2021/11/30

ヒレフス  
世間に目を向ければ、今日は立憲民主党の代表選挙である。また、数日前から俄かに騒がしくなってきた新たな変異株、すなわちオミクロン株であるが、それがどうなるかにも注目しないといけない。それ以前に韓国の感染拡大にも注意を払う必要がある。何しろすぐ隣の国だからだ。

「竜の口大法難」特集号

顕正新聞第1557号である。

ひれ伏す×7

一面から三面にかけて会長講演が載っている。そこに見出しを含めれば上掲のフレーズが七つも出てくる。当然、浅井先生が言っているのは、日蓮大聖人にひれ伏す意味である。ところが幹部たちの登壇記事は違っている。もちろん大聖人にひれ伏す場合もあるが、浅井先生にひれ伏すことも少なくないのである。これでは会長本仏論の批判を免れないだろう。

 三十二相というのは、あの奈良の大仏を見ればわかるように・・・

奈良の大仏を見てもいいのか?

 本、願を立つ。

浅井先生的には一貫性があるものの、宗門の読み方と違っている点が問題である。創価学会の新版では、どのように表記されているのだろうか?

 響くは凛々たる大聖人の御声のみ。目に映るは月の光に照らされて輝く大聖人の御尊容のみ。

月の光なのだろうか?

以下は各種登壇記事から紹介しよう。

日本における米軍撤退は即亡国との様相が現実味を帯びてきたことに、八月十五日を境に一気に順縁広布へと舵が切られたことを実感します。

女子部第二総部長(北関東・四国)の構文は複雑である。もしかしたら本人もわけがわかっていないのかもしれない。前半はアフガンの例を引いて言っているわけなのだろう。後半は終戦のことを言っているのだと思われる。ならば日本はそこで米軍に占領されたわけである。そして近い将来には米軍が撤退するとの見通しを前半で言っているのだ。即亡国は即広宣流布の意味と考えられる。それが終戦の時にスタートを切った。占領が始まった時に撤退が決まっていた。複雑すぎる。単にデタラメなだけかもしれない。

宇宙第一・最極無上の尊体・・・

第二十五女子部長(千葉県)の表現力である。一閻浮提第一は馴染みのある言葉だが、その言い換えなのだろうか?

 「昨年のうちから数十棟のプレハブを建て、八八〇〇人の研修医を活用し対応させていれば、医療崩壊にはならなかった」

浅井発言らしい。わたくしの読み落としなのか、顕正新聞紙上では見当たらないように思う。

これについてとやかく言うつもりはないが、たまたま隣の婦人部第八総部幹事(首都圏・近畿・山陰)の記事を読んでいたら、アゲアシを取りたくなった。

大阪会館・姫路会館・鳥取会館の御本尊様の御前に、すべての県民を呼ぶ戦いを・・・

収容人数に限界があるだろう。今のうちにプレハブ会館を数十棟、建てておくべきである。

 聞けばその婦人は祖父母の代からの学会員で・・・

女子部第百六十四区総班副長(北海道)の記事には、九十歳になるご婦人の話が出てくる。祖父母の代からの創価学会員とのことだが、年齢的に考えるとじゃっかん疑わしいところがある。ご婦人は浅井先生と同年代である。浅井先生の話には祖父母のことが出てこない。顧問先生のご両親のことだ。たぶん祖父母は日蓮正宗の信仰をしていないのだろう。妙信講ないし顕正会の歴史の上からも不必要な情報でもある。ゆえに語ることはないのだと思う。何しろ大昔のことだ。くだんのご婦人の話も推して知るべしである。

 また〇〇班長は昨年に愛犬が亡くなり、葬儀を執り行なってくれた△△さんに広告文を渡しておりました。

女子部第二百四十一区支区長補(石川県)の記事が気になった。ペットの葬儀を云々しているわけだが、書き様からすると執り行なったのは業者ではないように読める。もし個人が行なうとすると、具体的には何をどのようにするのだろうか? あるいは顕正会の儀礼室ではペットの葬儀をどのように取り扱うのだろうか?

「私たちはもう服んでいますよ!」

イベルメクチンの話である。やはり顕正会ではどこかから勝手に入手して服用しているらしい。

 「浅井先生と同じ空間にいる」「冥途の土産だ、ていさんありがとう」

婦人部村上支区総班長(新潟県)の記事では、冥途の土産が気になった。俗語としてわりと汎用的に使われているとは思うものの、顕正会的にはどうなのだろうか?

 これから始まる核使用の最終戦争、日本を狙うは修羅の大国・中国であれば、米軍三沢基地が標的になることは疑いなく・・・

女子部第九十八区班長(青森県)の大国・中国が面白い。それはともかく、米軍三沢基地が標的になる云々が問題である。別の記事ではアフガンの例から米軍の撤退を云々していたのに、ここでは米軍基地が標的になると言ってしまっているのだ。見解を統一すべきだろう。

 私は直ちに学会版本尊四幅の返納を申し出て・・・

婦人部岩手支区組長(岩手県)の記事では、上掲が気になった。なぜ四幅なのかである。また、その種類が気になるところで、例えば宗門時代の御本尊だとか、いろいろと混じっているのだろうか?

