2021/7/29

コモノ  
一週間ぶりの更新である。特に理由はない。ともかく一週間前よりも状況は悪化している。ご存知のように昨日の感染者数は記録的であり、この記録的という言葉も連日のように上書きされていく状況なのである。昨日がピークでこれから下がっていくのであればいいのだが、そう簡単には行かないだろう。たまたま昨夜はNHKのニュースを見る機会があったのだが、番組は七時から始まってその大半をコロナの問題に費やしていた。もし何もなければオリンピックの話題が中心になるはずだが、さすがに優先順位が違うだろう。さて、今日はどうなることやら、である。

大草一男と妙観講に司法の鉄槌くだる
音声捏造をめぐる謀略訴訟、顕正会が全面勝訴
大草一党のペテン性を白日のもとに晒す


法務部長が一ページ半を使って報告しているのは、例のカエリタマエ問題である。わたくしが注目したいのは、これが東京地方裁判所における判決であることだ。つまり、このまま終わりになるのか、それとも最高裁まで争うことになるのか、この一点である。なぜならば別の裁判では顕正会が逆転敗訴しているからである。それについてはなぜかまったく報道しない。この点、顕正新聞の報道姿勢には問題があるだろう。

以下、当該記事で気になった部分をいくつか紹介しよう。

大草には、平成17年の対決から逃避したという暗い過去≠ェつきまとうことになる。

わたくしにはこれがわからない。大草氏に逃避したという意識があるのかどうかもわからないし、よってそれが暗い過去なのかどうかもわからない。顕正会側が勝手に悪宣伝しているだけのような印象が拭えない。続きの文章がさらに不審である。

 そこで大草は、かかる醜態を取り繕うために、令和元年5月19日、妙観講の女性講員らを自身の「名代」として浅井先生のご自宅に押しかけさせるというパフォーマンスを演じた。

ずいぶん気の長い話である。平成十七年から令和元年まで、何年の隔たりがあるのか、それを考えると法務部長の言っていることはかなり的外れな憶測のようにも思えるところである。

例のカエリタマエ事案はこの時に発生したわけであるが、まさか十数年も掛けてそのような謀略を行なう必然性があるとはとうてい思えない。やるならもっと早くにやってもおかしくないだろう。平成十八年だとかであればわりと因果関係がわかりやすい。それをなぜ十年以上も時間を置いたのかである。

しかもである。音声を捏造したという。

これが事実だとしたら妙観講はとんでもない連中である。異常な集団であり、いわゆる反社と見なされても文句は言えないだろう。まさにここがポイントなのだ。顕正会にとっては憎き妙観講に対して異常集団とのレッテル貼りがしっくりくるものの、公平中立的な立場の人たちから見れば、まさかそんなことまでして相手を貶めようとはしないだろうと思うはずなのだ。ましてや十数年も掛ける必要はあるまい。

「電話越しの音声やスピーカーで再生した音声等を録音したものであることが窺われる」

これは音声分析の権威とされる鈴木松美氏の鑑定だそうである。わたくしが真っ先に想起したのは、かつての浅井大草電話会談である。浅井先生と大草氏は電話でやり取りしたことがある。その時の音声は妙観講側から公開されている。動画サイトで閲覧できるはずである。つまり、この時の浅井先生の発言を切り貼りすれば、カエリタマエという音声を捏造することができる。たぶん、わたくしもやろうと思えばできるだろう。今はパソコンさえ扱えれば誰もが容易に加工できる時代なのだ。

さて、話を戻そう。先ほどから繰り返し言っているように、十年以上も掛ける必要はまったくない。すぐにでも実行可能である。つまり、くだんの暗い過去を払拭するための謀略だと考えるのは、おそらくは顕正会側の勝手な願望であって一般的な人たちにはほとんど説得力を持たない話のように思える。

ウソにウソを重ねた揚げ句、司法に断罪された大草一党。これを自爆テロという

ここはアゲアシ取りであるが、自爆テロは違うだろう。単に自爆と書けばまだしもだった。

「慧妙」との無関係を装う

この段はあまり知られていない事実が書かれていて興味深かった。例えば「株式会社ぎょうしょう」では副講頭が代表取締役であって、大草氏は平の取締役らしいのだ。そしてこの「ぎょうしょう」は顕正会に当てはめれば、顕正新聞社に相当するのだと思われる。ここで慧妙が作られているのだ。ちなみに慧妙は新聞であり、それとは別に暁鐘がある。顕正新聞と冨士の関係に似ている。もっとも冨士はすでに事実上の廃刊となっているが・・・

・・・刮目してみるべきである。

大仰な表現である。

・・・音声分析の第一人者・谷本益巳氏である。

権威と第一人者はどちらが上なのだろうか?

