学会員がそれを読んだらどのように感ずるかである。この問題は永遠に振りほどけないと思う。

さて、顕正新聞の続きである。

もし先生の命をかけた戦いがなければ、全人類の成仏はなかった・・・

高齢の男性婦人部員の発言である。顕正会の首脳部にクギを刺しておくが、こういうことを言わせているようではオシマイである。むしろ逆のことを言わせるべきだろう。先生がいようがいまいが関係ないと。かつての浅井先生は池田大作氏の大慢心を誡めていた。今は自分が同じ轍を踏んでいることに気がつかないといけない。

次は八十一歳で亡くなった支隊副長のことを男子部第八隊支隊長(佐賀)が報告する記事である。

その実態は組織で酒を飲みつつ新幹線で向かい、ドンちゃん騒ぎをした旅行気分の状態で御開扉を受けたそうで・・・

昭和四十九年に創価学会、五十八年に法華講、その後、正確な時期は不明ながらも顕正会へと移籍してきたようである。そして上掲は法華講時代のことらしい。

しかし、わたくしの思うに、上掲は程度の問題だろう。飲酒が絶対的にダメだという話ではなく、旅行気分も悪いことではないはずである。昔からお参りと旅行はセットになっていた。では敬虔な信者は飲酒しなかったのか、わたくしはそんなはずはないと思う。むしろそのような考え方は小乗経の戒律っぽい雰囲気が濃厚であり、なかなか支持を得られるものではない。顕正会が敬遠されるのは、あるいは会員が離れていくのは、こうした堅苦しさにあるのではあるまいか?

「中国の侵略」特集号

さて、二月度総幹部会を報ずる第1537号であるが、一面下段には新「新潟会館」の完成予想図が掲載されている。なるほど、地方会館の中では随一の大きさであることが伝わってくる。

さなくしては後悔(のちぐえ)あるべし

会長講演については、上掲が気になった。全集と平成新編を確認したが、ご覧のようなルビは存在しない。しかもわたくしの記憶が確かならば、従来はコウカイと読んでいたはずである。

ちなみに、わりと近い時期には次のような御書がある。

今より後は又のちぐへ(後悔)なり。

この点をどのように考えるべきか、わたくしにはわからない。

・・・間もなく三百万になる。さらに一千万、六千万になり・・・

ツッコミどころではある。今は三百万がトレンドであるが、かつては一千万を盛んに言っていたし、六千万もしかりである。それらを細かく調べて行けば言っていることがコロコロ変わっていることがわかるだろう。

私は前々から「20年代こそ広宣流布の決戦場である」と思い定めておりましたが・・・

前々からがイヤラシイのだ。ここでは思い定めていたと書いてあるので、あるいはそれが逃げ道なのかもしれない。前々から言い続けてきたと書けばツッコミが入る。ゆえに言っていたのではなく思っていたと表現することで、ツッコミを回避しているのだ。

 この中でアメリカの死者数は50万人を超えた。バイデン大統領は「この数は、第一次世界大戦と第二次世界大戦とベトナム戦争を合わせたよりも多い」といって悲しんでいた。

新型コロナの猛威を説明するくだりである。これは凄まじい数字であり、日本も他人事ではない。何しろ二回目の緊急事態宣言が解除されたと思ったら徐々に感染者が増えだし、いわゆる第四波の懸念が出てきた。特に大阪が深刻でこのところ東京よりも感染者数が多く、昨日は八百人台を記録してしまった。今の勢いでは千人を超えてもおかしくないだろう。もちろんアメリカなどと比べたら桁違いに少ないわけだが、感染症の怖さは油断していれば爆発的な増加を見せることである。顕正会の弘通は遅々として進まないが、感染症の爆発は一気である。

ところでトランプ前大統領はどうなったのだろうか?

ここもツッコミどころではある。浅井先生はトランプの動きにも目が離せない旨、つい先日まで言っていたのだ。黙って引き下がるようなタマではないということなのだろう。この点、頬かむりを決め込むつもりと見える。いや、もしかしたらまったく意識していないのかもしれない。結局、浅井先生のやっていることは、その都度、目の前の事象を自分なりに解釈するだけであり、大きな矛盾さえ生じなければそれでいいということなのかもしれない。

いまの米国および日本の株価高騰は、この大恐慌直前に咲いた徒花に過ぎないのであります。

経済問題は難しい。先生の指摘どおり、今の株価高騰は異常であり、これがいつまでも続くはずがないと考えるのはきわめて常識的と言える。ところがいつどのタイミングで暴落するかは誰にもわからない。わかれば苦労しない。

米国は大恐慌の震源地 中国は大闘諍の震源地

ここは記事をそのまま引用したのではなく、わたくしなりにまとめたものである。前半は前掲の話題であり、後半はまさに先生の持論である。

チベット僧侶は中国の暴虐に抗議して焼身自殺した

この写真が凄まじい。もし動画があればもっと凄まじい。

わたくしの素朴な疑問は周囲に数十人の僧侶がいて見守っていることである。この意味がわからない。火炎に包まれている僧侶は自ら志願したのか、それとも誰かに命じられたのか、である。もちろん後者であれば大問題だろう。少なくとも今の日本であれば自殺を見守るのではなく阻止すべきとの意見が普通だし、極論すれば止めなかった周囲の人々は殺人幇助と見なされても文句は言えないだろう。

それほどに中国の暴虐が凄まじいのかもしれない。この点、今の日本人には理解できないのかもしれない。

池に落ちた犬を叩くような・・・

不勉強のわたくしはこの言葉をまったく知らなかった。それはともかく、森喜朗氏の女性蔑視発言について、浅井先生は弁護していることになるだろう。実はその昔、この人が総理大臣だった時も先生は擁護的な発言をしていた。たぶん、それとこれとは関係ないのだろうけれども、わたくしの思うに、この人は昔から失言が多かった。ところがいつまで経っても失言癖が直らない。ゆえにマスコミとしてもチャンスを窺っていて、今回はここぞとばかりに叩いたわけなのだろう。

海警法

中国の法律である。この説明は省くが、問題は尖閣諸島の実効支配、具体的には中国人が島に上陸することが決定的な意味を持つわけで、それがいつ行なわれるかである。この点、浅井先生の見通しは外れている。

 そして、大聖人様が広宣流布をあそばすその最終段階に御奉公が叶うとは、顕正会はなんと有難い宿縁か。

前にも聞いたようなセリフである。

わたくしの印象としては、浅井先生の言っていることはずっと同じであり、よく言えば一貫不変、悪く言えばマンネリである。特に近年の総幹部会での会長講演はほとんど同じ内容であり、そこに最新の時事問題を織り交ぜて新鮮味を持たせているだけなのだ。それがわかってしまうとガッカリする。離脱する人が出るのも当然だろう。


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