2021/10/25

ヤオラ  
今日は顕正新聞第1554号を読んでいくが、その前に片付けておくべき事案がある。

2021/10/19 9:06
投稿者:T.I
誤記がありました。
「382号昭和56年11月5日号」は

「382号昭和【61】年11月5日号」
の誤りです。

ですので、冨士も顕正新聞も叱呵痴犬抄を受けての話になります。


なるほど、これでツジツマが合った。いわゆる浅井武勇伝と称されるものは昭和四十年代の御遺命守護がそれであるが、上掲も武勇伝の一つと言えるのかもしれない。実際には法論の実現を見なかったものの、叱呵痴犬抄の破壊力は相当なものだった。なぜならば、その後の相手方の消息がまったく聞かれなくなったからで、ようは活動力を大幅に低下させたのだろう。

わたくしの記憶に鮮明なのは、むしろその後の妙観講の蠢動だった。蠢動などと言えば相手に失礼であるが、次から次へといろいろ出てくるなあと、当時はそんな感想を懐いたものだった。

しかし、今になって思えば、その後はむしろ空白期間がベラボウに長く、ある意味では今もその延長線上にいるのだろうという気がする。早い話が迷走の始まりだったかもしれないのだ。

その契機は宗創戦争だった。

結局、妙観講が顕正会にチョッカイを出さなくなったのは対創価学会のほうに注力しなければならなかったからであり、いわば顕正会はそこでも蚊帳の外に放り出されたわけなのだ。相手にされない。相手にしてもらえない。ゆえに業を煮やして平成十七年頃になって、やおら対決申し入れなどというパフォーマンスを行なったものの、それでも相手にはしてもらえなかった。ダラダラと時間ばかりが経過しているものの、今も基本的には何も変わっていないのである。

さて、そこで顕正新聞の話題に移りたい。

「新潟会館御入仏式」特集号

わたくしが真っ先にツッコミを入れたいと思ったのは、それが最後、これが最後、発言である。このことはさすがに顕正会員たちも承知している話であり、本部首脳だってバカばかりではないはずなので、何らかの言い訳なり整合性を取る方法なりを考えたはずである。その答えらしきものが五面に掲載されている。

 六年前の佐渡会館御入仏式において、「二万人新潟大会」の大号令を頂いた際の
 「新潟に来るのはそれが最後」
 との仰せは命に灼きつきました。


婦人部第九総部長(新潟県)の発言である。わたくしの読み落としがなければ、これが唯一だろうと思う。まさか浅井先生の自語相違を責めるために発言しているわけではあるまい。すると本部首脳の指示なのかもしれない。

ようするに完全に頬かむりを決め込んでしまうと批判勢力からの猛烈なツッコミを受けることになるので、先に自分たちで言ってしまうことによって痛みを緩和する作戦なのだろうと思う。

だとしても浅井先生の自語相違は厳然たる事実であり、もはや永遠に消えることはない。

ここで冒頭の話に繋がるのだ。ダラダラと長くやっていると、こういうことになるのである。言っていることが矛盾だらけになる。それは凡夫であれば当たり前の話であり、心境の変化とでも言えばそれで済む場合がほとんどである。

しかし、浅井先生は違うだろう。イヤミを言えば、教祖なのであるから一貫不変でなければいけない。ところが現実は矛盾だらけである。

しょせんは浅井先生も凡夫なのである。

ちなみにわたくしも凡夫である。ゆえにツッコミどころがたくさんあるとは思う。とは言え、拙ブログはわりと一貫性が保たれている。その理由は削除をしない点にある。

拙ブログは削除をしない。コメント欄もである。ゆえにコメント投稿者も気をつけないといけない。なぜならば削除されないからである。

この点、わたくしの沖浦氏に対する信頼は高い。そもそも最初から実名で投稿しているのは、その覚悟があってのことだろう。自分の発言に責任を持つという当たり前のことをしているに過ぎないのだが、現実には責任を持たない人が多い。ただ拙ブログは書き込んだら最後、永遠に削除されることはない。こういう方針のためか、逆に無責任な投稿はほとんどない。

話が脱線した。

浅井先生は完全主義者ゆえか、過去の発言を微妙に修正したりしている。記念すべき最初の宗門諫暁書だって、今は封印している。おそらく今の浅井先生の目からすれば、いくつもの瑕疵があるわけなのだろう。そのまま出せばいいのにと思うが、それができないのが完全主義者である。