ともかく驚くことは、当然ながらこれは顕正会が依頼して新鑑定を行なったわけなのだろう。ずいぶんとご執心である。見ようによっては最初に鑑定してもらった鈴木松美氏に対して失礼な話である。けれども今は妙観講を封じるためのこれが唯一の材料なのかもしれない。

わたくしはもう一つ切り札があると思っていて、それは実にシンプルな切り札である。ようするに浅井先生は不在だったわけであるから、それが確実ならば鑑定するまでもない。早い話、先生が出掛けた先を明示すれば済む話なのだ。

もはや浅井先生は普通の人ではないので、まさかスーパーに買い物に行くとか、そういうレベルの行動はあり得ない。いちばん可能性がありそうなのは病院だろう。まあ、しかし、病院通いがわかるとそれはそれで困るのかもしれない。それとも不在そのものがウソなのだろうか?

非違行為

あまり馴染みのない言葉である。

数々の大謗法ゆえに無間地獄の前相を示しつつあるのか。

ずいぶんな物言いである。大草氏は裁判の傍聴に来ていたらしく、その時の表情が冴えないことをご覧のように言っているわけである。

浅井先生が平成17年、阿部日顕に対して顕正会の命運を賭して公開法論を迫ったときも、大草は手足すくんで代人として立つこと能わず、法論から逃避してしまった。

冒頭の話の繰り返しである。ただし、前後するが次の一文は見逃せない。

 これまで大草は、浅井先生に対し、構ってほしくて手紙を書いたり講員を押しかけさせたりしたものの、小者すぎて相手にしてもらえず、悔しい思いをしてきた。

どこかヘンである。

結局、宗門側も同じロジックが使えることになりそうである。猊下が浅井ごとき小者を相手にするわけがない。当然、代理を立てる必要もない。放っておくにしかずである。

それでいてお互いに逃げた逃げたと言い合っているのだ。どっちもどっちだろう。

それにしても顕正新聞が片付かないなあ。やんなっちゃう。

2021/7/22

サナカ  
佐藤秀和氏は拙ブログを訪れる面々の中ではめずらしくマトモな人物である。沖浦氏とのやり取りでもその本領が発揮されている。

法華講が正しい等とごり押しは一切しませんでした。

順番は逆になるが、次は沖浦氏の書き込みである。

 ここまで愚かで異流義が日寛宗です。

現状、わたくしにしてもあるいはコメント投稿者諸氏にしても、沖浦氏に対してゴリ押しするような主張はしていない。批判されれば反発するのが人間の常だとしても、現状では誰も批判していないのである。沖浦氏が勝手に騒いでいるだけなのだ。それこそ怨嫉謗法はやめて、功徳の体験発表に専念すべきだろう。

ちなみに上述のことは秀和氏の言わんとしていることをわたくしなりに変換させていただいたものであるが、甚だ矛盾するようだがわたくしは沖浦氏のコメントについて特に気にはしていない。別に今まで通りだって構わない。わたくしはわたくしなりの方法で沖浦氏にツッコミを入れてきたし、今後もそうするつもりである。いわば今回は秀和氏のコメントを借りて婉曲的にツッコミを入れたわけだが、もちろん真正面から取り上げる時もある。その時の状況次第で臨機応変にやっているだけである。

さて、顕正新聞の続きである。

 このたび母が良き臨終を遂げさて頂き・・・

総合婦人部長の記事だが、以前にも書いた通り、亡くなったのは浅井先生の実姉のようである。

そして次は浅井先生の実子である。

先生のお立場とご見識に、ただひれ伏しました。

幹部たちが先生を賛嘆しまくるのもどうかと思うところだが、身内が率先してやっている点がなおさらどうかと思うところである。しかも「ひれ伏す」なのだ。一般人の感覚とはかなり隔たりがあるだろう。その上、この話にはまだ続きがあるのだ。

・・・ただひれ伏しました。

・・・大地にひれ伏す思いになりました。


この記事には同様の表現が三箇所も出てくる。一つ目は浅井先生に対してひれ伏すと言っているわけである。ところが残りの二つは違うのだ。あえて直前の文章を隠してみたが、答えがわかるだろうか?

