2021/12/29

ハンペイ  
顕正新聞第1564号は十一月度総幹部会の記事を中心に組まれている。

「皇室の一大使命」特集号

こうした名称は会長講演の内容に鑑みて付けられるのだろう。それはいいとして、第一面の大上段の見出しが気になる。

日本の皇室は悠久二千六百余年も永続

右翼チックである。もっともこう言えば反発を覚える人もいるかもしれないが、少なくとも顕正新聞の大見出しとしては異例である。いつもならば日蓮大聖人のことか、あるいは日蓮正宗のことか、もしくは創価学会のことなど、それらに関連するキーワードが躍るからである。

 この指導はまことに重大で、まさに御本仏・日蓮大聖人の深秘の御本願・究極の御遺命に、先生が始めて言及されたものであった。

こんな大ウソをよくも言えるものだ。深秘の御本願・究極の御遺命は顕正会の年来の主張であり、浅井先生の著作を一通り読めば誰もがわかるはずである。つまり、初めての言及ではないのだ。それとも総幹部会では初めてだと言いたいのだろうか?

それはともかくとして、いよいよ会長講演に入ろう。今回の会長講演は大問題だと思う。

皇室いま大きく揺れ動く

この一段は完全に失敗だった。後段の仏法守護の使命云々への導入のつもりだったのだろうが、こんなデタラメな話もあるまいと思う。

その前に大きな背景として言っておくことがある。すなわち総選挙の結果についてである。十月度総幹部会は投開票の前に行なわれているので言及がなくても当然である。だったら十一月度総幹部会で言及しなければおかしいだろう。ところが浅井先生は完全にスルーしてしまった。もはやこの一事でインチキ野郎であることが確定したと言ってもいいだろう。

顕正新聞では今夏の都議選の結果について、公明党はギリギリで勝ったものの大幅に得票数を減らした、と書いていた。わたくしもよく勝ったものだと思ったし、さすがに衆院選ではいくつか議席を落とすだろうと予想していた。当然、顕正会としては公明党の惨敗を期待していたのだろう。ところが結果はご存知の通りである。

都合の悪い話はなかったことにしたい。わたくしにはそうした事情が丸見えなのである。

どうだろう。言い訳ができるのだろうか?

これまでかなりの高頻度で政権批判をしてきた。ようは政治ネタである。浅井先生の講演内容はかなりの部分で政治ネタが占めている。実際、十月度総幹部会でも選挙について触れているのである。ではなぜに選挙結果は完全スルーなのか?

もはや説明の要もないだろう。このタイミングで皇室問題に言及したのは、都合の悪い話題を覆い隠すためである。

 秋篠宮家の長女・眞子さんが、小室圭という青年と恋に落ち、皇籍を離脱して結婚し、日本を捨て・・・

デタラメにもほどがある。上掲ではまるで駆け落ちみたいに思えてしまう。しかし、それは事実に反するだろう。臣籍降下もしくは臣籍降嫁とも呼ぶそうだが、皇族女子は結婚と同時に皇籍から外れるのが決まりなのである。顕正会員が離脱するのとはわけが違うのだ。

しかも日本を捨て云々が聞き捨てならないところである。

そもそも浅井先生は黒田清子さんの皇籍離脱を批判したことがあるのか、まずはそこである。彼女の場合、御結婚の時にはそれなりのボリュームで報道されたものの、その後はそれほどでもなかったはずである。ところが今回は違った。ある意味、有名芸能人以上の注目度だった。ゆえに日本での生活を断念せざるを得なかったのだ。

たまたまであるが、今日は秋篠宮家の次女・佳子さまの誕生日だという。彼女の結婚問題も相当に深刻である。現状、皇族女子は結婚すれば普通の人になる。ところが報道機関が過剰に取り上げることで普通の生活ができなくなる。もしかしたらお姉さん以上の困難が待っているかもしれない。

 このような自分勝手な行動は、彼女の立場では許されない。

だから何を言っておるのか、制度上の問題を無視して彼女一人を責めたところで、どうにもならないのである。

しばしばニュースで報じられているように、女性宮家創設の話がある。今は有識者の間で議論している段階であって、それが実現するかどうかはわからないが、ここで拙ブログの古くからの読者ならば思い出すかもしれない。

女系天皇問題である。

これは小泉政権時代に侃々諤々の議論が行なわれていたわけだが、ある事情から話が一気に立ち消えになった。実はあの時にはまだ悠仁親王が御生まれになっていなかったのだ。ゆえに皇統断絶の危機と言われ、女系天皇やむなしの意見が各方面から出ていたわけである。

浅井先生はこの問題に対し、天皇は何が何でも男系男子でなければいけない、という立場を主張していた。当然、顕正会員は右に倣えだった。わたくしの意見は当時の拙稿を読んでもらえばいいだろう。ここでは詳述しない。

さて、いかがだろうか?

今回の会長講演はこの点においても矛盾を孕んでいることになる。男系男子を強く主張していた人物がなぜに皇族女子の結婚にこうも目くじらを立てるのか、まったくツジツマが合わない。

このことは秋篠宮にも大きな責任があるように思える。

まったくもって浅井先生も偉くなったものである。確かに偉いのだろう。日蓮正宗の御法主上人猊下にもイチャモンをつけるくらいなのだから天皇陛下も同じなのだろう。いわんや皇嗣をやである。

 皇族は天皇家を守護する藩屏なのです。

不勉強のわたくしはハンペイを知らなかったが、難しい言葉を知っている人が正しいわけではない。最初から述べているように、今回の会長講演はデタラメもいいところである。

さらに圭氏の父および祖父母の3人の自殺に関連して、佳代さんが反社会系の人の参加を求めて交渉したことなどが、広く伝えられている。

この一段に関してはこれで最後にしよう。上掲であるが、わたくしには意味不明である。浅井先生も焼きが回ったらしい。かつては各種の報道ないし識者の見解などを簡潔にまとめて平易に説明することに長けていたが、最近はそうでもないらしい。おそらく上掲は小室夫妻のことに関心があって週刊誌などを読み漁っている人にはわかる話なのだろうと想像する。わたくしは週刊誌も月刊誌も、あるいはスポーツ新聞みたいなものも、まったく読んでいないのでわからない。顕正会員は御書しか読まないらしいので、その意味ではわたくしと同じかもしれない。

 御相伝によれば、広宣流布の時にはこの無辺行菩薩が皇室に誕生され、万世一系の皇統を嗣がれる旨が示されている。

皇室の一大使命は仏法守護であるとの主張は、顕正会の独自性が強く出ているところだと思う。現状、創価学会ではこれをまったく言わないし、宗門もほとんど言わないようである。そこで問題となるのが上掲である。最初のほうで述べたように、今回の講演は内容的には過去の焼き直しである。それをあたかも初めてのように言っているところがイヤらしいわけだが、それはさておき御相伝とは何かが問題である。わたくしの知る限り、今まで御相伝書の原文をそのまま引用したことは一度もない。なぜ引用しないのか?

前生受持

これは初出かもしれない。似た言葉では前生所持ないし先生所持があって、こちらは日目上人に関連する話だったと思う。これも創価学会ないし宗門ではほとんど使わない用語である。

第三年

来年は広宣流布の決戦場第三年だそうである。ご記憶の人も多いはずだが、以前は国難元年だとか言って、二年三年と数えていた。それがいつの間にか言わなくなった。

世界恐慌を招くインフレもいま始まってきた。

恐慌に至るかどうかはわからないが、インフレに対する懸念は事実だろう。この点は注意深く見る必要がある。

2021/12/28

アザイ  
本自名人下氏はタダモノではないようだ。裁判についての着眼点もそうだが、その前に頂戴したコメントに教養の深さがあらわれている。

そもそもわたくしは伊吹山と浅井岳の伝承をまったく知らなかったし、急いで浅井岳のことを調べてみたのだが、なかなか所在がわからなかった。どうやら今現在、金糞岳と呼ばれている山がそれのようである。
ちなみに一昨日あたりからの記録的大寒波で、彦根市では積雪が観測史上一位と報じられていたが、そこから琵琶湖畔を北上した一帯が戦国武将で名の知れた浅井長政ゆかりの地である。具体的には長浜市を中心とした地域がそれであり、細かく見て行くと浅井を冠するものがそこらじゅうに残っている。
さらに言うと、ここでの浅井はアザイであり、浅井長政もアサイではなくアザイと読むのだそうである。もちろん、どっちでもいい場合もあるが、ともかく地名については地元の人がどのように発音しているか、それが優先されることは言うまでもあるまい。

北方の能化難じて云はく・・・

北方はボッケと読む。なぜかならば今も千葉県市川市にその地名が残っているからである。

ホウオンジョウ ロッカンジョウ

顕正会経験者ならばわかるだろう。浅井先生は濁るのである。これは何か意味があるのか、単なる個人的なクセなのか、未だにわからない。

タイシュウ

これはダイシュが正しいだろう。失礼ながら百姓読みに近いものがあると思う。かく言うわたくしもいろいろと間違っているかもしれないが・・・

浅井会長的には三百万達成→一気に広布成就→浅井会長が日目上人申状を天奏→国立戒壇建立→血脈が蘇り、浅井会長が目師の再誕として法主上人へ就任…というストーリーを思い描いているのでしょうか?