2021/10/17

ルイモン  
このところ貴重なコメントがたくさん寄せられていて、それらを埋もれさせてしまうのは申し訳ないことである。そこで重要度の高いものを以下に掲げさせていただくことにする。

2021/10/16 13:56
投稿者:晃
二十七年目に、何かしらの出世の本懐を遂げた…
と考えるのが自然でしょうね

もし二十七年全体が宗祖の出世の本懐だといえば
並べられた釈迦牟尼仏の四十余年も未顕真実どころか
四十余年全体が、本懐と読むしかなくなる
そうなると仏の出世の本懐が法華経であるという説も崩壊する

宗祖の二十七年目の出世の本懐とおぼしきものは
戒壇の大御本尊以外に存在しない…
これが現実でしょうね

https://hokkevxage.net


二十七年本懐説について今まで見たことのない切り口である。単にわたくしが不勉強なだけなのかもしれないが、けっこう感動的だった。これはひじょうに説得力のある説明だと思う。

投稿者:T.I
御無沙汰しております。


失礼ながら存じ上げない名前である。もしかしたら過去には別名で投稿されていたのかもしれない。それはともかく富士の地下水についてのご教示がありがたい。

「富士の地下水」の件ですが、検索したところ初出は冨士56号昭和43年3月号P45のようです。

『浅井先生は、その冒頭で、(中略)「まず外に向って大きく育たんと欲せば、この富士のすそのに七百年間、地下水の如く富士の流義が伝わってきた。これを深く勉強して心肝に染めた時、始めてそこに現在の世界の乱れをついての応用問題の論陣が張れるのである。」』


少し前に櫻川氏が初出として紹介してくれたものがあった。それは冨士363号であり、なんと平成七年の二月号なのだ。さすがにそれを初出とするのはおかしな話なのだが、いかんせんわたくし自身は面倒臭がって調べもしないのだから、偉そうに文句は言えない。

この件をもう少しだけ詳しく説明すると、平成七年二月号掲載の記事は年表であり、実際の浅井発言は平成六年八月十二日のようである。次のくだりが興味深い。

私は若いときから思い続けてきたことがある。

これはいわゆる初出ではないものの、若い時からの思いを云々している意味で価値があるのだ。

また、いつもながらのイヤミを言えば、浅井先生の発言は一見すると初めてのような雰囲気があるけれども、よく調べてみると過去にも発言していたという場合が少なくないのだ。もはやネタ切れで、過去の焼き直しを繰り返しているという意味もあるし、近年は高齢ゆえか過去の発言をすっかり忘却しているフシもなきにしもあらずなのである。

話を戻そう。

浅井先生は、その冒頭で・・・

ここでの浅井先生は誰なのかが問題である。昭和四十三年の時点ですでに浅井先生は浅井先生だったのか、それとも先生の父親のことなのか、これだけでは判然としないところがある。

・・・地下水の如く富士の流義が伝わってきた。

また、この部分はまさに初出に値する記述ではあるものの、意味的には後年のそれとはじゃっかん異なるように思う。

その次が冨士274号昭和61年11月号P50で、長岡孝志氏の原稿の中で

「また先生は大聖人の本地における上行菩薩と久遠元初の自受用身の立て分け、さらに万年救護本尊讃文を標釈結の三段に分けその正義を示されましたが、富士の立義の地下水にも到達された先生の計り知れぬ教学力を拝見した思いでした。」

とあります。


これはまさに今も脈々と受け継がれている正真正銘の富士の地下水である。そして厳密な意味では次が初出となるのかもしれない。

顕正新聞ですと382号昭和56年11月5日号に克衛さんの記事で、
「このことを伺い、先生の富士の地下水にも達するごと
き教学の探さに驚くと共に」
とあります。


この件で最初にコメントを下さった太郎氏の証言が正しかったことになる。

話を戻して、T.I氏は次のように締め括られている。

手元の資料を検索しただけなのでこの前にもあるかもしれませんが、どうやら浅井さん以外の人が言うようになったのは、叱呵痴犬抄を讃嘆する為に言い出したのが始まりなのかなと思いました。

