2021/4/11

アセビ  
引き続き顕正新聞第1537号である。

少ない勉強時間でも司法試験に合格

男子部第百三十七隊支隊副長(首都圏)は父親の縁で入信したという。それはともかく顕正会も優秀な人材が増えてきたようである。

弁護士をめざす同志が次々と御守護を頂く登壇発表を聞くにつけ・・・

弁護士だけでなく、あらゆる分野で優秀な人材が出てこないといけないのだが、はたして実態はどうなのだろうか?

腫瘍の大きさは十センチにもなり、重さも一キロを超えておりました。

男子部第二十八隊支隊副長(首都圏)は、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫と診断された。それにしても重さはどのように計ったのか、それが気になるところである。素人考えでは、さすがに一キロは重過ぎるだろう。仮に水分だとすると一リットルにも相当する量である。この点、医療の専門家に聞いてみたいものである。

婦人部松阪支区(三重)の平会員は邪教遍歴の激しい人である。

 その後、昭和六二年に顕正会に入会したものの未活動になり、・・・エホバの証人・キリスト教・真光・立正佼成会・天理教等と次々に邪教を試してしまいました。

もともと創価学会員だった。ご覧のように昭和六十二年に顕正会に入会した。いわゆる正義に目覚めたわけである。そのような人物がなぜに邪教を遍歴するものなのか、わたくしにはまったく理解できない。今現在は顕正会に復帰して登壇発表をしているからこそ、顕正会目線で邪教云々と言っているものの、ハタから見れば創価学会と顕正会を含めてたくさんの新興宗教を遍歴してきた人物となるだろう。

前後して恐縮だが、次は創価学会時代の話である。

 ところが突然、「細井日達と池田大作の仲が悪くなったから、登山や寺に行ってはいけない」と言われ、このとき学会に対する不信感が湧き、夫とともに脱会いたしました。

今となってはピンと来ない人も多いかもしれない。しかし、ひじょうに重要な視点である。やはり当時の真面目な創価学会員たちは、おかしいなあと思っていたのである。ゆえにこの機に乗じて正信会が旗揚げした。結果として池田大作氏は会長辞任にまで追い込まれてしまった。ただこれは今になって思えば、池田氏の辞任は創価学会ないし創価学会員を守るための立派な振る舞いだったのかもしれない。

ところが、それからおよそ十年後、再び宗門と創価学会は仲が悪くなってしまい、それが今日まで続いている。もはや関係修復は不可能のように見える。もちろん顕正会も似たり寄ったりの状況である。

さて、続いて第1538号である。

北条時宗より招かしめ・・・

婦人部第一総部長(東北)の記事にはご覧のような言い回しがある。わたくしには何を言っているのかさっぱりわからない。翻訳できる人がいれば、ぜひともお願いしたい。

もし先生がおられなければ、下種三宝尊の御威徳は未来永遠に水泡に帰し、全人類一人として成仏が叶わなかった・・・

女子部第二総部長(栃木・四国)も誇張が過ぎる人である。もし先生がこれを読んで何とも思わないとしたら問題だろう。わたくしがその立場だったらこのような記事は書かせない。

婦人部市川支区組長(首都圏)も似たようなことを書いている。

先生の御遺命守護の戦いがなければ、全人類の成仏はないのだ・・・

ちなみに彼女は創価学会員だったようで、その時代の不幸自慢みたいなことがたくさん書かれている。父親が脳溢血で一週間後に亡くなった話はありふれている。母親が入浴中に急死したのはやや特殊ではあるものの、わりと耳にする話ではある。極めつけは次の一段だろう。

 さらに不幸は続きました。姪は勤務先で経理を担当していましたが、ある日の給料日、いつものように現金で社員に手渡す予定の姪が行方不明になったのです。警察に通報し捜索したところ、会社の一室の押し入れから姪の絞殺死体が発見され、殺人事件としてニュースにもなり、未だ未解決のままで犯人は捕まっておりません。

何とも言えない話である。

男子部第百七隊組長(栃木)は昭和四十三年から五十三年間も創価学会員だったという。しかし、次のくだりが不審である。

 さらに学会がいつの間にか「国立戒壇」を叫ばなくなったことや、邪宗での葬儀を否定しなくなったこと等、次第に違和感をおぼえるようになり・・・

前回も書いたように創価学会が国立戒壇を盛んに言っていたのは昭和三十年代前半である。その意味で彼の言っていることは時間的にツジツマが合わない。

班長が
 訪ねてくれた!


ここは感動的である。班長は会津若松市に住んでいて、登壇者の住まいは栃木県日光市のしかも県境にある山奥の集落なのだそうである。登壇者は仕事仲間でもある班長に、明日は休むと電話で告げた。少し具合が悪かったからだ。その後、容体が急変した。登壇者は一人暮らしだった。ゆえにこのまま死ぬかもしれないと思ったそうである。

どうだろう。自分が班長の立場だったら、電話の様子がおかしかったとは言え、大丈夫だろうと勝手に判断して訪ねなかったかもしれない。結果、死なせてしまったかもしれない。だとすれば、後悔千万である。

御影石のように輝いていた・・・

婦人部早川支区組長(宮城)の記事である。母親のことを書いているわけだが、御影石には恐れ入った。わたくしにはまったく思い浮かばない譬喩である。また、この記事では外用の成仏を云々しているのだが、前号だったか、内証成仏を云々するものがあった。この辺は個人の主観に過ぎないとは言え、そのように思えるところが凄い。

馬酔木の花

アセビは聞いたことのある名前だが、表記はまったく知らなかった。また、掲載写真を見てもよくわからないので、現物を見てもわからないだろう。


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