まさか今の創価学会が一人に対し本尊をいくつも押し付けるとは思えない。たぶん日蓮正宗時代には本尊下付を成果として数えていたはずなので、それでまかり間違って一人に複数の本尊が下付されてしまうことがあったと想像される。それにしても四幅は普通にはあり得ない話である。

2021/11/24

ツケヤキバ  
沖浦氏は守備範囲を広げたようである。以前は御書オンリーだった。それが今は日興上人の御書き物などにも手を出すようになった。ただし、ツケヤキバ感は否めない。法華講の諸氏も指摘するように、ネット上の情報をつまみ食いしているだけなのだろう。それがバレバレなのだ。

ちなみに、わたくし自身はこれまでほとんど議論に参加していない。なぜならば自分の守備範囲ではないからだ。ゆえに誤字脱字を指摘するにとどめていた。

 執権が交代したので立正安国論を改めて新失権がよむだろうから、法華経を採用するとの動くがあるだろうと・・・

枚挙に暇がないとはこのことだ。上掲は今朝の沖浦氏のコメントなのである。書けば書くほどボロが出る。

新失権とは凄い言葉である。動くがあるは動きがあるの間違いと思われるが、このレベルで法華講員を言い負かしたつもりになっているのだから滑稽である。言い訳無用、わたくしに文句を言わせないためには限りなく誤字脱字をなくすことである。人間だから間違いはある。たまには仕方がない。しかし、こうも頻繁ではいけない。

https://ameblo.jp/raketto-chan/entry-12672159792.html

沖浦氏の主張が上掲の丸写しだったことが発覚した。これについて氏は恥ずかしげもなく正当化している。しかもまったく同じだとマズいと思ったのか、少しずつ文章を変えているわけである。これについても言い訳しているが、わたくしに言わせると次のようなくだりが物凄く恥ずかしいのだ。

★弘安七年 甲甲五月十二日甲州身延山へ登山、

普段から真面目に御書を読んでいる人ならば気がつきそうなものである。

おそらくは甲申が正しいのだろう。キノエサルである。十干十二支は現代人には馴染みの薄いものであるが、かつては重要だった。ゆえに御書には必ず認められているのだ。

ちなみに、わたくし自身は沖浦氏の書いているものがパクリであることを知らなかった。法華講の諸氏がそれを突き止めた。その上で決定打となるのが甲甲だろう。コピペであることがほぼ確実である。

http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1995336.html

さて、こちらであるが、かつて当該サイトは赤鬼のブログと称していた。なぜそれを知っているかと言えば、わたくしはその頃から閲覧させていただいているのだ。創価学会で出している講義録をデータ化している意味で、貴重なサイトである。

当然、沖浦氏のことだから、またしても丸パクリなのだろう。いや、もしかしたら講義録を所持していて、それを引用している可能性もある。

この際、それはどちらでもいいのだ。

 大聖人の御墓が荒れ放題であるというのは、あくまで老僧たちが墓輪番を守らない不届きを責めるための強調であって、実際には日興上人およびその門下たちで十分に手入れをされていたはずである。

沖浦氏は自分にとって都合のいい部分だけを拾い上げ、上掲のような都合の悪い部分は無視している。この姿勢が問題なのである。ちなみに次の一節も重要である。

 ついでに本弟子以外の十二人とは、越前公、淡路公、越後公、下野公、筑前公、和泉公、治部公、郷公、寂日房、伊賀公、但馬公、丹波公で、このうち伊賀公、但馬公、丹波公の三人を除く九人は日興上人門下である。

郷公は卿公の誤植だろう。日目上人のことである。わたくしの守備範囲ではないが、このくらいはパッと見て気がつくものである。

それはともかくとして、本講義録は物凄く重要な示唆を与えていることに気がつかないといけない。沖浦氏は日興上人が身延に居なかったことを証明しようとして躍起になっているが、問題はそこではないだろう。墓所の輪番にはぜんぶで十八人が加わっていた。そのうち日興上人の弟子が九人、日興上人を含めれば過半数となる。それでいて墓が荒れ果てていたとすれば、五老僧の責任ばかりを問うわけには行かないだろう。むしろ輪番の過半数を占めていた日興上人のグループにも相当の責任があることになる。このように考えれば前掲の蓋然性がきわめて高いことになりそうである。再掲しよう。

 大聖人の御墓が荒れ放題であるというのは、あくまで老僧たちが墓輪番を守らない不届きを責めるための強調であって、実際には日興上人およびその門下たちで十分に手入れをされていたはずである。

以上、本講義録に基づけば、沖浦氏の主張がいかにデタラメであるかが明瞭である。

 次に「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候へども」と述べられているのは、日昭、日朗たちが身延へ参詣しない口実に、地頭が謗法を犯した際には身延の地を去るべきであるとの遺言を持ち出していたことによるのかもしれない。

このくだりはわたくしの個人的な興味から引用させていただいた。さすがは大創価学会である。人材が豊富なのだろう。

 「日興の賜ってこそあそばされてこそ候いしか」は、身延山久遠寺を日興上人に譲られることになっていたので、墓を身延にと仰せられたのであろうという意味と思われる。

いわば二箇相承の傍証的な意味を見出しているのだろう。さすがである。

2021/11/22

トンズラ  
沖浦氏はまたもやらかしたようである。以前にも同様のことがあった。ようするに他人の文章をあたかも自分が書いたかのように装うのだ。今回もまったく同じである。これは議論以前の問題だろう。まるで反省が見られない。懲りない人である。

さて、顕正新聞の続きである。

妙信講発足時に学会に移った壮年

第六十五女子部長(首都圏・山梨県)の記事に書かれていることはかなり珍しいケースだと思う。なぜならば妙信講発足時とは正確には再建時のことであり、その直前までは法道院法華講だったわけである。ゆえに当事者はそのまま残るか妙信講に移るかの選択を迫られている時だったのだ。ところがくだんの壮年は二つの選択を蹴って創価学会に移籍したという。