やや不審なのは克衛の発言が昭和五十六年であることだ。いわゆる本門正宗への破折論文は昭和六十一年に書かれたものなので、時系列に歪みが生じてしまっている。

いずれにしても貴重なコメントであることに変わりはない。わたくしのような面倒臭がりにはありがたい資料提示である。

最後に常識的なまとめを書くと、昭和四十三年の記述は今日のような教祖化を意図したものではなく、あくまで一つの表現に過ぎないものと思う。いわゆる富士門流だとか、あるいは七百年の時の流れみたいなものを意識した上であれば、そのような表現が出てきてもおかしくはないだろう。しかしながら後年、それが幹部たちによるオベンチャラへと変貌していった。そこに意図的なものがあるのかどうかは知らないが、今回の資料の中から改めて引用すれば次のごとくである。

富士の立義の地下水にも到達された先生の計り知れぬ教学力・・・

先生の富士の地下水にも達するごとき教学の探さ・・・

以後、今日までの数十年間を調べれば、膨大をきわめることになるだろう。

2021/10/13

チサイ  
コメント欄が少しばかり賑わっている。わたくしに関係するところでは例のガネーシャの話になるが、これは急ぐこともあるまい。何しろ顕正会のことだから、今後も執拗に取り上げるだろう。よほどの新ネタが登場しない限り、いつまでも使い回すはずである。ゆえに今すぐ結論めいたことを書く必要もあるまい。また、裁判ネタに関しても同様であり、いわゆるスラップ訴訟みたいなことをお互いにやり合っているのが実相だと思う。問題はわたくしのところに飛び火してくるかどうかであるが、それはその時に考えればいいことである。

さて、今日は顕正新聞第1553号である。

先生が満を持して望まれる広布の決戦場・・・

一面下段に載る総男子部長の記事にはご覧のように書かれている。何気ないところに重大な問題が潜んでいるものである。

まず、アゲアシ取りに近いことを言えば、何が満を持してなのか、と思う。ぜんぜん準備が整っていない。それが実情だろう。
そしてご存知のごとく、最近は誰もが三百万を叫んでいる。それが一国諫暁の号砲となるわけである。
実はもう一つややこしい話があって、二十年代こそ広布の決戦場である、というようなフレーズがつい数年前まで盛んに言われていた。これをどう考えるかである。

結論的には、総男子部長の発言は巧妙なる先延ばし戦術ではあるまいか、ということなのだ。

数年前まで盛んに言っていたことを信用するならば、今はすでに広布の決戦場に突入していることになる。ゆえに最近は御馬前の戦いを云々するようになった。同じフレーズを使うわけには行かないからである。
ところが上掲を見れば、うっかりミスなのかどうか知らないが、あたかもこれから広布の決戦場に臨むかのごとく言ってしまっているのである。もちろん言葉の意味は広いので、現在進行形の意味だと捉えることも可能ではある。ようするに先のことに限定して言っているのではなく、今を含めて言っているのかもしれない。
しかし、だったら満を持してはどうなるのか、とわたくしは言いたい。いつまで経っても準備が整わないから、あれこれ理由をつけてやらないだけなのだと、そう思われても文句は言えないだろう。

二面から四面にかけては大幹部たちの登壇が載っている。いつものことながらどれもロクでもない。よって今回はぜんぶ省く。

ことに熱海の土砂崩れの映像には言葉を失い、先生の師子吼に直ちに呼応する諸天の責めを、目の当りにした衝撃が走りました。

婦人部第八総部長(首都圏・近畿・中部・山陰)の発言は衝撃的である。諸天の責めなるものは、ほとんど八つ当たりみたいなものではないかと思うのだが、それともわたくしが間違っているのだろうか?

次は男子部第四十一隊支隊長(首都圏)の記事である。

 納棺師いわく
 「一学会員は納棺の際に、遺体が色白く、柔らかく、軽くなっていることを強調してきたが、実際はどこをどう見ても、遺体の色は真っ黒で、しかも硬く、たいへん重くなっていた」
 と明かし・・・


守秘義務違反である。もしくはウソ臭い話である。なぜならば、さらに次のようなくだりが存在するからである。

 すると納棺師は
 「私の知る限り会長≠ニ名の付く者は自分のことばかりを最優先に考えるし、もし思いを傾けることがあったとしても、せいぜい身内くらいだ。会員一人ひとりの成仏を真剣に思われる浅井会長は本当に凄い方なのですね」
 と大へん感銘を受けており・・・