大沢氏としては真面目に問うているわけなのだろう。わたくし的には荒唐無稽なストーリーとしか言い様がない。

まず、大前提として広宣流布が実現しなければ話にならないわけだが、現実的には無理だろう。もちろん浅井先生の存命中には、である。文字通りの絵に描いた餅ということだ。

そして最も根本的な問題は、万人を納得させるだけの教義上の説明が可能なのか、である。少なくとも御当代を差し置いて血脈を云々したところで、日蓮正宗の僧俗は誰も納得しないだろう。逆に言うと、日蓮正宗の僧俗すら納得しないものを他の誰が納得するだろうか、ということになる。

もっとも浅井先生を日目上人の再誕とする説は必ずしも顕正会の中で定説となっているわけではなく、外部の人たちが勝手に妄想しているだけなのかもしれないということも、いちおうは付け加えておこう。

さて、顕正新聞の続きである。

20年代の広布決戦場を見つめ、三百万を一刻も早くと急がれる先生・・・

男子部第百十七隊長(新潟県)の認識は間違っている。すでに決戦場に突入しているからである。ゆえに見つめるべきは御馬前の戦いだろう。その具体的な目標値が三百万なのだ。

隊長クラスでもこのような間違いを犯す。その責任は浅井先生にある。早い話、幹部ごとに理解がマチマチなのは、先生の言っていることがデタラメだからだろう。

次は男子部第五十六隊班長(台湾)であるが、名前からして現地の人のようである。

 それより僅か一三年・・・

何の話であるかは度外視していい。ワズカ十三年という時間感覚をどう思うかである。

台湾に残された時間が限りなく少ないことを理屈ぬきに実感・・・

理屈抜きに実感するのは勝手であるが、その具体的な長さが問題である。

台湾および日本に残された時間は、あと四年しかないことに戦慄をおぼえます。

なるほど、彼にとっては十三年がワズカなのだから、四年は一瞬みたいなものなのだろう。戦慄を覚えて当然である。

「一年前からアメリカの特殊部隊が台湾に滞在し、台湾軍特殊部隊の訓練を行なっている」

蔡英文総統の発言だそうである。これは浅井先生の言っていることを否定する内容に思える。アメリカは中国との直接対決を避けるために日本を弾除けにするのだと、先生はそう言っていたはずである。だったら上掲のような合同訓練をするわけがないのだ。登壇者はこの点に気がついていないのだろうか?

次は法華講から移籍してきた女性男子部員である。

生活が行き詰まっていた私は、生まれ変わりたい一心で大石寺に二回ほど登山し「御開扉」を受けました。

当然、法華講時代の話である。

 「宗門は戒壇の大御本尊を『営利の具』として御開扉料稼ぎに狂奔している」

言わずもがな顕正会で吹き込まれた話であるが、本人は疑問に思わなかったのだろうか?

彼女は五年ほど法華講にいた。この間、御開扉を受けたのは二回だそうである。たった二回と言ってもいいかもしれない。それで御開扉料稼ぎに狂奔していると思うのだろうか?

女子部第百六十区総班副長(神奈川県)は祖母の臨終について発表している。

四年前の曾祖母の葬儀のことにも触れて下さり・・・

登壇者は儀礼室委員のきめ細かな応対に感じ入っている。委員たちがどのくらいの頻度で葬儀に関わっているのか知らないが、四年前のことを記憶していて話題にできるのは立派である。

女子部第百五十九区支区長補(モンゴル)は顕正会の海外組織の中で最も活躍している人物かもしれない。

 このことを聞いた医師である孫が、「すぐに来て下さい」と、自分が働く総合病院に呼んでくれ・・・

前々回の拙稿で、日本国内では外国人をわけもわからず入信させている、というような問題を指摘した。しかし、上掲を読むと、かなり印象が異なるはずである。おそらくは孫がたくさんいるのだろう。少なくともその中の一人が総合病院の医師というのだから、このお祖母ちゃんだってそれなりの教養人と考えられる。結論として、外国人の入信をあながちに軽視することは控えねばならないようだ。

11人家族、6人が新型コロナ陽性に
 イベルメクチンの服用で感染免る


婦人部中予支区班長(愛媛県)の記事では、またしてもイベルメクチンのことを云々している。ところが世間では一向にメジャーになる様子はない。

女子部第二百十一区総班副長(長野県)は義母の臨終を伝えている。

未入信の親戚等にも配慮して下さる儀礼室委員の物腰の柔らかい、温かく、丁寧な葬儀に・・・

立派な人たちばかりのようである。こればかりはちょっとやそっとで身につくものではないだろう。具体的な人物名を知りたいものである。

衆院選にみる安倍晋三の凋落

最近の世相閻魔帳の中ではマトモなほうかもしれない。ちゃんとデータを示しつつ説明している点が有意義である。

 ちなみに、あるジャーナリストは、安倍の悪政を暴いた「顕正新聞」特集号が選挙区内で大量配布・投函されたことが、安倍の得票数減少に影響をもたらした一因との分析を紹介していた。

これも具体的な人物名と媒体名を明示すればなおよかったと思う。

2021/12/27

ユウヨク  
顕正新聞第1563号である。

 日目上人が最後の天奏において所持された申状を奉読させて頂きます。

これは初出かもしれない。以前からあるのは、日目上人申状に曰く・・・みたいな感じであり、上掲のような始まり方はまったく記憶がない。

始めて日興上人に値い奉った。

始めて大聖人様に値い奉った。


日目上人の御事績として、まず日興上人に、二年後に大聖人に、という話の流れである。その後は日興上人の御事績に逆戻りするわけだが、問題は表記である。

 日興上人は十三歳のとき、・・・日蓮大聖人に初めて値い奉り、

始めてと初めての使い分けには法則性があるのだろうか?

昨夜コメントを下さった本自名人下氏に見解を伺いたいものである。数さえ増やせば何でもありという組織上の問題もさることながら、わたくしはごく初歩的な国語の問題として気になって仕方がないのである。

清水(せいすい)

これも国語の問題かもしれない。わたくしは単に水(みず)でいいと思う。この場合、どのように読ませるかの問題ではなく、耳で聞いてどのような印象を受けるかが問題なのだ。

寡黙の中にも光る・・・

なぜ寡黙と言えるのか、そのような記録があるのか、教えてほしいものである。ようは浅井先生の勝手なイメージに過ぎないかもしれないのだ。

雪が腰まで積もる伊吹山

たまたま昨日あたりのニュースで大雪のことが報じられていた。今は機械で除雪してしまうが、昔はそうじゃなかった。それを考えると、いつも言っていることが大袈裟な浅井先生ではあるが、日目上人の御最期についてはわりと正鵠を射ているのかもしれない。

 日尊・日郷の二人は、日目上人の御遺骨を奉持して、申状を代奏し奉った。これ、日目上人がそこにましましたと同じです。

昨年からだったか、あるいは数年前からだったか、ともかく新見解である。以前は違うことを言っていた。何か新たな史資料が発見されたのだろうか?