拙ブログの愛読者ならば先刻承知のことだろう、答えは大聖人である。

前にも同様のことを書いた。クドイが繰り返そう。大聖人にひれ伏すのはまだわかる。けれども浅井先生にひれ伏すのはどうかと思う。先ほど書いたように、一般人の感覚との乖離がとてつもなく大きい。この点、本部首脳はよく考えるべきだろう。

顕正新聞を順番に読んでいるので、次は四面の女子部幹部の記事を取り上げることになる。面倒臭いなあと思って、さらにページをめくってみたら、なんと当該号は十ページ立てだったのである。まいったなあ。今日はもうやめよう。このところ連日の猛暑といい、コロナの感染拡大といい、そのさなかにオリンピックに突入していくという最悪の状況を迎えている。ある意味、顕正新聞に頻出する三百万がマヌケに思えて仕方がないのであるが、彼らは何とも思っていないのだろうか?

2021/7/19

ワダイコ  
沖浦氏がリンクを貼っていたので飛んでみた。すると創価学会の動画だった。

まず和太鼓について言えば、顕正会にも和太鼓のグループがあるのだが、彼我の差は歴然と思った。やはり創価学会の和太鼓のほうが洗練されているし、人材も豊富なようである。

 選挙の話も出ていますが、あくまでも支持母体としての節度の範囲内です。

しかし、これは違うだろう。合法か違法かは専門の議論を要するものの、節度を云々するのであればまったくもって節度がないと言わざるを得ない。

男子部長の発言がもっとも顕著で、共産党への敵意とかつての民主党政権を悪夢のごとく言っていることがかなり尖った印象だった。現状、秋の衆院選での苦戦は必至であり、とりわけ立民と共産の選挙協力がうまく行けば、自公にとっては最悪の結果を招くことにもなりかねない。そうした背景がわかっている人にとっては、彼の言っていることは実に見え透いているのである。

また会長の発言の中で、仏と魔との戦いを云々するくだりがあって、そこではあたかも公明党の方針に批判的であることが魔の働きであるかのように言っていたのが印象的だった。しかし、自民党の方針に唯々諾々と従っているコバンザメのごとき公明党に対し、もっと毅然とした態度で政権内のブレーキ役を果たすべきとの意見がどうして魔の働きに相当するのか、そこが問題である。

この点を踏まえて男子部長の発言に立ち還れば、彼らは感覚がマヒしていて気がつかないのだろうけれども、相当にバイアスが掛かっていることは否めないだろう。

さて、今日は顕正新聞第1547号である。

・・・指導をされた。
・・・指導をした。
・・・指導をした。


五月度班長会を伝える本号の一面には、上掲のような微妙な差異がある。

総男子部長
総合女子部長
総合婦人部長


考えてみれば、これも差異である。明確な差異、と言って差し支えないだろう。翻って前掲の微妙な差異も、実質的には明確な差異と言うべきなのかもしれない。次期会長への布石だろうか?

先生の師子王心はいかなる天魔の障礙をも降されたのであります。

一面下段には総男子部長の記事が掲載されており、そこにはご覧のような記述がある。これを会長本仏論だと考えるのは穿ち過ぎだろうか?

二面に移ろう。まず副総男子部長からである。

大聖人様が千日尼を通して、先生に下された御言葉・・・

これはあながち間違いではないが、あえてイチャモンをつけておきたい。例えば「先生だけに下された」と書けば誰もが間違いだとわかるだろう。逆なのだ。世間の常識からしても、私信の意味では千日尼だけに下された御手紙となる。しかし、御書はそのような偏狭なものではなく、いわゆる全人類総与なのだ。そこを浅井先生に下されたと書いているところがイヤらしい。つまり、上掲は浅井先生だけとは書いていないものの、限りなくそのようなニュアンスが感じられる意味で問題なのである。

教学部長・第十八男子部長(首都圏)は、まずこの肩書がめずらしい。今まではどちらか片方しか表記していなかったはずである。

私自身、「原動力によってすべては決するのだ」との仰せが胸を衝きました。

カギカッコの出典が不明である。おそらくはこの前後の文章が答えなのだろう。いわば浅井先生の発言を意訳したものが上掲なのだと思われる。

原動力によってすべてが決するのであるならば、先生の大忠誠のご一念によって・・・

前後を端折って恐縮であるが、ここでの原動力は浅井先生の一念を意味するようである。前掲の原動力は大聖人より発するものであり、上掲は浅井先生が原動力となっている。これを会長本仏論的だと批判するのはイチャモンが過ぎるだろうか?