会長と呼ばれる人は世の中にたくさんいる。私の知る限り云々は納棺師のいかにも狭い見聞を意味しているようだが、常識的に考えれば謙遜だろう。それにしても、まさか彼が見てきた会長がそんな人ばかりのわけがあるまい。町内会の会長だとか後援会の会長みたいな人たちは、いわゆる世話好きでわりとボランティア精神が旺盛だったりするものである。利他の精神と言い換えてもいい。

つまり、いかにもバレバレの話なのだ。顕正会の中にいると気がつかないのかもしれないが、ハタから見ればかなり恣意的ないし作為的な登壇に感じられるはずである。

ところで上掲にはブーメラン的な要素も含まれている。

せいぜい身内くらいだ・・・

『迷走する顕正会を斬る』では、浅井先生の身内びいきについて、およそ二ページ半を費やして説明している。くだんの納棺師もそれを知れば違った感想を懐くことだろう。

熱海の自宅拠点に凄まじい土石流迫る
 僅か90m先で土砂止まり、被害なし!


男子部第八十三隊総支隊長補(静岡県)は、甚大なる被害をもたらした熱海土石流について報告している。見出しが示すごとく、自宅は被害を免れたという。

しかし、最初のほうで紹介した婦人部幹部と同じく、とんでもないことを書いている。

先生のご発言に呼応するごとくの諸天の働きの早さには驚嘆のほかありません。

まったく何を言っておるものかと思う。

三百万法城の石垣・・・

婦人部十和田支区班長(青森県)の記事に上掲がある。久しぶりに石垣を目にした気がする。かつては百万の石垣を云々していた。そして近年では二百万達成の直前の時期によく耳にしていたと思う。たぶん今回は時期尚早なのだろう。石垣を云々するのは、達成時期から逆算して、せいぜい二三年前がいいところのはずである。

検察審査会、安倍は「不起訴不当」と議決

世相閻魔帳の第十二回は久々の政治ネタである。言わずもがなのことながら、この不起訴不当はそれだけでは意味がない。実際に起訴されなければ何の値打ちもないのだ。現に岸田総理誕生に至る過程において、安倍氏の隠然たる影響力が云々されているくらいである。ようは何も変わっていないのだ。

東京地裁特捜部

それにしても上掲はどうかと思う。おそらく東京地検特捜部のつもりで打ち間違えたのだろう。人間だもの間違えたっていい。とは言え、恥ずかしいことである。編集部は二重チェックをしていないのだろうか?

もしかしたら五重チェックくらいしているのかもしれない。それで間違えるとしたらオシマイである。

2021/10/11

トウチョウ  
顕正新聞第1552号の八面は法務部次長・菅原克仁氏が健筆を振るっている。

大草一党に再び司法の鉄槌くだる!
東京地裁、妙観講員らの活動は
 顕正会への「迷惑行為」と判示
大草一男の元側近による電話盗聴
という犯罪行為も認定


裁判そのものは最近の出来事なのだろう。ところが内容そのものは昔の話の蒸し返しのような印象がある。

顕正会員にバイクで突進して衝突寸前のところでブレーキを踏む等の危険運転を繰り返した事件・・・

上掲は令和元年の顕正新聞に出てくる話で、おそらく拙ブログでも取り上げているはずである。もっとも顕正会側に言わせれば、蒸し返しているのは妙観講のほうなのだろう。どうやら顕正新聞の記事に対して、名誉毀損がどうのこうのといわばイチャモンをつけてきたらしいのである。

顕正新聞にはバイクで突進してきた人物の写真が掲載されている。ヘルメットのようなものを被っている様子からして、現場の顕正会員が証拠のために咄嗟に撮影したものなのだろう。よく見るとバイクの人物が右手でカメラを遮ろうとしている様子が窺える。それはともかく、この写真には次のような説明が付されている。

「妙観講とは無関係の人物」とされた妙観講員(暴行犯)。都合が悪い人物を切り捨てるのは大草の悪癖か

ここでわたくしが事実関係を云々しても仕方がないので、感想だけを述べたいと思う。都合が悪い人物を切り捨てるのは権力者の常套手段である。広島の選挙買収事件では法務大臣までやった人物が悪者にされてしまった。その上にも悪者がいるはずなのに、いわゆるトカゲの尻尾切りで上には類が及ばないような仕組みになっている。ところがわりと最近のニュースでは暴力団の組長が死刑判決を受けている。本人はまったく手を下していないのにである。この判決を政治家にも援用してほしいものである。