嫁ぎ先が宗門の檀家、事あるごとに供養

女子部第六十四区組長(徳島県)の嫁ぎ先は徳島市の敬台寺の檀家だった。おそらく絶対数としてはそれほど多くはないのだろうが、全国各地にはそれなりに由緒のある正宗寺院が存在するので、古くからの檀家も少なくないのだろう。彼女の嫁ぎ先がそうだった。

「顕正会で信心したいから、本尊を返す」と言い切ると、すんなりと返納でき・・・

ヘンなことを言うようだが、けっこうレアな御本尊だったかもしれない。彼女は墓檀家ゆえにその辺の意識がまったくなかったのだろう。今の顕正会ではややもすれば宗門の御本尊すら邪宗の本尊みたいに思っているフシがある。それでいて戒壇の大御本尊を云々しているあたりが、わたくしには不審きわまりないところである。

毎月一二日には「御講」と呼ばれる御書講義なるものが開かれ・・・

十三日ではなかったかと思う。そして近年は便宜的に第二日曜日に行なうようになった。由緒ある寺院は旧来通り十三日かもしれない。

ところでかつて克衛が言っていたとされるのは、御講とは御書講義のことである、みたいな話だったと思う。それを下野正信氏が痛烈に破折していたのを思い出した。

新型コロナに打ち負けた
     安倍の傀儡政権


世相閻魔帳の第十四回は、この時期としてはタイムリーな話題と言えるだろう。ご覧の見出しに続いて、本文の冒頭は次のごとくなっている。

 本年九月三日、菅首相が事実上の辞任表明をした。

まさにコロナに打ち負かされた政権だった。しかし、傀儡云々はじゃっかん違うと思う。なぜならば本文の続きにも次のように書かれているからである。

 自分勝手な性格で他人の話に耳を傾けない菅は・・・

ならば傀儡とは言えないだろう。

 それにしても、何故このようなスッカラカンで全く以て宰相の器でない輩が首相になったのかといえば・・・

ボロクソである。では宰相に相応しいのは誰なのか、筆者は具体的な名前を出せるのだろうか?

 こうして菅は万策尽き、政権をぶん投げてトンズラする道を選択したわけだが・・・

順番が前後するが、これまた辛辣な物言いである。それにしても言っていることが不正確だ。確かに安倍氏は途中で投げ出した。けれども菅氏はそうではない。次の総裁選には出ないと言っただけである。安倍氏が残していった任期を請け負ったと解釈すれば、安倍政権の官房長官としての職務を最後まで投げ出さずに全うしたことになるだろう。

無情・無能・無責任の三拍子そろったアベとスガ。諸悪の根源であるアベは早く議員辞職せよ!

顕正会が言うと、裏目に出る。実際、安倍氏の復権が著しい。最近では安倍派の会長に就任した。いわゆる派閥の領袖である。しかもそれが最大派閥なのだから、その力たるやハンパなものではないだろう。

 最近では異物が混入したワクチンを接種して死者が出たり、自宅療養中の患者が死亡する事案が増加したり・・・

このくだりでもポンコツの菅では処理できないと相変わらずボロクソなことを言っているわけだが、上掲には不正確な記述が含まれているので指摘しておきたい。

後半はまさにその通りである。いわゆる医療崩壊が起きていた。入院したくても病床が空いていない。ゆえに救急車で何時間もたらい回しにされる事例が頻発した。あるいは呼んでも救急車が来てくれない。自宅療養とは名ばかりで、実質的には自宅放置であるとの指摘もあったくらいである。

問題は前半である。上掲の書き様ではあたかも異物によって死に至ったかのごとく読めてしまう。事実は違うのだ。ワクチンそのものの副反応で亡くなる人がいる。ゆえにワクチン接種に反対している人たちが存在するくらいである。絶対数としては少ないのかもしれないが、それなりの数の人たちが反対しているだろうことは確実である。この点、世相閻魔帳で特集したらどうかと提案しておきたい。

2021/11/19

シンパン  
創価学会の新版御書については、いずれ入手したいと思っている。その時にはわたくしなりの感想を書くことになるが、今の段階で言えることは、顕正会は完全に水をあけられた、ということである。もともと差は開いていた。顕正会としては追いつけ追い越せの精神で頑張ってきた。しかし、差は縮まらなかった。その一つのあらわれが御書への取り組みである。今さらどうにもならないだろう。

さて、顕正新聞第1556号である。

米軍が撤退し、たちまちタリバンに占領されたアフガニスタンの姿は決して対岸の火事ではなく・・・

総男子部長の発言である。男子部第十総部長(首都圏)も同様のことを言っている。

経済力が衰えてきたアメリカが、タリバンがアフガニスタンを占領することをわかっていながら、無責任・非情にも撤退した姿を見ては、近い将来、日本・・・

現状、日本全国に米軍基地がある。首都圏にも横田基地や横須賀基地など、重要な軍事拠点が存在する。ならば当面は安心だろう。米軍に守ってもらえるなどという甘い考えを言いたいわけではない。少なくとも今の段階で米軍が日本から撤退することはないので、そこが非常にわかりやすい指標となるのだ。