日目上人が最後の天奏に所持された「申状」(草稿)

草稿が気になった。草稿に対する言葉は何だろう、俄かには思い浮かばないが、とりあえず正式文書としておこう。ようするに正式文書は先方に渡してしまったから草稿しか残っていないということなのか、それとも清書されたものが別に存在するのか、そこが知りたいところである。

さて、幹部たちの登壇を見て行こう。

財政破綻から日本を救わんと立たれる浅井先生・・・

副総男子部長の一人であるが、何を言っておるものかと思う。だったら政治家にでもなるべきだろう。あるいは著名な経済学者と論戦して、先生の卓抜なるご見識を全国民に見せつけるべきである。テレビでやれば大反響に違いない。

遊弋

難しい言葉を知っているものである。

「カエリタマエ」裁判で、再び顕正会が全面勝訴

法務部長の藤村雄大氏が地裁に続き高裁でも顕正会が全面勝訴した旨を報告している。もはやウンザリであるが、それでもわたくしなりの切り口で取り上げてみたい。

「苛烈な侮蔑的文言が多用されており、攻撃的意図で作成されたものである」

これは妙観講ないし大草一男氏の言い分である。ようするに名誉棄損であると言っているわけだ。これに対し藤村氏は高裁の判断を次のようにまとめている。

 しかし、東京高裁は、かかる大草らのペテンも看破した。そして、顕正会と妙観講が教義をめぐり約30年間にわたって対立を続け、その間、大草らから顕正会に対しても「過激な文言で批判が加えられていた」のであるから・・・

この後も説明は続くわけだが、早い話がどっちもどっちであると言っているようなものである。つまり、ハタから見れば、コイツらは何十年もやり合っているのか、くだらん連中だ、ということになるだろう。

音響・音声分析の権威である鈴木松美所長

音響・音声分析の権威である谷本益巳氏


気になる人は気になるところである。同じ文章の中でまったく同じ評価を別々の人物に与えている。まるでフタマタを掛けているみたいで印象が悪い。おそらくは妙観講側が依頼した鑑定所をショボいと言いたいがためなのだろうけれども、それにしてもどうかと思うところだ。

無駄な延命措置はやめて、往生際を真剣に考えた方がよい。

法務部長が言っているのはこの裁判に関してである。それは妙観講ないし大草氏のやっていることなのでわたくしの知ったことではないが、上掲はむしろ顕正会にこそ当てはまるのではないかと思う。

たとえば今は三百万を連呼している。いずれは三百万になるのかもしれないが、ではその時にどのような結果が得られるのかが問題である。今度は五百万だとか言い出しそうで、それが物凄くオソロシイのである。真面目な活動会員たちを思うと気の毒になる。

つまり、本部首脳が真剣に考えないといけないのは、このことなのだ。

2021/12/26

チョウタイソク  
顕正新聞の続きである。

 まさに台湾の有事は即日本の有事、台湾で戦争が始まったら、即日、日本でも戦争が始まる・・・

男子部第十総部長(首都圏)の発言にはどこまでの信憑性があるのだろうか?

天魔その身に入る池田大作の御遺命破壊に全面協力した細井日達は・・・

副総男子部長の一人がご覧のように言っている。わたくしは全面協力ではないと思っている。原島氏の著書にはあの当時の池田氏の発言が記されていて、池田氏は日達上人からの全面協力を得られなかったがゆえに不満を爆発させたのだと、そのように読み取れるのだ。昨日も書いたごとく、結果的に池田氏は辞任に追い込まれてしまった。こうした顛末を知れば、必ずしも全面協力とは言えないだろう。よって顕正会の御遺命守護の歴史は、かなりの部分において都合よく解釈してしまっていると言われても仕方がないと思う。

もし台湾で戦争が始まれば、米国の弾よけになる日本でも即日戦争が始まる・・・

総合婦人部長もこんなことを言っているわけだが、わたくしの思うに、まずは日本に駐留する米軍の存在をどうするかである。この点を無視して米国の弾除けを云々しても説得力はないだろう。

 「悪は多けれども一善にかつ事なし」――これこそ三百万と闘志がみなぎりました。

アゲアシ取りとは承知しつつも言いたい。かつては仏弟子の大集団がどうのこうのと言っていたはずである。上掲はあたかも三百万を小集団だと言っているようなものではないかと。

卓抜のご見識

総合女子部長である。女子部副部長も言っている。それはさておき、わたくしが気になったのは次である。

遠い将来

例の台湾有事即日本有事について、遠い将来ではないと言っているわけだが、わたくしの言語感覚からすると使わないフレーズである。近い将来、遠い未来。これが一般的だろう。もっとも近未来という言葉もあるので、一概には言えないのかもしれないが・・・

深きご見識

今度は女子部第九総部長(北陸)であるが、問題は次のセンテンスだろう。

 まさに顛倒の衆生には常住不滅の大聖人様の御姿は見えず、・・・先生に対し畏敬の念が幾重にも込み上げました。

途中を省略したが他意はない。大聖人のことを云々しているはずがいつの間にか浅井先生にすり替わっている。あまりよろしくないと思う。

先生の凛たるお声に「常住此説法」の大本を拝するごとくで・・・

女子部第二総部長(北関東・四国)の発言も凄まじい。上掲もそうだが、後半にも次のごとくある。

まさに大聖人様はいま此にましまして、先生をして法をお説き下されている・・・

甚だ不謹慎であるがあえて言おう。先生が亡くなったらどうするのかと。このシステムだと常に顕正会の会長が特別の存在としてタテマツラレルことになりそうである。確かに浅井先生は傑出した人物であるが、歴代会長が常にそうだとは限らないだろう。

広布前夜、先生の御存在こそ「常住此説法」

婦人部第八総部長(首都圏・近畿・中部・山陰)の記事に付された見出しである。これも驚愕の発言であるが、なるほど、ではある。ようするに先生のご存命中に広宣流布が実現するとのシナリオなのだろう。ならば後の会長とは一線を画するわけで、浅井先生だけを永遠にタテマツルことができる。まあ、しかし、それは夢に終わるだろう。予言しておきたい。

大聖人様の御内証を如実にお知りになるお方は浅井先生ただお一人である・・・

第二十四男子部長(静岡県)も凄いことを言うものであるが、問題はもう一つある。

お徳を具えた天皇が、たとえ象徴としてでも後ろに控えておられたから・・・

引用範囲が不適切であることをお許し願いたい。言わんとしていることは、昭和天皇の御代には立派な総理大臣がたくさんいた、ところが今はロクでもない総理大臣ばかりである・・・というような感じである。もちろん浅井先生の発言に基づいて言っているわけだ。

バカを言ってはいけない。これでは今上天皇ないし上皇を無徳と言っているに等しいことになる。本人にその自覚がないにしても問題発言であることは動かないだろう。

発足した岸田内閣も事実上の安倍内閣であることに・・・

女子部第十総部長(九州)のこの発言が悩ましい。何しろブレブレの日和見野郎だから、傀儡政権のレッテルを貼られても仕方がないのかもしれない。しかし、わりと最近のニュースではアベノマスクを廃棄すると報じられていた。これをどのように捉えるかである。

 三浦氏は「立場上、ワクチン接種は済んでいるが、イベルメクチンは常備しています。感染リスクがあるところでは必ずイベルメクチンを服用しています」と述べるとともに、コロナの早期対処に有効な薬はイベルメクチンしかないことも強調しておりました。

男子部第百六十七隊長(首都圏)の記事から長々と引用した。どうやらワクチンすらも不要であると言っているように読める。実際、副反応の問題がしばしば取り沙汰されているので、もしイベルメクチンがそこまで有効なのであれば国が全面的に方針転換すべきかもしれない。

出身高校の全教師を、今一度改めて折伏・・・

第四十三男子部幹事・第四十六隊長(北陸)には注目している。今回の活動報告も素直に凄いと思った。彼は昭和六十三年に入信したという。当時は高校生で当然ながら同級生をたくさん折伏したわけなのだろう。それのみならず教師たちも折伏した。そして上掲のごとく、今もなお折伏を継続しているわけである。結果、今回の活動報告では六名の教師を入信させたと報告している。顕正会経験者ならばよく知るように、ある程度の幹部になると自分では折伏をやらずに発破を掛けるだけの人が多くなる。後輩の指導が自分の役目なのだと、そのように都合よく解釈して自分では折伏をしないのだ。ところが彼は自ら先頭に立って折伏を実践している。今後も注目したいと思う。