話が脱線してしまった。

わたくしの思うに、都合がよいのか悪いのか知らないが、浅井先生こそが過去の幹部たちを切り捨ててきたのではあるまいか、かつての教学部長だとか壮年部長だとか男子部長だとか、錚々たる大幹部たちの中で知らない間に消えてしまった人物がどれほどいるのか、である。消息不明の克衛にしても、先生によって切り捨てられたとの説があるくらいなのだ。この点こそ、顕正会の本質的な問題ではないかと思う。

妙観講幹部による盗聴

記事の後半も興味深い。最近の人はまったく知らないかもしれないが、本文に出てくる次の人物名が懐かしい。

大草が高校一年生の時から交友があり、妙観講の理事、支部長、庶務部長、教学部長等の役職を歴任した講頭・副講頭に次ぐ妙観講ナンバー3の元幹部・渡邉茂夫が・・・

動画サイトで調べれば、上掲の人物と克衛がバトルを繰り広げている映像が見られるだろう。それにしても高校一年生の時から云々はまったく知らなかった話であり、ずいぶん古い付き合いなのだと驚いた。とは言え、今現在は克衛と同じく彼の消息も不明である。

世相閻魔帳J
「寄生虫」の悪あがき(2)


数字があらわすように続編である。なんと妙観講はヒンズー教の神を祀って行事を行なったのだそうである。それを二号ほどまえの顕正新聞で取り上げたところ、妙観講では必死になって言い訳をしているらしいのだ。それを同記事では墓穴であると断じている。

大草の謗法与同を指摘され即座に反応した謀略紙「慧妙」。ウソにウソを重ねてみたものの、ますます墓穴を掘った

慧妙を詳しく読んだわけではないので、事実関係を云々するのは控えよう。ここでは掲載されている証拠写真と思しきものに付された説明文を引用しておく。

大草(写真中央)の目の前に祀られたガネーシャ像。会場の壁には妙観講の講章と「宗教団体 日蓮正宗 ネパール 第1回全国大会」と記された横断幕が掲げられている。妙観講の行事であることは疑いようがない

さらに別角度からの写真もある。

裏側から見てもハッキリとガネーシャ像と認識できる(大草側から撮影した写真)

この点は妙観講の言い分を聞いてみないと何とも言えないところであるが、本文中の次のくだりはさすがに顕正会側の悪意が感じられてよろしくないと思う。

・・・団体のロゴには妙観講の講章(鷹が鶴を喰らうようなデザイン)が掲げられている。

ところで顕正会のネパール組織はどうなったのだろうか?

ネパール同様、最近は台湾の様子もあまり聞かれない。今は記憶だけで書くが、浅井先生が訪台した折には、じゃっかんながらも謗法に寛容的な方針を打ち出したことがあった。とは言え、真面目な活動会員たちは謗法に対して潔癖であり、それが海外での弘通の障壁になっているのかもしれない。

この問題は線引きが難しい。何しろ御書の解釈すらも一定ではないからだ。そのことは沖浦氏と晃氏の対論を見てもよくわかるだろう。

2021/10/9

ナダシオ  
晃氏の活躍が目覚ましい。氏の一連の投稿にはわたくしも大いに触発されている。一方の沖浦氏については相変わらずだなあと申し上げる以外にない。

さて、顕正新聞である。

ひれ伏す

わたくしも相変わらずではある。同じネタを繰り返し取り上げているからだ。しかし、大事な部分であるから取り上げるわけであって、ここは看過してはいけないところだと思う。

上掲は教学部長の記事であり、同文が二箇所ある。一つは大聖人に対してであり、もう一つは浅井先生に対してである。ひれ伏すは現代感覚からすると相当に特殊な表現であり、それを大聖人に当てはめるのは宗教上の理由から是認されて当然とは思うものの、まったく同じ表現を浅井先生に使うのはどうかと思うのだ。この点、教学部長が率先してしまっている意味で、かなり深刻な問題である。