いよいよ広布最終段階・・・

もう二十年も前から言っているのに、いよいよもないだろうと思う。さらには次のような副総合婦人部長の発言もある。

ゴール眼前の最終段階・・・

これはまた凄いことである。もう一人の副総合もあるいは他の大幹部たちも最終段階を連発しているが、婦人部第七総部長(新潟県)も同様の発言をしつつ、さらに次のようにも言っている。

これが最後となる先生のお見送り・・・

これまた過去に同様の発言がいくつも存在するものの、これまで一度も最後だったタメシがない。とは言え、常識的に考えれば、浅井先生の人生も最終段階を迎えているのは事実だろう。ゆえに女子部第一総部長(首都圏・長野・青森県・モンゴル・米国)も、次のごとく言っている。

偉大な先生の下で、残りわずかになった御遺命成就の御奉公に全魂こめて戦い・・・

もっともこれは御遺命成就すなわちゴールまでの時間を残りわずかと言っているわけだが、おそらくは本人も別の意味があることを自覚しているはずである。そして常識的には後者のほうが有力だろうと思う。

九〇歳を越えた阿仏房を三度も身延参詣に送り出した千日尼・・・

総合女子部長も間違っている。大幹部ですらこのようなテイタラクである。顕正会版の御書があれば違っただろう。熱心さにおいては創価学会員や法華講員に負けていないはずだからである。

とりわけ近年は対宗門において強気の姿勢を見せており、次の第三十八男子部長(長野県)もその旨の活動報告をしている。

 このたび長野県の宗門末寺・恵光寺の住職で、細井日達の孫の細井正玉の姿を通し、改めて宗門僧侶の無道心を目の当りにいたしました。

日達上人の孫と書かれているが、当然ながら上人の御子息も僧侶だったのだろう。あるいは日顕上人の御子息も僧侶であり、現猊下にしてもかつて宗門で実力を誇っていた人物の御子息である。この辺が悩ましいところで、いわゆる僧侶の妻帯問題もさることながら、世間一般でも取り沙汰される世襲問題にも通じる意味で、一つの懸案だろうと思う。それはさておき、次のくだりが気になった。

法華講員の急死や偽装入信報告等・・・

顕正会員だって事故や病気で亡くなることもあるだろう。さらに後半が問題である。かつて顕正会では入信願書を本人が記入する方式だった。ところが入信報告書に変更した。この場合は本人が記入する必要はないのである。まさに他人事ではないのだ。

男子部第百二十一隊長(秋田県)の記事も見ておこう。

 その日は三十度を超える猛暑にもかかわらず、寺ではエアコンさえつけられないほど困窮しているのか、仏間の窓を全開にしていたので、外からは御本尊が丸見えで・・・

何を問題にしているのか、焦点がぼやけてしまっている。猛暑の定義は三十五度以上である。もちろん個人の感想というか体感レベルでは人によって違うのかもしれない。わたくしの感覚では、三十度そこそこではエアコンよりも自然の風のほうが気持ちいいし、秋田の地域性からしてもそれが妥当だと思う。顕正会員の感覚からすると、御本尊は見せてはいけない、だから窓を閉め切らないといけない、よってエアコンは必須である、ということなのかもしれないが、だったら宗門七百年の歴史はどうなるのか、である。エアコンが普及し始めたのは長く見積もってもここ半世紀だろう。

 また、壁にはなんと
 「過去帳十万円。回向代二十万円」
 との料金表の張り紙がしてあり・・・


これは興味深い。これが日蓮正宗における相場なのか、あるいは寺院ごとに異なるのか、ご存知の人がいれば教えていただきたいと思う。

記事ではこれをもって食法餓鬼と批判しているが、ある意味では明朗会計とも言えるだろう。ちゃんと表示しているからである。

まあ、しかし、わたくしの感覚では高いと思う。他宗ではどのくらいが相場なのか知らないが、回向代というのは早い話が法事ごとに発生するものなのだろう。僧侶の側から言えば、基本、御経を一回読むと二十万円の収入になる。坊主丸儲けとはよく言ったものである。

2021/11/18

カメムシ  
今日は顕正新聞の続きを取り上げるが、その前に大沢氏から寄せられた情報に触れておこう。

顕正会に対しての資料館
https://hajakensyo.wordpress.com/

パッと見ての感想を申し上げれば、読むのが面倒臭いサイト、となるだろう。かく言う拙ブログもまったく同じであり、早い話が今は長ったらしい文章が流行らない時代なのである。いわゆるツイッターの流行を見ればわかるように、あのような簡潔な情報発信が好まれるのだ。

また、違った意味でも面倒臭いと言えるかもしれない。

れいわの議員がしきりに、問題提起した吉村知事や維新の過去の受領歴を出してブーメランと騒いで、ネットでも取り上げられましたが、与党公明党、他の野党も次々に軌道修正や法改正に応じています。

テレビ局のニュース番組でも大ブーメランとの見出しが躍っていた吉村知事の件だが、これは六年前のことがいわばほじくり返されてしまったわけである。わずか六年前と言っていいかもしれない。

ところがである。顕正会を取り巻く話題はおよそ半世紀前後のことが取り沙汰されているのだ。池田会長がああ言っていたこう言っていた。日達上人がああ言っていたこう言っていた。逆に宗門側からも浅井昭衛はこう言っていたじゃないかああ言っていたじゃないかとやり返す。実に面倒臭い話である。世間から見向きもされないのは当然かもしれない。

