2022/1/24

ユクスエ  
拙ブログに集う人たちの共通項として「類友」というキーワードが取り沙汰されることがある。しかし、一見すると矛盾するようだが、それと同時に別の特徴を見出すこともできると思う。ズバリ言えば、単なる仲良しグループではない、ということである。

かつてキリスト教の人が来た。一ヶ月くらい居たかもしれない。あるいは日蓮宗の在家信徒が熱心に投稿していたことがある。半年近く議論しただろうか?

その頃は各種の掲示板も盛んだったし、個人ブログに精を出す人も多かった。くだんの日蓮宗信徒も法華講員が運営する掲示板ないしブログなどに投稿していた。ところがである。法華講員たちはその人との議論を疎ましく思ったものか、なんと早々にアク禁にしてしまったのである。

その人物が拙ブログを訪れるようになったのは、その後のことだった。

当時のわたくしは今以上に不勉強であり未熟だったので、あまり上等な議論ではなかった。それでも相手を一方的に排除することはしなかった。ゆえに相手にその気があれば議論は続いただろう。どうやら最後は議論に疲れてしまったらしく、去って行った。

ある意味、似たような境遇(?)なのが沖浦氏だろう。

わたくしの記憶が確かであれば、沖浦氏も一時期は盛んに法華講員の掲示板やブログに投稿していた。ところがほとんどすぐにアク禁になっていた。何しろ創価学会系の掲示板でもアク禁になってしまうような人であるから、本人にも問題があるのだろうとは思う。しかし、わたくしの観察ではアク禁する側にも問題があった。

拙ブログでは最初からアク禁をしない方針を貫いている。これについては何か崇高な理念があるわけではなく、面倒臭いから放置しているというのが正解に近いかもしれない。その上であえて気取ったことを言えば、不殺生戒を守っていることになるだろう。アク禁=死刑と考えれば、そう易々とは執行できまい。いや、もしかしたらアク禁は追放くらいの意味かもしれない。削除が死刑に相当するのかもしれない。

何度も書いているが、拙ブログはアク禁もしなければ削除もしないのだ。これが最強のルールだと思っている。

以前、コメント欄に個人情報が書き込まれたことがあって、その人物はわたくしのメールアドレスを知る数少ない人物だったこともあり、削除してほしいとメールを送ってきた。しかし、わたくしは削除しなかった。この場合、何がどのように問題になるのか、わたくしは知らない。世間知らずゆえに怖いもの知らずということである。結果、どうなったかであるが、幸か不幸か拙ブログのコメント欄は投稿者ないし投稿数が多くて、すぐに埋没してしまうのである。ゆえに過去の膨大なコメントの中に今もそのコメントが残っているはずであるが、何の問題も生じていない。個人情報をさらされた人物もその後は削除を要求してくることはなかった。

では、万一にも責任問題が生じたらどうするのか?

これも過去に書いたことがあると思う。望むところであると。

先ほどの個人情報の問題で考えると、それを書き込んだ人物は悪意があってそのような行為に及んだわけである。ならば第一義的にはその人物が罪に問われるはずだろう。わたくしが問われるのは放置した責任であるが、それは甘んじて受ける覚悟なのだ。つまり、どのようなケースであってもコメント欄に投稿した人物に責任があるわけで、その覚悟で投稿するのであればそれは大いに結構なことだと思う。逆にこのような方針を謳っていると、生半可なことでは投稿できなくなる。事実、拙ブログには低レベルのイタズラ投稿は存在しない。

冒頭に、仲良しグループではない、と書いた。

それはそうだろう。法華講員と創価学会員が仲良しのわけがないし、現在は無所属との自覚が強いものの今も落ちぶれ顕正会員の看板を掲げているのが拙ブログである。ここに正信会系の人物が加わったとしても仲良しにはならないだろう。

逆に仲良しグループだったとしたら長続きはしなかったと思う。法華講員の掲示板ないしブログにしても、創価学会員のそれにしても、今はほとんど動きが見られない。あるいはわたくしが知らないだけなのかもしれないが、少なくとも過去にそれなりに賑わっていたところは悉く不活発になっている。仲良しグループなんてそんなものである。

もちろんブログ主のモチベーションに影響するところが大きい。

わたくしは何だかんだ言ってもコンスタントに投稿しているほうなのだろう。掲示板の場合はどうか知らないが、ブログは主宰者がやる気をなくせば終わりなのである。大沢氏が指摘するように、拙ブログは顕正会の行く末を見守る目的がある。少なくとも決戦場と呼ばれる二十年代は最後まで観察し続けたいし、わたくしの余命からしても可能である。

今日はどうでもいいことをダラダラと書いてしまった。


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