「このおにぎりを注文できるのなら、入信したい」

女子部第二百七十一区総班副長(愛媛県)の記事にはご覧のようなセリフが出てくる。糖尿病の専門医なのだそうである。わけがわからん。

「寛解」!
 区長職も全うする


女子部第百七十三区長(岩手県)は急性前骨髄球性白血病で半年間の入院を余儀なくされた。普通なら区長を辞めざるを得ないところだが、辞めずに済んだ。まさにオンラインのお陰である。今の時代、ネットをどれだけ有効に活用できるか、そこに差が出るのだ。

法道院(主管・八木日照総監)の
 チラシにみる宗門のお粗末な勧誘


世相閻魔帳の第二十回である。

日蓮大聖人の仏法を「心の支え」と貶める愚劣さ。長大息の他はない

チラシの画像に付されたキャプションである。本文中には、邪教のチラシと見紛う代物、と書かれている。

各末寺が作成した勧誘チラシは目を疑うものばかり。信心のかけらもない宗門の実態を雄弁に物語っている

パッと見たところ、六枚ほどのチラシが並べられている。確かに顕正会のチラシ(?)とはかなり印象が異なる。顕正会は大聖人を前面ないし全面に掲げているわけだが、宗門のそれはむしろそれを意図的に隠しているように思える。とは言え、日蓮正宗〇〇寺と明確に謳っている点からすれば、チラシを見て寺院を訪れる人たちはそれ相応の覚悟を持っていることになるだろう。

逆に顕正会の場合、自宅拠点での入信も相当の数に上ると思われる。ゆえに仏間に通されてそこでようやく事の真相に気づく人も少なくない。騙まし討ちとの批判があるのもそのためである。いや、もちろん、今は諫暁書ないし広告文を使って折伏しているので、かつての運が良くなる方法があるから云々・・・みたいなデタラメなやり方は激減したとは思われるが、ほとんど内容を理解できていないであろう外国人の入信であるとか、さらにはそれを国内の成果に組み入れてしまっている点など、問題がないわけではない。

話を戻して、かつては創価学会にオンブダッコだった宗門が、今は自分たちで何とかしないといけないという自覚に立って頑張っている。チラシはその試行錯誤のあらわれと考えれば、顕正会にとっては脅威なのかもしれない。だからこそ毎号のように宗門批判を繰り返しているのかもしれない。

同日追記:原島嵩氏の名前を間違えてしまった

2021/12/25

センゲ  
顕正新聞第1562号を読む。

 中でも、学会と宗門の抗争の最中、大事な「御相承」をなし得ずに細井日達が急死したことについて先生は、池田にへつらい切る阿部日顕が、相承を受けたうえに悪事を進めることを慮られた大聖人様が、「相承の授受」をお許しにならなかったと指導下さいましたが・・・

総男子部長の発言である。もちろん中身は浅井先生の発言であり、大問題発言である。

早い話がデタラメである。ひと頃、盗座という言葉が流行った。もし大聖人がお許しにならなかった云々が事実ならば、御登座そのものをお許しにならなければ良かったはずである。つまり、上掲は結果だけを見て都合よく解釈しているに過ぎず、その結果にしてもしょせんは表面上の事象を自分たちの都合で云々しているだけの話なのである。

「無相承」の阿部日顕だからこそ、細井日達のときとは異なり、学会と宗門は凄絶なる「修羅と悪竜の合戦」を繰り広げ、ついに正本堂崩壊に至ったこと、まことに凡慮を絶する不思議であります。

いかにデタラメな発言であるか、物の道理がわかる人ならば一目瞭然だろう。

わたくしの本意ではないがあえて正当なロジックを示すと、日淳上人より相承を受けたことが確実である日達上人には逆らえなかった、ゆえに池田大作氏は会長辞任にまで追い込まれた、一方の日顕上人は無相承なのでそれを知っている池田氏は徹底的に抗った、となるだろう。正本堂崩壊云々は直接的には無関係なのである。ところが顕正会としてはそれが御遺命守護の戦いにおけるいわば大成果なので、それを一連の流れの中に組み込みたいとの思惑がある。上掲はまさにそうした文脈になってしまっている。

もし日顕上人の無相承を強調したいのであれば、ここでは正本堂の崩壊を云々せずに、日達上人の時と日顕上人の時では創価学会の態度が異なる、それが無相承の証拠に他ならない、という文脈で書くべきだったろう。

ただし、これはわたくしの本意ではない。

ご存知のごとく、創価学会はすでに日達上人の時代において分離独立を画策していたのである。しかし、結果的には時期尚早だった。ゆえに一度は矛を収めたものの次のチャンスを窺っていた。当然、同じ失敗は繰り返したくない。よって日顕上人御登座以後も相当の年月、恭順を装っていた。もし無相承ならば、その必要はなかっただろう。

もともと無相承を言い出したのは正信会である。創価学会ではそれに猛烈に反論した。ところが後年、翻意した。なんと自分たちも無相承を主張するようになった。いわゆる自語相違である。

さらに驚くべきことがある。御相承の有無に関してはいわばノーコメントを貫いていたはずの顕正会が、遥か後年、突如として無相承を主張し出したのである。一貫不変が聞いて呆れる。

・・・阿部日顕は、なんとその翌月、自ら退座したのであります。

アゲアシ取りとは承知しつつも言いたい。前号の世相閻魔帳との齟齬をである。

 大聖人様の御裁断によって強制的に宗門から追放された阿部日顕・・・

もちろん別の話ではある。一つは猊座を退いたことであり、もう一つは御遷化のことを言っているわけである。それにしても強制的と自らとでは大きな隔たりがある。

しかも総男子部長は直前に宗規を紹介しており、それがまたかなりブーメラン的な要素の感じられるところなのである。

 「法主は、遷化又は自らの意志による以外は、その地位を退くことはない」

自らの意志云々と。だったら自ら退座したことは宗規に則った行為であり、何の問題もないことになる。

そもそも日顕上人は御歴代の中でも在位期間の相当に長い猊下であられた。それは御自分の地位や権力に汲々としていたわけではなく、宗門を取り巻くきわめて厳しい状況の中で、職務を全うして来られた結果に他ならないのだ。ゆえに上掲は己の地位保全を目論んで作られたものではなく、むしろ後の猊下への配慮と考えるべきだろう。

もし顕正会員がこの点にまったく考えが及ばないとすれば、もはや日蓮正宗の信仰から完全に逸脱してしまっていることになる。もしそれを本部首脳が仕向けているとすれば、もはや顕正会は魔の眷属である。

今日は記事一本しか消化できなかった。

2021/12/22

カセキカ  
顕正新聞の続きを読んでいくが、五面の大幹部たちはロクでもないことばかり書いているので、簡単に終わらせよう。誰々の講演料が一回百万円だとか二百二十万円だとか書かれている。もし事実だとしたら羨ましい。失礼ながら浅井先生にはどこからもそんなオファーは来ないだろう。法外な金額であるのは事実だが、それだけの値打ちがあるから呼ばれるのである。

 タクシーに乗務する私はワクチン接種に不安を漏らす乗客にイベルメクチンの記事を伝えておりますが・・・

婦人部岡山支区総班長(広島県)の記事である。顕正会がイベルメクチン推しであることは間違いない。問題はワクチンに対する見解だろう。わたくしの印象では反ワクチンのように思える。しかし、必ずしも明瞭ではない。

顕正会員のように御本尊様を恋慕渇仰の信心で拝んでいる人は、過去数十年の御開扉で一度も見たことがありません。

男子部第七隊組長(茨城県)は本證寺の副講頭だったそうである。過去数十年を云々しているが、これから顕正会を数十年にわたって見ていれば同じような感想を懐くことになるかもしれない。そもそも恋慕渇仰は心の内の問題であり、表面的な態度だけでは判断できないだろう。いわゆる火の信心と水の信心で考えれば、むしろ後者は地味であって外目には前者のほうが信心強盛に見えたりする。しかし、それは長続きしないからダメだとされているわけである。

 しかし大工の棟梁としての職人気質が災いしてか、・・・徐々に信心が化石化していったのでした。

男子部第百七十一隊支隊副長(高知県)の記事には珍しい表現が出てくる。化石化がそれだ。

職場で時給が二五%も上がる功徳を頂き・・・

ツッコミどころだと思った。大工の棟梁が時給で働いているとは驚きである。善意に解釈すれば、病気になって大工を辞めたのかもしれない。しかし、どのような転職先か知らないが、かつて棟梁だった人が時給で働くのは精神的にツラいものがあるに違いない。

男子部第九十六隊班長(茨城県)は飲食店経営に成功して一時期は羽振りが良かったようである。

福運が尽きたのか、遊園地が倒産したことで売上げが激減し、全店舗が閉店に追い込まれ・・・

栃木県の某遊園地だそうである。どこだろうか?