そこで隣の記事に目を転ずると、婦人部第十総部長(首都圏・北関東)も同一表現を使っている。しかもである。彼女は浅井先生に対してだけ、二回も使っているのだ。

ところで男子部第六十三隊長(青森県)の記事には、興味深い話がある。

雨宿りをしているヒッチハイカーを折伏すると、何とこれまで行く先々で顕正会員から何度も折伏を受けておりました。

よく言えば熱心、悪く言えばノルマに追われてなりふり構わず、となるだろう。

次の婦人部大宮北支区部長(首都圏)の記事は既視感がある。

「学会幹部が次々と顕正会に行っている」
「どこかの地区が全体で顕正会に入会した」


同じ話なのか別の話なのか未確認だが、少し前にも同様の話を取り上げたはずである。ともかくその人たちの登壇を期待したいと思う。

学会会長・原田稔の従兄弟を折伏!

男子部第百四十五隊長(福島県・首都圏)の記事にはご覧の見出しがある。ただし中身はそれほど面白くない。実際には入会していないからだ。同記事は別のくだりが面白かった。

 さらに公明党の選挙の得票数が激減していることを追及すると、「昔がんばっていた人も、今はどんどん亡くなっているから、それは当たり前」と誤魔化し・・・

誤魔化してはいないだろう。事実を正直に言っているのだ。問題は若い人が育っていない点である。ところがこの点においては顕正会もかなり似た傾向にある。つまりはブーメランである。

日本の重大海難とも言われた自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第一富士丸」の衝突事故・・・

男子部第六十二隊支隊副長(神奈川県)の記事である。これは勉強になった。そのような事故があったことは漠然と記憶していたが、それが東京湾での出来事であり、三十人もの死者を出していたことは知らなかった。

「先生の第三度の一国諫暁の前に、必ず三百万を成し遂げたい」

これは女子部第二百九十一区長(首都圏)の記事に出てくる区員の発言であるが、ツッコミを入れたい。現状、三百万達成の後に一国諫暁が行なわれるものと、誰もが認識しているはずである。その意味でこの人は何を寝ぼけたことを言っているのかと思う。もし先生が三百万のいかんにかかわらず諫暁をすると言っているのであれば、話は違ってくるが・・・

男子部第七隊(茨城県)の平会員は、かつて大石寺境内で白ズボンを履いて輸送班の任務をしていたそうで、妙信講が登山してきた時に酷い対応をしてしまったと述懐している。しかし、具体的には何も書かれていない。他にも蘇生講がどうのこうのと書かれているが、大した内容ではない。

登山者目標の
 ノルマに苦しむ


そこで本文からの引用はやめて、小見出しの一つを紹介しよう。これまたブーメランである。顕正会員だって折伏のノルマに苦しんでいる。実際、折伏に行き詰って顕正会を去ったであろう人たちがたくさんいる。アイツは逃げた、根性なしだ、みたいなことを組織の中では言うわけだが、そうした根性論だけで会員を縛り付けるのも限界がある。ゆえに最近は諸般の事情も踏まえて、あえて誓願を低く抑えた、などと言っているわけだが、誓願をノルマに置き換えると、いかにも浅ましい。この点に気がつくべきだろう。

経営するコンビニエンスストアの売上げが、当時地域の所得番付で上位になるほど繁盛し、また昭和四〇年ごろには・・・

上掲は男子部第四十四隊班長(岩手県)の記事だが、甚だ疑問である。全体として時系列で書かれている印象なので、だとすると昭和四十年以前からコンビニを経営していたことになる。この点が解せないのだ。

同号にはさらに法務部次長の記事と世相閻魔帳がある。いずれも妙観講関連の話題であるが、次回に譲りたい。

2021/10/4

キュウエン  
前回のコメント欄ではなかなか興味深い議論が展開されている。今日は顕正新聞第1552号を読むが、たまたま一面にくだんの議論に通じる記述があったので、紹介しておこう。

正師にめぐり値い・・・

この場合の正師は浅井先生のことなので、もはや顕正会も僧侶不要論に傾いていることは否定できないだろう。

「原点の月・八月」特集号

さて、当該号は七月二十七日に行なわれた総幹部会を中心に組まれている。まず、一面掲載の写真を見て、今まで気がつかなかったことがある。畳の上に黒い敷物のようなものがあって、幹部たちはそこに正座しているようなのだ。これは何なのだろうか?