さて、そこで顕正新聞の話題に移ると、教学部長が次のようなことを言っている。

 それにしても、昭和三十八年に細井日達が「学会の悪口を言う者は無間地獄に堕ちる」と、なんと愚かな訓諭を発布したものかと唖然とし、だったら正本堂落成後、罰で仲違いして池田を罵った細井日達自身はどうなるのか・・・

いちおうツッコミとしては成立していると思う。しかし、今頃になって言っているのがおかしい。もし当時、こうしたツッコミを入れていればタイムリーでもあるし、説得力があったと思う。しかし、半世紀も経ってからでは証文の出し遅れであり、今さら感がハンパない。

教学部長の記事には次のようなくだりもある。

当時、六巻抄講義を下された中島円妙院日彰上人より、一対一で近代宗門の歴史を詳しくお聞きになった不思議の御縁を通し、すでに仏法上の大見識を有しておられた・・・

言わんとしていることは、浅井先生ってのはすでに二十代の頃より仏法上の大見識を有していたんだ、スゲーだろ、ということである。

百歩譲ってそうだったとしよう。しかし、最近の言葉で表現すれば、オワコンである。かつてはそうだったとしても今は違う。もう終わっているのだと。かなりイジワルなことを言っているようだが、おそらくはこれが現代感覚なのだと思う。

さて、次は第五十二女子部長(沖縄県)である。

 前法戦、第一四一区の全総班長が新型コロナに感染し・・・

組織としては潰滅である。いや、そんなことはどうでもいい。組織ではなく、一人ひとりの健康が大事なのだ。ゆえに彼女たちがどうなったのか、そこが気になるところである。

 一総班長が新型コロナウィルスに感染後、あっという間に肺炎が悪化し、気管切開寸前になりましたが、イベルメクチンを服用したところ・・・

ようするに助かったという話である。

また感染後、直ちに服用すると軽症で済む部員も多くおりました。

どうも解せないのは、直ちに服用云々である。雰囲気的には医師の処方ではなく、勝手に入手して飲んでいるように思える。前掲はいわば重症化の一歩手前まで行ったわけなのだろう。その場合、イベルメクチンを服用するタイミングを失しているのではないかと思われるのだが、それともわたくしの認識が間違っているのだろうか?

さて、世相閻魔帳であるが、なんと十三回を数える。しかもこのところは、寄生虫の悪あがきを連載していて、今回は四回目になるようだ。

正本堂完工式の最前列に並ぶキリスト教神父。阿部日顕も認めているのに大草は「バチカン市国の外交官」と大ウソ

この件で気になるのは、大草氏は今でもそのように主張しているのか、である。平成二年以前においては創価学会を庇う目的でそのように言っていた。おそらく日顕上人もその頃は同様だったろう。記事では上人の発言が三つほど紹介されているが、いずれも平成五年となっている。この点、先ほどの日達上人の件と似ていて、いわば上人のほうが変節したことになる。もし大草氏が今も同じ主張を続けているとすれば、それこそ一貫性があることになる。

オツムが弱い上に信心がない宗門僧俗

一貫性の意味では当該記事の筆者も性格の悪さにおいて一貫性があるようだ。上掲を前後の文脈を踏まえて説明すると、妙観講はいわば大本営発表よろしく顕正会に連戦連勝しているのだと宗門僧俗に宣伝している、オツムの弱い宗門僧俗はそれに騙されている、というわけである。しかし、上掲を「真面目な宗門僧俗」と書き換えても文脈的には成立する。わたくし的にはこのほうがいいと思う。筆者は気づいていないようだが、オツム云々は日蓮正宗の人々全員の神経を逆撫でしていることになるのだ。それじゃあダメだろう。

カメムシ

これも筆者の性格の悪さが滲み出ているが、少なくともこの一段は大草一党という限定的な意味なので、前掲よりはマシかもしれない。

所為×2

誰なんだろうね、この筆者は・・・

わたくしは国語の専門家ではないけれども、表現に対しては敏感である。この言葉遣いは尋常ではない。もちろん効果的な場合もあるが、しかし、これは甚だ疑問である。

当該号にはもう一つ、イベルメクチンの記事があった。それは男子部第七十二隊長(首都圏)の記事であるが、前掲同様、解せないところがある。

 「新型コロナは一気に重症化して自宅で死亡するケースもあるので、このまま自宅療養するのは危険である。多少無理を言っても入院させてもらったほうがいい」

まず、これは総男子部長からのアドバイスだそうである。なかなか的確である。時期的には第四波の話らしいので、先見の明があったと言えるかもしれない。発表は八月末の総幹部会であり、ちょうど第五波が猖獗をきわめていた。実質、医療崩壊が起き、自宅で亡くなる人が続出していた時期である。逆に言うと、第五波の時には無理を言おうが何をしようが入院できなかった。さて、第六波はどうなることだろうか?