栄枯盛衰は世の常である。大幅に脱線するが、わたくしの居住地域にある正宗寺院もかつては繁盛していた。近隣には仏壇屋が軒を並べ、いちばん多かった時は四店舗もあった。今は一つもないのである。上掲の場合、遊園地に依存する形で商売していた。ところが正宗寺院を取り巻く仏壇屋は寺院に依存していたのではなく、創価学会に依存していたのである。

阿部日明(能化 布教部長)の無能・無責任ぶり

世相閻魔帳の第十九回である。

 大聖人様の御裁断によって強制的に宗門から追放された阿部日顕の息子「阿部信彰」もその一人だ。

直前には宗門僧侶はどいつもこいつもロクでもないという意味が書かれている。その流れで阿部日顕の息子もその一人だと言っているわけだが、わたくしは上掲そのものに不満がある。ようするに大聖人の御裁断は阿部日顕に下ったのか阿部日顕の息子に下ったのか、そこが構文的には判然としないからである。もちろん顕正会員は斟酌して読むことが可能だが、一般人には難しいだろう。しかも強制的に追放されたというのは勝手な解釈であって、現実にはそうではない。一時期、創価学会では除歴を主張していた。もしそれが実現すれば事実上の追放と言えるだろう。しかし、そうはならなかった。よって上掲はテマエミソの論理に陥った独善的な文章と言わざるを得ないだろう。

偉そうな名前に改名した。

ここも悩乱が甚だしいくだりである。

 これらは「自分の息子を管長にしたい」という阿部日顕の親バカぶりを物語る・・・

信彰師が常在寺の住職に就任した時期は日顕上人も御健在であられたので、親バカ云々が当てはまらないわけではない。しかし、昨年の能化昇進はまったくツジツマが合わない。

宗門の勧誘成果はズタボロ。

この辺の実態は知らない。ズタボロという表現が気になった。

 なお、黒田の顔面連続パンチによって傷害を負けた班長は、近日中に黒田と阿部に対して損害賠償を求める裁判を提起する予定だという。

白々しい書き方である。まさか班長が勝手に提訴するわけではあるまい。もし顕正会の法務部と天皷氏が同一人物であればなおさら白々しい。

ズタボロ、負けた

この辺が天皷氏の難しいところである。前者はわりと若者っぽい表現であるが、後者はどうだろうか? わたくしの勝手なイメージだと浅井先生の好きそうな表現である。

さて、新聞が一つ片付いたところで、常連のコメント投稿者にイヤミを言っておこう。

化石化

久しぶりに目にした言葉であるが、これはあらゆる意味で戒めとすべき言葉だと思う。例えば拙ブログが好例だろう。拙ブログの存在自体がほぼ化石と化しているのだ。わたくし自身、こんなブログをいつまでも続けていて意味があるのだろうかと、そんな自問自答を繰り返しつつもダラダラと続けてしまっていることを自覚している。この点、コメント投稿者も自覚すべきと思う。

化石化の最終形は認知症かもしれないと思う。ここでわたくしが自信を持って言えることは、自分の頭で考えて文章を書いていることであり、少なくとも意味の通る文章が書けているうちは大丈夫だろう、ということである。

ごくたまに過去の拙文を読み返すことがある。自画自賛ながらけっこう面白かったりする。もちろんダメな文章もたくさんある。今となっては意味不明の文章もある。前述の天皷氏のような感じで、第三者には意味が判然としないものもあるのだ。それを読み返して反省する。そして新しく文章を書く時には、同じ失敗をしないように気をつける。

わたくしの勝手なイメージで恐縮だが、コメント投稿者にはそこまでの覚悟がないような気がする。悪く言えば書きっ放しである。ゆえに便所の落書きと言われてしまうことになる。もちろん今のコメント投稿者全員がそうだとは思わないが、一人ひとりが自問自答してほしいものである。

2021/12/19

タケナワ  
久しぶりの投稿なので、少し趣向を変えてみよう。

アマゾンで新版御書全集の価格を見たら、なんと二万円の値が付いていた。おそらくは初版本としての価値が認められているわけなのだろう。わたくしはそこまでして買いたくもないので、重版が出た段階で購入を検討しようかと思う。初版の価値は下がらないだろうが、重版以降は一気に下落するに違いない。二千円くらいになったら買おう。いや、さすがにそこまで下がるにはまだ時間が掛かるだろうか?

もし顕正会で御書を発刊したらどうなるだろうか?

御書の内容というか書物としての完成度云々ではなく、上述のような視点で比較されると困ることになるかもしれない。発行部数なども含めて、顕正会のショボさがバレてしまうことにもなりかねないからだ。

生活保護訴訟の請求棄却判決文にコピペ疑惑 3地裁で同じ誤字、NHK「受診料」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/149213

わざわざ記事を読む必要はないだろう。これはわたくしの手法が特別ではないことを裏付けるものである。

ようするに受信料と受診料の違いに着目しているわけである。このような誤変換が同時多発的に起きることは考え難い。ゆえにコピペであることが疑われているのだ。

裁判所がこのテイタラクである。コピペが横行するのも無理からぬところかもしれない。

さて、顕正新聞第1561号である。

「財政破綻と他国侵逼」特集号

新聞の内容を端的にあらわす意味で有効だとは思うが、今回の名称にあえてイチャモンをつければ、用語としての乖離が甚だしいことである。財政破綻は一般的用語だが、他国侵逼はそうではない。ここを一般人がどのように受け取るかが難しい。

中国の核ミサイル攻撃で日本は廃墟に

なるほど、ある程度の教養レベルがあれば、他国侵逼の意味も自ずとわかるのかもしれない。

さて、そこで問いたいのはミサイル攻撃の現実性である。わたくしが以前から言っているのは、米軍基地が存在する今現在の状況では中国も容易には攻撃できない、ということである。ゆえに一般人の多くはこの第一面の見出しを眺めた段階でそれとなく内容を察知して、二面以降は読まないかもしれないのだ。

動画「核攻撃での日本平定」

仮に一般の読者が二面以降を読んだとして、いちばん目を惹くのはこの辺りかもしれない。

日本への憎悪を煽る「動画」(日本語字幕は本紙編集部挿入)

その字幕は次のごとくである。

中国の死傷者数は3500万人であった

ところが会長講演の本文には次のごとく書かれている。

 その中で強調されていることは「日本は曽ての日中戦争において3500万人の中国人民を殺した」などと誇張・・・

編集部が入れた日本語字幕の下には、元からあったと思われる中国語字幕がある。

中国伤亡3,500多万人

三つ目の漢字が読めない。これは中国漢字であり、日本では傷が相当するらしい。つまり、編集部はちゃんと翻訳しているのである。ところが浅井先生はワザとなのかどうか知らないが、読み間違えているのである。死者と死傷者ではかなり意味が異なる。誇張がお得意なのは浅井先生に他ならない。