「法師の皮を著たる畜生」どもが近く大聖人様から宗門追放され、清らかな正系門家に立ち還ることを確信・・・

男子部第五総部長(首都圏)がどのようなシナリオを描いているのか知りたいものである。

清らかな正系門家に立ち還る云々は、顕正会的には真っ当な主張である。問題はその直前だろう。大聖人がどのような手段を用いて宗門追放を行なうのか、おそらくは本人もわかっていないはずである。その辺が顕正会らしいところで、何でもかんでも諸天の働きで済ませてしまうし、それで疑問に思わないのだからオメデタイことである。現状、諸天の働きは結果論であり、何かしらの現象に対して後付けで説明しているに過ぎない。一種の他力本願である。

例えば正信会問題をどう考えるのか、それを現在の大幹部たちに聞いてみたいものである。

今は記憶のままに書くが、当時の正宗僧侶は六百名いた。そのうちの二百名が宗門追放されたのである。これは世間一般の常識からしても相当な大事件のはずである。しかし、この件について顕正会では、まさか大聖人によって宗門追放が行なわれたとは言わないだろう。とは言え、正信会側を完全擁護するような発言もしないはずである。ここが顕正会の微妙な立場をあらわしているのだと思う。

いずれにしてもである。過去の正信会問題が一つのモデルケースであることは間違いないことで、これに匹敵ないし凌駕するようなことが宗門の中で起きない限りはどうにもならないことである。ここもまた顕正会は他力本願的である。

では、どうするべきなのか?

わたくしは和解の道を模索すべきと思っている。あえてマイナスイメージの言葉を使えば、妥協でもいいだろう。もはや顕正会だって完全無欠ではない。それどころか問題だらけである。そこを見ずして相手の非ばかりをあげつらってもどうにもならないだろう。

2021/7/16

モノワライ  
このところのコメント欄は以前と様子が違っている。その最大の理由は大沢氏が離脱したことだろう。その原因も承知しているが、ここでは触れないことにしたい。

 「衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」
 との一条は、浅井先生に委ねられたのだ・・・


婦人部第八総部長(首都圏・近畿・中部・山陰)の記事である。これはいわゆる全権委任について言っているわけだが、いくら後付けでこのような解釈をしたところでどうにもならない。

 そして先生の戦いはすべて大事に間に合ってこられた・・・

これも後付け理論である。何しろ目標がコロコロと変わっているわけだから、その時の都合でどうにでも解釈できてしまう。実際には間に合っていなくても、それを反故にして新たな目標を掲げるのが常套手段なのだ。

顕正会員に凄惨な暴行を加えた
法華講員(常在寺)が有罪確定
阿部日明(能化・布教部長)は監督責任を果たせ


法務部次長の記事である。ここで報告されているのは、法華講員が罰金五十万円の略式命令を受けた話と、もう一つは十万円の略式命令が出たという話である。いずれも法華講員が顕正会員に暴力を振るったとのことである。また、宇都宮の誠諦寺では顕正会を誹謗中傷するリーフレットを配布していたとのことで、住職が五十万円の損害賠償を支払うハメになったそうである。

特にわたくしから申し上げることはないが、確か宗門側が勝訴した裁判もあったと記憶する。わりと最近の話題のはずである。これについては触れないのだろうか?

次は本年四月入会の女性男子部員である。

・・・SNSを通じて一法華講員と知り合い、宗門末寺・妙相寺法華講に入講いたしました。

妙相寺の法華講は折伏が活発に行なわれている印象がある。ひと頃は顕正会を離脱して妙相寺に移籍する人がたくさんいたのだが、今はどうなのだろうか?