誓願の一万三千を大きく突破する・・・

わたくしが忘失しているだけなのか、この数字はまったく記憶にない。ただ、誓願を低く抑えた、というようなフレーズは何回か目にしている。今回の折伏では二万人近くが入信したそうであるが、目標を低くしておいて大突破などと喜んでいるのもどうかと思う。

さて、会長講演を読んでみよう。

コロナの感染急拡大の中・・・

当該講演におけるコロナへの言及は、唯一、この部分だけである。言っていることは間違っていない。しかし、わたくしの感想としては、またしても外してしまった、しょせんは先生も凡夫だから仕方がないのだろう、というものである。

七月下旬のこのタイミングでコロナについてもっと詳しく論じていれば、まさに第五波と符合して、いわゆる先生のご見識をアピールすることができただろうと思う。

 まず顕正会の発足について、もう知らない人が多いでしょうから、きょう簡略にこれを説明しておきます。

イミシンである。イヤミながらも顕正会は会員の流動が激しいので、今いる新しい人たちはこの話を知らないだろうと言っているようにも聞こえる。

煩瑣ながらも一面の記述に戻りたい。

新たなる発足を決意・・・

会長講演では次の部分が相当すると思われる。

新たな出発をした・・・

発足と出発の違いを云々したいのではない。わたくしが注目したのは、「新たなる」もしくは「新たな」である。普通、発足ないし出発は新しいことを始める意味なので、わざわざ「新たなる」などと冠する必要がないのだ。まさに重複表現の駄文と言わざるを得ない。

しかし、これには理由があって、おそらくは妙信講再建という歴史的事実を考慮した上での表現なのだろう。

ようするに過去に東京妙信講と呼ばれる法華講組織が存在したのである。先生の父親が立ち上げた。それが他の講組織と統合され法道院法華講となった。旧妙信講はいわば発展的解消である。先生の父親は法道院法華講の講頭となった。先生も青年部長だった。

この辺は記憶のままに書いているので、正確には『迷走する顕正会を斬る』などを参照されるといいだろう。

ともかく、「新たな出発」は再出発に近いニュアンスと言えるわけで、浅井先生がなぜにこうした微妙な表現に気を配っているのか、そこが気になるところである。もしツッコミを気にしてのことだとすると、ご苦労なことだなあと思う。前掲、もう知らない人が多いから云々について、先にはイヤミを書いたわけだが、浅井先生のネライはウソにならないように留意しながら歴史を修正することなのかもしれない。さすがに考え過ぎだろうか?

それにしても、いつも思うことがある。浅井先生は法道院時代のことをこれまでにも何度も発言してきた。ところが一度たりとも住職の名前を出したことがない。この点が不思議なのである。なぜに隠す必要があるのだろうか?

三千達成と同時に、宗門の状況は一変していた・・・

こういうのは情緒的表現として許容すべきなのだろう。同時は言い過ぎじゃないかとか、そういうツッコミは控えるべきと思う。

 細井日達管長は、登座する以前の庶務部長時代から学会にへつらっていた人・・・

何か明確な根拠があるのだろうか?

しかし、ご存知のごとく、日達上人は御晩年になって本気で創価学会と戦ったのである。顕正会では醜い仲間割れみたいな言い方で片付けているが、本当ならば日達上人の御味方を申し上げるべきだった。いや、現実には困難な状況だった。妙信講は抹殺されたも同然であり、いわば蚊帳の外だった。それはわかっているし、今さらどうにもならないことではあるが、さりとて日達上人を悪し様に言う今日の顕正会のあり方にはまったく賛成できない。

 「三日後の四月六日に御虫払法要がある。そのとき、私がそのことについて触れます」

わたくしにとっての懸案である。御遺命守護の歴史については多くの書籍がある。ところが過去の書籍には上掲の記述がない。そこにはどのような意味があるのだろうか?

全権委任の不思議

ここも過去の書籍ではどうなっているのか気になる。

・・・伏し拝ませて頂こうではありませんか。

最後のくだりである。アゲアシ取りになるのかどうか微妙だが、あえて言っておかねばならないだろう。ここでは文章の前半を省略した。読者がどのように想像するのか知りたいと思う。いったい何を伏し拝むと言っているのか、もしよろしければコメント欄に書いてほしい。

答えは次のごとくである。

 そして、大聖人様の絶大威徳によって遠からず必ず成る「国立戒壇」を、全員で、熱涙の中に、伏し拝ませて・・・

狂っているように感じるのはわたくしだけだろうか?