話を戻して、次は入院中のくだりである。

 医師からは特例承認された点滴薬が投与されましたが、効果が発揮されるまでは五日から一〇日間かかることを聞かされました。
 しかし、私の場合、イベルメクチンを服用していたこともあってか・・・


何となく雰囲気的には勝手に飲んでいた感じである。

 また百歳になる母においてもイベルメクチンを早期に服用していたことから重症化を回避でき・・・

これまた医師による処方ではないような雰囲気がある。もしそうだとするとマズいだろう。ヘンな話、若い人ならちょっとくらい用法容量を間違えても大事には至らないが、相手は百歳である。現状、イベルメクチンを積極的に処方している医師がそこら中にいるとは思えないので、顕正会におけるこの手の記事を読むと心配になってくる。

2021/11/15

ナニヲカイワンヤ  
大沢氏のコメントには次の一節がある。

表面上の事を捉えて悪宣伝するのはいくらでも出来ることですし、浅井会長がそのようにするのも、顕正会員の謗法への嫌悪感を利用して、脱会者が続出し、次々と妙観講へ流れてしまう動きを何としても止めたいのかもしれません。

悩ましい限りだ。

現状、顕正会から宗門へ移籍する人が相当にいるであろうことは間違いあるまい。その動きを阻止したいという顕正会首脳部の思惑も見て取れる。具体的には顕正新聞における妙観講批判キャンペーンがそれである。

ただし、顕正会員の謗法への嫌悪感を利用して云々は、事実と虚偽が混在している印象を拭えない。なぜならば顕正会員の謗法への嫌悪感は今に始まったことではなく、従来からそのように教わってきたからである。まさか今のような事態を想定して、そのような教育を施してきたわけではあるまい。それが教義的に正しいと信じて、会員に徹底してきたわけである。ゆえに大沢氏がわたくしを説得するのは簡単なことだとしても、熱心な活動会員たちを納得させることは難しい。今後も顕正新聞紙上で執拗にキャンペーンが張られるだろうことは確実である。

もっとも、大沢氏とてそんなことは百も承知であろうから、差し当たってはわたくしを説き伏せることが目的なのかもしれない。

委細に経論を勘へ見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当たれり。此の戒の心は、いたう事かけざる事をば、少々仏教にたがふとも、其の国の風俗に違ふべからざるよし、仏一つの戒を説き給へり。

早い話がどこまでが許されるかという線引きの問題なのだろう。さらに続きの御文が悩ましい。

此の由を知らざる智者共、神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり。

ややこしくなるのを承知で言えば、ここ最近の沖浦氏の主張がこれなのだ。日興上人を悪し様に言って憚らない。それはこうした御書の裏付けがあるからなのだろう。

たまたまタイミングが合ってしまったわけだが、大沢氏の主張には大きなネジレが生じてしまっていることがこれでわかると思う。

ようするに線引きの問題を考える時に、釈迦像についてはここまでで、神社参詣についてはここまでみたいな、ある程度は個別の事案で線を引く場所が異なるのは当然にしても、それがあまりにも自己都合による線引きであれば、もはや誰も納得しないだろう。

わたくしからの返信はおおむね以上であるが、せっかくなので今日はもう少し教義の話を続けよう。

 白米三斗油一筒給び畢んぬ。いまにはじめぬ御心ざし申しつくしがたく候。

六郎次郎殿御返事と呼ばれている御書である。上掲はごく普通の挨拶文と言っていいだろう。続きがある。

日蓮が悦び候のみならず、釈迦仏定んで御悦び候らん。

このくだりも普通である。大聖人への御供養が釈迦仏にも届いている。釈尊本仏論の立場でも違和感はない。ところがである。続きの御文が凄まじいのだ。

「我則歓喜諸仏亦然」とは是なり。

ガソクカンギショブツヤクネンを経文通りに読むと、我は釈迦仏であり諸仏は文字通り諸仏である。ところがここでの文脈は大聖人が我であり、釈迦仏は諸仏に位置付けられるのだ。これを日蓮本仏論の明確な文証と考えるのは、わたくしだけだろうか?

わたくしの顕正新聞批判の主軸は会長本仏論である。かつて浅井先生は池田大作氏の発言や創価学会員たちの発言をあげつらって、池田会長はまるで大聖人よりも偉いみたいじゃないか、というような批判を繰り返していた。その批判がいつの間にか自分自身にも当てはまるようになっていることを知るべきだろう。さすがに大聖人よりも偉い事例は少ないが、大聖人と同格くらいのものは日常茶飯事である。何しろ会員たちの発言を見れば、浅井先生にひれ伏しちゃうのだから、もはや何をか言わんやである。

2021/11/14

ゲキゾウ  
誤字脱字の件で逆ギレしている御仁がいるみたいだが、話は簡単である。誤字脱字をなくせばいい。そうすればわたくしも文句は言えない。

「亡国の先難」特集号

さて、今日は顕正新聞第1555号である。まずは一面から拾ってみよう。

総罰が激増した六・七月法戦・・・

前後の文章を読んでも意味不明。一般人には読ませられない。

下段には人事が載っていて、本部では新理事が任命された。そもそも理事が何人いるのか、不明である。
女子部は兼任が二名。相変わらずである。前任者がどうなったのか、気になる。
男子部は大きな動きがなかった。婦人部もしかり。
もちろん上述は大幹部クラスの話であり、第一線で活動する末端ないし中堅幹部たちの事情は不明である。

さて、二面から会長講演が始まる。当該記事は八月二十四日に行なわれた総幹部会であることを念頭に入れておきたい。

 誓願は「二万」といたします。コロナの感染拡大もあり低く抑えました。

まさに第五波の真っ只中であり、賢明な判断ではある。しかし、低く抑えた、という言い回しはよろしくない。ノルマっぽいからだ。

千年に一度のもの

千年に一度の豪雨


前者はカナダで記録した熱波のことであり、後者は中国河南省でのことを指している。日本ではコロナが深刻だったこともあり、人々の記憶には多くは残っていないのかもしれないが、やはり全国各地で水害が発生した。その辺の意味を一面では総罰激増と表現したのだろう。

