2021/6/18

イッキイチエン  
教師の握り拳については、それほど難しく考える必要はない。大聖人がその表現を好まれなかったフシがあって、御書には出てこないという現実がある。だったら使うべきではなかろう。ただそれだけの話である。

一機一縁については今まであまり考えたことがなかった。そこに沖浦氏が法華初心成仏抄の一節を引用してきた。なるほど、氏の言っていることも、わりと筋が通っているようである。確か顕正会でも一機一縁の御本尊という表現を使っていたと記憶するが、もしかしたら間違っているのかもしれない。この点、今後の課題とさせていただきたいと思う。

さて、顕正新聞である。

「再々登板」企み蠢動する安倍前首相

世相閻魔帳の第三回である。上掲は週刊誌レベルでしばしば話題になっていて、顕正新聞の同コラムも毎回かなり週刊誌っぽい内容なので、まさにオアツラエムキの話題なのかもしれない。

わたくしの予想では再々登板はあり得ない。むしろ現状では自公政権そのものが崩壊しかねない。どう転んでも本年中には総選挙がある。オリンピックの成否だとかコロナの感染状況など、現時点では未知数のことがたくさんあって、おそらくは誰にもわからないことではあるのだが、少なくとも国民世論的には安倍待望論が盛り上がる様子は見られない。

「櫻井よしこ」と愉快な仲間達

文中からの引用であるが、実にイヤミな文章である。ともかく安倍前首相に期待するのは、こうした一部の仲間たちであって、国民世論的にはそれほど期待していない。むしろニューリーダーの登場を期待しているのだと思う。

国のリーダーに相応しい人物として、現東京都知事であったり大阪府知事の名前が出てきたりするのは、現状、自民党内においてもポスト菅の顔が見えてこないこともあるし、野党第一党の通称エダノンに対する期待もあまり大きくはないからなのだろう。とは言え、都知事ないし府知事が総選挙に出て、もちろん当選はするだろうけれども、そのまま首班指名で一気に総理の座に駆け上がるようなドラマチックなことは、さすがにあり得ないと思う。

現状では、負け幅が大きく影響するのは当然にしても、現総理がそのままダラダラと政権運営をしていく可能性が高いような気がする。

記事の内容から大きく脱線してしまったが、この件はこれくらいにしておこう。

正本堂が広宣流布の暁に建つ御遺命の戒壇とは誰も思っていなかった

男子部第百六十二隊長(三重県)が紹介しているのは、法顕寺住職とのやり取りである。つまり、当時は創価学会に阿ってそのように言っていただけで本心は違っていた、というような意味と思われる。しかし、わたくしは違う意見である。もちろん、そのような人たちもいたが、逆に信じていた人もいたはずなのだ。

時代背景が違うので簡単ではないが、今の顕正会の熱心な活動会員の本心はどうか、ということなのだ。理屈は同じである。顕正会員だって、信じている人と疑っている人と半々と考えるべきである。三百万達成で日本が動く? 本当だろうか? どうせ百万の時と同じなんじゃないのか? 活動会員の中にだって、このような疑問を懐いている人がいるはずなのだ。もちろん信じ切っている人もいる。つまり、当時も同じはずなのである。

うちの寺は年間でわずか五、六十人しか御授戒を受けていない。

これは凄いことだと思う。顕正新聞ではこれを寺の衰退ぶりだと言いたいわけであるが、一般の寺院を考えたらまったくイメージが違ってくるはずである。通常、寺院には檀家さんがいる。何十なのか何百なのか、それは知らない。しかし、今の時代は新規の檀家は考えられない。ゆえに今いる檀家だけでやり繰りしていくわけだが、家によっては跡継ぎがいないこともある。あるいは時代の流れで無宗教になる人もいる。ようは檀家をやめる人もいる。つまり、減る一方なのである。そうした中で日蓮正宗の寺院では新規の入信者がいて、それがうまくすれば檀家になるわけだから、他宗の寺院からみれば考えられないほど恵まれていることになる。

いや、もちろん、上掲には続きがあって、その内容を見るとあまり喜べる状況とは言えないわけなのだが、それでも年間で五十人も入信すれば大したものだろう。

 また三大秘法抄の「国主」について・・・

これは女子部第六十四区総班長(香川県)の記事であるが、三大秘法抄の国主とは何を言っているのだろうか?

どうやら玉林寺の住職との法論らしく、住職は次のごとく発言している。

「国主とは民衆だ。今の時代に天皇であるはずがない。天皇が仏法をたもつわけがない」

宗門では今でもこの説が有力なのかもしれない。それはともかく、この話題を振ったのは総班長のほうだろう。宗門の人が顕正会員に対して積極的に戒壇論を仕掛けてくるとは思えない。すると総班長が住職に対して、三大秘法抄の国主をどのように解釈するのか、と問うたのだと思われる。

しかし、おかしな話である。実際に御書を開いて云々していれば、こうはならない。

いつも言っているように編集部の怠慢である。本年は毎号ほぼ期日どおりに発行されており、それなりに努力している様子が見られなくもないのだが、登壇記事に対するチェックは相変わらずである。


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