2021/10/1

ケウ  
まず、久々に櫻川忠氏のご来臨をたまわった。しかも貴重な情報を寄せて下さっていること、まことに感謝に堪えないところである。内容については前々回のコメント欄を参照されたい。

ともかく富士の地下水を言い出したのは浅井先生本人だった。先日の太郎氏のコメントを踏まえれば、それを拡散させたのは大幹部たちであり、おそらくは克衛がもっとも中心的な役割を担っていたのだろう。ここ数年、わたくしが繰り返し指摘していた大師子吼にしても、その使用頻度が高かったのはもっぱら身内の人間たちだった。こうした事象は内部にいて感覚がマヒしているとなかなか気がつかないものだが、外側から冷静に見つめていれば容易に気がつくことである。

いずれにしても櫻川氏の功績は大きい。いわゆる蒐集家はどの分野にも存在する。しかし、氏の場合は単なる蒐集家ではなく、しっかりとした見識をお持ちである。そのことは十年ほど前に上梓した書籍を読めば、誰もが納得するところである。

おそらくは浅井先生ないし本部首脳にとって、櫻川氏は煙たい存在なのだと思う。

しかし、櫻川氏のような人物が存在していることは顕正会にとって幸せなことである。その理由は分母の小ささにあるのだ。今だって公称数からすれば実数は微々たるものである。妙信講時代はなおさらのことだろう。そうした小さな団体の中に、まさかこのような人物が存在したなんてことは、ケウのことだと思う。

期待はできないが、今後、顕正会が社会から注目されるようになったとしよう。かつての創価学会以上の注目度ともなれば、櫻川氏のところにもたくさんの取材が来るはずである。もしその時に櫻川氏のような人物が一人もいなかったならば、どうなるかである。顕正会のことは正しく報道されず、あたかも突如あらわれたナゾのカルト教団のように見られてしまうだろう。

顕正会は創価学会や宗門の悪口を言っている。それを鵜呑みにする人はさすがに今の時代には存在しない。相手の言い分も聞く。少なくともネットで調べれば一定程度はわかることである。

結果的にはどっちもどっちと見るのが大多数ではなかろうかと思う。あるいは一般人のレベルでは判断がつかないかもしれない。そうした時に必要になるのが、俗に言えば学者や評論家の類である。ただし現状では顕正会のことを正しく認識している人はそう多くない。専門家レベルですらそうなのだ。あるいはテレビのコメンテーターであればテキトーにしゃべるのが得意なので、すると先ほど言ったように、顕正会がますますおかしなカルト教団のように思われてしまうことになりかねない。

ゆえに、こういう時には櫻川氏のような顕正会のことを知悉している人物が、どうしても必要になってくる。

ただし、繰り返しになるが、これは顕正会がかつての創価学会のような大躍進を遂げ、結果として社会的に大注目を集めるようになった時の話である。現状ではそうならない可能性のほうが高いかもしれない。

さて、沖浦氏である。

 更に最も大きな特徴は、革命家に留まらず、

★革命児!!!!


この前後の文章は賛否はそれぞれにせよ、わたくし的にはそこそこ納得できる内容だった。しかし、上掲のような小さな表現の違いがわたくしは気になって仕方がないのだ。

革命家と革命児にどれほどの差があるのか、まるで理解不能である。この場合、きわめて個人的な言語感覚に過ぎないものを、大仰に言っているだけにしか思えないのだ。おそらくは拙稿においても過去に同じような失敗をしていることだろう。他山の石としたい。

皇居を見下ろすような大きなビルを建てるだろう・・・

これは興味深い話だった。どこから拾ってきた話なのか知らないが、全体としてよくまとまった話だと思う。

些細な点ながら、戸田城聖氏のイメージしていた大きなビルとはどのくらいの規模なのか、そこが気になった。現代感覚からするとサンシャインなどは高層ビルの一つに過ぎないわけだが、戸田氏の生きた時代からすると想像を絶する高さである。また、大石寺の伽藍にしても、後の正本堂や奉安堂を戸田氏は知らない。もし氏がそれらを目の当りにしたらどのように思うだろうか?


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