当該号には世相閻魔帳の第五回が掲載されていて、そこには次のような記述がある。

 こうした宗門のデタラメな体質を眼前にした法華講員が、「は〜功徳も無エ、歓喜も無エ、事あるごとに供養とる、オラこんな宗門いやだ〜♪」と怨嗟の声をあげて続々と顕正会に入会しているのも当然といえる。

客観的な事実関係はわからない。

ところで当該記事には他にも注目すべき点がいくつかある。

世間の物笑いの種になっている・・・

ここはややピントを外しているような気がする。日蓮正宗のことなど、世間ではほとんど注目していないのだ。ゆえに物笑いの種にもならないのが現実だろう。

 ちなみに、「慧妙」は「カルト教団の典型的パターン」として、「教祖が『黒』といえば、白も黒だと騒ぎだす」と指摘している。

ここは慧妙の記事を確認しないことには何とも言えないところだが、まさか意味もなく唐突にカルト教団を云々するわけもないので、勝手な想像では顕正会をディスるくだりで上掲のようなことを言っているのではないかという気がする。

唐突な達成宣言

例の八十万達成についての大ウソを暴く一段である。あんまりキレのある文章ではなく、よほど興味関心のある人でなければ理解には至らないと思う。その延長線上に、世間の物笑い云々があるわけで、何が何だかさっぱりわからないのが正直なところである。結論だけを求めるならば、八十万はウソ、ということなのだろう。しかし、顕正会がそれを言っているのもおかしな話であり、宗門にも顕正会にも興味関心を持たない人にはまったく響かないことを知るべきである。世相閻魔帳はわりと人々の興味関心を惹きそうな時事問題を扱っていることが多いので、その意味で今回の話題は逆効果と思う。

2021/7/10

ジリジリ  
今朝の沖浦氏のコメントが興味深い。薄味派云々と。一般的には嗜好が高齢者のそれに近づいてきたのだと思われる。逆に言うと今までの沖浦氏は実年齢よりも遥かに若かったのだろう。

さて、顕正新聞第1546号である。

「創価学会の崩壊始まる」特集号

わたくしが咄嗟に想起したのは過日の都議選である。事前予想では公明党の苦戦が報じられていた。全員当選は難しいのではないかと見られていたのだ。現有の二十三を守れず、悪ければ十八くらいまで減らすのではないか、と予想する専門家もいたくらいである。

ところがご存知のごとく全員当選だった。票数などを分析すればギリギリの勝利だったことは否めないものの、勝ちは勝ちである。改めて公明党の磐石さを思い知らされる選挙結果だった。

そこでいつものイヤミを言えば、浅井先生の予言は当たらないなあ、ということである。

いや、もちろん、本命は総選挙であって、そこでも公明党は苦戦するだろうし、自民党も今のままだと望ましい結果は得られない。現状、野党勢力もそれほど勢いがあるわけではないので、今回の都議選みたいに勝者なき選挙となるのかもしれない。その場合、低空飛行ながらも自公政権が続くことになるだろう。とは言え、コロナの感染状況だとかオリンピックの成否など、不確定要素がたくさんあって何がどうなるのかさっぱりわからない状況である。

そこで五月度総幹部会の会長講演を眺めると、けっこう重要なことがたくさん書かれている。

株価の歴史的な高騰は、必ず歴史的な大暴落を招くのです。

この部分、原文も太字になっている。いわば浅井先生の予言であるが、ある意味では当たり前のことを言っているに過ぎないのかもしれない。

遠山は議員辞職さらに政界引退まで余儀なくされた。

これは一般紙でも広く報じられた事案なので誰もが知っていることだろう。どこの情報かわからないが、「来年の秋には公明党代表に就任する予定」とまで言われていた人物だったそうである。それが自らの不行跡によって失脚してしまった。

この点、浅井先生は創価学会の崩壊と結びつけて云々しているわけだが、わたくしの見方とはかなり隔たりがある。むしろ創価学会ないし公明党の健全性をあらわす事例と考えるべきと思う。

憤った学会婦人部の突き上げによって・・・

もし婦人部の意向を無視して甘い処分で終わらせていたら、それこそ婦人部が憤って公明党の支援をボイコットしたかもしれないのだ。ところが都議選の結果を見ればわかるように、婦人部はしっかりと集票マシーンとしての役割を果たしている。遠山氏に対して厳正なる処分を下したからこそ、婦人部も心置きなく動けたのである。

 学会の政治活動の元締
   佐藤浩副会長も失脚


この一段はナゾである。まず、一般的なニュース報道には出てこない話題である。ゆえに浅井先生がどこから仕入れた情報なのかも定かではないし、一読して不審な点がいくつもある。

総理大臣の菅義偉と電話一本でやり取りができる仲だった。

公明党を介して自民党と折衝するのであれば話はわかる。そうではなくて直接的に自民党とのパイプがあって、しかも現職の総理大臣とやり取りできるというのだ。いったい何なのだろうか?

