2021/9/8

ゲンドウリョク  
顕正新聞第1550号を読もう。

指導をされた。

指導をした。

指導をした。


当該号は六月度班長会を中心に組まれている。上掲は順番に男子部・女子部・婦人部の班長会についての報道であるが、違いは一目瞭然だろう。これがいつからなのかはわからない。ともかく総男子部長だけが特別というか、格上であることをよくあらわしている。

 そして今、新型コロナの変異株が七・八月には感染爆発することが明らかにもかかわらず・・・

ほぼ二ヶ月遅れの当該号であるが、こうして時間差で取り上げることにもそれなりの意義がある。総男子部長の発言はめずらしく正解だったことになるだろう。もっとも世間一般でも多くの識者が同様のことを言っていた。

以て御馬前到達を急がれる先生に・・・

それにしてもいかがなものかと思う。ようするに三百万まで動かないと言っているのだ。政治に目を転ずれば、今夏の感染爆発が手伝ってのことだろう、とうとうスガ政権が終わりを迎えた。新首相が誰になるかは現段階では自民党の総裁選すら始まっていないので何とも言えないところだが、いずれにしても直後には総選挙が待っている。結局、顕正会はこうした国内の動きとはまったく連動していないのだ。それでいて三百万になれば動くらしい。いったい何の意味があるのだろうか?

ちなみに二面左側の副総男子部長は浅井先生の有名なセリフを紹介している。

 「客観情勢がその必要を迫るなら、いつでも立つ」

カッコイイ。言っていることは実に立派である。しかし、世間の客観情勢は必要を迫っていても、顕正会の客観情勢は芳しくない。だから立つこと能わずなのだ。

 しかもそのときは冥々ではなく・・・

女子部第二総部長(栃木県・四国)の発言である。冥々は一般的にはほとんど馴染みのない言葉だろう。そして一種の解釈論でもある。例えば蒙古襲来で日本が亡びなかったのは大聖人による冥々の御守護だと顕正会では主張している。ここは解釈の余地があるというか、当然ながら別の意見もあるだろう。彼女の言わんとしていることは、これから実現するであろう広宣流布・国立戒壇建立はそうした解釈の余地を残さないものであり、誰にも否定できない厳然たる事実としてあらわれてくることなのだと、そんなニュアンスを言っているのだ。さて、どうなることやら、である。

五面には創価学会関連の話題が集中している。

学会がなくなったら巻物を返すだけ

婦人部松阪支区支区長(三重県)の記事には、創価学会員のご覧のような発言がある。これに対し、御本尊の尊さも有難さも教えられていない、と書かれている。しかし、顕正会も似たり寄ったりだろう。基本が遥拝勤行である。しかも入信勤行をしてそれっきりの人も少なくない。つまり、そういう名ばかりの入信者は巻物のことをまったく理解していないことになるわけで、上掲の創価学会員よりも程度が低いかもしれないのだ。

 「ある地方では、学会から地区ごと顕正会に移ってしまった。一生懸命に活動してきた人ほど顕正会に行ってしまう」

これは婦人部横浜支区班長(首都圏)の記事に出てくる。もし事実ならばその人たちの登壇があっても良さそうなものである。

話が変わって恐縮だが、かつて顕正会を集団脱会し、妙観講に移籍したという話があった。妙観講でビデオを作っているくらいなので、ウソではないのだろう。確か二百名の集団脱会だったと思う。それも顕正会がまだ十万人を超えたくらいの時期の話なのだ。今現在が二百数十万であることからすると、当時としてはかなりのダメージだったと思われる。こうした背景を踏まえると、近年の顕正新聞における妙観講破折は積年の恨みが原動力となっているのかもしれない。


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