前後するが、中国関連では個人的ながらも次の辺りに注目しておきたい。

中国ではいま不動産バブルが大崩落しつつある。

崩落が珍しい表現だ。もっとも直後には崩壊と書かれているわけだが・・・

 また中国の人口はあまり増えない。老人ばかりで若者が少なくなっている。

オイオイ、日本だって同じじゃないか、と言いたい。

極超音速ミサイル

これは北朝鮮・中国・ロシアで開発されているらしい。迎撃不能だそうである。

他国侵逼関連は以上である。

比叡山で修学した三位房に対し・・・

わたくしはこのフレーズが気になった。これは入れるべきではなかったと思う。

 そして今、日本の広宣流布は、いよいよ最終段階を迎えたごとくであります。

何度でも指摘しよう。広宣流布の最終段階を云々するようになって何年が経過しているのかである。上掲の言い回しだと、あたかも過去の発言をすべて反故にした上で言っているように聞こえてしまう。今だとか、いよいよだとか、迎えただとか、だったら今まで言っていたことはウソだったことになるだろう。

 さて、総選挙も酣となって来ましたね。

タケナワが読めない字である。それはともかく、十月度総幹部会は二十五日に行なわれているので、投開票のことには触れていない。では、十一月度総幹部会で触れているかであるが、まったく触れていないのだ。おそらくは都合の悪いことがあるのだろう。これは後日、書くことにしたい。

財務次官、モノ申す
「このままでは国家財政は破綻する」


ここは浅井先生の年来の主張であり、一貫性が保たれている。折しも文藝春秋に矢野論文が載った。上掲がそのタイトルである。浅井先生の主張を補強する好都合の記事だった。

 一方、宗門は対学会闘争を有利にするため、戒壇大御本尊の敵たる身延派とも連携し、幾たびも身延僧を大石寺に招いた。

そして二面である。今回は四面から三面に戻って、最後に二面を取り上げる。会長講演としては一ページ目に相当する。特集号は一般人向けの紙面構成を企図していると思われるが、しかし、最初のほうでも言及したごとく必ずしも一般人に受けがいいとは言えないだろう。しかも会長講演の前半が上掲のような一般人にはチンプンカンプンの内容なのだ。ほとんど誰も読まないだろう。

山内を案内して正本堂まで見せたのち・・・

これが今日の最後の引用である。え? 正本堂? わたくしが何を言わんとしているか、わかるだろうか?

身延派との連携を云々するのであれば直近の情報を出すべきである。正本堂が存在したのは今となっては遥か昔の話なのだ。そういう昔のネタをいつまでも使い回している点が浅井先生の限界を示しているのではあるまいかと思う。

2021/12/8

シロモノ  
昨日未明の大沢氏のコメントに驚いた。そこには別の法華講員の見解が記されていた。要を取って言えば、過去の裁判資料によれば妙縁寺所蔵の御本尊はすべて返還されているので、顕正会が所有する妙縁寺由来とされる御本尊はすべて模造品である、ということなのである。さすがにそれは信じ難い話であり、おそらくは何か重大な錯誤があるに違いない。いわゆる御形木御本尊についてはその真新しさからして増刷されたものだろうと推測されるわけだが、常住御本尊はいかにも古色蒼然としていてまさかそれが模造品であるとは誰も思わないはずなのである。この点、何か合理的な説明が可能であれば承りたい。

さて、顕正新聞の続きである。

かかる代物

筆頭副総男子部長の発言は正本堂を意味している。シロモノの言葉自体には侮蔑の意味を含まないが、文脈的には侮蔑の意味で言っている。そこまで嫌悪するのもどうかと思うところで、おそらく第三者にはほとんど理解してもらえないだろう。

・・・大聖人様と先生のご関係を仰ぎ拝し、ただただ涙があふれました。

女子部第二総部長(北関東・四国)の発言もなかなか理解してもらえないだろう。一般人はもちろんのこと、法華講員や創価学会員にも理解されないはずである。

 「久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず」
 との深き御心をも御胸に懐かれつつ・・・


引用範囲が狭くて恐縮だが、結論的なことを書いておこう。ここでの御心は大聖人を意味する。その直後の御胸は浅井先生のことを指している。なるほどねえ。大聖人と先生の関係が特別であることを重ねて言っているわけなのだ。

ちなみに女子部第一総部長(首都圏・青森・長野県・モンゴル・米国)も同様のことを言っている。例の御金言を引用した上で、次のように続くのだ。

・・・先生の深きお心そのもの

わたくしの感覚だとこちらはまだ許容範囲かもしれないと思う。いちおう暗黙のルールとしては、大聖人には「御」を使い、先生には「お」を用いる。ただし、それはあくまで表記上の話であって、たとえルール通りだとしても内容的に問題があればそれまでである。

それはさておき、次に男子部第七十隊総支隊長補(神奈川県)の記事を紹介する。

浅井先生はイベルメクチンに関する記事を二度も顕正新聞に掲載して下さいましたが、全責任を担われ、顕正会員の命を守らんとされる師匠に・・・

この人はかつて壮年部長をやっていた。歴代の壮年部長はほぼ消息不明であり、こうして第一線の幹部として記事になることは滅多にない。

しかし、それにしても上掲は問題だろう。全責任を担われ云々と。浅井先生は先生と呼ばれているものの、ドクターではない。ようするに医師免許を持たない。薬剤師でもない。それにもかかわらず薬のことを云々しているのだ。無資格者がそんなことをして許されるのだろうか?

昨日だったか、自宅療養者にアビガンを処方したことを病院が謝罪している動画があった。何がどのように問題なのか素人目には理解しづらい内容だったが、病院ですら謝罪が求められるのである、いわんや医師免許を持たない宗教団体の先生においてをや、だろう。あるいは謝罪くらいでは済まない可能性もある。無資格者なのだから、何かしらの処罰があるかもしれない。

大御本尊を360度見下ろす正本堂の造り

男子部第三十五隊組長(青森県)の記事にはご覧の見出しがある。本文にも同様のことが書かれているわけだが、これは明らかに事実誤認だろう。三百六十度云々は一般的に競技場の構造を意味する。武道館とか国技館も同じである。コンサートなどでは背面を設けてステージを造る場合が多いが、センターステージもわりと採用されている。三百六十度とはそのことだろう。まさか大御本尊を建物のど真ん中に据えているとでも思っているのだろうか?

能安寺(住職・水島日叡)信徒、顕正会に対する
業務妨害で逮捕!罰金三〇万円の略式命令!


法華講員が顕正会の本部に迷惑電話を掛けたという話である。

その回数は十一日間で合計八九五回にも及んだ。

なるほど、これは迷惑千万である。実際、法的にも罰せられるくらいだから相当なのだろう。世間の一般常識からしても相当である。本人は熱烈な信者と考えられる。それが結果的に悪い方向に突っ走ってしまったことになる。常識を逸脱しない範囲でもっと有効な手段を考えないといけない。

次の男子部第七十隊総支隊長(首都圏)の記事は再びコロナの話題である。

直ちに浅井総男子部長より行成副総男子部長を通して、イベルメクチンの服用の仕方、パルスオキシメーターや酸素缶の準備、容体急変の際の入院等、迅速かつ懇切な指示を頂きました。

いちばん上にドクターがいればまだしもである。ドクターの指示を誰々を通して受けたとすれば許されるのかもしれない。ところが先述のごとく、浅井先生が全責任を担われているわけだから、その責任の下で総男子部長が指示を出していることになるのだろう。ゆゆしき問題である。

さて、近年の顕正新聞は臨終を伝える記事が頻出する。亡くなる人が多いのは昔に比べると顕正会員が多くなったからで、さらには高齢化の意味もあるだろう。男子部第百三十隊班長(千葉県)も父親の臨終について報告しているわけだが、さすがに次のくだりはどうかと思った。

 また仕事で車を運転中に対向車と正面衝突する事故を起こしてしまい、同乗していた上司が複雑骨折する大ケガをしたにもかかわらず、父は無傷で済む御守護を頂きました。

上司がこれを読んだらどう思うか、それを考えてから書くべきである。

世相閻魔帳第十八回は、「寄生虫」の悪あがき第六弾である。

緘黙

以前の記事にも出ていたと思う。不勉強のわたくしはこの言葉を法律用語なのかと勘違いしていた。あるいは完全黙秘のことをカンモクなどと刑事ドラマ辺りで言っていたような記憶があって、その類語なのかとも思っていた。

それはともかく、今回の内容は以前の焼き直し的なものなのだが、ここが相手の弱点と見てのことか、かなり執拗である。

「知らなかった」「気がつかなかった」「裏側から見て何なのかわかろうはずもない」等の大ウソも虚しいばかり。この証拠写真を刮目せよ

ガネーシャ像についてである。

「布が掛かっている仏像は裏から見たのではわからない物」という釈明も虚言であるのは明らか。次はどんなウソで誤魔化すのか

今度は仏像についてだ。ここでは二枚の写真があって、確かに最初の写真では仏像の頭に布が被さっていて、それが何であるかわからないと言ってもウソにはならないかもしれない。ところがもう一枚の写真では被さっていたはずの布が後ろにズリ落ちてしまっているのだ。あるいは人為的に外したのかもしれない。いわゆる御開帳である。

 いやはや、ヘソで茶を沸かすことを言うものだ。

いわば見え透いたウソに対して笑止千万だと言っているわけなのだろう。何だかわからんが、世相閻魔帳の筆者は語彙が豊富のようである。

いずれにしても掲載されている写真の数々は、まさか顕正新聞の記者が現地取材をして入手したわけではあるまい。具体的にどこから手に入れたものなのか、そこが気になるところである。妙観講だって、ヤバいと思えば公開しないだろう。それとも謗法に対する感覚がマヒしてしまっているのだろうか?