 学会内でも、こと選挙と政界工作に関しては、原田稔会長すら口を挟めないほどだったという。

会長も口が挟めない? それほどの実力者がどうして失脚するのか?

学会婦人部の猛反発を受けて遠山がまず失脚した。佐藤もそれに連座した・・・

だったら婦人部最強ということになるだろう。

創価学会崩壊云々の話題はまだ続く。

 公明党の得票数激減
  ピーク時から250万票も


都議選で全員当選は無理と言われていたのは、こうした数字上のデータに基づいてのことである。今回は辛勝したものの、衆院選がどうなるかはわからない。

配達を読売新聞の販売所に委託している地域も全国で多発している。

聖教新聞についてだが、大都市圏に居住しているわたくしにとっては思いがけない新事実である。ただし、この点について浅井先生とわたくしとでは受け取り方がまったく異なる。むしろ今まで自分たちで配達していたとすれば、それこそ驚異的なことである。顕正新聞を当てはめてみればわかるだろう。顕正新聞は最初から郵便局に丸投げしているのである。

 婦人部・女子部を解体
  「女性部」として統合


この点は大きな出来事である。ただし、わたくしは顕正会における同様の事例を指摘せざるを得ないし、むしろ深刻なのは顕正会のほうかもしれないと思う。

顕正会ではすでに相当前に壮年部を廃止し、男子部に一本化してしまったのである。

この点、正確な年齢はわからないが、現在の総男子部長の年齢がカギを握っている。彼はもう五十前後になるはずなのだ。ゆえに今も壮年部が存在するとなると、彼も男子部を卒業して壮年部に移らないといけなくなる。その時の処遇が難しい。いきなり大幹部に抜擢するのは親の七光りとの批判を受けるだろう。また、逆に男子部のほうも心配である。浅井先生は身内しか信用しない、との指摘がある。すると浅井ファミリーの中から誰かを男子部の要職に就けないといけない。ところがいないらしいのである。そこで無理くり今の体制を敷いて次男坊に仕切らせているのだ。

以上、浅井先生の発言は大ブーメランと言わざるを得ないだろう。

 尖閣諸島は、中国が東シナ海の制空権を確保する必要からも、真っ先にこれを奪う。

意味がわからない。

同時に、尖閣諸島よりもっと近い先島諸島すなわち与那国島・石垣島・宮古島なども直ちに戦場となる。

戦場の意味がわからない。島民は非戦闘員である。そこに中国軍が攻撃を仕掛けたら国際世論が許さないだろう。

沖縄も米軍の嘉手納基地があるからすぐ攻撃される。

普天間基地はどうなのだろうか?

そもそも首都圏にだって米軍基地はある。横田基地、あるいは横須賀基地など、米軍にとって重要な基地がいくつもあるのだ。

どうも浅井先生の言っていることは誇張が過ぎるようである。わたくしの思うに、尖閣諸島の実効支配は制空権確保の問題ではなく日本の態度を窺う手段である。竹島あるいは北方領土問題に見るごとく、日本の弱腰外交に付け入るべく、中国もチャンスを窺っているわけなのだ。ゆえに直ちに戦争を起こすつもりはなく、ジリジリと領土を侵食していく作戦なのだと思われる。

2021/7/3

ヌケガラ  
沖浦氏は普通の人ではない。たぶん本人にも自覚があるのだろう。アヤシゲな施術で病気を治してしまう。真偽のほどは定かではないが、このような公の場所で自慢げにしゃべっている点からすると、やはり普通の人ではなさそうである。

それはさておき、法門についていくつか指摘しておこう。

 御本尊の首題の南無妙法蓮華経と直下の日蓮は、法を人が持ち弘める姿です。
 そして、その日蓮の文字に私共が入るには、地涌の菩薩である事が条件となります。


一生懸命に書いてはいるものの、相当に難解である。もっとシンプルな説明を期待したい。

 魂をご本尊を顕す墨に染め流して書いている・・・・
 
 仰せになっていますが、本当に魂が墨に移ってしまうなら、大聖人は抜け殻になりますから、これは表現の一種です。


あらまあ、単なる表現ですか・・・

大聖人はいわゆる如意宝珠の譬えをわりと好んで使われている。それと沖浦氏の常の所論では、御真筆御本尊はすべて等しく功徳があるということだったはずである。だったらヌケガラはおかしいだろう。すべての御真筆御本尊に功徳があるのは、まさしく如意宝珠の原理そのものなのである。大聖人は一幅の御本尊に全身全霊を傾ける。それでヌケガラになってしまうのであれば、現存するだけでも百以上もの御本尊があることの説明がつかないだろう。