 現在のところ、感染爆発がいつ収まるのかは、誰にもわからない。

浅井先生にもわからない。凡夫だからだ。

秋・冬にはさらに感染は深刻になると予測されている。

体裁的には専門家の予測を紹介しているだけなのだが、またしても先生の予言は外れてしまった。先ほど、八月末の総幹部会であることを念頭に置くべきと謳ったのは、まさにこのためである。いみじくも先生が言うように、この時点ではまさかこれほどまでに感染が激減するとは誰も思わなかった。いや、もちろん、先のことはわからない。秋はどうにか乗り切れたものの、この冬がどうなるかは誰にもわからない。世界的に縮小傾向ならばまだしも、現時点でかなり深刻な感染状況の国も少なくないのだ。油断していればすぐにぶり返すだろう。

米ニクソン大統領の
 「金・ドル交換停止」宣言


この一段は面白かった。経済オンチのわたくしには理解し切れていない部分があるものの、ためになる話であることは間違いないだろう。

金こそまさに人類史上5000年にわたる正貨です。

浅井先生の貨幣観なのか、それともこれが一般的な貨幣観なのか、その辺が気になるところである。

 しかし金を準備するという制約がなくなった通貨は際限もなく膨張して、いまその価値を失いつつある。

この一段には次の見出しが付いている。

 ドルの対金価値98%減

五十年前に比べるとほとんど価値がない。では、なぜにそれが経済的に機能しているのか、である。結局、わたくしの頭ではまったく理解不能なのだが、おそらく感覚的には浅井先生も同じなのだろう。こんな状態がいつまでも続くわけがない。どこかのタイミングで破綻するはずだと。

今回の会長講演はおおむね以上であるが、最後にもう一つだけ取り上げておこう。

始めて×5

前回、わたくしは沖浦氏の誤字脱字を指摘した。わたくしのスタンスは浅井先生に対しても同じである。上掲を厳密な意味で誤字とするかどうかは難しいところだが、明らかに現代の一般的な表記とは異なる。想像するに教養人の中には、こうした些細な点に敏感に反応する人が一定数は存在するはずである。いわゆる顕正新聞の特集号は広く一般人にも読ませる目的があるわけだろう。浅井先生のご見識とやらを自慢したいのだ。しかし、上掲のようなテイタラクでは逆効果の可能性もある。本部首脳はこの点をよく考えるべきである。

2021/11/11

リョウカンコウ  
沖浦氏の精力的な書き込みについて思うことは、毎度ながら誤字脱字が多くていけない。もし可能ならば事前にチェックしてくれる人をさがすべきだろう。それができないならば投稿ペースを落としてでもしっかりと自己チェックを行なうべきである。

★神ならすは禰宜から・・・・・

 端的なお言葉ですが、神を使うならその使いである禰宜を説得せねばならない・・・・


こんなテイタラクで日興上人にイチャモンをつけるとは言語道断である。いったいどこからこんな語訳が出てくるのか、それも問題であるが、それよりも何よりも初歩的な問題がある。

神ならす?

御書が読めていない証拠である。原文は「ならはす」であり、漢字ルビとしては「習はす」を当てている。現代国語では「習わす」となるだろう。意味がわかっていれば間違えようのないところである。わかりもしないで偉そうに講釈を垂れているから間違えるのだ。

さて、顕正新聞が溜まっているので先を急ごう。

いよいよ御遺命成就まで一瀉千里に駆け抜けられる・・・

婦人部第七総部長(新潟県)はイヤミを言っているのかもしれない。この先、加速度がつけばいいのだが、たぶん無理だろう。

同時に服薬も一切やめ、お題目がいちばんのお薬と気づき・・・

婦人部上越支区部長(新潟県)の発言も矛盾を孕んでいる。今後、何度か取り上げることになるが、顕正会ではイベルメクチンの服用を推奨している。題目がいちばんの薬だったらいらないだろう。

阿仏房が九十歳を超える身で身延参詣を三回もなしたことは驚嘆であり・・・

第四十女子部長(新潟県)の発言こそ驚嘆である。阿仏房は九十一歳で亡くなったとされている。なんとその前年にも身延に参詣されているのだ。つまり、三度の身延参詣のうち、最後の参詣は九十を超えてからだった。顕正会は何でもかんでも誇張する。誇張しなくても十分に凄い話なのに、なぜに事実に反するような作り話をするのだろうか?

金剛不壊の御遺命

婦人部三河支区部長(愛知県)の発言である。これは善悪云々ではなく、初出の表現かもしれないと思って紹介した。

世相閻魔帳の第十二回は、「寄生虫」の悪あがき(3)である。大草氏のネパールでの行動が謗法与同であるとして執拗に責めている。

 「妙観講」は実態に即した「良観講」との名称が似つかわしい。改称したらどうか。

このシリーズはまだ続くのだが、次回以降には良観講の表記が当たり前のように使われている。顕正会で勝手にそのように呼んでいるわけなのだろう。ただし、わたくしの感覚からすると、あまりよろしくないと思う。ここは普通に妙観講と書けばいいのであって、記事の内容が切れ味鋭いものであればそれで十分なのである。

釈迦の絵像・木像も何のその。「法華経」の講義をのたまいご満悦の「聖職者」大草(左)