 九州大会において、二度も先生より「九州先陣」のご命令を頂いたことに・・・

女子部第三百区長(鹿児島県)の発言では、二度の意味がわからなかった。

 最初は柵がない一人暮らしは楽でしたが・・・

この婦人部町田支区組長(神奈川県)の発言もやや意味不明である。雰囲気的には、もともと秋田で農家をやっていたが、土地家屋を引き払ってこちらに引っ越してきたということなので、農作業から解放されて楽だと言っているように読める。それにしても柵とは何なのか、集合住宅で庭がないという意味なのか、何となくわかったようなわからないようなキーワードである。

次の女子部第九十一区総班副長(台湾)の切迫感はハンパないようだ。

明年二月以降、今の台湾はもうないと心し・・・

台湾在住の人が言っている点に注目したい。日本国内の活動会員たちは浅井先生による巧妙な先延ばし戦術により、いつまで経ってもゴールを迎えない状況が続いている。この実態に気づいた人たちは離脱していく。残っている人たちは気づかない。いや、そんなことはあるまい。薄々は気づいているはずである。差し当たって明年二月云々がわかりやすい。とりわけ現地会員がいちばん実感できるはずなので、登壇者の今後の動向に注目したいと思う。

2021/12/6

ケシュ  
筆頭副総男子部長について説明すると、わたくしが便宜的に使っているだけで、そのような名称は存在しないと思う。拙ブログの長年の方針として、相当の大幹部であっても個人名は伏せるように努めている。なぜならば顕正会を辞めればタダの人だからだ。現に総合女子部長だった人物にしても、先代ないし先々代は突然の交代劇によって姿を消している。基本、拙ブログには彼女らの個人名が記されていないので、いちおうはプライバシーが守られているはずである。これはわたくし自身が法律に抵触することを恐れているのではなく、あくまで相手のことを思ってのことである。

さて、今日は顕正新聞第1560号である。

わたくしは驚いた。当該号の会長講演はいい意味でどうかしているのだ。これは誰の意図なのだろうか?

初めて×3

こんなことは初めてである。浅井先生は「始めて」を好んで使うわけだが、現代国語的にはどうかと思ってかなり頻繁に指摘してきた。今までは意地でも変えないように見えた。ところが今回の記事ではすべてが「初めて」になっているのだ。

おいてをや

これにも驚いた。今までは「おいておや」と書くことが多かった。これは逆に矛盾するようだが、わたくしは「おいてをや」を主張してきた。なぜならば現代人にとっては相当に古風な言い回しであり、死語に近い言葉だからである。もし現代人がこれを多用し、かつまた「おいておや」が一般的であれば、わたくしもそれに準拠すべきと思う。しかし、現実的にはほとんど使われていないわけだから、それならば御書の表記に準ずるのが顕正会としても一貫性のある態度のはずである。

いつもどうでもいいことにこだわっているように思われるかもしれないが、むしろこれは顕正会首脳部に言っているのである。特に顕正新聞編集部は仕事にウンザリしているフシがあって、それゆえに校正が雑である。もし一定以上の教養のある人が顕正新聞を読んだとして、どのように感じるかを考えるべきだろう。特集号として大量に配布するのであれば、なおさらのことである。

ところが当該号は特集号の扱いにはなっていないらしい。例の「〇〇」特集号という表記が存在しないからである。
この点、想像されるのは内容的に一般向けではないからなのだろう。わたくし的には年に一回、浅井先生による日蓮本仏論が開陳される意味で楽しみにしているわけだが、確かにマニアック過ぎて一般にはウケない内容である。

 釈尊、五百塵点劫の当初、此の妙法当体の蓮華を証得して・・・

例えば当体義抄の当該御文にしても、一般人どころか創価学会員や法華講員であっても、御書を真面目に読んでいない人は気がつかないだろう。平成新編ないし全集で確認すると微妙に違うのである。まさか誤植ではあるまい。浅井先生なりの考えがあってのことと思われる。

久遠元初の自受用身と
応仏昇進の自受用身との異


完全にマニアックである。仏教に関心のある人でもチンプンカンプンだろう。なぜならばいわゆる日蓮系の教団であってもすべての宗派がこれを理解しているわけではないからである。

浅井先生は日寛上人の御指南に基づいて説明しているわけだが、御相伝書にもわずかにその片鱗を窺うことができる。

応仏昇進の自受用報身 久遠元初の自受用報身

ところが本因妙抄ではご覧のように表記されている。報とは法報応の三身の一つと思われるが、この点、浅井先生はほとんど説明したことがない。なぜだろうか?

下種の教主と脱益の化主

これまた日寛上人の御指南なのだろう。しかし、御相伝書にはこれに近い表現は存在するものの、同じものは存在しない。特に化主が気になるところで、御書には見当たらない表現のようである。

仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。

これが近い表現である。日寛上人の御指南よりも御相伝書を優先させるべきが筋と思うのだが、当該講演ではこの有名な御文がどこにも載せられていない。そこがやや不審だった。

 しかしこの名字即には「聞名の名字」と「解了の名字」の二つがある。

ここにも不審がある。解了の名字については総勘文抄を引いて説明しているものの、聞名の名字には御書の引用がない。やたらと詳しく説明しているようでいて、抜けているところが少なくないようにも感じられるところである。

「一期弘法付嘱書」(重須本門寺・日耀の臨写)「臨写」とは御真跡そのままに書き写すこと

ここは二箇相承への疑義に婉曲ながらも回答しているわけなのだろう。

 しかし御相承は断じて断絶するものではない。やがて御遺命を堅持あそばす貫首上人がご出現になれば、直ちに蘇るのであります。

そしてこちらは現代における御相承への疑義についてである。顕正会に詳しい法華講員には言わずもがなのことだが、これに関しては浅井先生の発言にブレがある。ブレブレの日和見野郎とまでは言わないが、過去の発言との齟齬が著しいのは事実だろう。わたくし的にはかつて先生が言っていた、御相承の授受を疑われること自体が罰なのである、というのが無難な発言だったと思う。ずっとそれを言い続けていれば、日和見のブレブレ野郎とはならなかっただろう。あれ? ちょっと違っているかな? まあ、どうでもいいか・・・

会長・原田稔に公表させ・・・

例の受持の対象にするしないの話である。ここは少し進歩した表現になっている。かつては池田氏がそれを発表したかのような言い方をしていたが、氏はすでに表舞台から降りてしまっているので事実と反することになる。ゆえに上掲のように、させたと言っているわけである。しかし、まだ問題が残っている。氏の病状がどの程度のものかである。何しろ顕正会でも氏を生ける屍みたいに言ったりしているわけだから、そのような人物に高度な政治的判断が下せるのかが問われるだろう。

 「2025年にも本格的な台湾への侵攻が可能になる」

台湾のしかるべき人物の発言らしい。確認していないが、発言自体は事実なのだろう。ただし、顕正会の主張自体はブレブレというかノビノビになっていて、広宣流布のタイムテーブル的には遅れに遅れている。ゆえにズルいのだ。真面目な活動会員たちは上掲で誤魔化されてしまうのだ。それに気づいた人たちが離脱していく。