もっとも沖浦氏の場合は御本尊を道具と考えているので、なるほど、そのような薄っぺらな理解しかできないのかもしれない。

さて、顕正新聞の続きである。

日本復帰がなければ日本の広宣流布に連なり得ず・・・

第五十二女子部長(沖縄県)の言っていることはいかがなものかと思う。顕正会の海外組織は脆弱であるが、それでも台湾だとかモンゴルに人材がいるし、アメリカにもいる。それなりの頻度で記事が出ており、それらを読めば海外在住の会員たちも日本の広宣流布を見つめていることがわかるのだ。もっともわたくしの言っていることは、アゲアシ取りのレベルに過ぎないわけだが、ともかく目に付いた記事なので取り上げさせていただいた次第である。

浅井先生のお声を通して、大聖人様のお唱えを聞かせて頂いているようで・・・

婦人部大阪支区総班長(大阪府)の言っていることもどうかと思う。あえて説明するまでもなかろう。

リモート座談会

男子部第百五十二隊総支隊長補(首都圏)の記事が興味深い。まず上掲であるが、ある意味ではこれが普通になりつつあるのだろう。通信環境の進歩である。しかし、組織の全員がそうした環境にいるわけでもないだろうから、いわば遅れている人たちをどのようにフォローしていくかが今後の課題かもしれない。

 さらに仏教系の高校に通っていたこともあり、神社で守り札を作る仕事をしており・・・

かつて極左団体で数百人を束ねていた人物の話である。それにしても神道系の高校ではなく仏教系の高校という点が支離滅裂に思えてならない。

「公明党青年部の大規模デモ実施日の情報を知っているか」

この記事自体が凄い情報である。極左団体のリーダーだった人物が公安から情報提供を求められたという話である。

公安は学会から青年部のデモを抑制するよう圧力がかかっているとのことでした。

いったい何のためのデモだったのか、そこが気になるところである。もっとも、それ以前の問題としてどこまでが本当なのか、そこが甚だアヤシイところである。

世相閻魔帳の四回目は赤木ファイルについてである。

(天鼓)

記事の内容はこの手の話に興味関心のある人にとっては先刻承知のことであり、あえて紹介するまでもなかろう。わたくしが注目したのは上掲である。いわゆるペンネームであるが、これが誰なのかわからない。今まではアルファベットでSと書かれていた。さしすせそのいずれかを当てはめて想像することができる。しかし、上掲ではまったくわからない。顕正会らしくないかもしれない。

 それから数十年間、棚の中にお巻きしてある学会版本尊に朝、手を合わせて・・・

男子部第百七十二隊班長(愛知県)の記事が不審である。昭和三十九年の入信であれば学会版本尊のわけがない。ちなみに隣の婦人部新横浜支区(神奈川県)のご婦人は途中で本尊を取り替えたと書いている。一方の上掲の記事は普通に読んでそのようなタイミングがあったとは思えない。

浅井家の長女

婦人部坂戸支区総班長(首都圏)の記事はしっかりと書き留めておこう。登壇者の母親は浅井家の長女だった。以下は嫁ぎ先での家族関係である。

二女である総合婦人部長が・・・

登壇者もかつては婦人部の大幹部だった。旦那さんも壮年部の大幹部だった。以前にも登壇があったと記憶するが、旦那さんが重病を患いその看病のために活動ができなかったのだと思う。ともかく彼女が長女らしい。

 先生は立宗御報恩勤行会を終えられ、母のもとに足をお運び下さいました。枕辺で追善の勤行をして下さり・・・

浅井先生の実姉ということらしい。九十四歳で亡くなった。先生もそれほど年が離れているわけではないだろう。

すると別の記事ではあるが、次の女子部第三百二十一区総班長(滋賀県)の発言がイミシンである。

先生の弟子として戦える日々は必ず終わりが来る・・・

顕正新聞を購読する日々に終わりは来るのだろうか?