この写真は確かに衝撃的である。日蓮正宗としての公式見解を問いたいと思う。

慈善事業に勤しむ大草一党のパフォーマンスは良観と見まごうばかり

この写真は何のシーンなのか不明である。顕正会では慈善事業と説明し、それを良観の所行と重ね合わせて論じているが、そこは過剰にも思えるところである。差し当たってそれが一般常識に照らして悪いことでないのであれば、そこまでツッコミを入れるべき話ではないと思う。むしろ顕正会員が被災地で諫暁書を配ったりして顰蹙を買っている姿のほうが問題だろう。わたくしの感覚からすると、一定程度ボランティア活動をした上で、その合間に配布するのならば許されるかもしれないと思う。そうしたことを何もしないでひたすら配布だけしているとすれば、そりゃ顰蹙を買って当然だろう、非常識にもほどがある、ということになるはずである。

・・・現地でテキトーな勧誘を拡大させていったのだろう。

テキトーは適当ではないという意味だろう。もともと若者言葉だったものが、おそらく今では現代国語として広く認知されているものと思う。

少し前にも書いたと思うが、かく言う顕正会のネパール組織はどうなったのか、そこが気になるところである。

大草一男、今度は弁護士会からも一刀両断
宗門僧俗は大草一党の謀略体質を
刮目して見るべし


法務部次長・菅原克仁氏による渾身の記事である。

細井日達の悪臨終が明らかになった頃より・・・

こういうのは大丈夫なのだろうか?

劈く

これは初めて取り上げると思う。前々から気になっていたものの、あまりにも些末過ぎるので触れなかったのだが、そもそもこの表現には何か意味があるのだろうか?

わたくしの言語感覚ではピンと来ないのだ。この点、顕正会首脳部は一般的な言語感覚からしてどうなのか、よく調べるべきだろう。一種の顕正会用語とも言えると思う。

弁護士である自慢の息子(大草貞嗣)・・・

ご子息がいつ弁護士になられたのか、そこが気になるところである。顕正会では長きにわたって妙観講ないし大草氏のことをあれこれとあげつらってきたが、ご子息に触れるようになったのはわりと最近である。

犬性会潰滅への戦い・・・
犬性会の撲滅に・・・


売り言葉に買い言葉的に、顕正会でも良観講などと書くのかもしれない。しかし、そこは違うだろう。拙ブログを見習うべきである。自慢じゃないが、わたくしはそういうことを書かない。先ほども書いたように、内容が大事なのである。

・・・世間一般には全く通用しないことをよく知るべきである。

わたくしの顕正会に対する指摘も同じなのである。

日本随一の専門家二名

随一が二名? この辺も言語感覚の問題であり、難しいところではある。唯一ならアウトだが随一ならセーフとの解釈なのかもしれない。

・・・早瀬管長の優柔不断・不見識も自ずと社会に広く知れ渡りつつある。

顕正会の中では広く知れ渡っている。しかし、社会となるとどうだろうか?

 間もなく大草一党は自滅、宗門は社会的信用に引き続き食い扶持≠フ法華講員からの信用も失って餓鬼道に堕すること必定であろう。

顕正会の願望である。

2021/11/4

レンコ  
まず総選挙の結果について書かねばなるまい。わたくしの予想は外れた。自公政権がここまで磐石だとは思わなかった。他にも細かい点ではいろいろあるのだが、やめておこう。ともかく顕正会としても今回の選挙結果は衝撃的であり、とりわけ公明党の議席増には困ったことだろう。浅井先生がどのように説明するか、注目したいと思う。

それはさておき、新・新潟会館での会長講演である。

 久々に新潟にまいりまして・・・

何度でも言うが、これは問題発言である。わたくしだったら正直に言うだろう。以前の発言についてである。細かい話は省くことにして簡略に説明すると、新潟にはもう来ないと言っていたのである。ところがまた来ちゃった。だったら冗談めかしてでも、また来ちゃいました、と言えばよかったのである。

 これは天気予報が狂ったのです(笑)。

この辺はあまりツッコミを入れるべきではないとは思うものの、つい言いたくなる。悪天候の時だってあるだろうがと。

 この阿仏房という人は、承久の乱で佐渡に流された順徳上皇の御供をして・・・

この根拠は何だろうか?

本間六郎左衛門の家人である中興入道・・・

これも根拠はあるのだろうか?

 この日妙殿は、・・・建治元年にも参詣している。

浅井先生は続きの文章で、この時に御書を下された、と言っている。細かい話で恐縮だが、日妙殿に対して御書を手渡されたとの認識なのだろうか?

わたくしの思うに、後日、御書を認められたと考えるのが自然だろう。

日本が歴史始まって以来、始めて敗戦した日・・・

浅井先生のヘンなコダワリについては幹部諸氏も承知しているフシがある。最近の登壇記事では、初めて、と表記する文章が目立つようになった。一時期は、始めて、ばかりが目立ってケッタイな宗教団体であることを強く印象づけていたが、少しはマトモになったようである。

いずれにしても上掲は重複的であり美的ではない。今からでも改めることができれば大したものなのだが、もはや無理なのだろうか?

亡国の「時限爆弾」がある・・・

「この憲法には亡国の時限爆弾がある」


この表現は初めてだろう。わたくしは右だの左だのを云々するのはナンセンスと思っているほうなのだが、上掲を含む一段はおおむね右系の人たちが言っていそうな話である。ただし、浅井先生の場合は結論が違う。憲法を改正するにしても現状では誰にも理解されない主張をしている。何しろ本来なら同門である日蓮正宗だとか創価学会が賛成してもよさそうなものなのだが、現実には相当の乖離があって意見の一致を見ないのである。いわゆる国立戒壇問題である。

 さあ、早く三百万を成し遂げ、大聖人様の御馬前に馳せ参じたい。

三百万をこれほど連呼している団体もあるまい。


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