種まき権兵衛

これはどうでもいいネタである。それにしても先生は物知りだなあ。わたくしは知らなかった。

全世界の人類

さらにどうでもいい話だが、ここは個人的な言語感覚の問題に過ぎないかもしれないとは思いつつも、言っておきたい。全世界の人々くらいが妥当なところだし、単に人類だけでも良さそうである。もしくは全人類だろう。

2021/12/4

ヒヨリミ  
今朝の大沢氏のコメントにはリンクが貼られている。

https://savekenshokai.org/archives/1162

隈なく読んだわけではないが、次のくだりが気になった。

原稿ができると、浅井昌子総合婦人部長(浅井昭衛の娘)のチェックが入るのですが、その際、初めて埼玉県大宮の本部会館の本尊を見ました。
本部会館の本尊には願主の名として「浅井甚兵衛」の名が入っていました。


浅井昌子は副総合婦人部長である。本部会館の本尊には浅井甚兵衛の名など入っていない。なぜにかくも初歩的な間違いを犯すのか、そこが疑問である。

それはそれとして、二百万達成時に登壇していた人物がすでに離脱してしまっているという事実に、わたくしは思うところがある。顕正会の定着率の悪さは今に始まったことではないので驚かないが、しかし、登壇するような人たちはそれなりに信心が堅固なわけだろう。ところが実際はそうでもないらしいのである。現に頻繁に発表される人事交代においても前任者のことが語られることはないので、相当の幹部であっても離脱してしまう事例が多くあるのだろう。この辺の組織改革が求められるところだが、もはやそれも無理なのかもしれない。

さて、顕正新聞第1559号に移ろう。

ついに先生のご信心を通して、「竜の口の情景」を大確信した日本国一同が・・・

筆頭副総男子部長の言っていることは大聖人への冒涜かもしれない。と同時に浅井先生の言っていることも理解できていないことになりそうだ。

 この情景は、大聖人御自身が後世のために聖筆を以て記し留め置き下されている。末法万年のために、なんと重大な御文か。伝聞ではない、大聖人様の御筆でそのときの情景が、記し留められているのです。何とも有難い。

前々号掲載の浅井発言である。ようするに浅井先生がいようがいまいが関係ないのだ。むしろなぜに先生の信心を通さないといけないのか、その教義的な説明が求められるところである。

その意味では左側の副総男子部長のほうがマトモであるが、ここでは煩瑣になるので省略しよう。

安倍晋三を退陣に追い込み、憲法改悪を阻止された先生の諫暁の凄さは記憶に新しく・・・

男子部第六総部長(首都圏・沖縄県)の言っていることは客観性が皆無である。顕正会員の中でも、オイオイ、それは違うだろう、と思っている人がたくさんいるはずである。いわんや一般人をやである。

男子部第百七十四隊長(首都圏)も凄いことを言っている。

 ここに伏して思うことは、この日本国に大白蓮華のごとき浅井先生がいらっしゃる重大事であります。

思うのは勝手であるが、これまた一般人には意味不明であろう。

大理法

これは総合婦人部長である。あまり見掛けない言葉だと思う。

大哲理

ちなみに前号の会長講演ではご覧のような言葉が使われている。

ともかく大の付く言葉が好きな人たちである。次の女子部第二総部長(北関東・四国)も同じである。

大智恵・大忠誠の先生の御身・・・

やや長くなるが、次の一段は筆頭副総男子部長の言っていることを敷衍したものと考えられる。

 現在に、正本堂崩壊・天魔の敗退という目に灼きつく眼前の大現証あられる先生が、竜の口の大現証を、日蓮大聖人の仏法を説かれればこそ、全日本人も、全人類も、あの兵士たちのごとく、尊き大聖人様を命で仏様と感じ、一時に手を合わせるのだと、先生の余りに重きお立場に熱涙が滴りました。

困った人たちである。

月収十四万円のこの元側近が・・・

第二十二男子部幹事・第六隊長(首都圏)の言っていることは、余計なお世話である。

いよいよ先生が満を持して望まれる広布最終段階、先生の急がれるお心が・・・

満を持すと急ぐがじゃっかん矛盾しているように感じるのはわたくしだけだろうか?

大村博士と同様にイベルメクチンの必要性を訴える中島克仁国会議員・・・

男子部第百七十六隊長(山梨県)の記事である。存じ上げなかった人だが、どうやら今も衆議院議員の肩書きが生きているので総選挙で当選したわけなのだろう。当該記事は九月末であり、顕正会が取り上げるとロクなことにならない場合が多い。ゆえに落選していたら拙ブログでイヤミを書くことになっていたかもしれない。

また中島議員は臨床医でもあることから、実際に診察している患者にも・・・

それにしてもここが解せない。医師免許を有する国会議員はかなりの数に上ると思われるが、当選すれば政治活動に専念するのが普通ではないのだろうか?

解せない意味では次の婦人部阿武隈支区部長(福島県)の記事も同じである。

阿部日顕書写の本尊を部屋の片隅に置いたままにしている・・・

わたくし的にはこれこそが不幸の原因ではないかと思うのだが、記事ではそのようなことはどこにも書かれておらず、創価学会に籍を置くことが不幸の原因だと書かれている。

翌日には近所の学会の会館を探して本尊を返納してきた・・・

支区部長レベルでもこんなテイタラクである。さすがに日顕上人書写の御本尊を不幸の原因とは言っていないものの、顕正会に負けず劣らず日顕上人を憎んでいる創価学会のところに返納させる神経がまるで理解できない。筋としては正宗寺院に返納させるべきであり、そうでなければ顕正会本部に納めるべきだろう。

神主時代は百万円以上あった月給・・・

女子部第百八十区総班長(静岡県)の記事である。上掲の直前には、枯れ井戸に転落して大ケガをして神主を辞めざるを得なくなった、と書かれている。なぜなのかが書かれていない。ケガが治れば復帰できそうなものである。それはともかく百万円は羨ましい。坊主丸儲けの一種だろうか?

安倍の手に堕ちた警察

世相閻魔帳の第十七回は最近ではめずらしく、一般人が読んでも興味深い内容である。

「安倍サマのお友達を逮捕させるわけにはいかない」

細かい説明は省くが、逮捕直前で強権が発動された事例である。

古賀氏の降板

これは報道番組でコメンテーターをやっていた人物を降板させるべく、テレビ局に圧力を掛けたという話である。

ヤジを飛ばしただけの一般市民を次々と容赦なく強制排除・・・

これは探せばどこかの動画サイトに残っているかもしれない。

共産党の山添拓参議院議員を「鉄道営業法違反」の容疑で書類送検・・・

この件はほとんど同意見であるが、昨今は撮り鉄と呼ばれる人たちのマナーの悪さが取り沙汰されているので、瓜田李下の意味からして議員たるもの行動には慎重であるべきと思う。

ブレブレの日和見野郎・・・

これには恐れ入った。天皷よ、ペンネームではなく実名で書いたらどうかと提案しておく。拙ブログもけっこう好き勝手なことを書いているとは自覚しているが、さすがに節度は持っているつもりである。

 「厚労省がコロナ治療薬として認可していない以上、医師として発言すると問題になるから、これから独り言を言います。実は私も少し前から服用しているんです」

男子部第三十五隊長(青森県)は医師の独り言を公開してしまっている。それはともかく書き様からすると、この医師はイベルメクチンを治療薬としてではなく予防薬として服用しているように読める。もし予防薬として有効ならば、ワクチンよりも使い勝手がいいはずなので、ぜひとも普及させるべきだろう。

 またドナー登録したり、海や山に散骨・・・

女子部第十五区長(首都圏)の記事である。上掲の言い様だと、ようは反対なのだろう。この点、教義的に説明できるのだろうか?

インターフォン・・・

話を簡略化すると、未明にインターフォンが鳴ったけど誰もいなかった、けれども目が覚めたおかげで携帯の着信に気づいた、結果的に母の臨終に間に合った、というような感じである。俗な言い方をすれば超常現象となるだろうか? カエリタマエもそうなのかもしれない。


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