2021/7/1

マルナゲ  
沖浦氏は一月半ほどだろうか、肩の手術のために入院していた。先日、退院されたようである。これで再び競技に出て記録を打ち立てるようであれば、大したものである。

 この事実があるのですから、結論は2つしかありませ
ん。
 
★日興が大聖人に違背した。
 
★御本尊七箇相承書は偽書。

 外に考える事が出来ませんが、日寛宗は色々と言い訳三昧。
 邪教の姿をさらけ出しております。


ところでこの件に関しては沖浦氏の思考が硬直しているだけの話だと思う。

例えば沖浦氏が御本尊を書く場合、南無妙法蓮華経 沖浦克治 と書くのだろうか? あるいは池田大作氏の場合は、南無妙法蓮華経 池田大作 と書くのだろうか?

他門では早くからそのような本尊が存在するようで、わたくしが以前にどこかで見たものには、日朗のそれがあった。ゆえに問題とするべきは、日蓮正宗の歴代上人の書写本尊に日朗本尊と同様のものが存在するのか否か、ということだと思う。それ以外は些事である。

 では貴方も私のこのご本尊の中の何処に住しているか?

★南無妙法蓮華経 日蓮。

 この日蓮の中にいるのです。


これは今朝のコメントであるが、この続きにはいちおう文証として御書が二つ示されている。ところがわたくしにはさっぱり理解できない。もっと明快な文証を示していただけないだろうか?

そもそも沖浦氏は御本尊を道具だと主張していたはずで、道具の中に住しているとすれば物凄くおかしな話に思えてしまう。この点、逆にわたくしの思考が硬直しているのだろうか?

さて、顕正新聞の続きである。

 「どうか、あなたが、学会代表と話し合って解決して下さい」
 と他人事のような無責任な態度を取り・・・


副総男子部長・第四総部長(近畿)の発言は、どうも浅井先生に逆らっているように思える。先生は上掲に関して全権委任という新解釈を示しているのだ。日達上人は浅井先生を信頼して全権を託したわけである。ならば無責任ではあるまい。

むしろ同じ意味であっても、全権委任ではなく丸投げみたいな表現をしていれば、話は違っただろう。言葉のアヤの問題ではあるものの、けっこう大事なところだと思う。

 「昭和二十年の敗戦は広宣流布の遠序である」

男子部第十二総部長(東北)はなかなかの切れ者である。直近の会長講演との関連で当該発言を引用しているのは、今回に限っては彼だけかもしれない。逆に言うと、彼は先生には矛盾した発言がたくさんあることを承知しているわけなのだろう。ある意味、それが対宗門ないし対創価学会において、虚を突かれて返答不能にならないための備えになるのかもしれない。

 先生の、最後の最後まで細井管長の貫首としての権威を守られ戦われたお心・・・

これも大事なポイントである。わたくしも先生の肩を持ちたい気分ではあるのだが、しかし、しょせんは凡夫だったことの証明でもあるのだろう。

ようするに猊下の御徳にキズがつかないように配慮しつつ創価学会を諫め続けた。ところが猊下はそうした浅井先生の気持ちを踏みにじってしまうわけである。キレて当然ではある。しかし、それが凡夫の拙さなのである。できっこないことを言うようだが、もし浅井先生がホンモノであれば最後まで猊下の御徳を守り続けるべきだった。今は細井日達と呼び捨てにして、しかも臨終のことまで悪し様に言って憚らないのである。まさに底下の凡夫そのものと言わざるを得ない。それにもかかわらず会員たちに仏法上の特別の存在のごとく思わせているとすれば、とんでもないことである。

気がついていない人もいるかもしれないのでさらに言葉を加えるが、最後の最後まで猊下の権威を守られ戦われた云々は、あえて言えば戦略的な意味であって本心からそのような振る舞いをしていたわけではないという可能性も否定できないだろう。

当時の創価学会はあくまで日蓮正宗の信徒団体だった。ゆえに好き勝手なことをやっていたわけではない。すべて猊下の御許しを得て行なっていた。もちろん、これも本心からそのようにしていたわけではなく、戦略的な意味が強かったのだろう。妙信講を黙らすには法主の権威を利用するのが得策だったのだ。つまり、どっちもどっちである。妙信講にしても猊下を尊崇しているポーズを取り続ける以外にはなかった。極論すれば、どちらも猊下を心から尊崇していなかった。どうやって利用するか、どうやって味方につけるか、それが本心だったのである。

結果論ながら、上述の指摘があながち荒唐無稽ではないことは、今の姿が証明していることになるだろう。


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